間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第21話 そういうとこだぞ 

 数日後。

 

 緑谷家。

 

 自室の机へ向かったまま、出久は無言でペンを走らせていた。

 

 カリ、カリ、と。

 

 静かな部屋へ、筆記音だけが響く。

 

 机の上には、開かれた数冊のノート。

 

『ヒーロー分析ノート 』

 

 そのページの至る所へ、新しい文字が書き加えられていく。

 

 ページの端には、乱雑な図。

 

 拳の軌道。

 

 重心移動。

 

 踏み込み。

 

 連撃速度。

 

 そして。

 

『全盛期なら20〜30発』

 

 その文字だけが、少し強く筆圧が乗っていた。

 

「……」

 

 出久のペンが止まる。

 

 脳裏へ、USJの光景が蘇った。

 

 血。

 

 荒い呼吸。

 

 よろめく身体。

 

 それでも立ち続ける背中。

 

(オールマイト……)

 

 あの日。

 

 病院で、結局オールマイト本人とは会えなかった。

 

 個室へ近付こうとする度に。

 

「おっ、緑谷くん!」

 

 通形ミリオが現れる。

 

 しかも絶妙なタイミングで。

 

『いやぁ〜病院って退屈だよね!』

 

『そういえば一年生ってもう必殺技考えた!?』

 

『ねぇ聞いて! サーがさぁ。あ、サーって知ってる? 知ってるよね! オールマイトのサイドキックだもん!』

 

 妙に話が長い。

 

 そして、自然に廊下の奥へ押し戻される。

 

 あれは多分。

 

 わざとだった。

 

 出久も途中から気付いていた。

 

 だが。

 

 結局、押し切れなかった。

 

 ミリオは明るい。

 

 親しみやすい。

 

 なのに、妙な圧がある。

 

 気付けば会話の流れを握られている。

 

 あの笑顔のまま、自然に“入らせない”。

 

 そんな不思議な先輩だった。

 

 そして翌日。

 

『オールマイト、もう退院したらしいぜ!』

 

 クラスメイトから、そんな話だけを聞かされた。

 

「……」

 

 出久は、ゆっくりノートへ視線を落とす。

 

 紙面には、オールマイトの分析が並んでいた。

 

 昔から書いてきたもの。

 

 好きだった。

 

 楽しかった。

 

 ヒーローを知る事が。

 

 オールマイトを分析する事が。

 

 夢みたいに。

 

 楽しかった。

 

 なのに。

 

 今は。

 

 ページをめくる度、胸の奥がざわつく。

 

 USJで見た。

 

 “弱ったオールマイト”。

 

 あれを知ってしまったから。

 

「……っ」

 

 出久は、無意識にペンを握り締める。

 

 そして。

 

 ノートの空白へ、小さく書き足した。

 

『制限時間?』

 

 その文字を見た瞬間。

 

 心臓が、どくりと鳴った。

 

「……」

 

 静かな部屋。

 

 カーテンの隙間から、夕日が差し込んでいる。

 

 平和だった。

 

 少なくとも、表面上は。

 

 テレビでは、USJ襲撃事件の報道が連日流れている。

 

 ヴィラン連合。

 

 脳無。

 

 雄英襲撃。

 

 世間は騒然としていた。

 

 だが。

 

 どの報道にも、“黒いヴィラン”の話は出てこない。

 

 飯田を襲った存在。

 

 外部出口で戦っていた謎の装甲ヴィラン。

 

 その情報だけが、妙に曖昧なままだった。

 

 まるで。

 

 最初から存在しなかったみたいに。

 

「……」

 

 出久の視線が、机の引き出しへ向く。

 

 そこには。

 

 何もない。

 

 黒い装甲は、泥の中へ消えた。

 

 証拠は残っていない。

 

 なのに。

 

 未だに、腕へ感触が残っていた。

 

 飯田を殴った感触。

 

 押さえ付けた感触。

 

 そして。

 

 一瞬だけ。

 

 “壊したい”と思ってしまった、あの感情。

 

「……っ」

 

 出久は、ぎゅっと目を閉じた。

 

 その時。

 

 机の上のスマホが、小さく震えた。

 

 メッセージ通知。

 

 表示された名前を見て、出久の身体が僅かに強張る。

 

『飯田天哉』

 

『退院許可が出た! 心配を掛けてすまなかった!』

 

『また学校で会おう!』

 

 その一文を見つめたまま、出久はしばらく動けなかった。

 

「……」

 

 指先が、微かに震える。

 

 返信欄は開いたまま。

 

 だが、言葉が出てこない。

 

 何を書けばいいのか、分からなかった。

 

 お大事に。

 

 また明日。

 

 退院おめでとう。

 

 どれも、酷く白々しく思えた。

 

 結局。

 

『よかった。また学校で』

 

 それだけを送る。

 

 短い文。

 

 送信ボタンを押した瞬間、出久はスマホを伏せた。

 

 もう何も考えたくなかった。

 

「……寝よう」

 

 掠れた声で呟く。

 

 机のライトを消す。

 

 ノートを閉じる。

 

 そのままベッドへ倒れ込むと、疲労が一気に押し寄せてきた。

 

 身体も。

 

 頭も。

 

 限界だった。

 

 気付けば、そのまま眠りへ落ちていた。

 

 

 

 

 

 ──翌朝。

 

 空は、妙なくらい晴れていた。

 

 青い。

 

 雲一つない。

 

 まるでUSJの惨劇なんて存在しなかったみたいに、穏やかな朝だった。

 

「行ってきます」

 

 出久は、いつも通り家を出る。

 

 母の「気を付けてね」という声に、小さく返事をした。

 

 その瞬間だけ。

 

 AFOに囁かれた言葉が、脳裏を過る。

 

『君の母君もそうだ』

 

「——っ」

 

 出久は、無意識に拳を握った。

 

 駄目だ。

 

 考えるな。

 

 今は普通に。

 

 いつも通りに。

 

 そう自分へ言い聞かせながら、通学路を歩く。

 

 街には、USJ事件の話題が溢れていた。

 

『雄英も危なくなったな』

 

『オールマイトが来なかったらヤバかったらしいぜ』

 

 断片的な会話が耳へ入る。

 

 出久は俯いたまま、それを聞き流した。

 

 そして。

 

 やがて、雄英高校の巨大な校門が見えてくる。

 

「……」

 

 胸が、少しだけ重くなる。

 

 飯田。

 

 峰田。

 

 梅雨。

 

 皆、いつも通り接してくれるだろうか。

 

 自分は、いつも通り振る舞えるだろうか。

 

 そんな事を考えながら歩いていた、その時だった。

 

「やぁ☆」

 

「!?」

 

 ぬっ、と。

 

 突然、視界のすぐ横へ顔が現れた。

 

「うわぁっ!?」

 

 出久が飛び退く。

 

 そこには。

 

 金色の髪をきらきら光らせた男子生徒が立っていた。

 

 雄英高校ヒーロー科1-A。

 

 青山優雅。

 

 いつも通り、妙にキラついている。

 

 朝日を反射して、ベルトまで光っていた。

 

「大丈夫かい?」

 

 青山が、じっと出久を見る。

 

 普段みたいな芝居がかった笑顔。

 

 だが。

 

 その目だけは、妙に真剣だった。

 

「緑谷くん」

 

「……青山君」

 

 出久の喉が、少し強張る。

 

 共犯者。

 

 その言葉が、頭を過った。

 

 青山もまた。

 

 AFO側へ繋がる人間。

 

 USJで何が起きたのか。

 

 どこまで知っているのか。

 

 分からない。

 

 だが。

 

 少なくとも、“普通のクラスメイト”ではない。

 

「顔色が良くないよ?」

 

 青山が、肩を竦める。

 

「まぁ、無理もないけれどネ」

 

「……」

 

 出久は、言葉に詰まる。

 

 周囲では、他の生徒達が次々登校している。

 

 笑い声。

 

 挨拶。

 

 いつもの朝。

 

 なのに。

 

 自分達だけ、別の場所へ立っているみたいだった。

 

 青山は、そんな出久を数秒見つめ。

 

 ふっと小さく息を吐いた。

 

「……大変だったネ」

 

 その言葉が。

 

 妙に、癇に障った。

 

「……」

 

 出久の足が止まる。

 

 青山は、相変わらず軽く笑っている。

 

「Hm?」

 

 出久は、ゆっくり顔を上げる。

 

「青山君は……あの時、どこにいたの?」

 

 その瞬間。

 

 青山の笑顔が、ほんの僅かだけ止まった。

 

「USJの時」

 

 出久が続ける。

 

「ずっと姿が見えなかったけど」

 

「……あぁ」

 

 青山は、数秒だけ黙る。

 

 それから。

 

 少し困ったみたいに肩を竦めた。

 

「ボク、最初に吹き飛ばされた先がね」

 

 指先をひらひら動かしながら言う。

 

「ちょうど人気のないエリアだったんだヨ」

 

「……」

 

「だから、その……」

 

 青山が、視線を逸らす。

 

「ずっと隠れていたんだ☆」

 

 軽い口調。

 

 いつも通りのキラキラした話し方。

 

 だが。

 

 その内容だけは、酷く現実的だった。

 

「戦うの、怖かったしネ」

 

 青山は、あっさりと言う。

 

「先生達もいたし、下手に動くより隠れてた方がいいかなぁって」

 

「……」

 

 出久は、何も言わない。

 

 言えなかった。

 

 胸の奥で。

 

 何かが、どろりと蠢く。

 

(……あぁ)

 

 そうなんだ。

 

 と思った。

 

 青山は。

 

 戦わなかった。

 

 誰も殴っていない。

 

 誰にも脅されていない。

 

 飯田を止めてもいない。

 

 黒いスーツも着ていない。

 

 ただ。

 

 隠れていた。

 

 それだけ。

 

 なのに。

 

 それで普通に学校へ来て。

 

 普通に笑って。

 

 普通に“被害者側”として立っている。

 

「……君だけ」

 

 出久が、ぽつりと呟く。

 

「ん?」

 

「君だけ……ズルいじゃないか」

 

 青山の目が、僅かに見開かれた。

 

 出久自身も、口にしてから気付いた。

 

 今の声。

 

 少し。

 

 黒かった。

 

 どろりと濁った感情が、そのまま漏れ出たみたいに。

 

「僕は……」

 

 出久の喉が、ひりつく。

 

「僕は、皆を助けなきゃって思って動いて……」

 

 飯田を殴った。

 

 梅雨を背負った。

 

 オールマイトから逃げた。

 

 黒い衝動に飲まれかけた。

 

 なのに。

 

 青山は。

 

 何もせずに済んだ。

 

「……」

 

 青山は、黙ったまま出久を見る。

 

 その目から、いつもの軽薄さが少し消えていた。

 

「……緑谷くん」

 

 静かな声。

 

 出久は、はっとする。

 

 今、自分は何を言った。

 

 何をぶつけた。

 

 青山は悪くない。

 

 そんな事、分かっている。

 

 隠れるのだって、正しい判断だ。

 

 生き残るためなら。

 

 それでも。

 

 胸の奥の黒い感情は、止まらなかった。

 

 USJからずっと。

 

 燻り続けている。

 

 誰かを羨み。

 

 誰かを引きずり下ろしたいと願う、醜い感情。

 

「……ごめん」

 

 出久が、掠れた声で言う。

 

「今の、忘れて」

 

 それだけ言うと。

 

 出久は、逃げるみたいに歩き出した。

 

「緑谷くん——」

 

 背後で青山が何か言いかける。

 

 だが、出久は振り返らなかった。

 

 聞きたくなかった。

 

 今、自分がどんな顔をしているのか。

 

 どんな目をしているのか。

 

 知られたくなかった。

 

 足早に校門を潜る。

 

 朝の喧騒。

 

 生徒達の声。

 

 靴音。

 

 その中へ紛れ込むように、出久は校舎へ入っていった。

 

 廊下を歩く。

 

 窓から差し込む朝日が眩しい。

 

 普通の学校だ。

 

 USJであんな事があったのに。

 

 世界は、平然と続いている。

 

「……」

 

 出久は、深く息を吐く。

 

 そして。

 

 1-A教室の扉を開けた。

 

「お、緑谷!」

 

「おはよー!」

 

 教室の中は、思ったより騒がしかった。

 

 既にかなりの人数が登校している。

 

 包帯を巻いた者。

 

 湿布を貼っている者。

 

 腕を吊っている者。

 

 USJの傷跡は、まだあちこちに残っていた。

 

「緑谷くん!」

 

 飯田が、席から立ち上がる。

 

 まだ首元には固定具が残っていたが、表情はいつもの真面目な委員長そのものだった。

 

「昨日はメッセージありがとう!」

 

「う、うん……」

 

 出久は、ぎこちなく笑う。

 

 飯田の顔を見る度。

 

 脳裏へ、黒い装甲の感触が蘇る。

 

 殴った。

 

 押さえ付けた。

 

 それなのに。

 

 飯田は、何も知らない。

 

「いやぁ〜しかし参ったぜ!」

 

 峰田が、大袈裟に頭の包帯を叩く。

 

「オイラ、マジで死ぬかと思ったもん!」

 

「峰田ちゃん、うるさい」

 

 梅雨が呆れた声を出す。

 

 だが、彼女自身も額に小さな傷跡が残っていた。

 

「でもホント、緑谷ちゃんが助けてくれなかったら危なかったわ」

 

「……え?」

 

 出久が、思わず固まる。

 

「え、覚えてないの?」

 

 上鳴が口を挟む。

 

「蛙吹から聞いたけど、お前が二人背負って広場まで戻ってきたんだろ?」

 

「そうそう!」

 

 峰田が勢いよく頷く。

 

「背後からヴィラン来た時も、お前がなんか迎撃してくれたっぽいし!」

 

「正直、途中から記憶曖昧なんだけどネ」

 

 青ざめた顔で峰田が言う。

 

「気付いたら緑谷に担がれてたっつーか……」

 

「緑谷ちゃん、かなり無茶してたわよ」

 

 梅雨も静かに言った。

 

「だから、ありがと」

 

「——」

 

 出久は、言葉を失う。

 

 AFOの記憶はない。

 

 黒い泥も。

 

 脅迫も。

 

 黒い装甲も。

 

 二人の中では。

 

 “背後から襲ってきたヴィランを、出久が撃退した”事になっている。

 

「……そ、そっか」

 

 喉が、妙に乾いた。

 

「いや、そんな……大した事してないよ」

 

 嘘だった。

 

 だが。

 

 誰も疑わない。

 

 皆、普通に感謝してくる。

 

 それが逆に、胸へ刺さった。

 

「つーかさ!」

 

 切島が、机へ腰掛けながら言う。

 

「USJってマジでヤバかったよな!」

 

「でもオールマイト超かっこよくなかった!?」

 

 芦戸が身を乗り出す。

 

「あの最後のラッシュやばかったって!」

 

「いや相澤先生も相当だろ……」

 

 常闇が低く言う。

 

「一人であれだけ制圧していた」

 

 教室の空気は、妙に熱を帯びていた。

 

 USJの恐怖。

 

 ヴィラン襲撃。

 

 本来なら、もっと沈んでいてもおかしくない。

 

 だが。

 

 どこか皆、浮足立っている。

 

 興奮が抜け切っていないみたいに。

 

「つーかさ、マスコミめっちゃ来てるらしいぜ!」

 

「うわマジ?」

 

「雄英、今めちゃくちゃ注目されてるって!」

 

 騒がしい。

 

 落ち着かない。

 

 そんな空気の中。

 

 ガラリ、と。

 

 教室の扉が開いた。

 

 一瞬で、空気が静まる。

 

「……」

 

 相澤消太だった。

 

 包帯。

 

 固定具。

 

 片目には保護用の医療パッチ。

 

 明らかに重傷だ。

 

 なのに。

 

 いつも通り、気怠そうな顔で教卓へ向かってくる。

 

「せ、先生!?」

 

「もう動いて大丈夫なんですか!?」

 

「入院じゃ——」

 

「うるさい」

 

 相澤が、低く言う。

 

「骨折程度で教師休めるほど楽じゃない」

 

 いや骨折程度じゃないだろ、と何人かが顔を引き攣らせた。

 

 相澤は、そのまま寝袋を教卓脇へ放り投げる。

 

 そして。

 

 ぼそり、と言った。

 

「まぁ、そんな事より」

 

 教室の空気が、僅かに変わる。

 

 相澤は、片目でクラス全体を見渡した。

 

「そろそろ雄英体育祭だ」

 

「——は?」

 

 一瞬。

 

 教室全体が静まり返る。

 

 そして。

 

「うぉぉぉぉぉっ!!?」

 

 爆発した。

 

「マジか!!」

 

「来たぁぁぁ!!」

 

「全国放送のやつ!?」

 

「え、もう!?」

 

 空気が、一気に熱を帯びる。

 

 USJの話題すら吹き飛ばす勢いで。

 

 雄英体育祭。

 

 プロヒーロー達も注目する、全国規模の一大イベント。

 

 その名前が出た瞬間。

 

 クラス全体の目の色が変わった。

 

 だが。

 

 出久だけは。

 

「……体育祭」

 

 その言葉を、小さく反芻する。

 

 胸の奥で。

 

 USJから燻り続ける黒い感情が、また微かに蠢いていた。

 

 ──雄英体育祭。

 

 全国中継。

 

 プロヒーロー達の視線。

 

 そして。

 

 “自分を見せ付ける場所”。

 

「……」

 

 出久の指先が、机の下で微かに震える。

 

 勝てば。

 

 注目される。

 

 認められる。

 

 自分の力を示せる。

 

 そんな高揚感が、胸の奥でじわじわ膨らんでいく。

 

 一方で。

 

 黒い装甲。

 

 AFO。

 

 USJでの出来事。

 

 それら全部が、頭の隅へ張り付いて離れない。

 

 なのに。

 

 それでも。

 

 体育祭という言葉は、どうしようもなく特別だった。

 

 幼い頃から見てきた。

 

 憧れていた。

 

 ヒーロー達の登竜門。            

 

 だが。

 

 出久だけは。

 

「……体育祭」

 

 その言葉を、小さく反芻する。

 

 胸の奥で。

 

 USJから燻り続ける黒い感情が、また微かに蠢いていた。

 

 ──雄英体育祭。

 

 全国中継。

 

 プロヒーロー達の視線。

 

 そして。

 

 “自分を見せ付ける場所”。

 

「……」

 

 出久の指先が、机の下で微かに震える。

 

 勝てば注目される。

 

 認められる。

 

 自分の力を示せる。

 

 そんな高揚感が、胸の奥でじわじわ膨らんでいく。

 

 一方で。

 

 黒い装甲。

 

 AFO。

 

 USJでの出来事。

 

 それら全部が、頭の隅へ張り付いて離れない。

 

 なのに。

 

 それでも。

 

 体育祭という言葉は、どうしようもなく特別だった。

 

 幼い頃から見てきた。

 

 憧れていた。

 

 ヒーロー達の登竜門。

 

「……っ」

 

 出久は、無意識にノートを開いていた。

 

 空白へ、小さく書き込む。

 

『障害物競走?』

 

『騎馬戦』

 

『個性制限』

 

『対人戦』

 

 思考が止まらない。

 

 どんな競技になる。

 

 誰が強い。

 

 爆豪。

 

 轟。

 

 飯田。

 

 どう動く。

 

 どう勝つ。

 

 USJの重苦しさとは別の熱が、頭の中を埋め尽くしていく。

 

「おーい緑谷ー」

 

「……へ?」

 

 気付けば、授業が始まっていた。

 

 プレゼント・マイクの声が遠く聞こえる。

 

 黒板。

 

 教科書。

 

 ノート。

 

 だが。

 

 内容が頭へ入ってこない。

 

 出久の脳内は、完全に体育祭一色だった。

 

(轟君の氷をどう突破する)

 

(飯田君の加速は直線特化)

 

(爆豪君は開幕から飛ばしてくる)

 

(僕の機動力なら——)

 

 カリカリ、と。

 

 授業ノートの端へ、びっしりとメモが増えていく。

 

 気付けば昼休みも。

 

 午後の授業も。

 

 半分以上、上の空だった。

 

 耳へ入ってくるのは、断片的な言葉だけ。

 

『体育祭』

 

『プロ事務所』

 

『スカウト』

 

『指名』

 

 その度に、胸が熱くなる。

 

 そして。

 

 終礼。

 

「じゃ、今日はここまで」

 

 相澤の声が響いた瞬間。

 

 ガタッ!! 

 

 出久は、勢いよく立ち上がった。

 

「うおっ!?」

 

 椅子が大きく鳴る。

 

 周囲の視線が集まった。

 

「み、緑谷?」

 

「どした?」

 

「あっ、いやその!!」

 

 出久は慌てて鞄を掴む。

 

 頭の中は、もう作戦でいっぱいだった。

 

 体育祭。

 

 競技予測。

 

 対策。

 

 訓練。

 

 今すぐ整理したい。

 

「ちょっと用事思い出して!!」

 

 半ば叫ぶみたいに言うと、そのまま教室を飛び出した。

 

「なんだアイツ……」

 

「燃えてんなぁ……」

 

 背後でクラスメイト達の声が聞こえる。

 

 だが、出久は止まらない。

 

 廊下。

 

 階段。

 

 昇降口。

 

 一直線に駆け抜ける。

 

 校舎を出た瞬間。

 

 夕方の風が、熱くなった頭を少し冷やした。

 

「はぁ……っ、はぁ……っ」

 

 出久は、鞄から小さなメモ帳を引っ張り出す。

 

 そして歩きながら、必死に書き始めた。

 

『対爆豪:近距離危険』

 

『対轟:初動注意』

 

『飯田君は直角移動苦手?』

 

『騎馬戦なら機動力重要』

 

『僕の骨格補助をもっと——』

 

 文字がどんどん増えていく。

 

 書き留めないと、思考が溢れそうだった。

 

 憧れだった。

 

 雄英体育祭。

 

 テレビの向こう側だった舞台へ、自分が立つ。

 

 その事実だけで、胸が高鳴る。

 

(勝ちたい)

 

 自然と、そう思った。

 

 勝って。

 

 認められて。

 

 自分を示したい。

 

 そんな熱が、身体の奥で燃えている。

 

 その時だった。

 

 ブブッ。

 

「……?」

 

 スマホが震える。

 

 出久は、歩きながら画面を開いた。

 

 表示されたメッセージを見た瞬間。

 

 胸の熱が、一気に冷えた。

 

『用具倉庫の前に来なさい』

 

 送り主の名前は、表示されていない。

 

 だが。

 

 分かる。

 

 こんな短文。

 

 命令みたいな口調。

 

 そして。

 

 背筋を撫でる、この嫌な感覚。

 

「……チッ」

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