間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第54話 林間学校

 夕食を終える頃には、窓の外はすっかり暗くなっていた。

 

 食堂には空になった皿や茶碗が並び、森を抜けてきた時には立っていることさえつらそうだったA組の生徒たちも、温かい食事を腹へ収めたことで幾分か元気を取り戻している。

 

「生き返った……」

 

 上鳴は椅子の背もたれへ身体を預け、満足そうに腹を撫でた。

 

「本気で飯抜きだったら、俺、明日の訓練前に死んでたわ」

 

「ご飯を食べた程度で大袈裟だよ」

 

 耳郎が呆れたように返す。

 

「でも、確かに美味しかったね!」

 

 芦戸が空になった皿を掲げると、隣にいた葉隠も大きく頷いた。

 

「おかわりしておけばよかったかも!」

 

「さっき三杯食べてなかったか?」

 

 瀬呂の問いに、葉隠の手袋が左右へ揺れる。

 

「山を歩いたからお腹が空いてるの!」

 

 食堂のあちこちで似たような会話が続いていた。飯田は食事を終えた者から食器を所定の場所へ下げるよう声を掛け、八百万や障子も率先してテーブルの上を片付けている。

 

 相澤は既に食事を終え、食堂の奥でプッシーキャッツと明日以降の訓練について話していた。詳しい内容を生徒へ聞かせるつもりはないらしく、机の上に資料を広げながら、互いに声を潜めている。

 

「男子は二階の東側、女子は西側の大部屋だからね!」

 

 マンダレイが打ち合わせを中断し、生徒たちへ声を掛けた。

 

「今後の予定は廊下に貼ってある表を確認すること! あとは、勝手に森へ出たり、立入禁止の部屋を覗いたりしないように!」

 

「はい!」

 

 飯田が誰よりも大きな声で返事をする。

 

「全員、規則を遵守し、明日の訓練へ備えて早めに就寝しよう!」

 

 生徒たちはそれぞれ食器を下げると、男子と女子に分かれて食堂を出ていった。疲労が残っているためか、普段ならいつまでも騒いでいそうな峰田や上鳴も、今夜ばかりは素直に大部屋へ向かっている。

 

 麗日も蛙吹や芦戸とともに食堂を出ていく。

 

 出久はその後ろ姿を目で追った。

 

 バスの中でも、森を進んでいる間も、結局一度もまともに話せなかった。食事中も席は離れており、声を掛ける機会を探しているうちに、彼女は女子の集団へ紛れてしまった。

 

 一瞬だけ、麗日が振り返る。

 

 視線が重なった。

 

 しかし、麗日は何も言わず、すぐに前へ向き直った。

 

「緑谷、行かねえのか?」

 

 切島に呼ばれ、出久は我に返った。

 

「あ、うん。先に行ってて。僕もすぐ行くよ」

 

「分かった。部屋の場所、間違えんなよ」

 

 切島は軽く手を上げ、爆豪たちの後を追って食堂を出ていった。

 

 気付けば、食堂に残っている生徒は出久だけになっていた。

 

 出久も自分の食器を重ね、返却口へ運ぼうとする。

 

 その時、視界の端を小さな影が横切った。

 

 小学生くらいの男の子だった。

 

 無愛想な顔でテーブルの間を歩き、残された皿やコップを黙々と集めている。小さな身体に対して抱えている食器の量は多く、危なっかしく見えたが、少年は慣れているらしく手際よく重ねていた。

 

 出久は足を止める。

 

 到着した時にも、食堂へ入った時にも見掛けた覚えがない。プッシーキャッツや雄英の教師とは明らかに年齢が違い、施設の職員という様子でもなかった。

 

 少年は出久の近くに置かれていた空のコップへ手を伸ばした。

 

「あ、それは僕が持っていくよ」

 

 出久が先にコップを取る。

 

 少年は一瞬だけ出久を見上げたが、礼を言うこともなく、すぐに別の皿へ手を伸ばした。

 

「君もここに泊まってるの?」

 

「……別に」

 

 素っ気ない返事だった。

 

 出久は困ったように眉を下げる。人見知りなのか、それとも突然現れた大勢の高校生を警戒しているのかもしれない。

 

「プッシーキャッツの誰かのお子さんですか?」

 

「違うわよー」

 

 背後から明るい声が返ってきた。

 

 振り返ると、ピクシーボブが空になった大皿を両手で抱えて立っている。その隣ではラグドールが厨房との間を行き来していたが、マンダレイはまだ食堂の奥で相澤との打ち合わせを続けているようだった。

 

 ピクシーボブは大皿を返却台へ置くと、少年の肩へ手を添えた。

 

「この子はマンダレイの従甥よ。名前は洸太」

 

「従甥……」

 

「この子の両親もヒーローなんだけど、この時期は特に忙しくてね。今は私たちが預かってるってわけ」

 

 紹介された少年──洸太は、ピクシーボブの手を鬱陶しそうに払い除けた。

 

「勝手に紹介すんなよ」

 

「いいじゃない。数日間一緒に過ごすんだから、挨拶くらいしておかないと」

 

「別に一緒に過ごさねえし」

 

 洸太は不機嫌そうに言い捨て、集めた食器を抱え直す。

 

「本当は部屋で待っててもらうはずだったんだけどね。食器を片付けるって、勝手に出てきちゃったのよ」

 

「勝手じゃねえ。仕事してるだけだ」

 

「はいはい。洸太君は働き者ね」

 

 からかうように頭を撫でようとするピクシーボブの手を、洸太は再び払い除けた。

 

 出久はできるだけ警戒させないよう腰を屈め、少年と視線の高さを近付ける。

 

「僕は緑谷出久。雄英高校のヒーロー科一年です。よろしくね、洸太君」

 

 出久が名乗ると、それまで露骨に顔を背けていた洸太の動きがわずかに止まった。

 

「……ヒーロー科?」

 

 小さく繰り返し、出久の制服を改めて眺める。相変わらず眉間には皺が寄り、愛想の欠片もない。それでも、先ほどまでは出久と目を合わせることすら避けていたのに、今はその顔をじっと見上げていた。

 

「うん。まだ一年生だけどね」

 

 出久が頷く。

 

 洸太は抱えていた食器へ一度視線を落としたものの、すぐには立ち去らなかった。何かを尋ねたそうに口を開きかけては閉じ、落ち着かない様子で足先を動かしている。

 

 不機嫌そうな態度は変わらない。むしろ、興味を持ったことを悟られまいとして、いっそう険しい表情を作っているように見えた。

 

「……ヒーローになんの?」

 

 やがて洸太は、ぶっきらぼうに尋ねた。

 

 視線は出久の顔ではなく、胸元の制服へ向けられている。どうでもいいことを確認しただけだと装っているが、返事を待つ間も、その場から動こうとはしなかった。

 

 出久は少し驚きながらも、柔らかく頷く。

 

「まあ、まだ勉強中の身だけど……そのつもりだよ」

 

「どんなヒーロー?」

 

「え?」

 

「何する奴になるんだよ」

 

 今度は間を置かずに質問が続いた。

 

 洸太自身も、続けて尋ねたことが気まずかったのか、すぐに出久から目を逸らす。

 

「別に、興味があるわけじゃねえけど」

 

 出久は一瞬だけ考えた。

 

 以前なら、オールマイトのようなヒーローになりたいと迷わず答えていただろう。誰よりも多くの人を救い、笑顔で安心させる。それは今でも、出久が抱いている理想だった。

 

 だが、自分がその理想を口にしてよいのかは分からない。

 

 人を殺し、ヴィランと繋がり、仲間が襲われる計画を知りながら黙っている自分が、誰かを救いたいと語ることには躊躇いがあった。

 

「……困っている人を、ちゃんと助けられるヒーローになりたいと思ってる」

 

 結局、出久はそう答えた。

 

「ちゃんと?」

 

「目の前の危険から助けるだけじゃなくて、その人が何に苦しんでいるのか考えられるような……そういうヒーローに」

 

 自分で口にしながら、胸の奥が痛んだ。

 

 今の自分は、麗日を苦しめている理由すら説明できていない。クラスメイトたちを守るための行動も選べず、ただ秘密を抱え込んでいる。

 

 それでも、洸太は出久の迷いには気付かなかったらしい。

 

「ふーん」

 

 興味がなくなったような声を出し、抱えていた食器を持ち直す。

 

「……まあ、どうでもいいけど」

 

 最後まで素直な態度を見せることなく、踵を返した。

 

「あ、食器、半分持とうか?」

 

「いらねえ」

 

「でも重そうだよ」

 

「持てる!」

 

 洸太は出久から食器を守るように身体を捻ると、そのまま厨房の方へ歩いていく。途中で一度だけ足を止めたが、振り返ることはなかった。

 

「俺、忙しいから。もう話し掛けんなよ」

 

「うん。気を付けてね」

 

 洸太は返事をせず、厨房へ続く扉の向こうへ消えていった。

 

 出久は少年が消えた方を見つめながら、わずかに首を傾げる。

 

 ヒーローに興味がないようには見えなかった。

 

 むしろ、その言葉へ人一倍敏感に反応している。出久がヒーローを目指していると知った途端、隠し切れないほどの興味を示した。

 

「あの子ってば、ヒーローで忙しい両親と会えなくて、機嫌悪くなっちゃってんの」

 

 背後から、ピクシーボブが困ったように言った。

 

「両親と?」

 

「そう。二人とも現役のプロヒーローでね。ウォーターホースって知ってる? 水難救助を得意にしてるから、夏は引っ張りだこなのよ」

 

 ピクシーボブは洸太が入っていった厨房の扉へ視線を向ける。

 

「今回も仕事で手が離せないから、林間学校が終わるまでは私たちが預かることになったの。本人は平気な顔してるけど、やっぱり寂しいんでしょうね」

 

「それで、ヒーローの話になると不機嫌になるんですか?」

 

「反抗期みたいなものよ。自分より仕事を優先されたと思って、拗ねてるの」

 

 ピクシーボブは肩をすくめた。

 

「まあでも、ヒーローは好きみたいだから、仲良くしてあげて」

 

「好きなんですか?」

 

「好きじゃなかったら、あなたがどんなヒーローになるのかなんて聞かないでしょ?」

 

 出久は洸太との会話を思い返した。

 

 険しい顔と、興味のないふりをする口調。それでも洸太は、出久の返事を聞くまでその場から立ち去ろうとはしなかった。

 

「確かに、そうかもしれません」

 

「でしょ?」

 

 ピクシーボブが得意げに笑った、その直後だった。

 

「ピクシーボブ!」

 

 食堂の奥から、鋭い声が飛んできた。

 

 明るかったピクシーボブの表情が、わずかに固まる。

 

 出久が声の方へ振り返ると、マンダレイが足早にこちらへ向かってきていた。どうやら相澤との打ち合わせを終え、今になって洸太が食堂へ出てきていることに気付いたらしい。

 

 その顔には、普段の親しみやすい笑みがない。眉間へ浅く皺を寄せ、明らかに気を立てていた。

 

「洸太は部屋にいさせてって言ったよね」

 

「あー……でも、勝手に出てきちゃったのよ。食器を片付けるって聞かなくて」

 

「だったら、すぐに部屋へ戻すべきでしょ」

 

「でも、ずっと閉じ込めておくのも可哀想じゃない?」

 

 マンダレイは出久の前まで来ると、ピクシーボブの腕を掴んだ。

 

「ちょっと、こっち」

 

「え、今?」

 

「今」

 

 有無を言わせない調子だった。

 

 ピクシーボブは困ったように出久とマンダレイを見比べた後、大人しく引かれていく。マンダレイは意図的に出久から距離を取るように、彼女を食堂の隅へ連れていった。

 

「ごめんね、緑谷君。ちょっとだけ──」

 

「早く」

 

「はいはい」

 

 二人は返却口から離れ、食堂と厨房を仕切る壁際で足を止めた。

 

 マンダレイは一度だけ出久の方を確認すると、さらに声を潜める。ピクシーボブも先ほどまでの軽い調子を抑え、何かを言い返していた。

 

 普通なら、食器の触れ合う音や厨房から聞こえる流水音に紛れ、会話の内容までは聞き取れなかっただろう。

 

 しかし、出久の耳には届いてしまった。

 

 意識して使ったわけではない。

 

 身体の奥に潜ませている個性『五感強化』が、周囲の音を否応なく拾い上げていた。

 

「……洸太に何かあったらどうするの」

 

 マンダレイの押し殺した声。

 

 続いて、ピクシーボブが困ったように答える。

 

「でも、そうとも決まったわけじゃないんでしょ……」

 

「決まってからじゃ遅いの。校長からも──」

 

 そこで、マンダレイの声はさらに小さくなった。

 

 食堂の奥で椅子が引かれ、床を擦る音が重なる。続きは途切れ途切れにしか拾えなかった。

 

 それでも、出久の身体はわずかに強張っていた。

 

「洸太に何かあったら」「そうとも決まったわけではない」「校長」。

 

 断片的な言葉が、頭の中で勝手に繋がろうとする。

 

 彼女たちは何を警戒しているのか。

 

 雄英の生徒たちが滞在している今、施設の中が普段とは違うため、念のために洸太を遠ざけようとしているだけなのか。それとも、他に何か具体的な危険を想定しているのか。

 

 出久は反射的に聴覚へ意識を集中させかけた。

 

 その瞬間、自分が何をしようとしているのかに気付き、力を抜く。

 

 聞くつもりのない会話だった。個性によって偶然聞き取ってしまったとはいえ、これ以上意識を向ければ、完全な盗み聞きになる。

 

 何より、洸太に関わる個人的な事情かもしれない。

 

 出久は手元へ視線を落とした。

 

 既に食器は返却口へ置き終えている。ここへ残る理由はなかった。

 

 それでも、すぐには足が動かなかった。

 

 マンダレイの険しい顔。洸太を部屋へいさせようとする態度。そして、万が一を恐れるような言葉。

 

 胸の奥に居心地の悪さが広がっていく。

 

 まるで、自分が洸太の近くにいること自体を警戒されているような、根拠のない感覚が浮かんだ。

 

 考えすぎだ。

 

 そう言い聞かせても、根津から疑われているという自覚が、その可能性を簡単には振り払わせてくれない。

 

「……失礼します」

 

 聞こえるかどうかも分からない声で告げ、出久は食堂の出口へ向かった。

 

 マンダレイが一瞬だけこちらを見たような気がしたが、振り返ることはしなかった。

 

 扉を開けると、夜の冷気が廊下にまで入り込んでいた。階段の上からは、先に部屋へ戻った男子生徒たちの声が聞こえてくる。上鳴の笑い声と飯田の注意する声、その奥には爆豪の怒鳴り声も混じっていた。

 

 いつも通りのA組の騒がしさだった。

 

 だが、食堂で聞いた断片的な会話が耳の奥へ残り、出久の足取りは自然と重くなる。

 

 洸太に何かあったらどうするの。

 

 あれは誰に向けられた警戒なのか。

 

 考えるべきではないと思いながらも、出久は答えを探さずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 ──

 

 

 翌朝。

 

 夜明け前まで山を覆っていた薄い霧は、陽が昇るにつれて少しずつ晴れ始めていた。

 

 宿泊施設の前に広がる訓練場には、朝食を終えたA組の生徒たちが集められている。昨夜は全員が泥のように眠ったものの、森を突破した疲労は一晩で完全に抜けたわけではない。腕を回す者、腰を叩く者、欠伸を噛み殺す者と、列のあちこちに疲れの色が残っていた。

 

 爆豪も、まだ本調子には戻っていない腕を軽く回し、微かに顔を顰めている。骨折そのものは治っていても、昨日の戦闘で酷使した影響までは消えていないらしい。

 

 出久は列の後方で、自分の手を開閉していた。

 

 身体の各所に鈍い痛みはある。それでも、動きに支障が出るほどではない。個性に頼らず森を進み続けた分、筋肉への負担は大きかったが、それ以上に気に掛かるのは、食堂で聞いた昨夜の会話だった。

 

 洸太に何かあったらどうするの。

 

 校長からも──。

 

 あれは自分に関する話だったのか。

 

 それとも、林間学校そのものに何か別の危険があるのか。

 

 考えても答えは出ない。マンダレイやピクシーボブの様子を窺ってみたが、二人は既にいつもの明るい態度へ戻っていた。

 

 ピクシーボブは訓練場の端で大きく伸びをし、ラグドールと楽しそうに話している。マンダレイも生徒たちの人数を確認しながら、時折冗談を交えていた。昨夜の張り詰めた空気は、どこにも残っていない。

 

 洸太の姿は見当たらなかった。

 

 やはり、今日は部屋にいさせているのだろうか。

 

 出久が宿泊施設の二階へ目を向けた時、正面から低い声が飛んできた。

 

「全員、前を向け」

 

 相澤だった。

 

 訓練場の中央には、相澤とプッシーキャッツの四人が並んでいる。

 

 飯田が号令を掛け、生徒たちが姿勢を正えた。

 

 相澤は全員を見回した後、眠そうな目のまま口を開く。

 

「今合宿の目的は、大きく分けて二つだ」

 

 生徒たちの空気が引き締まる。

 

「一つは個性の強化。もう一つは、仮免許取得に向けた基礎能力の底上げだ」

 

「仮免許?」

 

 上鳴が思わず声を漏らした。

 

 周囲でも小さなどよめきが起こる。八百万や飯田は驚きながらもすぐに話へ意識を戻し、切島は期待を隠し切れないように拳を握った。

 

「仮免って、もう受けるんすか?」

 

 瀬呂が手を上げる。

 

「普通は二年からじゃ……」

 

「本来ならな」

 

 相澤は短く答えた。

 

「だが、状況が変わった。USJ襲撃を始め、ヴィランによる事件は増加している。今後、お前たちが校外で危険に巻き込まれない保証もない」

 

 何人かの表情が硬くなる。

 

 出久も無意識に息を詰めた。

 

「仮免許があれば、緊急時に限り、ヒーローとして個性を使用する権限が与えられる。もちろん、取得したからといって一人前になれるわけじゃない。だが、最低限、自分や周囲を守るための選択肢は増える」

 

「つまり、この合宿中に仮免試験へ向けた訓練も行うということでしょうか!」

 

 飯田が勢いよく尋ねた。

 

「そういうことだ」

 

 相澤は頷く。

 

「ただし、その前に、お前たちには個性そのものを底上げしてもらう」

 

 相澤の視線が、一人ずつを測るように列をなぞっていく。

 

「お前たちは入学以来、体育祭や職場体験を通じて数々の経験を積んだ。実戦に近い訓練を経験し、プロの現場を見て、自分の弱点や役割についても以前より理解するようになっただろう。望むと望まざるとにかかわらず、実際の敵と対峙した者もいる」

 

 轟や飯田、切島たちが黙って話を聞いている。

 

 出久の脳裏にも、これまでの出来事が浮かんだ。

 

 USJ、体育祭、保須、職場体験。

 

 経験したものは多い。あまりにも多すぎた。

 

「だが、それらは主に技術面や精神面の成長だ」

 

 相澤は続ける。

 

「個性の扱い方が上手くなった。判断が速くなった。恐怖や緊張の中でも動けるようになった。それらも確かな成長ではある」

 

 一度、言葉を切る。

 

「だが、実のところ、個性そのものが入学時から大きく成長した者はほとんどいない」

 

 生徒たちの間に困惑が広がった。

 

「個性そのもの……」

 

 麗日が自分の指先を見ながら呟く。

 

「個性も身体の機能の一部だ。安全な範囲で使い続けているだけでは、出力も持続力も伸びない。限界まで負荷を掛け、休ませ、回復させる。その繰り返しによって、初めて上限が広がる」

 

 相澤は生徒たちを見回した。

 

「今日から徹底的に追い込む。限界まで個性を使わせ、回復させ、再び限界まで使わせる。それを繰り返し、お前たちの個性を伸ばす」

 

「徹底的に、というのは……どの程度でしょうか」

 

 八百万が慎重に尋ねた。

 

「個性が一時的に使えなくなる程度だ」

 

「それはかなり徹底的ですわね……」

 

 八百万の表情がわずかに引きつる。

 

「当然、個性ごとに方法は違う」

 

 相澤は構わず説明を続けた。

 

「爆豪なら爆発を連続して起こし、発汗量と爆発の規模、連続使用への耐性を引き上げる。轟は炎熱と氷結を交互に使い、体温を保ちながら両方の出力を伸ばす。上鳴は限界放電と回復を繰り返し、許容量を増やす」

 

「ちょっと待って、俺だけ説明がすげえ怖いんだけど!」

 

「安心しろ。全員、似たようなものだ」

 

「安心できねえ!」

 

 上鳴の悲鳴に、ピクシーボブが楽しそうに笑う。虎は腕を組んだまま、当然だというように頷いていた。

 

「つまり、各自の個性に合わせた専用訓練を行うということですね!」

 

 飯田が確認する。

 

「そうだ。今日中に現在の限界を把握し、明日からはその先を目指す」

 

「今日中に……」

 

 瀬呂が乾いた声を漏らした。

 

「お前たちはこれまで、個性を使って敵を倒す訓練をしてきた」

 

 相澤の声が低くなる。

 

「今日からは違う。今までの限界を壊すつもりで使え。現在の上限にしがみついている限り、次の段階には進めない」

 

 列の中へ、緊張と高揚が入り混じった空気が走った。

 

 切島は拳を握り、芦戸は不安そうにしながらも目を輝かせている。轟は無言のまま右手と左手を見下ろし、爆豪は待ち切れないように掌から小さな爆ぜる音を鳴らした。

 

 麗日も自分の指先へ視線を落としていた。

 

 出久は彼女の横顔を見た後、すぐに前へ向き直る。

 

 雄英へ届け出ている出久の個性は、体内で骨を生成し、それを体外へ伸ばして自在に操る能力だった。相澤たちが組む訓練も、当然その能力を基準にしたものになる。

 

 だが、出久が隠している力はそれだけではない。

 

 限界まで追い込まれれば、表向きには存在しない個性が反射的に発現する可能性もある。特に『五感強化』は、既に日常の感覚へ溶け込み始めており、昨日のように意識せず働くこともあった。

 

 個性を伸ばす訓練は、自分にとって成長の機会であると同時に、秘密を暴かれる危険でもある。

 

「緑谷」

 

 不意に名前を呼ばれ、出久の肩がわずかに跳ねた。

 

 相澤がこちらを見ている。

 

「聞いているか」

 

「はい」

 

「お前の場合は、骨の生成量と生成速度、同時に操作できる本数の底上げだ」

 

 相澤は淡々と告げた。

 

「体力測定や入試の時に見せた大規模出力を、安定して使えるようにしろ。一度きりの切り札では意味がない。制御を保ったまま繰り返し使えるようになって、初めてものにしたと言える」

 

「はい」

 

「職場体験で扱い方を覚えたからといって、今の出力で満足するなよ」

 

 出久は右手を握る。

 

「……はい」

 

 短く答えた。

 

 相澤は一瞬だけ出久を見つめた後、全員へ視線を戻した。

 

「これから班に分ける。プッシーキャッツと俺が各訓練を監督する。指示された場所へ移動しろ」

 

「はい!」

 

 飯田の号令に合わせ、生徒たちが声を揃える。

 

 ピクシーボブが待ち切れない様子で両手を叩いた。

 

「それじゃあ個性伸ばし、始めるよー! 昨日より楽だなんて思わないでね!」

 

「大丈夫よ。死なない程度には調整するから!」

 

「その言い方が一番怖い!」

 

 上鳴の悲鳴とプッシーキャッツの笑い声が、朝の山へ響き渡る。

 

 こうして、林間学校本来の目的である個性強化訓練が始まった。

 

 しかし、出久の意識は自分に課される訓練だけへ向いてはいなかった。

 

 大規模出力を安定させろと告げた時、相澤は出久の反応を確かめるように、ほんのわずかに目を細めていた。

 

 あれが単なる教師としての観察なのか、それとも別の疑念によるものなのか。

 

 出久には、判断がつかなかった。

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