爆豪勝己は、砕けたアスファルトを蹴って後方へ跳んだ。
直後、つい先ほどまで立っていた場所へ巨大な拳が叩きつけられた。
舗装が陥没し、亀裂が蜘蛛の巣のように広がっていく。
衝撃で跳ね上がった破片を爆破で吹き飛ばしながら、爆豪は空中で身体を捻り、道路を挟んだ向かい側の建物へ着地した。
「チッ……!」
見下ろした先では、赤黒い巨人がゆっくりと拳を持ち上げていた。
四ツ橋力也。
解放コード、リ・デストロ。
クレストロを失った四ツ橋は、時折苦しげに顔を歪めながらも、その苦痛を糧にするかのように暴れ続けていた。
足運びこそ不安定になったものの、拳の威力は衰えず、地面を叩くだけで周囲の建物が揺れるほどの衝撃を生み出している。
「どうした、爆豪勝己! ベストジーニストを打ち破った男が、逃げ回ることしかできんのか!」
「うっせえなァ! デケえ図体で喚いてんじゃねえ!」
爆豪は両掌を四ツ橋へ向け、立て続けに爆破を放った。
閃光と轟音が夜の街を揺らし、赤黒い巨体が爆炎に包まれる。
しかし、四ツ橋は顔を庇うように片腕を持ち上げただけで、ほとんど後退しなかった。
爆煙を突き破って振り下ろされた拳が建物の外壁を粉砕し、爆豪は崩れる足場を蹴って再び空中へ逃れる。
直撃させても、効きが悪い。
四ツ橋の肉体を覆う赤黒い筋肉は、爆破を受けるたびに表面を歪ませ、衝撃を吸収するように形を変えている。
まともに当てれば肉を削ることはできるものの、あれほどの巨体を相手にしていては、多少の損傷など意味を成さなかった。
加えて、相手は見た目ほど鈍重ではない。
踏み込みの際には苦痛に顔を歪めていたが、腕の振りは依然として鋭く、その長さと膂力だけで広範囲を薙ぎ払える。
懐へ飛び込めば多少は有利になるだろうが、まともに一撃を受ければ無事では済まない。
何より腹立たしいのは、自分ばかりが攻撃を引き受けていることだった。
「おいッ! テメェもちゃんと戦えやマスク野郎!」
爆豪は建物の壁面を蹴り、巨人の頭上を飛び越えながら怒鳴った。
視線の先、ホテルの玄関から少し離れた歩道に、治崎廻が立っていた。
白いシャツの袖を捲り上げ、顔の下半分を覆うマスクをつけた男は、戦況を眺める傍ら、右手をハンカチで拭っている。
先ほどから、ずっとそうだった。
四ツ橋の不意を突いてクレストロを分解したところまではよかった。
だが、それ以降の治崎は積極的に攻撃へ参加しようとせず、四ツ橋が放つ瓦礫を地面から生やした障壁で防ぐか、遠くから石柱を突き出して牽制するばかりである。
「充分に貢献しているだろう、クソガキ。俺の個性なら、この距離に徹するのが最適だ」
治崎は顔も上げずに答えた。
クレストロの表面に付着していた油脂か、それとも四ツ橋の汗や血液にでも触れたのか、ひどく不快そうな顔をしている。
「どこがだボケ! さっきから俺ばっか狙われてんだろうが!」
「お前が馬鹿みたいに飛び回っているからだ。目立ちたいなら好きにしろ。俺まで付き合う義理はない」
「テメェ……!」
言い返そうとした爆豪の頭上を、巨大な拳が通過した。
咄嗟に左掌を爆発させて身体を沈めると、四ツ橋の腕が背後の建物へ衝突し、外壁を大きく抉り取った。
砕けたコンクリートが降り注ぐ中、爆豪は爆破を連続させて巨人の側面へ回り込み、露出した脇腹へ右手を向けた。
「オラァッ!」
至近距離で爆炎が炸裂する。
赤黒い巨体が僅かに傾いたものの、四ツ橋は怯むことなく反対の腕を振り回した。
爆豪は爆破の反動で後退し、拳の軌道から逃れながら舌打ちする。
「だからテメェも働けっつってんだよ! さっきからチマチマ地面弄ってるだけじゃねえか!」
「……しつこいガキだな」
治崎は露骨に顔をしかめた。
「俺があの装備を壊さなければ、お前はもっと苦戦していただろう。少しは感謝したらどうだ」
「感謝してほしけりゃ最後まで仕事しろや!」
「お前の仕事に付き合う義理はないと言っている」
「じゃあ何しに来たんだテメェ! 出久にチクんぞ!」
爆豪の怒声に、治崎は深々とため息をついた。
「チッ……分かった、分かった。少しは黙っていろ」
治崎が右手を地面へ伸ばす。
足元のアスファルトを再構成し、四ツ橋の動きを制限するための障害物を作るつもりだった。
しかし、その掌が路面へ触れることはなかった。
「……?」
視界の端に、何かが映ったのだ。
最初は建物の窓ガラスに反射した光だと思った。
だが、その輝きは時間と共に強さを増し、やがてホテルの壁面や道路にまで、不自然なほど鮮明な影を落とし始めた。
治崎は眉をひそめ、ゆっくりと顔を上げた。
街の一角が、白く輝いていた。
ビルの谷間から差し込む光は、街灯や建物の照明とは明らかに異なっている。
青白く、どこか冷たささえ感じさせる輝きでありながら、その明るさは周囲の景色を塗り潰すほど強烈だった。
「……何だ、あれは」
その呟きに応じたわけではないだろうが、四ツ橋の動きも止まった。
巨人は爆豪へ向けていた拳を下ろし、ゆっくりと顔を横へ向ける。
赤黒い肉体の表面に青白い光が反射し、肥大化した筋肉の凹凸を際立たせていた。
爆豪もまた、攻撃の手を止めていた。
最初は治崎が何か仕掛けたのかと思った。
しかし、当の本人が呆然と光を見つめている以上、そうではないらしい。
四ツ橋の反応からして、異能解放軍が用意した兵器というわけでもなさそうだった。
「……あァ?」
昼の街に、もう一つの太陽が現れたかのようだった。
それまで建物の輪郭を照らしていた街灯の光は、青白い輝きに呑み込まれている。
最初は建物の隙間から漏れ出しているように見えたが、やがて周囲の屋根よりも高い位置に輝きが現れ、徐々にその輪郭を広げ始めた。
爆発ではない。
少なくとも、爆豪の知る爆発とは違っていた。
爆発であれば、一瞬の閃光に続いて衝撃と轟音が生じる。
ところが、あの光は消えるどころか、時間が経つにつれて強さを増している。
四ツ橋は赤黒い顔を歪めた。
「……あれも公安の仕込みかね……それともスターアンドストライプの個性か……?」
光が瞬く。
それまで街の一角を照らしていた青白い輝きが、一瞬だけ収縮したかと思うと、次の瞬間には視界を白く塗り潰すほどの閃光となって広がった。
治崎は、遠くの建物が光に押し潰されるように歪むのを見た。
それが何を意味するのか考えるより早く、右手を地面へ叩きつけていた。
「爆豪勝己ッ! ベストジーニスト!」
「あァ!?」
足元のアスファルトが崩壊し、その下にあった土砂までもが瞬く間に分解される。
道路にぽっかりと開いた穴は一瞬で数メートルの深さに達し、爆豪が何事かと振り返った時には、治崎がその襟首を掴んでいた。
「テメェ、何しやが――」
「黙ってろ!」
治崎は爆豪を抱え込み、穴の底へ飛び込んだ。着地と同時に側壁へ掌を押し当てると、周囲の土砂が再構成され、二人を囲むように分厚い壁が形成されていく。
遅れて飛び込んできたジーニストを確認すると、さらに頭上の開口部を塞ぎ、コンクリートと土砂を幾重にも重ねたところで、地上から凄まじい衝撃が伝わってきた。
爆豪は反射的に両腕で頭を庇った。
足元から突き上げる振動に身体が浮き、治崎と共に穴の底へ叩きつけられる。
続いて頭上からは無数の物体が砕ける音が伝わり、壁の表面に亀裂が走った。
「ぐッ……何だよ、これ……!」
「喋るな!」
治崎は怒鳴りながら壁へ右手を押しつけ、崩れかけた部分を再構成した。
地上では、既に大爆発にも似た破壊が始まっていた。
街の一角から放たれた衝撃波は、周囲の大気を押しのけながら市街地を駆け抜け、道路を走っていた自動車を横転させ、建物の窓ガラスを一斉に吹き飛ばした。
街路樹は幹を折られ、電柱が傾き、ホテルの正面玄関を覆っていたガラス張りの外壁は、無数の破片となって建物の内部へ飛び込んでいく。
さらに、その後を追うように熱風が押し寄せた。
灼熱の空気が瓦礫や粉塵を巻き込みながら街路を吹き抜け、衝撃波によって破損した建物の内部へ流れ込む。吹き飛ばされた看板が道路を転がり、街路樹の葉が熱によって変色し、至るところで可燃物が燃え上がった。
四ツ橋力也は、その衝撃を正面から受けていた。
「――ぬ、おおおおッ!!」
咄嗟に両腕を交差させ、巨体を支える両脚へ力を込める。
しかし、クレストロを失った脚部は既に限界に近く、正面から叩きつけられた圧力によって赤黒い巨体が押し流された。
衝撃波に続いて押し寄せた熱風が赤黒い肉体を包み込み、露出した皮膚を容赦なく焼いていく。
四ツ橋は顔を庇いながら全身の筋肉を膨張させ、地面へ拳を突き立てた。
苦痛と怒りによって生じたストレスが個性をさらに増幅させていたが、それでも熱と衝撃を完全に防ぐことはできなかった。
少し離れた場所では、外典と気月が押し寄せる衝撃に耐えようとしていた。
外典の周囲には氷塊が立ち上がり、気月も咄嗟に身を低くした。
しかし、二人が防御を整えるより早く、灼熱の空気が街路を埋め尽くした。
氷は表面から激しく蒸発し、視界を覆う白い蒸気ごと衝撃波に押し流されていく。
四ツ橋は、その光景を見た。
「――ッ!」
地面へ突き立てていた拳を引き抜き、巨体を翻す。
既に全身を焼かれ、まともに歩くことさえ難しくなっていた。
それでも四ツ橋は二人の方へ踏み出し、巨大な腕を伸ばした。
外典と気月の身体を抱き寄せると、自分の背中を押し寄せる熱風へ向け、二人を覆い隠すように蹲った。
それが、彼にできた最後の抵抗だった。
やがて、青白い光が薄れ始める。
それから数十秒が経過した。
頭上から伝わっていた轟音は徐々に弱まり、絶え間なく続いていた地面の振動も、ようやく収まりつつあった。
時折、何かが崩れ落ちるような鈍い音が響くものの、少なくとも先ほどまでのように、地下の空間そのものが押し潰されそうになることはなくなっていた。
治崎は壁へ押し当てていた右手を離し、荒く息を吐いた。
「……止まった、か?」
「まだ分からない。少し待て」
答えたのはベストジーニストだった。
彼は穴の底で片膝をついたまま、頭上へ意識を向けていた。
治崎の個性によって作られた避難場所は、大人三人が身を寄せるには少々手狭だったが、分厚い土砂とコンクリートに囲まれているおかげで、外の熱気はほとんど伝わってこない。
ジーニストはしばらく耳を澄ませ、周囲の振動が収まっていることを確かめると、治崎へ顔を向けた。
「上を開けられるか。まずは様子を確認したい」
「……まだ熱いかもしれないぞ」
「分かっている。少しだけでいい」
治崎は不満そうに眉を寄せたものの、反論はしなかった。
右手を天井へ押し当て、頭上を塞いでいた土砂の一部を分解すると、人間の腕が通る程度の細い穴を作り出す。
途端に、焦げ臭い空気が流れ込んできた。
ジーニストは顔をしかめ、慎重に穴へ手を伸ばした。指先に触れる空気はまだ熱を帯びていたが、皮膚を焼くほどではない。
数秒ほど様子を窺った後、治崎に開口部を広げるよう頼んだ。
「……私が先に出る。君たちはここで待っていなさい」
「はァ? 何で……」
「爆豪」
ジーニストは静かに名前を呼んだ。
「外がどうなっているのか、まだ分からない。まずは安全を確かめる必要がある」
爆豪は不服そうに舌打ちしたが、それ以上は言い返さなかった。
治崎が再び地面へ触れると、頭上の壁がゆっくりと崩れ、地下から地上へ続く斜面が形成された。
ジーニストはそこを慎重に登り、穴の縁から恐る恐る顔を覗かせた。
そして、動きを止めた。
「…………」
目の前に広がっていたのは、数十秒前まで彼らが戦っていた街だった。
少なくとも、建物の配置だけは変わっていなかった。
ホテルは依然としてそこにあり、道路を挟んだ向かい側には商業ビルが建っている。
遠くにはマンションやオフィスビルの姿も見え、鉄筋コンクリート造の堅牢な建築物は、その多くが辛うじて形を保っていた。
しかし、それ以外のものは、ほとんど原形を留めていなかった。
ホテルの正面玄関を覆っていたガラス張りの外壁は跡形もなく消え、建物の内部には砕けたガラスと瓦礫が散乱していた。
向かい側の商業ビルも、窓という窓がすべて吹き飛び、黒く焼けた室内が剥き出しになっている。
道路沿いに並んでいた商店は外壁を失い、木造の建物に至っては、柱だけを残して焼け落ちているものさえあった。
街路樹は黒く炭化し、道路脇に停められていた自動車は、塗装を焼かれて変色していた。
横転した車両の中には、内部から炎を噴き上げているものもあり、破損した配管からは白い蒸気が立ち上っている。
そして、道路には。
「…………ッ」
ジーニストは息を呑んだ。
黒く焼け焦げた何かが、横転した自動車の傍らに転がっていた。
最初は、燃え残った荷物かと思った。
しかし、その形を目で追った瞬間、そうではないことに気づいてしまった。
胴体らしき部分から伸びる細いものがあり、その先には指のような形が残っている。
人間だった。
ジーニストは咄嗟に視線を逸らしたが、その先にも同じようなものが転がっていた。
道路の中央、歩道の隅、倒れた看板の下。
いずれも黒く焼け焦げ、衣服も顔も判別できないほど損傷している。
数十秒前まで、そこには人間がいたのだ。
ジーニストは唇を引き結んだ。
ヒーローとして長年活動してきた彼は、数多くの災害現場を見ている。
大規模な火災も、建物の倒壊も、ヴィランによる無差別攻撃も経験してきた。
しかし、これほど短い時間で街が変わり果てる光景は、容易に受け入れられるものではなかった。
「……どうなってんスカ」
ジーニストはすぐには答えられなかった。
「……君は見てはいけない」
そう告げたものの、地下から返事はなかった。
爆豪が納得していないことは分かっていたが、今は彼と言い争っている場合ではない。
生存者の捜索、火災の拡大防止、救援の要請。やるべきことはいくらでもあるが、まずは周囲の状況を把握する必要がある。
その時だった。
煙の向こうで、何かが動いた。
焼け落ちた商店の向こう、道路の中央を覆う灰色の煙の中に、黒い影がぼんやりと浮かんでいる。
周囲には瓦礫が積み重なり、視界も悪かったが、その影はゆっくりとこちらへ近づいてきていた。
どうやら一人ではないらしい。
影の輪郭が妙に大きく、上半身の辺りに何かを抱えているように見える。
ジーニストは目を凝らした。
煙が薄れ、歩いてくる人物の顔が見えた瞬間、声が漏れた。
「……あれは、緑谷出久……?」
黒く焼けた道路の向こうから、緑色の髪をした少年が歩いてきていた。
衣服は煤と埃に汚れ、ところどころが破れている。
顔にも黒い汚れが付着していたが、足取りに目立った乱れはなく、少なくとも歩行に支障をきたすほどの負傷はしていないようだった。
そして、その両腕には男が抱えられていた。
黒いマスクをつけた男、敵連合のトゥワイスだった。衣服は大きく裂け、露出した部分には傷が見える。
身体を丸めるようにして抱えられたまま動かず、意識があるのかどうかも分からない。
地下から激しい物音が響いた。
「――出久だァ!?」
爆豪の怒声だった。
ジーニストが振り返るより早く、足元で爆発が起きた。
治崎が再構成した蓋の一部が内側から吹き飛び、砕けたコンクリートが周囲へ散乱する。
穴の中から爆豪が飛び出し、着地するなりジーニストへ詰め寄った。
「出久は無事なんか!? おい!」
「爆豪、待ちなさい! まだ周囲の安全が――」
ジーニストの制止を振り切り、爆豪は道路へ飛び出した。
しかし、数歩進んだところで足が止まった。
目の前に広がっていたのは、彼が知っている泥花市ではなかった。
ホテルの玄関は吹き飛び、向かい側の建物は窓を失って黒く焼けている。
道路には砕けたガラスと瓦礫が積み重なり、横転した自動車からは煙が立ち上っていた。
そして、道路に転がる黒い塊が何なのか理解した瞬間、爆豪は言葉を失った。
「…………」
人間だった。
焼け焦げた身体が、瓦礫の傍らに横たわっている。少し離れた場所にも同じようなものがあり、その向こうには、倒れた看板の下から人間の腕らしきものが覗いていた。
爆豪は息を呑んだ。
ヴィランとの戦闘で建物が破壊されることは珍しくない。
爆豪自身、これまで幾度となく激しい戦いを経験してきたし、敵を倒すために周囲のものを壊したこともある。
だが、これは違う。
戦闘の結果として生じた被害というより、街そのものが一度に焼き払われたような光景だった。
爆豪は奥歯を噛み締め、煙の向こうへ視線を向ける。遠くに緑色の髪をした人影が見えた。
両腕に誰かを抱え、瓦礫を避けながらゆっくりと歩いている。
間違いなく出久であり、その姿を認めた爆豪は再び走り出そうとしたが、踏み出しかけた足を止めた。
「……あ?」
視界の端に、奇妙なものが映ったのだ。
ホテルから少し離れた場所だった。
道路の向こう側、倒壊した商店と駐車場の間に、他の瓦礫とは明らかに異なる黒い塊がある。
近づくにつれて、それが一つの塊ではないことが分かってきた。
大きなものが一つ、その下に小さなものが二つ。
いずれも黒く焼け焦げ、表面には灰が降り積もっているが、大きな塊から伸びた腕のようなものが、小さな二つを包み込んでいることだけは見て取れた。
巨大な人間だった。
少なくとも、生前はそうだったのだろう。
通常の成人男性とは比較にならないほど大きな身体が、道路の上に蹲るようにして倒れている。
背中は大きく丸まり、両腕は胸元へ抱え込むように曲げられており、その内側には二人の人間が寄り添うように収まっていた。
全身が黒く焼け焦げ、皮膚も衣服もほとんど判別できない。
衝撃波によって損傷したのか、背中には大きな裂け目が走り、表面には砕けたガラスやコンクリートの破片が食い込んでいた。
爆豪はその場に立ち尽くした。
大きな人間が、二人を庇っていたのだ。
そして、その体格には見覚えがあった。
「……こいつらって……もしかして、なあ」
掠れた声が漏れた。
背後から近づいてきたジーニストも、三人の遺体を認めて足を止めた。
巨大な亡骸を見つめ、その腕の中に収められた二人へ視線を移すと、何かを言いかけて口を閉ざした。
「……考えるな。今は」
そう告げる声には、いつもの落ち着きがない。
背後から瓦礫を踏む足音が聞こえた。
爆豪は振り返らなかった。
目の前には、最後まで二人を庇おうとした男の亡骸があり、その腕の中には、守られることのなかった二つの命が横たわっている。
足音は数歩手前で止まり、代わりに聞き慣れた声がした。
「……やぁ」
爆豪は弾かれたように振り返った。
そこには緑谷出久が立っていた。
煤と埃に汚れた服を着て、両腕にはぐったりとしたトゥワイスを抱えている。
緑色の髪は乱れ、頬には細かな傷が幾つも走っていたが、少なくとも自分の足で歩ける程度には無事らしい。
爆豪はその姿を確認した瞬間、胸の奥に詰まっていたものが僅かに緩むのを感じた。
「出久ッ! テメェ、無事だったのか!」
怒鳴るように声を上げ、駆け寄ろうとする。
だが、二歩目を踏み出すより早く、足が止まった。
何かがおかしい。
最初は、単なる気のせいだと思った。
出久の顔も、声も、身体つきも、爆豪がよく知る幼馴染のものだったし、負傷した仲間を抱えて歩いてくる姿にも、特別おかしなところはない。
それなのに、近づいてはいけないという感覚が、爆豪の足をその場に縫い止めていた。
出久の顔には穏やかな笑みが浮かんでいた。
口元を僅かに緩め、久しぶりに知り合いと再会したかのような、柔らかな表情だった。
目の前で爆豪が立ち止まったことを不思議に思っているらしく、少しだけ眉を持ち上げているが、それ以外に目立った変化はない。
爆豪は、その笑顔を見た瞬間、背筋が冷たくなるのを感じた。
周囲には焼け焦げた建物が並び、道路には無数の瓦礫が散乱している。
つい先ほど、三人の焼死体を見つけたばかりであり、少し離れた場所にも、身元を判別できないほど損傷した人間が何人も倒れていた。
その地獄のような光景の中を歩いてきたというのに、出久は笑っていた。
無理に明るく振る舞っているわけでも、恐怖や混乱から表情が引き攣っているわけでもない。
誰かを安心させようとして浮かべた笑みとも違っていた。
目の前の惨状を理解したうえで、なお自然に微笑んでいるように見える。
何より異様だったのは、その瞳だった。
緑谷出久の目を、爆豪は誰よりもよく知っている。
幼い頃から、嫌というほど見てきた目だった。
自分を追いかけてくる時も、何かを考え込んでいる時も、恐怖に震えながら誰かを助けようとする時も、出久の瞳にはいつも何かがあった。
弱々しく見えるくせに、どうしても諦めようとしない頑固さがあり、時には周囲の人間を苛立たせるほど真っ直ぐな意志が宿っていた。
だが、今の出久には、それがなかった。
穏やかな笑みを浮かべる顔とは裏腹に、その瞳の奥には、底の見えない暗闇が広がっているようだった。
何かを恐れているわけでも、絶望しているわけでもない。
他人の生死も街の崩壊も、ただ目の前に起きた出来事として眺めているような、理解しがたい静けさがあった。
爆豪は無意識に拳を握り締めた。
「……テメェ」
掠れた声が漏れた。
「……誰だ?」
出久は感心したように頷くと、腕の中のトゥワイスを抱え直した。
「そんなに殺気立たないでくれ。寝起きなんだ」
「質問に答えろや」
爆豪は低い声で遮った。
両手の指を開き、いつでも爆破を起こせるように構える。
目の前の相手が何者なのかは分からないが、少なくとも出久本人ではないことだけは確信していた。
出久は爆豪の掌へ目を向けると、少し困ったように笑った。
「そんなに警戒しなくてもいいじゃないか。僕は別に、君には興味はない。ここでの目的も達したし、お暇しようと思うんだが――」
乾いた破裂音が響いた。
次の瞬間、出久の足元でアスファルトが弾け、小さな破片が周囲へ飛び散った。
続けて二発目の銃声が響き、今度は出久の右足から僅かに離れた場所へ銃弾が着弾する。
「――ッ!?」
爆豪は反射的に左掌を爆発させ、後方へ大きく跳び退いた。
着地と同時に振り返り、発砲音のした方向を睨みつける。
ホテルから伸びる大通りの向こう、焼け落ちた車両と崩れかけた建物の間に、一人の人間が立っていた。
全身に凄まじい火傷を負っていた。
身に纏っている衣服はほとんど焼け落ち、辛うじて残った布地も黒く炭化して肌へ貼りついている。
露出した両腕や肩には広範囲にわたって火傷が広がり、顔に至っては半分以上が焼け爛れ、かつての面影を見つけることさえ難しいほどだった。
それでも、その巨躯と、金色の髪、そして何よりも、傷だらけの身体から発せられる圧倒的な気迫が、その人物の正体を物語っていた。
「……スターアンドストライプ?」
ジーニストが愕然とした声を漏らした。
アメリカ合衆国ナンバーワンヒーロー、スターアンドストライプ。
彼女は片足を引きずるようにして立ち、両手で一丁の拳銃を構えていた。
黒い銃身には擦り傷があり、握りの部分には乾いた血が付着している。
おそらく、この惨状の中で誰かが落としたものを拾ったのだろう。
身体の状態は、どう見てもまともではない。
呼吸をするたびに肩が大きく上下し、右脚は明らかに負傷しているらしく、体重をかけるたびに膝が震えている。
それでも彼女は倒れようとしなかった。
銃口は、真っ直ぐ出久へ向けられていた。
「全員離れろッ!」
スターアンドストライプが叫んだ。
焼け爛れた喉から絞り出された声は酷く掠れていたが、その怒声には、周囲の人間を反射的に従わせるだけの迫力があった。
「そいつは、オール・フォー・ワンだッ!!」
再び銃声が響いた。
今度は警告射撃ではなかった。
スターアンドストライプは両腕を突き出したまま引き金を引き、立て続けに銃弾を放った。
反動を受けるたびに傷だらけの身体が揺れ、火傷を負った腕から血が滴り落ちる。
それでも彼女は銃口を下ろさず、出久の胸元を狙って撃ち続けた。
爆豪は咄嗟に叫んだ。
「おいッ! 待て、そいつは――!」
言い終わるより早く、一発の銃弾が出久の左肩へ命中した。
続いて胸元に二発、腹部に一発。
銃声と共に衣服が小さく跳ね、命中した部分から布地の繊維が飛び散った。
しかし、出久は倒れなかった。
銃弾を受けた肩にも胸にも、血が流れた様子はない。
破れた衣服の下から覗く肌には傷一つ見当たらず、まるで銃弾が身体に触れた瞬間、その威力だけを失ってしまったかのようだった。
足元に、潰れた弾頭が転がった。
出久はそれを一瞥すると、僅かに眉を寄せた。
「……『新秩序』が適用された身体に拳銃なんかが通用しないのは君も充分知っているだろう? 脳みそまでこんがりいってしまったかな」
心底面倒くさそうな声だった。
彼はトゥワイスを抱えたまま小さく息を吐き、右手を一瞬だけ離して頬を掻いた。
「まったく、困った人だね。せっかく挨拶をしていたところなのに」
爆豪は思わず出久の身体を見つめた。
確かに命中していた。
それなのに、出久の身体には何の損傷もなく、呼吸が乱れた様子さえない。
「……どうなってやがる」
呟いた爆豪の背後で、ジーニストが静かに身構えた。
オール・フォー・ワン。
その名前を知らないヒーローなど、少なくとも日本にはほとんど存在しない。
かつて裏社会を支配し、数え切れないほどの個性を奪い、オールマイトと死闘を繰り広げた男。
既に表舞台から姿を消して久しいとはいえ、その存在は今なお多くのヒーローにとって最大級の脅威として認識されていた。
だが、目の前にいるのは緑谷出久だった。
「……スターアンドストライプ」
ジーニストは慎重に声をかけた。
「今の言葉は、どういう意味だ。彼がオール・フォー・ワンだというのか?」
「そのままの意味だ! 理屈は知らん!」
スターアンドストライプは怒鳴り返した。
その直後、激しく咳き込み、口元から血を吐き出した。
身体が大きく傾き、銃口が一瞬だけ地面へ向いたものの、彼女は歯を食いしばって踏みとどまると、再び出久へ銃を向けた。
「そいつは……その子どもの身体を乗っ取ってる! 近づいてはいけない! 触れられたら、個性を奪われる!」
スターアンドストライプの警告を聞いて、爆豪はゆっくりと出久へ視線を戻した。
乗っ取っている。
その言葉は、先ほどから感じていた違和感に、最も納得のいく説明を与えるものだった。
顔も声も出久のままでありながら、瞳の奥に宿るものだけがまるで違う理由。
自分のことを知らない人間のように眺め、地獄のような廃墟の中で穏やかに微笑んでいられる理由。
「おい、出久」
爆豪は低い声で呼びかけた。
少年は、ゆっくりとこちらへ顔を向けた。
「違うよ、爆豪勝己君。僕は僕だ」
「違わねぇよ、キンタマ頭。そいつから出ていけや……!」
出久は少しだけ目を丸くした。
それから、笑った。
先ほどまで浮かべていた、穏やかで人当たりのよい笑みではなかった。
口元がゆっくりと吊り上がり、細められた瞳に冷ややかな光が宿る。
怒りや憎しみが表れたわけではない。むしろ、目の前の人間が何か途方もなく馬鹿げたことを言い出したとでもいうような、呆れと嘲笑の入り混じった表情だった。
出久は肩を竦めようとして、腕の中に抱えていたトゥワイスの重みを思い出したように動きを止めた。
黒いマスクの男は依然として意識を失っており、弱々しい呼吸を繰り返している。
出久はその顔を一度見下ろすと、男の身体がずり落ちないよう抱え直し、何事もなかったかのように爆豪へ視線を戻した。
「さて、と。本当は、もう少しこの身体に慣れてから試そうと思っていたんだけれど……まあ、いいか。せっかく観客もいることだし、長居するつもりもない」
出久の右手に変化が現れた。
トゥワイスの背中を支えていた指先から、白色の鱗が滲み出すように広がっていく。
鱗は皮膚の表面に沿って厚みを増し、指の関節を覆う硬質な節を形成すると、手の甲から手首、前腕へと伸びていった。
出久が戦闘の際に使用する、複数の個性を組み合わせた外骨格。
単純な防御装備ではなく、筋力の補助、衝撃の吸収、運動エネルギーの伝達といった異なる機能を、一つの構造物として成立させる戦闘形態。
全因解放。
ホワイト・ラビット。
両腕にトゥワイスを抱えたままであるにもかかわらず、装甲の形成は少しも滞らなかった。
白い骨格は男の身体を避けるようにして出久の腕を覆い、肘や手首の可動域を確保しながら、負荷を支えるための補強構造を作り上げていく。
足元では靴の表面が白い装甲に覆われ、踵から脛にかけて細長い補強材が伸びた。
膝の周囲には可動式の節が重なり、太腿の外側には、身体を支えるための太い骨格が形成される。
首元から白い装甲がせり上がり、頬と後頭部を包み込むと、最後にウサギの耳を模した二本の突起が伸びた。
「これは、なかなか面白い……美しいともいえる」
出久は感心したように呟いた。
「複数の個性を同時に使用するだけなら、それほど難しいことじゃない。けれど、個性同士の干渉を抑えながら、最適な組み合わせ、最適な出力と配置を試行錯誤し、外骨格として機能させるという発想は実にユニークだ。同じ全因解放でも、こうも違うか……」
その言葉に、爆豪は顔を歪めた。
出久が長い時間をかけて作り上げた技術を、まるで拾い物でも品定めするかのように語っている。
しかも、その声音には確かな感心が含まれているだけに、余計に腹立たしかった。
「テメェ……出久の個性まで勝手に使ってんじゃねえぞ」
「おいおい! 笑わせるなよ。元はと言えば僕がこの子に与えた個性たちだ」
出久は悪びれもせず答えた。
その言葉を聞いた瞬間、爆豪の掌で小さな爆発が起きた。
反射的に踏み出しかけた足を、寸前で止める。
目の前にいるのは敵だ。
出久の身体を奪い、平然とその個性を使っている男だ。
今すぐにでも殴り飛ばし、二度とそんな口を利けなくしてやりたかった。
だが、その顔は出久のものだった。
殴れば出久が傷つく。
爆破を叩き込めば、焼けるのは出久の身体だ。
爆豪は奥歯を噛み締めた。
出久はそんな爆豪の葛藤など知ったことではないというように、改めて自分の身体を見下ろした。
白い装甲に覆われた両腕と、その中でぐったりしているトゥワイス。
胸元から足先まで視線を走らせ、右足を僅かに持ち上げて足首を動かすと、何かを確かめるように小さく頷いた。
「……ただ」
彼は小さく息を吐いた。
「白は好きな色じゃない」
まるで、新しく仕立てた服の色が気に入らなかったとでもいうような口調だった。
出久は静かに口を開く。
「『新秩序』」
スターアンドストライプが持つ個性。
対象に触れ、その名前を呼ぶことで、新たな法則を与える能力。
先ほど出久が銃弾を受けても傷一つ負わなかったのも、おそらくはその個性によるものだったのだろう。
出久はトゥワイスを抱えたまま、穏やかな声で宣言した。
「外骨格は、エネルギーを百パーセント蓄え、伝達する」
宣言が終わった。
最初に変化が現れたのは、胸元だった。
白い装甲の中央に、黒い染みのようなものが浮かび上がった。
煤が付着したのかと思うほど小さな変化だったが、それは次第に周囲へ広がり、装甲の継ぎ目に沿って細い線を描き始めた。
黒い線は胸元から肩へ、肩から腕へと伸びていく。
やがて装甲板そのものが色を変え始めた。
白い表面が灰色に沈み、さらに深い黒へと変わっていく。
塗料を塗り重ねているわけでも、表面が焼け焦げているわけでもない。
装甲そのものが内側から色を失い、別の物質へ置き換わっていくかのような変化だった。
指先から手首へと黒が広がり、前腕を覆う装甲が徐々に光を反射しなくなっていく。
肘の関節を構成する細かな節にも同じ変化が及び、やがてトゥワイスを支える両腕が、濡れた石のような鈍い光沢を帯びた黒色へと染まった。
続いて腹部、腰、両脚。
白い外骨格が、ゆっくりと黒く塗り潰されていく。
形状こそホワイト・ラビットのままだというのに、全身を覆う黒色が、まるで別の何かへ生まれ変わったかのような印象を与えている。
出久は最後まで黒く染まった外骨格を見下ろし、満足そうに頷いた。
「……うん。とてもいい。やっぱりヴィランは黒じゃないと」
足首を曲げ伸ばしすると、黒い装甲が滑らかに動いた。
膝から腰へと連なる骨格も、それに合わせて僅かに形を変えている。
スターアンドストライプが顔を歪めた。
「……オール・フォー・ワン」
彼女は掠れた声で呼びかけた。
「その身体を……どうするつもりだ」
出久は顔を上げた。
「どうする、とは?」
「とぼけるな……! その子どもを乗っ取って、私の個性まで奪って……次は何をする気だ!」
「次? かぁ」
出久は少し考えるように視線を上げた。
「そうだねえ。差し当たっては、帰ろうかな。目的は果たしたし、これ以上ここに留まる理由もない。君たちと戦うことにも、特に興味はないんだ」
出久はそう言って、腕の中のトゥワイスを見下ろした。
「それに、この子の大事な仲間を預かっているからね。いつまでもこんなところで立ち話をしているわけにもいかないだろう?」
その声音には、相手を気遣うような柔らかささえあった。
「待てや」
爆豪が一歩踏み出した。
「誰が帰していいっつったよ」
「おや」
出久は爆豪へ視線を向けた。
「まだ何か用かな?」
「用ならあるに決まってんだろうが。テメェが出久の身体を使ってる以上、ここで見逃すわけねえだろ」
「困ったなあ」
出久は小さく笑った。
「君は本当に、この子のことが好きなんだね」
「……ぶっ殺すぞ」
「おお、怖い怖い」
出久は楽しそうに肩を揺らしたが、それ以上は爆豪をからかわなかった。
代わりに、何かを思い出したように頭上へ視線を向けた。
「……ああ、そうだ」
黒い外骨格に覆われた頭部には、二本の細長い突起が伸びていた。
ウサギの耳、そしてオールマイトの髪型を模したような形状であり、額の少し上から後方へ向かって緩やかに湾曲している。
出久はそれを見上げるように目を動かすと、僅かに眉を寄せた。
「これだけは、どうにもいただけないな」
そう呟いて、トゥワイスを抱える腕の位置を変えた。
左腕で男の背中と肩を支え、右の前腕で両脚を受け止める。
トゥワイスの身体がずり落ちないことを確かめると、出久は右手だけを自由にし、その手を頭上へ伸ばした。
黒い装甲に覆われた指が、二本の突起のうち片方を掴んだ。
「……何してやがる」
爆豪が訝しげに尋ねた。
「いや、少しね」
出久は何でもないことのように答えた。
「この形は、僕の趣味じゃない」
次の瞬間、乾いた破砕音が響いた。
出久は頭部から伸びる突起を、根元から無造作に毟り取っていた。
硬質な外骨格が砕け、細かな黒い破片が周囲へ飛び散る。
突起は途中で折れたのではなく、頭部の装甲との接合部分から引き剥がされており、出久の右手には長い黒色の塊が握られていた。
毟り取った突起を一瞥すると、興味を失ったように道路へ放り捨てた。
硬い音を立てて黒い塊が転がる。
「うん。やっぱり邪魔だ」
続けて、もう一本へ手を伸ばした。
今度は根元を掴むと、僅かに手首を捻っただけだった。
ばきり、と音がした。
二本目の突起もあっさりと引き剥がされ、出久はそれを最初の一本と同じように放り捨てた。
頭部には二箇所の不格好な断面が残されたものの、周囲の装甲がゆっくりと形を変え、露出した部分を覆っていく。
数秒後には、そこに突起が存在していた痕跡すらなくなっていた。
爆豪は、道路に転がる二本の黒い塊を見つめた。
ただの装飾だと言われれば、それまでなのかもしれない。
戦闘に必要なものでもなく、外骨格の性能に大きな影響を与えるものでもないのだろう。
それでも、あの形を決めたのは出久だった。
何を考え、どんな理由でウサギの耳を模したのか、爆豪は知らない。
だが、あの馬鹿が自分で考え、自分の意思で作り上げたものだということだけは知っていた。
それを、目の前の男は気に入らないという理由だけで毟り取った。
爆豪の掌で、再び小さな爆発が弾けた。
「……テメェ」
低い声が漏れた。
出久は、その声に反応することもなく満足そうに頷いた。
頭部から二本の突起を失ったことで、外骨格の印象はさらに変わっていた。
特徴的な輪郭は消え、黒い装甲に覆われた頭部は、顔の形状だけを残した滑らかなものとなっている。
もはや、ホワイト・ラビットと呼ぶにはあまりにもかけ離れた姿だった。
「これでいい」
出久はそう呟き、改めて自分の身体を見下ろした。
「さて。それじゃあ、そろそろ失礼しようかな」
「待てッ!」
「待たないよ」
あまりにも軽い返事だった。
出久は再びトゥワイスを両腕で抱え直した。
黒い外骨格が僅かに形を変え、男の身体を包み込むように保持する。
さらに、トゥワイスの身体を支える装甲の内側に、細かな骨格が幾重にも重なっていく。
衝撃を吸収するための構造らしく、男の頭部から背中、腰に至るまでを隙間なく支え、急激な加速によって生じる負荷を和らげるように調整されていた。
出久はその仕上がりを確かめると、小さく頷いた。
「うん。これなら大丈夫だ」
そして、膝を曲げた。
最初は、ただ屈もうとしているように見えた。
だが、次の瞬間、黒い外骨格の各部から軋むような音が響き始めた。
ぎしり、と。
膝の周囲に重なった装甲が互いに押し合い、太腿を覆う骨格が内側へ引き絞られていく。
腰から背中へと連なる補強構造も、出久が身体を沈める動きに合わせて形を変え、まるで巨大なばねを押し縮めるかのように全身へ力を蓄えていった。
出久はゆっくりと腰を落としていく。
両腕にトゥワイスを抱えたまま、上半身を僅かに前へ傾ける。
膝は深く曲がり、踵が地面へ押しつけられ、足元のアスファルトには細かな亀裂が走り始めた。
外骨格は、エネルギーを百パーセント蓄え、伝達する。
爆豪は咄嗟に両掌を前へ向けた。
ただでさえ常人離れした身体能力を持つ出久が、その全身に蓄えた力を一度に解放したなら。
「全員伏せろッ!」
「それじゃあ、またね」
次の瞬間。
出久の姿が、消えた。
黒い外骨格を纏った少年が、両腕にトゥワイスを抱えたまま屈んでいた。
その姿を確かに見ていたはずなのに、瞬きをした覚えもないまま、視界から忽然と消え失せていたのだ。
直後、足元のアスファルトが爆ぜた。
凄まじい衝撃が道路を走り、出久の立っていた場所を中心として舗装が大きく陥没する。
砕けた破片が四方へ吹き飛び、周囲に積もっていた灰や粉塵が一斉に巻き上がった。
爆豪は反射的に爆破を放ち、迫ってきた破片を吹き飛ばした。
「ぐッ……!」
遅れて、轟音が響いた。
空気そのものが引き裂かれたかのような衝撃が周囲へ広がり、焼け残っていた建物の外壁から細かな破片が剥がれ落ちる。
横転した自動車の車体が激しく揺れ、道路に散乱していた瓦礫が跳ね上がった。
爆豪は両腕で顔を庇いながら、必死に周囲を見回した。
いない。
右にも、左にも。
上空へ視線を向けても、黒い外骨格の姿は見当たらなかった。
出久が立っていた場所には、巨大な陥没だけが残されていた。
爆豪は、その中心を睨みつけた。
掌にはまだ熱が残っている。
いつでも爆破を放てるように構えていたはずだった。
相手が動いた瞬間に追いかけるつもりで、目を逸らした覚えもない。
それなのに、何もできなかった。
攻撃することも、足を止めることも、追いかけることさえできなかった。
「……クソが」
奥歯の隙間から、押し殺した声が漏れた。
出久の身体を奪った男は、出久が作り上げた技術を使い、出久の姿を自分の好みに変え、そのまま何事もなかったかのように立ち去ってしまった。
爆豪は拳を握り締めた。
指の間で、火花が散った。
「……クソがァッ!!」
怒声が、焼け果てた街に響いた。