スターアンドストライプは、伸ばしかけていた右手を止めた。
トゥワイスの襟首へ指先が届く寸前、何かが変わったような気がしたのだ。
周囲には依然として銃声が響き、崩れた建物からは粉塵が舞い上がっている。
足元では黒いマスクの男が苦しそうに喘ぎ、震える腕でどうにか身体を支えていた。
新たな敵が現れたわけでも、戦況に変化が生じたわけでもない。
それにもかかわらず、長年の戦闘経験によって培われた直感が、彼女の注意を別の場所へ向けさせた。
顔を上げると、緑谷出久が立っていた。
先ほど鳩尾へ拳を叩き込み、『ニューオーダー』によって身体の自由を奪った少年である。
肩を掴み、名前を呼び、動くことを禁じた規則は間違いなく成立しており、少年はそれから一度として身体を動かしていない。
足の位置も腕の角度も、僅かに前屈みになった姿勢さえ変わらず、苦痛に歪んだ表情もそのままだった。
しかし、何かがおかしかった。
スターアンドストライプは眉をひそめ、少年の顔を観察した。
出久の視線は足元のトゥワイスへ向けられており、浅い呼吸を繰り返す様子にも変化はない。
全身に負った傷も、立っているだけで精一杯と思わせる消耗も、先ほどまでと同じだった。
ただ一つ、必死に身体を動かそうとしていた少年から、あれほど強く感じられた切迫感だけが失われている。
まるで、別人になってしまったかのようだった。
もっとも、外見上の変化は何一つ見られない。
指先が動いたわけでも、筋肉が痙攣したわけでもなく、個性を発動させたような兆候もなかった。
そもそも身体を動かせない以上、動作を必要とする個性であれば使用することすら難しいだろう。
考えすぎかもしれない。
目の前の少年が優れた判断力と戦闘技術を持っていることは認めている。
何度も追い詰められながら逃げ延び、複製を利用してこちらの注意を逸らし続けた手腕も見事だった。
しかし、それと『
「……まったく、妙な気分にさせてくれるね」
スターアンドストライプは小さく息を吐き、再びトゥワイスへ視線を戻した。
男は相変わらず震える腕で身体を支えており、頭部から流れた血が顎先を伝って砕けたアスファルトへ滴り落ちている。
これ以上暴れさせるわけにもいかず、まずは拘束して安全な場所へ移す必要があった。
そう判断して右手を伸ばした瞬間、何者かに手首を掴まれた。
「――……え?」
最初はトゥワイスの抵抗かと思った。
しかし、男は依然として地面に片膝をついたままであり、こちらへ手を伸ばしている様子もない。
不審に思って視線を横へ向けたスターアンドストライプは、そこで初めて、緑谷出久の右腕が持ち上がっていることに気づいた。
少年の指が、彼女の手首へしっかりと巻きついていた。
つい先ほどまで身体の脇で動きを止めていたはずの腕が、いつの間にか伸ばされている。
無理やり身体を動かしたようなぎこちなさもなく、その動作はあまりにも自然だった。
「……は?」
スターアンドストライプは、少年の手と顔を交互に見つめた。
自分が課した規則は、イズク・ミドリヤは動けない、というものだった。
解除した覚えはなく、自身の身体能力を強化する規則と共に、今も維持されているはずである。
それなのに、少年は何事もなかったかのように腕を動かし、彼女の手首を掴んでいた。
その矛盾を理解できずにいると、出久がゆっくりと顔を上げた。
先ほどまでの苦痛や焦燥は消え、代わりに奇妙なほど穏やかな微笑が浮かんでいる。
「……まったく、ドクターも酷いことを言う」
ぽつりと呟かれた声に、スターアンドストライプは眉をひそめた。
呼吸の乱れさえ感じさせない落ち着き払った口調は、つい先ほどまで必死に抵抗していた少年のものとは思えなかった。
「……ドクター?」
「僕が間違えた、だなんて。随分と酷い言い草じゃないか。長い付き合いなのになぁ」
出久は彼女の問いかけを無視して続けた。
「僕は間違いなんて犯さないよ。目的に対して幾つもの道筋を用意して、その一つが途切れれば別のプランに切り替えるだけさ。予想外の出来事が起きることなんて、最初から織り込み済みなんだから」
話しかけている相手は、明らかにここにはいない誰かだった。
目の前にいるアメリカのナンバーワンヒーローを意に介さず、まるで世間話でもするような調子で語り続けている。
スターアンドストライプは、少年の顔を凝視した。
そこでようやく、違和感の正体に気づいた。
目が違う。
瞳の色も形も変わっていない。
しかし、その奥にあるものが、先ほどまでとは決定的に異なっていた。
長年のヒーロー活動を通じて、スターアンドストライプは数え切れないほどの犯罪者と向き合ってきた。
常人には理解できない思想を持つ者も、他人の命を奪うことに何の躊躇いも覚えない者もいたが、どれほど異常な人間であろうと、その目には何らかの感情が宿っていた。
怒りや恐怖、憎悪、あるいは殺意。そうしたものを読み取ることで、相手の行動を予測することもできた。
ところが、今の少年にはそれが通用しなかった。
そこには確かな意思が存在している。
目の前の状況を理解し、何をするべきなのかを考えていることも分かる。
しかし、その思考がどこへ向かっているのか、何を目的としているのか、まるで見当がつかない。
こちらを見つめる瞳には底知れない深さがあり、視線の先にいる自分が、一人の人間として認識されているのかどうかさえ分からなかった。
背筋に冷たいものが走った。
恐怖を覚えたのだと気づき、スターアンドストライプは自分自身に驚いた。
何を馬鹿な。目の前にいるのは、つい先ほどまで自分に追い回されていた少年ではないか。
身体は傷だらけで、呼吸も満足に整っていない。『ニューオーダー』による拘束を破った理由は不明だが、それだけで実力差が覆ったと考える理由はない。
そう自分に言い聞かせながら、彼女は右腕を勢いよく引き戻した。
自身へ課した『
少年の指を引き剥がし、そのまま距離を取るつもりだった。
しかし、腕は動かなかった。
「――ッ!?」
出久は踏ん張る素振りすら見せていない。
腰を落とすことも、腕を引き寄せることもなく、ただ彼女の手首を掴んでいる。
その細い腕には、強化された彼女の膂力に対抗できるほどの筋肉が備わっているようには見えなかった。
にもかかわらず、手首を掴む指は微動だにしない。
まるで、巨大な万力に固定されているかのようだった。
「……なッ!?」
出久の指が、ゆっくりと締まっていく。
親指が手首の内側へ沈み込み、残る四本の指が反対側から骨を挟み込んだ。
皮膚が押し潰され、筋肉が圧迫されるにつれて、関節の奥に鈍い痛みが生じ始める。
スターアンドストライプは歯を食いしばった。
先ほどまで乱波の拳を何十発と受けても揺るがず、銃弾を皮膚で弾き返していた身体が、少年に手首を掴まれただけで痛みを訴えている。しかも、相手にはまだ余裕があるらしい。
「……アンタ、いったい……!」
「ん?」
出久は、ようやく彼女の存在を思い出したかのように顔を上げた。
「ああ、ごめんね。少し考え事をしていたんだ」
その穏やかな声を聞き、スターアンドストライプは一度呼吸を整えた。
恐怖に任せて行動するわけにはいかない。
相手が何者であろうと、まずは状況を把握する必要がある。
『
だが、少なくとも一つ、確かなことがある。
少年の方から、自分に触れている。
『ニューオーダー』の発動条件は、対象に触れ、その名前を呼ぶこと。
既に二つの規則を使用しているが、少年の動きを封じる規則は現状では意味を成していない。
ならば、それを解除して別の規則へ置き換えればいい。
スターアンドストライプは、少年の顔を見据えた。
元々、殺すつもりなどなかった。
日本へ来た目的は敵連合を捕らえ、必要な情報を得ることであり、可能な限り生きたまま拘束するつもりだった。
しかし、今は違う。
目の前にいるものが、本当に緑谷出久なのかさえ分からない。
身体の自由を奪ったはずの相手が何事もなかったように動き、強化された自分の膂力を上回る力で腕を拘束している。
このまま放置すれば、何が起きるか分からなかった。
「――『新秩序』!!」
その声に出久が顔を上げたが、逃げようとはしなかった。
手を離すことも、彼女の口を塞ごうとすることもなく、ただ興味深そうに見つめている。
スターアンドストライプは、構わず宣言した。
「――イズク・ミドリヤは、心臓が止まって死ぬ!」
少年の動きを封じていた規則が解除され、新たな命令へ切り替わる。
心臓の停止。
生命活動を維持するために不可欠な器官を停止させる、直接的な死の宣告だった。
スターアンドストライプは少年を注視した。
心臓が停止すれば全身への血液の供給が途絶え、やがて意識を失う。
仮に驚異的な生命力によって即死を免れたとしても、何らかの異常は生じるはずだった。
ところが、出久は何事もなかったかのように立っていた。
呼吸は続いており、胸も僅かに上下している。
顔色が悪くなった様子もなければ、苦痛に表情を歪めることもない。
「……どういう、ことだ」
スターアンドストライプは、掠れた声で呟いた。
先ほどの規則は確かに成立していた。
それなのに、同じ名前を呼び、同じ身体へ触れた今回の命令は、何の効果も及ぼしていない。
身体は同じ。名前も同じ。発動条件も満たしている。
ならば、何が違うというのか。
「残念」
出久は、彼女を見上げて微笑んだ。
「人違いだよ、お嬢さん」
「――誰だ、アンタはッ!!」
スターアンドストライプは怒鳴ると同時に、掴まれた右腕を力任せに引き抜こうとした。
肩から背中にかけての筋肉を総動員し、踏み込んだ足でアスファルトを砕きながら、全身を捻るようにして腕を引く。
しかし、出久の手は離れなかった。
それどころか、彼女が力を込めた瞬間、少年の指が僅かに動いた。
「――……ッ!?」
手首から、奇妙な感覚が広がった。
掴まれている部分が急に冷たくなったような気がした。
皮膚の表面ではなく、その奥にある血管や神経、さらに深いところへ、何かが入り込んでくるような感覚だった。
痛みも熱もない。
ただ、自分の身体の内側へ見知らぬものが触れているという、説明しようのない不快感がある。
それは右腕を駆け上がり、胸の奥へと達した。
「……な、んだ……?」
何かが、吸い上げられている。
血液でも体温でも筋力でもない、もっと根源的な何かだった。
自分という存在の奥深くに、これまで一度として意識したことのない場所があり、そこから大切なものが引き抜かれようとしている。
スターアンドストライプは、反射的に左手を胸元へ当てた。
心臓は動いている。
呼吸もできる。身体のどこかに傷を負ったわけでもなく、外見上の変化は何一つ生じていない。
それなのに、自分の一部が少しずつ失われていくという感覚だけが、異様なほど鮮明だった。
まるで、長年暮らしてきた家の中から、知らないうちに家具を運び出されているようだった。
目を閉じていても何がどこに置かれているのか分かるほど馴染んだ場所。
その一角が突然空白になり、続いて別の場所からも何かが失われていく。
そして、不意にその感覚が途切れた。
「――……」
全身を満たしていた圧倒的な力が、何の前触れもなく消え去った。
筋肉の奥に張り巡らされていた強靭な力の感覚が失われ、身体を動かすために必要な力の加減が分からなくなる。
反射的に右脚へ力を込めたものの、重心を支えきれず、スターアンドストライプは膝から崩れ落ちた。
「――ぐッ!?」
右膝が地面へ衝突し、鈍い痛みが走った。
慌てて左手をついて転倒を防いだが、掌へ伝わってくるアスファルトの硬さも、膝から広がる痛みも、妙に生々しく感じられた。
先ほどまでなら、こんな程度の衝撃など意識する必要さえなかったはずなのに。
その時、出久が右手を離した。
「ほらねドクター、間違いじゃない。僕は、無敵を手に入れた」
スターアンドストライプは、右手を握り締めて力を込めた。
筋肉が収縮し、指の関節が僅かに軋む。
しかし、ほんの少し力を込めるだけで巨大な鉄塊すら砕けたはずの拳は、今ではただの人間の拳になっていた。
自身へ課していた『
規則が解除されたのか。
先ほど緑谷出久へ新たな命令を課した際、極度の緊張と混乱によって、無意識のうちに自身への強化を解除してしまったのかもしれない。
そう考えたスターアンドストライプは、震える右手を胸元へ当てた。
「――『
何十年もの間、幾度となく繰り返してきた動作だった。
幼い頃に個性の使い方を理解して以来、自分の名前を呼び、望む規則を宣言することで、彼女はあらゆる困難を乗り越えてきた。
しかし、今は何も起きなかった。
筋肉に力が満ちることも、身体が強化される感覚もない。
発動条件を間違えたわけではなく、命令の内容に問題があるわけでもない。
そもそも、規則を課すという行為そのものが成立していなかった。
「……あ……?」
スターアンドストライプは、呆然と自分の手を見つめた。
指先には確かな感触があり、筋肉も関節も正常に動いている。
身体のどこかが麻痺したわけでも、意識が混濁しているわけでもなかった。
それなのに、生まれた時から共にあり、人生の大半をかけて磨き上げてきた力だけが、どこにも存在していない。
「……ない……」
個性が、ない。
キャスリーン・ベイトという人間を、スターアンドストライプというヒーローへと押し上げた、かけがえのない能力。
それが、完全に失われていた。
そして、その事実を理解した瞬間、彼女の脳裏に一つの名前が浮かび上がった。
オール・フォー・ワン。
個性を奪い、与える個性を持ち、かつて日本の裏社会を支配した男。
スターアンドストライプは、その能力についても、オールマイトとの因縁についても知っている。
現在はタルタロスに収監されていることも、目の前の緑谷出久という少年が、かつてその男の庇護を受けていたことも。
ならば、考えられる可能性は限られていた。
スターアンドストライプは、ゆっくりと顔を上げた。
出久は相変わらず穏やかな微笑を浮かべ、先ほどまで彼女の腕を掴んでいた右手を眺めている。
指を開閉して感触を確かめる様子は、初めて手にした玩具を楽しんでいる子供のようにも見えた。
しかし、あの手が自分の個性を奪ったことは間違いない。
触れられた瞬間に生じた奇妙な感覚。
身体の奥底から何かが吸い上げられ、最後には完全に途切れてしまった喪失感。
それらは、オール・フォー・ワンの能力について記された資料と、あまりにも符合していた。
「……お前は……オール・フォー・ワンの……」
言いかけて、スターアンドストライプは口を閉じた。
部下なのか、後継者なのか。それとも、顔を変えた同一人物なのか。
正確な関係は分からないが、目の前の少年が個性を奪う能力を持っていることだけは確かだった。
そして、その能力によって奪われたものが何なのかを考えた時、彼女は自分の置かれた状況の深刻さを理解した。
問題は、自分が『
あの個性が、敵の手に渡ってしまったことこそが問題だった。
「……個性を奪い与える個性を……その少年に与えたのか! オールフォーワン!!」
スターアンドストライプは怒鳴りながら立ち上がった。
膝が痛み、身体が重い。
いつもなら意識する必要さえなかった自分自身の体重が、今は足の裏へはっきりと伝わってくる。
それでも、彼女は右足を半歩引いて腰を落とし、左手を顎の前へ、右手を胸元へと構えた。
緑谷出久は、そんな彼女を興味深そうに眺めていた。
「へえ。立ち直りが早い」
感心したように目を細める。
「流石はアメリカのナンバーワンヒーローだね。君のそういうところは、実に尊敬する」
その言葉には、嘲笑も皮肉も感じられなかった。
目の前の人間が示した精神的な強さを、純粋に評価しているように聞こえる。
だからこそ、不快でたまらなかった。
この少年は、自分から個性を奪ったばかりなのだ。
それを理解しているはずなのに、まるで何の関係もない第三者のように、彼女の振る舞いを評価している。
「……アタシを誰だと思ってるんだい。個性がなけりゃ何もできないとでも?」
「いいや、そんなことは思っていないよ」
出久は、穏やかに首を振った。
「個性を失ったからといって、君が積み重ねてきた経験まで失われるわけじゃない。鍛え上げた技術も、判断力も、今ここで僕に立ち向かおうとしている勇気もね。君が優れたヒーローであることは、疑いようがないさ」
スターアンドストライプは目を細めた。
相手の意図が読めない。
圧倒的な力の差を見せつけながら、なぜ今さら褒め称えるようなことを言うのか。
油断を誘おうとしているのか、それとも何か別の目的があるのか。
「僕はただ、君に敬意を表しているんだ」
出久はあっさりと答え、右手を持ち上げた。
先ほどスターアンドストライプの個性を奪った手だった。
傷だらけの掌には、先程までは無かったはずの小さな漆黒の穴が空いていた。
その内側には今、世界でも類を見ないほど強力な個性が収められている。
「さて、せっかく君が立ち直ってくれたことだし、少し教えてもらおうかな。この個性での遊び方を」
そう言って、少年は空へ掌を翳した。
「――『新秩序』」
その言葉を聞いた瞬間、スターアンドストライプの心臓が跳ねた。
何十年もの間、自分が口にしてきた発動宣言だった。
誰よりも馴染んだ個性の名前が、今は目の前の少年の口から発せられている。
彼女は反射的に右手を伸ばしかけたが、少年は既に空へ手を翳しており、その掌は周囲の大気に触れていた。
「――大気は、超高温のプラズマとなる」
静かな声だった。
直後、夜空の一角に白い輝きが生じた。
それは最初、小さな光の塊にしか見えなかった。
しかし、瞬く間に輝きを増し、周囲の闇を押し退けるように青白い光を放ち始める。
建物の輪郭が不自然なほど鮮明になり、遠くの窓ガラスにも眩い光が反射した。
スターアンドストライプは息を呑んだ。
空気が、光っている。
何かが燃えているのではない。炎が噴き出しているわけでも、光を放つ物体が出現したわけでもなかった。
何も見えなかったはずの空間そのものが、眩い光を放っていた。
「……プラズマ……?」
彼女の呟きに、出久は空を見上げたまま頷いた。
「そう。物質の第四の状態、と呼ばれるものだね。まあ、厳密な話を始めると色々と面倒だけれど、今はそんなこと、どうでもいいだろう?」
少年は楽しそうに笑った。
「それにしても、綺麗だねえ」
夜空に浮かぶ白い輝きは、確かに美しかった。
地上の喧騒とは無関係に、そこだけが別の世界へ繋がってしまったかのような、異様な光景だった。
しかし、スターアンドストライプには、その光が何を意味しているのか分かっていた。
大気が超高温のプラズマとなっている。
その規則が文字どおり成立しているのなら、あの輝きは単なる発光現象ではない。
そこには人間が到底耐えられないほどの熱が存在しており、周囲の空気にも凄まじい影響を及ぼすはずだった。
しかも、あれほどの規模で。
「……馬鹿な……!」
スターアンドストライプは思わず叫んだ。
「そんな規則、どこまで成立するかも分からないだろうが! アンタ、自分が何をやってるのか分かってるのか!?」
「もちろん。だから試しているんじゃないか」
出久は、あっさりと答えた。
「何が起こるか分かっているのなら、実験する必要なんてないだろう?」
そう言って、再び空を見上げる。
白い輝きは依然として夜空に浮かんでおり、周囲の雲を不自然に照らしていた。
熱せられた空気が揺らぎ、建物の輪郭が陽炎のように歪んでいる。
スターアンドストライプは歯を食いしばった。
止めなければならない。
個性を失った今、まともに殴り合って勝てる相手ではないことなど分かっていた。
先ほどまで強化された自分の膂力を上回っていた相手なのだから、通常の打撃が通用するとは考えにくい。
それでも、彼女は踏み込んだ。
相手が攻撃を避けるために一瞬でも意識を逸らすなら、それでいい。
規則を維持するために集中が必要なのかどうかは分からないが、何もせずに見ているわけにはいかなかった。
右拳を握り締め、少年へ向かって駆け出す。
しかし、出久は動かなかった。
彼女が駆け寄ってくるのを、ただ静かに眺めている。
「さて、次は――」
その言葉を聞いた瞬間、スターアンドストライプは目を見開いた。
規則は二つまで維持できる。
そして今、少年が使用した規則は一つだけだった。
「まさか2つ目!? やめろッ!!」
スターアンドストライプが吠えた。
出久は彼女へ微笑みかけると、右手を僅かに動かした。
掌の上には、青白い光の筋が生じていた。
空中に生成されたプラズマの一部が細い糸のように伸び、少年の指先へ繋がっている。
大気に与えた規則によって生まれたプラズマは、既に元の大気とは別の対象として認識されている。
さらに、その一部が指先へ触れている以上、新たな規則を課すための条件も満たされていた。
スターアンドストライプは、少年が何をしようとしているのか悟った。
あれほどの熱を持つ物質を、さらに操作するつもりなのだ。
「『新秩序」
少年の声が、夜の街へ響いた。
その視線は、白く輝くプラズマへ向けられている。
「――プラズマは、膨張し、拡散する」