間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第17話 自業自得

改行を詰め、峰田視点の恐怖、水中での出久の異様さ、梅雨の応急処置、相澤側の戦況と飯田の離脱判断までを再生成します。

 

ボートが、ぎしぎしと不安定に揺れていた。波、水流、そして水中から時折伝わってくる鈍い衝撃。まるで水の下で、巨大な生き物同士がぶつかり合っているみたいだった。

 

「っ、ぅ……」

 

 峰田実は、震える手で梅雨の身体を支える。蛙吹梅雨は、ボートの床へ倒れたまま動かなかった。額の横、髪の隙間から赤い血が流れている。

 

「や、やべぇ……!」

 

 実の顔が青ざめる。さっきまで普通に喋っていたクラスメイトが、目の前で頭を殴られた。しかも相手は、本物のヴィランだ。訓練じゃない。ゲームでもない。失敗すれば、本当に死ぬ。

 

「えっと、えっと……!」

 

 実は必死に記憶を探った。救助訓練、応急処置、保健の授業、頭部出血。何をすればいい。

 

「と、とりあえず圧迫止血……!」

 

 震える声で呟きながら、実は自分のヒーローコスチュームのマント部分を乱暴に引き千切った。即席の布。それを梅雨の傷口へ押し当てる。

 

「うぅぅぅ、血ぃ出てるぅ……!」

 

 半泣きだった。だが、手だけは止めない。逃げたい。怖い。今すぐここから離れたい。それでも。

 

「し、しっかりしろ蛙吹ぃ……!」

 

 実は必死に傷口を押さえる。幸い、呼吸はある。脈もある。意識は飛んでいるが、すぐに致命傷という感じではない。ただ、頭部なのが怖かった。

 

 水面の向こうでは、まだヴィランたちの姿が見える。だが、誰もすぐにはボートへ近付いて来なかった。

 

「……え?」

 

 実が恐る恐る顔を上げる。ヴィランたちは、水面を警戒するように距離を取っていた。その表情には、さっきまでの余裕がない。

 

「な、なんだ……?」

 

 直後、ドボォンッ!! と水面が爆発した。

 

「ひぃっ!?」

 

 実が飛び上がる。巨大な水柱。船が激しく揺れる。何かが水中で激突している。そうとしか思えなかった。しかも一度じゃない。ドンッ!! ゴボボボボッ!! と水面の下で、異様な勢いの水流が暴れている。波が荒れ、ボートが押し流される。まるで、水中へサメでも放り込まれたみたいだった。

 

「み、緑谷……?」

 

 実は恐る恐る船縁へ近付く。怖い。正直、見たくなかった。だが、それ以上に気になった。あの緑谷出久が、今、水の中で何をしているのか。

 

 実はゆっくり水面を覗き込む。

 

「……っ」

 

 暗い。濁っている。何も見えない。ただ、何かがとんでもない速度で動いている。それだけは分かった。影。白い何か。水流。一瞬だけ見える泡の奔流。そして、赤黒い色。

 

「っ、ぅわ……」

 

 実の喉が引き攣る。見えない。だが、分かる。あれは“戦い”なんて生易しいものじゃない。もっと生物的で、暴力的で、獲物を沈めるための動きだった。

 

 その瞬間、水中で緑色の光が揺れた気がした。

 

「……!」

 

 実が反射的に身を引く。今、一瞬だけ、水の中から何かに見返された気がした。ぞわり、と背筋へ寒気が走る。

 

「な、なんなんだよ……」

 

 実は乾いた声で呟いた。緑谷出久。気弱で、オドオドしていて、すぐ謝って、ちょっと変なヒーローオタク。そのはずなのに。今、水の中にいるあれは、本当に自分たちと同じクラスメイトなのか。

 

 水面の上にいたヴィランたちも、異変を察していた。

 

「お、おい……なんだ今の」

 

 鎖を巻いた男が顔を強張らせる。さっきまで聞こえていた仲間の声が、急に消えた。悲鳴すらない。ただ、水の下で何かが暴れている音だけが響いている。

 

 ゴボッ、とすぐ近くで大きな泡が浮かび上がった。

 

「っ!?」

 

 潜水服姿のヴィランが反射的に振り向く。その瞬間、ザバァッ!! と何かが水中から腕を掴んだ。いや、違う。白い骨だった。鋭利な骨が、水の中から突き出ている。

 

「な、なん——」

 

 言い終わる前に、ドボンッ!! と潜水服の男の身体が一気に水中へ引き摺り込まれた。泡が弾け、赤黒い水が広がる。

 

「おい!!」

「なんだよこれ!!」

「引っ張られ——!!」

 

 パニックが連鎖する。ヴィランたちが一斉に距離を取ろうとするが、遅い。水面の下を、何かが高速で走っていた。まるで巨大な魚雷。いや、捕食者だ。

 

 ザバッ!! 一人。ドボン!! また一人。水面へ浮いていたヴィランたちが、次々と水中へ消えていく。

 

「化け物かよ!!」

 

 魚面のヴィランが叫び、慌てて泳ぎ出す。だが、その足首へ白い骨が巻き付いた。

 

「ひっ——」

 

 瞬間、凄まじい勢いで水中へ引き込まれる。水面が激しく波打ち、数秒後、浮かんできたのは気絶したヴィランの身体だけだった。

 

「……っ」

 

 実は言葉を失っていた。ボートの上で梅雨の傷口を押さえたまま固まる。何が起きているのか、もう理解が追いつかない。ただ一つだけ、はっきりしていることがあった。ヴィランたちが恐怖している。ついさっきまで自分たちを追い詰めていた連中が、今は完全に怯えていた。

 

「に、逃げろ!!」

「水から離れろ!!」

 

 叫び声。だが、もう遅かった。最後の一人が岸へ向かって泳ぎ出そうとした瞬間、ゴボッ、とその真下から大量の泡が浮かび上がる。

 

「ぁ……」

 

 ヴィランの顔が引き攣った。次の瞬間、ドボォンッ!! と水柱が立ち、その身体が一瞬で水中へ消えた。

 

 静寂。

 

「……」

 

 波だけが揺れていた。さっきまで十数人いたヴィランの姿は、もうどこにもない。残っているのは、漂う泡と赤く濁った水だけだった。

 

「……ぉ、おい……緑谷……?」

 

 実の喉が震える。返事はない。水面は静かだった。逆に、それが怖い。まるで深海を覗き込んでいるみたいだった。

 

 その時、ザバァッ——!! と水面を割って人影が現れる。

 

「っ!!」

 

 緑谷出久だった。全身ずぶ濡れ。ヒーロースーツは裂け、腕や肩には無数の擦り傷が走っている。頬も切れていた。呼吸は荒く、肩が上下している。だが、その目だけは異様なほど静かだった。

 

「……終わった」

 

 低い声。出久はボートの縁へ手をかける。その手から、ぽたり、と赤い雫が落ちた。返り血なのか、自分の血なのか、実には分からなかった。

 

「峰田君」

 

「お、おう!?」

 

 実が反射的に返事をする。出久はボートへ片腕をかけたまま息を整えていた。濡れた緑髪が顔へ張り付き、呼吸の度に肩が上下している。かなり消耗しているはずだった。なのに、その目だけがまだ鋭い。水中で何かを振り切れていないみたいに。

 

「ヴィラン……あと何人か浮いてくると思うから、拘束お願い」

 

「……え?」

 

 実が水面を見る。直後、ぷかり、と気絶したヴィランの身体が一人浮かび上がってきた。

 

「うわっ!?」

 

 続けて、また一人。さらにもう一人。全員、意識を失っている。水面へ仰向けに浮かびながら、ぴくりとも動かない。

 

「ぇ、えぇぇ……」

 

 実の顔が引き攣る。本当に全員やったのか。緑谷が。一人で。

 

「峰田君」

 

「あ、は、はいっ!!」

 

「拘束を」

 

「あっ、そ、そうだった!」

 

 実は慌てて頭の玉をもぎ取った。

 

「いててっ……!」

 

 涙目になりながらも、次々と投げる。紫色の玉が、浮かんでくるヴィランたちへべたべた張り付き、互いの身体や漂流物へ固定されていく。

 

「よ、よし……! これで簡単には逃げられねぇ!」

 

「ありがとう」

 

 出久が小さく頷く。その瞬間、実がはっと振り返った。ボートの中央。蛙吹梅雨は、未だ横たわったままだ。額へ押し当てていた布は、既にかなり赤く染まっている。

 

「……!」

 

 出久の表情が変わる。さっきまでの冷えた空気が、一瞬で消えた。

 

「蛙吹さん!」

 

 慌ててボートへ上がり、膝をついて梅雨の顔を覗き込む。

 

「呼吸は!?」

 

「だ、大丈夫! 一応ある! でも血が止まんなくて……!」

 

 実も急いで答える。出久は即座に周囲を見た。裂けた自分のスーツ。実のマント。救助用ボートに積まれている簡易備品。その視線の動きは、妙に冷静だった。

 

「圧迫継続しよう。頭を固定して、揺らさないように。脳震盪の可能性もあるから」

 

「お、おう!」

 

 実が慌てて頷く。二人は梅雨の身体を慎重に支え直した。出久が後頭部を固定し、実が傷口を押さえる。水面はまだ揺れていた。遠くでは爆発音も聞こえる。USJの各地で、まだ戦闘が続いているのだろう。

 

 だが、この小さなボートの上だけは、一瞬、不思議な静けさがあった。

 

「……ごめん」

 

 ぽつり、と出久が呟く。

 

「もっと早く動けてたら……」

 

「い、いやいやいや!! むしろ緑谷いなかったらオイラたち終わってたって!!」

 

 実が慌てて首を振る。出久は答えなかった。ただ、梅雨の血で汚れた布を見つめる。

 

 遠くで、また爆発音が響いた。ドォンッ——!! とUSJ全体が微かに揺れる。水面へ波紋が走り、小型ボートがぎし、と軋んだ。

 

「っ……」

 

 実が思わず肩を震わせる。出久も顔を上げた。中央広場の方向。水難ゾーンからでは建物や人工岩壁に遮られ、直接様子は見えない。だが、戦闘が続いていることだけは分かる。

 

「……相澤先生」

 

 出久が小さく呟く。脳裏へ浮かぶのは、あの瞬間だった。巨大な男。脳無。相澤の『抹消』を受けても止まらず、圧倒的な怪力だけで地面ごとA組を吹き飛ばした化け物。

 

「緑谷……?」

 

 実が不安そうに出久を見る。出久は梅雨の頭を支えながら、険しい顔で考え込んでいた。

 

「相澤先生の個性は強い。相手の個性を消せる。普通のヴィラン相手なら、問題ないと思う」

 

 実も頷く。それは、さっき実際に見た。相澤は大量のヴィランを、たった一人で蹴散らしていた。

 

「でも……あの大男は違う」

 

 出久の表情が曇る。

 

「個性を消されても、関係ないみたいだった」

 

「……っ」

 

 実の顔が青ざめた。あの怪物を思い出したのだろう。見上げるほど巨大な身体。オールマイトみたいな怪力。そして、抹消されても止まらなかった異常性。

 

「個性なしで、あのパワー……? そんなのアリかよ……」

 

「分からない」

 

 出久が唇を噛む。だが、嫌な予感だけは消えなかった。もし本当に、対オールマイトを想定して作られた存在だとしたら。相澤一人では危険過ぎる。

 

「……」

 

 出久の拳が、ゆっくり握られる。爪が掌へ食い込む。AFO。青山。オールマイト不在。全部が、一本の線で繋がり始めていた。そして、その中心にいるのが、自分の“師”だ。

 

「……最悪だ」

 

 ぽつり、と出久が吐き捨てるように呟いた。実はびくりと肩を揺らした。その声には、普段の弱々しさがなかった。怒りとも違う。もっと冷たく、硬い響き。

 

 だが次の瞬間、小さな声が聞こえた。

 

「ん……」

 

「!」

 

 二人が同時に振り向く。梅雨の指が、ぴくりと動いていた。

 

「蛙吹さん!」

 

「梅雨ちゃん!!」

 

 梅雨は薄く目を開ける。焦点が合っていない。だが、意識は戻りつつあった。

 

「……ここ、は……」

 

「良かったぁぁぁ!!」

 

 実が泣きそうな声を上げる。梅雨は顔をしかめ、額へ触れようとして、小さく息を吸った。

 

「痛っ」

 

「動かない方がいい! 頭打ってるから!」

 

 出久が慌てて止める。

 

「……そう」

 

 梅雨は状況を思い出したのか、ゆっくり周囲を見回した。水面、拘束されたヴィランたち、血の混じった波、そしてボロボロになった出久。

 

「……勝ったの?」

 

「一応」

 

 出久が短く答える。梅雨は数秒、じっと出久を見ていた。その視線に、出久は僅かに目を逸らす。水中で何をしたのか。どこまで見られていたのか。分からなかった。だが、梅雨は何も言わない。代わりに、小さく息を吐いた。

 

「なら、よかったわ」

 

「……」

 

 出久は一瞬だけ目を見開く。責められると思っていた。怖がられるかもしれないとも。だが、梅雨の声はいつも通り静かだった。

 

「蛙吹さん」

 

 出久は、ゆっくり立ち上がる。ボートが揺れた。

 

「動ける?」

 

「……少しなら」

 

「なら」

 

 一拍置いて、出久は中央広場の方向を見た。

 

「相澤先生の加勢に行こう」

 

 実が息を呑む。

 

「えっ!? 先生なら大丈夫だろ!?」

 

「分からない」

 

 出久は即座に否定した。

 

「あの大男……相澤先生の個性が効いてなかった」

 

 実の顔が引き攣る。出久の脳裏には、地面ごと吹き飛ばされた瞬間が焼き付いていた。あれは個性じゃない。純粋な暴力だった。

 

「相澤先生でも、危ないかもしれない」

 

 静かな声だった。だが、その言葉には強い焦りが滲んでいた。

 

 

 

 

 

 

 ──時は少し戻る。

 

 相澤消太は、崩れた地面へ片膝をつきながら顔を上げた。視界の先では、巨大化した男が、まるで暴風の中心みたいに立っている。その周囲では、抉れた地面が放射状に捲れ上がっていた。コンクリート片、鉄骨、人工瓦礫。全部が吹き飛ばされている。そして何より、生徒たちだった。

 

「くっ……!」

 

 A組の生徒たちが、各災害エリアへ文字通り叩き飛ばされている。水難ゾーン、火災ゾーン、崩落ゾーン。あらゆる方向へ。まるで玩具みたいに。

 

「相澤先生!!」

 

 13号の声が飛ぶ。振り返ると、中央広場側には比較的近くへ吹き飛ばされただけで済んだ生徒たちが数名いた。麗日、飯田、切島、八百万。13号が必死に庇いながら後退している。だが、ヴィランたちもまだ残っていた。転送されてきた雑兵共が、混乱した生徒たちへ一斉に向かおうとしている。

 

「チッ……!」

 

 相澤は、口元の血を乱暴に拭った。脳無の一撃。直撃は避けた。だが、完全には捌き切れていない。脇腹が痛む。肺が焼けるみたいに熱い。それでも、立つ。

 

「13号!!」

 

 低い怒声に、13号が即座に振り向く。

 

「生徒の保護を優先しろ!!」

 

「ですが相澤先生——!」

 

「あれは俺がやる!!」

 

「……っ!」

 

 13号が息を呑む。だが、反論はしなかった。プロだ。この場で誰が何を優先すべきか理解している。

 

「皆さん!! 私から離れないでください!!」

 

 13号が生徒たちを庇うように前へ出る。ブラックホール。救助向きでありながら、使い方次第では極めて危険な個性。それでも今は、生徒たちを守る壁になるしかない。

 

 一方、相澤はゆっくり立ち上がった。

 

「……化け物が」

 

 相澤の髪が、ふわりと浮き上がる。ゴーグルの奥。赤く染まった目が、巨大な男――脳無を真っ直ぐ捉える。

 

「——『抹消』」

 

 瞬間、男の身体へ起きていた異常な変化がぴたりと止まった。膨れ上がっていた筋肉。不自然なまでに巨大化していた骨格。それらが、みしみしと音を立てながら縮み始める。

 

「……!」

 

 周囲のヴィランたちがどよめく。二十メートルを超えていた異形の巨体が、見る見るうちに小さくなっていく。肩幅が狭まり、盛り上がっていた筋肉が収縮し、捲れ上がっていた皮膚が軋むように沈んでいく。

 

 それでも、完全には普通にならなかった。最終的に現れたのは、それでもなお三メートル近い大男だった。異様な筋骨、刺々しい岩みたいな顎部、人間離れした圧迫感は依然として消えていない。

 

「……?」

 

 男は自分の身体を見下ろした。まるで何が起きたのか理解していないみたいだった。握った拳を開き、閉じ、不思議そうに首を傾げる。その僅かな隙を、相澤は絶対に見逃さなかった。

 

「ッ!!」

 

 捕縛布が走る。空気を裂き、蛇みたいにうねりながら脳無の腕へ巻き付く。さらに肩、首、胴。一瞬で全身へ絡み付いた。ギチギチ、と布が締め上がる。ただの布じゃない。相澤の捕縛布は、特殊繊維と彼自身の操縦技術によって成立する、実戦仕様の拘束具だ。並のヴィランなら、その時点で動けなくなる。

 

「大人しくしていろ」

 

 相澤が低く呟き、地面を蹴った。一気に距離を詰める。狙うのは関節。視界を封じ、体勢を崩し、そのまま制圧。対人戦闘において、相澤消太――ヒーローネーム『イレイザーヘッド』はトップクラスだ。

 

 たとえ相手が化け物でも、やることは変わらない。

 

 相澤の蹴りが、大男の膝裏へ突き刺さる。鈍い衝撃音。普通の人間なら、それだけで膝関節が折れていてもおかしくない威力だった。

 

 だが。

 

「……!」

 

 丸太のような脚は、完全には崩れない。異常な筋力。異常な耐久。それでも、相澤は止まらなかった。捕縛布を強く引く。首、肩、重心。全身を連動させ、一瞬だけ生まれた体勢の乱れを無理やり増幅する。

 

「倒れろッ!!」

 

 次の瞬間、脳無の巨体がぐらりと傾いた。

 

 ズズンッ!!

 

 巨大な身体が、ついに地面へ倒れ込む。コンクリートが砕け、広場全体が震動した。

 

「おおっ!?」

「や、やった!?」

 

 後方で、生徒たちが声を上げる。切島が思わず拳を握り、八百万も目を見開く。あの化け物を、たった一人で相澤が押さえ込んでいる。

 

 一方、13号は即座に視線を走らせていた。生徒、ヴィラン、出口、通信状況。頭の中で、状況を高速整理する。

 

「飯田君!!」

 

 鋭い声に、飯田天哉が反射的に振り向いた。

 

「君は走って助けを呼んできてください!!」

 

「——っ!? し、しかし!!」

 

 飯田の視線が揺れる。相澤、13号、クラスメイト、未だ周囲に残る大量のヴィラン。

 

「先生方や皆を置いて、僕だけ逃げるなど——」

 

 言いかけた、その瞬間だった。

 

 ビキッ。

 

 嫌な音が響く。

 

「……!」

 

 全員の視線が、脳無へ向いた。地面へ倒れていた巨体。その全身の筋肉が、不自然なほど膨れ上がっている。そして。

 

 ブチブチブチィッ!!

 

「な——」

 

 相澤の捕縛布が、引き千切られた。特殊繊維。対ヴィラン仕様。車両牽引用にも耐える強度。それを、男は力任せに引き裂いた。個性無しで。

 

「嘘だろ……」

 

 切島の声が震える。相澤の目が、僅かに見開かれた。次の瞬間、拳が振り抜かれる。

 

 ドゴォッ——!!

 

「がッ……!!」

 

 相澤の身体が砲弾みたいに吹き飛んだ。地面を跳ね、壁へ激突する。コンクリートが砕け、粉塵が舞った。

 

「相澤先生!!」

 

 麗日の悲鳴。大男はゆっくり立ち上がる。その姿を見た瞬間、飯田の背筋を凍るような恐怖が走った。

 

 勝てない。

 

 本能がそう告げていた。

 

 13号が、飯田の肩を掴む。

 

「行くんです!!」

 

 普段の穏やかな声ではない。切迫した怒声だった。

 

「は、13号先生……!」

 

「はやく!!」

 

 13号のブラックホールが唸る。近付いてきたヴィラン数人を牽制しながら、それでも飯田を振り返った。

 

「君の足で!!」

 

 一拍。

 

「みんなを助けるんです!!」

 

 飯田の呼吸が止まる。自分の個性、『エンジン』。速さこそが、自分の武器だ。戦うためではなく、今、この状況を外へ伝えるために最も必要な力。

 

「っ……!!」

 

 飯田の拳が強く握られる。悔しさ、恐怖、無力感。その全部を噛み締めながら。

 

「必ず援軍を呼んで戻ります!!」

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