間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第32話 ラビットヒーロー、ミルコ!

 その日の放課後。

 

 教室は、朝とは別のざわめきに包まれていた。

 

 職場体験先の話、ヒーローネームの話、指名の話。皆それぞれに予定や期待を口にしている。

 

 けれど出久は、机の端に置かれた金メダルから目を離せずにいた。

 

「……」

 

 このまま持って帰るわけにはいかない。

 

 そう思って、出久は金メダルを手に取った。

 

 ずっしりと重い。ただの金属ではないみたいだった。爆豪の怒り、失望、それから自分にはまだ分からない何かまで、全部がその小さな円盤に詰まっている気がした。

 

 出久はゆっくり席を立つ。

 

 爆豪は鞄を肩に掛け、ちょうど帰ろうとしているところだった。

 

「かっちゃん」

 

 声をかける。

 

 爆豪の足が止まった。

 

 だが、振り返らない。

 

「これ、やっぱり返すよ」

 

 出久はメダルを差し出す。

 

「体育祭で優勝したのは、かっちゃんなんだから。これは僕が持ってちゃ駄目だ」

 

「……」

 

 爆豪は黙っていた。

 

 その沈黙が怖かった。

 

「かっちゃん、僕は——」

 

「いらねえなら捨てとけや」

 

 低い声だった。

 

 冷たい。朝と同じ。いや、朝よりもっと突き放すような声だった。

 

「え……」

 

「何回言わせんだ」

 

 爆豪はようやく振り返った。だが、出久の手元のメダルを見ることすらしない。

 

「俺はいらねぇっつってんだろ」

 

「でも——」

 

 爆豪が椅子を蹴るようにして押しのけた。椅子の脚が床を擦り、嫌な音が教室に響く。

 

 何人かが振り返った。

 

 爆豪はそれも無視して、出久の横を通り過ぎる。

 

「邪魔だクソナード」

 

「……っ」

 

 出久は道を空けるしかなかった。

 

 爆豪はそのまま教室を出ていく。一度も振り返らなかった。

 

 扉が閉まり、教室に気まずい沈黙が残る。

 

「……」

 

 出久は、メダルを握ったまま立ち尽くしていた。

 

 何も言えなかった。

 

 言うべき言葉が、喉の奥で詰まっている。謝りたいのか、怒りたいのか、引き止めたいのか、自分でも分からない。

 

「デク君……」

 

 そっと声がした。

 

 麗日だった。心配そうな顔で近付いてくる。

 

「大丈夫?」

 

「……うん」

 

 答えた声は、自分でも頼りなかった。

 

 麗日は少し迷ったように視線を落とし、それから小さく言った。

 

「爆豪君さ」

 

「……」

 

「デク君が、飯田君の付き添いで途中でいなくなったから……ショックだったんじゃないかな」

 

「え?」

 

 出久は顔を上げた。

 

 麗日は、言葉を選ぶように続ける。

 

「もちろん、飯田君のことは仕方なかったよ。あれは絶対、行ってよかったと思う。うちもそう思う」

 

「……うん」

 

「でも、爆豪君からしたらさ」

 

 麗日は、閉まった扉の方を見る。

 

「体育祭で、デク君と本気でぶつかって、勝って。それで、その後も自分の試合を見てほしかったんじゃないかなって」

 

 出久の胸が、きゅっと縮む。

 

「僕は……」

 

「分かってる。デク君が悪いって言いたいんじゃない」

 

 麗日は首を振る。

 

「ただ、爆豪君、ずっとデク君のこと見てたから」

 

「……かっちゃんが?」

 

「うん」

 

 麗日は少し困ったように笑った。

 

「素直じゃないし、言い方もめちゃくちゃやけど……多分、すごく気にしてる」

 

 出久は手の中のメダルを見る。

 

 朝よりも、さらに重く感じた。

 

 爆豪が投げ捨てたもの。でも、本当は捨てたかったわけじゃないかもしれないもの。

 

「……っ」

 

 出久は、勢いよく顔を上げた。

 

 今なら、まだ追いつける。ちゃんと話さなければいけない。かっちゃんが何を思っていたのか、自分が何を見落としていたのか。分からないまま終わらせたくなかった。

 

「麗日さん、僕——」

 

 その瞬間、携帯電話が震えた。

 

「!」

 

 出久の身体が、反射的に強張る。

 

 空気が変わった。

 

 ほんの一瞬前まで胸の中を占めていた爆豪のことが、冷水を浴びせられたみたいに遠のく。

 

 代わりに浮かぶのは、黒い画面と、あの低く穏やかな声。

 

「デク君?」

 

 麗日が不安そうに覗き込む。

 

 出久は震える手でポケットから携帯を取り出した。

 

 画面を見る。

 

「……」

 

 知らない番号。

 

 けれど、嫌な汗が背中を伝った。

 

「ご、ごめん」

 

 出久は咄嗟にメダルを制服のポケットへ押し込む。金属が腿に当たった。

 

 重い。

 

 まるで、現実へ引き戻す錘みたいだった。

 

「ちょっと電話……!」

 

「あ、う、うん」

 

 麗日は戸惑いながら頷く。

 

 出久はそのまま教室を飛び出した。

 

 廊下を早足で進む。周囲には、まだ下校中の生徒達がいた。笑い声、部活勧誘、職場体験の話。その全部が、妙に遠い。

 

 駄目だ。

 

 人が多い。

 

 出久はさらに足を速める。

 

 階段を下り、渡り廊下を抜け、使われていない実習棟の脇へ向かう。人気の少ない非常階段の踊り場でようやく周囲に誰もいないことを確認し、出久は足を止めた。

 

 携帯は、まだ震えている。

 

 まるで心臓の鼓動と同じみたいに。

 

「……っ」

 

 出久は一度だけ深呼吸した。

 

 だが、全然落ち着かなかった。指先が冷たい。喉が渇く。嫌な予感だけが、どんどん大きくなる。

 

 ゆっくりと、通話ボタンを押した。

 

「……もしもし」

 

『やあ、緑谷出久君』

 

 穏やかな声だった。

 

 老人のようでもあり、教師のようでもあり、親しげですらある声音。

 

 オール・フォー・ワン。

 

『青春しているところ悪いね』

 

 電話口の向こうで、AFOが小さく笑った。まるで、本当に申し訳なさそうに。

 

『クラスメイトとのすれ違い、仲直り、若者らしくて大変結構だ』

 

「……なんで」

 

 出久の声が掠れる。

 

「なんで、知ってるんだ……」

 

『さて。どうしてだろうね』

 

 否定しない。

 

 そのことが、余計に怖かった。

 

 AFOは続ける。

 

『それより、職場体験の話が今日辺り出るはずだったが』

 

「……っ」

 

 出久の肩が揺れる。

 

 雄英の授業内容まで把握している。いや、もしかしたら体育祭の時点で既に——。

 

『もう体験先は決めたかな?』

 

 穏やかな問いだった。

 

 世間話みたいに自然な口調。だからこそ、気味が悪い。

 

「……まだ、です」

 

 出久は絞り出すように答えた。

 

 沈黙したら駄目な気がした。

 

 逆らうのも、切るのも、全部危険な気がした。

 

『そうか』

 

 AFOは満足そうに頷く気配を見せる。

 

『なら丁度いい』

 

「……丁度いい?」

 

 出久は眉を寄せる。

 

 非常階段の踊り場は静かだった。遠くから運動部の掛け声が微かに聞こえる。けれど、出久の世界は今、電話の向こうの声だけで満たされていた。

 

『君の職場体験先を僕の方から指定したくてね』

 

「……は?」

 

 思わず声が漏れる。

 

 AFOは構わず続けた。

 

『安心したまえ。別にヴィラン組織へ潜入しろという話じゃない。れっきとしたプロヒーローだ』

 

 出久の喉が鳴る。

 

 嫌だった。

 

 この男の言葉は、どこまで本当で、どこから嘘なのか分からない。

 

『君に行ってもらいたいのは、とあるヒーロー事務所だ』

 

 そこでAFOは、一人のプロヒーローの名前を口にした。

 

「……!」

 

 出久は目を見開く。

 

「な、なんでそのヒーローを……?」

 

 出久の問いに、AFOは少し楽しそうな声音になる。

 

『彼女の個性には、前から興味があってね。戦闘スタイルも君と近しいから、学べる点は多いだろう』

 

「個性……?」

 

『ああ』

 

 穏やかな肯定。

 

 出久は黙り込む。

 

 AFOが“興味”と言う時、それは単なる好奇心では済まない気がした。

 

『それに』

 

 AFOの声が続く。

 

『そのヒーローは、今ちょうど保須の辺りで活動している』

 

「……っ」

 

 出久の肩が跳ねる。

 

 やはりそこへ繋がる。

 

 保須。インゲニウム。ヒーロー殺し。

 

『色々と丁度良いんだ』

 

 AFOは、くつくつと笑った。まるで盤面を眺める棋士みたいに。

 

『君にとっても。彼にとっても。そして、あの街にとってもね』

 

「……僕を、何に巻き込むつもりなんですか」

 

 出久は低く言った。

 

 声が震えているのが、自分でも分かる。

 

 AFOは少しだけ黙った。

 

『巻き込む、か』

 

 どこか面白そうに繰り返す。

 

『そういう言い方もあるかもしれない』

 

「……」

 

『だが私は、君に“見て”ほしいだけだよ』

 

 穏やかな声だった。

 

『ヒーロー社会の現実を』

 

 出久の指先が冷える。

 

『正義を掲げる者。怒りに囚われる者。救けを求める者。そして、それを裁こうとする者』

 

 AFOは静かに言った。

 

『保須には今、その全部が集まり始めている』

 

 ぞくり、と悪寒が走る。

 

『だからこそ、君をそこへ置いてみたい』

 

「……なんで、僕なんだ」

 

 掠れた問い。

 

 AFOは、少しだけ優しげに笑った。

 

『君が、よく見てしまう子だからだよ』

 

 その言葉が、妙に胸へ刺さった。

 

「ま、待って——」

 

『ああ、そうだ』

 

 AFOがふと思い出したように言う。

 

『もちろん、最終的に選ぶのは君自身だ。僕は強制するつもりはない』

 

 その声音は、本当に穏やかだった。

 

『もっとも』

 

 一拍。

 

『君はきっと、保須へ来るだろうがね』

 

 通話が切れる。

 

 ぷつり、と無機質な音だけが残った。

 

「……っ」

 

 出久はしばらく、その場から動けなかった。

 

 携帯を握る手が震えている。

 

 ポケットの中では、金メダルが冷たく脚へ当たっていた。

 

 

 

 

 

 

 ──数日後。

 

 出久は、保須の隣町にいた。

 

 駅前から少し離れた通り。大通りには車が絶えず流れ、歩道にはスーツ姿の会社員や買い物帰りの人達が行き交っている。

 

 すぐ隣の保須で、飯田の兄が倒れていた。

 

 ヒーロー殺しがいた。

 

 そう思うだけで、胸の奥が重くなる。

 

「……」

 

 出久は片手にケースを持っていた。中にはヒーロースーツ。もう片方の手には、雄英から渡された紹介状。紙一枚の重みが、妙に現実感を持っていた。

 

 件のヒーローとは、連絡だけはついた。

 

 だが、やり取りは最低限以下だった。指定されたのは、待ち合わせの場所と時間だけ。活動内容も、事務所の所在地も、職場体験中の予定も、何一つ詳しい話は聞けなかった。

 

「……事務所を構えないタイプのヒーロー、か」

 

 出久は小さく呟く。

 

 珍しい存在だった。

 

 多くのプロヒーローは事務所を構える。サイドキックを置き、事務員を雇い、地域と連携して活動する。

 

 けれど、今回の職場体験先のヒーローは違う。固定の事務所を持たず、必要に応じて地域を移り、現場単位で活動するタイプ。

 

 だからこそ、待ち合わせ場所も普通のビルではなかった。

 

 駅近くの古い歩道橋の下。

 

 地図アプリで確認しても、そこにはヒーロー事務所らしい建物などない。

 

「本当に、ここで合ってるのかな……」

 

 出久は紹介状を見直す。

 

 時間は合っている。場所も合っている。

 

 なのに、不安だけが消えない。

 

 AFOの声が蘇る。

 

『彼女の個性には、前から興味があってね』

 

『今ちょうど保須の辺りで活動している』

 

『色々と丁度良いんだ』

 

 偶然ではない。

 

 絶対に。

 

 出久はそれを理解していた。

 

 理解していて、それでもここに来てしまった。

 

 自分で選んだのだと、言い訳することもできる。AFOに強制されたわけではない。けれど、用意された道を歩かされている感覚は消えなかった。

 

「……僕は」

 

 そこまで呟いて、言葉が止まる。

 

 何を言おうとしたのか、自分でも分からなかった。

 

 ヒーロースーツの入ったケースを握り直す。

 

 その時だった。

 

「ひったくりよ!!」

 

 鋭い叫び声が、通りに響いた。

 

「!」

 

 出久は反射的に顔を上げる。

 

 歩道の向こう。人混みを押し退けるようにして、一人の男が走ってきていた。片腕には女性物の鞄。もう片方の腕は、不自然なほど太く膨れ上がっている。

 

 筋肉が皮膚の下で隆起し、足音がアスファルトを叩くたびに重い音がした。

 

(増強系の個性……!)

 

 出久の思考が、一瞬で切り替わる。

 

 距離、速度、周囲の人、逃走方向。

 

 ケースを地面に置き、紹介状を鞄に押し込む。

 

「止まれ!」

 

 出久は前へ出た。

 

 男がこちらを見る。

 

「邪魔だガキ!」

 

 膨れ上がった腕が振り上げられる。

 

 出久は腰を落とした。

 

 槍骨を出すか。

 

 いや、人通りが多い。派手に使えば周囲を巻き込む。なら足を狙って——。

 

 そこまで考えた瞬間、横から影が飛び込んだ。

 

「どけ」

 

 短い声。

 

 次の瞬間、出久の視界を白い何かが横切った。

 

 風が弾ける。

 

 鈍い音と共に、男の身体が横から吹き飛んだ。

 

「ぐあっ!?」

 

 増強した腕ごと、男が歩道の端へ叩きつけられる。

 

 だが、それで終わらない。

 

 飛び込んできた影は、着地と同時にさらに踏み込んだ。しなやかな脚、鋭い回し蹴り。男の腕を弾き、肩を押さえ、地面へ捻じ伏せる。

 

 一瞬だった。

 

 出久が構えてから、男が完全に制圧されるまで、数秒もかかっていない。

 

「痛っ、痛ぇ! 離せ!」

 

「被害者ぶるんじゃねぇよ」

 

 低く、よく通る声。

 

 出久は固まった。

 

 男を踏みつけるように押さえていたのは、白い髪と長い耳を持つ女性だった。

 

 褐色の肌、鍛え上げられた四肢、獣じみた瞬発力。

 

 そして、何より。

 

 テレビやランキング番組で何度も見た姿。

 

「ラ、ラビットヒーロー……」

 

 出久の声が震える。

 

 彼女は顔だけこちらへ向けた。鋭い赤い瞳が、出久を捉える。

 

「ん?」

 

 不敵な笑み。野性味のある表情。

 

「ミルコ……!」

 

 ヒーロービルボードチャート八位。

 

 ラビットヒーロー、ミルコ。

 

 その本人が、ひったくり犯を片足で押さえつけながら、そこに立っていた。

 

 ミルコは、ひったくり犯の背中を片足で押さえたまま、出久を上から下まで見る。そして、ふと視線をずらした。

 

 出久の鞄。

 

 そこから、さっき慌てて押し込んだ紹介状の端が少しだけはみ出していた。

 

「……ん」

 

 ミルコは手を伸ばす。

 

「え、あっ」

 

 出久が止めるより早く、紹介状をぴっと抜き取った。

 

 封筒の表には、雄英高校の校章と緑谷出久の名前。

 

 ミルコはそれを見て、次に出久を見る。もう一度紹介状を見る。

 

 そして、口角を吊り上げた。

 

「お前が緑谷出久だな」

 

「は、はい!」

 

「テレビで見たぜ」

 

 ミルコは不敵に笑う。

 

「骨野郎」

 

「ほ、骨野郎……!」

 

 出久は思わず固まった。

 

 確かに体育祭では槍骨を使った。使ったが、初対面のプロヒーローからそう呼ばれるとは思わなかった。

 

 ミルコは紹介状をひらひら振る。

 

「雄英の職場体験。今日からあたしに付くってわけだ」

 

「よ、よろしくお願いします!」

 

 出久は勢いよく頭を下げる。

 

 その拍子に、ひったくり犯が地面で呻いた。

 

「痛ぇって言ってんだろ!」

 

「あ?」

 

 ミルコが足に少しだけ力を込める。

 

「ぐえっ」

 

「喋る元気があるなら問題ねぇな」

 

 その一言で、男は黙った。

 

 出久は冷や汗を浮かべる。

 

 強い。

 

 速い。

 

 荒い。

 

 だが、無駄がない。

 

 男の増強した腕の可動域を潰し、逃走方向を塞ぎ、体重を乗せて押さえ込んでいる。さっきの一瞬だけで、そこまでやっている。

 

「すごい……」

 

 出久の口から、思わず漏れた。

 

 ミルコの耳がぴくりと動く。

 

「感心してる場合か」

 

「え?」

 

 ミルコの目が、鋭くなる。

 

「お前、今こいつを捕えるために個性使おうとしたな?」

 

「……!」

 

 出久の肩が跳ねる。

 

 見られていた。

 

 構え、重心、槍骨を出そうとした瞬間の筋肉の動き。その全部を。

 

「まあ、欠伸が出るほど遅くて、あたしが先にとっつかまえたけどよ」

 

 ミルコは笑っている。だが、目は笑っていなかった。

 

「ここ、どこだと思ってんだ」

 

「……街中、です」

 

「そうだ。人通りもある。逃げてる奴の腕は増強系。周りには一般人。お前の個性は骨を伸ばすやつ」

 

 ミルコは紹介状を、出久の胸へ押し付けるように返した。

 

「で、そこで大振りの個性を出そうとした」

 

「……」

 

「足を狙うつもりだったか? 絡め取るつもりだったか? それとも牽制か?」

 

 出久は言葉に詰まる。

 

 全部、考えていた。

 

 でも、その全部が遅かった。

 

 判断している間に、ミルコはもう動いていた。

 

「答えろ」

 

「……足を狙おうとしました。周囲に当てないように、低く伸ばして、転ばせるつもりで」

 

「転ばせた先は?」

 

「え?」

 

「こいつが前のめりに転んで、鞄持ったまま通行人に突っ込んだら?」

 

「……」

 

「増強した腕で地面突いて、跳ね起きたら?」

 

「……」

 

「お前の骨が、避けた一般人の足に引っかかったら?」

 

 出久の喉が詰まる。

 

 ミルコは、ひったくり犯から足をどけないまま、獰猛に笑った。

 

「考えたか?」

 

「……そこまでは」

 

「だろうな」

 

 ミルコは鼻を鳴らした。

 

「悪くはねぇ。飛び出したのは評価する。ビビって固まる奴よりはマシだ」

 

「けどな」

 

 そこで、ミルコは声を少し低くする。

 

「何より、お前は今はまだヒーローですらない。ただのガキだ」

 

「……」

 

「雄英の生徒だろうが、ヒーロー志望だろうが、職場体験に来てようが関係ねぇ。往来での個性使用は禁止されてる」

 

 出久は唇を噛む。

 

「……はい」

 

「許可もねぇ。指示もねぇ。緊急時に動く判断自体は悪くないが、だからって何でも許されるわけじゃねぇ」

 

 ミルコは地面に押さえつけた男を一瞥した。

 

「特に街中はな。ヴィランだけ見てたら駄目だ。人、車、店、段差、逃げ道、巻き込まれる奴。全部見ろ」

 

「……すみません」

 

「謝る相手はあたしじゃねぇよ」

 

 その言葉に、出久は視線を落とした。

 

 自分は助けようとした。

 

 けれど、それだけでは足りない。

 

 助けようとして、別の誰かを傷つける可能性まで見なければならない。当たり前のことのはずなのに、自分はまだそこまで見えていなかった。

 

「……考えが、浅かったです」

 

「そうだな」

 

 ミルコはあっさり頷いた。

 

 容赦がない。

 

 けれど、突き放す声ではなかった。

 

「まあ、そのための職場体験だ」

 

「……え?」

 

「今できねぇことを、ここで知るんだよ」

 

 ミルコは犯人を駆けつけた警官に引き渡し、ぱんぱんと手を払った。

 

「反省できるなら上等だ。反省だけで止まるなら置いてくけどな」

 

「止まりません」

 

 出久は顔を上げた。

 

「次は、もっと見ます」

 

 ミルコはにやりと笑う。

 

「いいね。あんたを指名してよかった」

 

 そして、顎で通りの先を示した。

 

「とりあえず歩くぜ」

 

「は、はい!」

 

 出久は慌ててケースを持ち直し、ミルコの後を追う。

 

 ミルコは大股で歩き出した。事務所へ向かうわけではない。打ち合わせ場所へ行くわけでもない。ただ、街の中へ入っていく。

 

「目ぇ開けとけよ、骨野郎」

 

「緑谷です!」

 

「街は情報だらけだ。何も起きてねぇ時に何を見るかで、何か起きた時の動きが決まる」

 

 人の流れ、車の音、路地の暗さ、店先の死角、横断歩道の待ち時間。

 

 ミルコは歩きながら、それらを自然に見ていた。

 

 出久も必死に視線を巡らせる。

 

 保須の隣町。

 

 AFOの指定した場所。

 

 ミルコの背中。

 

 ポケットの中の金メダル。

 

 全部が、まだ重い。

 

 けれど今は、歩くしかなかった。

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