轟音が砂浜を揺るがした。
爆豪の掌から放たれた爆炎が、回転によって生じた勢いを乗せてオール・フォー・ワンの頭上から炸裂した。
閃光に続いて衝撃波が広がり、周囲の砂がまとめて吹き飛ばされる。
波打ち際の海面が大きく波立ち、崩壊した防波堤の残骸にまで砂粒が叩きつけられる中、爆心地から一つの人影が弾丸のように飛び出していった。
「──ぐ、おッ!?」
オール・フォー・ワンは咄嗟に両腕を交差させ、頭部への直撃を辛うじて防いだものの、海底での戦闘によって破損していた黒い『ホワイト・ラビット』は、もはや衝撃を受け止める役割を果たしていなかった。
『新秩序』による身体強化も、集中が乱れ解除されている。
腕部に残っていた装甲が砕け散り、爆風に押された身体は砂浜を何度も跳ねながら後方へ吹き飛ばされ、最後には崩れた防波堤の残骸へ背中から激突した。
鈍い衝突音とともに瓦礫が崩れ、もうもうと砂埃が舞い上がる。
一方、爆豪は攻撃の反動を利用して空中で姿勢を立て直すと、両掌から短い爆発を噴き出して砂浜へ着地した。
靴底が砂を深く抉り、勢いを殺しきれずに数メートルほど滑ったものの、片膝をつくこともなく踏み止まると、爆発の余熱が残る掌を軽く振った。
「……チッ。そのツラに爆破すると気分悪りィな」
不機嫌そうに吐き捨てながら、砂埃の向こうへ目を向ける。
手応えはあった。
防御された感触こそあったものの、まともに受け止められたわけではなく、あの爆発を浴びて無傷で済むとは考えにくい。
もっとも、相手がオール・フォー・ワンである以上、それだけで勝ったなどと思うほど爆豪は楽観的ではなかったし、奴が使っているのは緑谷出久の身体である。
その肉体がどれほど頑丈で、どれほど無茶な使い方に耐えられるのか、爆豪自身がよく知っていた。
「志村さん、応援要請と、その誘導を──」
上空へ向かって怒鳴りかけたところで、爆豪は言葉を止めた。
少し離れた場所に、もう一人の緑谷出久がいたのである。
「…………あ?」
白い外骨格に覆われた少年が、砂浜へ膝をついていた。
見慣れた緑色の髪に、そばかすの浮かんだ頬。
そして、『ホワイト・ラビット』の装甲。
色こそ違うものの、その姿は先ほど自分が吹き飛ばした相手と瓜二つであり、爆豪は思わず眉間に皺を寄せた。
ただし、よく見れば異常は明らかだった。
少年の頬から首筋にかけては、陶器が割れたような細かな亀裂が無数に走っている。
白い装甲のあちこちは砕け、肩から腕にかけても激しい戦闘による損傷が目立っていたが、それ以上に気になったのは、本人がまともに立ち上がることさえできないほど衰弱しているらしいことだった。
爆豪はその姿を眺め、それから先ほどオール・フォー・ワンを吹き飛ばした方向へ視線を戻した。
もう一度、白い外骨格の少年を見る。
「……なんで二人いんだよ」
「ば、爆豪君……!」
困惑した呟きに応じるように、少年の隣から声が上がった。
麗日お茶子だった。
彼女もまた、まともな状態ではなかった。
衣服は砂と血で汚れ、腕や脚には幾つもの擦り傷があり、疲労のためか立っているだけでも辛そうだったが、それでも白い外骨格の少年を庇うように身体を寄せている。
爆豪は二人の位置関係を確認し、改めて目の前の状況を整理した。
お茶子が、緑谷出久の姿をした誰かを守っている。
しかも、その誰かは白い『ホワイト・ラビット』を纏っており、本物の緑谷出久の身体を使っているオール・フォー・ワンと戦っていたらしい。
事情はさっぱり分からないが、心当たりが一つだけあった。
「……あー、そいつ。トガヒミコか」
爆豪がそう呟くと、白い外骨格を纏った少年が僅かに顔を上げ、緑谷出久の声で弱々しく返事をした。
「……あ、はい……」
声も顔も見慣れた幼馴染そのものだったが、ひび割れた頬に浮かんだぎこちない笑みと、爆豪を前にして妙に大人しくしている態度には覚えがない。
何より、本物の緑谷出久が別の場所にいることは、つい先ほど自分の手で吹き飛ばしたばかりなのだから間違いなかった。
「チッ、紛らわしい……」
トガは申し訳なさそうに笑ったものの、すぐに顔を歪めて俯いてしまった。
頬から首筋へ伸びた亀裂は呼吸に合わせて皮膚が動くたびに痛むらしく、白い装甲に覆われた指先が小刻みに震えている。
爆豪はその様子を一瞥すると、隣で彼女を支えているお茶子へ視線を向けた。
「おい、丸顔。そいつ、どうした」
「……ヒミコちゃん、デクくんの個性を使って戦ってくれたんだけど……そのせいで、身体が……」
「……個性?」
「うん。デクくんの個性を、いくつも同時に使って……」
お茶子はそこで言葉を詰まらせた。
彼女自身、トガの身体に何が起きているのか正確には理解できていないのだろう。
少なくとも、今ここで事情を一から説明している余裕がないことだけは、爆豪にも分かった。
周囲へ目を走らせれば、少し離れた防波堤の近くには、額から血を流した青山優雅が腰のベルトを押さえながら辛うじて立っている。
崩壊した防波堤に、大きく抉れた砂浜。沖合には巨大な波紋が残り、そこら中に黒い『ホワイト・ラビット』の残骸が散らばっていた。
自分が到着するまでの間に何があったのか、そのすべてを知る必要はなかった。
少なくとも、ここにいる連中がどれほど凄まじい戦闘を繰り広げていたのかは、容易に想像できた。
「……チッ」
爆豪が舌打ちして瓦礫の向こうへ視線を戻したところで、崩れた防波堤の奥からコンクリートの破片が転がり落ちる音が聞こえてきた。
あの程度でくたばるような相手ではないことなど、最初から分かっている。
それでも、もう少し大人しくしていてくれればありがたかった。
「乱暴な挨拶だ、爆豪勝己君」
砂埃の向こうから姿を現した緑谷出久は、泥花市で見た時とは比べものにならないほど酷い有様だった。
黒い『ホワイト・ラビット』はもはや原形を留めておらず、右腕の装甲は完全に失われ、胸部から腹部にかけて残っていた外骨格も先ほどの爆発によって粉々に砕け散っている。
腰部に辛うじて残っていた支持骨格は大きく歪み、歩くたびに耳障りな軋みを立てていたが、それさえ途中で鬱陶しくなったらしく、オール・フォー・ワンは腰の装甲を掴むと、乱暴に引き剥がして砂浜へ放り捨てた。
濡れた衣服の下から覗く少年の身体には、幾つもの傷や痣が刻まれていた。額には新たな裂傷が走り、口元からは血が流れ、右肩を動かす際には僅かに顔を顰めている。
呼吸も以前より明らかに荒くなっており、海底での戦闘や、それ以前から蓄積していた疲労までもが、その身体へ確実な影響を及ぼしているようだった。
それでも、オール・フォー・ワンは笑っていた。
「まさか泥花からここまで追いかけて来るとは思わなかったよ。……それにしても、志村菜奈の孫か。因果だね」
爆豪はその言葉に答えず、砂を踏み締めながらゆっくりと歩き始めた。
視線は正面に立つ少年へ固定されており、その身体のどこが傷つき、どの程度動けるのかを確かめるように、頭から爪先までを注意深く観察している。
「随分、仲間にボコられたみてぇだなあ」
露骨な嘲笑を含んだ言葉に、オール・フォー・ワンは僅かに眉を上げた。
「……仲間?」
「ああ。見りゃ分かんだろ。テメェが散々見下してた連中だよ」
爆豪は顎をしゃくり、背後にいる三人を示した。
「トガヒミコも、丸顔も……なんか知らねえ居る青山優雅も、どいつもこいつもボロボロになってやがるが、テメェも大概じゃねえか。随分と派手にやられたもんだなあ、おい」
オール・フォー・ワンは一瞬、意外そうな表情を浮かべたものの、すぐに自分の身体へ視線を落とした。
「まったくもって、その通りだよ。遠慮なく囲んで殴られて、このざまだ」
「その厨二な鎧はどーしたんだよ。張り直さねえのかあ? それとも、もうそんな余裕もねぇか」
その質問に、オール・フォー・ワンはすぐには答えなかった。
代わりに右手を軽く持ち上げると、指先から手首にかけて黒い鱗状の装甲が僅かに浮かび上がった。
皮膚の表面から硬質な組織が伸び、互いに噛み合うように形を整え始めたものの、その動きは途中で止まり、形成されかけた外殻は不完全なまま崩れ落ちてしまう。
「……まあ、さすがに使いすぎたかな」
困ったように肩を竦めるオール・フォー・ワンを見て、爆豪は口元を吊り上げた。
「ガス欠かよ。だっせえなあ、魔王」
その言葉に、オール・フォー・ワンの表情が僅かに変わった。
ほんの一瞬、口元に浮かべていた笑みの奥から愉悦が消え、代わりに冷たい光が目に宿る。
爆豪は見逃さなかった。
確実に消耗している。呼吸は荒く、右肩の動きも鈍い。
脚へ体重をかける際には膝が僅かに揺れ、何より、先ほど失敗した『ホワイト・ラビット』の再構築を試みようとしない。
いや、できないのだろう。
肉体の損傷か、個性の連続使用による負荷か、あるいはその両方なのかは分からない。
だが、少なくとも今のオール・フォー・ワンには、全身を覆う外骨格を再び展開するだけの余力が残されていない。
爆豪は泥花市で対峙した時の緑谷出久を思い返していた。
強靱な肉体に、異常な瞬発力、『ホワイト・ラビット』、『
しかし、今は違う。
目の前にいるのは、すでに何度も攻撃を受け、外骨格を失い、呼吸を乱し、まともに立っていることさえ辛そうな緑谷出久だった。
ここで時間を与えれば損傷した肉体を立て直してくるかもしれない。
そうなれば、次に同じだけの隙を作れる保証はなかったし、トガもお茶子も青山も、もはや戦闘を続けられる状態ではない。
何より、あの身体は緑谷出久のものなのだ。
これ以上、好き勝手に使わせるわけにはいかなかった。
爆豪は両手をゆっくりと開き、掌に滲んだ汗の感触を確かめながら腰を落とした。
「……さて、どうするつもりだい?」
オール・フォー・ワンは薄く笑いながら、右手を軽く持ち上げた。
「まさか、また幼馴染を虐めるのかい? 酷いじゃないか、かっちゃん」
「殺す……」
爆豪は吐き捨てると同時に、地面を蹴った。
両掌から爆炎が噴き出し、砂浜を抉りながら身体が一気に加速する。
踏み込みによって得られた初速に爆破の推進力を加えたその突進は、通常の人間であれば視線で追うことさえ難しい速度に達しており、爆豪は低い姿勢を維持したまま、正面に立つ緑谷出久との距離を瞬く間に詰めていった。
対するオール・フォー・ワンは、咄嗟に右腕を突き出した。
進路を塞ぐように開かれた掌を見た瞬間、爆豪の背筋を冷たいものが走る。
あの手に触れてはいけない。
そう判断するより早く、身体が反応していた。
近接戦形『
右掌から横方向へ連続した小規模な爆発を放ち、直進していた軌道を強引に捻じ曲げる。
爆風によって身体が左へ押し出され、オール・フォー・ワンの指先が目の前を通り過ぎた。
ほんの数十センチ、あるいはそれ以下の距離だったが、爆豪はそのまま左掌からも爆発を放ち、相手の側面へ滑り込むように回り込んだ。
緑谷出久の身体には『
対象に触れ、その名前を呼んで新たなルールを課す個性であり、使い方次第では、触れた相手をその場で死に至らしめることさえ可能だった。
さらに、オール・フォー・ワン自身の個性である『AFO』も健在なのだから、あの掌は単なる攻撃手段ではなく、触れた相手から個性そのものを奪い取ることのできる恐ろしい凶器でもある。
どちらを使われるにせよ、まともに掴まれれば終わりだった。
「──チョロチョロと」
オール・フォー・ワンが身体を捻り、爆豪の動きを追おうとする。
しかし、その時にはすでに遅かった。
爆豪は右掌を後方へ向けて爆破し、相手の視界から完全に外れるように加速した。
砂を巻き上げながら背後へ回り込み、振り返ろうとする緑谷出久の肩を視界の端に捉えると、その動きに合わせて身体を捻る。
「──オラァッ!!」
振り上げた右脚が、オール・フォー・ワンの背中へ叩き込まれた。
「ぐ、おッ!?」
衝撃によって緑谷出久の身体が前方へ弾き飛ばされ、砂浜を数メートルほど滑っていく。
咄嗟に両腕を突き出して地面へ手をついたものの、勢いを殺しきれずに肩から砂へ転がり、ようやく膝をついたところで動きを止めた。
爆豪は着地と同時に追撃へ移ろうとしたが、オール・フォー・ワンが顔を上げ、再び右手をこちらへ向けたのを見て、即座に進路を変更した。
真正面から突っ込めば、あの掌に触れる。
そう分かっている以上、いくら相手が弱っていようと、迂闊に攻撃を仕掛けるわけにはいかなかった。
爆豪は左へ大きく跳び、右掌から小さな爆発を連続して噴き出すことで、空中で軌道を変えた。オール・フォー・ワンが腕を動かして追ってくると、今度は左掌を使って反対側へ加速し、相手の視線が追いつくより早く、さらに背後へ回り込む。
線香花火を思わせる儚くも鋭い火花が、緑谷出久の周囲で次々と弾けた。
「……なるほど、これは……!」
オール・フォー・ワンは目を細めた。
爆豪は単純に高速で移動しているのではない。
両掌から放つ爆発の方向と威力を細かく調整し、前後左右へ不規則に軌道を変えることで、常に自分の死角を取ろうとしているのだ。
それも、決して手の届く範囲へ不用意に踏み込まない。
攻撃の瞬間だけ距離を詰め、打撃を加えた直後には爆破の反動で離脱する。
その動きは徹底しており、オール・フォー・ワンが掌を向けようとするたびに、爆豪は即座に軌道を変更していた。
本来なら、緑谷出久の『五感強化』によって、その高速移動にも十分対応できたはずだった。
しかし、今のオール・フォー・ワンは肉体の損傷に加え、長時間に及ぶ戦闘で著しく消耗している。
感覚が爆豪の動きを捉えたとしても、それに身体を追従させるだけの余力が残されていなかった。
爆豪もまた、そのことに気づいていた。
相手の視線は確かに自分を追っているし、爆発の音にも反応している。
攻撃を仕掛けようとすれば必ずこちらへ掌を向けようとしてくるものの、その動きは泥花市で対峙した時とは比べものにならないほど鈍く、爆豪が軌道を変えるたびに僅かな遅れが生じていた。
その遅れを見逃す爆豪ではなかった。
「──遅ぇんだよッ!!」
右掌から放った爆発で一気に加速し、オール・フォー・ワンの左側面へ飛び込む。
相手が反射的に左腕を振り上げた瞬間、爆豪は身体を低く沈めてその下を潜り抜け、すれ違いざまに左脚を払った。
「──ッ!?」
緑谷出久の身体が大きく傾き、オール・フォー・ワンは咄嗟に右手を地面へついて転倒を防ごうとしたものの、爆豪はその動きに合わせて背後へ回り込み、今度は左掌から放った爆発の反動を利用して、相手の腰へ膝を叩き込んだ。
鈍い打撃音とともに身体が前方へ押し出される。
「ぐッ……この……!」
しかし、今度は転がらなかった。
オール・フォー・ワンは『剛躯』によって下半身の筋肉を強化し、砂浜を深く踏み締めて踏み止まると、背後にいる爆豪へ向かって右腕を振り抜いた。
掌が開かれ、その指先が自分へ向かって伸びてくるのを見た瞬間、爆豪は舌打ちしながら左掌から爆発を放った。
「──チッ!」
後方へ跳んだ爆豪を追うように、オール・フォー・ワンの腕がさらに伸びる。
『筋骨発条化』によって強化された肩と腕が一気に伸展し、開かれた五本の指が爆豪の胸元へ迫った。
回避が間に合わない。
そう悟った爆豪は、反射的に右掌を相手の腕へ向けた。
轟音とともに爆風が二人の間で炸裂し、オール・フォー・ワンの腕を弾き飛ばすと同時に、爆豪自身の身体も後方へ押し出される。
空中で姿勢を立て直し、両掌から小さな爆発を連続して放つことで着地の衝撃を殺したものの、靴底が砂浜を滑る間、額には冷たい汗が滲んでいた。
「……ッぶねえ……!」
相手が弱体化しているからといって、決して無力になったわけではない。
全身を覆う外骨格を作り直せなくとも、部分的に個性を使うだけなら十分に可能らしい。
爆豪は出久の持つ複数個性の詳細を知らない。
だが、これまでの戦闘で見せられた異常な身体能力や装甲、そしてオール・フォー・ワンの戦い方から、それぞれがどのような性質を持つ個性なのかは、おおよそ見当がついていた。
「……はは、なるほどね」
オール・フォー・ワンはゆっくりと右腕を下ろした。先ほど爆発を受けた前腕には新たな火傷が広がり、指先も僅かに震えていたが、その顔には相変わらず薄い笑みが浮かんでいる。
「君は随分と、この手を警戒しているようだね」
「当たり前だろうが。穴の開いた気色わりい手なんざ、誰が好き好んで触るかよ」
「おや、異形差別かい? さすがはいじめっ子だ」
爆豪はその挑発を無視した。
相手が掌を向けてくるなら、その外側へ回ればいい。
振り返ろうとするなら、振り返るより早く反対側へ移動すればいい。
身体能力で劣っているのなら、爆破による加速と軌道変更を徹底し、相手にこちらの位置を定めさせなければいい。
幸い、今のオール・フォー・ワンには、その動きへ完全に対応するだけの余力がない。
「──まだまだ行くぞ、クソ野郎ッ!!」
爆豪は両掌から爆炎を噴き出し、再び砂浜を蹴った。
今度は真正面からではなく、大きく右へ弧を描くように加速する。
オール・フォー・ワンが身体を捻って追ってくると、爆豪は右掌の爆発を強め、空中で進路を急激に変更した。
右側から迫ると見せかけて左へ抜け、左から攻撃すると見せかけて背後へ回り込む。
オール・フォー・ワンが防御のために腕を上げれば、その腕を避けて脚を狙い、下半身を強化して踏み止まろうとすれば、今度は上体へ打撃を加える。
線香花火を思わせる細かな閃光が次々と弾け、砂浜の上に幾つもの煙の筋が描かれた。
爆豪は攻撃を重ねるごとに、相手の反応が鈍くなっていることを実感していた。
最初は辛うじて追いついていた視線が次第に遅れ、伸ばされる腕も、踏み込む脚も、以前のような鋭さを失いつつある。
しかし、それでもオール・フォー・ワンは倒れなかった。
緑谷出久の身体は確かに強靱であり、多少の打撃を受けた程度では簡単に戦闘不能へ追い込めない。
相手は数え切れないほどの戦闘経験を持つオール・フォー・ワンである。
消耗しているからこそ、無駄な動きを避け、最小限の反撃で爆豪を捕らえようとしていた。
「なかなか……!」
オール・フォー・ワンが苦し紛れに右腕を振り抜いた。
爆豪はその動きを見た瞬間、右掌から爆発を放って身体を沈め、伸びてきた腕の下を潜り抜ける。
続けて左掌を後方へ向け、爆炎の推進力を利用して一気に背後へ回り込むと、振り返ろうとした緑谷出久の背中へ向かって右脚を振り上げた。
「──何度も同じ手ェ食らってんじゃねえよッ!!」
踵が背中へ叩き込まれ、オール・フォー・ワンの身体が大きく前のめりになる。
爆豪はそのまま追撃しようとしたものの、相手が咄嗟に右手を後方へ伸ばしたのを見て、即座に爆破で距離を取った。
伸びてきた指先が空を切り、オール・フォー・ワンは勢いを殺しきれずに片膝を砂浜へつく。
「……ハッ。どうしたよ。さっきから手ェ伸ばしてばっかじゃねえか。そんなに俺の個性が欲しいんならよ、捕まえてみろやッ!!」
爆豪が再び加速しようと腰を落としたところで、オール・フォー・ワンの口元から笑みが消えた。
「……困ったものだ」
片膝をついたまま、オール・フォー・ワンはゆっくりと顔を上げた。
額から流れた血がそばかすの浮かんだ頬を伝い、顎の先から砂浜へ滴り落ちる。
「君は本当に、相手の嫌がることをするのが上手い。攻撃の瞬間だけ近づいて、こちらが手を伸ばせば逃げる。おまけに、僕がこの身体を壊したくないことまで見越しているんだろう?」
「だったら何だよ。泣き言か?」
「いやいや、褒めているんだよ。もっとも、僕としても、いつまでも君の遊びに付き合っているわけにはいかないけれどね」
オール・フォー・ワンは膝に手をつき、ゆっくりと立ち上がった。
その動作は明らかに鈍く、立ち上がった直後には僅かに身体が揺れたものの、爆豪は追撃を仕掛けなかった。
相手の声に含まれた妙な余裕が気にかかったこともあるが、それ以上に、オール・フォー・ワンが自分へ向けていた右手を下ろし、代わりに頭上へ視線を向けたことが気になったのである。
「……あ?」
「言っておくがね、爆豪勝己君」
オール・フォー・ワンは、ゆっくりと右腕を持ち上げた。
その掌が触れているのは、爆豪でも砂浜でもない。
二人の頭上に広がる、大気そのものだった。
「──言っておくが、派手に戦わないのは、僕の優しさでもあったんだぜ!」
その言葉を聞いた瞬間、爆豪の表情が強張った。
相手が何をしようとしているのか、理解するまでに時間はかからなかった。
『新秩序』は必ずしも人間へ直接触れる必要のある個性ではなく、周囲に存在する物質や環境そのものへルールを課すこともできる。
そして、今のオール・フォー・ワンが手を翳しているのは、砂浜一帯を満たす大気だった。
「『
「──ッ、テメェ!!」
爆豪は咄嗟に両掌を後方へ向けた。
何を命じるつもりなのかは分からない。
大気を消し去るのか、圧縮するのか、あるいは周囲の人間をまとめて押し潰すような性質を与えるのか。
いずれにせよ、あの男が『新秩序』を使って大気そのものへ干渉しようとしている以上、発動を許せば自分一人が回避するだけでは済まなくなる。
爆豪の背後には、まともに動くことさえできないトガとお茶子がいる。
さらに、防波堤の近くには青山や動けない敵連合のメンバーもいた。
相手が自分の周囲だけを攻撃してくれる保証など、どこにもなかった。
「大気は──」
オール・フォー・ワンが宣言を続けようとした、その瞬間だった。
青白い閃光が、横合いから砂浜を切り裂いた。
「──ッ!?」
光が見えた時には、すでにオール・フォー・ワンの目前へ迫っていた。
轟音とともに放たれた一条のレーザーが、頭上へ掲げられていた右腕を掠め、そのまま背後の防波堤へ突き刺さる。
爆発とは異なる鋭い衝撃音が響き、コンクリートの表面が赤熱して砕け散った。
「ぐッ!?」
オール・フォー・ワンは反射的に身を捻り、右腕を引き戻した。
言いかけていた宣言が途切れ、対象へ課されるはずだった新たなルールは完成しないまま終わる。
驚いたように顔を向けた先には、崩れた防波堤の残骸へ片手をつきながら、辛うじて立っている青山優雅の姿があった。
「ああ、クソ……本当に鬱陶しい!」
オール・フォー・ワンが吐き捨てた時には、すでに爆豪の姿が視界から消えていた。
両掌から細かな爆発を連続して放ち、身体を低く沈めながら左側面へ回り込む。
相手の視線が青山から自分へ戻るより早く、爆豪は右掌を後方へ向けて一際大きな爆発を起こし、その推進力を利用して一気に距離を詰めた。
「──余所見してんじゃねえぞッ!!」
「──ッ!?」
オール・フォー・ワンが振り返ろうとした瞬間、爆豪の左掌がその脇腹へ向けられた。
至近距離で爆炎が炸裂し、緑谷出久の身体が横方向へ大きく弾き飛ばされる。
『剛躯』によって強化された肉体は辛うじて衝撃に耐えたものの、すでに限界近くまで酷使された筋肉では踏み止まることができず、オール・フォー・ワンは砂浜を数メートルほど滑りながら、片膝をついて体勢を立て直そうとした。
だが、爆豪は追撃の手を緩めなかった。
着地するより早く左掌から小さな爆発を放ち、身体を捻りながら相手の背後へ回り込む。
振り返ろうとするオール・フォー・ワンの肩越しに右腕がこちらへ伸びてくるのが見えたものの、爆豪はその動きを予測していたかのように急激に軌道を変更し、開かれた掌の外側へ滑り込んだ。
「オラァッ!!」
右脚が緑谷出久の背中へ叩き込まれ、前のめりになった身体が再び砂浜へ転がった。
爆豪はそのまま上空へ跳び上がると、両掌を下方へ向けて爆発を放った。
砂浜へ叩きつけられた爆風が周囲の砂を巻き上げ、オール・フォー・ワンの身体を地面へ押しつけるように広がっていく。
「ぐッ……く……!」
オール・フォー・ワンは両腕で頭部を庇いながら、歯を食いしばった。
青山の妨害によって生まれた僅かな隙を利用し、爆豪は相手が『新秩序』を発動する暇を与えないよう、次から次へと爆発を浴びせていた。
単に敵を追い詰めるためではない。少しでも攻撃の手を緩めれば、あの男は再び大気へルールを課そうとするだろう。
だからこそ、止まるわけにはいかなかった。
しかし、オール・フォー・ワンもただ攻撃を受け続けているわけではなかった。
爆風が弱まった瞬間を見計らい、『筋骨発条化』によって右脚の筋肉を収縮させると、砂浜を蹴って一気に跳躍する。
爆豪の攻撃範囲から離脱すると同時に、空中で身体を捻りながら右腕を伸ばし、追撃してくるであろう相手へ掌を向けた。
しかし、その時にはすでに爆豪が進路を変更していた。
「──見えてんだよッ!!」
右掌から放たれた爆発によって身体が横方向へ押し出され、オール・フォー・ワンの指先が空を切る。
爆豪はそのまま相手の背後へ回り込み、左掌を突き出すと、ほとんど間を置かずに爆炎を炸裂させた。
爆風に押された緑谷出久の身体が空中で大きく傾き、姿勢を立て直そうとしたところへ、さらに右側から爆発が襲いかかる。
「──ぐあッ!?」
オール・フォー・ワンは咄嗟に両腕を交差させ、頭部への直撃を防いだものの、爆発の衝撃までは殺しきれず、そのまま砂浜へ叩き落とされた。
轟音とともに砂が噴き上がり、周囲へ大きな砂埃が広がっていく。
爆豪は空中で身体を捻り、両掌から短い爆発を放って着地すると、すぐさま砂埃の向こうへ視線を向けた。
「……ハァッ、ハァッ……!」
呼吸が荒くなっていた。
『
掌から滲み出る汗の量も増え、指先には微かな痺れが生じていたが、それでも爆豪は両手を開いたまま、次の攻撃へ備えていた。
砂埃の向こうから、ゆっくりと人影が立ち上がる。
「……若いね……!」
オール・フォー・ワンは口元の血を拭いながら、苦々しげに顔を歪めた。
右肩は大きく腫れ上がり、左腕にも新たな火傷が広がっている。
黒い『ホワイト・ラビット』はもはや一片たりとも残っておらず、破れた衣服の下からは、幾つもの痣と擦過傷に覆われた身体が覗いていた。
それでも、立ち上がってくる。
爆豪はその姿を見据えながら、奥歯を強く噛み締めた。
攻撃は通っているし、相手が弱っていることも確かだ。
しかし、何度殴ろうと、何度爆破しようと、オール・フォー・ワンは倒れない。
『剛躯』によって強化された緑谷出久の身体は、外骨格を失った状態でもなお十分な耐久力を備えており、多少の攻撃を浴びせたところで簡単に戦闘不能へ追い込める相手ではなかった。
「……クソが」
相手が普通のヴィランであれば、もっと強力な爆破を叩き込んでいる。
多少怪我が残ろうと、命を奪わない範囲で徹底的に叩き潰し、二度と立ち上がれないようにすることもできただろう。
しかし、今の相手は緑谷出久だ。
正確には、その身体を奪ったオール・フォー・ワンであり、爆豪が攻撃するたびに傷ついているのは、取り戻さなければならない幼馴染の肉体なのである。
だからこそ、頭部や胸部への直撃を避け、できるだけ四肢や胴体の側面へ攻撃を集中させている。
骨折や内臓損傷を引き起こしかねない威力も極力抑えており、その結果として、相手の動きを鈍らせることはできても、完全に意識を奪うほどの決定打には至っていなかった。
何より厄介なのは、オール・フォー・ワンがその事情を理解していることだった。
「ふふ、どうしたんだい、爆豪勝己君」
オール・フォー・ワンは荒い呼吸を繰り返しながら、口元に笑みを浮かべた。
「中学の時みたいに、僕を虐められて満足かい? かっちゃん」
「さっきからウゼェな……てめえ」
爆豪は吐き捨てたものの、その胸中には焦燥が募り始めていた。
先ほどの『新秩序』は、青山の『ネビルレーザー』によって辛うじて中断させることができた。
しかし、それはあくまで偶然に近い好機であり、次も同じように妨害できる保証などどこにもない。
青山はすでに限界を迎えている。
少し離れた防波堤の近くでは、腹部を押さえた青山が膝をつき、荒い呼吸を繰り返していた。
先ほどのレーザーを撃つために最後の力を振り絞ったらしく、もはや立ち上がることさえ難しそうだった。
トガも、お茶子も同じである。
爆豪は一瞬だけ背後へ視線を向けた。
お茶子は白い『ホワイト・ラビット』を纏ったトガの身体を支えながら、こちらの戦闘を見守っている。
トガの頬に走った亀裂は先ほどよりも広がっているように見え、肩や腕を覆っていた白い装甲も、ところどころが剥がれ落ちていた。
これ以上、あの二人を戦わせるわけにはいかない。
青山にしても、次の一発を期待するのは無理がある。
そして、志村転孤が上空から援護してくれるとしても、『新秩序』によって大気そのものへルールを課されてしまえば、空中にいる彼も無事では済まない可能性があった。
つまり、次にオール・フォー・ワンが大規模な『新秩序』を発動しようとした時、それを止められるのは自分しかいないのだ。
攻撃を続ければ、相手は確実に弱っていく。
だが、その間に一度でも『新秩序』の発動を許してしまえば、それまで積み重ねてきた優位など一瞬で消し飛ぶ。
大気を操作して周囲の酸素を奪われるかもしれないし、爆発そのものを封じるようなルールを課される可能性だってある。
爆豪自身が『新秩序』の詳細な能力を把握しているわけではない。
泥花市での戦闘や、先ほどのオール・フォー・ワンの言動から危険性を推測することはできても、実際にどこまでのことが可能なのか、その限界を正確に知っているわけではなかった。
相手が何をしてくるか分からない以上、発動させないことが唯一確実な対策だった。
しかし、そのためには攻撃を続けなければならない。
攻撃を続ければ、自分も消耗する。
そして、自分が消耗すればするほど、オール・フォー・ワンが『新秩序』を発動する機会は増えていく。
爆豪はその悪循環を理解しながらも、他に取れる手段が思いつかなかった。
(……動きながら、考えるしかねえ)
爆豪は再び地面を蹴った。
両掌から細かな爆発が連続して放たれ、身体が低い軌道を描きながら加速する。
オール・フォー・ワンが反射的に右腕を伸ばしたものの、爆豪はその動きを見越していたかのように左へ進路を変え、伸びてきた掌の外側へ滑り込んだ。
続けて右掌を後方へ向け、爆発の推進力を利用して一気に背後へ回り込む。
「──ッ、また……!」
オール・フォー・ワンが振り返ろうとした瞬間、爆豪は左掌をその背中へ向けた。
至近距離で爆炎が炸裂し、緑谷出久の身体が前方へ大きく押し出される。
爆豪はその反動を利用して空中へ跳び上がると、今度は相手の頭上から右掌を突き出し、地面へ叩きつけるように爆発を放った。
轟音とともに砂浜が抉れ、オール・フォー・ワンの身体が爆風に押されて膝をつく。
しかし、爆豪はそこで追撃を止めた。
相手の右腕が、再び頭上へ持ち上げられようとしていたからだ。
「──ッ、させるかよ!!」
爆豪は咄嗟に左掌から爆発を放ち、空中で身体を捻りながら相手の側面へ回り込んだ。
右腕が完全に上がるより早く、爆炎を伴った蹴りを肩口へ叩き込む。
「ぐッ!?」
オール・フォー・ワンの身体が大きく傾き、掲げられかけた右腕が下がった。
爆豪はそのまま追撃しようとしたものの、相手が反射的に左手を伸ばしてきたため、即座に爆破で距離を取った。
伸びてきた指先が空を切り、オール・フォー・ワンは舌打ちしながら体勢を立て直す。
その様子を見て、爆豪は改めて焦燥を覚えた。
今の攻撃も、確かに通っている。
だが、倒せない。
何度も爆破を浴びせ、蹴り飛ばし、相手の動きを封じようとしているのに、決定的な一撃には至らない。
かといって、さらに威力を上げれば緑谷出久の身体そのものを破壊しかねず、相手の意識を奪うために頭部へ攻撃を集中させることもできなかった。
爆豪は荒く息を吐きながら、掌を開閉した。
指先が僅かに震えている。
汗は十分に出ているものの、連続した爆破によって両腕の筋肉が疲労し始めていた。
今はまだ問題なく動けるが、このまま同じ速度で攻撃を続けられる時間には限りがある。
そして、その限界が訪れるより早くオール・フォー・ワンを倒せるかと問われれば、確信など持てなかった。
(……クソッ、どうすりゃいい……!)
『
相手の動きを封じながら少しずつ体力を削り、最後には戦闘不能へ追い込むことも不可能ではないだろう。
しかし、現実にはそのような悠長な戦い方を許してくれる相手ではなく、ほんの一瞬でも隙を見せれば、先ほどのように大気そのものへルールを課そうとしてくる。
まるで、底の見えない沼へ足を踏み入れているような感覚だった。
「息が上がってきたんじゃないか?」
オール・フォー・ワンの言葉に耳を貸している暇などないし、何より相手が自分を挑発している間は、少なくとも『新秩序』を発動するための宣言を行っていない。
だったら、今のうちに攻撃を仕掛けるしかなかった。
爆豪は腰を落とし、両掌を後方へ向けた。
その時だった。
遠くから、低く唸るような音が聞こえてきた。
「……あ?」
最初は、波の音に混じった何かの振動かと思った。
しかし、すぐに違うと分かった。
一定の間隔で響く重低音が、徐々に大きくなっている。
耳障りな金属音を伴いながら、何かが高速で接近してくるようなその音は、爆発やレーザーの轟音とは明らかに異なっていた。
爆豪は眉を顰めた。
「……何だ?」
オール・フォー・ワンもまた、その音に気づいたらしい。
ゆっくりと顔を上げ、砂浜の向こうへ視線を向ける。
音は、海岸へ続く道路の方角から聞こえていた。
崩壊した防波堤の向こう、瓦礫が散乱する道路の先から、激しいエンジン音が近づいてくる。
高回転まで引き上げられたエンジンが甲高い唸りを上げ、何度も急激に回転数を変化させながら、こちらへ向かって猛然と接近している。
途中でタイヤが路面を擦るような音が混じり、続けてエンジンがさらに激しく唸ったことから、運転手が相当な速度で曲がり角を抜けてきたことが窺えた。
次の瞬間、崩壊した防波堤の向こうから、黒い車体が飛び出してきた。
道路と砂浜を隔てていたコンクリートの残骸を跳躍台代わりにしたらしく、大型バイクは前輪を大きく持ち上げたまま宙へ躍り出ると、エンジンを耳障りなほど唸らせながら砂浜へ向かって落下していく。
車体には幾つもの傷が刻まれ、前照灯の片方は砕けていたが、乗っている人物はそんなことなど気にも留めていない様子で、片手でハンドルを握りながら、もう片方の手を真っ直ぐ前方へ突き出していた。
その手には、黒い拳銃が握られていた。
「──ッ!?」
銃声が響いた。
乾いた破裂音がエンジンの轟音を切り裂き、銃口から放たれた弾丸がオール・フォー・ワンの顔面を目掛けて飛んでいく。
突然の乱入者に気を取られていた彼は、反射的に首を傾けてそれを回避したものの、続けざまに放たれた二発目が肩口を掠め、三発目が足元の砂を弾き飛ばしたことで、思わず後方へ跳び退いた。
「──なッ、何だ!?」
「……あ?」
爆豪もまた、目の前で起きていることを理解できずにいた。
バイクに乗った何者かが、拳銃を撃ちながらオール・フォー・ワンへ突っ込んでくる。
それだけでも十分に異常な光景だったが、何より理解しがたかったのは、運転手がまるで自分の命など惜しくないと言わんばかりの勢いで、相手との距離を縮めていることだった。
バイクが砂浜へ着地した。
前輪が砂を深く抉り、後輪が大きく横滑りする。
普通であればそのまま転倒していてもおかしくない着地だったが、運転手は片手でハンドルを捻り、車体を強引に立て直すと、再びアクセルを全開にした。
後輪が砂を巻き上げ、エンジンが悲鳴のような唸りを上げる。
そして、銃声が続いた。
「──ッ」
オール・フォー・ワンは顔を庇うように左腕を上げ、飛来する弾丸を避けながら後退した。
その様子を見ていたバイクの運転手が、包帯の隙間から覗く口元を歪めた。
「……ハッ」
笑った拍子に、血が零れた。
顔面の半分には、白い包帯が乱暴に巻きつけられていた。
火傷を覆い隠すためのものらしいが、巻き方はあまりにも雑で、ところどころから赤黒く変色した皮膚が覗いている。
包帯の端は血と滲出液で汚れ、頬から顎にかけては乾ききっていない血が幾筋も流れていた。
アメリカ国旗を模した着衣はあちこちが焼け焦げ、肩口から胸元にかけて血が広がっている。
バイクの振動が身体へ伝わるたびに苦痛が走るらしく、ハンドルを握る腕は小刻みに震え、呼吸に合わせて肩が不自然に上下していた。
それでも、彼女はアクセルを緩めなかった。
「……あ、あいつ……!」
爆豪が目を見開いた。
見覚えがあった。
金色の長い髪に、星条旗を思わせる装い。
そして、火傷によって半ば覆い隠されてはいるものの、その顔立ちにも、あの異様なまでに堂々とした立ち振る舞いにも、確かな記憶があった。
「──スターアンドストライプ!?」
アメリカ合衆国のナンバーワンヒーロー。
かつてオールマイトに憧れ、その背中を追い続けた女が、満身創痍の姿で戦場へ帰ってきていた。
もっとも、その姿を英雄の帰還などと呼ぶには、あまりにも酷い有様だった。
「ゲホッ……ゴホッ、ぐ……! 置いてくなんて酷いじゃない! 」
スターアンドストライプは激しく咳き込み、口元から血を吐き出した。
吐き出された血が風に流され、胸元やバイクの燃料タンクへ飛び散る。
明らかに内臓へ深刻な損傷を負っているらしく、呼吸するだけでも苦痛を伴っていることが窺えたが、それでも彼女は片手でハンドルを握り続け、もう片方の手に持った拳銃をオール・フォー・ワンへ向けていた。
「──おいおい……!」
オール・フォー・ワンの表情が変わった。
先ほどまで爆豪を相手に浮かべていた薄笑いが消え、代わりに驚愕と警戒が入り混じった表情が浮かぶ。
「もう君に用は無いって言ったろう……」
その問いかけに、彼女は答えなかった。
代わりに、拳銃の引き金を引いた。
銃声が二度続き、オール・フォー・ワンは反射的に顔を背ける。
弾丸は頬のすぐ横を通過し、背後の砂浜へ突き刺さったが、スターアンドストライプは命中したかどうかを確かめようともせず、さらに引き金を引く。
カチン、と。
乾いた金属音が鳴った。
「……チッ」
スターアンドストライプは拳銃を一瞥すると、何の未練もなく砂浜へ投げ捨てた。
銃は車体の後方へ転がり、砂を巻き上げながら遠ざかっていく。
彼女はようやく両手でハンドルを握った。
その口元には、血に濡れた笑みが浮かんでいた。
(……避けた)
スターアンドストライプは、オール・フォー・ワンの動きを思い返した。
最初の一発。顔面を狙った銃弾に対し、奴は明らかに回避行動を取っていた。
続く二発目も、三発目も同じであり、弾丸が命中する可能性を極端に嫌っているように見えた。
もちろん、それだけで身体強化が解除されていると断定することはできない。
顔面への攻撃を嫌っただけかもしれないし、単純に反射で動いた可能性もある。
『
(身体強化を解除している……)
スターアンドストライプは目を細めた。
(いや、他のルールを付与しているのか。それとも、付与し直すほどの余裕が残っていない……)
『
別の対象へ新たなルールを課すために、自分自身への強化を解除している可能性は十分に考えられた。
あるいは、これまでの戦闘によって肉体が限界を迎え、強化された身体能力を十分に発揮できなくなっているのかもしれない。
どちらにせよ、目の前の男が万全の状態ではないことだけは確かだった。
先ほどから爆豪の攻撃を受け続けているらしく、全身には幾つもの火傷と打撲が刻まれ、呼吸も荒い。
黒い外骨格は失われ、動きも鈍くなっている。
身体強化が解除されているのか、他のルールを優先しているのか、あるいは付与し直す余裕さえないのか。
理由など、今はどうでもよかった。
(──なんにせよ)
スターアンドストライプは、血に濡れた歯を剥き出しにした。
(──今が好機!!)
アクセルを限界まで捻った。
エンジンが凄まじい轟音を上げ、後輪が砂を巻き上げながら空転する。次の瞬間、タイヤが砂浜を捉え、大型バイクは弾丸のように加速した。
「おいおい──」
「──オオオオオオオオオオオオッ!!」
スターアンドストライプの咆哮が、エンジンの轟音に重なった。
叫んだ直後、喉の奥から血が込み上げ、口元から赤い飛沫が散ったものの、彼女は構わず身体を前傾させ、ハンドルへしがみつくようにして突進を続けた。
オール・フォー・ワンは咄嗟に右腕を持ち上げた。
しかし、遅い。
バイクはすでに目前まで迫っていた。
「──ッ、無茶苦茶だな!」
彼は反射的に横へ跳ぼうとしたが、爆豪との戦闘で酷使された脚は思うように動かず、砂浜を蹴った瞬間、右膝に鋭い痛みが走った。
その僅かな遅れを、スターアンドストライプは見逃さなかった。
ハンドルを切り、逃げようとする相手へ車体の進路を合わせる。
前輪が砂を抉り、後輪が横滑りしながらも、巨大な車体は勢いを失うことなくオール・フォー・ワンへ迫っていった。
「ノースタントォ!」
次の瞬間、大型バイクの前輪が緑谷出久の身体へ激突した。
凄まじい衝突音が響き、オール・フォー・ワンの身体が大きく折れ曲がる。
前輪が腰から太腿にかけてを捉え、車体の勢いをまともに受けた少年の身体が後方へ弾き飛ばされると同時に、バイクのフロントフォークが激しく歪んだ。
「──が、はッ!?」
オール・フォー・ワンの口から血が噴き出した。
衝突の衝撃によって身体が宙へ浮き、数メートルほど吹き飛ばされた後、背中から砂浜へ叩きつけられる。
勢いを殺しきれずに何度も転がり、最後には大きく抉れた砂地へ落ち込んだ。
一方、スターアンドストライプのバイクもまた、無事では済まなかった。
前輪が大きく歪み、車体が横方向へ跳ね上がる。
衝突の反動でハンドルを取られた彼女は、咄嗟に両腕へ力を込めて姿勢を維持しようとしたものの、すでに傷ついた身体ではその衝撃を受け止めきれず、車体ごと砂浜へ投げ出された。
金属が擦れる耳障りな音が響き、横倒しになったバイクが砂を巻き上げながら滑っていく。
スターアンドストライプの身体もまた、砂浜を転がった。
「──ぐッ、あ……!」
肩から地面へ叩きつけられ、肺に残っていた空気が一気に押し出される。
火傷に覆われた顔面が砂を擦り、包帯の一部が剥がれかけたものの、彼女は両腕で頭部を庇いながら身体を丸め、どうにか転がる勢いを殺した。
ようやく動きが止まった時には、口元から再び大量の血が零れていた。
「……ゲホッ、ゴホッ……!」
スターアンドストライプは片肘をつき、砂浜へ血を吐き出した。
呼吸をするたびに胸の奥が焼けるように痛み、視界の端が黒く滲んでいる。
衝突によって肋骨の何本かが折れたのか、あるいは元から負っていた損傷が悪化したのか、もはや本人にも判断がつかなかったが、それでも彼女は顔を上げ、オール・フォー・ワンが吹き飛ばされた方向へ視線を向けた。
そこでは、緑谷出久が立ち上がろうとしていた。
「……く、そ……!」
オール・フォー・ワンは片手を砂浜へつき、もう片方の手で腹部を押さえていた。
バイクの直撃を受けた腰から太腿にかけては衣服が大きく裂け、皮膚には赤黒い痣が広がっている。
右脚を動かすたびに顔が歪み、立ち上がろうとしても膝が思うように伸びないらしく、何度か体勢を崩していたが、それでも彼は歯を食いしばり、どうにか上体を起こそうとしていた。
「……前やった時はこけずに出来たんだけどね、歳かな」
スターアンドストライプは掠れた声で呟くと、腰へ手を伸ばす。
ベルトの右側には、小型の器具が装着されていた。
表面には幾つもの継ぎ目が走り、中央には小さな赤いランプが点滅している。
スターアンドストライプはそれを掴むと、親指で側面の安全装置を解除し、右腕を振り抜いた。
手の中にあった黒い器具が、砂浜を横切って飛んでいく。
「──ッ!?」
オール・フォー・ワンが顔を上げる。
片脚に体重をかけ、どうにか膝を伸ばした瞬間、視界の端から小さな黒い物体が飛来してきたのである。
爆弾か。
反射的にそう考え、右腕を持ち上げようとした。
しかし、飛んできた器具は、彼が腕を上げきるより早く空中で展開した。
カシャッ、と金属音が響く。
黒い外装が左右へ開き、内部から薄い金属製のフレームが飛び出した。
折り畳まれていた支持具が瞬時に伸び、湾曲した二枚のプレートが左右へ広がると、中央に仕込まれていた柔軟な素材が膜のように張り詰める。
それは、口元を覆うための拘束具だった。
「……な──」
オール・フォー・ワンが声を上げようとした瞬間、展開した器具が顔面へ到達した。
金属製のフレームが頬を挟み込み、口元を覆うプレートが鼻の下から顎にかけて密着する。
続いて、左右から伸びた固定具が後頭部へ回り込み、互いに噛み合うように連結した。
カチンッ!
鋭い固定音が響いた。
「──んぐッ!?」
オール・フォー・ワンは目を見開く。
突然、口を塞がれた。
しかも、単に布を押し当てられたわけではない。
口元へ密着したプレートは顎の動きを制限する構造になっており、無理に口を開こうとしても、頬と後頭部を固定するフレームがそれを許さなかった。
「んんッ!? んぐ、ぐッ……!」
オール・フォー・ワンは慌てて右手を顔へ伸ばした。
しかし、指先が拘束具へ届くより早く、スターアンドストライプが動いていた。
先ほどまで立っていることさえ辛そうだった女が、信じられないほどの勢いで駆け出していた。
全盛期のスターアンドストライプを知る者が見れば、あまりにも鈍重で、不格好な突進だっただろう。
踏み込むたびに身体が揺れ、右脚は僅かに引きずられ、呼吸は荒く、包帯の隙間からは血が滲んでいる。
それでも、彼女は止まらなかった。
今のオール・フォー・ワンは、顔面へ取りつけられた器具に意識を奪われている。
それだけで十分だった。
(──ポイント1)
スターアンドストライプは歯を食いしばった。
(──口を塞ぐ!!)
『
対象に触れ、その名前を呼び、新たなルールを課す個性。
その発動において、対象の名前を口にするという行為は、決して省略できない条件だった。
だからこそ、口を塞ぐ。
もちろん、それだけで『新秩序』の脅威が完全に消えるわけではない。
すでに付与されたルールが解除される保証もなければ、拘束具そのものを破壊される可能性もある。
まして、相手には『AFO』まであるのだから、直接触れられれば依然として危険だった。
しかし、少なくとも、新たなルールを宣言するためには、まず口元の拘束具を外さなければならない。
そして、今の奴にそんな余裕を与えるつもりはなかった。
「──ッ、んぐッ!!」
オール・フォー・ワンは顔面へ伸ばしかけていた右手を、咄嗟に前方へ突き出した。
スターアンドストライプが迫っていることに気づいたのだ。
開かれた掌が、彼女の顔面を目掛けて伸びてくる。
だが、スターアンドストライプは怯まなかった。
もはや失う個性はない。
伸びてきた右腕を見据え、最後の一歩で身体を沈める。
掌が頭上を通り過ぎるのと同時に、左前腕で相手の手首を外側へ弾き、空いた懐へ踏み込んだ。
右肩には激痛が走った。
胸の奥から血が込み上げ、視界が一瞬だけ白く染まる。
それでも、彼女は拳を握り締めた。
「──オオオオオオオオオオッ!!」
渾身の右ストレートが、緑谷出久の顔面へ叩き込まれた。
ゴッ!!
「──んがッ!?」
拘束具に覆われた口元を中心に、凄まじい衝撃が走る。
金属製のプレートが拳に押し込まれ、固定具を通じて顎から頬へ力が伝わった。
オール・フォー・ワンの頭部が大きく仰け反り、足元の砂が抉れる。
普通の人間であれば、今の一撃で顎を砕かれていてもおかしくない。
しかし、緑谷出久の身体は普通ではなかった。
「──んぐッ!!」
仰け反った頭が、強引に引き戻される。
オール・フォー・ワンは『筋骨発条化』によって背筋と腹筋を収縮させ、倒れかけた身体を無理やり立て直すと、その勢いを利用して左拳を振り抜いた。
直前まで顔面を殴られていたとは思えないほど鋭い反撃であり、スターアンドストライプは咄嗟に右腕を引き戻し、前腕で拳を受け止めた。
骨まで響く衝撃が走った。
「──ぐッ!」
スターアンドストライプの身体が横へ押し出され、砂浜を踏み締めていた右足が大きく滑る。
『剛躯』によって強化された筋力に、『筋骨発条化』による瞬間的な加速まで加わった一撃は、満身創痍の彼女にとって決して軽いものではなかった。
それでも、彼女は倒れなかった。
左足を踏み込み、身体を捻って衝撃を逃がすと、相手が拳を引き戻すより早く懐へ飛び込む。
「──フンッ!!」
左拳が、緑谷出久の脇腹へ叩き込まれた。
「──んぐぅッ!?」
オール・フォー・ワンの身体が僅かに折れ曲がる。
今度は彼も後退しなかった。
右足を踏み締め、身体を捻りながら右拳を突き出す。
スターアンドストライプが頭を傾けて回避すると、すぐさま左拳を振り上げ、続けて右膝を彼女の腹部へ叩き込もうとした。
拳と拳が交錯する。
砂浜を踏み締める靴底が深く沈み、打撃が交わされるたびに周囲の砂が小さく跳ね上がる。
スターアンドストライプが右拳を突き出せば、オール・フォー・ワンは腕を交差させて防ぎ、そこから『筋骨発条化』によって強化した拳を打ち返す。
彼女はその攻撃を肩や前腕で受け流しながら距離を詰め、相手が体勢を立て直すより早く、次の拳を叩き込んでいった。
「……お、おい……!」
少し離れた場所で、爆豪が目を見開いた。
先ほどまで立っていることさえ辛そうだった女が、緑谷出久の身体を使うオール・フォー・ワンと、爆豪ですら出来なかった真正面からの殴り合いに挑んでいる。
オール・フォー・ワンの拳は何度も彼女の身体を捉え、そのたびに鈍い打撃音が響いている。
『剛躯』と『筋骨発条化』によって強化された肉体から繰り出される攻撃は、今なお十分な威力を備えており、まともに受ければ普通の人間など簡単に吹き飛ばされてしまうはずだった。
拳を受ければ身体を捻って衝撃を逃がし、腕を掴まれそうになれば肘を引いて相手の指先から逃れる。
腹部へ膝を突き出されれば自分の膝を合わせて軌道を逸らし、その直後には必ず拳を打ち返していた。
その動きに、派手さはなかった。
空を飛ぶこともなければ、巨大な拳を生み出すこともない。
単にフットワークを駆使し、頭を振り続け、相手の攻撃を捌きながら殴っているだけだったが、だからこそ爆豪には、その異常さがよく分かった。
相手は複数個性によって身体能力を強化された緑谷出久だ。
しかも、その身体を操っているのは、数え切れないほどの戦闘経験を持つオール・フォー・ワンである。
いくら消耗しているとはいえ、真正面からの殴り合いで対等に渡り合えるような相手ではないはずだった。
「マジかよ……」
鈍い音が重なる。
「──ぐッ!」
「──んぐッ!?」
二人の頭部が、それぞれ反対方向へ弾かれた。
スターアンドストライプは口元から血を吐き出し、オール・フォー・ワンもまた、拘束具の内側で苦しげに呻いたものの、どちらも倒れなかった。
ほとんど同時に踏み込み、再び拳を振り上げる。
互いの打撃が交錯し、肩と肩がぶつかり合った。
そのままスターアンドストライプが額を押しつけるようにして距離を詰めると、オール・フォー・ワンは右腕を彼女の首へ回そうとした。
しかし、スターアンドストライプはその腕の内側へ左肘を差し込み、身体を捻って拘束を外すと、至近距離から右拳を腹部へ突き上げようとした。
しかし、その瞬間。
オール・フォー・ワンの口元から、異様な音が響いた。
ギリッ、と。
硬いものを擦り合わせるような音だった。
「……!」
スターアンドストライプの眉が僅かに動いた。
バキンッ!!
オール・フォー・ワンの口元を覆っていた拘束具に、亀裂が走った。
顎を固定していたプレートが内側から押し広げられ、左右の支持具が歪む。
彼は『剛躯』によって顎の筋力を強化し、拘束具の内側にあった部品へ歯を食い込ませると、そのまま力任せに噛み砕いた。
金属片が飛び散る。
(ポイント2──)
スターアンドストライプの目が鋭く細められる。
オール・フォー・ワンは砕けた拘束具を吐き捨てると、血に濡れた歯を剥き出しにした。
「──『
オール・フォー・ワンの右手が、彼女の身体へ伸びてくる。
触れた対象の名前を呼び、ルールを宣言する。
それが『
そして今、彼は拘束具を破壊し、その条件を満たそうとしている。
「キャスリーン・ベイトは―」
宣言が続こうとしたが、最後まで言わせなかった。
スターアンドストライプは右手を顔の横へ引きつけると、膝を僅かに曲げ、身体を沈めた。
伸びてきた右手を左前腕で外側へ逸らし、その内側へ潜り込む。
(途切れさせない!)
相手の顎が、目の前にあった。
「──フンッ!!」
右拳が、真下から突き上げられた。
スターアンドストライプのショートアッパーが、オール・フォー・ワンの顎を正確に捉える。
「──がッ!?」
開かれていた口が、強制的に閉じられた。
上下の歯が激しく噛み合い、言いかけていた宣言が途切れる。
顎から頭蓋へ衝撃が突き抜け、オール・フォー・ワンの頭部が大きく仰け反った。
当然ながら、ルールは完成しなかった。
スターアンドストライプは拳を振り抜いた姿勢のまま、血に濡れた歯を剥き出しにした。
「──喋るなッ!!」
さらに一歩踏み込む。
今度は左拳を相手の腹部へ叩き込み、身体が折れ曲がったところへ右肘を振り下ろした。
オール・フォー・ワンは咄嗟に両腕を上げて防御したものの、スターアンドストライプはその腕へ体重を預けるようにして押し込み、相手が反撃へ転じる前に距離を詰め直した。
「──くッ、この……!」
オール・フォー・ワンが歯を食いしばった。
口元から血が流れている。
顎を殴られた衝撃によって舌を噛んだらしく、言葉を発するたびに顔が歪んだが、それでも彼は右腕を振り上げ、スターアンドストライプの側頭部へ拳を叩き込もうとした。
彼女は頭を下げてそれを避けると、相手の胸元へ肩を押しつけ、右拳を脇腹へ突き刺した。
「──ぐッ!」
続けて左拳を叩き込み、身体を捻ってさらに右拳を振り抜く。
オール・フォー・ワンも負けじと打ち返し、互いの拳が至近距離で交錯した。
スターアンドストライプはその間、一度として相手の口元から意識を外さなかった。
拳の動きも、脚の運びも、肩の向きも見ている。
だが、それ以上に注視しているのは、唇と顎だった。
オール・フォー・ワンが口を開こうとするたびに、彼女は拳を突き出した。
宣言のために息を吸おうとすれば腹部へ打撃を加え、言葉を発するために顎を動かそうとすれば、その下から拳を突き上げる。
その攻撃は、単なる殴り合いではなかった。
明確な目的を持った、徹底的な妨害だった。
スターアンドストライプは、オール・フォー・ワンの攻撃をすべて避けているわけではない。
何発も拳を受け、血を吐き、身体を揺らしながら、それでも決して相手の口を自由にさせようとしなかった。
口を開こうとすれば、顎を殴る。
距離を取って宣言しようとすれば、恐らくは先ほどの器具を投擲して妨害する。
まるで、何度も繰り返してきた訓練を、そのまま実行しているかのようだった。
「……ハッ!」
スターアンドストライプは相手の左拳を受け流しながら、笑った。
「……そんなに不思議……?」
オール・フォー・ワンが顔を歪める。
「何を……!」
「……アンタが、私の個性を奪ったつもりで……いい気になっているのは分かるけどね……!」
スターアンドストライプは右拳を振り抜いた。
オール・フォー・ワンが左腕で受け止めると、すぐさま踏み込んで左拳を腹部へ叩き込み、そのまま相手の顎を睨み上げる。
「その個性について……私以上に詳しい人間が、いると思う?」
言葉とともに、再び拳が交錯した。
オール・フォー・ワンの右拳が彼女の頬を掠め、スターアンドストライプの左拳が相手の胸元へ突き刺さる。
互いに一歩ずつ後退したものの、彼女はすぐさま踏み込み、距離を詰め直した。
「知っている?」
スターアンドストライプは荒い呼吸を繰り返しながら、笑った。
「アメリカ軍にはね……宇宙人が攻めてきた時のための、防衛計画まであるって、有名な笑い話……!」
「……は……?」
オール・フォー・ワンの表情が、僅かに引き攣った。
突然、何を言い出したのか理解できなかったらしい。
しかし、スターアンドストライプは構わず続けた。
「……エイリアンが地球へ侵攻してきたら、どうするか。どんな兵器を使い、どこへ部隊を配置し、どうやって民間人を避難させるか……そんなことを、大真面目に考えた計画があるのさ!」
彼女は左拳を振り抜いた。
オール・フォー・ワンが右腕で防御すると、その腕を押し下げ、空いた右拳を顔面へ叩き込む。
「──ぐッ!」
「……笑えるだろう!?」
スターアンドストライプは血を吐きながら笑った。
「……宇宙人なんて、本当に来るかも分からない! そもそも、どんな姿をしているのかも、どんな兵器を持っているのかも分からない! それでも、万が一に備えて計画を作る!」
オール・フォー・ワンが右拳を突き出した。
彼女は左肩で受け止め、身体を捻りながら反撃する。
右拳が相手の頬へ突き刺さり、緑谷出久の頭が横へ跳ねた。
「それが、アメリカ軍ってやつなのさ!!」
スターアンドストライプは一歩踏み込んだ。
その口元には、獰猛な笑みが浮かんでいた。
「だったら、当然……!」
オール・フォー・ワンの右腕が伸びてくる。
彼女はその掌を左前腕で逸らし、相手の懐へ潜り込んだ。
「アメリカのナンバーワンヒーローが……!」
右拳を握り締める。
「敵に回った時の計画だって、あるに決まっているだろうがッ!!」
拳が、オール・フォー・ワンの腹部へ叩き込まれた。
「──ぐ、おッ!?」
緑谷出久の身体が折れ曲がる。
スターアンドストライプはそのまま左手で相手の肩を押し戻し、顔面へ向けて右拳を振り上げた。
オール・フォー・ワンは咄嗟に両腕を交差させ、辛うじて防御した。
鈍い衝撃音が響き、二人の足元で砂が大きく跳ね上がる。
「何……だと……?」
オール・フォー・ワンは荒い呼吸を繰り返しながら、目を見開いた。
スターアンドストライプは拳を引き戻し、ゆっくりと口元を吊り上げた。
「私が裏切ったら、どうするか。私が敵に洗脳されたら、どうするか。私が制御不能になったら、どうするか……」
彼女は血に濡れた歯を剥き出しにした。
「オール・フォー・ワン! あんた有名人だからね。私の『
オール・フォー・ワンの表情が変わった。
それまで浮かべていた怒りや苛立ちとは異なる、明確な警戒が宿る。
スターアンドストライプは、その変化を見逃さなかった。
「あるんだよ、マニュアルが!」
彼女は一歩踏み込んだ。
「『
「……私自身が、そのマニュアル知ってたらダメだろとかは、無しね」
皆さんの感想は全て読ませて頂いています!いつもありがとうございます!
何を返信してもネタバレになってしまいそうで返信は出来ていませんが、なるべくご指摘や質問、疑問には答えていきたいと思いますm(__)m
感想欄の更新を連打しているので、一番早いGOODは作者だと思ってください。