間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第125話 幼馴染

「緑谷様」

 

「はい?」

 

 部屋を出て一階まで降り、フロントの前を通りかかったところで名前を呼ばれ、緑谷は足を止めた。

 

 受付に立つホテルスタッフが丁寧に一礼する。

 

「先ほど、見かけない方から緑谷様の所在を尋ねられましたので、打ち合わせの通り不在であるとお伝えいたしました」

 

「ああ、ありがとうございます。あとで確認しますね」

 

「かしこまりました」

 

 軽く頭を下げてその場を離れる。

 

 ホテルに滞在している間、外部から敵連合の人間について尋ねられた場合は、宿泊していること自体を伏せるようホテル側へ頼んである。

 自分を名指しで探していたというのは少し気になったが、心当たりがまったくないわけでもないため、緑谷は後で確認することにした。

 

 今は別の用事があった。

 

 自動ドアを抜けると、夜の涼しい空気が頬を撫でる。

 緑谷はポケットから煙草の箱を取り出し、残りの本数を確かめながら周囲を見回した。

 

「このホテル、喫煙所小さいんだよなぁ……壊理ちゃんもホテルを散歩してるから、吸いにくいし」

 

 ホテル内にも喫煙所はあるのだが、いかんせん狭い。

 夕食後の時間帯ともなれば利用客が重なりやすく、先ほど覗いた時にも何人かが入っていたため、わざわざ狭い室内で他人と肩を並べて吸うくらいなら、少し歩いて別の場所を探した方がいい。

 

 煙草を箱へ戻してスマートフォンを取り出し、現在地の周辺を確認しながら大通りへ向かう。

 

「この辺だと……」

 

 泥花市へ来てから街をゆっくり見て回る機会はほとんどなかったものの、駅からホテルまでの間には飲食店やコンビニも多い。

 少し探せば屋外の喫煙所くらい見つかるだろうと思いながら辺りを見回すと、ホテルの向かい側にあるコンビニの駐車場、その端に灰皿らしきものが置かれているのが見えた。

 

「あ、らっきー」

 

 これなら、わざわざ遠くまで探す必要もない。

 

 横断歩道を渡って駐車場へ入ってみれば、灰皿の横には喫煙場所を示す案内もあり、幸い他に利用している客もいなかった。緑谷は「ここでいいか」と呟きながら煙草を一本咥え、ライターで先端へ火を点ける。

 

 煙を肺へ入れ、ゆっくりと吐き出す。

 

「ふぅ……」

 

 夜風の中で吸えるだけ、ホテルの狭い喫煙所よりずっといい。

 道路を挟んだ向かいには自分たちの泊まっているホテルも見えているため、何かあったところですぐ戻れる距離だった。

 

 もう一度煙草を吸いながら、緑谷は見慣れない街並みをぼんやり眺める。

 東京から随分離れた場所まで来たものだと改めて実感したところで、今さらながら別の問題が頭を過った。

 

「この町で補導とかされたら、どうしたらいいんだろう」

 

 煙草を指に挟んだまま真剣に考え、しばらくしてから自分でも妙な疑問だと思ったのか、僅かに首を傾げる。

 

「そもそもされるのかな。この街じゃ指名手配なのに捕まらないんだから、未成年喫煙くらいいいよね」

 

 指名手配犯が未成年喫煙で補導されるというのも随分と間の抜けた話だ。

 

 そんなことを考えていると、背後でコンビニの自動ドアが開いた。

 

「くそ、愛知まで連れてきやがって……」

 

 聞こえてきた愚痴に、緑谷の思考が止まった。

 

 声そのものだけではない。

 低く不機嫌で、周囲に聞かせるつもりもないのに妙によく通り、苛立った時には語尾を僅かに噛み潰す。

 その悪態の吐き方にまで、嫌というほど覚えがあった。

 

 まさかと思う。

 ここは東京から遠く離れた愛知県で、そんな場所に彼がいる理由など思いつかない。

 それでも緑谷は煙草を指に挟んだままゆっくり振り返り、コンビニから出てきた少年も、ほとんど同じタイミングで顔を上げた。

 

 赤い瞳と、逆立った金髪。

 

 見間違えようがなかった。

 

 互いに相手を認識したまま数秒ほど動けず、先に沈黙を破ったのは緑谷だった。

 

「……かっちゃん?」

 

 爆豪の眉間に皺が寄る。

 

「い……デ、あ……はぁ?」

 

 もはや言葉になっていなかった。

 

 コンビニの自動ドアの前で立ち尽くした爆豪は、煙草を片手にこちらを見ている緑谷を凝視する。

 何故こいつがここにいるのかという疑問と同時に、ここへ来るまでの四ツ橋との会話が脳裏を過った。

 

 東京からわざわざ愛知まで連れてこられた理由について、具体的な説明はほとんどされていない。

 ただ、四ツ橋はホテルへ向かう車内で一つだけ、妙に含みを持たせて告げていた。

 

 ──君に、是非とも会わせたい者がいる。

 

 それが誰なのか尋ねても、会えば分かるとしか答えなかった。

 ホテルへ到着してからも相手の名前は明かされず、少し待っていてほしいと言われたため、爆豪は苛立ち紛れに飲み物でも買おうと向かいのコンビニへ出てきたのだ。

 

 そして今、そのホテルの真正面で緑谷出久が煙草を吸っている。

 

 爆豪は道路の向こうに建つホテルへ一度視線を向け、それから改めて緑谷を見る。偶然で片付けるには、あまりにも出来すぎていた。

 

「会わせたいって……まさか……」

 

「ん?」

 

 呆然と漏れた声を聞き取れなかったのか、緑谷が小さく首を傾げる。 

 その仕草は昔と大して変わっていないというのに、右手には煙草が挟まれており、吐き出した白煙が夜風に乗って流れていった。

 

 爆豪は何も言えないまま、その光景を見つめる。

 

 もちろん緑谷の方も驚いていないわけではなく、目は普段より少し大きく開かれ、煙草を口元へ運ぶ手も一度止まっていた。

 ただ、愛知県の見知らぬ街で突然幼馴染と再会した人間としては、妙なほど落ち着いている。

 

 一口吸ってから煙を吐き、改めて爆豪の顔を確認する。

 

「かっちゃんだよね?」

 

「あ?」

 

「いや、そっくりさんだったら嫌だなと思って」

 

「ンなわけあるか!!」

 

「ああ、良かった」

 

「何がだ!」

 

 聞き慣れた怒鳴り声を受け、緑谷は納得したように頷いた。

 少なくとも本人であることは間違いなく、問題は何故その本人が愛知にいるのかということになる。

 

 緑谷は煙草を咥えたまま道路の向こうにあるホテルを見て、それから爆豪へ視線を戻した。

 もう一度ホテルを確認してから煙草を摘まみ、灰皿へ灰を落とす。

 

「どうしようかな……」

 

 煙草を指に挟んだまま、本当に困ったように唸る。

 

 対する爆豪は、未だ状況を完全には呑み込めていなかった。

 愛知まで連れてこられ、四ツ橋からは会わせたい相手がいると告げられ、その目的地だったホテルの真正面で緑谷と遭遇した以上、四ツ橋が最初から緑谷の存在を把握していた可能性は高い。

 さらに考えるなら、自分をここまで連れてきた理由そのものが、目の前にいる幼馴染なのかもしれなかった。

 

 しかし、そこまで考えたところで爆豪の意識は別のところへ引かれていく。

 

 目の前にいる緑谷は、確かに変わっていた。

 

 顔も声も、考え込む時の癖も昔から知っているものと大して変わらない。

 それなのに、自分の知らない土地で、自分の知らない時間を過ごした末に煙草を吸いながら立っている。

 その姿を見ていると、あの夜から自分が何度も考え続けてきたことを、嫌でも思い出してしまう。

 

 出久に啖呵を切ったあの夜から、もし次に会うことがあったなら、その時には言わなければならないことがあると考えていた。

 

 父親に諭され、ジーニストから大切なことを教わり、そのうえで自分自身でも考えた。

 誰かに謝れと言われたからではなく、かつての自分が間違っていたと自分で認めたからこそ、いつかは言葉にしなければならない。

 

 このまま二度と伝えられない可能性さえあると思っていた相手が、よりにもよって愛知県のコンビニ前で突然目の前に現れた。

 

「…………チッ」

 

 爆豪は一度舌打ちすると、手にしていたコンビニの袋を強く握った。

 

 四ツ橋が何を企んでいるのかも、何故緑谷がここにいるのかも分からない。

 潜入中であることを考えれば不用意な行動など取るべきではないのだが、それでも今を逃せば、また言えなくなるような気がした。

 

 しばらく迷った末、爆豪は意を決して顔を上げる。

 

「出久」

 

「ん?」

 

 名前を呼ばれた緑谷の目が、僅かに見開かれた。

 

 いつもの蔑称ではなく、自分の名前を呼ばれた。

 その意味を理解できないほど、二人の付き合いは短くない。

 

 爆豪は奥歯を噛み締めながら、それでも目を逸らさずに口を開く。

 

「俺は──」

 

「やめてよ」

 

 静かな声が、その先を遮った。

 

「…………あ?」

 

 爆豪の表情が固まったが、緑谷に怒っている様子はなく、責めるような目を向けているわけでもなかった。

 ただ煙草を口元へ運び、ゆっくり吸い込んでから、夜空へ向けて細く煙を吐き出す。

 

「何を言おうとしたかは大体分かってるけど、今じゃないでしょ」

 

「……んだと?」

 

「かっちゃん、僕を捕まえるためにここまで来たわけじゃないんだよね。それに──」

 

 緑谷はそこで言葉を区切ると、指先の煙草から落ちそうになっていた灰を灰皿へ落とし、改めて爆豪を見る。

 

「僕に謝るために愛知まで来たわけでもない」

 

 その言葉に、爆豪の眉が僅かに動いた。

 

 緑谷は返事を急かさず、煙草をもう一度だけ吸う。

 

「僕さ、どっちにしても気に入らないよ」

 

「……あ?」

 

「かっちゃんが僕を片手間で捕まえられると思ってるなら、随分舐められたものだなって思うし」

 

 穏やかな口調だった。

 

 声を荒らげることもなければ、敵意を剥き出しにして身構えることもない。

 それでも爆豪は反射的に緑谷の手を確認していた。

 片手をポケットへ入れ、もう片方には煙草を持ったままで、何かを仕掛けようとしている様子などないというのに、妙な圧力があった。

 

「片手間で謝ろうとしてるなら、もっと気に入らないよ」

 

「…………」

 

「ずっと前のことだから適当に済ませてもいいって思ってるわけじゃないんでしょ? だったら、かっちゃんが本当に言いたいことを、たまたま僕と会ったから今のうちに言っておこう、みたいに使わないでよ」

 

 爆豪の口が僅かに開き、それから閉じた。

 

 違う、と反射的に言い返しかけたものの、緑谷が言っていることを完全には否定できなかった。

 

 謝罪を軽く考えていたわけではない。

 むしろ逆で、考えて考えて考えて、それでも言葉にできないまま今日まで来たからこそ、突然本人を目の前にして焦った。

 次の機会などないかもしれないという恐れから、本来の任務も現在の状況も押し退けて、今ここで伝えようとした。

 

 それを片手間と呼ばれれば腹は立つ。

 

 だが、愛知まで来た本来の目的が別にあることも事実だった。

 

 結局、何も言えなくなった爆豪を見て、緑谷は小さく息を吐き、そのまま歩き出した。

 

 一歩、二歩と近づいてくる緑谷に、爆豪はその場から動かなかった。

 昔ならば、逆だったはずだ。自分が一歩踏み込めば緑谷が怯み、睨みつければ視線を逸らし、それでも何か言いたい時だけ恐る恐る食い下がってきた。

 

 今は、その緑谷の方から距離を詰めてくる。

 

 爆豪のすぐ目の前まで来たところで足を止めると、緑谷は僅かに顎を上げた。

 身長差はほとんど変わっていないはずなのに、不思議と見下ろされているような錯覚を覚える。

 

「舐めるなよ」

 

「……!」

 

 静かな声だったが、爆豪の肩に僅かに力が入った。

 

 そんな言葉を緑谷から、それも自分に向けて聞く日が来るとは思っていなかった。

 

「僕を捕まえるにしても、謝るにしても、ちゃんとそれをしに来た時にしてよ。今のかっちゃんには他に目的があるんでしょ?」

 

 緑谷は真正面から赤い瞳を見据えたまま、逃げ道を塞ぐように問い掛ける。

 

「元々、何しに来たの?」

 

「…………」

 

 爆豪は答えなかった。

 

 答えられるはずがない。

 

 本来なら。

 

 自分が公安の依頼でデトネラットへ潜入していることなど、敵連合の一員である緑谷へ明かしていい情報ではない。

 四ツ橋から信用を得るために何週間も掛け、ジーニストとの戦闘まで演出して作り上げた立場であり、ここで口を滑らせれば自分一人の問題では済まなくなる。

 

 分かっている。

 

 分かっているのだが。

 

「…………デトネラット」

 

「うん?」

 

「デトネラットのサポートアイテム裏販売について調べるために来た」

 

 口から出た後で、爆豪自身が一番驚いた。

 

 緑谷も一度だけ瞬きをしたが、何も言わずに続きを待っている。

 

「……最近、ヴィラン相手にサポートアイテムが出回ってるっつう話があった。デトネラットが噛んでる可能性があるから、そこを調べるために……」

 

 説明しながら、爆豪は自分でも何故こんなことを話しているのか分からなくなってきた。

 

 もちろん全部を明かしているわけではない。

 公安の名前も、自分以外に潜入している人間がいることも、解放軍について既に掴んでいる情報も伏せている。

 

 しかし、目の前にいるのは緑谷出久だ。

 

 敵連合の緑谷出久だ。

 

 自分が何を調べているか教える相手としては、どう考えても最悪の部類に入る。

 それでも緑谷は黙っている。その沈黙が妙に居心地悪く、爆豪は必要以上に言葉を続けた。

 

「勿論、解放軍と接触してるっつう連合に近づきたかったからでもある」

 

「…………」

 

「だから別に、片手間っつーか。元からそっちも調べるつもりだったっつうか、デトネラット追ってりゃ連合にも繋がる可能性があって、それで──」

 

「ふーん」

 

 気の抜けた返事だった。

 

 あれだけ問い詰めておきながら、緑谷はそれ以上追及するでもなく、指先の煙草を口元へ運んで残りを吸っている。

 その態度を見ているうちに、爆豪の中で遅ればせながら別の疑問が浮かんだ。

 

 そもそも、自分は何故ここまで説明しているのか。

 

 聞かれたのは、元々何をしに愛知へ来たのかという一点だけだった。

 それならデトネラットを調べていると答えるだけでも十分だったはずなのに、裏販売の件から連合との接触まで、自分から聞かれてもいないことを付け足している。

 

 挙げ句の果てには、まるで緑谷に対して言い訳でもするかのような口振りになっていた。

 

「……チッ」

 

 爆豪は舌打ちして顔を背けた。

 

(何を言い訳みてえなこと言ってんだ、俺は)

 

 潜入先で偶然幼馴染と遭遇し、謝罪しようとしたところを止められたうえ、「片手間で捕まえるつもりなら舐めるな」と詰められたからといって、何も自分の任務を馬鹿正直に説明してやる必要などない。

 まして相手は現在、公安が追っている敵連合の一員である。

 

 冷静になって考えるほど、自分が何をしているのか分からなかった。

 

「かっちゃん?」

 

「何でもねえ!」

 

「そう?」

 

 緑谷は不思議そうにしながらも、短くなった煙草を最後に一度だけ吸った。

 先ほど爆豪へ詰め寄ったせいで灰皿から少し離れていたため、吐き出した煙を夜風に流しながら元いた場所まで戻っていく。

 

 灰皿へ吸い殻を押しつけ、火種が残らないよう丁寧に揉み消す。

 

「デトネラットかぁ……」

 

 その名前を口の中で転がすように呟いてから、緑谷は灰皿の前で振り返った。

 

「そういえば、僕ら連合は今、その解放軍に加われって言われてるんだ」

 

 あまりにもさらりと告げられ、今度は爆豪の方が反応に遅れた。

 

「……は?」

 

「まだ入るって決めたわけじゃないよ。向こうから誘われてるだけ」

 

 緑谷はそう補足しながら、煙草の箱とライターをポケットへ戻す。

 まるで近況でも話すような気軽さだったが、爆豪にとっては現在進行形で潜入して調べている組織について、敵連合側から直接もたらされた情報である。

 

「今は懐柔中かな。こうやって泥花市まで呼ばれて、色々と良くしてもらってるところ。伊口君なんかもう、毎日ドロドロに接待されちゃってるよ」

 

「……解放軍に入るつもりなんか」

 

 爆豪の問いに、緑谷はすぐには答えなかった。

 

 先ほどまで煙草を吸っていた場所から道路の方へ視線を移し、夜の泥花市を眺めながら考える。

 ホテルへ来てから何度か話を持ちかけられてはいるし、解放軍の思想についても一通り聞かされていた。

 最初から断るつもりなら、そもそもこんな場所まで来てはいない。

 

 かといって、誘われたからそのまま加わるほど単純な話でもなかった。

 

「……解放思想には、部分的に賛同って感じかな」

 

 爆豪の眉が僅かに寄る。

 

 その反応を見ても緑谷は言葉を変えず、何から説明すればいいのか整理するように少し間を置いた。

 

「今の個性社会が歪なのは、僕もよく分かってるから。ほとんど全員が個性を持って生まれてくるのに、それを自由に使うことは許されなくて、使っていい人と駄目な人が制度で分けられてる。もちろん、それにはちゃんと理由があるし、みんなが好き勝手に個性を使ったら危ないっていうのも分かってるよ。でも、その仕組みから零れた人を全部救えてるかって言われたら、そんなことはない」

 

 緑谷の脳裏には、何人もの顔が浮かんでいた。

 

 生まれ持った性質と個性を否定され続け、普通の少女として振る舞うことを求められた少女。

 自分の個性によって自分自身を見失い、それでも社会の中で生きようとして壊れていった男。

 見た目だけで人間ではないかのように扱われてきた者もいれば、社会が当然のものとして敷いた道から外れただけで居場所を失った者もいる。

 

 そして、かつて無個性として生まれ、ヒーローになりたいという夢を諦めろと何度も言われた自分も、その一人だった。

 

「大多数の人が普通に暮らせるように作った社会だからこそ、そのために犠牲になってる人はいる。少数の人が苦しくても、大多数が安全なら仕方がないって考え方で社会を回さなきゃいけない時があるのも分かるけど、その『仕方がない』って言われる側からすれば、たまったものじゃないよ」

 

「…………」

 

「それに、自分を解放することが清々しいっていうのも、僕は知ってる」

 

 緑谷はそこで少しだけ下を向いた。

 

 USJで飯田を殴り倒した瞬間、保須でステインを殺した瞬間の、言い様のない解放感。

 力で自分の意思を押し付ける快感は、出久が個性を手に入れて初めて得た種類の暗い欲望だった。

 

「好きなものを好きだって言って、嫌なものを嫌だって言う。誰かに決められた生き方じゃなくて、自分でどう生きるか決める。それ自体は悪いことじゃないし、僕だって今の方がずっと楽だよ。だから解放軍の人たちが言ってることを、全部間違ってるって切り捨てるつもりはない」

 

「じゃあ、入んのかよ」

 

「それは別」

 

 緑谷ははっきりと答えた。

 

「自分を解放することと、好き勝手にしていいことは同じじゃないよ。僕は、好きなことをするには責任が伴うとも知ってる。自分が自由にしたことで誰かが傷ついたなら、『僕は自由にしただけだから知りません』じゃ済まないし、自分で選んだことなら、その結果まで自分で背負わなきゃいけない」

 

 そこで緑谷は、僅かに肩を竦める。

 

「僕は今、自分で選んでヴィランをやってるから、いつか捕まったとしても『社会が悪かったから僕は悪くありません』なんて言うつもりはないよ」

 

 敵連合に入り、指名手配までされている人間の言葉としては奇妙だったが、少なくとも緑谷は、自分の行為を社会のせいにして正当化しているわけではない。

 

 社会に問題があると認めることと、自分の行動に責任を負うことを、最初から別の問題として考えている。

 

「解放軍が目指してるものを突き詰めたら、結局は個性を自由に使える社会になる。自分の力を自分の意思で使えるっていうところまでは僕も賛成できるけど、その自由をどこまで認めるのかって考えると……僕には、あの人たちの答えには賛成できない」

 

「……何でだ」

 

「怖いからだよ」

 

 緑谷はあっさり答え、それから少し考えて言い直した。

 

「違うな。僕が怖いっていうより、たぶん、悲しむ人が増えるから」

 

 個性は誰もが同じ力を持つものではない。

 便利なだけのものもあれば、ほとんど日常生活では役に立たないものもあり、その一方で一歩間違えれば簡単に人を殺せる力を、生まれつき持っている人間もいる。

 

 その差がある以上、全員へ無条件に同じ「自由」を与えれば、自由そのものの大きさまで同じになるわけではない。

 

「昔みたいな、力のある人が好き勝手に個性を使って、気に入らない相手がいたら力で押し通して、それに対抗できる人だけが自分を守れる……そんな戦国時代みたいな世の中には、僕は賛同できないよ。どれだけ『異能解放』って綺麗な名前をつけても、最後に強い人の自由ばかりが大きくなるなら、それは僕が欲しい自由じゃない」

 

 爆豪は黙ったまま緑谷を見る。

 

「自由になりたいって気持ちは分かるし、今の社会に限界があるっていうのも分かる。変えなきゃいけないところだって、きっとたくさんある。でも、そのために今よりもっと多くの人が踏み潰されるなら意味がないよ」

 

 緑谷は泥花市の明かりへ目を向けた。

 

 解放軍の本拠地でありながら、表面上はどこにでもある街と変わらない。

 コンビニには客が入り、道路を車が走っている。

 

「きっと、もっと多くの人が悲しむことになる」

 

 言い切った緑谷に、爆豪は何も返さなかった。

 

 敵連合に加わり、世間からヴィランとして指名手配されている人間が、異能解放軍の掲げる社会では犠牲になる人間が増えるから賛同できないと言う。その矛盾を指摘しようと思えばいくらでも出来るはずなのに、爆豪には不思議とその気になれなかった。

 

 少なくとも、緑谷の中では矛盾していないと、伝わってきた。

 

 社会から外れたことと、社会そのものを壊したいことは別であり、自分が自由に生きることと、他人の自由を踏み潰していいことも別だと考えている。

 雄英にいた頃とは立っている場所こそ変わってしまったものの、目の前で語られた考え方の根にあるものまで、爆豪にはまるで別人のものとは思えなかった。

 

 その沈黙をどう受け取ったのか、緑谷は少しだけ首を傾げた。

 

「かっちゃんは、解放軍を潰しに来たんだよね?」

 

「……あ?」

 

 あまりにも自然に尋ねられ、爆豪は一瞬だけ反応が遅れた。

 

「いや、潰すっつうか……あくまで情報を集めんのが先だ。証拠とか、組織の規模とか、そういうのを調べて──」

 

「ふーん」

 

「何だその顔」

 

「いや、かっちゃんが『あくまで情報を』なんて言うんだなって」

 

「殺すぞ」

 

「それは駄目だよ、情報収集なんでしょ?」

 

「うるせえ!」

 

 思わず怒鳴ると、緑谷は少しだけ笑った。

 

 それが余計に腹立たしくて睨みつけるものの、否定できないのも事実だった。

 昔の自分なら、危険な組織だと分かった時点で叩き潰せばいいと考えていたかもしれないが、今は自分一人が暴れて終わる話ではないことくらい理解している。

 証拠を押さえ、関係者を特定し、組織の全容を把握したうえで然るべき形で摘発しなければ、末端を何人捕まえたところで本体に逃げられるだけだ。

 

 それに何より、今の自分は潜入している側である。

 

 勝手な行動一つで、これまで積み上げてきたものを全部台無しにするわけにはいかない。

 

「だから、まだ潰すとかそういう段階じゃねえ。証拠も足りねえし、解放軍がどこまで入り込んでんのかも──」

 

 説明しかけたところで、爆豪は口を閉じた。

 

 まただ。

 

 どうして自分は、こいつに聞かれると律儀に説明しているのだろう。

 

「……チッ」

 

「また舌打ちした」

 

「テメェに話してんのが馬鹿らしくなったんだよ!」

 

「聞いたのかっちゃんじゃん」

 

「テメェが聞いたんだろうが!」

 

「あ、そっか」

 

 本気なのかと疑いたくなる返事をしながら、緑谷はホテルの方へ目を向けた。

 

 爆豪は情報を集めたい。

 少なくともヒーロー側は異能解放軍を調べており、デトネラットによるサポートアイテムの裏流通について証拠を探している。

 

 一方、自分たち敵連合は、その解放軍から仲間になるよう誘われている。

 今すぐ敵対しているわけではない。

 むしろ現在は客人として迎え入れられ、宿泊先まで用意され、街の中を自由に歩き回れる程度には歓迎されている。

 

 だからこそ、向こうは自分たちに色々なものを見せている。

 

 組織の人間とも会った。

 

 活動についても聞いた。

 

 解放軍が自分たちを仲間に引き入れたいと考えている以上、これから先、さらに深いところまで知る機会もあるだろう。

 

 そこまで考えたところで、緑谷は「あ」と小さく声を漏らした。

 

「かっちゃん」

 

「何だ」

 

「解放軍、潰しちゃおっか」

 

 爆豪は何も言わなかった。

 

 聞き間違いかと思ったわけではない。

 緑谷の言葉ははっきり聞こえていたし、先ほどまでの話を考えれば、出久が異能解放軍に好意的ではないことも分かっている。

 

 問題は、そこから実際に潰すという結論へ至るまでがあまりにも早いことだった。

 

「……テメェ」

 

「うん?」

 

「いきなり過ぎんだろ!!」

 

 爆豪の怒鳴り声が駐車場へ響き渡った。

 

 ちょうどコンビニから出てきた客がびくりと肩を震わせ、何事かと二人の方を見る。

 緑谷はそちらへ軽く頭を下げてから、何故怒られているのか分からないという顔で爆豪へ向き直った。

 

「そうかな」

 

「そうだろうが! 何で解放軍に入る入らねえって話から、五分もしねえうちに潰す話になってんだ!」

 

「早いに越したことないんじゃない?」

 

「何がだ!!」

 

 緑谷は怒鳴られても動じず、むしろ自分の考えを整理するように顎へ手を添えた。

 

「だって、放っておいて良くなるものでもないでしょ。それに、かっちゃんは知らないかもしれないけど、解放軍の規模ってすごく大きいんだよ」

 

 その言葉に、爆豪の表情から僅かに苛立ちが引いた。

 

「解放軍は泥花市だけで活動してるような組織じゃない。デトネラットみたいな会社も持ってるし、政治家もいるって言ってた。たぶん他にも、表向きは普通に社会の中で働いてる人がたくさんいるんだと思う」

 

 デトネラットが単なる企業ではなく、異能解放軍と深く結びついているところまでは既に把握している。

 しかし、政治の世界にまで構成員が入り込んでいるという情報は聞いていない。

 

 敵連合を懐柔しようとしているからこそ向こうが明かした情報なのだとすれば、緑谷たちは自分とは別の角度から解放軍の内側を見ていることになる。

 

「それに、たぶんこれからもっと大きくなるよ」

 

「……何でそう思う」

 

「解放思想って、今の社会に不満を持ってる人にはかなり魅力的だから」

 

 緑谷は即答した。

 

「個性をもっと自由に使いたい人だけじゃない。ヒーロー社会に不満がある人、個性のせいで生きづらい人、今の法律じゃ救われないと思ってる人……そういう人に『あなたが苦しいのは、あなたが間違ってるからじゃなくて、社会があなたを抑圧してるからだ』って言うのは、すごく強いと思う」

 

「…………」

 

「実際、間違ってない部分もあるから余計にね。全部が嘘なら、いつか気づく人もいる。でも、本当に苦しんでる人に、その人がずっと欲しかった言葉を渡して、原因として今の社会を示すなら……人は集まるよ」

 

 解放軍の人間も馬鹿ではない。

 表立って武器を掲げるのではなく、デトネラットのように普通の社会へ溶け込み、その中で少しずつ仲間を増やしている。

 

 一年、二年と時間を掛け、企業や政治の中へ根を伸ばしながら賛同者を増やしていけば、そのうちどこからどこまでが異能解放軍なのかさえ分からなくなる。

 

「だから、潰すなら早い方が楽なんじゃないかな」

 

 まるで伸び始めた雑草の話でもしているような口調だった。

 

 爆豪は眉間を押さえた。

 

「テメェなぁ……」

 

「何?」

 

「そういうのは警察とか、そういう所が決めることだろうが。組織の規模も分かってねえ、何処に誰がいるかも全部は掴めてねえ、証拠も揃ってねえ。それでいきなり潰すっつって何すんだ。テメェらだけで殴り込みでもかけんのか」

 

「それは流石にしないよ」

 

「今のテメェ見てると信用できねえんだよ!」

 

「酷いなぁ」

 

「どの口が言ってんだ!」

 

 爆豪は苛立ちながらも、自分が口にしていること自体は、以前の自分なら鼻で笑っていたような内容だと気づいていた。

 

 証拠を集め、組織の全容を掴み、その情報を持ち帰ってどう対処するかを決める。

 自分一人で全部を決めようとせず、そのための組織と手順に任せる。

 

 雄英を飛び出した頃の自分なら、危険な連中なら自分がぶっ飛ばせば済むと考えていたかもしれない。

 

 だが今は違う。

 

 ヒーロー一人が強ければ、それで社会の問題が全部解決するわけではない。

 

「少なくとも、俺が勝手に決めていい話じゃねえ。テメェから情報が取れたなら、それも含めて持ち帰って──」

 

 そこまで言って、爆豪は止まった。

 

 緑谷が妙な顔をしていた。

 

「……何だよ」

 

「いや」

 

 緑谷は少しだけ目を丸くしている。

 

「かっちゃん、本当に変わったなと思って」

 

「殺すぞ」

 

「褒めたんだけど」

 

「テメェに褒められても嬉しかねえ!」

 

「そっか」

 

 あっさり引き下がった緑谷は、ポケットに両手を入れたまま少し考える。

 

 爆豪の言っていることは分かる。

 

 それが正しいことも。

 

 異能解放軍ほど巨大な組織を相手にするなら、警察やヒーロー側が情報を集め、作戦を立て、必要なら大勢を動員して一斉に摘発するべきなのだろう。

 関係者の逮捕だけでなく、証拠の保全や市民の避難、その後の処理まで考えれば、個人が思いつきで動いていい規模ではない。

 

 少し前までなら、自分も同じことを言っていたはずだ。

 

「でもさ」

 

「あ?」

 

「僕には関係ないんだよね、それ」

 

 爆豪の眉が寄った。

 

「……何が」

 

「警察がどう決めるとか、ヒーロー側がどうするとか」

 

 緑谷は何でもないように答えた。

 

「かっちゃんは、そっちのルールで動かなきゃいけないんでしょ。調べて、報告して、上の人が判断して、それから動く。多分それが正しいし、その方が失敗も少ないと思う」

 

「だったら──」

 

「でも、僕は違う」

 

 穏やかな声だった。

 

 先ほど解放思想について語っていた時とも、爆豪へ「舐めるな」と告げた時とも違う。

 もっと単純な事実を確認するような声で、緑谷は続ける。

 

「僕はそういうの、全部無視できるから」

 

「…………」

 

「許可を取らなくてもいい。証拠を集めて裁判に出せる形にしなくてもいいし、逮捕状が出るまで待たなくてもいい。誰かに『まだ動くな』って言われることもない」

 

 緑谷はそこで一度言葉を切り、道路の向こう側にあるホテルへ目を向けた。

 

 あの中には四ツ橋がいる。

 自分たちを仲間に引き入れようとしている異能解放軍の人間がいる。

 

 今日までは敵ではなかったから、何もしなかった。

 話を聞き、思想を知り、自分たちをどう扱うつもりなのか見極めていた。

 

 そのうえで、気に入らないと思った。

 

「僕はね、かっちゃん」

 

 緑谷が爆豪へ視線を戻す。

 

「気に入らないと思ったもの、全部壊しちゃうんだ」

 

「…………」

 

 あまりにも平然と言われ、爆豪は返す言葉を失った。

 

 緑谷は笑っているわけでもなければ、威嚇しているわけでもない。

 ただ、それが自分の選んだやり方なのだと話している。

 

「今の社会で苦しんでる人がいるなら、それは変えた方がいいと思う。トガさんみたいな人が普通に生きられるようになった方がいいし、伊口君みたいに見た目だけで差別される人もいなくなった方がいい。解放軍がそこを変えたいっていうなら、その部分は僕も応援したいよ」

 

 緑谷はそこで一度言葉を切った。

 

「でも、その先にもっとたくさんの人が苦しむ社会を作ろうっていうなら、それは嫌だ」

 

「…………」

 

「嫌だから、壊す」

 

 単純だった。

 

 あまりにも単純で、それゆえに爆豪は何も言えない。

 

 社会が許すか。法律上どうなのか。警察が動けるだけの証拠が揃っているのか。

 緑谷はそれらを理解していないわけではない。

 むしろ理解したうえで、自分には関係がないと言っている。

 

 爆豪が立っている側では絶対に選べない手段を、出久は当然のように選択肢へ入れている。

 

「テメェ……」

 

「だって」

 

 緑谷は僅かに首を傾げた。

 

「僕、ヴィランだから」

 

 爆豪は何も言えなかった。

 

 あまりにも平然と、当たり前のことのように言い切った緑谷を前にして、何を返せばいいのか分からない。

 法律も警察も関係なく、自分が気に入らないから壊す。

 その発想そのものは間違いなくヴィランのものなのに、そこへ至る理由だけを聞けば、昔から知っている緑谷出久と何も変わっていないように思えてしまう。

 

 緑谷もそんな爆豪を急かすことなく、ポケットへ両手を入れたまま返事を待っていた。

 

 その時だった。

 

 少し離れた場所から、何かが地面へ落ちるような音がした。

 

「ん?」

 

「……あ?」

 

 二人がほとんど同時に振り返る。

 

 ホテル側の歩道、その端に人影があった。

 黒い服を着た青年がこちらを見たまま立ち尽くしており、緑谷が目を凝らすより早く、その身体がぐらりと揺れた。

 

 膝から崩れ落ちる。

 

「え」

 

 そのまま両膝を地面につき、さらに両手までアスファルトへ落とした青年を見て、緑谷の目が丸くなった。

 

「志村さん?」

 

「……あ?」

 

 今度は爆豪が緑谷を見る。

 

「テメェ、あいつ知って──」

 

「なんでだぁ!!」

 

 志村転弧の慟哭が響いた。

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