間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第20話 一件落着

 荒い呼吸が、少しずつ落ち着いていく。

 

 USJ崩落エリア。瓦礫の陰で、緑谷出久は震える手を伸ばし、雄英のヒーロースーツを引き寄せた。

 

 見慣れた緑色の生地は、傷だらけで、水も泥も染み込んでいる。だが、さっきまで纏っていた黒い装甲より、ずっと軽く見えた。

 

「……っ」

 

 出久は、ゆっくり袖を通す。

 

 腕。脚。首元。一つずつ確かめるように装着していく。まるで、自分がまだ“緑谷出久”であることを確認するみたいに。

 

 最後にグローブを嵌めた瞬間、ほんの少しだけ呼吸がしやすくなった気がした。

 

 だが、胸の奥に沈んだ黒い感情は消えていない。

 

(……戻らないと)

 

 梅雨と峰田を置いてきた。

 

 AFOは「危害は加えない」と言っていた。けれど、信用できるはずがない。

 

 戦闘音は、さっきより遠ざかっていた。時折、爆音や崩落音が響くものの、先程までの絶望的な混乱とは空気が違う。

 

 オールマイトが来た。

 

 その事実だけで、場全体の流れが変わっているのが分かった。

 

「……」

 

 出久は足音を抑えながら、来た道を戻る。

 

 怖かった。

 

 もし、二人がいなかったら。もし、黒い泥だけが残っていたら。もし、自分が戻った時には、もう全部手遅れだったら。

 

 そんな想像ばかりが浮かぶ。

 

 そして、曲がり角を一つ抜けた瞬間。

 

「……!」

 

 出久の身体が止まった。

 

 壁際に、蛙吹梅雨と峰田実がいた。

 

 二人とも、変わらない体勢のまま倒れている。梅雨は壁へ凭れ掛かるように。峰田はその隣へ崩れるように。

 

 ぴくりとも動かない。

 

 一瞬、出久の心臓が止まりかけた。

 

「蛙吹さん!!」

 

 慌てて駆け寄り、膝をついて梅雨の肩へ触れる。

 

 温かい。

 

 呼吸もある。

 

「……っ」

 

 次に、峰田を見る。

 

「峰田君……!」

 

 こちらも生きている。気絶したままだが、胸は浅く上下していた。

 

 その瞬間、出久の全身から一気に力が抜けた。

 

「……よかった……」

 

 掠れた声だった。

 

 本当に、心の底から安堵していた。

 

 もし二人に何かあったら、自分はもう戻れなかった気がした。

 

「……ごめん」

 

 ぽつりと呟く。

 

 二人は答えない。眠ったままだ。

 

 それが逆に、胸へ刺さった。

 

 出久は、ゆっくり立ち上がる。そして梅雨を背負った。

 

「っ……」

 

 軽い。

 

 だが、その軽さが怖かった。

 

 続けて、峰田の腕を肩へ回す。

 

「よ、っと……」

 

 二人分の重みが、疲労した身体へ掛かる。

 

 重い。

 

 だが、不思議と、さっきまでのような苦しさはなかった。

 

 出久は、ゆっくり前を見る。

 

 USJ入口広場。戦いの中心。

 

 そこへ向かえば、先生たちもいるはずだ。

 

「……帰ろう」

 

 小さく呟く。

 

 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からなかった。

 

 緑谷出久は、気絶したクラスメイト二人を支えながら、ゆっくりと入口広場へ向かって歩き始めた。

 

 広場へ近付くにつれ、空気が震える。

 

 重低音。衝撃。コンクリートの軋む音。まるで巨大な爆弾でも炸裂しているみたいだった。

 

「っ……」

 

 出久は二人を支えたまま歯を食い縛る。

 

 足が重い。全身が痛い。それでも止まれなかった。

 

 その時だった。

 

 ドゴォォォォンッ!!!!

 

 凄まじい轟音が、USJ全体を揺らした。

 

「っ!?」

 

 出久が反射的に身を低くする。

 

 次の瞬間、広場側の壁を突き破り、巨大な人影が吹き飛んできた。

 

 コンクリート片が散る。瓦礫が跳ねる。その巨体は地面を何度もバウンドしながら滑り、ようやく停止した。

 

「が……ぁ……」

 

 あの大男だった。

 

 生徒たちをまとめて吹き飛ばした怪物。筋肉の塊みたいな異形。

 

 その巨体が、今は地面へめり込みながら痙攣している。

 

「……!」

 

 出久の目が見開かれる。

 

 そして、土煙の向こうから一つの影が歩いてきた。

 

 重い足音。

 

 一歩。また一歩。

 

 それだけで空気が震える。

 

「……オール、マイト」

 

 掠れた声が漏れた。

 

 平和の象徴。No.1ヒーロー。

 

 だが、いつもの姿とはどこか違っていた。

 

 笑っていない。

 

 あの豪快な笑顔がない。

 

 ネクタイはちぎれ飛び、スーツも各所が破れている。腕には擦過傷があり、頬にも血が滲んでいた。

 

 そして、呼吸も。

 

「はぁ……っ」

 

 荒い。

 

 ほんの僅かだが、確かに乱れている。

 

 既に激しい戦闘を繰り広げた後なのだと、一目で分かった。

 

 それでも、立っているだけで場を支配していた。

 

 オールマイトは、ゆっくり大男を見下ろす。その視線に、普段の陽気さはない。

 

 怒っていた。

 

 静かに。底の方で煮え立つみたいに。

 

「……やはり鈍ったな」

 

 低い声。

 

「全盛期なら二、三十発も打てば十分だったが、千発近くも打ってしまったよ! ……げほっ」

 

 それだけで、周囲のヴィランたちが息を呑むのが分かった。

 

 広場の各所には、倒れたヴィランたちが転がっている。捕縛布に絡め取られた者。瓦礫へ埋まり気絶している者。13号のブラックホールで装備を失い、戦意を喪失している者。

 

 広場の至る所に、ヴィランたちが倒れていた。

 

 オールマイトは、ゆっくり周囲を見渡す。

 

 その鋭い視線だけで、まだ立っていた数人のヴィランが思わず後退った。

 

「来るなら来たまえ!」

 

 ドンッ、とオールマイトが一歩踏み出す。

 

 空気が震えた。

 

 ヴィランたちの顔が引き攣る。

 

 だが、次の瞬間、オールマイトはふっと周囲を見回し、少しだけ肩を竦めた。

 

「……とはいえ、ほとんど相澤君と13号君によって制圧済みかな」

 

「……っ」

 

 離れた位置で膝をついていた相澤が、片目だけでオールマイトを見る。

 

 全身血塗れ。捕縛布も裂けている。それでも、まだ倒れていない。

 

 13号も、生徒たちを庇うように立っていた。スーツは損傷し、呼吸も荒い。だが、こちらも戦意は失っていなかった。

 

 その姿を見て、出久の胸がぎゅっと締め付けられる。

 

 皆、ボロボロだった。

 

 それでも、まだ立っている。

 

 ヒーローとして。

 

 その時だった。

 

「……げほっ」

 

 不意に、オールマイトの身体が大きく揺れた。

 

「!」

 

 出久の目が見開かれる。

 

 次の瞬間、ボタリ、と赤い血が地面へ落ちた。

 

「オールマイト!?」

 

 13号が声を上げる。

 

 オールマイトは口元を押さえたまま、数歩よろめいた。呼吸が乱れ、肩が大きく上下している。

 

「……っ、はぁ……」

 

 苦しそうだった。

 

 普段の彼からは、想像も出来ないほど。

 

 出久の背筋へ冷たいものが走る。

 

(まさか……)

 

 消耗。

 

 いや、それだけではない。

 

 どこか、無理やり立っているみたいだった。限界を超えた状態で、無理矢理“オールマイト”を維持しているような。

 

「……問題ない」

 

 オールマイトは、口元の血を乱暴に拭った。

 

「生徒たちの前だからね」

 

 掠れた呼吸の合間。それでも、彼は笑おうとした。

 

「教師が弱った顔を見せる訳には——」

 

 その時だった。

 

 ぬるり、と。

 

 倒れ伏した大男の周囲。地面の影が、黒く滲んだ。

 

「……!」

 

 出久の五感強化が、即座に警鐘を鳴らす。

 

 黒い泥。

 

 見覚えがあった。

 

 いや、忘れられる訳がない。

 

「っ——!」

 

 出久の喉が、無意識に強張る。

 

 一方で、相澤の片目が鋭く細められた。

 

「……乗り込んできたのと同じ、転移系の個性か」

 

 黒い泥は、じわじわと大男の身体を包み始める。

 

 巨体。筋肉。その全てが、底なし沼みたいな闇へ沈み込んでいく。

 

「お、おい!?」

 

 離れていたチンピラヴィランの一人が、慌てて叫んだ。

 

「待て!! 俺たちも連れてけ!!」

 

 別のヴィランも、半狂乱で走り出す。

 

「ふざけんな! 置いてく気かよ!!」

 

 次々と泥へ飛び付こうとする。だが、泥は大男以外を受け入れなかった。

 

 触れた瞬間、弾かれる。

 

「ぐあっ!?」

 

 ヴィランの一人が地面へ転がった。

 

「な、なんでだよ!!」

「俺ら仲間だろ!?」

「おい!! 待て!!」

 

 悲鳴みたいな叫びが飛び交う。

 

 だが、泥は何も答えない。ただ静かに、淡々と、大男だけを飲み込んでいく。

 

「……」

 

 オールマイトが、険しい目でそれを見据える。

 

 踏み込もうとした。

 

 だが。

 

「っ……!」

 

 ぐらり、と再び身体が揺れた。

 

 ほんの一瞬。

 

 その遅れだけで十分だった。

 

 ズブリ、と巨大な身体が完全に泥へ沈み込む。

 

 そして次の瞬間、黒い泥そのものが音もなく消えた。

 

「……っ」

 

 静寂。

 

 そこには、もう何もない。

 

 ついさっきまで存在していたはずの怪物が、忽然と消えていた。

 

 場が、静まり返る。

 

 残されたヴィランたちは、完全に戦意を失っていた。

 

「う、嘘だろ……」

「置いてかれた……?」

「俺たち、捨て駒かよ……」

 

 誰かが逃げようとした。

 

 だが。

 

「そこまでだ!」

 

 入口側から、鋭い声が響く。

 

 複数の足音。次の瞬間、USJ入口広場へ雄英の教師たちが雪崩れ込んできた。

 

 プレゼント・マイク。

 

 セメントス。

 

 エクトプラズム。

 

 他にも複数のプロヒーローたち。

 

 飯田が呼んだ救援だった。

 

「生徒の保護を優先! 動ける者はヴィランを拘束しろ!」

 

 教師たちの動きは早かった。

 

 戦意を失ったヴィランたちは、もはや抵抗らしい抵抗も出来ない。

 

 セメントスが床と壁を変形させ、逃走経路を塞ぐ。エクトプラズムの分身が散り、倒れたヴィランたちを次々と拘束していく。

 

 プレゼント・マイクの声が、広場全体へ響いた。

 

「動くなよ!! 次に動いた奴は鼓膜ごと持ってくぜ!!」

 

 その一喝で、残っていたチンピラたちは完全に固まった。

 

 事件は、終わった。

 

 少なくとも、表面上は。

 

「生徒確認!」

 

「救護班を呼べ!」

 

「相澤先生を先に!」

 

「13号先生もだ!」

 

 広場は一気に騒がしくなる。

 

 出久は、梅雨と峰田を支えたまま、入口近くで立ち尽くしていた。

 

「緑谷!」

 

 誰かの声。

 

 切島だった。

 

「お前、無事だったのか!?」

 

「あ……う、うん」

 

 出久は、うまく返事が出来なかった。

 

 切島の視線が、背中の梅雨と峰田へ向く。

 

「二人とも怪我してんのか!?」

 

「気絶してるだけ、だと思う。でも蛙吹さんは頭を……」

 

「救護班! こっちも頼む!!」

 

 すぐに教師が駆け寄ってくる。梅雨と峰田が担架へ移される。

 

 出久の背中から二人分の重みが消えた瞬間、足元が急に頼りなくなった。

 

「……っ」

 

 膝が震える。

 

 だが、倒れる訳にはいかなかった。

 

 倒れたら、何かが全部漏れてしまいそうだった。

 

 やがて、被害状況が少しずつ整理されていく。

 

 A組の生徒たちは、擦過傷や打撲、軽い裂傷を負った者が多かった。だが、飯田を除けば命に関わる重傷者はいない。

 

 水難ゾーンの梅雨は頭部打撲と出血。峰田は個性の過剰使用による出血と消耗。それでも処置が早ければ後遺症は残らないだろうと救護担当は言った。

 

 問題は、飯田だった。

 

 救護班が担架を運び込んだ時、彼の姿を見たA組の空気が凍った。

 

 顔は腫れ、口元に血が滲み、胴や腕には打撲痕が広がっている。

 

「飯田君……!?」

 

 麗日が息を呑む。

 

「誰にやられたんだ……?」

 

 上鳴の声が震えた。

 

 飯田は意識を失っていた。だが、担架に乗せられてもなお、その手は何かを掴もうとするみたいに僅かに動いていた。

 

 出久は、何も言えなかった。

 

 喉が塞がる。視界が揺れる。

 

 自分がやった。

 

 その事実だけが、胸の奥で冷たく沈んでいる。

 

 一方、教師側の被害も大きかった。

 

 相澤は数か所の骨折。眼球と視神経への負担も大きく、目には軽い後遺症が残る可能性があるという。

 

 13号は全身の打撲と裂傷。スーツ越しでも衝撃を殺し切れず、しばらく入院生活を余儀なくされるらしい。

 

 それでも二人は、生徒を守り切った。

 

 誰一人、死なせなかった。

 

「……」

 

 出久は、救護班に運ばれていく相澤と13号を見つめる。

 

 その背中が、痛いほど眩しかった。

 

 オールマイトは、少し離れた場所に立っていた。

 

 もう笑ってはいない。

 

 血を拭った口元を固く結び、消えた大男のいた場所をじっと見ている。そこにはもう、黒い泥の痕跡すら残っていなかった。

 

 USJ襲撃事件。

 

 雄英高校を狙った大規模ヴィラン襲撃。

 

 それは、教師たちとオールマイトの介入によって収束した。

 

 だが、出久だけは知っていた。

 

 これは終わりではない。

 

 AFOは、大男を回収した。自分は飯田を殴った。そして、黒いスーツは泥の向こうへ消えた。

 

 何も終わっていない。

 

 ただ、隠されたのだ。

 

 自分の罪ごと。

 

 

 

 

 

 

 ──USJ襲撃事件から、数日後。

 

 生徒たちは一時的に自宅待機となり、負傷者の多くは提携病院へ搬送されていた。

 

 出久は、静かな病院の廊下を歩いている。

 

 手にはコンビニ袋。

 

 スポーツドリンク。ゼリー飲料。個包装のお菓子。

 

 何を持っていけば正解なのか分からず、結局無難な物ばかりになった。

 

「……」

 

 足取りが重い。

 

 理由は、自分でも分かっていた。

 

 峰田に会うのも、飯田に会うのも怖かった。特に飯田。自分が殴った相手だ。黒い装甲越しとはいえ、あの時の感触はまだ腕に残っている。

 

(気付かれてる訳……ない)

 

 そう自分へ言い聞かせる。

 

 槍骨は使っていない。声も出していない。正体が露見する要素はない。

 

 なのに、飯田の真っ直ぐな目を思い出す度、胃の奥が重くなった。

 

「……失礼します」

 

 静かに病室の扉を開ける。

 

「あ」

 

 最初に反応したのは峰田だった。

 

 ベッドの上で上半身を起こし、頭へ包帯を巻いている。

 

「緑谷ぁ!」

 

 思ったより元気な声だった。

 

「お見舞い来てくれたのか!?」

 

「う、うん」

 

 出久がぎこちなく笑う。

 

 そして、もう一つのベッドへ視線を向けた瞬間。

 

「緑谷君」

 

 飯田天哉が、姿勢を正した。

 

 右腕へ固定具。額にも包帯。脚部にも治療痕が見える。USJの時より明らかに消耗していた。

 

 それでも、背筋は真っ直ぐだった。

 

「身体は大丈夫なのかね!?」

 

「え、あ……僕はその、大丈夫」

 

「そうか!」

 

 飯田が強く頷く。

 

「なら良かった! 君もかなり無理をしていたようだったからな!」

 

「……っ」

 

 出久の喉が、僅かに詰まる。

 

 飯田は知らない。

 

 自分を止めていた黒いヴィランが、目の前にいることを。

 

「しかし!」

 

 飯田が悔しそうに拳を握った。

 

「情けない話だ……! 俺は結局、助けを呼びに行く途中でヴィランに妨害されてしまった」

 

「ヴィラン……」

 

 出久は、必死に平静を装う。

 

「ああ」

 

 飯田が頷く。

 

「USJ外部へ出ようとした瞬間、待ち伏せされていたのだ!」

 

 出久の背中へ、嫌な汗が流れる。

 

「妙なヴィランだった……」

 

 飯田が眉を寄せる。

 

「無骨な装甲を纏い、顔を完全に隠していたが……背格好からして、俺たちと同年代かもしれない」

 

「へ、へぇ……」

 

「動きも異様だった。速度を読むのが異常に上手く、こちらの動線へ正確に入り込んできた」

 

 やめてくれ。

 

 出久は心の中で叫びそうになる。

 

「しかも、身体強化系の個性を持っていたらしい」

 

 飯田は続ける。

 

「骨格か筋肉を圧縮するような……奇妙な加速だった」

 

「……」

 

 出久は、視線を逸らしそうになるのを堪える。

 

 だが、耐えられなかった。

 

 このままここにいたら、何かが顔に出る気がした。

 

 出久は、慌てるように立ち上がる。

 

「あ、あの!」

 

「ん?」

 

「お、お土産ここ置いとくね!」

 

 コンビニ袋を棚へ置く。手が少し震えていた。

 

「この後、その……蛙吹さんの所にもお見舞い行かなきゃだから……!」

 

「ああ、蛙吹君か!」

 

 飯田が納得したように頷く。

 

「彼女も頭部を負傷していたからな。安心させてあげてくれ」

 

「よろしくなー!」

 

 峰田が手を振る。

 

「う、うん」

 

 出久はぎこちなく笑った。

 

「じゃ、じゃあまた」

 

 逃げるみたいに病室を出る。

 

 扉が閉まった瞬間。

 

「……はぁっ」

 

 肺の奥に溜まっていた空気が、一気に漏れた。

 

 苦しい。

 

 胸が重い。

 

 飯田は、自分を疑っていない。峰田も、感謝してくれている。

 

 それが逆に、息が詰まるほど苦しかった。

 

「……」

 

 俯きながら廊下を歩く。

 

 その時だった。

 

 少し離れた個室病棟側で、カチャ、と扉が開く音がした。

 

 出久が反射的に顔を上げる。

 

 個室から、一人の男が出てきていた。

 

 雄英の制服。

 

 背の高い男子生徒。

 

「それじゃあオールマイト、また」

 

 男は軽く片手を上げながら病室へ言い、そのまま静かに扉を閉じた。

 

「——」

 

 出久の足が止まる。

 

 今、確かに。

 

 “オールマイト”と聞こえた。

 

「……え?」

 

 思わず声が漏れる。

 

 出久の視線が、閉じられた個室の扉へ吸い寄せられた。

 

(オールマイトが……入院?)

 

 胸がざわつく。

 

 USJで見た、血を吐く姿。荒い呼吸。無理やり立っているみたいだった背中。

 

 それが脳裏へ蘇る。

 

「……」

 

 気付けば、出久はそちらへ歩き出していた。

 

 一歩。また一歩。

 

 静かな病院の廊下に、靴音だけが響く。

 

 すると、個室前にいた男子生徒が、ようやく出久へ気付いた。

 

「ん?」

 

 視線が合う。

 

 次の瞬間。

 

「……あっ」

 

 男の顔色が変わった。

 

「き、君……今の聞いたかい!?」

 

「え?」

 

「いや違っ、違うんだ!!」

 

 突然、凄い勢いで弁解が始まる。男は慌てたように両手を振った。

 

「オール、ドント、マインド! 全部ドンマイだよねって言いたかったんだよね!」

 

 長身。金髪。日に焼けた肌。そして、やたら表情が豊かだった。

 

 出久は思わず目を瞬かせる。

 

「えっと……」

 

 出久が困惑していると、男ははっとしたように姿勢を正した。

 

「ごめんごめん。取り乱した! とにかく君の勘違いさ!」

 

 こほん、と咳払い。

 

 そして、今度は少し落ち着いた顔で笑う。

 

「ところで君は雄英の一年生、だよね?」

 

「あ、はい」

 

「そっかそっか!」

 

 男が、ぱっと明るく笑った。

 

「じゃあ俺、先輩だ!」

 

 親指で自分を指す。

 

「雄英ヒーロー科三年、通形ミリオ!」

 

 まるで太陽みたいな笑顔だった。

 

「よろしくね、後輩くん!」

 

 出久は、一瞬言葉を失う。

 

 三年。

 

 つまり、雄英のトップ学年。

 

 オールマイトの個室へ普通に出入りしている辺り、恐らく学内でも相当有名な人物なのだろう。

 

「あ……み、緑谷出久です」

 

「緑谷くん!」

 

 ミリオが、気さくに頷く。

 

「いやぁ、君たち大変だったね! USJの件、俺たちの学年でもめちゃくちゃ話題になってるよ」

 

「……」

 

 出久の肩が、僅かに強張る。

 

 だが、ミリオはそこへ気付いた様子もなく。

 

「でも、皆無事で良かった!」

 

 真っ直ぐそう言った。

 

 その笑顔が、少しだけオールマイトに似て見えて。

 

 出久の胸が、妙にざわついた。

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