間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第18話 ヴィラン

 水難ゾーンを離れてから、三人は出来る限り物音を立てないよう、慎重に移動していた。USJ外周部。人工岩壁とメンテナンス用通路の隙間を縫うように進む。中央広場へ近付けば近付くほど、戦闘音は鮮明になっていた。

 

 爆発音。金属の軋み。何か巨大なものが叩き付けられる重低音。その度に、床が微かに震える。

 

「っ……」

 

 出久は無意識に顔を強張らせた。相澤、13号、他のクラスメイトたち。まだ戦っている。そう思う度に、足が速くなりそうになる。

 

「緑谷ちゃん」

 

 梅雨の声で、出久ははっと振り返った。

 

「……落ち着いて。焦って音を立てたら、余計危ないわ」

 

 静かな声だった。だが、梅雨自身も決して余裕がある訳ではない。額には応急処置の布が巻かれている。その下では、まだ血が滲んでいた。顔色も少し悪く、歩く度に僅かに足元がふらついている。

 

「蛙吹さんこそ……大丈夫?」

 

「梅雨ちゃん」

 

「あっ、つ、つ、つ」

 

「ふふ……平気ではないわ。頭、まだガンガンするもの」

 

「無理すんなってぇ……」

 

 後ろから、実が情けない声を漏らした。彼もまた、かなり消耗していた。頭の玉を大量にもぎ取ったせいで、頭皮からじわじわ血が滲んでいる。顔色も悪く、歩き方もふらふらしていた。

 

「オイラもう今日一生分くらいもいだぞぉ……」

 

「峰田君、声抑えて」

 

「す、すまん……」

 

 三人は壁沿いへ身を寄せる。少し先、崩落ゾーンへ続く通路の向こう側を、ヴィラン数人が横切っていくのが見えた。

 

「……」

 

 息を潜める。ヴィランたちは何かを怒鳴り合いながら、そのまま別方向へ走っていった。どうやら、侵入側もまだ混乱しているらしい。

 

「連携……取れてない?」

 

 出久が小声で呟く。

 

「多分ね」

 

 梅雨が頷いた。

 

「あの吹っ飛ばしのせいで、ヴィラン側も散ってるんだと思う」

 

「なら……入口側まで戻れれば、他の皆とも合流出来るかもしれない」

 

「飯田ちゃんは飛ばされていないのが辛うじて見えたわ。彼なら、外へ助けを呼びに行けるかもしれない」

 

 梅雨が静かに言った。

 

「援軍さえ来れば——」

 

「オールマイトとか来たら一発で逆転だろぉ……」

 

 実が弱々しく笑う。だが、その言葉に三人とも少しだけ表情を緩めた。平和の象徴。その名前には、それだけの安心感があった。

 

「とにかく今は、無理に戦わないことだね」

 

 出久は前方を警戒しながら歩き続ける。

 

「蛙吹さんも峰田君も消耗してるし、僕も——」

 

 そこで、言葉が止まった。

 

 返事がない。

 

「……?」

 

 出久は数歩進んでから、違和感に気付いた。さっきまで後ろから聞こえていた足音も、呼吸音も消えている。

 

「蛙吹さん?」

 

 返答なし。

 

「峰田君?」

 

 静かだった。USJの遠くから響く戦闘音だけが、やけに大きく聞こえる。

 

 出久の背筋へ、嫌な汗が流れた。怪訝に思い、振り返ろうとする。その瞬間だった。

 

 ぞわり、と鼻腔へ強烈な悪臭が入り込む。

 

「っ……!」

 

 ドブ。腐敗。湿った下水。そんな臭いが、一気に広がった。あまりにも突然だった。まるで今この瞬間、背後へ汚泥を流し込まれたみたいに。

 

 後ろ——!!

 

 五感強化が、遅れて警鐘を鳴らす。だが、反応が一瞬遅れた。

 

 ぬるり、と大きな手が、そっと出久の肩へ置かれる。

 

「——ひっ」

 

 優しいくらい静かな動きだった。だからこそ、余計に怖い。巨大な手。冷たい指。人間のものとは思えない、不自然な感触。

 

 そのまま、耳元すぐ後ろで。

 

「やあ」

 

 掠れた男の声が聞こえた。

 

「緑谷出久君」

 

「——っ」

 

 出久は震えながら、ゆっくり振り返った。視界が止まる。

 

「……ぁ」

 

 まず見えたのは、梅雨だった。壁際へ崩れるように座り込み、静かに目を閉じている。呼吸はある。だが、完全に意識を失っていた。その隣では、実も床へ倒れている。気絶しているだけなのか、微かに肩が上下していた。

 

「な……」

 

 何が起きた。いつ。どうやって。五感強化は、何も捉えられなかった。いや、違う。気付いた時にはもう終わっていた。その事実こそが、出久の全身へ恐怖を流し込む。

 

 そして、その二人の向こう側。通路の中央で、空間そのものが泥みたいに揺らいでいた。

 

 黒い泥。粘ついた闇。そこから、ゆっくりと人影が浮かび上がっている。

 

「……!」

 

 出久の呼吸が止まる。巨大な生命維持装置。無数の管。薬液。酸素マスク。機械音。その全てへ繋がれた男が、泥の中へ半ば沈むように存在していた。顔の半分、肩、片腕。それだけが、泥の外へ出ている。まるで人間という存在が、無理やり延命されているみたいだった。

 

 だが、それでも、その男から漂う気配だけは圧倒的だった。深海みたいな威圧感。底の見えない悪意。息をするだけで、肺の奥へ冷たい泥が流れ込んでくるようだった。

 

「やあ」

 

 男——AFOは、柔らかく微笑んだ。まるで、本当に教え子へ再会した教師みたいに。

 

「随分頑張っているじゃないか」

 

「ぁ……」

 

 声が出ない。身体が動かない。

 

「ひ——」

 

 悲鳴が漏れかけた、その瞬間。ぬるり、と泥の中から伸びたAFOの手が、そっと出久の口を塞いだ。

 

「っ!!」

 

 冷たい。だが、妙に優しい手つきだった。子供をあやすみたいに。AFOは人差し指を自分の口元へ当てる。

 

「シー。静かに」

 

 穏やかな声。その背後では、生命維持装置の機械音が規則的に鳴っている。微笑みながら、AFOはまるで秘密話でもするみたいに続けた。

 

「こんな中途半端な姿ですまないね。これでも慌てて来たんだぜ」

 

 AFOの手が、ゆっくりと出久の口元から離れる。出久は反射的に数歩後ずさった。だが、逃げられない。逃げてはいけない。そんな感覚が、喉へ冷たい刃みたいに突き刺さっていた。

 

「……っ」

 

 呼吸が浅い。心臓が壊れそうなほど脈打っている。一方で、AFOは実に穏やかだった。生命維持装置の管へ繋がれたまま、泥の中へ半ば沈みながらも、その声音だけはまるで世間話をする老人みたいだった。

 

「君の活躍は見させてもらったよ。チンピラたちを通じてね」

 

「……!」

 

 出久の背筋が強張る。水難ゾーン。ヴィランたち。水の中。あの戦いを、見られていた。

 

「素晴らしいじゃないか。正直、私は少し君を見誤っていたらしい」

 

 AFOが、心底嬉しそうに言った。泥の奥で、生命維持装置が低く唸る。

 

「慎重で、臆病で、優しい子だとは思っていた。だが同時に、土壇場では躊躇するタイプだともね。だが違った」

 

 AFOの声が、少しだけ熱を帯びる。

 

「君は必要と判断した瞬間、一切の迷いなく相手を沈められる。しかも、あの短時間で個性の運用を最適化していた。『筋骨発条化』を水中推進へ転用し、『槍骨』を水かきへ応用するとは」

 

 まるで教師だった。優秀な生徒を褒める研究者みたいに。

 

「君への評価は、大きく改めないといけないね」

 

 出久の喉が、ひくりと震えた。褒められている。だが、嬉しくない。むしろ、自分の中の何かを見透かされているみたいで、吐き気がした。

 

「ぼ、僕は……あれは……蛙吹さんが、殴られて……」

 

「うん。怒ったんだろう?」

 

 優しい声だった。

 

「大切な友人が傷付けられた。だから排除した。それだけの話だ」

 

「……」

 

「悪いことじゃない」

 

 その言葉が、妙に静かに胸へ沈む。AFOは続けた。

 

「さて」

 

 泥の奥で、何かが蠢いた。

 

「計画そのものは、概ね予定通り進行している」

 

 USJの遠くで爆音が響き、床が揺れた。

 

「とはいえ……まだ試したいことが幾つかあってね」

 

 その瞬間、ゴトン、と重たい音が通路へ響いた。

 

「……!」

 

 出久が視線を落とす。黒い泥の中から、無骨な金属製トランクが落ちていた。大型で、軍用みたいに頑丈そうな造り。鈍い黒色。その表面には、見たこともないロック機構が幾重にも走っている。

 

「もう少しだけ、時間を稼いで欲しいんだ」

 

 AFOが軽く指を鳴らす。

 

 カチリ。

 

 重厚なトランクの表面で、複数のロック機構が連鎖的に解除された。金属音が、静かな通路へやけに大きく響く。ゆっくりと、トランクの蓋が独りでに開いた。

 

「——」

 

 出久の呼吸が止まる。中に入っていたのは、ヒーローコスチューム。いや、本当にそれをヒーローと呼んでいいのか、分からなかった。

 

 黒。灰。鈍い金属色。全体的に無骨で、重装甲じみた造形。だが、防御性能を重視したというより、威圧と恐怖を優先したデザインに見えた。肩部には骨みたいに鋭い突起。腕部には槍骨の射出を補助するような固定フレーム。脚部には筋骨発条化を想定した補強構造。

 

 そして何より、頭部。

 

 完全密閉式。顔を一切晒さないフルフェイス構造だった。暗いバイザー。呼吸装置。声を変質させる発声器。それは防御ではない。誰が見ても分かる。正体を隠すための装備だった。

 

「君用に調整してある」

 

 AFOが穏やかに言う。

 

「最低限のサポート機能しかない簡易品だが、今は十分だろう」

 

「……な、んで」

 

 出久の声が掠れる。

 

「なんで……こんなもの……」

 

「備えあれば憂いなし、というやつだよ」

 

 AFOが微笑む。その直後だった。

 

「さて、本題だ」

 

 空気が変わる。穏やかだった声音が、ほんの僅かだけ冷えた。

 

「今、君のクラスメイトの飯田天哉君が、USJ外部へ助けを呼びに行こうとしている」

 

「!」

 

 出久の目が見開かれる。

 

「彼を止めなさい」

 

 静かな命令だった。だが、その一言は鉛みたいに重かった。

 

「なっ……! そ、それは……!」

 

「ん?」

 

「駄目です! そんなことしたら……援軍が来なかったら、皆が……!」

 

「うん」

 

 AFOは、あっさり頷いた。

 

「だから止めるんだ」

 

「——っ」

 

 出久の息が詰まる。

 

「まだ試したいことがある、と言っただろう?」

 

 生命維持装置が低く駆動音を鳴らす。ぞわり、と出久の全身を寒気が走った。

 

「……嫌、です」

 

 絞り出すみたいな声。

 

「僕は……そんなこと……」

 

「そうか」

 

 AFOは怒らなかった。ただ、少し困ったみたいに笑った。

 

「なら仕方ない」

 

 その瞬間、ぬるり、と黒い泥が梅雨と実の足元へ広がる。

 

「っ!!」

 

 出久が反射的に一歩前へ出た。

 

「やめてください!!」

 

「安心したまえ。今すぐどうこうする気はない」

 

 AFOは穏やかなままだった。だが、続く声は底冷えするほど静かだった。

 

「君が従う限りはね」

 

「——」

 

「君の母君もそうだ」

 

 出久の心臓が止まりかける。

 

「……ぁ」

 

「優しい人じゃないか。息子想いで、一生懸命で」

 

 AFOは本当に世間話みたいに言った。

 

「彼女には、出来れば長生きして欲しいと私も思っているよ。家族愛は素晴らしいねえ」

 

「やめ……」

 

「もちろん、蛙吹梅雨君や峰田実君も同様だ」

 

 泥が、二人の身体へじわりと絡み付く。眠っている。だから気付かない。それが余計に恐ろしかった。

 

「君は優しいからね。誰かを見捨てる選択は出来ない。だから私は、君を気に入っているんだ」

 

 沈黙。遠くでUSJが揺れた。爆音。悲鳴。戦闘音。その中で、出久だけがまるで深海へ沈められたみたいに呼吸出来なかった。

 

「……止めれば」

 

 やっとの思いで声を出す。

 

「止めれば……皆は助けるんですか」

 

「勿論」

 

 AFOは即答した。

 

「私は約束を大切にする性分でね」

 

 信用出来ない。なのに、拒否出来ない。出久は、震える手でトランクを見る。黒いコスチューム。匿名。暴力。悪。まるで、ヒーローではなく、別の何かになるための衣装みたいだった。

 

「……っ」

 

 喉が焼ける。吐き気がする。それでも、ゆっくりと出久の手がトランクへ伸びた。

 

 

 

 

 

 

 ──飯田天哉は、全速力で通路を駆け抜けていた。

 

 個性『エンジン』。ふくらはぎの排気口から噴き出す爆音混じりの推進力が、彼の身体を弾丸みたいに前へ押し出していく。風が頬を叩き、視界が流れる。だが、止まれない。

 

 先生たちが戦っている。

 

 相澤。13号。そしてクラスメイトたち。USJ内部では、今もヴィランとの戦闘が続いている。あの巨体の怪物。大量の武装ヴィラン。明らかに、ただの襲撃じゃない。

 

 僕が行かなければ。

 

 13号の声が、脳裏で反響する。

 

『君の足でみんなを助けるんです!』

 

「っ……!」

 

 飯田は歯を食いしばる。怖くない訳じゃない。本当は、自分も戻りたい。クラスメイトを置いて行くことへの罪悪感もある。だが、だからこそ、今、自分にしか出来ないことをやらなければならない。

 

 出口は、もうすぐだった。USJ外部へ繋がる大型ゲート。あそこを抜ければ、雄英本校へ救援要請が出来る。

 

「はぁぁぁっ!!」

 

 飯田はさらに加速する。爆音、排気、そして。

 

 ドンッ!!

 

 勢いのまま、出口扉を押し開いた。

 

「——!」

 

 次の瞬間、飯田の視界が凍り付く。

 

 目の前。通路の真正面。そこに、一人の人影が立っていた。

 

「……っ」

 

 黒。灰。無骨な重装コスチューム。骨みたいな突起。全身を覆う装甲。そして、顔を完全に隠したフルフェイスマスク。まるで、人間性そのものを捨てたみたいな姿だった。

 

 ヴィラン。

 

 飯田は、一瞬でそう判断した。

 

 待ち伏せ……!?

 

 自分を止めるために来た。考えるより早く、身体が動く。

 

「どけぇぇぇぇっ!!」

 

 飯田の脚部エンジンが、爆発的な推進力を噴き出す。一直線。超高速。そのまま跳び上がり、回転を加えた飛び蹴りを放つ。鍛え上げられた飯田の得意技。普通の相手なら、回避すら不可能な速度だった。

 

 だが。

 

「——」

 

 黒いヴィランは、動じなかった。むしろ、最初からそれを知っていたみたいだった。

 

 飯田の蹴りが届く寸前、ヴィランの身体が最小限だけ前へ滑り込む。

 

「なっ——!?」

 

 懐。完全に内側へ入られた。飯田の蹴りは、最も威力を発揮する間合いを失う。その瞬間、ヴィランの腕が飯田の脚を抱え込んだ。

 

「っ!?」

 

 低い姿勢。重心操作。そして。

 

 ゴンッ!!

 

「がぁっ!?」

 

 飯田の身体が、凄まじい勢いで地面へ叩き付けられた。受け身を取る暇すらない。肺から空気が抜け、視界が揺れる。

 

「ぐっ……!」

 

 飯田は即座に転がり、距離を取ろうとする。だが、思考の一部だけが今の動きを分析していた。

 

 ただの力任せじゃない。

 

 飯田の突進速度。蹴りの軌道。重心移動。それを完全に読んだ上で、最適なタイミングで潜り込まれた。しかも、妙に慣れている。まるで、飯田の戦い方を知っているみたいに。

 

「貴様……!」

 

 飯田が立ち上がる。エンジンが唸る。

 

「何者だ!!」

 

 黒いヴィランは答えない。ただ、フルフェイスマスクの奥、暗いバイザーの向こうから、じっと飯田を見ていた。

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