間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第6話 はりさける胸

 受験から、一週間後。

 

 薄暗い廃ビルの地下。

 

 地上の喧騒など存在しないかのように、そこだけが切り離された静寂に沈んでいた。

 

 白い。

 

 相変わらず、異様なほどに。

 

 無機質な照明。

 規則的に点滅するモニター。

 薬品臭。

 機械の駆動音。

 

 精密な医療設備と実験装置が並ぶ地下施設の中央で、巨大な生命維持装置だけが、まるで王座のように鎮座している。

 

 夥しい数の管。

 循環する液体。

 人工呼吸器。

 

 その中心。

 

 焼け爛れ、半ば以上を失った男が、椅子へ深く腰掛けていた。

 

 呼吸器が、規則正しく鳴る。

 

 その前に、二人の少年が立っていた。

 

 緑谷出久。

 

 そして。

 

 青山優雅。

 

 青山は、いつものように整った笑みを浮かべている。

 

 だが。

 

 その肩は、僅かに強張っていた。

 

 出久は視線を下げたまま、無意識に拳を握っている。

 

 静寂。

 

 やがて。

 

 パチ。

 

 乾いた音が響いた。

 

 AFOが、ゆっくりと拍手していた。

 

 半ば炭化したような掌同士が打ち合わされるたび、湿ったような不快な音が混ざる。

 

 パチ。

 パチ。

 パチ。

 

「——合格おめでとう」

 

 呼吸器越しの、くぐもった声。

 

 だが、その声音には確かな愉悦が滲んでいた。

 

「緑谷出久君。青山優雅君」

 

 青山の喉が、小さく動く。

 

「ありがとうございまァす……☆」

 

 明るい口調。

 

 いつもの調子。

 

 だが、声が少しだけ上擦っていた。

 

 出久は、何も言えなかった。

 

 雄英高校。

 

 合格通知。

 

 “合格”の二文字を見た瞬間の胸の熱さは、確かに本物だった。

 

 夢みたいだった。

 

 嬉しかった。

 

 なのに。

 

 その報告をしている場所が、この地下施設だった。

 

 目の前にいるのが、この男だった。

 

 その事実が、胸の奥へ重く沈んでいる。

 

 AFOは、そんな出久の沈黙すら楽しむように、小さく笑った。

 

「素晴らしかったよ、緑谷出久君」

 

 呼吸器の奥で、ヒュゥ、と音が鳴る。

 

「特に最後だ。誰かを助けるために、自分から0点ロボへ向かっていった」

 

 一拍。

 

「実に、ヒーローらしかった」

 

 出久の肩が、僅かに震える。

 

 褒められている。

 

 そのはずだった。

 

 だが。

 

 この男から“ヒーローらしい”と言われることに、得体の知れない寒気があった。

 

 AFOは続ける。

 

「そして青山優雅君」

 

 生命維持装置の無数のモニターが、淡く光を反射した。

 

「君もよく頑張った。例の個性制御はまだ不安定だが……まあ、年齢を考えれば十分だろう」

 

「メルスィー☆」

 

 青山は笑う。

 

 だが、視線はAFOを見ていない。

 

 どこか虚空を見つめたまま、口元だけで笑っていた。

 

 出久は、その横顔を見て、ふと違和感を覚える。

 

 初めて会った時から感じていた、妙な不自然さ。

 

 明るすぎる笑顔。

 芝居がかった口調。

 場違いなほど軽い振る舞い。

 

 それが今は、“怯え”を隠すためのものに見えた。

 

 「雄英高校ヒーロー科」

 

 AFOが、静かに呟く。

 

 呼吸器が低く鳴る。

 

 シュウゥ、と。

 

「平和の象徴を育て続けてきた場所」

 

 無数のモニター光が、焼け爛れた肉体を青白く照らしていた。

 

「その中心へ、君たちは入り込む」

 

 一拍。

 

「実に、楽しみだ」

 

 出久の背筋へ、冷たいものが走る。

 

 その声音は穏やかだった。

 

 怒気もない。

 威圧もない。

 

 だからこそ、不気味だった。

 

 AFOは、ゆっくりと首を動かした。

 

 視線のない顔が、まるで真っ直ぐ出久を見ているように感じられる。

 

「さて」

 

 呼吸器の駆動音。

 

「緑谷出久君」

 

 名前を呼ばれる。

 

 出久は、無意識に身体を強張らせた。

 

「今度は、君が僕に恩を返す番だ」

 

 空気が、止まる。

 

 出久の瞳が揺れた。

 

「……え」

 

 AFOは穏やかに続ける。

 

「難しい事ではないよ」

 

 生命維持装置の管が、脈動するように揺れる。

 

「雄英へ入学した後、定期的に情報を流してもらう」

 

 一拍。

 

「教師の動向。授業内容。生徒の個性。施設情報」

 

 さらに。

 

「そして必要に応じて、こちらから与える任務をこなしてもらう」

 

 出久の顔から、血の気が引いた。

 

「な……」

 

 喉が詰まる。

 

 何を言われているのか、一瞬理解が追いつかなかった。

 

 だが。

 

 理解した瞬間、全身が冷え切る。

 

「そ、それって……」

 

 声が震える。

 

「ヴィランの、手伝いじゃ……」

 

「おや」

 

 AFOが、小さく笑った。

 

「随分と直接的な言い方をするねぇ」

 

「僕はただ、少し情報共有をお願いしているだけだよ」

 

「で、でも!」

 

 出久は思わず一歩前へ出ていた。

 

「そんなの、駄目です!」

 

 声が裏返る。

 

「僕は、ヒーローになるために雄英へ行くんだ! そんな事のためじゃ……!」

 

 その瞬間。

 

 空気が、僅かに冷えた。

 

 生命維持装置のモニターが、ピッ、と音を鳴らす。

 

 青山の肩が、びくりと震えた。

 

 出久だけが気付いていない。

 

 自分が今、誰に向かって“拒絶”したのかを。

 

 AFOは沈黙していた。

 

 怒鳴らない。

 脅さない。

 

 ただ静かに、出久の言葉を聞いている。

 

 それが逆に恐ろしい。

 

 やがて。

 

「……ふふ」

 

 呼吸器越しの笑い声が漏れた。

 

「安心したよ、緑谷出久君」

 

「……え?」

 

「君は、本当にヒーローになりたいんだねぇ」

 

 優しい声だった。

 

 子供を褒めるような。

 

 穏やかな声音。

 

 だからこそ、出久の喉が引き攣る。

 

「だが」

 

 その一言で、空気が変わった。

 

「君は、勘違いをしている」

 

 シュウゥ、と呼吸器が鳴る。

 

「君のその力は、誰から与えられた?」

 

 出久の身体が硬直する。

 

「誰が君を雄英へ届く場所まで押し上げた?」

 

「それ、は……」

 

「君は無個性だった」

 

 静かな断定。

 

「誰にも期待されず、誰にも選ばれなかった」

 

 一拍。

 

「そんな君へ、“可能性”を与えたのは誰かな?」

 

 出久の指先が震える。

 

 反論できない。

 

 AFOは続ける。

 

「僕は君へ投資したんだよ、緑谷出久君」

 

「個性を与え」

 

「鍛え」

 

「時間を使い」

 

「雄英へ届くよう育てた」

 

 低く、穏やかに。

 

 逃げ場を塞ぐように。

 

「対価を求めるのは、そんなにおかしい事かな?」

 

 沈黙。

 

 出久は、言葉を失った。

 

 胸の奥で、何かが嫌な音を立てる。

 

 その時だった。

 

「……やめた方がいいよォ」

 

 不意に。

 

 青山が、笑った。

 

 いつものような、煌びやかな笑顔。

 

 だが。

 

 その目だけが、全く笑っていなかった。

 

「おじさまに逆らうのは」

 

 青山の声は、軽かった。

 

 いつものように。

 冗談めかして。

 笑うように。

 

 けれど。

 

 その言葉には、妙な実感が滲んでいた。

 

「本当に、やめた方がいいよォ……☆」

 

 青山は肩を竦める。

 

「最初は僕も、“嫌だ”って言ったんだ」

 

 笑顔。

 

 だが、瞳は空っぽだった。

 

 一歩。

 

 青山が、ほんの少しだけ出久へ近づく。

 

「でもねェ」

 

 声が、小さくなる。

 

「おじさまは、“絶対に逃がしてくれない”んだ☆」

 

 出久の背筋へ、悪寒が走った。

 

 その瞬間。

 

 AFOが、ゆっくりと首を傾ける。

 

 視線のない焼け爛れた顔が、僅かにモニター群へ向いた。

 

「……そうだねぇ」

 

 穏やかな声。

 

 そして。

 

 生命維持装置の周囲に並ぶモニターの一つが、ふっと切り替わった。

 

 ノイズ。

 

 映像。

 

 出久の瞳が、大きく見開かれる。

 

「——え」

 

 そこに映っていたのは。

 

 見慣れた後ろ姿だった。

 

 小柄な女性。

 

 買い物袋。

 

 夕暮れの住宅街。

 

 緑谷引子。

 

 出久の母親だった。

 

「……母、さん?」

 

 呼吸が止まる。

 

 映像の中の引子は、何も知らない。

 

 いつも通りだった。

 

 スーパーからの帰り道。

 少し疲れたように歩きながら、それでもどこか穏やかな横顔をしている。

 

 その映像を。

 

 地下施設のモニターが映している。

 

 リアルタイムで。

 

 出久の全身から、血の気が引いた。

 

「な、んで……」

 

 声が掠れる。

 

 AFOは、小さく笑った。

 

「ありがちなヴィランらしく」

 

 呼吸器の奥で、愉悦混じりの音が鳴る。

 

「陳腐なセリフを言ってあげよう」

 

 一拍。

 

 そして。

 

 焼け爛れた口元が、ゆっくりと吊り上がった。

 

「逆らえば、君の母君を殺す」

 

 空気が凍った。

 

 出久の瞳が揺れる。

 

「……っ」

 

 心臓が、強く跳ねた。

 

 モニターの中では、引子が信号待ちをしている。

 

 何も知らず。

 何も気付かず。

 いつも通りに。

 

 そのすぐ背後。

 

 電柱の陰に、一人の男が立っていた。

 

 黒いスーツ。

 

 帽子。

 

 顔は見えない。

 

 だが。

 

 監視している。

 

 それだけは分かった。

 

「ぁ……」

 

 出久の喉から、意味にならない声が漏れる。

 

 AFOは、楽しそうだった。

 

「安心したまえ」

 

 呼吸器が鳴る。

 

「君が従順である限り、母君へ危害を加えるつもりはない」

 

 優しい声音。

 

 まるで、本当に安心させようとしているみたいに。

 

「僕は基本的に、家族愛を尊重するタイプなんだ」

 

 青山の肩が、小さく震えた。

 

 笑っている。

 

 だが、それはもう笑顔ではなかった。

 

 引き攣った仮面だ。

 

「だからサ」

 

 青山が、小さく呟く。

 

「逆らわない方がいいって、言っただろォ……☆」

 

 出久は、動けなかった。

 

 モニターから目を離せない。

 

 母がいる。

 

 監視されている。

 

 自分のせいで。

 

 自分が、この地下へ来たから。

 AFOの力を受け取ったから。

 ヒーローになりたいなんて願ったから。

 

 その全てが、母へ繋がってしまった。

 

 AFOは、静かに笑う。

 

「さあ、緑谷出久君」

 

 焼け爛れた顔が、ゆっくりと彼へ向く。

 

「君は、とても優しい子だ」

 

 一拍。

 

「だからきっと——賢い選択をしてくれるねぇ?」

 

 出久は答えられなかった。

 

 モニターの中で、母が歩き出す。

 

 買い物袋を片手に、いつも通りの道を、いつも通りに。

 

 それだけの光景が、今は胸を締め付ける凶器のようだった。

 

「……やめて」

 

 ようやく出た声は、ひどく小さかった。

 

「母さんは……関係ない」

 

「関係あるとも」

 

 AFOは即座に答えた。

 

「君の母君だ。君が最も守りたいものの一つだろう?」

 

 優しい声。

 

 だからこそ、言葉の中身が余計におぞましい。

 

「守りたいものがある人間は強い。だが同時に、とても扱いやすい」

 

 青山が、かすかに目を伏せた。

 

 その表情で、出久は悟る。

 

 青山も同じだ。

 

 同じように、何かを握られている。

 

 逃げられない理由を、与えられている。

 

「……何を、するつもりですか」

 

 出久の声が震える。

 

 AFOは、嬉しそうに呼吸器を鳴らした。

 

「保険だよ」

 

「保険……?」

 

「そう。君が今後も賢明でいられるようにするための、小さな仕組みだ」

 

 生命維持装置の横で、何かが低く駆動音を立てる。

 

「今から君に、僕の個性によって裏切りを防止するための“自爆”を付与する」

 

 出久の思考が止まった。

 

「……じ、自爆?」

 

「安心したまえ」

 

 AFOは、あまりにも穏やかに言った。

 

「同級生となる青山優雅君とお揃いだ」

 

 隣で、青山の顔が強張る。

 

 出久は反射的に青山を見た。

 

「青山、君……」

 

 青山は、笑った。

 

 いつものように、星が散るような笑顔を作ろうとして。

 

 失敗した。

 

「……言ったでしょォ」

 

 声が震えていた。

 

「逆らわない方がいいって」

 

 出久の喉が凍る。

 

 自爆。

 

 その言葉が、遅れて身体に染み込んでいく。

 

 任務に逆らえば。

 情報を流さなければ。

 逃げようとすれば。

 

 母だけではない。

 

 自分自身も。

 

 「そんなの……!」

 

 出久は一歩後退った。

 

 だが、背後に逃げ道はない。

 

 白い床。

 無数の機械。

 生命維持装置。

 そして——AFO。

 

「個性とは便利なものだよ」

 

 呼吸器が、低く鳴る。

 

 シュウゥ、と。

 

「人を救うこともできるし、こうして“縛る”こともできる」

 

 焼け爛れた掌が、ゆっくりと持ち上がる。

 

 その中央。

 

 黒い穴。

 

 光を吸い込むような漆黒が、静かに口を開けていた。

 

 出久の呼吸が止まる。

 

 本能が叫んでいた。

 

 逃げろ、と。

 

 だが、脚が動かない。

 

 AFOは、まるで怯える子供を宥めるような声音で続ける。

 

「心配しなくていい」

 

 一拍。

 

「普段は何も起きない。ただ、君が“裏切ろう”とした時だけだ」

 

 青山が、俯いたまま小さく笑う。

 

 自嘲。

 諦め。

 恐怖。

 

 全部が混ざったような声。

 

「僕も最初は、すっごく泣いたんだァ」

 

 青山の指先が、僅かに震えている。

 

「でも、おじさまって本当に容赦ないからサ」

 

 出久の喉が引き攣る。

 

 目の前の青山は、生きた証明だった。

 

 逆らえなかった人間。

 壊された人間。

 従うように作り変えられた人間。

 

 AFOが、ゆっくりと身を乗り出す。

 

 無数の管が揺れる。

 機械音が重なる。

 

「さあ、緑谷出久君」

 

 優しく。

 穏やかに。

 

 まるで祝福でも与えるように。

 

「これで君も、安心して雄英へ通える」

 

 黒い穴が、ゆっくりと出久へ向けられる。

 

 距離が縮まる。

 

 数歩。

 

 いや、もう一歩もない。

 

 眼前。

 

 漆黒が、視界いっぱいに広がった。

 

 

 

 

 

 ──

 

 春だった。

 

 雄英高校の正門前には、朝早くだというのに多くの生徒たちが集まっている。

 

 真新しい制服。

 期待に満ちた声。

 緊張を誤魔化す笑い声。

 

 今日から始まる。

 

 雄英高校ヒーロー科での生活が。

 

 巨大な校舎群は、朝日を受けて輝いていた。

 

 近未来的なガラス外壁。

 広大な敷地。

 訓練設備。

 ヒーロー育成機関として、日本最高峰と呼ばれる場所。

 

 何度夢見たか分からない光景だった。

 

 緑谷出久は、その門の前で立ち止まる。

 

「……」

 

 喉が、少しだけ詰まった。

 

 嬉しい。

 

 それは間違いない。

 

 雄英だ。

 

 オールマイトの母校。

 憧れ続けた場所。

 ヒーローになるための第一歩。

 

 無個性だと言われたあの日には、もう二度と届かないと思っていた場所。

 

 なのに。

 

 自分は今、ここにいる。

 

 雄英高校ヒーロー科の生徒として。

 

 だが。

 

 その事実が、胸を重く締め付ける。

 

 地下施設。

 

 生命維持装置。

 

 AFO。

 

 黒い穴。

 

 そして——眼前へ迫った、あの掌。

 

 思い出した瞬間、胸の奥が冷えた。

 

 制服の下。

 身体のどこかに刻み込まれた“保険”。

 

 母への監視。

 

 AFOの命令。

 

 自分は、本当にここへ立っていていい人間なのか。

 

 ヒーローを目指していいのか。

 

 周囲の新入生たちは、皆前を向いている。

 

 期待に目を輝かせて。

 

 夢を抱いて。

 

 なのに、自分だけが違う。

 

 自分だけが、泥を踏んでここまで来た。

 

「……っ」

 

 出久は、無意識に俯いていた。

 

 視界へ映るのは、自分の靴先だけ。

 

 その時だった。

 

 ドカドカドカ、と。

 

 荒々しい足音が背後から迫る。

 

 聞き慣れた音だった。

 

「——てめえデク!!」

 

 怒鳴り声。

 

 次の瞬間。

 

 ガシッ、と肩を掴まれる。

 

 出久の身体が反射的に強張った。

 

「どうやって合格したか知らねえけどなァ、テメエ——」

 

 爆豪勝己。

 

 鋭く吊り上がった赤い目。

 逆立った灰金色の髪。

 獰猛な肉食獣みたいな威圧感。

 

 昔と変わらない。

 

 いや、雄英へ入った事でむしろさらに鋭くなっているようにすら見える。

 

 爆豪は怒鳴りながら、乱暴に出久を振り向かせた。

 

 だが。

 

「……あ?」

 

 その瞬間。

 

 爆豪の言葉が、止まった。

 

 出久の顔が、真正面から視界へ入る。

 

 俯いていた顔。

 

 その目。

 

 以前の“デク”とは違っていた。

 

 怯え。

 卑屈さ。

 諦め。

 

 確かにそれもある。

 

 だが、それ以上に。

 

 もっと深い何かが沈んでいた。

 

 底の見えない暗さ。

 

 疲弊。

 

 恐怖。

 

 そして、何かを諦めかけたような色。

 

 爆豪は、一瞬だけ言葉を失う。

 

 まるで。

 

 知らない他人を見たみたいに。

 

「……お前」

 

 掴んでいた手の力が、僅かに緩む。

 

 出久は何も言わない。

 

 ただ静かに、爆豪を見返していた。

 

 その目には、昔みたいな“かっちゃんへの憧れ”が薄れていた。

 

 代わりにあるのは。

 

 張り付いたような緊張感と、拭いきれない疲労。

 

 爆豪の眉が、僅かに寄る。

 

「……なんだ、そのツラ」

 

 無意識だった。

 

 気付けば、爆豪は出久の肩から手を離していた。

 

 さっきまでの勢いが、一瞬だけ消えている。

 

 出久は小さく視線を伏せる。

 

「……別に」

 

 掠れた声。

 

 それだけ言うと、出久は爆豪の横を通り過ぎ、雄英の門へ向かって歩き出した。

 

 爆豪は、その背中を睨む。

 

 だが。

 

 いつものように怒鳴る気には、なぜかならなかった。

 

 代わりに胸の奥へ残ったのは、妙な違和感だった。

 

 まるで。

 

 知らない場所から帰ってきたみたいな目だった。

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