間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

19 / 36
第19話 ゲームオーバー

 黒いヴィランは、答えない。ただ、フルフェイスマスクの奥、暗いバイザー越しに、じっと飯田天哉を見据えていた。

 

「……」

 

 飯田は素早く姿勢を落とす。脚部エンジンが低く唸り、熱を帯びる。

 

 今の一瞬で理解した。この相手は危険だ。単純なパワータイプではない。こちらの速度と軌道を見切っている。

 

 だが、それでも飯田の視線は道路の先、本校舎へ向いていた。

 

 あと少し。

 

 ここで立ち止まって戦う意味はない。自分の役目は、突破して救援を呼ぶことだ。

 

「どけ!!」

 

 爆音。次の瞬間、飯田の身体が弾丸みたいに加速した。

 

 一直線ではない。今度は大きく横へ回り込む。相手を翻弄し、そのまま脇を抜ける高速機動。

 

 戦う必要はない。

 

 飯田の身体が、黒いヴィランの横を通過する——その瞬間だった。

 

 ドンッ!!

 

「っ!?」

 

 黒いヴィランの身体が、爆発的に踏み込んだ。

 

 速い。エンジンではない。だが、人間離れした加速だった。装甲の隙間、肩、脚部、腰。内部で何かが弾けるみたいに隆起している。骨格と筋肉を無理やり圧縮し、解放しているような動き。

 

「個性による身体強化……!?」

 

 飯田が目を見開く。ヴィランは、こちらの進行方向へ最短距離で滑り込んでくる。しかも、まるで飯田の動きを知っているみたいに、絶妙なタイミングで。

 

「ちっ——!」

 

 飯田はさらに加速しようとする。だが、その瞬間、ヴィランの腕が飯田の脚部へ伸びた。狙いはエンジン。

 

「邪魔をするなぁっ!!」

 

 飯田が蹴りを放つ。

 

 だが、黒いヴィランは予測していたみたいに一歩深く踏み込んだ。

 

 懐。

 

 飯田の脚が最も威力を発揮しづらい位置。

 

「なっ——!?」

 

 直後、ゴンッ!! と強烈な肩当てが入った。ヴィランの全身が、まるでバネみたいに弾ける。

 

 筋骨発条化。

 

 圧縮した筋肉と骨格を瞬間解放し、爆発的な推進力へ変換している。

 

「がっ!?」

 

 飯田の体勢が崩れる。そこへ、ヴィランの腕が飯田の脚を抱え込んだ。柔道じみた低姿勢。重心崩し。そして。

 

 ドォンッ!!

 

「ぐぁぁっ!!」

 

 飯田の身体が、凄まじい勢いで床へ叩き付けられた。肺から空気が抜け、視界が揺れる。それでも飯田は即座に転がり、立ち上がろうとした。

 

「まだ——!」

 

 エンジンが唸る。再加速。その瞬間、黒いヴィランが更に一歩踏み込んだ。

 

 バギッ!!

 

 装甲内部、脚部で何かがせり上がる。だが、外へは出ない。骨は射出されない。代わりに、内部で押し出された骨格が、無理やり筋出力を底上げしていた。

 

 次の瞬間、ヴィランの身体が再び異常加速する。

 

「っ!!」

 

 飯田が反応するより早く、ヴィランの腕が飯田の胴へ巻き付いた。そして、ドンッ!! と二人まとめて壁へ激突する。

 

「ぐっ……!!」

 

 飯田の身体へ衝撃が走る。壁へ叩き付けられた直後、ヴィランの膝が飯田の脚部エンジンを押さえ込んだ。

 

 加速出来ない。体勢も悪い。

 

「離せ!!」

 

 飯田が肘打ちを放つ。だが、ヴィランは一切喋らないまま、それを腕で受け流した。動きが妙に洗練されている。荒々しいのに、合理的だった。

 

 まるで、こちらの癖を知っているみたいに。

 

「貴様……! 何故そこまでして僕を止める!!」

 

「——」

 

 黒いマスクは、答えない。ただ、その装甲の奥で、緑谷出久は歯を食い縛っていた。

 

 槍骨は使えない。

 

 使えば、一瞬で正体が露見する。だから今は、骨を外へ出さず、内部補助と推進力強化だけに限定している。だが、それでも飯田は鋭い。あと少しでも戦えば、動きの癖から気付かれるかもしれない。

 

 早く。

 

 出久の喉が焼ける。

 

 早く諦めてくれ……!

 

 だが、飯田天哉は、そんな程度で止まる男ではなかった。

 

「っ……!」

 

 飯田の脚部エンジンが、異様な高音を上げ始める。拘束されたまま。壁へ押さえ付けられたまま。それでも、飯田の視線は死んでいなかった。

 

「ならば……!」

 

 ガキンッ!!

 

 飯田が、自ら脚部装甲へ手を掛ける。強制冷却。排気。そして、エンジン内部の回転数が一気に跳ね上がった。

 

「——っ!?」

 

 出久の五感強化が、危険信号を鳴らす。

 

 次の瞬間。

 

「トルクオーバー——」

 

 爆音。飯田のエンジンが、限界を超えて唸りを上げる。

 

「レシプロバースト!!」

 

 ドォォォォンッ!!!!

 

「がっ——!?」

 

 爆発的加速。飯田の身体が、無理やり拘束を引き千切る。凄まじいトルクが出久の腕を振り払い、そのまま肩から体当たりを叩き込んだ。

 

 衝撃。

 

 出久の身体が、通路壁へ吹き飛ばされる。

 

 ドガァンッ!!

 

 コンクリートへ亀裂が走り、黒い装甲が軋む。

 

「っ……!」

 

 出久が壁へ叩き付けられる間にも、飯田は着地していた。だが、脚部エンジンからは白煙が噴き出している。

 

 レシプロバースト。

 

 爆発的加速と引き換えに、一定時間エンジン機能を停止させる切り札。つまり、今の飯田はしばらく加速出来ない。

 

 それでも、飯田は一歩も引かなかった。

 

「はぁっ……! はぁっ……!」

 

 荒い呼吸。汗。それでも、その目だけは真っ直ぐだった。

 

「退け!!」

 

 飯田が叫ぶ。

 

「先生たちが戦っているんだ!! クラスメイトたちが、助けを待っている!!」

 

 飯田は自分の脚を見ない。エンジン停止を恐れない。ただ、前だけを見る。

 

「僕は雄英高校ヒーロー科一年A組、学級委員長——飯田天哉だ!!」

 

 堂々と。誇るように。

 

「必ず皆を助ける!!」

 

「——」

 

 その瞬間、出久の中で何かが歪んだ。

 

 ズルい。

 

 そう思った。

 

 何で。何でお前は、そんな風に立てる。何も間違っていない顔で。何も汚れていないみたいに。真っ直ぐ、正しく、ヒーローみたいに。

 

 僕は……!

 

 母親を脅されている。梅雨も、峰田も人質にされている。逆らえば終わる。誰かを守るために、誰かを裏切らなければいけない。

 

 なのに、目の前の飯田天哉は、“正しい側”のままそこにいる。

 

 その事実が、胸を掻き毟りたくなるほど眩しかった。そして、だからこそ壊したくなった。

 

「……っ」

 

 黒いマスクの奥で、出久の歯が軋む。

 

 嫉妬。

 

 苛立ち。

 

 劣等感。

 

 そして、一瞬だけ浮かぶ黒い衝動。

 

 黙れ。

 

 その真っ直ぐな目が。その高潔な言葉が。今の出久には、あまりにも残酷だった。

 

「……っ」

 

 出久は、ゆっくりと俯く。

 

 呼吸が熱い。胸の奥で、どろどろした何かが煮えていた。

 

 分かっている。これは理不尽だ。身勝手だ。飯田は悪くない。むしろ正しい。正しく、真っ直ぐで、誰かを助けようとしている。

 

 そんなことは、分かっている。

 

 なのに。

 

 ズルい。

 

 その感情だけが、消えなかった。

 

 自分だって、本当はそうしたかった。誰かを助けたかった。胸を張って、ヒーローだと言いたかった。

 

 なのに今の自分は、黒い装甲を纏い、顔を隠し、クラスメイトを殴り倒している。

 

 それなのに、飯田は“飯田天哉”のまま立っている。委員長で、ヒーロー科で、皆を助ける側のまま。

 

 僕ばっかり。

 

 喉の奥で、黒い感情が泡立つ。

 

 何で僕ばっかり……!

 

 その瞬間、出久の中で何かが切れた。

 

 バキッ。

 

 装甲内部で、骨が軋む。

 

 黒いヴィランが、ゆっくり立ち上がった。

 

「……!」

 

 飯田の肩が、びくりと揺れる。空気が変わった。

 

 さっきまでの相手は、“任務として自分を止めている”感じだった。だが今、目の前にいる黒いヴィランは違う。もっと危うい。何か一線を踏み越えかけている。そんな気配だった。

 

「貴様……」

 

 飯田が、思わず半歩下がる。エンジンはまだ使えない。脚が重い。だが、それ以上に本能が警鐘を鳴らしていた。

 

 目の前の相手は、今、本気で危険だと。

 

 一方で、出久の頭は妙に冷えていた。

 

(いっそ)

 

 そんな考えが浮かぶ。

 

(もう全部、滅茶苦茶にしてやろうかな)

 

 クラスメイトも、雄英も、ヒーローも。自分だけ泥の中へ沈められているなら、いっそ全部ぶち壊してやりたい。

 

 そんな黒い衝動が、胸の奥で膨れ上がる。

 

 最低だ。八つ当たりだと分かっている。それでも、止まらない。

 

 ギギギッ——

 

 黒い装甲の隙間で、筋肉と骨格が膨れ上がる。

 

 筋骨発条化。

 

 圧縮。

 

 加速準備。

 

 ドンッ!!

 

 床が砕けた。

 

「っ!!」

 

 飯田の視界から、黒いヴィランが消える。

 

 筋骨発条化。圧縮された筋肉と骨格が、一気に解放される。爆発的推進。人間の踏み込みじゃない。砲弾だった。

 

「がっ——!?」

 

 次の瞬間、黒い拳が飯田の腹へめり込んでいた。衝撃。肺が潰れる。呼吸が消える。飯田の身体が浮き上がり、そのまま壁へ叩き付けられた。

 

 ドゴォッ!!

 

「ぐっ……!」

 

 コンクリートへ亀裂が走る。だが、飯田は倒れない。膝を震わせながらも、無理やり身体を起こす。

 

「まだ……だ……!!」

 

 委員長として。皆を助けるために。ここで止まる訳にはいかない。

 

 だが、脚部エンジンは沈黙していた。白煙だけが、虚しく噴き出している。加速出来ない。いつもの速度がない。

 

 その瞬間、黒いヴィランが再び踏み込んだ。

 

「っ!!」

 

 速い。

 

 飯田は反射的に腕を上げる。防御。だが。

 

 ドガッ!!

 

「がぁっ!!」

 

 拳、肘、肩。装甲ごと身体を叩き潰すみたいな連打。一撃ごとに、筋骨発条化による爆発的推進が乗っている。

 

 まるで、人型の杭打ち機だった。

 

 飯田の身体が、何度も壁へ叩き付けられる。

 

 ドンッ!!

 

 バキッ!!

 

 ゴッ!!

 

「ぐっ……!」

 

 飯田は歯を食い縛る。迎え撃つ。脚は死んでいても、腕は動く。拳を放つ。肘を打つ。

 

 だが、黒いヴィランはそれすら見切っていた。最小限の動きで逸らし、潜り込み、更に殴る。

 

 速い。

 

 重い。

 

 そして、妙に知っている。

 

 飯田の動きを。癖を。反応を。

 

 何故だ……!!

 

 飯田の背筋へ寒気が走る。その瞬間。

 

 ゴッ!!

 

「ぁ——!!」

 

 拳が、顔面へめり込んだ。視界が白く弾け、身体が揺れる。

 

 それでも飯田は倒れなかった。

 

「……まだ……!」

 

 ふらつきながら立つ。血が口端から垂れる。それでも、飯田の目はまだ死んでいない。

 

「僕は……!」

 

 委員長だ。

 

 皆を助ける。

 

 その言葉を、もう一度言おうとした瞬間。

 

 ドォンッ!!

 

「がはっ——!?」

 

 今度は膝。爆発的加速を乗せた蹴りが、飯田の胴へ突き刺さる。骨が軋む音。胃液が込み上げる。飯田の身体が折れ曲がり、そのまま地面へ崩れ落ちた。

 

 膝をつく。

 

「っ……は……」

 

 呼吸が出来ない。腕も震える。立てない。視界が滲む。

 

 その前へ、黒いヴィランがゆっくり立っていた。

 

「……」

 

 無言。ただ見下ろしている。

 

 その姿は、まるでヒーローじゃなく、誰かを壊すためだけに存在する怪物みたいだった。

 

 一方で、マスクの奥。出久の胸の奥へ、じわりと黒い快感が滲む。

 

(あ……)

 

 満たされた。

 

 ほんの少しだけ。

 

 飯田天哉を。“正しい側”に立っている人間を。無理やり地面へ引き摺り下ろした。

 

 その事実が、醜い欲求を微かに満たしてしまった。

 

 そして同時に。

 

「……っ」

 

 猛烈な吐き気が、込み上げた。

 

(何やってるんだ、僕……)

 

 目の前で膝をつく飯田。傷だらけのクラスメイト。それを、自分が殴った。

 

 自分の意思で。

 

 自分の嫉妬で。

 

 ガリッ。

 

 奥歯が軋む。

 

 止まれない。止まりたい。でも、AFOの言葉が頭から離れない。

 

 母親。梅雨。峰田。

 

 守るため。仕方なかった。

 

 なのに。

 

 違う。

 

 胸の奥で、別の声がする。

 

 今のは、“仕方なく”じゃない。

 

 飯田を殴っていた時、一瞬だけ気持ちよかった。

 

 その事実が、出久自身を何より深く傷付けていた。

 

 飯田天哉は、膝をついたまま荒い呼吸を繰り返していた。

 

「っ……は……っ……」

 

 立とうとしている。まだ、諦めていない。

 

 その姿が、出久には妙に痛々しかった。

 

 黒い装甲の奥で、出久はゆっくり拳を握り直す。

 

 拘束して……終わらせないと。

 

 殺す気はない。そんなつもりはない。ただ、動けなくして、時間を稼いで。それで——

 

 その瞬間だった。

 

『——緑谷出久君』

 

「っ!?」

 

 耳元で、突然声が響いた。ヘルメット内部の通信装置。低く掠れた、聞き慣れた声。

 

 AFO。

 

 出久の全身が強張る。

 

『よくやった』

 

 機械混じりのノイズ。だが、その声音には僅かな緊張が混じっていた。

 

『もう十分だ。撤退したまえ』

 

「……え?」

 

 出久が思わず声を漏らす。

 

 AFOは続けた。

 

『そこにいては危険だ』

 

 短い。

 

 焦っている。

 

 その事実に、出久は違和感を覚えた。AFOは、もっと余裕のある人間だった。常に穏やかで、底が見えなくて、何が起きても全て予定通りだと言わんばかりの男だった。

 

 なのに、今の声は違う。

 

 急いでいる。

 

「……危険?」

 

 出久の喉が乾く。

 

『今すぐ離れなさい』

 

 通信越しの声が、低くなる。

 

『早く』

 

「……」

 

 その時、飯田が、はっと顔を上げた。

 

「……!」

 

 砕けた仮面から覗く、ボロボロの顔。腫れた頬。血の滲む口元。それでも、その目だけが一気に見開かれる。まるで、絶望の中で希望を見付けたみたいに。

 

「……来た」

 

 掠れた声。

 

 飯田の目が、道路の先を見つめていた。出久も反射的に振り向く。

 

 USJ本校舎方向。遠く。崩れた通路の向こう側。そこに、人影があった。

 

「——」

 

 ゆっくり、一歩ずつ、こちらへ歩いてきている。

 

 派手な動きはない。走ってもいない。だが、その姿が見えた瞬間、空気が変わった。

 

 重かった圧迫感が、別の何かへ塗り潰される。まるで、その人影一つで、場の支配権そのものが変わっていくみたいだった。

 

『撤退しろ、緑谷出久』

 

 AFOの声が、今度は明確に焦りを滲ませる。

 

『今すぐだ』

 

 だが、出久は動けなかった。視線が吸い寄せられる。

 

 歩いてくる人影。逆光の中、遠目からでもはっきり分かる特徴的な髪型。そのシルエットを見た瞬間、飯田天哉が震える声で叫んだ。

 

「オールマイト……!!」

 

 その名前を聞いた瞬間、出久の心臓が凍り付いた。

 

「——っ」

 

 オールマイト。

 

 平和の象徴。

 

 自分が憧れ続けた、最高のヒーロー。

 

 その人影が、ゆっくりこちらへ歩いてくる。

 

『逃げろ』

 

 通信越しのAFOの声が、鋭くなる。

 

『今すぐだ』

 

「っ……!」

 

 その瞬間、出久の身体が反射的に動いた。

 

 ドンッ!!

 

 筋骨発条化。圧縮解放。黒い装甲のヴィランが、一気に踵を返す。

 

「待て……!!」

 

 飯田の叫び。だが、もう止まれない。

 

 出久は、そのままUSJ内部へ飛び込んだ。通路。瓦礫。崩れた壁。戦闘音。全部を置き去りにして走る。

 

 逃げる。

 

 オールマイトから。

 

 憧れから。

 

 ヒーローから。

 

 嫌だ。

 

 呼吸が乱れる。胸が痛い。

 

 嫌だ嫌だ嫌だ——!!

 

 何で。

 

 何でこんなことになった。

 

 クラスメイトを殴った。飯田を。委員長を。皆を助けようとしていた奴を。

 

 しかも、正体を隠して。ヴィランみたいな格好をして。闇の中へ逃げ込んでいる。

 

「っ……ぁ……!」

 

 叫びそうになる。喉の奥が焼ける。だが、声を出せない。出した瞬間、本当に全部壊れてしまいそうだった。

 

 通路を曲がる。更に奥へ。人気のない崩落エリア。そこで、ようやく出久は壁へ身体を叩き付けるように止まった。

 

「はっ……はっ……!」

 

 呼吸が荒い。

 

 震える手で、ヘルメットへ触れる。

 

 ガチッ。

 

 ロック解除。フルフェイスマスクが外れる。

 

「っ……!」

 

 冷たい空気が顔へ触れた瞬間、猛烈な吐き気が込み上げた。出久は壁へ手を付き、そのままえずく。

 

「ぅ……ぉぇ……!」

 

 胃液。涙。呼吸。全部ぐちゃぐちゃだった。

 

 僕は……。

 

 何をした。

 

 何になった。

 

 オールマイトから、逃げた。

 

 自分が一番憧れていた人から。顔を隠して、名前を捨てて、ヴィランみたいに。

 

「……っ」

 

 震える手で、装甲を剥がしていく。肩部。腕部。脚部。骨みたいな突起を持つ黒い装甲が、一つずつ床へ落ちる。

 

 ガシャン。

 

 ガラン。

 

 無骨な音。まるで、自分の中の何かが剥がれていくみたいだった。

 

 だが、最後に残った胸部装甲を外した瞬間、出久は逆に理解してしまった。

 

 違う。

 

 これは脱いだんじゃない。

 

 隠しただけだ。

 

 自分の中に生まれた黒い感情を。嫉妬を。暴力を。全部、見えない場所へ押し込めただけだ。

 

「……ぁ」

 

 その時、足元の影がぬるりと揺れた。

 

 黒い泥。

 

 転移ゲート。

 

 AFOの個性。

 

『早く』

 

 通信越しの声。

 

『置いていきたまえ』

 

「……っ」

 

 出久は、震える手で装甲を掴む。

 

 黒いヴィランスーツ。

 

 匿名。

 

 暴力。

 

 悪。

 

 自分が、ほんの少しだけ気持ちいいと思ってしまった姿。

 

「……っ!!」

 

 出久は、叫ぶ代わりに、そのスーツを黒い泥の中へ叩き込んだ。

 

 ぬるり、と泥が装甲を飲み込む。まるで、最初から存在しなかったみたいに、闇の中へ沈めていく。

 

 そして、その場へ残ったのは、荒い呼吸を繰り返す緑谷出久だけだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。