間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第34話 脱兎の如く

 模倣犯の男は、その後すぐに交番へ引き渡された。

 

 ミルコは片手で男の襟首を掴み、ほとんど荷物みたいに引きずっていった。

 

「こいつ。ステインもどき」

 

「み、ミルコ!! またですか!?」

 

「またとは何だ、またとは」

 

 交番の警官が慌てて出てくる。

 

 出久はその横で、襲撃、ナイフ、拘束、応急処置までの流れを簡潔に説明した。警官は男の状態を確認し、出久にも軽く事情を聞いたあと、深く息を吐く。

 

「助かりました。最近、この辺りも妙な連中が増えていて……」

 

「ニュースに酔った馬鹿が増えただけだろ」

 

 ミルコは鼻を鳴らした。

 

「本物でも偽物でも、刃物持って人襲えばただの犯罪者だ」

 

 その言葉に、出久は少しだけ俯いた。

 

 さっきの男の言葉が、まだ耳に残っている。

 

 偽物。拝金主義。正さなければならない。犠牲は必要。

 

 どれも、聞くだけなら強い言葉だった。だが、実際にその先にあったのは、刃物を振り上げる男の姿だった。

 

「おい、骨野郎」

 

「緑谷です」

 

「腹減った」

 

「え?」

 

 ミルコは交番を出るなり、当然のように歩き出した。

 

「昼飯まだだろ」

 

「あ、はい。そういえば……」

 

「なら食うぞ」

 

 反論する暇もなかった。

 

 ミルコは近くの小さなベーカリーへ入り、慣れた様子でサンドイッチを二つ買った。一つは、たっぷりの千切りニンジンと鶏肉が挟まった大きなサンドイッチ。もう一つは、卵とハムの普通のものだった。

 

「ほら」

 

「えっ」

 

 投げられた袋を、出久は慌てて受け取る。

 

「あ、ありがとうございます! お金——」

 

「奢りだ。働いたからな」

 

「で、でも僕、ほとんど何も……」

 

「拘束した。手当てした。説教しかけて怒られた」

 

「最後は働きに入りますか!?」

 

「経験だろ」

 

 ミルコは笑いながら、自分のサンドイッチにかぶりついた。大きな口で、遠慮なく、もりもりと。歩きながら食べる姿は、行儀がいいとは言えない。

 

「ほんとに人参が好きなんだ……」

 

「あ?」

 

 ミルコは咀嚼しながら横目を向ける。

 

「まあ、ウサギだからな」

 

 そう言って鼻を鳴らした。

 

「個性『兎』。脚力、跳躍力、瞬発力、聴覚」

 

 ミルコは自分の太腿を軽く叩く。筋肉が、硬い音を立てた。

 

「地味に代謝も高ぇ。だから腹減る」

 

「なるほど……」

 

 出久は思わず、ミルコの動きを思い返した。

 

 ひったくり犯を制圧した時。路地で模倣犯を蹴り飛ばした時。壁を蹴って、一瞬で屋上へ消えた時。

 

 どれも速かった。

 

 ただ速いだけではない。踏み込みが鋭く、動きに迷いがなく、何より“止まらない”。連続して跳び、曲がり、踏み込み続ける機動力。

 

(戦闘スタイルが近しい——)

 

 不意に、AFOの声が蘇る。

 

『彼女の個性には、前から興味があってね』

 

『戦闘スタイルも君と近しいから、学べる点は多いだろう』

 

 出久は無意識に、自分の腕を見る。

 

 槍骨。骨刃。瞬間的な踏み込み。肉弾戦寄りの近接戦闘。

 

 確かに、遠距離主体ではない。身体能力を軸に、前へ出続けるタイプという意味では、共通点はある。

 

「何見てんだ」

 

「えっ、あっ」

 

 出久は慌てて顔を上げた。

 

 ミルコはサンドイッチを咥えたまま、じろりとこちらを見ている。

 

「いや、その……ミルコさんって、ずっと前に出続ける戦い方だなって」

 

「そりゃウサギだからな」

 

 またそれだった。

 

「肉食獣に捕まったら終わりだ。だから止まらねぇ。踏み込み続ける。潰す時は一気に潰す」

 

 ミルコは歩道の縁へ飛び乗ると、そのままバランスを崩さず歩き続けた。

 

「待つ戦い方は性に合わねぇ。罠張るより飛び込む方が速い」

 

「でも、それって危険じゃ……」

 

「危険だよ」

 

 ミルコはあっさり肯定した。

 

「だから鍛える。だから見る。だから迷わねぇ」

 

 出久は黙る。

 

 言葉は乱暴なのに、芯が通っていた。

 

 ミルコは強い。単純な身体能力だけじゃない。自分がどう動くべきかを、完全に理解している。

 

「お前は逆だな」

 

「え?」

 

「考える量が多い」

 

 ミルコは言った。

 

「悪くねぇ。むしろ武器だ」

 

 出久は少し驚く。

 

「でも、考え過ぎると動きが止まる。さっきみたいにな」

 

「……」

 

 反論できなかった。

 

 模倣犯の言葉に怒った時、出久は完全に視野が狭くなっていた。

 

「お前の個性は近から中距離寄りだ。しかも、自分の身体動かしてなんぼのタイプだろ」

 

「……はい」

 

「なら、頭で考える時間と、身体が動く速度を一致させろ」

 

 ミルコは空になった袋を握り潰した。

 

「考えてから動くんじゃ遅ぇ時がある。動きながら考えろ」

 

 出久は、その言葉を頭の中で反芻する。

 

 難しい。

 

 だが、今までのミルコを見ていると、確かにそうだった。

 

 彼女は歩きながら見ていた。食べながら警戒していた。会話しながら街を読んでいた。

 

 全部が同時だった。

 

「よし」

 

 ミルコが急に言った。

 

「次行くぞ」

 

「え?」

 

「このまま別の街入る」

 

「べ、別の街!?」

 

「足使うヒーローは移動範囲広くてなんぼだ」

 

 ミルコはにやりと笑った。

 

「あと、お前」

 

「は、はい!」

 

「次はコスチューム着ろ」

 

 出久は目を瞬かせる。

 

「え……」

 

「今度はお前も捕物に参加するんだ」

 

 心臓が、大きく跳ねた。

 

「ほ、本当ですか!?」

 

「あ?」

 

「い、いや、もちろん頑張りますけど!」

 

「ただし条件付きだ」

 

 ミルコの赤い目が細くなる。

 

「勝手に突っ込むな。周り見ろ。あと感情で掴みかかるな」

 

「うっ」

 

「返事」

 

「は、はい!」

 

 ミルコは満足そうに頷いた。

 

「よし。じゃ、十分後に出発」

 

「えっ、十分!?」

 

「早く着替えろ、骨野郎」

 

「緑谷です!!」

 

 ──十分後。

 

 オールマイトを模した、無骨な戦闘用コスチューム。

 

 腕部には骨展開用の補強。脚部には衝撃吸収と固定具。まだ調整途中の箇所も多いが、普段の制服とはまるで違う。

 

 身体が引き締まる感覚があった。

 

「お、ちゃんとヒーローっぽくなったな」

 

 街灯の上に座っていたミルコが言う。

 

「み、ミルコ! そこ危なくないですか!?」

 

「あ?」

 

 次の瞬間、ミルコは街灯から跳んだ。

 

 軽い。

 

 本当に羽みたいに。

 

 だが着地音は重い。

 

「行くぞ」

 

「は、はい!」

 

 返事と同時に、ミルコの姿が消えた。

 

「え」

 

 違う。

 

 速すぎて、見失った。

 

 数メートル先の壁を蹴り、二階建ての屋根へ飛び乗る。さらにそのまま隣のビルへ。着地と同時に再加速。迷いがない。

 

 獣だった。

 

「ま、待ってください!」

 

 出久も反射的に走り出す。

 

 脚部から骨がせり出す。

 

 槍骨。

 

 推進補助用に変形した骨槍を地面へ突き立て、反動で身体を射出する。

 

「っ!」

 

 身体が跳ねる。

 

 一気に塀を飛び越える。さらに空中で骨を展開し、建物の縁へ引っ掛けて身体を引き寄せる。

 

 だが。

 

「待たねーよ」

 

 前方からミルコの声。

 

 既に三棟先にいる。

 

「は、速っ……!」

 

 出久は歯を食いしばる。

 

 筋骨発条化。

 

 脚部の筋肉と骨格へ圧縮負荷をかけ、一気に解放する。爆発的な加速に、アスファルトが砕け、身体が前へ弾け飛ぶ。

 

 屋根へ着地。すぐ次へ。さらに次へ。

 

 だが追いつけない。

 

 ミルコは跳躍のたびに加速しているようにすら見えた。ビル壁、看板、室外機、手すり。街の全てを足場に変えている。

 

 しかも。

 

(周囲見てる……!)

 

 移動しながらだ。

 

 ミルコの耳は常に動いている。視線も止まらない。下の路地、車道、人影。その全部を確認している。

 

 なのに速度が落ちない。

 

「これがあたしの、普段のパトロール速度だ! 着いてこい!」

 

 前方から声が飛ぶ。

 

 次の瞬間、ミルコが細いビル間を蹴って直角に方向転換した。

 

「うわっ!?」

 

 出久も慌てて追従する。

 

 骨槍を壁へ突き刺し、無理やり軌道変更。火花が散る。着地。加速。

 

 呼吸が乱れ、脚が熱くなる。

 

「ハァッ……!」

 

 ミルコはまだ余裕だった。

 

 屋上の縁を蹴り、空中で身体を捻り、着地と同時に低姿勢へ移る。まるで獲物を追う野生動物。

 

(これが……トップヒーロー)

 

 出久の背筋に汗が流れる。

 

 速いだけじゃない。身体操作、空間把握、視線誘導、着地位置。その全部が噛み合っている。

 

「骨野郎!」

 

「は、はい!」

 

「脚だけで追うな! 目ぇ使え!」

 

「っ!」

 

 その瞬間、ミルコの姿がまた消えた。

 

 出久は反射的に周囲を見る。

 

 上。

 

 違う。

 

 右。

 

 さらに先。

 

 給水塔の上。

 

「そこか!」

 

 槍骨を射出し、身体を飛ばす。

 

 だが。

 

「甘ぇ!」

 

 ミルコは笑いながら、更にその上の鉄骨へ跳んでいた。

 

「えぇぇ!?」

 

「動きが一直線すぎんだよ! 追う側は“次どこ行くか”考えろ!」

 

 声が遠ざかる。

 

 出久は歯を食いしばりながら再加速した。

 

 肺が焼ける。

 

 脚が軋む。

 

 それでも、不思議と楽しかった。

 

 街を飛び越える感覚。身体が前へ伸びていく感覚。

 

 その日、出久は本当に一日中ミルコを追いかけ続けた。

 

 街を越え、ビル群を抜け、住宅街を跳び、工場地帯を駆け、川沿いの高架下を潜る。

 

 ミルコは止まらなかった。

 

 捕物もあった。

 

 ひったくり、喧嘩騒ぎ、無許可個性使用。

 

 どれもミルコは、走りながら処理した。

 

 本当に、“走りながら”だった。

 

 逃走犯を追い越し、蹴り飛ばし、通報し、次の路地へ向かう。止まる時間が存在しない。

 

 出久は、その背中を見失わないだけで精一杯だった。

 

 最初は楽しかった。途中から苦しかった。その後は、もう必死だった。

 

 脚の感覚が薄れ、肺が痛み、骨が軋む。個性の連続使用で、身体の内部が熱を持ち始めている。

 

 それでもミルコは止まらない。

 

 夕方、空が赤く染まる頃には、出久のコスチュームは汗で重くなっていた。膝が笑い、視界が揺れる。

 

 だが。

 

「まだ終わってねぇぞ!」

 

 前方のミルコは、未だに加速していた。

 

「うそぉぉぉ!?」

 

 屋上から屋上へ。鉄骨から看板へ。獣みたいに跳ぶ。

 

 いや、獣そのものだった。

 

 夜。

 

 集合地点へ戻ってきた頃には、出久はほとんど死んでいた。

 

「はっ……ぁ……っ……」

 

 着地した瞬間、その場へ膝から崩れ落ちる。

 

 呼吸がまともに入らない。全身が痙攣みたいに震えていた。腕も脚も、酷使しすぎて感覚がおかしい。

 

 筋骨発条化の反動で太腿が熱を持ち、槍骨を連続展開した腕も鈍く痛んだ。

 

「ぅ……ぉぇ……」

 

「吐くなら端行け」

 

 ミルコが言った。

 

 息一つ切れていなかった。

 

 汗はかいている。だが、それだけだ。呼吸は平常で、姿勢も崩れていない。まるで今からもう一本走れるみたいな顔をしている。

 

 出久は、信じられないものを見る目でミルコを見上げた。

 

「な、なんで……平気なんですか……」

 

「あ?」

 

 ミルコは肩を回す。

 

「毎日やってっからだろ」

 

 簡単に言う。

 

 だが、その一言が恐ろしかった。

 

 毎日、これを。

 

 この速度を。

 

 この機動を。

 

 トップヒーローは日常として回している。

 

「お前の課題は機動力だな」

 

 ミルコは出久を見下ろした。

 

「加速は悪くねぇ。瞬間出力もある」

 

「は、はい……」

 

「でも、移動が直線的すぎる。減速が多い。次動作への繋ぎが甘ぇ」

 

 図星だった。

 

 出久は追いつくことばかり考えていた。その結果、毎回“全力加速、無理やり停止、再加速”になっていた。

 

 燃費が悪い。身体への負担も大きい。

 

「お前、考えてから動いてるだろ」

 

「……」

 

「だからワンテンポ遅れる。しかも考えるたび減速する」

 

 ミルコは鼻を鳴らした。

 

「この職場体験じゃ、そこを徹底的に痛めつけてやる」

 

「痛めつけるって言いました!?」

 

「そのままの意味だ」

 

 ミルコは獰猛に、楽しそうに笑う。

 

「脚が勝手に動くまで叩き込む。街を見ながら跳べるようになれ」

 

 出久は返事をしようとして、

 

「……は、ぃ……」

 

 声が掠れた。

 

 もう限界だった。

 

 ミルコはそんな出久を見て、少しだけ口角を上げる。

 

「明日も同じ時間な」

 

「えっ」

 

「逃げんなよ、骨野郎」

 

「み、緑谷……です……」

 

「じゃあな」

 

 次の瞬間、ミルコは跳んだ。

 

 夜のビル群へ、一瞬で。

 

 白い影だけを残して消える。

 

 出久はその場へ倒れ込んだまま、しばらく動けなかった。

 

 だが、苦しいのに、全身が悲鳴を上げているのに、心の奥だけは妙に熱かった。

 

 もっと速くなりたい。

 

 あの背中に追いつきたい。

 

 そう思っている自分がいた。

 

 その日は、どうやって家まで帰ったのか、出久自身よく覚えていなかった。

 

 電車に乗った。駅から歩いた。玄関で靴を脱いだ。母に何か声をかけられた気がする。だが、まともに返事ができたか分からない。

 

「ごめん、母さん……今日は、もう寝る……」

 

 それだけ言うのが精一杯だった。

 

 部屋に入り、鞄を置き、コスチュームケースを壁際へ寄せる。制服に着替える気力すらなく、出久はそのままベッドへ倒れ込んだ。

 

「……っ、あぁ……」

 

 全身が痛い。

 

 筋肉だけではない。骨の奥、関節の隙間、肺の裏側。普段意識しない場所まで、全部が鈍く熱を持っている。

 

 ミルコの背中。

 

 白い影。

 

 屋上から屋上へ飛ぶ姿。

 

 追いつけなかった。

 

 一度も。

 

 出久は枕に顔を埋めたまま、ポケットの中の携帯が震えていることに気付いた。

 

「……」

 

 AFOか。

 

 そう思った瞬間、身体が強張る。

 

 だが、画面を見ると違った。

 

 A組のグループチャットだった。

 

 通知が、次々と流れている。

 

『職場体験初日どうだった!?』

 

『俺もう足パンパン』

 

『プロの現場やばい』

 

『めちゃくちゃ緊張しましたわ』

 

『爆豪既読だけつけて無言なの怖いんだけど』

 

『うっせぇ殺すぞ』

 

『喋った!』

 

 出久は、少しだけ息を吐いた。

 

 皆、盛り上がっている。

 

 疲れているはずなのに、それでも初めて見るプロの現場に興奮しているのが文面だけで分かった。

 

 麗日もいる。切島もいる。上鳴も、瀬呂も、八百万も、蛙吹もいる。爆豪も、短いながら反応している。

 

 けれど。

 

「……飯田君」

 

 飯田の名前だけが、見当たらなかった。

 

 既読すらついていない。

 

 いつもの飯田なら、こういう時に真っ先に発言していたはずだ。職場体験の意義、各自の報告、明日以降への心構え。そんな生真面目な長文を、きっと誰より早く送っていた。

 

 なのに、画面は沈黙している。

 

 出久の胸に、昼間とは別の重さが沈んだ。

 

 たしか、飯田は幾つかあった有名ヒーローからの指名を断っていた。そして選んだのは、保須にある比較的マイナーなヒーロー事務所。

 

 理由など、考えるまでもなかった。

 

 保須。

 

 インゲニウム。

 

 ヒーロー殺し。

 

「……飯田君」

 

 呼びかけても、返事はない。

 

 画面の中で、クラスメイト達の会話だけが流れていく。

 

 出久は返信しようとして、指を止めた。

 

 何を書けばいいのか分からなかった。

 

 ミルコのこと。模倣犯のこと。ステインの名前。飯田の沈黙。どれも、軽く打ち込めるものではなかった。

 

 携帯を伏せる。

 

 部屋が静かになる。

 

 天井には、昔から貼ってあるオールマイトのポスター。その笑顔が、今は少し遠く見えた。

 

「……明日」

 

 出久は掠れた声で呟いた。

 

「明日、飯田君に連絡しよう」

 

 そう思った。

 

 思ったのに、瞼が重い。

 

 身体が言うことを聞かない。

 

 ミルコを追いかけ回した疲労が、意識を深く沈めていく。

 

 最後に浮かんだのは、白い病室に立つ飯田の背中だった。

 

 そして、その向こうに、人気のない路地裏が見えた気がした。

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