間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第29話 浅ましく、胸を張る

 出久は、携帯を握ったまましばらく動けなかった。

 

 通話はもう切れている。画面も暗くなっている。それなのに、耳の奥にはまだ、あの穏やかな声が残っていた。

 

「……」

 

 出久は、ゆっくりと携帯を伏せた。

 

 外からは、レクリエーションの音楽が聞こえている。プレゼント・マイクの明るい実況、観客の笑い声、生徒達の楽しそうな歓声。体育祭は、まだ続いている。

 

 けれど出久には、その中へ戻る気力が湧かなかった。

 

 騎馬戦で敗退した悔しさ。爆豪に奪われた瞬間の記憶。AFOからの電話。ヒーロー殺し。頭の中で、それらが全部絡まり合っていた。

 

「……駄目だ」

 

 出久は呟く。

 

「今は、考えすぎたら駄目だ」

 

 そう言って、途中だったテーピングへ視線を落とす。

 

 右腕。槍骨を伸ばしすぎたせいで、筋肉の奥がじんじんと痛んでいた。骨そのものより、周囲の組織が引っ張られたような感覚がある。

 

 出久はテープの端を掴み、巻き直した。

 

 ぐるり。少しきつい。

 

 剥がす。

 

 また巻く。今度は緩い。

 

 また剥がす。

 

 何度も、何度も同じところを巻き直していることに、自分でも途中で気付いた。

 

「……何やってるんだろ、僕」

 

 小さく笑おうとした。

 

 けれど、上手く笑えなかった。

 

 その時、控え室の扉が開いた。

 

「デク君?」

 

「えっ」

 

 出久は顔を上げた。

 

 そこに立っていたのは、麗日だった。

 

 ただし、いつもの体操服ではない。ヒーローコスチュームでもない。明るい色のチア衣装を着て、手にはきらきらしたポンポンを持っている。頬は赤く、口元は引きつっていた。

 

「……麗日、さん?」

 

「う、うん」

 

 麗日は妙に居心地悪そうに視線を泳がせる。

 

 出久は数秒、理解できずに固まった。

 

「……え?!」

 

「ち、違うんよ!? これは違うんよ!?」

 

 麗日が真っ赤な顔でポンポンをぶんぶん振る。

 

 出久は完全に思考停止していた。

 

 チア。麗日さん。チア。麗日さん。

 

 情報が頭の中で永久に反復横跳びしている。

 

「え、え、なんで!?」

 

「うちも聞きたい!」

 

 麗日が半泣きで叫んだ。

 

「峰田君と上鳴君が、『レクリエーションで女子がチア姿で応援合戦するらしい』って言ってきて! 体育祭の盛り上げ企画やって!」

 

「ええ!?」

 

「しかもめちゃくちゃ堂々と言うから、みんな普通に信じてもうて……!」

 

 麗日は顔を覆う。

 

 出久の脳裏に、八百万や蛙吹や耳郎達が困惑しながらチア衣装へ着替えている光景が浮かんだ。

 

「ま、まさか……」

 

「……A組女子、全員」

 

「全員!?」

 

「うん……」

 

 出久は絶句した。

 

 今、外ではレクリエーションの歓声が響いている。つまり、A組女子全員がチア姿で応援合戦をしている。

 

「……」

 

 出久は無言で天井を見上げた。

 

「峰田君、上鳴君……」

 

 珍しく、心の底から同情できないと思った。

 

 麗日はまだ羞恥で耳まで赤い。深いため息を吐いたあと、じろりと出久を見た。

 

「……で」

 

「え?」

 

「なんでそんな固まってるの」

 

「い、いやだって!」

 

 出久は慌てる。

 

「その、急に麗日さんがその格好で来たから……!」

 

「うぅ〜〜……!」

 

 麗日はポンポンで顔を隠した。

 

「だから見んといてって言ったのに……!」

 

「無理だよ!? 視界に入ってるし!?」

 

「デク君が変な意味で見てるみたいやん!」

 

「見てないよ!?」

 

「今めちゃくちゃ動揺しとるやん!」

 

「それはするよ!?」

 

 勢いで叫び返した瞬間、しん、と空気が止まった。

 

 麗日の顔がさらに赤くなる。出久も、自分が何を言ったのか理解して硬直した。

 

「……」

 

「……」

 

 数秒、気まずい沈黙が落ちる。外では陽気な音楽が流れているのに、ここだけ妙な静寂だった。

 

「……と、とにかく!」

 

 麗日が無理やり仕切り直す。

 

「今はそれはいいの!」

 

「う、うん!」

 

「ちょっと休憩しに来ただけで……」

 

 そこまで言って、麗日の視線が出久の腕へ落ちた。

 

 巻き直された跡だらけのテーピング。机に散らばったテープ。そして、出久の顔。

 

「……デク君」

 

 声色が、少し変わった。

 

「何かあったの?」

 

「え」

 

「さっきから、顔色悪いから」

 

 出久の肩が、ぴくりと揺れる。

 

 麗日はポンポンを脇に抱え、ゆっくり近付いてきた。

 

「騎馬戦負けたから、だけじゃない、よね?」

 

「……」

 

「ぼーっとしてるし。偶にそうなるよね、デク君」

 

 出久は思わず視線を逸らした。

 

 言えない。

 

 AFOのこと。ヒーロー殺しのこと。自分の秘密。そして、保険のこと。

 

 出久の視線が、無意識に自分の身体へ落ちる。

 

 皮膚の下。骨の奥。どこにあるのかも分からない。けれど確かに、“それ”は自分の中に仕込まれている。

 

 AFOは任意のタイミングで爆発する爆弾を、自分へ仕込んだのだと言った。

 

 脅しではない。冗談でもない。あの男なら、本当にやる。出久はそれを知っている。

 

 だから、誰にも言えない。

 

 もし警察へ話したら。もし先生へ相談したら。もしAFOが“裏切った”と判断したら。

 

 自分だけでは済まない。

 

 母が、クラスメイトが殺される。

 

「……」

 

 出久は、無意識に腹部を押さえていた。

 

 麗日の視線が、その動きを捉える。

 

「デク君?」

 

「っ」

 

 慌てて手を離す。

 

「な、なんでもない」

 

「……」

 

 麗日は黙った。けれど、疑うような顔ではなかった。心配そうな顔だった。

 

 そのことが、余計に苦しい。

 

 一人で抱え込むしかない。

 

 でも、もう限界だった。

 

 怖かった。

 

 頭の中だけで考え続けるには、恐怖が大きすぎた。

 

「……僕」

 

 出久は、俯いたまま口を開く。

 

「ちょっと、変なこと言うかもしれない」

 

「うん」

 

「笑わない?」

 

「笑わない」

 

 即答だった。

 

 その優しさに、胸の奥が少し痛む。

 

 出久は息を吐いた。

 

「僕……ずっと思ってるんだ」

 

 言葉が重い。

 

「僕は、皆が当然持ってるものを、持ってなくて」

 

 麗日は黙って聞いている。

 

「本当なら、ヒーローになんてなれない奴なんだ」

 

「……」

 

「皆みたいに、自然に前へ出られるわけじゃない。皆みたいに、“自分はここにいていい”って思えるわけじゃない」

 

 小さい頃からずっと、輪の外だった。見上げる側だった。

 

「だから、本当は資格なんかないんだ」

 

 出久は、自嘲気味に笑った。

 

「卑怯者なんだよ、僕」

 

「デク君——」

 

「なのに」

 

 言葉が震える。

 

「なのに、まだ諦められない」

 

 控え室が静かになる。外から聞こえる歓声だけが遠かった。

 

 麗日は、すぐには答えなかった。軽々しく否定しない。誤魔化さない。ちゃんと考えてくれている沈黙だった。

 

「……私ね」

 

 やがて、麗日が小さく言う。

 

「デク君が、何を抱えてるのか全部は分からない」

 

「……うん」

 

「でも」

 

 麗日は、真っ直ぐ出久を見た。

 

「今の話聞いて、卑怯とは思わないよ」

 

 出久が、僅かに目を見開く。

 

「怖いって思いながら、それでもヒーローになりたいんでしょ?」

 

「……」

 

「逃げたいって思う時もあるのに、それでも諦められないんだよね」

 

 麗日は、少しだけ困ったように笑う。

 

 出久の喉が詰まった。

 

「そういうの、浅ましいって思わない」

 

 ぽす、と麗日のポンポンが、出久の頭へ軽く乗せられる。

 

「むしろ、デク君らしいなって思う」

 

「……っ」

 

 出久は顔を伏せた。

 

 泣きそうになる。けれど、泣くわけにはいかなかった。

 

 もし涙が零れたら、本当に全部喋ってしまいそうだった。AFOのことも、身体の中の爆弾のことも、全部。

 

 だから出久は、必死に飲み込む。

 

 麗日は、それ以上聞かなかった。ただ隣に座ったまま、静かに言う。

 

「一人で抱え込みすぎたら、潰れるよ」

 

「……」

 

「全部話せとは言えない。事情、ありそうだもんね? でも、少しくらいは頼って」

 

 その言葉が胸に刺さる。

 

 頼りたい。本当は、怖いって言いたい。助けてほしい。

 

 でも、AFOはきっと、それすら計算している。

 

 だから出久は、震える声で小さく答えることしかできなかった。

 

「……うん」

 

 麗日は笑った。

 

「よし」

 

 チア衣装のまま、ポンポンを抱えたまま。その姿は少し間抜けで、でも今は不思議なくらい安心できた。

 

 出久は机の上の携帯を見る。

 

 黒い画面。静かなままのそれが、まるで爆弾そのものみたいに見えた。

 

 けれど、少なくとも今だけは一人きりではなかった。

 

 

 

 

 

 

 ──薄暗い部屋だった。

 

 壁一面を埋めるモニター、配線の束、低く唸り続ける冷却装置。薬品と機械油の匂いが混ざった空気の中で、無数の画面が青白く明滅している。

 

 その中央。

 

 一際大きなモニターには、雄英体育祭の中継が映っていた。

 

『さぁ続いてはァ! お待ちかね、一対一トーナメント抽選会だァァ!!』

 

 プレゼント・マイクの絶叫。観客の歓声。色とりどりの照明。祭りの熱気。

 

 それを、黒い影が生命維持装置でもある椅子に深く腰掛けながら眺めていた。

 

「……ふふ」

 

 ALL FOR ONE。

 

 その口元が、僅かに緩む。機械越しの呼吸音が、規則正しく響いていた。

 

 楽しそうだった。

 

 実際、機嫌が良かった。

 

 モニターの中では、チア衣装のA組女子が映り込み、観客席がさらに盛り上がっている。上鳴が何か叫びながら逃げ回り、峰田が瀬呂に拘束されていた。

 

 その騒がしさを眺めながら、AFOは喉の奥で小さく笑う。

 

「青春だねぇ」

 

 まるで、本当に微笑ましいものを見るような口調だった。

 

 その近くで、別のモニター群を操作していた小柄な老人が、面倒臭そうに鼻を鳴らした。

 

「えらい上機嫌じゃのう、AFO」

 

 志賀丸太。

 

 白衣姿のまま、幾つものデータ画面を切り替えながら呟く。

 

「電話の相手は、あの無個性の少年か?」

 

「……」

 

「随分と入れ込んでおるようじゃ。意外じゃなあ」

 

「意外、か」

 

 AFOは、モニターを見つめたまま呟いた。

 

 画面の中では、雄英の生徒達が笑い、騒ぎ、走り回っている。敗者も、勝者も、まだ何者にもなっていない少年少女達が、眩しいほど無防備に未来を信じていた。

 

 AFOは、その光景をひどく愉快そうに眺める。

 

「私はむしろ、幸運だったと思っているよ」

 

「幸運?」

 

「ああ」

 

 AFOの口元が、さらに深く緩んだ。

 

「緑谷出久は、素晴らしい拾い物だった」

 

 志賀の手が、操作盤の上で止まる。

 

 興味が湧いた、というほどではない。だが、確認する価値はあると判断したような動きだった。

 

 彼は傍らの端末から一枚のデータシートを呼び出し、印刷された紙束を手に取った。

 

 そこには、緑谷出久の名前。身体測定値、適性検査、投与後の反応記録、複数個性の定着率、拒絶反応の推移、脳波、ストレス下における出力変化。

 

 志賀はそれらへ目を通し、皺だらけの顔を僅かに顰めた。

 

「それほど優れた数値とは言えんが?」

 

 首を傾げる。

 

「耐性は確かに悪くない。無個性ゆえの空き容量もある。じゃが、突出しておるわけではない。肉体強度も精神安定性も平均を大きく超えるとは言い難い。戦闘センスも、データだけ見れば粗い」

 

 紙を一枚めくる。

 

「むしろ危うい。出力制御は未熟。自己評価は低い。恐怖反応も強い。まぁ、もう一人の青山優雅に比べれば幾分かマシじゃが」

 

 志賀は淡々と言った。

 

「素材としては面白いが、“素晴らしい”とまで言うほどかのう」

 

「君はいつも数字を見る」

 

 AFOは穏やかに言った。

 

「それが君の美点だ」

 

「数字は嘘を吐かん」

 

「だが、数字に出る前のものを見落とすことがある」

 

 志賀が鼻を鳴らす。

 

「詩人のようなことを言いよる」

 

「彼には才能がある」

 

 AFOは、はっきりと言った。

 

 モニターの中で、出久の姿が一瞬映る。レクリエーションには参加せず、控え室へ戻る途中の、俯いた少年。

 

「それは筋力でも、反応速度でも、個性の出力でもない」

 

「では何じゃ」

 

「若さだよ」

 

 AFOの声に、微かな愉悦が混じる。

 

「より正確に言えば——無軌道な欲望だ」

 

 志賀の目が細くなる。

 

「欲望?」

 

「ああ」

 

 AFOは肘掛けに指を置き、ゆっくりと叩いた。

 

「彼は自分を資格がないと思っている。持たざる者で、選ばれなかった者で、夢を見ることすら浅ましいと感じている」

 

 静かに、歌うように。

 

「それでも、捨てられない」

 

 AFOは笑った。

 

「ヒーローになりたいという願いを、どうしても捨てられない」

 

 志賀は、手元のデータへもう一度視線を落とす。

 

「執着、ということか」

 

「そうとも言える」

 

 AFOは頷く。

 

「だが、ただの執着ではない。飢餓だ。彼は長い間、外側から眺めていた。皆が当然のように持っているものを、自分だけが持っていなかった。その欠落は、人格の奥に深い空洞を作る」

 

 モニターには、爆豪が鉢巻を奪う瞬間のリプレイが映し出されていた。

 

 出久の顔。驚愕、喪失、悔しさ。それでも、直後に追い縋る動き。

 

「空洞を持つ者は、満たされることを渇望する」

 

「その渇望が、才能だと?」

 

「使い方次第ではね」

 

 AFOは穏やかに言った。

 

「人は満ち足りている時、あまり大きく変わらない。だが、飢えている者は違う。足りないものを求めて、常識も、倫理も、自己嫌悪も、時には命さえ燃料にする」

 

 志賀は黙って聞いていた。

 

 AFOの声は優しい。だが、その内容は、解剖台の上で少年の心臓を指差しているようだった。

 

「緑谷出久は、自分の欲望を善性で包んでいる。人を助けたい。ヒーローになりたい。誰かのために動きたい。実に美しい」

 

 そこで、AFOは小さく笑う。

 

「だが、美しい布を剥がせば、そこにあるのは単純だ」

 

 欲しい。なりたい。認められたい。届きたい。

 

 AFOは、まるで古い詩でも諳んじるように、その言葉を並べた。

 

「緑谷出久の根底にあるものは、単純だよ」

 

 機械越しの呼吸音が、薄暗い部屋に沈む。

 

「そして、単純だからこそ強力だ」

 

 志賀はデータシートから視線を上げた。

 

「コンプレックス、か」

 

「そう」

 

 AFOは満足そうに頷く。

 

「劣等感。欠落感。自分だけが持たなかったという記憶。皆が当たり前に立っている場所へ、自分だけが入れなかったという怒り」

 

「怒り?」

 

「怒りだよ」

 

 AFOは静かに言った。

 

「本人はまだ、それを怒りとは呼んでいない。悲しみ、憧れ、悔しさ、努力、夢。そういう綺麗な名前を与えているだけだ」

 

 モニターの中では、出久が俯いていた。

 

 敗退した少年。それでも視線の奥に、まだ消えていない熱がある。

 

「だが、根は同じだ。なぜ自分には無かったのか。なぜ自分だけが見上げる側だったのか。なぜ、あの場所に立つ資格を最初から奪われていたのか」

 

 AFOは微笑む。

 

「それは簡単に、破壊衝動へ繋がる」

 

 志賀は眉を動かした。

 

「ヒーロー志望の小僧がか?」

 

「ヒーロー志望だからこそだよ」

 

 AFOの声は柔らかかった。だが、その柔らかさの中に毒がある。

 

「破壊衝動とは、何も他者を壊したいという意味だけではない。自分を壊すこと。限界を壊すこと。今の自分を否定し、燃やし尽くし、別の何かになろうとすること。それもまた破壊だ」

 

 志賀は、ふむ、と小さく息を吐く。

 

「破滅願望にも近いのう」

 

「近いね」

 

 AFOは即答した。

 

「自分は価値がない。資格がない。ならば、せめて誰かのために使い潰されたい。誰かを救うためなら、傷ついてもいい。壊れてもいい。死んでもいい」

 

 その言葉は、ヒーローの美談に似ていた。

 

 だからこそ、歪だった。

 

「ヒーローとしてなら、それは自己犠牲と呼ばれる」

 

 AFOは笑う。

 

「綺麗な名前だ。とても都合がいい」

 

「……」

 

「だが、本質は浅ましい人の性だよ。自分に価値がないと感じる者ほど、何か大きなもののために消費されることで、自分の存在を正当化しようとする」

 

 志賀は、データシートを机に置いた。

 

「随分と辛辣じゃな」

 

「愛情深い観察と言ってほしいね、ドクター」

 

 AFOは、モニターへ視線を戻した。

 

「緑谷出久は、その境界にいる」

 

 画面の中で、出久の姿は小さかった。

 

 トーナメントに進めなかった敗者。観客にとっては、もう主役ではない少年。

 

 だがAFOにとっては、むしろここからだった。

 

「彼はまだ、自分の中にある黒さを知らない。ヒーローになりたいという願いの奥に、どれほど強い飢えがあるのか。誰かを救いたいという衝動の奥に、どれほど自分を罰したい欲求があるのか」

 

 その言葉には、長く人の心を操ってきた者だけが持つ確信があった。

 

「彼に必要なのは、ほんの少しの言葉だ。君は悪くない。君は選ばれなかっただけだ。君が欲しがるのは当然だ。君の怒りは正しい。君の自己犠牲は尊い。君が壊れることには意味がある」

 

 志賀は無言だった。

 

「そうやって、彼が自分で自分を燃やし始めた時」

 

 AFOは笑った。

 

「緑谷出久は、黒い太陽になれる」

 

 その断言に、部屋の機械音がやけに大きく聞こえた。

 

「黒い太陽?」

 

「光を放つ。熱を生む。周囲を照らす」

 

 AFOの声は、どこか陶酔していた。

 

「だが、その中心は暗い。己の欠落を燃料にして輝き、救済という名で周囲を焼き、最後には自分自身すら焼き尽くす」

 

 志賀は、しばらくAFOを見ていた。

 

「人々に守られればヒーロー。恐れられればヴィラン。崇められれば救世主。だが、中心にある熱は同じだ」

 

 モニターの中で、出久はまだ何も知らない顔をしている。

 

 怯え、罪悪感、それでも消えない憧れ。その全部を、AFOは愛おしげに眺めた。

 

「彼はなれる」

 

 AFOはもう一度、確信を込めて言った。

 

「緑谷出久は、黒い太陽になれる」

 

 志賀は肩を竦め、再び端末へ向き直った。

 

「……それで」

 

 志賀は、ぼそりと呟く。

 

「ヒーロー殺しと相対させるつもりか」

 

 AFOの笑みが、僅かに深くなる。

 

 否定はしなかった。

 

 モニターの中では、雄英体育祭の抽選準備が進んでいる。熱狂する観客、名前を呼ばれる生徒達、勝者だけが進める舞台。

 

 そこに緑谷出久はいない。

 

「まあ、よい」

 

 興味が薄れたように、志賀はモニターの片隅へ別の画面を呼び出した。

 

 そこには、緑谷出久とは別の被験体データ。複数の培養槽、脳波、筋繊維密度、個性因子の安定率。

 

 そして、中央に表示された計画名。

 

 マスターピース。

 

「マスターピースのサブプラン程度に考えておこう」

 

 志賀は、それ以上その話に執着しなかった。

 

「小僧一人がどう転ぼうと、本筋には影響せん。使えれば使う。壊れれば捨てる。それで十分じゃ」

 

「冷たいね、ドクター」

 

「お前さんに言われたくはないわい」

 

 志賀は再び計器の操作に没頭する。

 

 指先が忙しなくパネルを叩き、数値が次々と更新されていく。

 

 AFOは、その背中を見ながら静かに笑った。

 

 そして、もう一度モニターへ視線を戻す。

 

 明るい競技場。喝采。未来を疑わない少年少女達。その外側で、ひとり立ち尽くす緑谷出久。

 

「サブプラン、か」

 

 AFOは、楽しそうに呟いた。

 

「構わないよ。時に脇道こそが、最も美しい景色を見せてくれる」

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