間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第130話 アメリカNo1ヒーロー

 スターアンドストライプ。

 本名、キャスリーン・ベイト。

 

 アメリカ合衆国のナンバーワンヒーローにして、オールマイトが第一線を退いた現在、世界最強、そして最高のヒーローと称される女性である。

 

 アメリカ国内における長年の活動実績はもちろん、国際的な災害への対応や大規模犯罪組織の鎮圧、軍と連携した特殊作戦など、その功績は一人のヒーローとして考えれば異例というほかなかった。

 アメリカ政府が彼女を単なる治安維持の担い手ではなく、国家安全保障上の重要な戦力として扱っていることも、広く知られている。

 

 そして、その世界最強のヒーローが、今、出久の目の前に立っていた。

 

(……なんで、こんなところに?)

 

 異能解放軍の幹部会議が開かれるレストランに、アメリカ軍の司令官と、その国のナンバーワンヒーローが現れた。

 あまりにも突拍子のない出来事に、出久は一瞬、自分が置かれている状況さえ忘れそうになった。

 

 出久は反射的に四ツ橋へ視線を向けようとしたが、その動作が終わるより早く、左肩に何かが触れた。

 

「──え?」

 

 視線を戻した時には、既にスターアンドストライプが目の前にいた。

 

 先ほどまで数歩離れた場所に立っていたはずの彼女が、いつの間にか出久のすぐ傍らまで移動し、その大きな手を白い骨の装甲に覆われた肩へ置いていたのである。

 

 踏み込む瞬間も、腕を伸ばす動作も見えなかった。

 

 出久はホワイト・ラビットを展開したままであり、四ツ橋との戦闘を想定して周囲への警戒も続けていた。それにもかかわらず、彼女が動いたことにさえ気づかなかったのだ。

 

 驚愕より先に、危機感が全身を駆け巡った。

 

 スターアンドストライプの個性。

 

 新秩序(ニューオーダー)。

 

 その能力について、知らぬものはいない。

 

 詳細な発動条件や効果の限界、具体的な運用方法などは国家安全保障上の機密としてアメリカ政府により厳重に管理されているものの、基本的な性質については公にも知られていた。

 

 対象に触れ、その名を呼び、ルールを付与する。

 それが新秩序の能力であり、今まさにスターアンドストライプは出久の肩に触れていた。

 

「新秩序」

 

「イズク・ミドリヤは動けない」

 

 そう思ったのと、彼女が口を開いたのは、ほとんど同時だった。

 

 静かな声だった。

 命令するような強い口調でもなければ、何かを唱えるような仰々しさもなく、ただ目の前にいる少年について、ごく当たり前の事実を確認するような言い方だった。

 

 しかし、その言葉が発せられた瞬間、出久の身体は完全に停止した。

 

「────ッ!?」

 

 反射的に後ろへ跳ぼうとしたが、足が動かなかった。肩に置かれた手を振り払おうとしても腕が上がらず、上半身を捻ることも、指先を曲げることさえできない。

 全身を覆う白い外骨格には何の異常も見られず、外部から拘束されている感覚もないというのに、出久の意思による動作だけが一切成立しなくなっていた。

 

 筋肉が硬直しているわけではない。

 関節が固定されているわけでもなく、何かに押さえつけられているような抵抗も感じなかった。

 ただ、自分が動こうとすることと、実際に身体が動くことの間に、決して越えられない隔たりが生じている。

 

 出久はどうにかして拘束を突破しようとしたが、何を突破すればよいのかさえ分からなかった。

 

 通常、個性によって身体の自由を奪われた場合、その効果を生み出している何らかの作用が存在する。

 粘着性の物質による拘束ならば引き剥がせばいいし、筋肉や神経の働きを阻害されているのなら、個性による身体強化で突破できる可能性もある。

 

 しかし、新秩序は対象の動きを妨害する個性ではなく、対象が従うべき規則そのものを変更する個性なのだ。

 

 彼女は対象に直接力を加えるのではなく、その対象がどのような性質を持ち、どのように振る舞うのかという規則に干渉する。

 

 緑谷出久は動けない。

 

 彼女がそう定めたからこそ、出久は動くことができないのである。

 

 概念を冒す、神のような個性。

 

 出久は以前、公開されている数少ない資料を読みながら、その能力をそんな言葉で表現したことがあった。

 

 もちろん、どのようなルールでも無制限に付与できるわけではないだろう。

 現実に存在する個性である以上、発動条件や効果には何らかの限界があるはずだった。

 しかし、その具体的な制約はアメリカ政府によって秘匿されており、出久が調べた限りでは確かな情報を得ることができなかった。

 

 そして、実際に能力を受けた今、その恐ろしさを改めて思い知らされていた。

 

 出久は視線だけを動かし、目の前の女性を見上げた。

 

 スターアンドストライプは、どうしたものかと困ったような表情を浮かべていた。

 

「……アグパー司令」

 

 スターアンドストライプは出久の肩から手を離すと、隣に立つ軍服姿の男性へ顔を向けた。

 

「私は美味しいジャパニーズ料理が堪能できると聞いて来たんだよ。何でレストランに指名手配犯がいるんだい?」

 

 花畑や他の者に尋ねる意図もあるのか、流暢な日本語で疑問を口にする。

 

 世界最強のヒーローが自分を拘束した直後に口にする言葉としては、あまりにも呑気なものでもあった。

 

 そもそも、異能解放軍の最高幹部が集まる会議に、アメリカ軍の司令官とナンバーワンヒーローが現れること自体がおかしい。

 しかも、彼女の言い方からすると、解放軍の存在はおろか、これから誰と会食するのかについても詳しい説明を受けていなかったようだった。

 

 だとすれば、彼女は何のために日本へ来たのだろうか。

 

 出久がそんなことを考えていると、アグパーもまた、困惑を隠せない様子で眉を寄せた。

 

「……それはこちらも聞きたいところだ、キャシー。私が聞いていたのは、日本の政財界に影響力を持つ人物との非公式な会食という話だったのだがね」

 

「そうだろう? それで、日本の料理を楽しみながら色々と話ができるって聞いていたんだ。私はそれを楽しみにしていたのに、来てみれば椅子は壊れているし、指名手配犯が立っているし……いったい何がどうなってるんだい?」

 

 スターアンドストライプは大きな両手を腰に当て、レストランを見渡した。

 

 円卓の脇には粉々になった椅子の残骸が散らばり、近属は出入口の近く、気月は窓際、フードを被った少年は円卓の向こう側に立っている。

 その中央では、白い外骨格を纏った出久が、片足を引いた戦闘態勢のまま微動だにしていなかった。

 

 改めて考えてみれば、確かに会食を楽しむような状況ではない。

 しかし、その原因の一つが彼女自身であることについては、どうやらあまり気にしていないらしい。

 

 アグパーは短く息を吐くと、傍らに立っていた花畑へ視線を向けた。

 

「……花畑くん、これは一体どういうことかね?」

 

「……私も驚いています。何故、こんなところに緑谷出久が?」

 

 花畑は困惑したように眉を寄せ、アグパーへ答えた。

 

「彼が日本国内で指名手配されていることは、当然承知しております。しかし、まさか今日の会食に姿を現すとは……。四ツ橋社長、お怪我はありませんか?」

 

 その声には、突然の事態に巻き込まれた人間らしい戸惑いが滲んでいた。

 

 もっとも、花畑が異能解放軍の最高幹部であることを知っている者からすれば、随分と白々しい態度だった。 

 彼は四ツ橋へ問いかけながらも、その返答を待つことなくアグパーへ向き直り、深々と頭を下げた。

 

「いずれにせよ、私がお招きしたお二人に、このような危険な思いをさせてしまったことについては、お詫び申し上げます。アグパー司令、スターアンドストライプ、ご迷惑をお掛けしました」

 

「うん? いや、気にしないで」

 

 スターアンドストライプは肩を竦めた。

 

 花畑はその返答に安堵したような笑みを浮かべ、白い外骨格を纏ったまま立ち尽くす出久へ視線を向けた。

 

「しかし、貴女が拘束してくださったおかげで助かりました! 幸い、怪我人も出ていないようですし、後のことは警察に任せましょう。日本国内で指名手配されている犯罪者ですから、我々がこれ以上関わる必要もありません」

 

 その言葉に、アグパーは小さく頷いた。

 

「そうしてもらえると助かる。こちらとしても、他国の司法手続きに不必要な介入をするつもりはない。身柄の引き渡しについては、そちらの当局に対応してもらうのが適切だろう」

 

「ええ、もちろんです。私から警察へ連絡を入れましょう」

 

 花畑は胸元からスマートフォンを取り出したが、その手を四ツ橋が制した。

 

「いや……どうやら、そうもいかないようだ」

 

「四ツ橋社長?」

 

 四ツ橋は答えず、出久へ歩み寄った。

 

 その表情には、先ほどまでの怒りとは異なる、訝しげなものが浮かんでいる。

 四ツ橋は出久の正面に立つと、僅かに身を屈め、まじまじとその顔を観察した。

 

「……『2倍』か」

 

 四ツ橋は小さく呟いた。

 

 出久は何も答えなかったが、四ツ橋が顔を近づけると、しばらくその目を見返した後、観念したように瞳を伏せた。

 

 次の瞬間、白い外骨格に覆われた頬が、どろりと崩れた。

 

「……えぇ!?」

 

 スターアンドストライプが目を丸くする。

 

 出久の顔から黒い泥のようなものが溢れ出し、首から肩、胸元へと崩壊が広がっていく。

 白い外骨格も、濃紺のスーツも、身体と一緒に形を失い、やがて少年の姿は床に広がる黒い泥へと変わってしまった。

 

 そして、その泥さえも、間もなく跡形もなく消え去った。

 

 レストランに沈黙が落ちる。

 

「……消えた?」

 

 スターアンドストライプは、先ほどまで出久が立っていた場所を見下ろした。

 

「ニンジャ……」

 

 その呟きに、アグパーは何とも言えない表情を浮かべた。

 

 

 

 

 

 ──

 

 一方、ホテルの屋上。

 

「きゃあああっ! 何でこんなのがここにいるの!?」

 

 ラブラバの悲鳴が響き渡った。

 

 彼女は屋上に設置された設備の陰に身を隠し、膝の上に載せたノートパソコンを猛烈な勢いで操作していた。 

 その周囲には出久をはじめとする敵連合の面々が集まっており、いずれも画面に映し出された映像を食い入るように見つめている。

 

 映っているのは、ホテル最上階のレストランだった。

 

 つい先ほどまで、出久の姿をした複製が四ツ橋たちと会話を交わしていた場所である。

 ラブラバが監視カメラをハッキングして取得していた映像は、その一部始終を記録していた。

 

「スターアンドストライプ!? アメリカのナンバーワンヒーローじゃない! 何で日本にいるのよ!? それも、よりによって今日!?」

 

「……僕が聞きたいよ」

 

 出久は額に冷や汗を浮かべながら、画面を見つめていた。

 

 映像は既に巻き戻され、スターアンドストライプが複製へ接近する場面が繰り返し再生されている。

 ラブラバが再生速度を落としても、その動きを目で追うのは容易ではなかった。

 

 出久の複製は、ホワイト・ラビットを展開していた。

 

 外見だけでなく、戦闘に必要な身体能力まで再現されたそれが、スターアンドストライプの接近に何一つ反応できず、肩に触れられた直後には完全に動きを封じられてしまったのである。

 

「……これが、アメリカナンバーワン……凄いや、画風が違う」

 

 出久は思わず呟いた。

 

 彼女の実力については、以前から十分に調べていたつもりだった。

 世界最強と称されるヒーローであり、その個性が常識外れの能力であることも知っていた。

 

 しかし、知識として理解しているのと、実際にその力を目の当たりにするのとでは、まるで違う。

 複製とはいえ、自分と同等の身体能力を持つ存在が、抵抗する間もなく制圧されてしまったのだ。

 

「いやいやいや、冗談じゃねえぞ!?」

 

 スピナーが画面を覗き込みながら声を上げた。

 

「何であんな化け物が、解放軍の幹部会議に顔を出してんだよ! 聞いてねえぞ、そんな話!」

 

「そりゃ聞いてねえだろ。俺たちだって知らなかったんだからよ」

 

 コンプレスが肩を竦めたものの、その声にも余裕はなかった。

 

「しかし、随分と大物が出てきたな。こいつはとんだサプライズだ」

 

「サプライズで済ませられないわよ!」

 

 マグネが呆れたように言い返した。

 

 その傍らでは、トガが興味深そうに画面を覗き込んでいた。

 

「すごいですねえ。デクくんが、ぜんぜん動けなくなっちゃいました」

 

「……うん。あれは、どうしようもなかったと思う」

 

 出久は素直に認めた。

 

 新秩序(ニューオーダー)の発動条件について、大まかな情報は把握している。

 だが、相手がこちらの反応できない速度で接近してくるのであれば、触れられないように立ち回るという対策そのものが成立しない。

 

 まして、接触した後にどのようなルールを付与されるのか分からない以上、一度でも能力の対象になれば、その時点で勝敗が決まってしまう可能性がある。

 

「……それにしても、危なかったね」

 

 麗日が出久の隣で呟いた。

 

「もし本当にデクくんがあそこに行ってたら、今頃捕まってたんやない?」

 

「……たぶんね」

 

 出久は頷いた。

 

 複製を送り込んだのは、四ツ橋との交渉が決裂し、戦闘になると確信していたからだ。 

 異能解放軍の最高幹部が一堂に会する場所へ、指名手配犯である自分が直接赴くのは危険すぎる。

 そこで、分倍河原の個性を利用して複製を用意し、ラブラバの協力で会場の様子を監視することにしたのである。

 

 その判断が、結果的に自分を救った。

 

 もっとも、想定していた危険は四ツ橋や解放軍の幹部たちであって、世界最強のヒーローが突然現れることなど、考えもしなかったのだが。

 

「……こうなったら、連合対解放軍っていう当初の想定は大きく崩れてしまう」

 

 出久が口を開くと、画面を覗き込んでいた面々が一斉に顔を上げた。

 

「僕たちは解放軍の幹部をそれぞれ分断して、各個に対応するつもりだった。でも、あそこにスターアンドストライプがいる以上、そのまま作戦を進めるわけにはいかない。彼女が解放軍の味方なのか、それとも事情を知らずに招かれただけなのかも分からないし、何より、戦闘が始まれば僕たちを敵と判断する可能性が高い」

 

「そりゃそうだろうな。俺たち、揃いも揃って指名手配犯だしよ」

 

 スピナーが苦々しげに答えた。

 

「そう。だから、まずはスターアンドストライプを何とかしないと」

 

 出久はノートパソコンの画面へ視線を戻した。

 

 映像の中では、四ツ橋たちが何事もなかったかのように会話を続けている。  

 先ほどまで出久の複製が立っていた場所には、もう何も残っていなかった。

 

「とりあえず、みんなは予定通り分散して各幹部への対応をお願い。四ツ橋さん、近属さん、気月さん、それから花畑さんと、まだ能力の分からないフードの人。誰か一人でも自由に動ける状態にしておくと、解放軍全体に指示を出される可能性がある」

 

「……おい、待てよ」

 

 コンプレスが片手を上げた。

 

「その言い方だと、スターアンドストライプの相手はどうするつもりなんだ?」

 

「僕と分倍河原さんで対応する」

 

 出久は迷わず答えた。

 

「当初の予定を変更して、僕たち二人でスターアンドストライプを引き受けようと思う」

 

「おう、任せとけ! 死んでもやだね!」

 

 トゥワイスが勢いよく親指を立て、直後に頭を抱えた。

 

 そのやり取りを聞いていたお茶子が、険しい表情で出久の腕を掴んだ。

 

「……デクくん、本気!?」

 

 お茶子は思わず声を荒らげた。

 

「あんなもん見せられて、それでも自分から戦いに行くつもりなん!? さっきの複製、何もできんまま捕まってもうたやん! いくら分倍河原さんがおるからって──」

 

 そこまで言いかけた、その瞬間だった。

 

 轟音が響いた。

 

 屋上へ通じる鉄製の扉が、蝶番ごと吹き飛んだのである。

 

「──ッ!?」

 

 誰かが叫ぶより早く、扉はコンクリートの床を跳ね、火花を散らしながら屋上の端へ転がっていった。

 遅れて粉塵が噴き出し、破壊された出入口の奥から、制服姿の男たちが次々と飛び出してくる。

 

 ホテルの警備員だった。

 

 少なくとも、服装だけを見れば。

 

 しかし、その人数は明らかに通常の警備体制を逸脱していた。

 先頭の男に続いて十人、二十人と押し寄せ、後続はまだ階段に控えているらしく、狭い出入口から途切れることなく人影が現れる。

 

 全員が出久たちを見据え、戦闘態勢を取っていた。

 

「敵連合を確認! 屋上に集結しています!」

 

「全員、その場から動くな!」

 

 先頭の男が怒鳴ると同時に、別の警備員の腕が異様に膨張した。

 その隣では全身の皮膚が硬質化し、さらに後方の男の掌からは青白い電光が迸っている。

 

 ホテルの警備員。もとい、異能解放軍の戦士たちである。

 

「……ああ、なるほど」

 

 出久は小さく呟いた。

 

 四ツ橋に複製だと見破られた以上、ホテル内部の捜索が始まることは予想していた。

 しかし、まさかこれほど早く屋上まで到達するとは思わなかった。

 

 ラブラバがノートパソコンを抱え、悲鳴を上げる。

 

「ごめんなさい、逆探知されたわ! あのロンゲの彼はノートパソコン一台じゃ厳しい相手ね!」

 

「逆探知!?」

 

 スピナーが素っ頓狂な声を上げた。

 

「おいおい、そりゃまずいんじゃねえのか!?」

 

「あいつ、私が仕掛けた偽装を全部見抜いてきたの。なかなかやるわね」

 

 ラブラバはノートパソコンを抱きかかえ、悔しそうに歯噛みした。

 

 近属友保。

 異能解放軍の最高幹部にして、情報通信企業の代表を務める男である。

 

 純粋な電子戦能力ならばラブラバに分があると出久は考えていたが、相手には企業の設備とホテルの通信環境を自由に使用できるという利点があった。

 こちらは持ち込んだノートパソコンと、ホテルの回線に無断接続したLANケーブルだけである。これでは、いくらラブラバが優秀でも不利を強いられる。

 

「……とにかく、想定は崩れたけど作戦通りに!」

 

 出久が声を張り上げた。

 

「みんなは予定していた相手のところへ向かって! スターアンドストライプについては僕と分倍河原さんで対応するから、絶対に近づかないで!」

 

「だから、それが無茶だって言ってるやん!」

 

 お茶子が食い下がろうとしたが、出久は既に動き始めていた。

 

「──全因解放」

 

 その身体から、白い骨が噴き出した。

 

 ホワイト・ラビットではない。

 

 肩甲骨の周囲から巨大な骨格が伸び、胸部を覆う装甲が幾重にも重なっていく。

 両腕は異様な太さへ膨張し、脚部には太い骨の支柱が形成され、全身を覆う白い外骨格が人間の身体を遥かに超える大きさへと成長した。

 

 かつて出久が使用していた、怪物じみた巨躯。

 久しく披露していなかったその姿が、ホテルの屋上に現れた。

 

「うおっ!? 久しぶりに見たな、それ!」

 

 スピナーが思わず後ずさった。

 

「説明は後で!」

 

 出久は巨大化した両腕を伸ばし、比較的機動力の低いスピナー、コンプレス、トガ、トゥワイスの四人をまとめて抱え上げる。

 

 四人が口々に抗議するのを聞き流し、出久は屋上の縁へ向かって走り出した。

 

 解放軍の戦士たちが一斉に動く。

 

「逃がすな!」

 

「攻撃開始!」

 

 複数の個性が発動し、電撃や硬質化した弾丸が出久へ殺到した。

 しかし、巨大な白い外骨格はその大半を弾き飛ばし、残る攻撃も分厚い装甲に阻まれて、抱えられた四人には届かない。

 

 出久は振り返らなかった。

 

「お茶子さん、後のみんなをお願い!」

 

「もぅ! デク君!」

 

 返事を待つことなく、出久は屋上の縁を蹴った。

 

 お茶子は一瞬、飛び降りた出久の背中を目で追ったものの、すぐにラブラバの腕を掴んだ。

 

「ラブラバさん! ジェントルさん! こっち!」

 

「も、もももしかして飛び降りるのかね!?」

 

 指先が触れた瞬間、ラブラバとジェントルの身体がふわりと浮き上がる。

 マグネも得物を構えて警備員たちを牽制し、屋上に残った面々はそれぞれの個性を利用して脱出を開始した。

 

 一方、出久は既にホテルの外壁を落下していた。

 

 巨大な白い身体が宙を舞い、眼下には泥花市の街並みが広がっている。

 ホテルの外壁が凄まじい速度で上方へ流れ、抱えられた四人の悲鳴が重なる中、出久は落下する身体の向きを調整して着地点を見定めた。

 

「おおおおい! 何階建てだと思ってんだよおおおっ!?」

 

「大丈夫! 前よりかなり効率的に作ってるから! 多分!」

 

「たぶんって何だ、たぶんって!?」

 

 スピナーの絶叫を聞きながら、出久は脚部の骨格をさらに肥大化させた。

 

 そして、着地。

 

 凄まじい衝撃とともに舗装が砕け、巨大な白い足が地面へ深く沈み込んだ。 

 周囲に停められていた車の警報装置が一斉に鳴り響き、巻き上がった粉塵がホテル前の道路を覆い尽くす。

 

 出久は膝を曲げて衝撃を逃がすと、抱えていた四人を慎重に地面へ下ろした。

 

「みんな、走って!」

 

 スピナーがよろめきながら立ち上がり、コンプレスが帽子を押さえる。

 トガは楽しそうに笑っていたが、トゥワイスは地面へ手をついたまま、しばらく動けずにいた。

 

「……お前、もう少し普通に運べねえのか!?」

 

「ごめんなさい! でも、急いで! 分倍河原さんは、少し離れたところで僕の複製を作ってください!」

 

「人使いの荒いボスだ!」

 

 トゥワイスが立ち上がり、スピナーたちと一緒に走り出そうとする。

 

「……っ!」

 

 頭上から耳を劈くような破砕音が響いた。

 

 ホテル最上階。

 つい先ほどまで異能解放軍の幹部会議が開かれていたレストランの大きな窓が、内側から爆発したように砕け散ったのである。

 

「……え?」

 

 出久が顔を上げると、無数のガラス片が宙を舞う中に、一人の人影があった。

 

 星条旗を思わせる衣装に、風になびく金色の髪。

 赤いマントを背負った大柄な女性が、ホテルの最上階から身を躍らせていた。

 

 スターアンドストライプ。

 

 そう認識した時には、既に遅かった。

 

 彼女は単に落下しているのではなく、高層階から地上へ向けて一直線に飛んでいた。

 その姿はさながら空から降ってきた彗星であり、出久が反射的に両腕を交差させた直後、凄まじい轟音とともに彼女の拳が腕へ叩き込まれた。

 

「────ッ!?」

 

 何が起きたのか理解するより先に、出久の身体が吹き飛んだ。

 

 巨大な白い足が舗装を抉り、道路を横断するように二本の溝を刻んでいく。

 衝撃を逃がそうと形成した骨の支柱は次々に砕け、腕を覆う分厚い装甲にも無数の亀裂が走ったが、それでも勢いは止まらず、出久は道路脇の街路樹をへし折って、ようやく十数メートル先で踏みとどまった。

 

 遅れて爆風が周囲へ広がり、駐車されていた車両が揺れ、街路樹の葉が吹き飛び、地面へ降り積もっていたガラス片が一斉に跳ね上がる。

 

 出久は巨大な腕を下ろした。

 

 白い外骨格は砕け、内部の骨格が露出していた。

 即座に再生が始まったものの、受け止めた腕にはまだ痺れが残っている。

 

「いった……」

 

 視線を上げると、スターアンドストライプは出久が先ほどまで立っていた場所に降り立っていた。

 

 地面には蜘蛛の巣状の亀裂が広がっている。

 しかし、彼女自身には傷一つなく、着地の衝撃を気にした様子もなかった。

 

 彼女はゆっくりと背筋を伸ばすと、何も言わずに肩を回した。

 

 ごきり、と関節の鳴る音が、奇妙なほどはっきり聞こえた。

 

 右肩を一度、続いて左肩を一度。

 

 自分が何階もの高さから飛び降り、巨大な怪物を殴り飛ばしたことなど、彼女にとっては特別な出来事ではないらしい。

 準備運動でもするように腕を軽く振り、首を左右へ傾けると、ようやく出久の方へ顔を向けた。

 

 その表情に怒りはなく、興奮も、敵意も、勝利を確信した者の傲慢ささえ見当たらなかった。

 ただ、目の前にいる巨大な白い怪物が何者で、どの程度の力を持ち、どのような抵抗をするのかを、確かめようとしているように見えた。

 

「…………」

 

 出久は息を呑んだ。

 

 これまで、数多くの強敵と戦ってきた。

 理屈の通じない相手や、命を奪うことに何の躊躇も持たない者とも対峙してきた。

 

 しかし、目の前の女性から感じるものは、そのいずれとも異なっていた。

 

 彼女は殺気を向けているわけでもない、実力をまるで見せてもいない。

 それなのに、出久は本能的に理解していた。

 

 彼女は、オールマイトと同じ存在だ。

 圧倒的な強者、平和の象徴。

 

 最強、無敵、スターアンドストライプ。

 

「……デクくん?」

 

 離れた場所で、トガが不安そうに声を上げた。

 

 出久は振り返らない。

 

「……行って。早く、ここから離れて!」

 

 その切迫した声に、スピナーがトガの腕を掴んだ。コンプレスと共に三人はホテルから離れる方向へ走り出す。

 

 スターアンドストライプは、それを追わなかった。

 

 逃げていく三人へ一度だけ視線を向けたものの、すぐに出久へ注意を戻し、その全身を覆う外骨格がみるみるうちに修復されていく様子を眺めながら、もう一度肩を鳴らす。

 

「今度は随分大きいね。日本のヴィランは芸達者だ」

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