模倣犯の男は、その後すぐに交番へ引き渡された。
ミルコは片手で男の襟首を掴み、ほとんど荷物みたいに引きずっていった。
「こいつ。ステインもどき」
「み、ミルコ!! またですか!?」
「またとは何だ、またとは」
交番の警官が慌てて出てくる。
出久はその横で、事件の流れを簡潔に説明した。
襲撃。
ナイフ。
拘束。
応急処置。
警官は男の状態を確認し、出久にも軽く事情を聞いたあと、深く息を吐いた。
「助かりました。最近、この辺りも妙な連中が増えていて……」
「ニュースに酔った馬鹿が増えただけだろ」
ミルコは鼻を鳴らす。
「本物でも偽物でも、刃物持って人襲えばただの犯罪者だ」
その言葉に、出久は少しだけ俯いた。
さっきの男の言葉が、まだ耳に残っている。
偽物。
拝金主義。
正さなければならない。
犠牲は必要。
どれも、聞くだけなら言葉としては強い。
だが、実際にその先にあったのは、刃物を振り上げる男の姿だった。
「おい、骨野郎」
「緑谷です」
「腹減った」
「え?」
ミルコは交番を出るなり、当然のように歩き出した。
「昼飯まだだろ」
「あ、はい。そういえば……」
「なら食うぞ」
反論する暇もなかった。
ミルコは近くの小さなベーカリーへ入り、慣れた様子でサンドイッチを二つ買った。
一つは、たっぷりの千切りニンジンと鶏肉が挟まった大きなサンドイッチ。
もう一つは、卵とハムの普通のもの。
「ほら」
「えっ」
投げられた袋を、出久は慌てて受け取る。
「あ、ありがとうございます! お金——」
「奢りだ。働いたからな」
「で、でも僕、ほとんど何も……」
「拘束した。手当てした。説教しかけて怒られた」
「最後は働きに入りますか!?」
「経験だろ」
ミルコは笑いながら、自分のサンドイッチにかぶりついた。
大きな口で。
遠慮なく。
もりもりと。
歩きながら食べる姿は、行儀がいいとは言えない。
「ほんとに人参が好きなんだ……」
「あ?」
ミルコは咀嚼しながら横目を向ける。
「まあ、ウサギだからな」
ミルコは鼻を鳴らした。
「個性『兎』。脚力、跳躍力、瞬発力、聴覚」
そう言って、自分の太腿を軽く叩く。
筋肉が、硬い音を立てた。
「地味に代謝も高ぇ。だから腹減る」
「なるほど……」
出久は思わずミルコの動きを思い返した。
ひったくり犯を制圧した時。
路地で模倣犯を蹴り飛ばした時。
壁を蹴って、一瞬で屋上へ消えた時。
どれも速かった。
ただ速いだけではない。
踏み込みが鋭く、動きに迷いがなく、何より“止まらない”。
連続して跳び、曲がり、踏み込み続ける機動力。
(戦闘スタイルが近しい——)
不意に、AFOの声が蘇る。
『彼女の個性には、前から興味があってね』
『戦闘スタイルも君と近しいから、学べる点は多いだろう』
出久は無意識に、自分の腕を見る。
槍骨。
骨刃。
瞬間的な踏み込み。
肉弾戦寄りの近接戦闘。
確かに、遠距離主体ではない。
身体能力を軸に、前へ出続けるタイプ。
共通点はある。
「何見てんだ」
「えっ、あっ」
出久は慌てて顔を上げた。
ミルコはサンドイッチを咥えたまま、じろりとこちらを見ている。
「いや、その……ミルコさんって、ずっと前に出続ける戦い方だなって」
「そりゃウサギだからな」
またそれだった。
「肉食獣に捕まったら終わりだ。だから止まらねぇ。踏み込み続ける。潰す時は一気に潰す」
ミルコは歩道の縁へ飛び乗る。
そのままバランスを崩さず歩き続けた。
「待つ戦い方は性に合わねぇ。罠張るより飛び込む方が速い」
「でも、それって危険じゃ……」
「危険だよ」
ミルコはあっさり肯定した。
「だから鍛える。だから見る。だから迷わねぇ」
出久は黙る。
言葉は乱暴なのに、芯が通っていた。
ミルコは強い。
単純な身体能力だけじゃない。
自分がどう動くべきかを、完全に理解している。
「お前は逆だな」
「え?」
「考える量が多い」
ミルコは言った。
「悪くねぇ。むしろ武器だ」
出久は少し驚く。
「でも、考え過ぎると動きが止まる。さっきみたいにな」
「……」
反論できなかった。
模倣犯の言葉に怒った時。
出久は完全に視野が狭くなっていた。
「お前の個性は近から中距離寄りだ。しかも、自分の身体動かしてなんぼのタイプだろ」
「……はい」
「ん? まぁ、なら、頭で考える時間と、身体が動く速度を一致させろ」
ミルコは空になった袋を握り潰した。
「考えてから動くんじゃ遅ぇ時がある。動きながら考えろ」
出久は、その言葉を頭の中で反芻する。
難しい。
だが、今までのミルコを見ていると、確かにそうだった。
彼女は歩きながら見ていた。
食べながら警戒していた。
会話しながら街を読んでいた。
全部が同時だった。
「よし」
ミルコが急に言った。
「次行くぞ」
「え?」
「このまま別の街入る」
「べ、別の街!?」
「足使うヒーローは移動範囲広くてなんぼだ」
ミルコはにやりと笑った。
「あと、お前」
「は、はい!」
「次はコスチューム着ろ」
出久は目を瞬かせる。
「え……」
「今度はお前も捕物に参加するんだ」
心臓が、大きく跳ねた。
「ほ、本当ですか!?」
「あ?」
「い、いや、もちろん頑張りますけど!」
「ただし条件付きだ」
ミルコの赤い目が細くなる。
「勝手に突っ込むな。周り見ろ。あと感情で掴みかかるな」
「うっ」
「返事」
「は、はい!」
ミルコは満足そうに頷いた。
「よし。じゃ、十分後に出発」
「えっ、十分!?」
「早く着替えろ、骨野郎」
「緑谷です!!」
──
十分後。
オールマイトを模した、無骨な戦闘用コスチューム。
腕部には骨展開用の補強。
脚部には衝撃吸収と固定具。
まだ調整途中の箇所も多いが、普段の制服とはまるで違う。
身体が引き締まる感覚があった。
「お、ちゃんとヒーローっぽくなったな」
街灯の上に座っていたミルコが言う。
「み、ミルコ! そこ危なくないですか!?」
「あ?」
次の瞬間。
ミルコは街灯から跳んだ。
軽い。
本当に羽みたいに。
だが着地音は重い。
「行くぞ」
「は、はい!」
返事と同時に。
ミルコの姿が消えた。
「え」
違う。
速すぎて、見失った。
ドンッ!!
数メートル先の壁を蹴り、二階建ての屋根へ飛び乗る。
さらにそのまま隣のビルへ。
着地と同時に再加速。
迷いがない。
獣だった。
「ま、待ってください!」
出久も反射的に走り出す。
脚部から骨がせり出す。
槍骨。
推進補助用に変形した骨槍を地面へ突き立て、反動で身体を射出する。
「っ!」
身体が跳ねる。
一気に塀を飛び越える。
さらに空中で骨を展開。
建物の縁へ引っ掛け、身体を引き寄せる。
だが。
「待たねーよ」
前方からミルコの声。
既に三棟先にいる。
「は、速っ……!」
出久は歯を食いしばる。
筋骨発条化。
脚部の筋肉と骨格へ圧縮負荷をかけ、一気に解放。
爆発的な加速。
アスファルトが砕ける。
身体が前へ弾け飛ぶ。
屋根へ着地。
すぐ次へ。
さらに次へ。
だが追いつけない。
ミルコは跳躍のたびに加速しているようにすら見えた。
ビル壁。
看板。
室外機。
手すり。
街の全てを足場に変えている。
しかも。
(周囲見てる……!)
移動しながらだ。
ミルコの耳は常に動いている。
視線も止まらない。
下の路地。
車道。
人影。
全部を確認している。
なのに速度が落ちない。
「これがあたしの、普段のパトロール速度だ! 着いてこい!」
前方から声が飛ぶ。
次の瞬間。
ミルコが細いビル間を蹴って直角に方向転換した。
「うわっ!?」
出久も慌てて追従する。
骨槍を壁へ突き刺し、無理やり軌道変更。
火花が散る。
着地。
加速。
呼吸が乱れる。
脚が熱い。
「ハァッ……!」
ミルコはまだ余裕だった。
屋上の縁を蹴る。
空中で身体を捻る。
着地と同時に低姿勢。
まるで獲物を追う野生動物。
(これが……トップヒーロー)
出久の背筋に汗が流れる。
速いだけじゃない。
身体操作。
空間把握。
視線誘導。
着地位置。
全部が噛み合っている。
「骨野郎!」
「は、はい!」
「脚だけで追うな! 目ぇ使え!」
「っ!」
その瞬間。
ミルコの姿が、また消えた。
出久は反射的に周囲を見る。
上。
違う。
右。
さらに先。
給水塔の上。
「そこか!」
槍骨を射出。
推進。
身体を飛ばす。
だが。
「甘ぇ!」
ミルコは笑いながら、更にその上の鉄骨へ跳んでいた。
「えぇぇ!?」
「動きが一直線すぎんだよ! 追う側は“次どこ行くか”考えろ!」
声が遠ざかる。
出久は歯を食いしばりながら再加速した。
肺が焼ける。
脚が軋む。
それでも。
不思議と、楽しかった。
街を飛び越える感覚。
身体が前へ伸びていく感覚。
その日。
出久は、本当に一日中ミルコを追いかけ続けた。
街を越える。
ビル群を抜ける。
住宅街を跳ぶ。
工場地帯を駆ける。
川沿いの高架下を潜る。
ミルコは止まらなかった。
捕物もあった。
ひったくり。
喧嘩騒ぎ。
無許可個性使用。
どれもミルコは、走りながら処理した。
本当に、“走りながら”だった。
逃走犯を追い越し。
蹴り飛ばし。
通報し。
次の路地へ向かう。
止まる時間が存在しない。
出久は、その背中を見失わないだけで精一杯だった。
最初は楽しかった。
途中から苦しかった。
その後は、もう必死だった。
脚の感覚が薄れる。
肺が痛い。
骨が軋む。
個性の連続使用で、身体の内部が熱を持ち始めている。
それでもミルコは止まらない。
夕方。
空が赤く染まる頃には、出久のコスチュームは汗で重くなっていた。
膝が笑う。
視界が揺れる。
だが。
「まだ終わってねぇぞ!」
前方のミルコは、未だに加速していた。
「うそぉぉぉ!?」
屋上から屋上へ。
鉄骨から看板へ。
獣みたいに跳ぶ。
いや、獣そのものだった。
夜。
集合地点へ戻ってきた頃には。
出久は、ほとんど死んでいた。
「はっ……ぁ……っ……」
着地した瞬間、その場へ膝から崩れ落ちる。
呼吸がまともに入らない。
全身が痙攣みたいに震えていた。
腕も脚も、酷使しすぎて感覚がおかしい。
筋骨発条化の反動で、太腿が熱を持っている。
槍骨を連続展開した腕も鈍く痛んだ。
「ぅ……ぉぇ……」
「吐くなら端行け」
ミルコが言った。
息一つ切れていなかった。
汗はかいている。
だが、それだけだ。
呼吸は平常。
姿勢も崩れていない。
まるで今からもう一本走れるみたいな顔をしている。
出久は、信じられないものを見る目でミルコを見上げた。
「な、なんで……平気なんですか……」
「あ?」
ミルコは肩を回す。
「毎日やってっからだろ」
簡単に言う。
だが、その一言が恐ろしかった。
毎日。
これを。
この速度を。
この機動を。
トップヒーローは日常として回している。
「お前の課題は機動力だな」
ミルコは出久を見下ろした。
「加速は悪くねぇ。瞬間出力もある」
「は、はい……」
「でも、移動が直線的すぎる。減速が多い。次動作への繋ぎが甘ぇ」
図星だった。
出久は追いつくことばかり考えていた。
その結果、毎回“全力加速→無理やり停止→再加速”になっていた。
燃費が悪い。
身体への負担も大きい。
「お前、考えてから動いてるだろ」
「……」
「だからワンテンポ遅れる。しかも考えるたび減速する」
ミルコは鼻を鳴らした。
「この職場体験じゃ、そこを徹底的に痛めつけてやる」
「痛めつけるって言いました!?」
「そのままの意味だ」
ミルコは笑う。
獰猛に。
楽しそうに。
「脚が勝手に動くまで叩き込む。街を見ながら跳べるようになれ」
出久は返事をしようとして。
「……は、ぃ……」
声が掠れた。
もう限界だった。
ミルコはそんな出久を見て、少しだけ口角を上げる。
「明日も同じ時間な」
「えっ」
「逃げんなよ、骨野郎」
「み、緑谷……です……」
「じゃあな」
次の瞬間。
ミルコは跳んだ。
夜のビル群へ。
一瞬で。
白い影だけを残して消える。
出久はその場へ倒れ込んだまま、しばらく動けなかった。
だが。
苦しいのに。
全身が悲鳴を上げているのに。
心の奥だけは、妙に熱かった。
もっと速くなりたい。
あの背中に追いつきたい。
そう思っている自分がいた。
その日は、どうやって家まで帰ったのか、出久自身よく覚えていなかった。
電車に乗った。
駅から歩いた。
玄関で靴を脱いだ。
母に何か声をかけられた気がする。
だが、まともに返事ができたか分からない。
「ごめん、母さん……今日は、もう寝る……」
それだけ言うのが精一杯だった。
部屋に入る。
鞄を置く。
コスチュームケースを壁際へ寄せる。
制服に着替える気力すらなく、出久はそのままベッドへ倒れ込んだ。
「……っ、あぁ……」
全身が痛い。
筋肉だけではない。
骨の奥。
関節の隙間。
肺の裏側。
普段意識しない場所まで、全部が鈍く熱を持っている。
ミルコの背中。
白い影。
屋上から屋上へ飛ぶ姿。
追いつけなかった。
一度も。
出久は枕に顔を埋めたまま、ポケットの中の携帯が震えていることに気付いた。
「……」
AFOか。
そう思った瞬間、身体が強張る。
だが、画面を見ると違った。
A組のグループチャットだった。
通知が、次々と流れている。
『職場体験初日どうだった!?』
『俺もう足パンパン』
『プロの現場やばい』
『めちゃくちゃ緊張しましたわ』
『爆豪既読だけつけて無言なの怖いんだけど』
『うっせぇ殺すぞ』
『喋った!』
出久は、少しだけ息を吐いた。
皆、盛り上がっている。
疲れているはずなのに。
それでも、初めて見るプロの現場に興奮しているのが文面だけで分かった。
麗日もいる。
切島もいる。
上鳴も、瀬呂も、八百万も、蛙吹も。
爆豪も、短いながら反応している。
けれど。
「……飯田君」
飯田の名前だけが、見当たらなかった。
既読すらついていない。
いつもの飯田なら、こういう時に真っ先に発言していたはずだ。
職場体験の意義。
各自の報告。
明日以降への心構え。
そんな生真面目な長文を、きっと誰より早く送っていた。
なのに。
画面は沈黙している。
出久の胸に、昼間とは別の重さが沈んだ。
たしか、飯田は幾つかあった有名ヒーローからの指名を断っていた。
そして選んだのは、保須にある比較的マイナーなヒーロー事務所。
理由など。
考えるまでもなかった。
保須。
インゲニウム。
ヒーロー殺し。
「……飯田君」
呼びかけても、返事はない。
画面の中で、クラスメイト達の会話だけが流れていく。
出久は返信しようとして、指を止めた。
何を書けばいいのか分からなかった。
ミルコのこと。
模倣犯のこと。
ステインの名前。
飯田の沈黙。
どれも、軽く打ち込めるものではなかった。
携帯を伏せる。
部屋が静かになる。
天井には、昔から貼ってあるオールマイトのポスター。
その笑顔が、今は少し遠く見えた。
「……明日」
出久は掠れた声で呟いた。
「明日、飯田君に連絡しよう」
そう思った。
思ったのに。
瞼が重い。
身体が言うことを聞かない。
ミルコを追いかけ回した疲労が、意識を深く沈めていく。
最後に浮かんだのは。
白い病室に立つ飯田の背中だった。
そして、その向こうに。
人気のない路地裏が見えた気がした。