小瓶を握り締めたトガの身体から、淡い色の液体が滲み出し、指先から肩、胸元へと広がりながら、やがて全身を包み込んでいった。
つい先ほどまでお茶子と同じ姿をしていた少女の輪郭がゆっくりと崩れ、短い茶色の髪は癖のある緑色へ変わり、丸みを帯びた頬には見慣れたそばかすが浮かび上がっていく。
変身によって身長が僅かに伸び、肩幅や手足の形が変わるにつれて、少女の身体は見慣れた少年のものへと近づいていき、やがて淡い液体が消え去った時、そこにはもう一人の緑谷出久が座り込んでいた。
「……デク、くん……?」
お茶子は思わず名前を呼んだものの、目の前にいるのが本物ではなく、トガヒミコが『変身』によって再現した姿であることは理解していた。
それでも、癖のある緑色の髪も、頬に散ったそばかすも、少し幼さの残る顔立ちも、彼女がよく知る出久と何一つ変わらなかった。
見慣れた少年が傷だらけになって目の前に座っている光景には、胸を締めつけられるようなものがあり、お茶子は思わずその肩へ手を伸ばそうとした。
もっとも、変身によって外見が変わったところで、トガ自身の負傷まで治るわけではない。
腹部から胸元にかけて広がる傷はそのまま残っており、少年の姿になった彼女は苦しそうに息を吐くと、空になった小瓶をそっと地面へ置き、片手をアスファルトについて身体を起こそうとした。
「ううん! ヒミコちゃん! 無理しちゃ駄目だよ! そんな怪我で立ったら……!」
お茶子が慌てて腕を伸ばしたが、トガはその手を取らず、震える両脚に力を込めながらゆっくりと立ち上がった。
上半身を起こすだけでも腹部に鋭い痛みが走り、何度か膝が折れそうになったものの、彼女は歯を食いしばって踏みとどまり、ようやく自分の足で立つと、道路の向こうにいる少年へ顔を向けた。
黒い外骨格を纏った出久は、右手を上空へ翳したまま、その光景を興味深そうに眺めていた。
「……今度は僕の姿か」
オール・フォー・ワンは僅かに眉を上げ、自分とまったく同じ顔をした少年を見つめながら口元に笑みを浮かべたが、トガは答えず、ただ真っ直ぐに相手を睨みつけていた。
その表情を見たお茶子は思わず息を呑み、そこにいるのがトガだと分かっていながらも、眉を寄せ、唇を固く結んだその顔が、出久が誰かを傷つけられた時に見せるものとよく似ていることに気づいた。
「……返してください。デクくんの身体を、返してください」
トガが口を開くと、出久と同じ声が道路に響いた。オール・フォー・ワンは少しだけ首を傾げ、困ったように眉を下げた。
「それは難しい相談だな。さっき壊理にも同じことを言われたけれど、今の僕にはこの身体が必要なんだ」
「……あなたのじゃ、ないのです」
トガは脇腹を押さえていた手を離し、震える拳を握り締めた。
「その身体も、顔も、声も、全部デクくんのものです。勝手に使わないでください」
息を吸うたびに傷が痛み、言葉の途中で何度も呼吸が乱れたが、それでも彼女は視線を逸らさなかった。
「……デクくんは、そんなことしません。秀一くんをあんなふうにしたり、マグネさんやコンプレスさんを傷つけたり、壊理ちゃんを泣かせたりなんて、絶対にしません」
トガは一歩前へ踏み出し、痛みに顔を歪めながらも、目の前の少年を睨み続けた。
「デクくんは、困っている人がいたら放っておけない人です。自分が怪我をしてても、誰かを助けようとする人です。私は、そういうデクくんが大好きなんです」
オール・フォー・ワンはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐き、どこか楽しそうに笑った。
「……なるほど。君の言いたいことは分かったよ。けれど、彼の姿になったところで、この身体を取り返せるわけではないだろう?」
その言葉にトガは答えなかったが、それは反論できなかったからではなく、出久の血液を飲んだ自分に何ができるようになるのか、まだ分かっていなかったからだった。
これまでなら、好きな人の姿になれるだけで十分幸せだったし、出久の血液もいつか特別な日に使おうと思って大切に取っておいたものだった。
しかし、先ほどお茶子の姿になった時、彼女は初めて『変身』によって他人の個性を使うことができた。
あの時は、ジェントルを助けたいという一心で、お茶子ならできるはずだと信じた結果、本当に『無重力』が発動したのだから、出久の姿になった今も何かが起きるかもしれない。
トガはゆっくりと右手を持ち上げ、見慣れた少年の指先を見つめた。
掌の大きさも指の長さも出久と同じになっており、何度も見てきたその手を自分の意思で動かしていることに奇妙な感覚を覚えながら、目を閉じて身体の奥へ意識を向けると、そこには幾つもの異なる力が存在していた。
それぞれがまったく異なる性質を持ちながら、互いに結びつくことを待っているような感覚があり、トガは戸惑いながらも、その中に見覚えのあるものが含まれていることに気づいた。
出久が何度も使っていた個性だった。
彼が戦闘に入る際、複数の個性を同時に発動させ、まるで一つの能力であるかのように組み合わせていたことを、トガはよく覚えていた。
仕組みについて尋ねた時には、出久が随分と楽しそうに説明してくれたものの、専門的な話が多くて半分も理解できなかったというのに、今は不思議と、何をすればよいのか分かる気がした。
トガは右手を握り締め、目の前の少年を見据えた。
「……『剛躯』『スケイルメイル』『筋骨発条化』『五感強化』『槍骨』」
五つの個性の名前を一息に告げた次の瞬間、トガの身体が変貌した。
筋肉の密度が増大し、骨格を支える組織が強化されると同時に、全身の筋肉と骨格の一部が強靱な発条として機能する構造へ変化していく。
その内側では『剛躯』によって強化された肉体が新たな負荷を受け止め、外側では『スケイルメイル』によって生じた無数の鱗が皮膚を覆い始めており、さらに『槍骨』による骨組織が身体の外側へ伸長することで、胸部、肩、背中、四肢を支える複雑な骨格を形成していった。
五つの個性は順番に発動したのではなく、それぞれが同時に働き、互いの構造を補完しながら、最初から一つの完成形を目指すように組み上がっていた。
「……え?」
お茶子が思わず声を漏らした。
目の前にいる少年の身体が、凄まじい勢いで白い装甲に覆われ始めていた。
肩から胸元へ伸びた骨格が滑らかな曲線を描き、その表面を細かな鱗が幾重にも覆うことで頑丈な胸部装甲が形成され、腕には前腕から手の甲までを覆う装甲板が現れる。
肘や手首には発条の動きを妨げない関節構造が組み込まれ、脚部でも同様の変化が進行していく中、最後に頭部を覆う白い装甲が形成されると、額の左右から兎の耳を思わせる細長い突起が伸び上がった。
その形状は、出久が幼い頃から憧れていたオールマイトの特徴的な髪型にも似ていた。
「おおそれは、緑谷少年の……」
ジェントルが呆然と呟いた。
それは、緑谷出久が五つの個性を組み合わせることで完成させた複合個性技術だった。
身体能力、防御力、瞬発力、感覚能力を高い水準で統合し、それぞれの個性を単独で使用する以上の性能を発揮するための外骨格。
出久が何度も試行錯誤を繰り返し、ようやく完成させた技術を、トガは初めての発動で再現してしまったのである。
もっとも、彼女自身が複雑な構造を理解し、意識的に組み上げたわけではなかった。
五つの個性を同時に発動した瞬間、まるで身体そのものが正しい組み合わせ方を知っていたかのように、それぞれの力が結びついたのだ。
「……すごい……」
白い頭部装甲の内側から、出久と同じ声が漏れた。
トガはゆっくりと右手を持ち上げ、白い装甲に覆われた指先を見つめた。
試しに拳を握り締めると、手甲を構成する装甲板が滑らかに動き、その内側で発条状の構造が力を蓄える感覚が伝わってくる。
身体の奥から湧き上がってくる力は以前の自分とは比較にならないほど強大だったが、腹部から胸元にかけて広がる損傷はそのまま残っており、五つの個性によって強化された身体であっても、失った血液や傷ついた内臓まで元に戻るわけではなかった。
オール・フォー・ワンは、白い外骨格を纏ったトガを無言で見つめていた。
先ほどまで浮かべていた余裕のある笑みは消え、眉間には深い皺が刻まれている。
五つの個性を同時に発動し、『ホワイト・ラビット』を再現するという行為は、個性を一つずつ使用することとは比較にならないほど複雑な技術であり、本来なら緑谷出久が積み重ねてきた経験と、身体に染みついた制御能力がなければ成立しないはずだった。
にもかかわらず、目の前の少女は初めて変身した身体でそれを成し遂げ、しかも外骨格の形状に目立った破綻すら見られない。
「……なるほど」
オール・フォー・ワンは低く呟いた。
トガが再現しているのは、単なる個性因子だけではない。
少なくとも、個性を使用するための肉体的な適応や、反復によって獲得された運動制御の一部まで再現されている可能性があり、そう考えれば、初めて扱うはずの個性をこれほど自然に組み合わせられることにも説明がついた。
しかし、それ以上に重要なのは別のことだった。
目の前の少女は、無個性ではない。
その事実を意識した瞬間、オール・フォー・ワンの表情に奇妙な変化が生じた。
「……まあ、普通はそうなるか」
白い外骨格を纏ったトガは、相手の言葉の意味が分からず僅かに首を傾げたが、オール・フォー・ワンは答えなかった。
彼は、複数の個性を保有することが肉体へ及ぼす影響について、誰よりもよく知っていた。
緑谷出久のように、もともと無個性だった人間であれば複数の個性を受け入れるための余地が存在するが、生まれつき個性を持つ人間は事情が異なり、そこへさらに複数の個性を重ねれば、肉体の許容量を超えた負荷が生じ、生命そのものを消耗することになる。
まして、彼女が再現しているのは、五つの個性を同時に使用する『ホワイト・ラビット』だった。
この上、もしも『新秩序』まで使用できるのだとしたら。
「……ふふ」
オール・フォー・ワンは小さく笑った。
彼は一歩後退すると、露わになっていた顔面へ黒い装甲を展開した。
頬から顎へ、さらに額から鼻梁へと鱗状の外殻がせり出し、緑谷出久の顔立ちを覆い隠していくと、最後に目元を保護する装甲が閉じ、黒い『ホワイト・ラビット』は完全な戦闘形態となった。
「君がどこまでやれるか、確かめてみようか」
オール・フォー・ワンはそう言うと、脚部の発条を解放して後方へ跳躍し、崩れかけた防波堤の近くへ着地した。
「──『新秩序』! 大気は僕の1000倍の大きさで固まる」
右手を持ち上げたオール・フォー・ワンの掌が周囲の大気に触れると、その宣言と同時に空気が異様な圧迫感を帯び、彼の背後で大気そのものが巨大な人型を形成していった。
肉眼で確認できるような色や輪郭は存在しなかったが、周囲の空気が押し退けられ、足元の瓦礫が何もない空間に押し潰されていく様子から、そこに途方もなく巨大な何かが立ち上がったことだけは分かった。
形成された大気の巨人は術者の動作に応じてその姿勢を変え、『新秩序』によって大気へ与えられた規則を利用することで、自分の身体の動きを巨大な人型へ反映させる。
それは、かつて『新秩序』の持ち主が使用していた戦闘方法だった。
「……大気そのものを!?」
ジェントルが顔を強張らせた時、トガの『五感強化』が頭上の異変を捉えた。
視覚では確認できなかったものの、空気の流れが不自然に遮られ、周囲の音が巨大な障害物によって反射していることから、そこに何かが存在することは明らかだった。
トガは反射的に顔を上げ、見えない巨人が腕を振り上げていることを察知した。
「──ヒミコちゃんッ!!」
お茶子が叫んだ直後、空が唸った。
目には見えない巨大な拳が海岸道路へ向かって振り下ろされ、その一撃は周囲の大気を巻き込みながら落下し、拳そのものが到達するより先に猛烈な風圧が道路を走り抜けた。
砕けた瓦礫が吹き飛び、ひしゃげたガードレールが激しく軋む中、トガは白い手甲に覆われた掌を開いた。
「──『新秩序』」
「大気は私の1000倍の大きさで固まる」
その声を聞いた瞬間、オール・フォー・ワンの身体が強張った。
次の瞬間、トガの周囲でも大気が変質し、白い外骨格を中心として、何もない空間が巨大な人型へと組み上がっていった。
それは、オール・フォー・ワンが形成したものと同じ性質を持つ、もう一体の大気の巨人だった。
トガが右腕を持ち上げると、それに応じて巨人もまた巨大な右腕を振り上げ、直後、凄まじい衝突音が響いた。
「──ッ!?」
お茶子は反射的に両腕で頭を庇った。
何もないはずの上空で、巨大な物体同士が激突したような轟音が響き、衝撃波が道路を走り抜けていく。
二つの大気の巨人が互いの拳をぶつけ合っているのだと理解したジェントルは、信じられないものを見るように白い外骨格を纏った少年を見つめた。
「……ああ、クソ……」
オール・フォー・ワンは思わず悪態をついたが、まさか本当に『新秩序』まで再現するとは思っていなかったものの、すぐに考えを切り替えた。
このまま正面から個性をぶつけ合う必要はない。
相手は自分と同じ能力を使用できるが、同じ条件で使用しているわけではない。
何しろ、彼女は無個性ではないのだから、これほど多くの個性を併用し続ければ、いずれ肉体が限界を迎えるはずだった。
そう判断したオール・フォー・ワンは、大気の巨人へさらに力を込めようとした。
しかし、その時だった。
白い外骨格を纏ったトガが、ゆっくりと膝を曲げた。
脚部装甲の内側で『筋骨発条化』による発条が圧縮され、『剛躯』によって強化された筋肉と骨格が、そこへ蓄積されていく膨大な負荷を受け止める。
足元のアスファルトに細かな亀裂が走り、装甲の関節部から硬質な軋みが漏れ始めたところで、トガは顔を上げた。
あの男が動かしているのは、デクくんの身体だ。
その事実を改めて意識した途端、胸の奥から怒りが込み上げてきた。
「……返せ」
白い頭部装甲の奥から小さな声が漏れ、次の瞬間、トガは圧縮していた発条を一気に解放した。
轟音とともに道路が陥没し、白い外骨格が凄まじい勢いで上空へ跳ね上がった。
蹴り出した瞬間に発生した衝撃が周囲の瓦礫を吹き飛ばし、遅れて巻き起こった風圧にお茶子たちが身を伏せる中、トガの身体は防波堤の高さを瞬く間に超え、海岸道路を見下ろすほどの高度へ達していた。
「──なっ!?」
オール・フォー・ワンが顔を上げた。
白い外骨格が跳躍したこと自体は驚くべき現象ではなかったが、問題はその速度だった。
負傷した少女が初めて扱うはずの複合個性でありながら、発条の圧縮から解放までの動作にはほとんど無駄がなく、出久自身が使い慣れた『ホワイト・ラビット』と比較しても遜色のない跳躍を実現していたのである。
トガは上昇しながら身体を捻り、黒い外骨格を纏った少年を見下ろす位置に達したところで右腕を振り抜くと、その動きに応じて、彼女の生み出した大気の巨人も腕を動かした。
巨人と拳を押し合っていた右腕が相手の力を受け流すように斜めへ逸れ、続いて反対側から巨大な拳が振り抜かれる。
オール・フォー・ワンは咄嗟に自分の巨人を動かそうとしたが、互いの腕が交錯した状態から防御へ移るには僅かな時間が必要であり、トガはその遅れを見逃さなかった。
大気の巨人が、黒い『ホワイト・ラビット』を殴りつけた。
凄まじい衝突音が海岸一帯に響き渡り、オール・フォー・ワンの身体が横殴りに吹き飛ばされる。
黒い外骨格は空中で何度も回転しながら防波堤の上を通過し、海面へ向かって一直線に落下すると、次の瞬間には巨大な水柱を噴き上げながら海中へ消えた。
術者が海中へ叩き落とされたことで、彼の大気の巨人は動きを止めた。
『新秩序』によって与えられた規則そのものは維持されていたが、オール・フォー・ワンが海中で姿勢を崩している以上、巨人を正確に動かすことはできない。
トガはその隙を逃さず、右腕を振り下ろして、見えない巨人の拳を海中へ沈んだ相手に向けてさらに押し込んだ。
水面が巨大な窪みを形成し、その中心へ向かって周囲の海水が猛烈な勢いで流れ込む中、黒い外骨格は大気の拳によって押し潰されるように海中を下降し、ついには海底へ叩きつけられた。
海底の岩盤が砕け、巻き上がった砂泥が海水を濁らせると、遅れて海面が盛り上がり、巨大な水柱が崩れ落ちた。
押し寄せた波は防波堤を越えて道路へ流れ込み、海岸沿いに散乱していた瓦礫を押し流していった。
「……や、やった……?」
お茶子は濡れた髪を押さえながら海面を見つめた。
白い外骨格を纏ったトガは、すでに跳躍の頂点を越えて下降を始めていたが、その視線は一瞬たりとも海から離れていなかった。
そして、海底では、オール・フォー・ワンが砕けた岩盤の中から身体を起こしていた。
黒い外骨格の表面には幾つもの亀裂が走り、胸部装甲の一部が変形していたが、『剛躯』によって強化された肉体は致命的な損傷を免れていた。
もっとも、海底まで叩きつけられた衝撃は決して軽いものではなく、彼は身体を起こすと同時に、激しい怒りと屈辱を覚えていた。
トガヒミコ。
たった一人の少女が、緑谷出久の姿になったというだけで、これほどまでに自分を追い詰めている。
しかも、彼女が使用している個性はすべて自分が持っているものであり、同じ個性を、同じように組み合わせ、同じ技術を再現しているという事実が、オール・フォー・ワンには何より腹立たしかった。
「……なるほど、よく分かったよ」
黒い頭部装甲の内側で、彼は低く呟いた。
「無茶苦茶にしてやろう」
海中で右腕を持ち上げると、彼は『ホワイト・ラビット』を構成している五つの個性へ改めて意識を向け、同時に大気の巨人を維持していた『新秩序』の規則を解除した。
海上に残されていた巨大な人型は、その瞬間に形を失い、周囲の大気へ溶け込むように消失した。
オール・フォー・ワンが選んだのは、複数の能力を並行して操作する戦い方ではなく、緑谷出久が生み出した、純粋な破壊力を追求するための形態だった。
『剛躯』によって強化された肉体を支点とし、『筋骨発条化』による駆動構造を再配置すると同時に、『槍骨』を発動して背中から肩、右腕へかけて伸びる骨格を大幅に増殖させ、『スケイルメイル』によって形成した装甲を、それらの外側へ幾重にも重ねていく。
黒い外骨格が、海中で変形を始めた。
まず胸部と肩の装甲が左右へ展開し、内部に収められていた骨格が伸長することで、右腕を中心とした巨大な支持構造が形成されていく。
続いて背中から伸びた複数の骨組織が互いに結びつき、肩甲骨から腰部に至るまでを一体化した強固な骨組みを作り上げると、その内部へ発条状の筋骨組織が折り重なるように収められていった。
そして、右腕の先端から巨大な二重に捻じれる槍が伸び始めた。
それは通常の『槍骨』によって形成される骨の刃とは比較にならないほど太く、長く、幾重もの鱗状装甲によって補強された、巨大な杭と呼ぶべき構造だった。
槍の基部には圧縮された発条が何層にも組み込まれ、その力を一方向へ集中させるための支持骨格が、肩から背中、腰部にかけて複雑に張り巡らされていく。
黒い『ホワイト・ラビット』の輪郭は、もはや人間の姿から大きくかけ離れていた。
右腕を中心として巨大な二重螺旋の槍が形成され、その後方には発条と骨格が幾重にも重なった駆動装置が存在している。
身体の大部分を槍の支持構造として利用するその形態は、通常の戦闘を想定した外骨格というよりも、巨大な目標へ一撃を叩き込むためだけに作られた攻城兵器に近かった。
『ホワイト・ラビット』超攻撃形態。
──『ラビット・ホーン』。
緑谷出久が編み出した、外骨格の攻撃能力を極限まで高めるための形態だった。
通常の『ホワイト・ラビット』が身体能力、防御力、機動力を高い水準で両立させるための構造であるのに対し、『ラビット・ホーン』はそれらの大部分を犠牲にしてでも、正面へ向けた一撃の威力を最大化することを目的としている。
『筋骨発条化』によって蓄積した膨大な力を巨大な杭の突進へ一度に投入するため、槍そのものを身体から切り離して発射するのではなく、全身を支える骨格と連結したまま、発条によって巨大な杭を前方へ突き出す構造となっていた。
その動作原理は、大型のパイルバンカーに近い。
そして、この形態には重大な欠点があった。
威力の調整が、ほとんどできないのである。
槍の駆動機構は、圧縮した発条の力を一気に解放することで成立しており、攻撃を途中で止めることも、相手に合わせて威力を細かく加減することも難しかった。
槍そのものが巨大な質量と強度を備えているため、一度命中すれば相手の身体を貫き、致命傷は免れない。
だからこそ、出久はこの形態を滅多に使用しなかった。
彼が『ラビット・ホーン』を実戦で用いた相手は、ギガントマキアだけだった。
通常の攻撃では容易に傷つかず、圧倒的な巨体と耐久力を備えた怪物であり、そのような相手でなければ、あまりにも殺傷能力が高すぎるため、出久自身が使用を避けていたのである。
だが、今、その身体を動かしているのは緑谷出久ではない。
オール・フォー・ワンには、彼が抱いていた躊躇など存在しない。
相手が少女であろうと、負傷していようと、命を奪うことになろうと、彼にとっては何の問題にもならず、むしろ、相手が自分と同じ個性を使用しているからこそ、遠慮する必要がないとさえ考えていた。
海底で巨大な槍を完成させたオール・フォー・ワンは、黒い外骨格の脚部を岩盤へ固定し、頭上へ向けて右腕を持ち上げた。
水面の向こうには、白い外骨格を纏ったトガがいた。
跳躍によって上昇した彼女はすでに落下へ転じており、海面へ向かって高度を下げている。
『五感強化』が水面越しに彼女の位置を捉えたことで、オール・フォー・ワンは巨大な槍の先端を僅かに動かし、海水の抵抗によって歪んだ視界や、海底から巻き上がった砂泥に妨げられながらも、強化された感覚を頼りに白い影の位置を捉え続けた。
彼はその位置と落下速度から突進後の軌道を計算すると、槍の角度を調整し、発条へさらに力を蓄積していった。
海底の岩盤に、新たな亀裂が走った。
巨大な杭を支えるため、黒い外骨格の脚部が岩盤へ深く食い込み、背中から腰へ伸びた支持骨格が激しく軋む。
幾重にも折り重なった発条が限界まで圧縮されるにつれて、槍の基部には凄まじい力が蓄積されていった。
そして、海面の上では。
「ヒミコちゃん、下ッ!!」
お茶子が叫んだ。
彼女には海底の様子など見えていなかったが、海面の一部が不自然に盛り上がり、その下から巨大な何かが突き上げられようとしていることだけは分かった。
トガもまた『五感強化』によって異変を捉えており、落下する身体を捻りながら海面を見下ろすと、先ほどまで激しく波立っていた水面の一部が、何かに押し上げられるように盛り上がっていることに気づいた。
何かが来る。
そう理解した瞬間、トガは白い外骨格の両腕を持ち上げたが、その時にはすでに、海底で巨大な槍が完成していた。
「……君には、少しばかり危険すぎるかもしれないが」
黒い頭部装甲の内側で、オール・フォー・ワンは静かに呟いた。
「残念ながら、手加減をしてあげる理由はない」
彼は槍の先端を落下してくるトガへ正確に向け、その瞬間、海底の岩盤が砕けた。
圧縮されていた発条が解放され、黒い外骨格の全身を支点として、巨大な槍が上方へ突き出された。
凄まじい衝撃によって海底の砂泥が一斉に巻き上がり、槍の進行方向にあった海水が猛烈な勢いで押し退けられると、巨大な杭は水の抵抗をものともせず、海底から海面へ向かって一直線に突き進んでいった。
その先端が水面へ達した瞬間、周囲の海水が吹き飛ばされ、巨大な水柱が形成された。
「──『ラビット・ホーン』」
オール・フォー・ワンの声が海中から響き、水柱の中心を突き破って黒い巨大な槍が姿を現すと、その先端は落下してくる白い『ホワイト・ラビット』へ正確に向けられていた。
逃げなければならない。
そう考えるよりも早く、トガの身体は別の動きを始めていた。
白い外骨格に覆われた両腕を胸元へ引き寄せ、拳を握り締めると、肩から肘、手首にかけて組み込まれていた発条状の構造が一斉に圧縮を始めた。
『剛躯』によって強化された筋肉が骨格を固定し、『スケイルメイル』と『槍骨』によって形成された装甲が、関節へ集中する負荷を受け止めていく。
その構えを取った瞬間、トガの脳裏に以前見た出久の姿が浮かんだ。
両拳を胸元へ引き寄せ、肩の発条を圧縮し、相手へ向けて拳を突き出す。
それだけなら単純な打撃にしか見えないが、出久が編み出した技は、そこからが違っていた。
『筋骨発条化』によって生み出した反発力を一度の打撃で使い切るのではなく、拳を突き出す動作と引き戻す動作の双方へ利用する。
伸長した発条が拳を前方へ加速させ、その直後には別の発条が腕を引き戻し、次の一撃へ向けて再び力を蓄積することで、人間の筋肉だけでは到底実現できない速度の連続打撃を可能にするのである。
そして、今のトガには、その動きを再現するための身体があった。
「……っ!」
白い外骨格の右拳が前方へ突き出され、圧縮されていた発条が解放されると、拳が凄まじい速度で空気を打ち抜き、遅れて発生した衝撃が周囲の水飛沫を吹き散らした。
その一撃が終わるよりも早く右腕は引き戻され、今度は左肩の発条が解放されて、反対側の拳がほとんど同じ軌道を通過する。
右、左、右、左。
発条の圧縮と解放が連続するにつれて拳の速度は急激に増していき、両腕が白い残像となって交錯すると、拳を突き出すたびに発生する衝撃が重なり合うことで、落下する彼女の前方には、まるで無数の拳が同時に存在しているかのような光景が生まれていた。
「──あれ、八斎會の時の!」
海岸道路から見上げていたお茶子は、思わず叫んだ。
白い外骨格を纏った少年が空中で猛烈な勢いの連続打撃を繰り出している。
その姿だけでも信じられないものだったが、彼女が本当に驚いたのは、その直後に起きた現象だった。
海上の大気が、激しく震え始めたのである。
トガの『新秩序』によって形成された大気の巨人が、彼女と同じ動きを始めていた。
右拳が突き出されると、それに連動して目には見えない巨大な右腕が振り抜かれ、左拳が続けば、今度は反対側の腕が周囲の大気を押し退けながら前方へ突き出される。
そして、トガが拳を繰り出す速度をさらに高めた瞬間、巨人の動きもまた、凄まじい勢いで加速した。
大気の巨人は、彼女の千倍もの大きさを持つ存在だ。
その巨大な腕が、トガの腕と同じ時間で同じ角度だけ動くということは、拳の先端が移動する距離も、それに応じて桁違いに大きくなることを意味していた。
トガが拳を数十センチ突き出す間に、巨人の拳は数百メートルもの距離を移動する。
『新秩序』によって形成された巨人は、術者の動作を巨大な規模で再現するのだから、その性質と『筋骨発条化』による高速の連続打撃が噛み合えば、目には見えない巨人は、トガ自身の拳を遥かに上回る速度で巨大な拳を繰り出すことになる。
海面が、次々と陥没した。
見えない拳が通過するたびに猛烈な風圧が発生し、海水が左右へ押し退けられ、長大な水柱が幾つも噴き上がっていく。しかも、それらは一つの攻撃によって生じたものではなく、あまりにも短い間隔で繰り出される無数の打撃によって、ほとんど同時に発生していた。
ジェントルは呆然と海上を見つめた。
白い外骨格の少年が拳を振るうたびに、何もない空間から轟音が響き、巨大な衝撃が海面を叩いている。
その規模は、先ほど大気の巨人同士が拳をぶつけ合った時とは比較にならず、連続して発生する衝撃波によって海岸道路の残骸まで激しく揺さぶられていた。
単発の威力を追求した『ラビット・ホーン』とは対照的に、発条機構を連続駆動させることで、相手が防御する暇もないほどの打撃を浴びせる。一発ごとの威力を極限まで高めるのではなく、圧倒的な速度と手数によって相手を制圧することを目的とした技。
「君も大概……滅茶苦茶だな!」
最初の衝突が起きた。
大気の巨人が繰り出した拳が、海面から突き出した『ラビット・ホーン』の先端を真正面から捉え、凄まじい衝撃音とともに周囲の海水を吹き飛ばした。
巨大な槍は一瞬だけ勢いを鈍らせたものの、その内部には海底で蓄積された膨大な反発力が残されており、拳を押し退けながらなおも上昇を続けようとしたが、その時にはすでに次の拳が迫っていた。
右から、左から、さらに右から。
トガの両腕が白い残像となって交錯するのに合わせ、大気の巨人もまた、目には見えない巨大な拳を次々と叩き込んでいく。
一発の衝突が終わるよりも早く次の拳が命中し、さらにその次の打撃が重なることで、『ラビット・ホーン』の先端には絶え間なく衝撃が加えられていた。
轟音が、途切れなく響いた。
巨大な槍と大気の拳が激突するたびに海面が爆発したように盛り上がり、巻き上げられた海水が白い霧となって周囲へ広がっていく。
衝撃波によって海岸道路の残骸が吹き飛ばされ、離れた場所にいたお茶子たちでさえ、まともに立っていられないほどの風圧に晒されていた。
「──ッ、くぅ……!」
トガは歯を食いしばった。
白い外骨格の内部では発条機構が猛烈な速度で駆動し続けており、拳を繰り出すたびに肩や肘へ凄まじい負荷がかかっていた。『剛躯』によって強化された身体と、『スケイルメイル』による装甲がその衝撃を受け止めていたが、腹部から胸元にかけて残る傷までは守りきれず、連続する動作に合わせて鋭い痛みが全身へ走っていた。
それでも、彼女の拳は鈍らない。
幾重もの鱗状装甲によって補強された槍の先端が、連続する衝撃に耐えきれず、僅かに変形し始めていた。
本来なら一撃で巨大な敵を貫くための構造であり、正面からの衝突に対しても極めて高い強度を備えている。
しかし、今はその一点へ想定を遥かに超える回数の打撃が集中しており、しかもトガの攻撃は止まらず、槍の先端を叩くたびに大気の巨人の拳は僅かに弾かれていたが、次の瞬間には反対側の拳が命中し、さらにその次の打撃が重なることで、槍が前進するための勢いを少しずつ奪っていた。
「……くっ!」
オール・フォー・ワンは海底で歯を食いしばり、槍を支える外骨格へさらに力を込めたが、すでに解放された発条を攻撃の途中で再び最大出力まで圧縮することはできなかった。
槍を前方へ突き出すための力は最初の一撃にほとんど投入されており、今、彼にできるのは、残された支持骨格を維持し、押し返される槍を支えることだけだった。
そして、ついに巨大な槍の上昇が止まった。
海面から突き出したまま、黒い杭が空中で静止する。
しかし、それは均衡が成立したことを意味していなかった。
トガの拳はなおも動き続けており、白い外骨格の両腕が残像となって交錯し、それに連動する大気の巨人が巨大な槍へ絶え間なく拳を叩き込んでいく。
そのたびに黒い装甲の表面へ亀裂が増え、槍の内部を支えていた骨格が軋み、発条を固定している構造にも徐々に歪みが生じ始めていた。
トガは、その変化を見逃さなかった。
『五感強化』によって鋭敏になった感覚が、巨大な槍の振動と、衝撃を受けるたびに変化する音を捉えていた。
トガは歯を食いしばり、さらに発条の駆動速度を高めた。
腹部の傷が激しく痛み、肩の装甲が軋み、肘の関節から細かな破片が飛び散ったが、それでも白い拳は止まらなかった。
目の前の巨大な槍は、出久が編み出したものだった。
あの優しい少年が、ギガントマキアのような怪物を相手にする時だけ使用した、あまりにも危険な技。
それを今、出久の身体を奪った男が、自分を殺すために放っているのだと考えるたび、トガの胸の奥から新たな力が湧き上がってくるような感覚があった。
デクくんなら、こんなことはしない。
デクくんは、誰かを助けるためにこの力を使っていたのだから、自分も同じように、誰かを傷つけるためではなく、大好きな人を取り戻すために使いたかった。
「……返せ……!」
トガは拳を繰り出しながら、声を絞り出した。
「……返せ!!」
右腕の発条が解放され、白い拳が前方へ突き出されると、それに連動して大気の巨人が巨大な右拳を叩き込んだ。
続いて左腕、さらに右腕と動きが加速していき、もはや一発ごとの打撃を区別することさえ難しくなっていた。
「──デクくんを、返せッ!!」
叫びとともに、トガは両腕の発条を限界まで駆動させた。
白い外骨格の肩部から背中にかけて硬質な軋みが響き、装甲の隙間から細かな破片が飛び散ったが、それでも彼女は拳を振るい続けた。
その動作に連動する大気の巨人もまた、巨大な腕を猛烈な勢いで動かし、海面から突き上がってくる黒い槍へ無数の拳を浴びせていった。
『ラビット・ホーン』の先端に深い亀裂が走り、続いて装甲の一部が剥離すると、露出した骨格へ次の拳が命中し、内部を支えていた支持構造が大きく歪んだ。
オール・フォー・ワンは咄嗟に槍の角度を変えようとしたが、すでに遅かった。
巨大な杭は無数の拳によって真正面から押さえ込まれており、攻撃を逸らすための余地も、後退するための機動力も、『ラビット・ホーン』には残されていなかった。
「──『ホワイト・ラビット』……!」
トガは叫び、白い外骨格の両腕が最後の加速へ入った。
発条が限界まで圧縮され、次の瞬間には猛烈な勢いで解放される。
右拳、左拳、右拳、左拳と続く連続打撃は、もはや個々の動作を認識できないほどの速度へ達しており、それに連動する大気の巨人もまた、巨大な拳を嵐のように叩き込んでいた。
「──スタンピードッ!!」
最後の一撃が、黒い槍の中心を捉えた。
轟音とともに『ラビット・ホーン』の先端が完全に砕け、その衝撃が槍の内部を伝わって、海中に残されていた支持骨格まで一気に破壊していった。
巨大な杭を構成していた黒い装甲と骨組織が次々と砕け散り、海面から海底へ向かって破壊が連鎖する中、ついには槍の基部まで衝撃が到達し、オール・フォー・ワンの身体が海底へ押し戻された。
黒い外骨格を支えていた脚部の固定が外れ、砕けた岩盤が周囲へ飛び散ると、彼は巨大な槍の残骸ごと海底へ叩きつけられた。
その直後、大気の巨人が繰り出した最後の拳が海面を押し潰し、凄まじい水圧となって海中へ伝わることで、黒い外骨格はさらに深く岩盤へめり込んでいった。
海面が、爆発した。
巨大な水柱が幾本も噴き上がり、周囲の海水が白い霧となって空中へ広がっていく。
遅れて発生した衝撃波が海岸道路を走り抜け、崩れかけていた防波堤の一部が音を立てて崩落した。
「──うわあああっ!?」
お茶子はジェントルに庇われながら、その光景を見つめていた。
海の上では、白い外骨格を纏った少年がようやく拳を止めており、トガは両腕を前方へ突き出した姿勢のまま、荒い呼吸を繰り返していた。
白い装甲の表面には幾つもの亀裂が走り、肩や肘の関節部からは過剰な負荷によって生じた細かな破片が剥がれ落ちていたが、それでも彼女は最後まで『ホワイト・ラビット』の形態を維持していた。
そして、眼下には、もう巨大な槍が存在していなかった。
黒い『ラビット・ホーン』は無数の拳によって完全に粉砕され、海面には砕けた装甲の破片が幾つも浮かんでいた。
「すご……」
お茶子が呆然と呟いたが、ジェントルもまた言葉を失っていた。
彼らが目撃したのは、緑谷出久が編み出した二つの必殺技が真正面から激突する光景だった。
最大の一撃を追求した『ラビット・ホーン』と、圧倒的な手数と速度を追求した『スタンピード』。
そして、その勝敗を決したのは、後者へ『新秩序』を組み合わせるという、出久自身がまだ見せたことのない応用だった。
トガはゆっくりと拳を下ろした。
白い外骨格の内側では傷ついた身体が激しく痛んでおり、特に腹部の傷は、連続打撃によって生じた反動を受け続けたことで悪化していた。呼吸するたびに鋭い痛みが走っていたが、それでも彼女は海面から視線を逸らさなかった。
まだ終わっていない。
あの男がこの程度で倒れるとは思えなかったし、何より、彼が使っているのは出久の身体なのだから、トガは最後まで気を抜くつもりなどなかった。
海底には、まだオール・フォー・ワンがいる。
出久の身体を奪った男が。
トガはゆっくりと拳を握り締めた。
「……立って、来てください」
白い頭部装甲の内側から、出久と同じ声が漏れた。
「何度だって、叩き潰してあげます」
ただ、出久を取り戻したいという願いだけが彼女を突き動かしていた。
そして、その願いに応えるように、白い『ホワイト・ラビット』の内部では、六つの個性がなおも活動を続けていた。
彼女自身の『変身』を含めれば、七つ。
七つの個性因子が一つの肉体の中で同時に働いているという、人間が本来耐えられるはずのない状態でありながら、トガの身体は何の異常もないかのように動き続けていた。
強大な力を振るうための代償が痛みとして現れることはなく、彼女の身体が悲鳴を上げることもない。
ただ、目には見えないところで、トガヒミコという少女に残されていたはずの未来が、猛烈な勢いで失われ続けていた。