間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第38話 怪物、緑谷出久

 粉塵の向こうで、出久は自分の手を見た。

 

 それは、もはや手と呼んでいいものではなかった。

 

 五本の指は残っている。

 

 だが、人間の手ではない。

 

 前腕から伸びた骨が幾重にも重なり、鱗のような装甲となって皮膚を覆っている。その隙間から膨れ上がった筋肉が覗き、指先には短剣めいた鉤爪状の骨が伸びていた。

 

 ゆっくりと握る。

 

 ギチリ、と。

 

 鉄骨でも圧し潰せそうな音が鳴った。

 

「……これが」

 

 掠れた声が漏れる。

 

 出久自身、自分の声だと分からなかった。

 

 低く、重く、喉の奥で獣が唸っているような声だった。

 

 視界の端に映る自分の腕は、以前の二倍近い太さになっている。

 

 個性『剛躯』。

 

 USJ事件の後、AFOから与えられた個性の一つ。

 

 単純極まりない個性だった。

 

 筋肉、骨格、内臓、神経。

 

 人体そのものの出力限界を押し上げる。

 

 それだけ。

 

 だが、それだけだからこそ恐ろしい。

 

 筋骨発条化が瞬間的な爆発力を生み出す個性ならば、剛躯はその爆発に耐える土台を作る個性だった。

 

 そして、個性『スケイルメイル』。

 

 出久は自分の胸へ視線を落とした。

 

 骨の鱗。

 

 いや、骨だけではない。

 

 槍骨が枝分かれし、何層にも重なりながら装甲となっている。胸、腹、肩、首、背中。全身を覆う白い外殻は、まるで生きた鎧だった。

 

 指先で触れる。

 

 硬い。

 

 コンクリートよりも、鋼鉄よりも、異様なほど硬い。

 

 単純な防御個性。

 

 だが、槍骨との相性は最悪なほど良かった。

 

 骨が骨を覆う。

 

 骨が鎧になる。

 

 結果として生まれたのが、この怪物だった。

 

「ぐっ……」

 

 出久は立ち上がる。

 

 床が軋む。

 

 たったそれだけで、コンクリートに蜘蛛の巣状の亀裂が走った。

 

 五感強化。

 

 筋骨発条化。

 

 槍骨。

 

 剛躯。

 

 スケイルメイル。

 

 五つの個性が同時に発動している。

 

 今まで経験したことがない状態だった。

 

 世界の見え方すら違う。

 

 遠くのサイレンが聞こえる。路地で転がるガラス片の音が聞こえる。飯田の荒い呼吸が聞こえる。ステインの心拍まで聞こえる。

 

 視界は鮮明だった。

 

 鮮明すぎた。

 

 粉塵一粒一粒が見えるほどに。

 

 その代わり、痛みも鮮明だった。

 

 裂けた筋肉。軋む骨。暴走した筋骨発条化の反動。ステインの個性による硬直。

 

 全部が同時に襲い掛かっている。

 

 普通なら立っていられない。

 

 それでも立てているのは、剛躯が無理やり身体を繋ぎ止めているからだった。まるで壊れた機械を針金で縛り上げて動かしているような状態。

 

 長く保たない。

 

 出久自身、それは理解していた。

 

 理解していたからこそ、違和感にも気付いた。

 

 立てている。

 

 いや、立てているだけではない。

 

 今、自分は腕を動かした。

 

 呼吸だけではなく、首も僅かに動いている。

 

「……?」

 

 出久の瞳が細くなる。

 

 ステインの個性は消えていない。

 

 それは分かる。

 

 身体の内側は依然として重い。神経は鈍い。筋肉へ命令を送っても、反応は極端に遅れている。まるで身体の中身だけが、まだ見えない鎖で拘束されているようだった。

 

 だが、その一方で。

 

 全身を覆う骨の鱗だけは違った。

 

 ギチ。

 

 肩の装甲が動く。

 

 ギチギチ。

 

 背中の骨槍が、僅かに開閉する。

 

 出久は息を呑んだ。

 

(動いてる……)

 

 筋肉ではない。

 

 神経でもない。

 

 スケイルメイルそのものだ。

 

 身体を覆う外殻。

 

 生体装甲。

 

 それが独立して、まるで別の生物みたいに出久の意思へ反応していた。

 

 脳裏に閃く。

 

 もし筋肉が動かないなら。

 

 筋肉を使わなければいい。

 

 骨の鎧そのものを動かせばいい。

 

 理屈としては滅茶苦茶だった。

 

 だが、今の出久自身が滅茶苦茶だった。

 

 五つの個性が重なり合い、身体の境界そのものが曖昧になっている。

 

 ならば、やるしかない。

 

「っ……!」

 

 出久は全身へ命令を送った。

 

 腕を動かせ、ではない。

 

 脚を前へ出せ、でもない。

 

 鱗を動かせ。

 

 それだけを念じる。

 

 ギギギギギ。

 

 全身から嫌な音が響いた。

 

 肩の装甲がずれる。腰の外殻が回転する。太腿を覆う骨鱗が、重なり合いながら押し出される。

 

 まるで無数の歯車だ。

 

 生きた装甲が、自らを駆動機関へ変えていく。

 

「ぐ……あ……!」

 

 激痛が走る。

 

 当然だった。

 

 硬直している身体の上から、無理やり外骨格だけを動かしている。中身と外側が噛み合っていない。

 

 皮膚が裂ける。

 

 筋肉が悲鳴を上げる。

 

 それでも、前へ。

 

 前へ。

 

 そして。

 

 出久の右足が、一歩踏み出した。

 

 コンクリートが砕ける。

 

 その一歩は不格好だった。

 

 歩行というより、外骨格が中身を引きずっただけだ。

 

「……うご、ける」

 

 掠れた声が漏れる。

 

 次の瞬間、ステインの目が細くなった。

 

「ハア……」

 

 その笑みが深くなる。

 

「面妖な姿になったな。さて……そこから何が出来る」

 

 出久は答えない。

 

 答える余裕などない。

 

 全神経を鱗の制御へ注ぎ込んでいた。

 

 ギチ。

 

 ギチギチ。

 

 肩、背中、胸部、腰、脚部。

 

 全身の骨鱗が連動する。

 

 生き物の筋肉ではない。

 

 甲虫の外骨格にも近い。

 

 巨大な生体機械。

 

 そんなものが、出久の身体を無理やり前へ押していた。

 

 そして、出久は一度だけ視線を動かした。

 

 飯田。

 

 見えない。

 

 崩落した壁。折れた柱。積み上がった瓦礫。舞い続ける粉塵。路地側との視界は完全に遮断されていた。

 

 五感強化で呼吸音は聞こえる。

 

 生きている。

 

 だが、姿は見えない。

 

 少なくとも、今のこの姿は見られていない。

 

 出久はゆっくりと悍ましい顔を上げた。

 

 視線の先にはステイン。

 

 獣のように笑う男。

 

 出久の背中の骨槍が一斉に展開した。

 

 無数の骨鱗が開閉する。肩部装甲が持ち上がる。脚部装甲が圧縮される。

 

 筋骨発条化。

 

 剛躯。

 

 スケイルメイル。

 

 三つの個性が無理やり噛み合う。

 

 まるで暴走する攻城兵器だった。

 

 出久は低く身体を沈める。

 

 次の瞬間、全身の鱗が一斉に弾けた。

 

 轟音。

 

 床が砕ける。

 

 粉塵が吹き飛ぶ。

 

 怪物と化した出久の巨体が、砲弾のような勢いでステインへ向かって突進した。

 

 轟音と共に怪物が迫る。

 

 床を砕き、瓦礫を跳ね飛ばし、粉塵の津波を引き連れながら。

 

 その速度は異常だった。

 

 技術ではない。

 

 体術でもない。

 

 ただ圧倒的な質量と出力だけで成立した暴走。

 

 避け損なえば終わる。

 

 そう判断したのは一瞬だった。

 

 ステインの身体が沈む。

 

 獣よりも洗練された動きで、迫る巨体の軌道から半身を外す。

 

 その回避と同時に、刀が閃いた。

 

 狙いは首。

 

「ッ!」

 

 金属音にも似た衝撃が響く。

 

 だが、斬れない。

 

 刀身は首筋へ届く直前で、せり上がった骨鱗へ叩き付けられていた。

 

 火花が散る。

 

 ステインの目が細くなる。

 

 ただの骨ではない。

 

 何層にも重なった槍骨とスケイルメイルが、まるで鋼板のように刀を受け止めていた。

 

 刀身に亀裂が走る。

 

 ステインは即座に飛び退いた。

 

 ほぼ同時に、刀が中程から砕け散る。

 

「……個性のブースト剤でも使用しているのか?」

 

 驚いてはいる。

 

 だが狼狽はない。

 

 むしろ興味が増しているようだった。

 

 一方、出久は止まれなかった。

 

 そもそも止まるという概念が存在しない。

 

 全身の骨鱗が暴走し、筋骨発条化が暴発し、剛躯が無理やり耐えている。

 

 制御など、最初から破綻していた。

 

「ぐあぁぁぁぁッ!!」

 

 怪物じみた咆哮。

 

 巨体がステインの横を通り抜け、そのまま一枚目の壁へ激突した。

 

 コンクリートが爆発する。

 

 だが止まらない。

 

 骨鱗がさらに圧縮される。

 

 発条化した筋肉が暴走する。

 

 そして、次の壁。

 

 さらにその先の壁。

 

 テナントの仕切り壁を次々と突き破る。

 

 机が吹き飛ぶ。棚が砕ける。蛍光灯が破裂する。

 

 まるで大型トラックが屋内を突っ走っているようだった。

 

 そしてようやく、最後の壁へ激突した反動で巨体が傾く。

 

 バランスを失い、転倒。

 

 コンクリート床へ叩き付けられた。

 

 巨体が瓦礫を巻き込みながら転がり、柱をへし折る。ようやく停止した時には、十数メートル以上先まで破壊の痕跡が続いていた。

 

「ぐ……っ……!」

 

 出久は起き上がれない。

 

 骨鱗は動いている。

 

 だが中身が追い付いていない。

 

 全身の筋肉が悲鳴を上げている。

 

 硬直もまだ残っている。

 

 視界が揺れる。

 

 呼吸が乱れる。

 

 ステインは刃こぼれした刀身を一瞥すると、何の未練もなくそれを捨てた。

 

「硬いな」

 

 呟き、腰へ手を伸ばす。

 

 新たな刀。

 

 まだ無傷の刃が抜き放たれる。

 

 鈍く光る鋼。

 

 ステインはその刀を肩へ担ぎながら、転倒した怪物を観察した。

 

 頭、胸、肩、背中。

 

 どこも骨鱗で覆われている。

 

 正面から斬るのは非効率。

 

 だが完全ではない。

 

 獣の目が細くなる。

 

 肘、膝、肩関節、股関節。

 

 装甲が動くために必要な可動部。

 

 そこだけは骨鱗が薄い。

 

 薄くせざるを得ない。

 

「なるほど」

 

 ステインの笑みが深くなる。

 

 獲物を解体する職人のように、冷静に、正確に。

 

 刀の切っ先が出久へ向く。

 

「どれほど異形になろうと、生き物である以上は関節が要るか」

 

 そして、ステインは音もなく重心を落とした。

 

 狙うのは装甲ではない。

 

 その内側。

 

 怪物を動かしている要の部分だった。

 

 ステインが近付いてくる。

 

 足音は小さい。

 

 だが、五感強化された出久の耳には、床に落ちた砂粒が靴裏で擦れる音まで届いていた。

 

(まずい……)

 

 出久は骨鱗を動かそうとする。

 

 だが、さっきの突進で制御が乱れている。

 

 肩の外殻は軋むばかりで、脚部の鱗は噛み合った歯車のように引っかかっていた。筋肉の硬直も残っているせいで、内側から動かそうとしても、外側から引きずろうとしても、身体全体が鉛の塊みたいに重い。

 

 ステインは急がない。

 

 出久が満足に動けないと見抜いている。

 

 刀を構えたまま、ゆっくりと距離を詰めてくる。

 

「その力」

 

 ステインが低く言った。

 

「お前自身のものか」

 

「……っ」

 

「複数の個性に見える。骨。膂力。硬化。感覚強化。さらに外殻の駆動」

 

 出久の心臓が跳ねた。

 

 見抜かれている。

 

 完全ではないにしても、異常性を見られている。

 

 ステインは薄く笑う。

 

「異形だな」

 

 刀の切っ先が、出久の膝へ向いた。

 

「だが、異形であろうと信念があるならば本物たり得る」

 

 出久は歯を食いしばる。

 

 会話。

 

 そうだ。

 

 会話ならできる。

 

 時間を稼げる。

 

 飯田の硬直が解けるかもしれない。ミルコが戻ってくるかもしれない。あるいは、身体の制御が少しでも戻るかもしれない。

 

 だから、喉を絞る。

 

「……なんで」

 

 声が低く、掠れていた。

 

 怪物の喉から出たせいで、自分でも聞き慣れない音だった。

 

 ステインの足が止まる。

 

「なんで、こんなことをするんだ……!」

 

 出久は瓦礫に爪を立てながら、必死に言葉を続けた。

 

「ヒーローを襲って、人を傷付けて、殺して……そんな犯罪を繰り返して、何が変わるっていうんだ!」

 

 ステインの目が細くなる。

 

「犯罪」

 

 短く繰り返した。

 

「そうだ! どんな思想があっても、人を殺していい理由になんかならない!」

 

 出久は叫ぶ。

 

 その間にも、背中の骨鱗を少しずつ動かす。噛み合った外殻を外し、脚部の装甲を組み替える。

 

 ほんの少しでもいい。

 

 次に動くための余地を作る。

 

「あなたの言ってることが全部間違ってるとは言わない! ヒーロー社会に問題がないなんて、僕だって言えない! でも、それを理由にして誰かを殺したら、その瞬間、あなたはただのヴィランだ!」

 

「浅いな」

 

 ステインが言った。

 

 怒りはない。

 

 失望もない。

 

 ただ、断定だった。

 

「社会は言葉では変わらん。正論でも変わらん。腐敗したものは、血を流さねば目を覚まさない」

 

「そんなの……!」

 

「偽物が蔓延った」

 

 ステインの声が重くなる。

 

「名声を求め、金を求め、救済の名を商売に変えた者どもが、ヒーローを名乗っている。だから俺が裁く」

 

 ステインが一歩踏み出す。

 

 出久の骨鱗が、ぎちりと鳴る。

 

「本物だけを残す」

 

「その本物を、勝手に決めるのか!」

 

 出久は睨み返した。

 

「あなたが認めた人だけがヒーローで、認めなかった人は死んでもいいっていうのか!?」

 

 ステインの口元が、僅かに吊り上がる。

 

「ならば問う。私怨で刃を向けたあの少年を、ヒーローと呼ぶか」

 

「……っ」

 

「救うべき市民も、混乱する街も見ず、ただ己の復讐だけを追った。殺すと叫んだ。あれを本物と呼ぶか」

 

 出久は一瞬、言葉に詰まった。

 

 だが、すぐに奥歯を噛む。

 

「間違えたなら、止めればいい」

 

 声が震える。

 

「間違えたなら、叱ればいい。もう一回立ち上がれるように、誰かが手を伸ばせばいい。殺す必要なんてないじゃないか!」

 

 ステインは黙って出久を見た。

 

 その沈黙が、刃より怖かった。

 

 次の瞬間、ステインの身体が沈む。

 

「ならば」

 

 刀が低く構えられる。

 

「貴様が証明しろ。どのみち、力無き正義も偽物だ」

 

 刃が来る。

 

 膝。

 

 薄い関節部。

 

 そこを刻まれれば、この怪物じみた身体はもう動かせない。

 

「お前を無効化した後に、あの子供を殺す」

 

 ステインは静かに告げた。

 

 その言葉が、出久の中で弾けた。

 

「そんなの……ふざけるなっ!」

 

 反射だった。

 

 考えるより先に、巨体が起き上がっていた。骨鱗が噛み合い、脚部が床を踏み砕き、出久は膝立ちから一気に立ち上がる。

 

 ステインの刃が空を切った。

 

「……!」

 

 立った。

 

 自分で。

 

 外骨格に引きずられたのではない。

 

 腕が動く。

 

 脚が動く。

 

 首も、指も、肩も。

 

「動く……?」

 

 出久自身が驚いた。

 

 さっきまで身体の奥に残っていた重い鎖の感覚が、薄れている。痛みは消えない。むしろ全身は焼けるように痛い。

 

 だが、ステインの個性による硬直だけが、明らかに弱まっている。

 

 ステインが舌打ちした。

 

「ハア……O型か」

 

 低く呟く。

 

 その声には、初めて明確な苛立ちが混じっていた。

 

 ステインは即座に距離を取る。

 

 床を蹴り、折れた柱を足場にし、刃を構えたまま粉塵の向こうへ下がった。

 

 出久は荒い呼吸を繰り返す。

 

 血液型。

 

 そこまでが条件。

 

 理解するより早く、怒りが身体を前へ押した。

 

 出久は、全てを使った。

 

 五感強化。

 

 槍骨。

 

 筋骨発条化。

 

 剛躯。

 

 スケイルメイル。

 

 自由になった身体が、今度は外骨格に引きずられるのではなく、自分の意思で動く。

 

 床を蹴った。

 

 轟音。

 

 巨体が消える。

 

「ッ!」

 

 ステインが反応するより早く、出久の鉤爪じみた手が伸びた。

 

 胸元。

 

 その襟首を、骨鱗に覆われた巨大な手が掴み上げる。

 

「捕まえた……!」

 

 ステインの目が細くなる。

 

 出久は止まらなかった。

 

 掴んだまま、さらに踏み込む。

 

 筋骨発条化が脚部で爆ぜる。

 

 剛躯がその出力を受け止める。

 

 骨鱗が足場を噛み砕き、床のコンクリートが波打つように割れた。

 

「ぐっ——」

 

 ステインの身体が宙に浮く。

 

 次の瞬間、出久はそのままステインを壁へ叩き付けた。

 

 コンクリート壁が砕ける。

 

 衝撃で鉄筋が歪み、粉塵が爆発したように広がった。ステインの背中が壁へめり込み、蜘蛛の巣状の亀裂が周囲へ走る。

 

「が、は……ッ!」

 

 血が飛ぶ。

 

 だが、出久は手を緩めない。

 

 緩めたら終わる。

 

 この男は、少しの隙でも飯田へ向かう。

 

 出久はそれを知っていた。

 

 知ってしまった。

 

「まだ……!」

 

 壁の中で、ステインの指が動く。

 

 刀を探している。抜け出そうとしている。肩をずらし、背中を押し出し、瓦礫の中から身体を引き剥がそうとしていた。

 

 ボロボロだ。

 

 血も流れている。

 

 それでも目が死んでいない。

 

 獣の目のままだった。

 

「ハア……いい……」

 

 ステインが笑う。

 

「黙れ!!」

 

 出久の拳が振り抜かれた。

 

 拳というより、白い骨鎧に覆われた鉄塊だった。

 

 ステインの身体が壁から引き剥がされ、殴られた衝撃で横へ吹き飛ぶ。砕けた壁の破片を巻き込み、折れた棚を突き破り、さらに割れた窓枠の向こうへ。

 

 出久は追う。

 

 一切、止まらない。

 

 ミルコの声が頭の奥で響いていた。

 

 考えるな。

 

 動きながら考えろ。

 

 止まるな。

 

 出久の巨体が床を砕きながら加速する。

 

 ステインは空中で身を捻ろうとした。

 

 だが、間に合わない。

 

 出久の二撃目が入った。

 

 今度は腕ではない。

 

 肩。

 

 体当たりに近い一撃。

 

 ステインの身体が外壁を突き破る。

 

 暗い路地へ投げ出される。

 

 別の路地裏。

 

 狭く、湿っていて、街灯の光も届かない場所。

 

 そこへステインは背中から叩き込まれた。

 

 アスファルトが陥没する。ゴミ箱が吹き飛ぶ。壁に貼られていたポスターが衝撃で剥がれ落ちた。

 

 出久は砕けた壁の穴から、ゆっくりと外へ出る。

 

 白い骨鱗に覆われた巨体。

 

 裂けたヒーロースーツ。

 

 荒い呼吸。

 

 その姿は、もう人助けに駆けつけた少年には見えなかった。

 

 ステインは、瓦礫の中でゆっくりと身を起こした。

 

 肩が落ちている。

 

 額から血が流れている。

 

 片目の周囲は腫れ、目元の布も裂けていた。

 

 普通なら、もう立てない。

 

 立てるはずがない。

 

 だが、ステインは立った。

 

「ハア……」

 

 呼吸は荒い。

 

 それでも、その目だけは変わらなかった。

 

 静かで、濁っていて、折れていない。

 

 出久は、思わず一歩踏み出しかけて止まる。

 

 ステインの手が、ゆっくりと腰へ伸びたからだ。

 

 刀ではない。

 

 そこに残っていたのは、短いナイフだった。

 

 刃渡りは小さい。

 

 今の出久の骨鱗を貫けるような代物ではない。

 

 こんな巨体に対して、あまりにも頼りない。

 

 それでも、ステインはそのナイフを出久へ突きつけた。

 

「……どうした。俺は、ヴィランはまだ立っているぞ」

 

 低い声。

 

 刃先は震えていない。

 

 腕はボロボロなのに。

 

 身体は限界のはずなのに。

 

 その目に宿る狂気だけは、少しも衰えていなかった。

 

 出久の喉が鳴る。

 

(もう、勝負にならないはずだ)

 

 分かっている。

 

 今のステインに、出久を正面から止める手段はない。ナイフ一本で、この骨鱗を突破できるはずがない。

 

 膂力も、質量も、防御力も、こちらが上だ。

 

 なのに。

 

 足が、勝手に下がった。

 

 ず、と。

 

 骨鱗に覆われた足が、アスファルトを削りながら一歩退く。

 

「……っ」

 

 出久は自分の反応に驚いた。

 

 怖い。

 

 こんな姿になっても。

 

 こんな力を使っても。

 

 目の前の男が、まだ怖い。

 

 ステインの視線が、出久を縫い止めていた。

 

 ナイフではない。

 

 傷でもない。

 

 その目が怖かった。

 

 どれだけ殴っても、砕いても、吹き飛ばしても、この男は折れない。身体は限界のはずなのに、まだ自分の正しさだけで立っている。

 

(なんで……)

 

 出久の呼吸が震える。

 

(なんで、まだそんな目ができるんだ……!)

 

 その時だった。

 

『彼は危険だ』

 

 耳元で声がした。

 

 穏やかで、優しくて、嫌になるほど聞き覚えのある声。

 

『彼は君のクラスメイトを殺そうとしている』

 

「……っ」

 

 出久の目が見開かれる。

 

 AFO。

 

 いないはずの声。

 

 この場にいるはずがない。

 

 なのに、囁きはすぐ隣から聞こえた気がした。

 

『君が飯田天哉君を助けてあげないといけない』

 

 出久の視界の端に、飯田の姿が浮かぶ。

 

 動けない身体。

 

 涙。

 

「逃げろ」と叫んだ声。

 

 ステインが振り上げた刀。

 

『攻撃の手を緩めれば、君の友達が死んでしまうよ』

 

「やめろ……」

 

 出久は掠れた声で呟いた。

 

 誰に向けた言葉なのか、自分でも分からない。

 

 AFOか。

 

 ステインか。

 

 それとも、自分自身か。

 

 ステインはナイフを構えたまま、一歩踏み出した。

 

 その瞬間、出久の中の恐怖が限界を越えた。

 

「う、ああああああああああッ!!」

 

 巨体が動く。

 

 拳が振り下ろされる。

 

 ステインは避けようとした。

 

 だが、遅い。

 

 骨鱗に覆われた拳が、ステインの身体を地面へ叩き付けた。

 

 鈍い音がした。

 

 人体が出していい音ではなかった。

 

 それでも出久は止まらない。

 

「飯田君を……!」

 

 もう一撃。

 

 アスファルトが砕ける。

 

「殺させない……!」

 

 さらに一撃。

 

 ステインの身体が跳ねる。

 

「殺させない!!」

 

 恐怖だった。

 

 怒りではない。

 

 正義でもない。

 

 ただ、止めなければならないという焦燥だけが、出久の腕を動かしていた。

 

 AFOの声が、まだ耳元で笑っている気がした。

 

『そうだ。それでいい』

 

「違う……!」

 

 出久は叫びながら拳を振るう。

 

『君は友達を救っている』

 

「違う!!」

 

 骨鱗の拳が、ステインを壁へ叩き込む。

 

 嫌な音。

 

 湿った音。

 

 何かが折れる音。

 

 何かが潰れる音。

 

 ステインのナイフが手から落ち、路地の床を滑った。

 

 それでも出久は、すぐには止まれなかった。

 

 最後の一撃が、ステインの身体を横へ弾き飛ばす。

 

 壁にぶつかり、ずるりと崩れ落ちる。

 

 ステインは動かなかった。

 

 静寂。

 

 荒い呼吸だけが残る。

 

 出久は拳を振り上げた姿勢のまま固まった。

 

「……え」

 

 白い骨鱗の拳。

 

 その先に倒れている、ボロボロの人間。

 

 自分がやった。

 

 自分の手で。

 

「……ぁ」

 

 喉が震えた。

 

 ステインの目は、もう何も見ていなかった。

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善意の剥製(作者:タロットゼロ)(原作:僕のヒーローアカデミア)

「あの子が持ち上げたのは法律じゃない。鉄の塊だ」▼九歳で奇跡を起こし。▼数カ月後に社会に疑われ。▼十四歳で、彼女は「完璧な淑女」として、かつて自分を捨てた世界を否定し始める。▼【警告】この物語に、救世主(ヒーロー)は現れません


総合評価:1318/評価:7.53/連載:24話/更新日時:2026年06月24日(水) 22:27 小説情報

バグのヒーローアルカディア(作者:胡麻蝉あぶら)(原作:僕のヒーローアカデミア)

特撮ヒーローに憧れた男は超常黎明期を乗り越えた。▼超人社会を救うために組織を作った。▼己の身体を改造した。▼そして仮面ライダーを演じる者、仮面アクターとなった。▼これはヒーローになりきれない男の戦いの記録である。▼ヒロアカ世界で完結していますので仮面ライダー、特撮を知らなくても問題ありません。▼原作を省略する部分もありますので原作を読むことをお勧めします。▼


総合評価:2332/評価:8.43/連載:145話/更新日時:2026年06月29日(月) 18:32 小説情報


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