間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第47話 危うい関係

 市街地エリアを見渡せるビルの屋上で、根津校長は双眼鏡を覗き込んでいた。

 

 眼下に広がるのは、幾つもの道路と建物が複雑に入り組んだ模擬市街地である。試験開始からまださほど時間は経っていないにもかかわらず、中央区画では既に複数のビルが倒壊し、道路の大半が瓦礫によって塞がれていた。

 

 その一角を、緑谷出久と爆豪勝己が進んでいる。

 

 根津は双眼鏡の倍率を調整し、折れた左腕を庇いながら先行する爆豪と、数歩の距離を空けて後方を歩く出久を視界の中央へ収めた。

 

「なるほど」

 

 小さく呟き、口元に興味深そうな笑みを浮かべる。

 

「協力ではなく、役割分担へ切り替えたようだね」

 

 二人は隣り合って歩いてはいない。言葉を交わす様子もなく、互いの顔すら見ようとしていなかった。

 

 それでも、完全に別行動を取っているわけではない。

 

 爆豪は前方の突破へ意識を集中し、その背後では出久が周囲の建物や路面へ視線を走らせている。信頼によって成立した連携ではないが、少なくとも試験開始直後のように、互いの存在を無視して勝手に動く状態からは変化していた。

 

「衝突の代償は片腕。その結果、ようやく役割分担へ移ったわけか。爆豪君の機動力は、半減といったところだね」

 

 根津は双眼鏡を僅かに下げ、隣に設置された操作盤へ目を向けた。

 

 小柄な身体に合わせて作られた台の上には、市街地全域を示す立体地図が表示されている。道路や建物には無数の光点が浮かび、監視カメラ、振動センサー、起爆装置、可動式障害物の位置が、それぞれ異なる色で示されていた。

 

 二人の現在地を示す光点は、中央区画から南東へ向かって移動している。

 

「予想通りさ」

 

 根津は驚かなかった。

 

 爆豪の性格、戦闘傾向、これまでの実技成績、体育祭で見せた判断、追い込まれた際に選びやすい行動。そのすべてを組み合わせれば、最初に直進を選ぶことは容易に予測できた。

 

 最短経路を塞がれた後、狭い路地へ逃げ込む可能性も高い。だからこそ、あらかじめ路地を挟む二棟の基礎部分へ爆薬を配置し、二人が十分に奥まで進んだ時点で起爆した。

 

 次に選ぶ道も、おおよそ見当がついている。

 

 爆豪は同じ失敗を繰り返すほど愚かではない。今度は見通しのよい大通りを避け、複数の退路を確保できる区画を選ぶだろう。ただし、遠回りしすぎることを彼の性格は許さない。脱出ゲートへ近付きながら、建物の倒壊に巻き込まれにくい経路を選ぼうとするはずだ。

 

 その条件を満たす道は三本。

 

 さらに爆豪の左腕が使えず、爆破による急旋回が難しくなっていることまで考慮すれば、実質的な候補は二本に絞られる。

 

 根津の個性──『ハイスペック』。

 

 その能力は、人間を遥かに上回る知能を彼へ与えている。

 

 単に頭の回転が速いというだけではない。膨大な情報を同時に処理し、そこから生じる無数の可能性を選別し、相手の感情や行動の癖までも計算へ組み込む。

 

 根津にとって戦場とは、衝動と偶然が入り乱れるだけの混沌ではなかった。爆豪が単独で突破を試みる可能性も、出久が追従する可能性も、二人が衝突して完全な別行動へ移る可能性も、あるいは危機を前に一時的な協力関係を築く可能性も、すべて計算の範囲内にある。

 

 もちろん、あらゆる行動を正確に予測できるわけではない。人間は時として合理性から大きく外れた選択をする。

 

 だからこそ根津は一つの未来へ賭けるのではなく、起こり得る複数の展開へ対応できるよう、市街地全体へ幾重もの仕掛けを施していた。

 

 どの道を選んでも、次の選択を迫られる。

 

 どちらが先に動いても、もう一方の対応が試される。

 

 力だけで突破しようとすれば道が潰れ、慎重になりすぎれば時間を失う。そして互いを無視し続ける限り、二人が揃って脱出できる経路は開かれない。

 

「しかし……」

 

 根津は再び双眼鏡を覗き、爆豪の左腕へ焦点を合わせた。

 

 折れた箇所を庇ってはいるものの、爆豪は試験を放棄していない。痛みに顔を歪めながらも前へ進み、使える右手を何度も開閉している。

 

 その後方を歩く出久の表情は、試験開始直後とは明らかに異なっていた。

 

 感情が見えない。

 

 爆豪への憧れも、拒絶されることへの怯えも、関係を修復しようとする焦りも消え、ただ周囲の状況だけを静かに観察している。

 

「これは、少し予想外かな」

 

 爆豪が協力を拒み、出久が感情的になる可能性は想定していた。二人が掴み合いになることも、爆発や個性を用いた小規模な衝突が起こることも計算に入れていた。

 

 しかし、出久が明確な意思をもって爆豪の骨を折るところまで踏み込む可能性は、決して高く見積もってはいなかった。

 

 それは、出久のこれまでの行動原理から僅かに外れている。

 

 彼は自己犠牲的であり、他者の危機へ過敏に反応し、たとえ敵であっても救おうとする傾向が強い。怒りから攻撃へ転じることはあっても、相手が戦闘不能になり得る損傷を冷静に与え、その後も目立った後悔を見せないという反応は異質だった。

 

「職場体験の影響かな」

 

 根津は独り言のように呟き、操作盤の横に置かれた資料へ目を落とした。

 

 それは、職場体験を終えた各事務所から雄英へ提出された報告書の一つだった。表紙には、担当生徒の名前と受け入れ先が記されている。

 

 緑谷出久。

 

 兎山ルミ──プロヒーロー、ミルコ。

 

 根津は資料を引き寄せ、前足で器用にページをめくった。

 

 報告書の大半は、雄英が指定した書式に沿って整然とまとめられている。職場体験中に行った活動、担当した業務、生徒の長所と改善点、個性運用に関する所見。

 

 ミルコ自身が細かな書類仕事を好む性格とは思えないため、雄英の職員が清書したのだろう。文章そのものは簡潔で、必要な情報だけが過不足なく並んでいた。

 

 活動内容は、市街地の巡回と軽微なヴィラン事件への対応が中心だった。

 

 違法な個性使用による器物損壊。

 

 店舗から逃走した窃盗犯の追跡。

 

 酔客同士による、個性を用いた喧嘩。

 

 いずれも大規模な事件ではなく、職場体験中の生徒を実際の現場へ同行させる案件としては妥当なものだった。

 

 緑谷はミルコの指示に従いながら、追跡、制圧、周囲の安全確認を担当している。特に高く評価されていたのは、個性を移動へ応用する能力だった。

 

 当初は動作ごとに一度考え込み、着地と加速が分断されていたものの、職場体験の後半には、身体の反射に近い水準で個性を組み合わせるようになったと記されている。

 

『実戦環境への適応能力が高く、指示への理解も速い。単純な出力の向上ではなく、個性を身体操作の補助として扱う技術が成長している。今後は周囲への被害と自身の負荷を考慮し、安定性を高めることが望ましい』

 

 公式の記録だけを読めば、特に問題はない。

 

 むしろ、優秀な職場体験だったと言っていい。

 

 危険な独断行動もなく、一般人への被害も出していない。同行したミルコの命令へ反発した記録もなければ、逮捕したヴィランへ過剰な攻撃を加えたという記述もなかった。

 

 根津は一枚めくり、報告書の最後へ目を移す。

 

 そこには正式な書式から外れた、手書きのメモが付け加えられていた。

 

『動きは良くなった。根性もある。追いかけてくるだけなら上出来』

 

 ミルコ本人の字だろう。

 

 その下には、さらに小さな文字で続きがあった。

 

『ただし、保須の連続ヴィラン騒ぎの後から妙に顔が暗い。考え込むっつーより、腹ん中で何か腐らせてる顔。要注意』

 

 根津のつぶらな瞳が、僅かに細められた。

 

 公式欄では「精神面に問題なし」と処理されている。職場体験中の任務遂行にも支障はなく、体調不良を訴えた記録もない。

 

 だが、ミルコは生徒の細かな感情を丁寧に言語化するようなヒーローではない。その代わり、直感的な異変には敏感だった。獣のように相手の呼吸や動きを捉える彼女が、わざわざ正式な報告の外へ一文を書き足している。

 

 根津はメモの端を前足で軽く叩いた。

 

「腹の中で、何かを腐らせている顔……か」

 

 独特な表現だが、言わんとすることは分かる。

 

 感情を外へ出すことも、自分の中で処理することもできず、内側へ溜め込んでいる。そして、その状態は今の出久の様子とも一致していた。

 

 根津は別の資料を引き寄せる。

 

 こちらは職場体験先からの報告ではなく、保須市で発生した一連の事件について、雄英側が生徒から聞き取った記録だった。

 

 提出者は飯田天哉。

 

 飯田は、自身の兄を襲ったヒーロー殺しを追って独断で行動し、最終的には本人と接触した事実を認めている。その証言の中に、緑谷出久の名前があった。

 

『緑谷君は、僕を助けるために現場へ来ました』

 

『ヒーロー殺しと直接交戦しています』

 

『戦闘の途中で二人を見失ったため、その後の詳細は分かりません』

 

 根津は文章を追いながら、静かに顎へ前足を添えた。

 

 飯田の証言では、その後の経緯は判然としない。最後にはヒーロー殺し自身も姿を消し、以降の足取りも掴めず、現在に至るまで所在不明のままだ。

 

 だからこそ、あの男は今なお社会へ影を落としている。

 

「……もし、そうだとしたら」

 

 根津の独り言は、風に溶けるように小さかった。

 

 ヒーロー殺し。

 

 その思想は、決して複雑な理論ではない。

 

 私欲や名声に溺れた偽りのヒーローを否定し、命を懸けて他者を救う覚悟を持つ者だけが真のヒーローであると断じる。それは極端でありながら、理想を求める一部の人間には強く響いてしまう思想だった。

 

 雄英高校でも、教員会議や職員室で幾度となく話題に上がっている。

 

 問題視されているのは、ヒーロー殺し本人の行方だけではない。

 

 映像や噂話によって拡散した彼の思想が、若者を中心に少しずつ浸透し始めていることだった。

 

 理想を語る部分だけを切り取れば、一見すると正論にも聞こえる。現実に失望した者や、純粋に理想を追い求める者ほど、その過激な主張に惹かれる危険性がある。

 

 実際、警察庁から共有された資料にも、事件以降、ヒーロー殺しを英雄視する匿名投稿や、模倣犯を示唆する書き込みが増加しているとの報告が添えられていた。

 

 大半は一過性の熱狂や軽率な発言に過ぎないのだろう。それでも教育機関として無視できる問題ではなく、教師たちの間では、彼の思想そのものが一種の感染力を持っていると表現されることさえあった。

 

 根津はもう一度双眼鏡を持ち上げた。

 

 視界の先では、出久が足を止め、崩れた建物の陰を確認している。

 

 以前の彼なら、まず爆豪へ声を掛けていただろう。危険を知らせ、聞き入れられなくてもなお食い下がり、必要なら自分が盾になることすら選んだはずだ。

 

 それが今では、衝突の果てに幼馴染を負傷させ、その能力を突破のために利用している。

 

 出久は以前から分析力に優れ、状況判断も速かった。しかし、その分析を最後に覆してきたのは、いつも誰かを救いたいという感情だった。

 

 合理性よりも理想を優先する少年。

 

 それが、根津の知る緑谷出久だった。

 

「もし、保須でヒーロー殺しと言葉を交わしていたとしたら……」

 

 飯田は、戦闘の途中で二人を見失っている。

 

 つまり、誰も知らない空白の時間が存在する。

 

 その間に行われていたのが戦闘だけとは限らない。言葉を交わし、思想を突き付けられた可能性もある。

 

 まして相手は、自らの信念を命懸けで貫く男だ。刃だけでなく、言葉を武器として用いることも十分考えられる。

 

「影響を受けた……というより」

 

 根津は静かに首を傾げた。

 

「もともと持っていた理想を、極端な形で補強されてしまったのかもしれないね」

 

 出久がヒーロー殺しの行為を肯定するとは考えにくい。他者を傷付け、殺すことで理想を証明する方法を、彼の倫理観がそのまま受け入れるはずはなかった。

 

 だが、本物のヒーローとは何かという問いだけは、以前から出久自身が抱き続けていた。

 

 もし、その問いへヒーロー殺しなりの答えを突き付けられたのだとすれば、行為を否定しながらも、判断基準の一部だけが心に残ってしまうことはあり得る。

 

 根津は資料に記された証言と、眼下を進む出久の姿を重ね合わせた。

 

 保須で何を見たのか。

 

 ヒーロー殺しと、どのような言葉を交わしたのか。

 

 そして、その場で何を考えたのか。

 

 飯田の証言だけでは、肝心な部分があまりにも欠けている。出久本人への詳細な聞き取りも、試験日程との兼ね合いから、いまだ実施できていなかった。

 

「試験が終わり次第、緑谷君とも保須の件について面談をしなければならないね」

 

 根津はそう結論付けると、飯田の証言書を閉じ、ミルコの報告書と重ねて操作盤の脇へ置いた。

 

 面談は一対一の方がいいだろう。

 

 担任である相澤を同席させるか、あるいは最初は自分だけで話すか。出久が警戒している可能性を考えれば、質問を並べて追い詰めるような形は避けるべきだった。

 

 真相を吐かせることが目的ではない。

 

 彼の中で何が起こり、どのような理屈が組み上がりつつあるのか。それを見極める必要がある。

 

 根津は小さく息を吐き、意識を再び眼下の試験場へ戻した。

 

 面談の内容を組み立てるのは後でいい。

 

 今はまだ、試験中だ。

 

 立体地図の上では、出久と爆豪を示す二つの光点が南東区画へ入りつつあった。二人が選んだのは、根津が予測した候補のうち、より脱出ゲートへ近い道である。

 

 道幅は狭すぎず、左右には低層の商業施設が並び、進路上に大きな瓦礫もない。一見すれば、これまでより遥かに進みやすい区画だった。

 

 爆豪もそれを理解しているらしく、歩調を少し速めている。

 

 片腕を折られてなお、前進する意思は衰えていない。残った右手をいつでも使える位置に保ちながら、頭上と正面を交互に確認している。単純な爆発力だけで押し切ろうとせず、根津の次の一手を警戒しているのだろう。

 

 その後ろを歩く出久は、さらに広い範囲へ視線を巡らせていた。建物の窓、路面の亀裂、崩れかけた看板、路地の奥。何かが動けば即座に対応できるよう重心を低く保ち、爆豪とは一定の距離を崩していない。

 

 形だけなら連携に見える。

 

 しかし根津には、それが信頼によるものではなく、互いの能力と行動傾向を利用した役割分担にすぎないと分かっていた。

 

「形にはなってきたけれど、協力と呼ぶにはまだ遠いね」

 

 根津は操作盤へ前足を伸ばし、地図上の南東区画を拡大した。

 

 道路の地下には複数の油圧式障害物が収納され、左右の建物には倒壊角度を制御する支柱が設置されている。さらに屋上には、ワイヤーで固定された大型看板や資材が配置されていた。

 

 すべてを同時に起動させれば、簡単に道を塞ぐことができる。

 

 しかし、それでは試験にならない。

 

 重要なのは、突破を不可能にすることではなく、二人へ選択を迫ることだった。

 

「ガタガタの連携で突破できるほど、私は甘くないさ」

 

 根津は笑みを深め、起動ボタンを押し込んだ。

 

 

 

 

 ──

 

 足元から、低い破砕音が響いた。

 

 次の瞬間、爆豪の正面に広がっていた路面が、内側へ折れ込むように沈み始める。

 

「チッ!」

 

 爆豪は反射的に右手を地面へ向けた。

 

 轟音とともに爆発が弾け、身体が斜め後方へ跳ね上がる。片腕しか使えない状態でも、その反応は速い。崩落の中心が完全に抜け落ちるより早く、爆豪は陥没範囲の外へ身体を押し出していた。

 

 道路が大きく沈み込み、舗装の下から鉄骨と砕けたコンクリートが剥き出しになる。

 

 爆豪は空中で身体を捻り、右足から着地しようとした。

 

 その一連の動きを、出久は数メートル後方から黙って見ていた。

 

 驚いてはいない。

 

 声も掛けない。

 

 爆豪の初動、爆破の角度、飛距離、着地姿勢。そのすべてを目で追いながら、次に何が起こるかを見極めようとしている。

 

 爆豪なら、あの程度の陥没は避ける。

 

 根津も、それを承知で仕掛けているはずだ。

 

 ならば、陥没そのものが本命ではない。

 

 出久の視線が、爆豪の着地予定地点へ向いた。

 

 路面は周囲と変わらない。目立った亀裂も、瓦礫もない。

 

 だが、爆豪の右足が地面へ触れた瞬間、舗装の隙間から細い金属音が走った。

 

「なっ──」

 

 地面に仕込まれていた蓋が跳ね上がり、その下から黒灰色の帯が一斉に射出される。

 

 細く、長く、異様なほどしなやかな布。

 

 相澤の扱う捕縛布と同じ素材で編まれたネットだった。

 

 展開は一瞬だった。

 

 爆豪が右手を向けるより早く、複数の帯が足首、胴、右腕へ巻き付き、さらに背後から広がった網が身体全体を包み込む。

 

「クソがッ!」

 

 爆豪は掌を開き、至近距離で爆発を起こした。

 

 爆風を受け、ネットが大きく膨らむ。

 

 しかし、捕縛布は裂けない。

 

 熱と衝撃へ耐えるよう編み込まれた繊維が爆発の力を受け流し、伸びた分だけ別の帯が締まり直す。片腕しか自由に使えない爆豪にとって、全方向から絡み付く網はあまりにも相性が悪かった。

 

 身体を捻るたびに布が食い込み、動けば動くほど手足の自由が奪われていく。

 

「舐めんなァ!」

 

 爆豪は膝を引き寄せ、無理やり姿勢を変えようとした。

 

 だが、その動きに合わせて地面の収納口から新たな帯が伸び、折れた左腕を庇うようにしていた肩口まで固定する。

 

 無理に爆破すれば、自分の身体ごと路面へ叩き付けかねない。

 

 しかも、着地点の周囲では複数の固定杭がせり上がっていた。ネットはそれらへ繋がれ、爆豪の動きを封じるだけでなく、その場へ縫い止めるように張力を増していく。

 

 少し離れた場所で、出久は足を止めた。

 

 陥没した道路。

 

 捕縛された爆豪。

 

 その周囲に残された僅かな足場。

 

 罠は明らかに二段構えだった。

 

 最初の陥没で爆豪に回避行動を取らせ、着地点を限定する。避けた先に捕縛装置を仕込み、爆発による離脱まで想定した素材で拘束する。

 

 根津らしい仕掛けだった。

 

 反応の速さを上回ろうとするのではなく、その素早い反応そのものを誘導へ利用している。

 

 出久は助けに入る前の数秒で、陥没の半径、爆豪の飛距離、捕縛布の射出角度、固定杭の数を目に焼き付けた。

 

 爆豪へ直接絡み付いている帯は多い。

 

 だが、全体の張力を支えている主索は四本しかない。

 

 さらに固定杭の配置、陥没部の深さ、周囲の建物に走った不自然な亀裂を見る限り、罠はまだ終わっていない。爆豪を拘束した状態で立ち止まり続ければ、次の仕掛けが発動する。

 

 出久は僅かに腰を落とした。

 

 その判断に迷いはない。

 

 右脚へ力を流し込み、砕けた路面を蹴る。

 

 鈍い破裂音とともに身体が前へ弾き出され、陥没の縁を一息に飛び越えた。爆豪が接近に気付き、苛立ち混じりに顔を上げる。

 

「クソナード、テメ──」

 

 走りながら、出久は右手を開いた。

 

 掌の皮膚が裂け、血とともに白い骨が押し出される。生成されたのは、普段用いる長大な槍ではない。前腕に沿って伸びる、ナイフのように短く鋭い骨刃だった。

 

 爆豪の言葉が終わるより先に、白い刃が閃く。

 

 捕縛布は熱と衝撃に強い。爆発を正面から受けても容易には裂けず、相澤が高速戦闘で用いるほどの耐久性と柔軟性を備えている。

 

 だが、刃物に対して無敵というわけではない。

 

 出久は張力の集中している箇所へ骨刃を差し込み、繊維の流れに沿って滑らせた。

 

 耳障りな摩擦音とともに、一本目の主索が切れる。

 

 続けて二本目。

 

 爆豪を締め付ける網が僅かに緩んだ。

 

 三本目を断ち、反対側へ身体を滑り込ませる。力任せに斬るのではなく、張力そのものを利用して繊維を裂いていく。

 

 四本目が切断された瞬間、ネット全体の均衡が崩れた。

 

 爆豪の身体が前へ傾ぐ。

 

 その直後、陥没した道路の奥から重い駆動音が響いた。

 

 出久は足元へ視線を落とす。

 

 固定杭の根元が地面へ沈み、周囲の路面に円形の亀裂が広がり始めている。

 

 拘束の解除か、あるいは一定時間の経過を条件として、次の機構が動き出したらしい。

 

 やはり、時間を掛ける余裕はない。

 

 骨刃の根元へ細かなひびが走る。

 

 出久は崩れ始めた刃を構わず、爆豪の背中と膝裏へ腕を回した。

 

「おい、待て──」

 

 抗議を無視して持ち上げる。

 

 爆豪の体重が両腕へ掛かるが、出久は体勢を崩さなかった。両脚へ個性を流し込み、陥没部の外へ向けて地面を蹴る。

 

「何してやがる、降ろせ!」

 

 その直後、地中に仕込まれた支柱が連続して外れ、爆豪が拘束されていた一帯がまとめて崩落した。

 

 瓦礫と固定杭、切断された捕縛布が穴の中へ吸い込まれ、左右の建物からは鉄骨製の障害物が振り下ろされる。

 

 出久が数秒でも遅れていれば、二人ともその場へ閉じ込められていただろう。

 

 爆豪を抱えたまま、出久は崩れた道路脇の壁へ足を掛けた。

 

 個性を流した脚で壁面を強く蹴り、降り注ぐ瓦礫の間を抜ける。向かいの建物の庇へ着地すると、間を置かずにもう一度跳躍し、崩落する区画から路地の奥へ離脱した。

 

 背後で鉄骨同士が激突し、腹の底へ響く轟音が上がる。

 

 出久はその音へ振り返ることなく走り続け、罠の作動範囲を十分に離れたところでようやく足を止めた。

 

 膝を曲げて着地の衝撃を受け流し、抱えていた爆豪を路面へ降ろす。

 

 爆豪は足が着くなり出久の腕を振り払い、怒りを剥き出しにして睨み付けた。

 

「デク、てめぇ、後ろで見てるだけかよ」

 

 出久は答えず、掌に残った骨刃を見下ろしていた。

 

 白い刃は役目を終えると、根元からひび割れ、細かな骨片となって崩れていく。裂けた掌から血が滲んでいたが、出久は気にした様子もなく指を開閉した。

 

「テメェこそ口だけか?」

 

 爆豪の声が低くなる。

 

 先ほど拘束されたことへの苛立ちだけではない。

 

 陥没を避け、罠に捕まるまで、出久が後方から見ているだけだったことを責めているのだ。

 

 出久は顔を上げなかった。

 

 周囲の建物と路面、先ほどの崩落地点へ順番に視線を走らせる。

 

 陥没が始まってから爆豪が飛び退くまでの時間。

 

 捕縛布が射出された角度。

 

 固定杭の配置。

 

 拘束が完成してから次の機構が動き始めるまでの遅延。

 

 そして、爆豪が選んだ回避方向と、現在二人が立っている位置。

 

 それらを頭の中の地図へ落とし込み、互いの関係を組み立てていく。

 

 爆豪のこめかみに青筋が浮かんだ。

 

「無視してんじゃねぇ!」

 

「あと何回か、罠を起動させて」

 

 出久が怒声を遮るように言った。

 

 声は驚くほど平坦だった。

 

 爆豪が眉を寄せる。

 

「……あ?」

 

「あと二回か三回突っ込んで欲しい。ちゃんと助けるから安心して」

 

 出久は崩落した道路の向こうへ目を向けたまま、何でもないことのように続ける。

 

「それで、突破口を見つける」

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