翌日。
出久は、また走っていた。
「遅ぇぞ、骨野郎!」
「緑谷です!」
昨日と同じ街。
昨日と同じ時間。
そして昨日と同じように、ミルコは前にいた。
屋上から屋上へ。
壁から壁へ。
看板を蹴り、手すりを踏み、室外機の上を掠めるように越えていく。
出久は必死に追いかける。
槍骨を伸ばす。
壁へ突き立てる。
身体を引き寄せる。
筋骨発条化で脚に負荷を溜め、一気に解放する。
跳ぶ。
加速する。
着地する。
また加速する。
「っ……!」
昨日よりは、動けている。
少なくとも、最初の数分で完全に置いていかれることはなくなった。
だが、それでも距離は縮まらない。
むしろ、少しずつ開いていく。
(なんでだ……?)
出久は歯を食いしばりながら、ミルコの背中を見る。
ミルコの跳躍力は強力だ。
それは間違いない。
一蹴りで屋上へ上がる。
壁を蹴って方向を変える。
落下の勢いすら、次の加速へ変えている。
だが。
(違う)
出久は、目を凝らした。
昨日はただ速いと思っていた。
圧倒的な脚力で、一気に跳んでいるのだと思っていた。
けれど違う。
ミルコは、一回一回の跳躍だけで移動しているわけではなかった。
壁を蹴る。
着地する。
さらに膝を沈めるより早く、爪先で屋根を叩く。
看板の端を踏む。
配管を蹴る。
縁石を蹴る。
空中で身体を捻り、次の足場へ最短で脚を伸ばす。
一つ一つは小さい。
けれど、その全部が加速になっている。
(僕は……)
出久は自分の動きを意識する。
槍骨で引っ張る。
筋骨発条化で飛ぶ。
着地。
姿勢を整える。
次の足場を探す。
また加速。
つまり。
その都度、止まっている。
完全に停止しているわけではない。
けれど、動きの中に減速がある。
考える時間がある。
姿勢を作り直す間がある。
ミルコには、それがない。
常に加速している。
まるで、地面も壁も屋根も、全部が蹴るためだけに存在しているみたいだった。
(ウサギみたいな移動……)
出久の頭に、昨日のミルコの言葉が蘇る。
『肉食獣に捕まったら終わりだ。だから止まらねぇ』
止まらない。
本当に、止まらないのだ。
ミルコは一度跳んで終わりではない。
跳び続けている。
蹴り続けている。
加速し続けている。
(違うんだ)
出久は屋上を蹴りながら、自分の呼吸を整える。
前方では、ミルコがビル壁を三角飛びのように蹴り上がり、そのまま給水塔を飛び越えていく。
止まらない。
減速しない。
着地が、もう次の加速になっている。
(僕はずっと——)
槍骨を射出。
フェンスへ引っ掛ける。
身体を引く。
その瞬間、出久は気付いた。
自分の動きの根本。
その癖に。
(オールマイトを真似してた)
脳裏に浮かぶ。
巨大な背中。
一歩で街を越えるような跳躍。
圧倒的な脚力。
圧倒的なパワー。
瓦礫を蹴り飛ばし。
一直線に敵へ飛び込み。
一撃で決める。
出久がずっと憧れていた、“最短最強”の動き。
だから自分も。
一回の加速。
一回の跳躍。
一回の踏み込み。
それで、一気に目的地へ届こうとしていた。
最短距離で。
一直線に。
大きく。
強く。
けれど。
(僕は、オールマイトじゃない)
その事実が、妙にすとんと胸へ落ちた。
出久の個性は違う。
超パワーで全てを押し切る個性ではない。
一歩でビルを飛び越える純粋出力はない。
だから無理に真似すれば、減速が生まれる。
着地で身体を立て直す必要が出る。
全力加速の反動で硬直する。
結果、繋がらない。
(なら)
出久は歯を食いしばる。
(飛び続ければいい)
一回で届かないなら。
何回でも加速すればいい。
小さく。
細かく。
止まらず。
連続で。
「っ!」
筋骨発条化。
今までみたいに脚部へ一気に圧縮負荷をかけない。
右脚。
左脚。
腕。
背筋。
負荷を分散。
解放も段階的に。
爆発ではなく、連続噴射みたいに。
槍骨も同じだ。
今までは“引っ張る”ために使っていた。
だが違う。
小さく射出。
短く接地。
押す。
流す。
軌道を変える。
推進補助として細かく刻む。
「——!」
出久の身体が変わる。
屋上の縁を蹴る。
右脚だけ軽く解放。
身体が前へ滑る。
着地前。
左腕から短い槍骨を展開。
壁へ当てる。
反発。
身体を横へ流す。
右腕。
今度は屋根の縁を押す。
減速しない。
脚。
小さく解放。
さらに前へ。
「おっ」
前方のミルコが、少しだけ目を細めた。
出久は止まらない。
今までみたいに“一回の大加速”ではない。
細かい。
だが、途切れない。
屋根。
看板。
配管。
壁。
全部を利用する。
全部を蹴る。
全部を流れへ変える。
(これだ……!)
出久の目が見開かれる。
身体が軽い。
いや、軽いわけではない。
負荷自体はむしろ増えている。
四肢全部を別々に制御しているせいで、集中力は凄まじく削られる。
だが。
減速が減った。
止まる瞬間が減った。
動きが“線”になり始めている。
「はっ!」
出久は看板を蹴る。
着地前に左脚を部分解放。
そのまま低空で滑るように加速。
次の壁へ槍骨を短く撃ち込み、反動で軌道変更。
今までより速い。
何より。
繋がっている。
「ははっ……!」
思わず声が漏れた。
楽しい。
身体が動く。
街が流れていく。
全部が足場になる。
全部が加速になる。
「っ、は——!」
出久はビル壁を蹴る。
今までみたいな大跳躍ではない。
細かく。
短く。
右脚で壁を叩く。
その反動を殺さないまま左脚を看板へ乗せる。
さらに槍骨を短く展開。
配管へ当てる。
押す。
流す。
身体が横へ滑る。
(止まるな……!)
ミルコの動きを思い出す。
跳ぶのではない。
蹴り続ける。
常に次の加速へ繋げる。
ウサギみたいに。
道路。
壁。
屋根。
全部を細かく蹴り込み続ける。
「っ!」
右脚。
小さく負荷解放。
加速。
着地前に左腕から槍骨を射出。
今度は引っ張らない。
ビル壁へ軽く接触させ、その反発だけを利用して軌道修正。
減速しない。
止まらない。
さらに次。
屋上の縁を爪先で蹴る。
また加速。
「おっ」
前方で、ミルコが少しだけ振り返った。
「昨日よりマシじゃねぇか」
「は、はい!」
出久は叫び返す。
肺は苦しい。
脚も熱い。
だが、昨日までとは感覚が違った。
身体が繋がっている。
一回ごとに止まっていない。
小さい加速を、連続で積み重ねている。
(これだ……!)
オールマイトみたいに、一歩で全部を飛び越える必要はない。
自分には、あんな圧倒的出力はない。
なら。
細かく加速し続ければいい。
止まらず。
何度でも。
右。
左。
壁。
屋根。
全部を蹴り続ける。
「っは!」
出久は看板の側面を蹴る。
さらに空中で身体を捻り、室外機へ着地。
止まらず次。
次。
次。
今までより、確実に速い。
ミルコとの距離も、ほんの少しだけ縮まっている。
「そのまま繋げろ!」
前方からミルコの声。
「減速すんな! 考える前に脚出せ!」
「はい!」
出久は歯を食いしばる。
もっと細かく。
もっと連続で。
筋骨発条化の負荷解放を、四肢へ分散。
一気に爆発させない。
小出力。
連続噴射。
槍骨も同じ。
短く展開。
短く接触。
押す。
流す。
加速。
(いける……!)
出久はさらに壁を蹴る。
右脚。
左脚。
右腕。
細かく。
連続で。
まるで四肢全部がバネになったみたいに。
身体が街を流れていく。
その瞬間。
「——っ!?」
出久の身体が、不意に前へ吹き飛んだ。
加減を誤った。
右脚の負荷解放が、想定より強い。
さらに左腕の槍骨推進まで重なった。
連続加速の勢いが、一気に噛み合いすぎた。
「やば——」
ドガァンッ!!
派手な音。
次の瞬間、出久の身体が看板へ真正面から突っ込んでいた。
「ぶごぁっ!?」
金属がひしゃげる。
看板が外れかけ、火花が散った。
出久はそのまま屋上へ転がる。
「っ、ぅ……!」
背中を打つ。
肩が痛い。
鼻の奥が痺れる。
視界がぐらぐら揺れた。
「いっ、たぁ……!」
涙目になりながら起き上がる。
だが。
(止まってる場合じゃない!)
出久は慌てて顔を上げた。
ミルコを追わないと。
今の感覚を忘れる前に。
もう一回——
「……あれ?」
ミルコがいない。
見失った。
いや。
違う。
少し先。
電柱の上。
ミルコが片足だけで細い支持部へ立っていた。
だが。
様子がおかしい。
携帯の画面を、じっと睨んでいた。
「……ミルコ?」
出久が声をかける。
ミルコはすぐに返事をしなかった。
数秒。
夜風の中で沈黙したまま、画面を見続ける。
やがて。
「……チッ」
ミルコは携帯を閉じた。
赤い目が、街を鋭く見渡す。
さっきまでの訓練中の空気とは違う。
軽口もない。
耳が、僅かに立っていた。
「骨野郎」
「は、はい」
「今日は解散だ」
「え?」
出久は目を瞬かせる。
ミルコは電柱の上から飛び降りる。
軽い着地。
だが、そのまま即座に次へ動ける姿勢を取っていた。
「お前は学校戻れ」
「な、何かあったんですか?」
出久の声が強張る。
ミルコは短く答えた。
「保須で動きがあった」
その瞬間。
出久の心臓が跳ねた。
「ヒーロー殺し……!?」
飯田の顔が脳裏を過る。
病院。
インゲニウム。
既読の付かなかったチャット。
だが、ミルコは首を振った。
「奴じゃねぇ」
「え……?」
「ただ、やけに派手だ」
ミルコは眉をひそめる。
「保須のヒーローから救援要請が来てる」
「救援……」
出久の喉が鳴る。
ヒーロー同士で救援要請が飛ぶレベル。
しかも、“派手”。
嫌な予感がした。
「ヴィランですか?」
「まだ詳しい情報は回ってねぇ」
ミルコは携帯を軽く振る。
「だが、現場の混乱がデカい。人数も多いかもしれねぇな」
その言い方に、出久の背筋が冷える。
保須。
ヒーロー殺し。
そして大規模騒動。
偶然とは思えなかった。
「僕も行きます!」
気付けば、出久は叫んでいた。
ミルコの赤い目が、鋭く細まる。
「あ?」
「保須なら、僕——」
「馬鹿骨野郎」
低い声だった。
出久は言葉を止める。
「お前はまだヒーローですらねぇ」
ミルコは真正面から出久を見る。
「仮免も持ってねぇ、現場経験も足りねぇ、ひよっこだ」
「でも!」
「大規模案件に連れて行けるわけねぇだろ」
即答だった。
迷いがない。
「今日だって、あたしが目ぇ離したら看板に突っ込んでただろうが」
「うっ……」
図星だった。
「訓練と実戦は違う。相手が雑魚かどうかも分からねぇ状況で、生徒抱えて動けるほど現場は甘くねぇ」
「いいか、骨野郎」
その声は、今までで一番強かった。
「ちゃんと帰れよ!」
次の瞬間。
ドンッ!!
地面が砕ける。
ミルコの身体が、一瞬で空へ射出された。
ビル壁。
看板。
鉄骨。
街の全てを蹴りながら、白い影が保須の方向へ消えていく。
速い。
本当に、一瞬だった。
「……」
出久だけが、その場へ取り残される。
遠くでサイレンが鳴っていた。
保須の方角だろうか。
出久は、しばらく動けなかった。
(帰れって……)
ミルコの言葉が頭に残る。
正しい。
完全に正しい。
今の自分は、まだ未熟だ。
今日だってようやく動きの感覚を掴み始めたばかりで、少し油断すれば看板へ突っ込む。
そんな状態で、大規模事件へ行く?
無茶だ。
危険だ。
邪魔になる可能性だって高い。
けれど。
(飯田君……)
胸騒ぎが消えない。
昨日からずっとだ。
既読の付かないチャット。
保須。
ステイン。
全部が繋がってしまう。
「……っ」
出久は拳を握る。
行くべきか。
戻るべきか。
頭の中で、考えがぐるぐる回る。
ミルコは帰れと言った。
プロヒーローの命令だ。
従うべきだ。
出久はゆっくり息を吐く。
「……まず、戻ろう」
そう呟いた。
今は情報が少なすぎる。
勝手に飛び込めば、迷惑になる。
出久は自分にそう言い聞かせ、踵を返しかける。
その時だった。
ブブッ——
「!」
携帯が震えた。
出久は反射的に取り出す。
画面を見る。
「……非通知」
表示されているのは、番号なしの着信。
出久の喉が、小さく鳴った。
嫌な予感がする。
けれど。
無視してはいけない気もした。
指先が、少し震える。
「……もしもし」
『やあ』
穏やかな声だった。
聞き慣れてしまった声。
その瞬間、出久の背筋に冷たいものが走る。
「AFO……!」
『随分警戒されているね』
電話の向こうで、AFOは小さく笑った。
『だが安心したまえ。今回は君に命令をするために掛けたわけではない』
「……じゃあ何ですか」
出久の声は硬い。
夜風が強く吹く。
遠くでサイレンが鳴っていた。
『保須に、ヒーロー殺しが出た』
「っ!」
出久の目が見開かれる。
「ミルコは違うって……!」
『ああ。彼女の受けた救援要請とは別件だ』
AFOの声は、妙に落ち着いていた。
『どうやら街全体が混乱していてね。通信も情報も錯綜している』
「……」
『その中で、非常に興味深い動きをしている少年がいる』
嫌な汗が流れる。
出久は、何も言えなかった。
『君のクラスメイトだよ』
穏やかな声。
だが、その一言は刃みたいだった。
『飯田天哉君』
「……!」
『どうやら彼は、一人でヒーロー殺しを探しているようだ』
出久の呼吸が止まる。
病院で見た飯田の顔。
強く握られた拳。
沈黙したグループチャット。
全部が繋がる。
『心配だね』
AFOは静かに言った。
『兄を傷付けられた少年が、復讐心を抱えてヴィランを追う。実に青春らしい』
「やめろ……!」
『彼は真面目だ。責任感も強い。だからこそ、一線を越える時は止まらない』
出久は奥歯を噛み締める。
怒り。
恐怖。
焦り。
全部が混ざる。
「なんで……そんなこと知ってるんですか」
『さあ』
AFOは楽しそうに笑った。
『街を見るのが好きでね』
その瞬間。
出久の中で、何かが繋がった。
模倣犯。
保須。
タイミング良すぎる騒動。
ヒーロー達への救援要請。
そして、その裏で動くステイン。
(仕組まれてる……!)
偶然じゃない。
これは。
誰かが意図して混乱を広げている。
ヒーローを分散させ。
視線を逸らし。
その間に。
『さて』
AFOの声が、少し遠くなる。
『情報は渡したよ、出久君』
「待っ——」
『君がどうするかは自由だ』
プツッ。
通話が切れた。
「……っ!」
出久はその場で立ち尽くす。
携帯を握る手が汗で濡れていた。
AFOの言葉を信じるのか。
そんなもの、信じられるわけがない。
けれど。
(飯田君……!)
胸騒ぎが、もう警鐘みたいに鳴っていた。
ミルコは帰れと言った。
自分は未熟だ。
大規模案件へ行くべきじゃない。
全部正しい。
全部分かっている。
それでも。
「っ……!」
次の瞬間。
出久の脚が動いていた。
筋骨発条化。
小さく。
連続で。
右脚。
左脚。
壁を蹴る。
看板を踏む。
槍骨を短く展開。
反発。
加速。
──保須へ。
次回更新日7月予定……