翌日。
雄英高校ヒーロー科A組教室。
「いやマジで昨日の轟ヤバくなかった!?」
「分かる! あれ反則だろ!」
「でも緑谷君たちの試合も相当だったよねー!」
「やめてその話ぃぃぃ!!」
朝から、教室は異様に騒がしかった。
昨日の屋内戦闘訓練。
その熱が、まだ誰の中にも残っている。
特に話題の中心になっているのは、やはり最初の試合だった。
その横で、飯田が神妙な顔で腕を組む。
「……うむ。予測不能の事態への対応力不足は、今後の課題だ」
「飯田君もう立ち直ってんの!?」
芦戸が目を丸くする。
一方。
教室後方。
出久は、自席で小さく肩を縮めていた。
「……」
昨日から、妙に視線を感じる。
「なぁ緑谷」
「ひゃいっ!?」
切島に話しかけられ、出久の肩が跳ねる。
「昨日のあれ、マジですげぇな!」
「え、いや、そんな……!」
「最後の連打とか何!? 骨がババババッて!」
「えっ、あっ、あれはその……!」
説明できない。
出久の視線が、無意識に逸れる。
AFO。
複数個性。
言えるはずがない。
すると。
「でもよ」
上鳴が身を乗り出してくる。
「緑谷って個性使う度にボロボロになってるよな。爆豪も無個性だとか言ってたし、あんま個性使ってこなかった感じ?」
「っ」
出久の喉が詰まった。
その瞬間。
ガラッ。
教室の扉が開く。
「うるせぇぞ」
低い声。
教室の空気が、一瞬で静まった。
相澤消太。
寝袋を引きずりながら、いつもの気怠げな顔で入ってくる。
クラス全体が慌てて姿勢を正した。
相澤は欠伸を噛み殺しながら教壇へ向かう。
「……ったく」
寝袋を脇へ置き、ぼさぼさの頭を軽く掻いた。
「昨日の戦闘訓練でテンション上がってんのは分かる」
一拍。
「だが、もう終わった訓練だ。いつまでも引きずるな」
淡々とした声。
だが、その一言だけで教室は自然と静かになっていく。
昨日の興奮。
勝敗。
悔しさ。
全部を一度脇へ置き、生徒たちは教師へ意識を向けた。
相澤は、そんな教室をぐるりと見渡す。
爆豪。
轟。
飯田。
麗日。
そして。
緑谷。
昨日、それぞれ違う形で目立った生徒たちへ視線が流れる。
「……よし」
相澤が、静かに口を開いた。
「今日はクラス委員長を決めてもらう」
一瞬。
教室が静止した。
そして次の瞬間。
「委員長!?」
「学校っぽいイベントきたー!」
騒ぎ始めるA組の面々を見渡し、相澤が気だるげに続ける。
「委員長ってのは、将来的なリーダー候補育成も兼ねてる」
一拍。
「現場指揮、集団統率、対外対応。ヒーローは個人競技じゃない」
その言葉で。
教室の空気が、じわりと変わった。
普通の学校なら。
委員長という役職は、面倒事を押し付けられるポジションとして敬遠されがちだ。
だが。
ここは雄英ヒーロー科。
将来、誰かを率いる“プロヒーロー”を目指す場所。
つまり。
委員長という役職そのものが、一種のステータスだった。
「なるほど……!」
切島が拳を握る。
「つまりリーダー適性を示せるって事か!」
「めちゃくちゃ重要じゃんそれ!」
上鳴も目を輝かせる。
八百万が、静かに頷いた。
「責任は重大ですが、それだけ価値のある役職という事ですわね」
「燃えるじゃねぇか……!」
芦戸が立ち上がる。
その直後だった。
「じゃあ俺やる!!」
「私も!」
「オイラだって!」
一斉に手が挙がった。
しかも。
一人や二人ではない。
次々と。
本当に次々と。
「俺もやるぞ!」
「当然立候補する!」
「やってみたいです!」
「漢なら前に立つだろ!」
気付けば。
全員が手を挙げていた。
教室中、誰一人として座っていない。
二十人。
全員立候補。
皆、本気だった。
ヒーローとして。
前に立つ存在になりたい。
その意志がある。
「では!」
飯田が勢いよく立ち上がる。
「まずは公平な話し合いを——」
「いや俺の方が向いてるだろ!」
「待って待って私統率力あるよ!?」
「いや推薦組的に考えたら……」
一瞬で収拾がつかなくなった。
教室中で主張が飛び交う。
誰も引かない。
相澤はその様子を数秒眺め。
「……面倒くせぇな」
ぼそりと呟いた。
そして。
「投票にしろ」
教室がぴたりと止まる。
「多数決。一人一票。委員長と副委員長を決める」
「おおー!」
その案には、流石に全員納得したらしい。
すぐに紙が配られ、即席投票が始まる。
だが。
「……」
出久は、紙を前に固まっていた。
誰を書くべきか。
飯田。
八百万。
轟。
適任そうな人間はいくらでもいる。
だが。
「……」
ふと。
周囲を見る。
皆、やたら迷いなく書いている。
そして出久は気付いた。
(あ、これ皆……)
自分の名前を書いてる。
ヒーロー科。
自己主張の強い人間の集まり。
しかも全員、リーダー志望。
結果。
ほとんどの票が綺麗に割れた。
開票後。
黒板へ名前が並ぶ。
「一票、爆轟」
「一票、切島」
「一票、上鳴」
「一票、蛙吹」
「うわ本当に皆自分書いてる……」
麗日が引きつった顔で呟く。
その中で。
「……三票、緑谷」
教室が、一瞬静まった。
「え」
出久が顔を上げる。
「緑谷?」
「マジ?」
ざわめきが広がる。
さらに。
「二票、八百万」
「おおー」
比較的まともに票が集まったのは、この二人だけだった。
出久は完全に固まっている。
「……ぼ、僕?」
相澤が面倒臭そうに頷く。
「最多得票だ。緑谷が委員長、八百万が副委員長」
「ちょ、ちょっと待ってください!?」
出久が勢いよく立ち上がった。
「な、なんで僕に!?」
すると。
「昨日、ちゃんと周り見て動いてたじゃん」
切島が言う。
「分析して指示出してたしなー」
瀬呂も頷く。
「あと命懸けで前出るタイプだよね緑谷君」
蛙吹が淡々と付け加えた。
出久の顔が一気に赤くなる。
「い、いやそんな……!」
一方。
八百万は、驚きながらもすぐに背筋を伸ばした。
「選ばれた以上、責務を果たしますわ」
実に副委員長っぽい。
その時。
「……チッ」
後方で、爆豪が舌打ちした。
だが。
昨日みたいな剥き出しの怒気ではない。
ただ、不機嫌そうに頬杖をつきながら、赤い目で出久を見ているだけだった。
──
昼休み。
午前授業を終えたA組の面々は、一斉に席を立ち始めていた。
「腹減ったー!」
「今日カツ丼あるらしいぞ!」
「マジ!?」
騒がしい声が飛び交う中。
「デク君!」
麗日が、ひょこっと机の横から顔を出した。
「お昼、一緒にどう?」
「えっ!?」
出久の肩が跳ねる。
「ぼ、僕と!?」
「委員長もご一緒願いたい!」
そこへ飯田まで真面目な顔で加わってきた。
「い、委員長殿!?」
「当然だろう!」
飯田が眼鏡を光らせる。
「クラス委員長とは、即ちA組を率いる責任者! ならば我々も最大限協力せねばならない!」
「いやそんな大袈裟な……!」
出久は慌てて手を振った。
だが。
結局そのまま、三人で食堂へ向かう流れになる。
雄英高校の食堂は、昼休みともなればかなりの賑わいだった。
広い。
とにかく広い。
巨大な窓から差し込む昼の日差しの中、トレイを持った生徒たちが行き交っていた。
「うわぁ……!」
麗日が目を輝かせる。
「ホテルみたい!」
「す、すごい……」
出久も圧倒されていた。
オールマイトのポスター。
各地のプロヒーローランキング掲示。
栄養管理まで考えられたメニュー。
まさに“ヒーロー育成機関”という感じだ。
三人は席を確保し、それぞれ昼食を置く。
飯田はカロリー計算でもしているのか、妙にバランスが良い。
麗日は比較的安めの定食。
出久は、かなり悩んだ末に普通のカレーだった。
「では!」
飯田がびしっと手を合わせる。
「委員長就任祝いも兼ねて!」
「おめでとうデク君!」
「え、あ、ありがとう……!」
出久は居心地悪そうに肩を縮めた。
委員長。
未だに実感がない。
「いやでも本当にすごいよ!」
麗日が笑う。
「デク君、ちゃんと周り見て動けるし!」
「うむ!」
飯田も力強く頷いた。
「昨日の戦闘訓練でも、冷静な分析能力を発揮していた!」
「い、いやそんな……!」
出久が顔を赤くする。
すると。
「……とはいえ」
飯田が、すっと遠い目になった。
「本来ならば、委員長は俺は務めたかったのだが……」
「切り替え早いのか引きずってるのか分からん!」
麗日が思わずツッコむ。
飯田は咳払いした。
「もちろん、緑谷君が不適格という意味ではない!」
「う、うん……」
「だが俺は兄を見て育った」
一拍。
「統率者たるヒーローへの憧れも強い。故に、少々悔しくもある!」
真っ直ぐな言葉だった。
嫌味ではない。
本気だからこそ、悔しい。
その横で。
「……実は私もちょっと悔しい」
麗日がむにゃっと頬を膨らませる。
「えぇ!?」
出久が目を丸くする。
「だ、だって! 委員長ってカッコいいじゃん!」
「そ、そうかな……?」
「そうだよー!」
麗日が箸をぶんぶん振る。
「クラスまとめたり、皆引っ張ったり! ヒーローっぽい!」
そのあと。
麗日は、ふと苦笑した。
「……まぁ、デク君に投票したんだけど」
「え」
出久が止まる。
「……え?」
「俺もだ」
飯田が頷いた。
「ええぇぇぇっ!?」
思わず大声が出た。
周囲の生徒がちらっと振り向く。
出久は慌てて口を押さえた。
「ぼ、僕に!?」
「うん」
麗日が当然みたいに頷く。
「だってデク君、昨日ちゃんと皆の事考えて動いてたし」
「緑谷君は、自ら前へ出る覚悟がある」
飯田も続ける。
「委員長に必要なのは、声の大きさだけではない」
一拍。
「周囲を見て判断し、自分が危険を背負える人間だ」
出久は、言葉を失った。
「……」
そんな風に見られていたなんて、思わなかった。
自分はただ。
必死だっただけだ。
AFOから与えられた力。
隠し事。
爆豪との事。
全部を抱えたまま、足掻いていただけ。
それでも。
目の前の二人は、自分を信じて票を入れてくれた。
その時だった。
──ブルルルル。
「っ」
出久の身体が、僅かに強張る。
ポケットの中。
スマートフォンが震えていた。
「電話?」
麗日が首を傾げる。
出久は慌てて端末を取り出し──その瞬間、表情が凍った。
『非通知設定』
「……!」
心臓が、嫌な跳ね方をした。
こんなタイミングで。
こんな表示。
思い当たる相手が、一人しかいない。
「ど、どうした?」
飯田が怪訝そうに眉を寄せる。
「い、いや! ちょっと、その……!」
出久は慌てて立ち上がった。
「ご、ごめん! 少し外すね!」
「あ、うん?」
「委員長も大変だな!」
飯田が妙に納得した顔で頷く。
違う。
全然違う。
だが説明できるはずもなく、出久は逃げるように食堂の端へ向かった。
人通りの少ない柱の陰。
周囲を確認し、震える指で通話ボタンを押す。
「……も、もしもし」
『やあ』
穏やかな声だった。
優しい。
柔らかい。
まるで、孫へ話しかける老人みたいな声音。
だが。
出久の背筋へ、冷たいものが走る。
『楽しい学校生活を送れているようで安心したよ、緑谷出久君』
「……AFO」
喉が、乾く。
電話越しだというのに。
あの白い地下施設の空気が蘇る。
生命維持装置。
暗い部屋。
無数の管。
そして。
静かに笑う、“魔王”。
『ふふ』
AFOが、小さく笑った。
『委員長就任、おめでとう』
「……っ」
どこまで見ている。
どこまで知っている。
出久の掌へ、じっとり汗が滲む。
『さて』
一拍。
『そこから、校門は見えるかな?』
「……え?」
唐突な言葉だった。
だが。
逆らうという発想が、出久には浮かばない。
恐怖というより。
条件反射に近かった。
出久は、食堂の大きな窓へ視線を向ける。
遠く。
雄英の正門付近。
そこには。
「……!」
人。
大量の。
カメラ。
マイク。
中継車。
マスコミが、雄英校門へ殺到していた。
押し寄せる記者たちが、何かを叫んでいる。
だが。
彼らの前には、巨大な鋼鉄の隔壁がそびえていた。
ゴゴゴゴ、と重低音を響かせながら閉じられた、巨大防壁。
雄英名物。
通称、“雄英バリア”。
校舎そのものが変形し、外部侵入を遮断する防衛機構だ。
記者たちは、その前で完全に足止めされていた。
『見えたかな?』
電話越しに、AFOが穏やかに尋ねる。
「……はい」
『オールマイトの教師赴任は、社会的にも大きな話題だからね』
『マスコミも必死だ』
まるで世間話みたいな口調だった。
だが。
出久は、喉の奥が冷えていく感覚を覚えていた。
AFOは続ける。
『雄英は、今の日本で最も警戒されている場所の一つだ』
一拍。
『特に、彼がいる今はね』
彼。
言うまでもなく、オールマイトの事だ。
出久は無意識に窓の外を見た。
雄英バリア。
重厚な防壁。
完全封鎖された校門。
最高峰のヒーロー教育機関。
誰もが、安全だと信じている場所。
『だからこそ』
AFOの声が、静かに落ちる。
『近々、少し用があってね』
「……用?」
『ああ』
穏やかな肯定。
『雄英のセキュリティが、どの程度のものか知りたいんだ』
出久の心臓が、嫌な音を立てた。
「……っ」
『調べてくれないかな?』
軽い口調。
まるで。
近所へ買い物を頼むみたいに。
だが。
出久には、その言葉の意味が理解できてしまった。
「そ、そんなの……!」
出久は思わず声を潜める。
「どうやって……!」
雄英の防犯体制は異常なレベルだ。
雄英バリア、現役ヒーローである教師陣。
生徒一人がどうこう出来る話ではない。
すると。
『ふむ』
AFOが、小さく笑った。
『君に与えた個性で、まだ授業で使っていないものがあったね?』
「……!」
出久の瞳が、見開かれる。
脳裏へ。
複数の“個性”。
その中の一つ。
使っていない。いや、使えなかった。
『思い出したかな?』
「……『電波』」
小さく呟く。
個性『電波』。
それが、最後に与えられた能力だった。
『槍骨』。
『五感強化』。
『筋骨発条化』。
それらは分かりやすい。
戦闘向け。シンプルな身体強化系。
実戦で即応用できる力。
だが。
『電波』だけは、異質だった。
あまりにも毛色が違う。
しかも。
戦闘訓練では目立ち過ぎる。
使い方も、まだ完全に理解できていない。
『君はまだ、あの個性を持て余しているようだね』
AFOが、愉快そうに言った。
『だが、相性は良いはずだ』
『雄英の各所には、当然ながら制御端末が存在している』
一拍。
『些細なものまで含めれば無数だ』
出久の脳裏へ、校内の風景が過る。
視界に入っていたはずなのに、意識した事もなかった。
『それらへ直接手で触れて』
AFOの声が、静かに沈む。
『個性『電波』を使用したまえ』
「……!」
出久の呼吸が止まる。
『出力制限は不要だ』
『指向性を付与する必要もない』
淡々と。
まるで授業を教える教師みたいに。
『接続されたシステム全てへ、エラーを発生させればいい』
「そ、そんな事したら……!」
思わず声が漏れる。
だが。
AFOは気にした様子もない。
『混乱は起きるだろうね』
さらりと言った。
『だが、一時的なものだ』
一拍。
『重要なのは、その後だよ』
「……後?」
『エラーが起きれば、人間は必ず復旧を行う』
穏やかな説明。
『バックアップ、代替回線、復旧順序、再起動時間、警備員の動き』
次々と並べられる言葉。
『その全てを、こちらでモニタリングすれば』
AFOが、小さく笑う。
『ある程度、システム全容を掌握できそうだ』
「……っ」
出久の指先が、震えた。
理解してしまった。
これは単なる悪戯じゃない。
“偵察”だ。
侵入前提の。
ヒーロー社会最大級の教育機関へ向けた。
準備。
『難しい事ではない』
AFOは優しく言う。
『君はただ、“触れる”だけでいい』
『あとは個性が勝手に流れる』
『簡単だろう?』
簡単なはずがない。
だが。
出久の喉は、何も返せなかった。
断ればどうなる。
逆らえばどうなる。
考えるだけで、呼吸が浅くなる。
『ふふ』
沈黙を肯定と受け取ったのか。
AFOが、静かに笑った。
『良い返事を期待しているよ、緑谷出久君』
一拍。
『それじゃあ、頼んだよ』
「ま、待っ——」
プツッ。
唐突に。
通話が切れた。
「……!」
出久は慌ててスマートフォンを見る。
通話終了。
画面には、いつもの待受だけが映っている。
「……は」
震える指で、履歴を開く。
だが。
「……ない」
非通知着信。
発信記録。
着信時間。
何一つ残っていなかった。
まるで。
最初から、通話そのものが存在しなかったみたいに。
「……っ」
出久の背筋を、冷たい汗が流れ落ちる。
昼休みの喧騒が、ひどく遠く感じられた。
食器のぶつかる音。誰かの笑い声。食堂中を飛び交う雑談。そのどれもが薄い膜を一枚隔てた向こう側の出来事みたいで、出久はスマートフォンを握ったまま、その場へ立ち尽くしていた。
掌にはじっとりと汗が滲んでいる。
AFO。
雄英のセキュリティ。
調査。
個性『電波』。
頭の中で言葉が何度も反響し、その度に胃の奥が冷たく縮み上がった。
そんな事、やっていいはずがない。
ここは雄英だ。
ヒーローを目指す生徒たちが集まり、オールマイトが立ち、皆が夢を抱いて通っている場所。守る側へ立つための学校であって、壊されるための場所じゃない。
だが、同時に理解してしまっている。
AFOは、自分を逃がさない。
今日の昼食の様子まで把握していた。委員長に選ばれた事すら知っていた。ならば、もし逆らえばどうなるのか──想像するだけで、呼吸が浅くなる。
ふと視線を上げる。
食堂の向こう側では、飯田と麗日がまだ何か話していた。飯田が大仰な身振りで語り、麗日が笑っている。ほんの数分前まで、自分もその輪の中にいた。
その光景が、胸へ鈍く刺さった。
「……ごめん」
誰へ向けた謝罪なのか、自分でも分からないまま、出久は踵を返した。
人混みを避けるように食堂を出る。
廊下を歩き、階段を下り、さらに人気の少ない通路へ向かう。昼休みの校舎は騒がしいが、広大な雄英には人の寄り付かない場所も存在していた。
校舎裏手へ近づくにつれ、周囲の音が少しずつ遠ざかっていく。
出久はそこでようやく立ち止まった。
「……っ、はぁ……」
呼吸が乱れている。
心臓がうるさい。
耳の奥で鼓動が鳴り続け、指先は小刻みに震えていた。
その時だった。
壁際へ設置された、小型の電子端末が視界へ入る。
校内設備用の制御パネル。
空調、施錠、監視システム──そんな項目が画面へ並んでいる。
出久の喉が、ひくりと鳴った。
これだ。
これに触れればいい。
AFOは、そう言っていた。
『君はただ、“触れる”だけでいい』
あまりにも簡単な指示だった。
だが、その先にあるものは、簡単なんて言葉で済ませていいものじゃない。
出久は端末を見つめたまま動けなかった。
触れたくない。
でも、逆らえない。
AFOの笑みが脳裏に蘇る。白い地下施設。生命維持装置の音。暗闇の中からこちらを見下ろしていた“魔王”。
もし拒絶すれば、自分だけでは済まない気がした。
飯田や麗日、クラスメイト達へ何かが及ぶかもしれない──そんな恐怖が、出久の足を縛り付けている。
「……僕、は……」
ヒーローになりたかった。
本当に、誰かを助ける側へ行きたかった。
なのに今、自分がやろうとしている事は真逆だ。
それでも。
出久は、ゆっくりと右手を持ち上げた。
震える指先が、端末へ触れる。
その瞬間だった。
「——ッ!?」
脳へ直接、膨大な情報が流れ込んできた。
回線。
通信。
認証。
信号。
電子制御。
まるで校舎全体へ張り巡らされた無数の線が、一斉に脳へ接続されたみたいだった。
「ぁ、ぐ……!」
視界が青白く明滅する。
個性『電波』。
発動した途端、それは出久の想像を遥かに超える勢いで拡散していった。
制御端末の画面が激しく点滅する。
ノイズ混じりの警告音。
火花。
そして、出久自身の意思とは無関係に溢れ出した電波が、接続されたシステム全体へ一気に流れ込んでいく。
校内ネットワーク。
監視網。
施錠システム。
警備制御。
その全てへ。
「ま、待って……!」
止められない。
想像以上に出力が大き過ぎる。
自分が今、どこへどれだけ干渉しているのかすら把握できない。
直後。
ゴゴゴゴゴッ──!!
校舎全体が、重低音と共に震えた。
出久は反射的に顔を上げる。
遠く、正門方向。
閉じられていたはずの巨大防壁──“雄英バリア”が、中途半端な位置で停止していた。
いや。
停止ではない。
解除されている。
「え……?」
次の瞬間、校内へ耳を裂くような警報音が響き渡った。
ビーッ!! ビーッ!! ビーッ!!
『警備システム異常』
『外周防壁制御エラー』
『至急確認してください』
無機質な警告音声が、校舎中へ反響する。
その直後だった。
外から、津波みたいなざわめきが押し寄せてくる。
「開いたぞ!!」
「今だ!!」
「突っ込め!!」
「……!」
マスコミだ。
雄英バリアに阻まれていた記者達が、一斉に校門へなだれ込んでくるのが見えた。
大量の足音。
怒号。
フラッシュの光。
混乱が、一気に校内へ流れ込んでくる。
出久の顔から血の気が引いた。
自分がやった。
自分の個性が。
雄英の防壁を突破させたのだ。