間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第35話 掴めコツ

 翌日。

 

 出久は、また走っていた。

 

「遅ぇぞ、骨野郎!」

 

「緑谷です!」

 

 昨日と同じ街。昨日と同じ時間。そして昨日と同じように、ミルコは前にいた。

 

 屋上から屋上へ。壁から壁へ。看板を蹴り、手すりを踏み、室外機の上を掠めるように越えていく。

 

 出久は必死に追いかける。

 

 槍骨を伸ばす。壁へ突き立てる。身体を引き寄せる。筋骨発条化で脚に負荷を溜め、一気に解放する。

 

 跳ぶ。

 

 加速する。

 

 着地する。

 

 また加速する。

 

「っ……!」

 

 昨日よりは、動けている。

 

 少なくとも、最初の数分で完全に置いていかれることはなくなった。だが、それでも距離は縮まらない。むしろ、少しずつ開いていく。

 

(なんでだ……?)

 

 出久は歯を食いしばりながら、ミルコの背中を見る。

 

 ミルコの跳躍力は強力だ。それは間違いない。一蹴りで屋上へ上がり、壁を蹴って方向を変え、落下の勢いすら次の加速へ変えている。

 

 だが。

 

(違う)

 

 出久は目を凝らした。

 

 昨日は、ただ速いと思っていた。圧倒的な脚力で、一気に跳んでいるのだと思っていた。

 

 けれど違う。

 

 ミルコは、一回一回の跳躍だけで移動しているわけではなかった。

 

 壁を蹴る。着地する。さらに膝を沈めるより早く、爪先で屋根を叩く。看板の端を踏む。配管を蹴る。縁石を蹴る。空中で身体を捻り、次の足場へ最短で脚を伸ばす。

 

 一つ一つは小さい。

 

 けれど、その全部が加速になっている。

 

(僕は……)

 

 出久は自分の動きを意識する。

 

 槍骨で引っ張る。筋骨発条化で飛ぶ。着地。姿勢を整える。次の足場を探す。また加速。

 

 つまり、その都度、止まっている。

 

 完全に停止しているわけではない。けれど、動きの中に減速がある。考える時間がある。姿勢を作り直す間がある。

 

 ミルコには、それがない。

 

 常に加速している。

 

 まるで、地面も壁も屋根も、全部が蹴るためだけに存在しているみたいだった。

 

(ウサギみたいな移動……)

 

 出久の頭に、昨日のミルコの言葉が蘇る。

 

『肉食獣に捕まったら終わりだ。だから止まらねぇ』

 

 止まらない。

 

 本当に、止まらないのだ。

 

 ミルコは一度跳んで終わりではない。跳び続けている。蹴り続けている。加速し続けている。

 

(違うんだ)

 

 出久は屋上を蹴りながら、自分の呼吸を整える。

 

 前方では、ミルコがビル壁を三角飛びのように蹴り上がり、そのまま給水塔を飛び越えていく。

 

 止まらない。減速しない。着地が、もう次の加速になっている。

 

(僕はずっと——)

 

 槍骨を射出し、フェンスへ引っ掛け、身体を引く。

 

 その瞬間、出久は気付いた。

 

 自分の動きの根本。

 

 その癖に。

 

(オールマイトを真似してた)

 

 脳裏に浮かぶ。

 

 巨大な背中。一歩で街を越えるような跳躍。圧倒的な脚力と、圧倒的なパワー。瓦礫を蹴り飛ばし、一直線に敵へ飛び込み、一撃で決める。

 

 出久がずっと憧れていた、“最短最強”の動き。

 

 だから自分も、一回の加速、一回の跳躍、一回の踏み込みで、一気に目的地へ届こうとしていた。

 

 最短距離で。

 

 一直線に。

 

 大きく。

 

 強く。

 

 けれど。

 

(僕は、オールマイトじゃない)

 

 その事実が、妙にすとんと胸へ落ちた。

 

 出久の個性は違う。

 

 超パワーで全てを押し切る個性ではない。一歩でビルを飛び越える純粋出力はない。

 

 だから無理に真似すれば、減速が生まれる。着地で身体を立て直す必要が出る。全力加速の反動で硬直する。

 

 結果、繋がらない。

 

(なら)

 

 出久は歯を食いしばる。

 

(飛び続ければいい)

 

 一回で届かないなら、何回でも加速すればいい。

 

 小さく。

 

 細かく。

 

 止まらず。

 

 連続で。

 

「っ!」

 

 筋骨発条化。

 

 今までみたいに、脚部へ一気に圧縮負荷をかけない。右脚、左脚、腕、背筋。負荷を分散し、解放も段階的にする。

 

 爆発ではなく、連続噴射みたいに。

 

 槍骨も同じだ。

 

 今までは“引っ張る”ために使っていた。だが違う。

 

 小さく射出。短く接地。押す。流す。軌道を変える。推進補助として細かく刻む。

 

「——!」

 

 出久の身体が変わる。

 

 屋上の縁を蹴る。右脚だけ軽く解放する。身体が前へ滑る。

 

 着地前、左腕から短い槍骨を展開。壁へ当てる。反発。身体を横へ流す。

 

 右腕。

 

 今度は屋根の縁を押す。

 

 減速しない。

 

 脚。

 

 小さく解放。

 

 さらに前へ。

 

「おっ」

 

 前方のミルコが、少しだけ目を細めた。

 

 出久は止まらない。

 

 今までみたいに“一回の大加速”ではない。細かい。だが、途切れない。

 

 屋根、看板、配管、壁。

 

 全部を利用する。

 

 全部を蹴る。

 

 全部を流れへ変える。

 

(これだ……!)

 

 出久の目が見開かれる。

 

 身体が軽い。

 

 いや、軽いわけではない。負荷自体はむしろ増えている。四肢全部を別々に制御しているせいで、集中力は凄まじく削られる。

 

 だが、減速が減った。

 

 止まる瞬間が減った。

 

 動きが“線”になり始めている。

 

「はっ!」

 

 出久は看板を蹴る。

 

 着地前に左脚を部分解放し、そのまま低空で滑るように加速する。次の壁へ槍骨を短く撃ち込み、反動で軌道変更。

 

 今までより速い。

 

 何より、繋がっている。

 

「ははっ……!」

 

 思わず声が漏れた。

 

 楽しい。

 

 身体が動く。街が流れていく。全部が足場になる。全部が加速になる。

 

「っ、は——!」

 

 出久はビル壁を蹴る。

 

 今までみたいな大跳躍ではない。

 

 細かく、短く。

 

 右脚で壁を叩き、その反動を殺さないまま左脚を看板へ乗せる。さらに槍骨を短く展開し、配管へ当てる。

 

 押す。

 

 流す。

 

 身体が横へ滑る。

 

(止まるな……!)

 

 ミルコの動きを思い出す。

 

 跳ぶのではない。

 

 蹴り続ける。

 

 常に次の加速へ繋げる。

 

 ウサギみたいに。

 

 道路、壁、屋根。全部を細かく蹴り込み続ける。

 

「っ!」

 

 右脚を小さく負荷解放し、加速する。

 

 着地前に左腕から槍骨を射出。今度は引っ張らない。ビル壁へ軽く接触させ、その反発だけを利用して軌道修正する。

 

 減速しない。

 

 止まらない。

 

 さらに次。屋上の縁を爪先で蹴る。また加速。

 

「おっ」

 

 前方で、ミルコが少しだけ振り返った。

 

「昨日よりマシじゃねぇか」

 

「は、はい!」

 

 出久は叫び返す。

 

 肺は苦しい。脚も熱い。だが、昨日までとは感覚が違った。

 

 身体が繋がっている。

 

 一回ごとに止まっていない。

 

 小さい加速を、連続で積み重ねている。

 

(これだ……!)

 

 オールマイトみたいに、一歩で全部を飛び越える必要はない。自分には、あんな圧倒的出力はない。

 

 なら、細かく加速し続ければいい。

 

 止まらず。

 

 何度でも。

 

 右。左。壁。屋根。

 

 全部を蹴り続ける。

 

「っは!」

 

 出久は看板の側面を蹴り、さらに空中で身体を捻り、室外機へ着地する。

 

 止まらず、次。

 

 次。

 

 次。

 

 今までより、確実に速い。

 

 ミルコとの距離も、ほんの少しだけ縮まっている。

 

「そのまま繋げろ!」

 

 前方からミルコの声。

 

「減速すんな! 考える前に脚出せ!」

 

「はい!」

 

 出久は歯を食いしばる。

 

 もっと細かく。

 

 もっと連続で。

 

 筋骨発条化の負荷解放を、四肢へ分散する。一気に爆発させない。小出力で、連続噴射。

 

 槍骨も同じ。

 

 短く展開。短く接触。押す。流す。加速。

 

(いける……!)

 

 出久はさらに壁を蹴る。

 

 右脚、左脚、右腕。

 

 細かく。

 

 連続で。

 

 まるで四肢全部がバネになったみたいに、身体が街を流れていく。

 

 その瞬間。

 

「——っ!?」

 

 出久の身体が、不意に前へ吹き飛んだ。

 

 加減を誤った。

 

 右脚の負荷解放が、想定より強い。さらに左腕の槍骨推進まで重なり、連続加速の勢いが一気に噛み合いすぎた。

 

「やば——」

 

 派手な音が鳴った。

 

 次の瞬間、出久の身体が看板へ真正面から突っ込んでいた。

 

「ぶごぁっ!?」

 

 金属がひしゃげ、看板が外れかけ、火花が散る。

 

 出久はそのまま屋上へ転がった。

 

「っ、ぅ……!」

 

 背中を打つ。肩が痛い。鼻の奥が痺れる。視界がぐらぐら揺れた。

 

「いっ、たぁ……!」

 

 涙目になりながら起き上がる。

 

 だが。

 

(止まってる場合じゃない!)

 

 出久は慌てて顔を上げた。

 

 ミルコを追わないと。今の感覚を忘れる前に、もう一回——。

 

「……あれ?」

 

 ミルコがいない。

 

 見失った。

 

 いや、違う。

 

 少し先、電柱の上。

 

 ミルコが片足だけで細い支持部へ立っていた。

 

 だが、様子がおかしい。

 

 携帯の画面を、じっと睨んでいる。

 

「……ミルコ?」

 

 出久が声をかける。

 

 ミルコはすぐに返事をしなかった。

 

 数秒。

 

 夜風の中で沈黙したまま、画面を見続ける。

 

 やがて。

 

「……チッ」

 

 ミルコは携帯を閉じた。

 

 赤い目が、街を鋭く見渡す。

 

 さっきまでの訓練中の空気とは違う。

 

 軽口もない。

 

 耳が、僅かに立っていた。

 

「骨野郎」

 

「は、はい」

 

「今日は解散だ」

 

「え?」

 

 出久は目を瞬かせる。

 

 ミルコは電柱の上から飛び降りた。軽い着地。だが、そのまま即座に次へ動ける姿勢を取っている。

 

「お前は学校戻れ」

 

「な、何かあったんですか?」

 

 出久の声が強張る。

 

 ミルコは短く答えた。

 

「保須で動きがあった」

 

 その瞬間、出久の心臓が跳ねた。

 

「ヒーロー殺し……!?」

 

 飯田の顔が脳裏を過る。

 

 病院。インゲニウム。既読の付かなかったチャット。

 

 だが、ミルコは首を振った。

 

「奴じゃねぇ」

 

「え……?」

 

「ただ、やけに派手だ」

 

 ミルコは眉をひそめる。

 

「保須のヒーローから救援要請が来てる」

 

「救援……」

 

 出久の喉が鳴る。

 

 ヒーロー同士で救援要請が飛ぶレベル。しかも、“派手”。

 

 嫌な予感がした。

 

「ヴィランですか?」

 

「まだ詳しい情報は回ってねぇ」

 

 ミルコは携帯を軽く振る。

 

「だが、現場の混乱がデカい。人数も多いかもしれねぇな」

 

 その言い方に、出久の背筋が冷える。

 

 保須。ヒーロー殺し。そして大規模騒動。

 

 偶然とは思えなかった。

 

「僕も行きます!」

 

 気付けば、出久は叫んでいた。

 

 ミルコの赤い目が、鋭く細まる。

 

「あ?」

 

「保須なら、僕——」

 

「馬鹿骨野郎」

 

 低い声だった。

 

 出久は言葉を止める。

 

「お前はまだヒーローですらねぇ」

 

 ミルコは真正面から出久を見る。

 

「仮免も持ってねぇ、現場経験も足りねぇ、ひよっこだ」

 

「でも!」

 

「大規模案件に連れて行けるわけねぇだろ」

 

 即答だった。

 

 迷いがない。

 

「今日だって、あたしが目ぇ離したら看板に突っ込んでただろうが」

 

「うっ……」

 

 図星だった。

 

「訓練と実戦は違う。相手が雑魚かどうかも分からねぇ状況で、生徒抱えて動けるほど現場は甘くねぇ」

 

 ミルコは、今までで一番強い声で言った。

 

「いいか、骨野郎。ちゃんと帰れよ!」

 

 次の瞬間、地面が砕ける。

 

 ミルコの身体が、一瞬で空へ射出された。

 

 ビル壁、看板、鉄骨。

 

 街の全てを蹴りながら、白い影が保須の方向へ消えていく。

 

 速い。

 

 本当に、一瞬だった。

 

「……」

 

 出久だけが、その場へ取り残される。

 

 遠くでサイレンが鳴っていた。

 

 保須の方角だろうか。

 

 出久は、しばらく動けなかった。

 

(帰れって……)

 

 ミルコの言葉が頭に残る。

 

 正しい。

 

 完全に正しい。

 

 今の自分は、まだ未熟だ。今日だってようやく動きの感覚を掴み始めたばかりで、少し油断すれば看板へ突っ込む。

 

 そんな状態で、大規模事件へ行く?

 

 無茶だ。

 

 危険だ。

 

 邪魔になる可能性だって高い。

 

 けれど。

 

(飯田君……)

 

 胸騒ぎが消えない。

 

 昨日からずっとだ。

 

 既読の付かないチャット。保須。ステイン。

 

 全部が繋がってしまう。

 

「……っ」

 

 出久は拳を握る。

 

 行くべきか。戻るべきか。

 

 頭の中で、考えがぐるぐる回る。

 

 ミルコは帰れと言った。プロヒーローの命令だ。従うべきだ。

 

 出久はゆっくり息を吐く。

 

「……まず、戻ろう」

 

 そう呟いた。

 

 今は情報が少なすぎる。

 

 勝手に飛び込めば、迷惑になる。

 

 出久は自分にそう言い聞かせ、踵を返しかける。

 

 その時だった。

 

 携帯が震えた。

 

「!」

 

 出久は反射的に取り出す。

 

 画面を見る。

 

「……非通知」

 

 表示されているのは、番号なしの着信。

 

 出久の喉が、小さく鳴った。

 

 嫌な予感がする。

 

 けれど、無視してはいけない気もした。

 

 指先が、少し震える。

 

「……もしもし」

 

『やあ』

 

 穏やかな声だった。

 

 聞き慣れてしまった声。

 

 その瞬間、出久の背筋に冷たいものが走る。

 

「AFO……!」

 

『随分警戒されているね』

 

 電話の向こうで、AFOは小さく笑った。

 

『だが安心したまえ。今回は君に命令をするために掛けたわけではない』

 

「……じゃあ何ですか」

 

 出久の声は硬い。

 

 夜風が強く吹く。

 

 遠くでサイレンが鳴っていた。

 

『保須に、ヒーロー殺しが出た』

 

「っ!」

 

 出久の目が見開かれる。

 

「ミルコは違うって……!」

 

『ああ。彼女の受けた救援要請とは別件だ』

 

 AFOの声は、妙に落ち着いていた。

 

『どうやら街全体が混乱していてね。通信も情報も錯綜している』

 

「……」

 

『その中で、非常に興味深い動きをしている少年がいる』

 

 嫌な汗が流れる。

 

 出久は、何も言えなかった。

 

『君のクラスメイトだよ』

 

 穏やかな声。

 

 だが、その一言は刃みたいだった。

 

『飯田天哉君』

 

「……!」

 

『どうやら彼は、一人でヒーロー殺しを探しているようだ』

 

 出久の呼吸が止まる。

 

 病院で見た飯田の顔。強く握られた拳。沈黙したグループチャット。

 

 全部が繋がる。

 

『心配だね』

 

 AFOは静かに言った。

 

『兄を傷付けられた少年が、復讐心を抱えてヴィランを追う。実に青春らしい』

 

「やめろ……!」

 

『彼は真面目だ。責任感も強い。だからこそ、一線を越える時は止まらない』

 

 出久は奥歯を噛み締める。

 

 怒り、恐怖、焦り。

 

 全部が混ざる。

 

「なんで……そんなこと知ってるんですか」

 

『さあ』

 

 AFOは楽しそうに笑った。

 

『街を見るのが好きでね』

 

 その瞬間、出久の中で何かが繋がった。

 

 模倣犯。

 

 保須。

 

 タイミング良すぎる騒動。

 

 ヒーロー達への救援要請。

 

 そして、その裏で動くステイン。

 

(仕組まれてる……!)

 

 偶然じゃない。

 

 これは、誰かが意図して混乱を広げている。

 

 ヒーローを分散させ、視線を逸らし、その間に——。

 

『さて』

 

 AFOの声が、少し遠くなる。

 

『情報は渡したよ、出久君』

 

「待っ——」

 

『君がどうするかは自由だ』

 

 通話が切れた。

 

「……っ!」

 

 出久はその場で立ち尽くす。

 

 携帯を握る手が汗で濡れていた。

 

 AFOの言葉を信じるのか。

 

 そんなもの、信じられるわけがない。

 

 けれど。

 

(飯田君……!)

 

 胸騒ぎが、もう警鐘みたいに鳴っていた。

 

 ミルコは帰れと言った。自分は未熟だ。大規模案件へ行くべきじゃない。

 

 全部正しい。

 

 全部分かっている。

 

 それでも。

 

「っ……!」

 

 次の瞬間、出久の脚が動いていた。

 

 筋骨発条化。

 

 小さく、連続で。

 

 右脚。左脚。壁を蹴る。看板を踏む。槍骨を短く展開。反発。加速。

 

 保須へ。




次回更新日7月予定……
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