夜の帳が下りた廃ビルの一室。
窓ガラスはほとんど割れ落ち、吹き込む夜風が埃を巻き上げていた。
中央に置かれた古びたテーブルには、開けかけの酒瓶と缶詰、適当に買い集めたつまみが並んでいる。
「ぷはぁ……」
マグネが缶を机へ置き、大きく息を吐いた。
「飲まなきゃやってらんないねぇ」
「まったくだ」
向かいに座るコンプレスも肩を竦める。
仮面の下半分を器用に持ち上げると、グラスの酒を喉へ流し込み、飲み終えると何事もなかったかのように元へ戻した。
「便利ねえぇ、その仮面」
コンプレスは空になったグラスを見つめ、小さくため息をつく。
「……ぶっちゃけさ」
「ん?」
酒瓶へ手を伸ばしながら、力なく笑う。
「緑谷君、いらなくない?」
マグネは缶を持つ手を止めた。
「ずいぶん思い切ったこと言うじゃない」
「現実的な話ね」
コンプレスは肩を竦める。
「林間学校襲撃は失敗、せっかく雄英へ潜り込ませたスパイは世間に露見してしまった。あと一人いるんだっけ? それも警戒されちゃうだろうな」
グラスを軽く揺らす。
「戦闘力はそりゃ、多分俺たちの誰よりもある。でもそれだけのガキじゃんか」
「まあ、それはそうだけど」
マグネも苦笑した。
「雄英にはもう戻れないだろうしねぇ」
コンプレスは酒を一口飲む。
「普通なら切る、足手まといだ」
短く言い切った。
「情が絡まない組織なら、まずそうする」
マグネは缶を傾けながら首を捻る。
「でもボスは違うみたねえ」
「そこなんだよ」
コンプレスは困ったように笑った。
「どうしてあそこまで緑谷君へ執着するのか、俺にはさっぱり理解できない」
酒をもう一口流し込み、再びため息をつく。
「彼にそこまでの価値があるとは思えないんだ」
マグネは缶を揺らしながら、小さく唸る。
「……うーん」
「俺たちってさ」
コンプレスは新しく酒を注ぎながら続けた。
「結局、彼のステイン殺害動画に惹かれて集まった連中だろ?」
「まあねぇ」
「あれがなければ、少なくとも私はこの組織にいなかった」
グラスを軽く掲げ、自嘲気味に笑う。
「だからこそ思うんだ」
「今からでも、連合から抜けさせるべきじゃないのかなって」
マグネは黙って耳を傾ける。
「ボスが上手いこと隠蔽してるなら、ステインの件やラグドールの件は表に出ない可能性もある」
「……そうかもしれないわねえ」
「もちろん、雄英へ潜り込んでいたことは隠し切れないだろう。警察には捕まるさ」
コンプレスは肩を竦めた。
「でも、まだ子供だ」
「何年か少年院で過ごして、やり直せるなら、その方がよっぽどまともな人生じゃないか?」
言い終えると、グラスの酒を一息に飲み干す。
「……俺たちヴィランが言えることじゃないけどね」
自分で言って苦笑する。
「ははっ」
マグネもつられて笑ったが、その笑いはすぐに消えた。
「でも、あたしも似たようなこと考えてたわ」
缶を机へ置き、何度も頷く。
「あの子、まだ若すぎるわ」
「ああ」
「あたしたちとは違う」
マグネは遠くを見るように呟く。
「人生をやり直せる時間が、まだ残ってる」
「トガちゃんはぞっこんだけどねえ」
コンプレスはため息を漏らした。
「戦力として見れば優秀だよ。否定はしない」
「でも、それだけのために、一人のガキの人生まで潰す必要があるのかって話さ」
「そうなんだよねぇ」
マグネは何度も頷いた。
「ボスがあそこまで執着する理由が、あたしにも見えてこない」
その時だった。
廊下から足音が近づき、錆びた扉が軋んだ音を立てて開く。
「……またか」
呆れたような声と共に、スピナーが姿を現した。
部屋へ入るなり、テーブルの上に並ぶ酒瓶の数を見て眉をひそめる。
「ここ数日ずっと飲んでるじゃねぇか、お前ら」
「飲まなきゃやってられないのよぉ」
マグネが空き缶を揺らして笑う。
「林間学校は失敗、世間は大騒ぎ、ボスはなぜか上機嫌。これで酒も飲まずにいられる?」
「違いない」
コンプレスも肩をすくめた。
「一杯どうだい?」
「いい」
スピナーは即答すると、二人の向かいではなく隣のスツールへ腰を下ろした。
肘をカウンターへ突き、ため息を吐く。
「で?」
「ん?」
「さっきから何の話してた」
「緑谷君の話さ」
コンプレスは空になった瓶を転がしながら答えた。
「ボスがあそこまで執着する理由が分からなくてね」
「……またその話か」
スピナーは苦笑する。
「まあ、気になるっちゃ気になるけどな」
ふと辺りを見回した。
「そういや、その緑谷は?」
マグネが肩をすくめた。
「ボスが連れてったわよぉ」
「トガちゃんも着いて行っちゃって、アジトがむさ苦しいよ」
コンプレスも付け加える。
「ふーん……」
スピナーはそれ以上追及しなかった。
コンプレスは立ち上がると、部屋の隅に積まれていた酒の箱から新しい瓶を一本取り出した。
「湿っぽい話ばかりじゃ酒がまずい」
ラベルを親指で弾き、栓抜きを引っ掛ける。
軽快な音と共に王冠が飛んだ。
「はいはい」
マグネもグラスを差し出す。
「今日はこれを空けちゃいましょうか」
琥珀色の酒がグラスへ注がれ、アルコールの香りが薄暗い部屋へ広がる。
その時だった。
──コンコン。
不意に、廃ビルには似つかわしくない控えめなノックが響いた。
三人の手が止まる。
酒を注ぐ音も、グラスを置く音も消え、部屋に静寂が落ちた。
「……ん?」
マグネが首を傾げる。
「ナガンじゃない?」
立ち上がりながら、テーブルへ視線を落とした。
「あたしたちが酒飲み過ぎるから、追加でも買ってきてくれたとかさぁ」
「あり得るねぇ」
コンプレスも苦笑しながら頷く。
「彼女、面倒見はいいから」
マグネはそのまま扉へ歩き出した。
だが──。
「待て」
低い声が背中を止める。
スピナーだった。
さっきまで気の抜けた様子だった表情が消え、細い瞳が扉へ向けられている。
「……何よ?」
「おかしい」
短く言い切る。
「ナガンならノックなんかしねぇ」
マグネの足が止まった。
「ここ、あいつの店みたいなもんだろ」
スピナーはゆっくり立ち上がる。
「買い出しから戻っただけなら、そのまま入ってくる」
コンプレスも笑みを引っ込めた。
「確かに……」
栓を抜いたばかりの酒瓶を静かにカウンターへ置く。
部屋の空気が一変した。
さっきまで酒を酌み交わしていた三人の視線が、一斉に扉へ集まる。
廃ビルの外からは風が吹き込む音しか聞こえない。
誰も動かない。静寂だけが、じわりと部屋を満たしていく。
すると再び──。
コン、コン。
今度は少しだけ強く扉が叩かれた。
三人とも無言のまま顔を見合わせる。
スピナーは腰の得物へそっと手を伸ばし、コンプレスも袖の中へ指を滑らせた。
マグネも自然と構えを取り、扉から半歩距離を置く。
緊迫した空気が張り詰める。
そして扉の向こうから、男の声が響いた。
「ちわー」
一拍置いて、
「ピザーラ神野店っす」
その場違いな一言に、三人は一瞬だけ顔を見合わせた。
「……何だそりゃ」
スピナーが眉をひそめる。
次の瞬間だった。
──ドォンッ!!
轟音が廃ビルを揺らした。
扉が内側へ爆ぜ飛び、蝶番ごと吹き飛ぶ。
木片と鉄片が弾丸のように室内へ飛び散り、爆風が酒瓶もグラスもまとめて薙ぎ払った。
「な──」
マグネが立ち上がるより早く、煙の中から人影が飛び込んでくる。
一直線。
煙を突き破り、爆豪勝己がバーへ殴り込んできた。
「なんだこいつっ!?」
コンプレスも椅子を蹴ろうとしたが遅い。
ドンッ!!
爆豪の肩がテーブルごとマグネへ激突した。
古びたテーブルは真っ二つに砕け、酒瓶が床へ散乱する。
「ぐぁっ!」
椅子ごと吹き飛ばされたマグネが背中から床へ叩き付けられる。
ほぼ同時に、爆豪は勢いを殺さずコンプレスへ体当たりした。
「おっと……!」
コンプレスは反応すら許されない。
椅子がひっくり返り、そのまま床へ押し倒される。
埃が舞い上がった。
マグネもコンプレスも、何が起きたのか理解する暇すらない。
気付けば二人とも床へ組み伏せられていた。
爆豪は片膝をつきながら身を低く構え、右手を突き出す。
掌から橙色の火花が激しく弾ける。
バチッ──バチバチッ。
室内へ硝煙の匂いが広がった。
「動くんじゃねぇ!」
怒号が狭いバーへ響き渡る。
爆ぜる掌が二人の顔先へ向けられる。
「少しでも動いたら殺……吹っ飛ばす!」
マグネは思わず息を呑んだ。
爆発まであと一瞬。そう本能が告げている。
コンプレスも袖へ滑らせかけた指を止めた。
ほんのわずかでも怪しい動きを見せれば、目の前の少年は躊躇なく爆発を起こす。
酒で鈍った頭でも、それだけは理解できた。
一方、扉の近くにいたスピナーだけは辛うじて爆風を避けていた。
「雄英生徒、爆豪……!」
突然現れた侵入者の名を、思わず口にする。
スピナーの意識は、爆豪へ完全に向いていた。
目の前ではマグネとコンプレスが制圧され、爆豪の掌からは今にも炸裂しそうな火花が散っている。
「くそっ……!」
得物へ手を伸ばす。
まずはあいつを──。
そう考えた、瞬間だった。
背後で、かすかな足音がした。
「え──」
振り返る間もない。
柔らかな手が、スピナーの肩へ軽く触れた。
「タッチ!」
少女の声。
直後、体がふっと軽くなる。
背後へ退いた麗日お茶子が、静かに拳を構える。
「……は?」
踏み込もうとした足が床を捉えない。
重心が消えた。
ぐん、と体が宙へ浮かび上がる。
「なっ!?」
スピナーは反射的に空を掻いた
足がぶらりと宙を泳ぐ。
「なん、なんだ……!」
背後へ跳び退いていた麗日が、静かに拳を構える。
「ごめん!」
スピナーは慌てて近くの柱へ飛びついた。
両腕で必死に抱き付き、爪を立てる。
「わ、わ、くそ……!」
だが無重力になった体では踏ん張りが利かない。
少し力を入れるだけで、自分の体がふわりと持ち上がってしまう。
壁へ手を伸ばす。窓枠を掴む。カウンターへ足を引っ掛ける。
必死に何かへ縋り付き、宙へ流されないよう耐える。
「面倒くせぇ!」
「今!」
麗日が一気に踏み込んだ。
柱へしがみ付くスピナーの腕を掴み、そのまま腰を落とす。
「なっ──」
ガンヘッド・マーシャルアーツ。
麗日お茶子が職場体験にて開眼した、対人格闘技術。
体重は意味を失っている。
だからこそ、わずかな力で体勢を崩せる。
麗日はスピナーの体を柱から引き剥がし、その勢いのまま大きく振り回した。
「はあぁっ!」
軽くなった体が、まるで布切れのように宙を舞う。
「しま──」
言い終える前に、
ドガァンッ!!
スピナーの背中がコンクリートの壁へ激突した。
鈍い衝撃音が室内へ響く。
「がっ……!」
肺から空気が一気に吐き出される。
無重力のまま壁へ叩き付けられた体は、その反動でゆっくりと跳ね返り、宙に浮いたまま苦しげに身をよじった。
麗日は距離を取って構えを崩さない。
床へ押さえつけられたコンプレスが、苦しげに首だけを動かした。
爆豪の背後では、吹き飛ばされた扉の残骸が廊下に散乱している。
そこから続いて入ってくる者はいない。
ヒーローの号令も、警察の足音も聞こえず、外にあるのは夜風と崩れかけた建物の軋みだけだった。
「ちょ、ちょっと待て!」
コンプレスが声を張り上げる。
「君ら学生だろ!?」
「あ?」
「無理やり押し入って、いきなり人を床へ叩きつけて……こんなことしていいと思ってんのか!? そもそも俺たちが犯罪者なんて証拠あるのか!?」
「どの口が言ってんだ、クソヴィランが! 飯食う時くらい仮面外してから言いやがれ!」
爆豪の掌で火花が大きく弾けた。
顔のすぐ横で響いた破裂音に、コンプレスは反射的に肩をすくめる。
「いや、そういう話じゃない! 手順ってものがあるだろう、手順が!」
「うるせぇ!」
爆豪はコンプレスの肩を押さえる力を強めた。
「てめぇらに説教される筋合いはねぇんだよ!」
「説教じゃなくて純粋な疑問さ!」
身動きの取れないまま、コンプレスは視線だけを入口へ向けた。
煙が薄れても、そこには誰も現れない。
相澤消太も、オールマイトも、警察の特殊部隊もいない。
外から包囲を告げる声すら聞こえず、目の前にいるのは、雄英高校の制服を着た少年と少女だけだった。
コンプレスの声から、わずかに余裕が消える。
「……おいおい」
仮面の奥の視線が、爆豪から麗日へと移った。
「後続は?」
「何の話だ」
「とぼけるなよ。ヒーローや警察はどこにいる?」
答えは返ってこない。
爆豪は眉間に皺を寄せたままコンプレスを睨み、麗日も浮遊するスピナーへ構えを向け続けている。
その態度が、何よりも雄弁だった。
「まさか……」
コンプレスの声が掠れる。
改めて入口を見る。誰も来ない。
窓の外にもサーチライトはなく、遠くからサイレンが近づいてくる気配もない。
「まさか、君ら……独断で来たのか!?」
「黙りやがれ!」
爆豪の怒声が、コンプレスの言葉を叩き潰した。
突きつけられた掌で火花が弾け、焦げた臭いが鼻を刺す。
わずかに腕を動かしただけで、その爆発が顔面に向けられることは疑いようもなかった。
「デクは──」
そこまで言いかけて、爆豪の口元が歪んだ。
一瞬だけ言葉に詰まり、それから噛み砕くように言い直す。
「……緑谷出久は、どこにいやがる」
床へ伏せたコンプレスとマグネを、鋭い視線が交互に射抜く。
「ここに居るのか、居ねえのか! 居ないなら何処に連れていきやがった!」
「俺たちも知らないんだよ! ボスが連れてった!」
コンプレスは努めて軽い調子を保とうとしたが、声の端に緊張が滲んでいた。
「行き先なんて聞かされてない。ボスは部下に何でも説明してくれるような親切な人じゃないからね」
「誤魔化すんじゃねぇ! ならそのボスに今すぐ連絡取れや!」
爆豪が掌を床へ押しつける。
小さな爆発が弾け、コンプレスの仮面のすぐ横で床板が抉れた。
破片が頬を掠め、さすがの彼も息を呑む。
「落ち着けよ、不良少年!」
コンプレスが床へ押さえつけられたまま声を張り上げた。
「このまま通報すれば、捕まるのは君らの方だぞ!? 不法侵入、器物損壊、おまけに個性による傷害だ! 雄英の生徒が聞いて呆れる!」
「知るかよ、んなこと」
爆豪は吐き捨てるように答えた。
掌をわずかに持ち上げる。
バチッ、バチバチッ。
細かな爆発が指の隙間で断続的に弾け、橙色の火花がコンプレスの仮面を照らす。
威嚇に過ぎないと分かっていても、至近距離で向けられれば無視できるものではない。
「俺が聞いてんのは一つだけだ。緑谷出久がどこにいるか、だ」
「だから知らないと言ってるだろう!」
「だからそのボスに連絡とれや!」
「連絡先も知らない! ありがちな話さ! 俺たちは所詮末端なのさ!」
コンプレスは必死に首を捻り、マグネへ視線を送る。
だがマグネも床に伏せたまま動けない。
少しでも身を起こそうとすれば、爆豪のもう一方の掌がすぐにこちらへ向けられる。
麗日は壁際でスピナーを警戒し続けている。
浮遊したままのスピナーも、柱や窓枠へ手を伸ばすことすらできず、苛立たしげに宙を漂っていた。
完全に制圧されていた。
その時だった。
──ゴォォォ。
突然、店の奥から水音が響いた。
場の全員が動きを止める。
コンプレスの声も、爆豪の掌で弾けていた火花も、一瞬だけ途切れた。
「……あ?」
爆豪が眉をひそめる。
音は、明らかに水洗便器が流れる音だった。
店の奥。酒棚のさらに向こう、薄暗い通路の先にある小さな扉。
誰も見ていなかったその扉の向こうから、今度は金具を外す音がした。
カチャ。
麗日が振り返る。
「まだ誰か……!」
「動くな!」
爆豪はコンプレスたちへの警戒を解かないまま、顔だけを奥へ向けた。
扉がゆっくりと開く。
中から現れたのは、頭から足先まで黒と灰色の全身タイツに包まれた男だった。
「ふう……」
トゥワイスは腹をさすりながら、どこか疲れた様子で個室から出てきた。
「いやあ、飲み過ぎた翌日の腹は最悪だな! 絶好調だ!」
そう言いながら一歩進み、顔を上げる。
そして、店の惨状を見た。
吹き飛ばされた入口。
真っ二つに砕けたテーブル。床に散乱した酒瓶と瓦礫。
宙に浮かされたまま壁際を漂うスピナー。
床へ組み伏せられているマグネとコンプレス。
トゥワイスの足が止まった。
「……何だこれ」
一拍遅れて、全身が大きく跳ねる。
「うわあああああっ!? 何だこれぇぇぇっ!?」
両手で頭を抱え、辺りを何度も見回す。
「店が壊滅してる! 模様替えか!? 最悪のセンスだ!」
「トゥワイス! 敵襲だ!」
壁際をふわふわと漂いながら、スピナーが叫んだ。
無重力にされた体は思うように動かず、手足をばたつかせるたび、かえってゆっくりと天井へ近づいていく。
その姿は緊迫した状況に似つかわしくないほど間の抜けたものだったが、本人にとっては笑い事ではない。
「遊んでんのかスピナー!? 楽しそうだな!」
トゥワイスは頭を抱えたまま叫び返した。
吹き飛ばされた扉。床に押さえつけられたマグネとコンプレス。宙を漂うスピナー。
そして、その全員を二人だけで制圧している雄英の生徒。
便所から出てきたばかりの頭では、到底処理しきれない。
「なんで子供がいる!? 授業参観か!?」
「違う! 襲撃だ!」
「分かってる! 初耳だ!」
トゥワイスは右を見て、左を見て、もう一度右を見た。
爆豪の掌では火花が散り、麗日は腰を落としてこちらを警戒している。
動けば攻撃される。動かなければ仲間がやられる。
判断が定まらず、全身タイツの男はその場で意味もなく足踏みした。
「どうすりゃいい!? 逃げるか!? 全員置いていこう!」
「トゥワイス!」
スピナーが苛立たしげに声を荒らげる。
「増やせ!」
その一言で、トゥワイスの動きが止まった。
「……増やす?」
数秒遅れて、意味を理解する。
「ああ、そうか!」
ぱん、と両手を打ち合わせた。
「俺の出番だ! 帰って寝よう!」
体を覆う黒い膜が、粘液のように蠢いた。
肩口からどろりと黒い塊が溢れ、床へ落ちる。塊は瞬く間に膨らむ。
手足を形作り、鱗に覆われた顔と派手な装備を備えていく。
ほんの数秒で、もう一人のスピナーがその場に立っていた。
「うおっ」
宙を漂う本物のスピナーが、自分と同じ姿を見下ろす。
「俺だ!」
「偽物だ!」
二人の声が重なった。
「行け!」
トゥワイスが麗日を指差す。
分身のスピナーは迷わなかった。
「おおおおっ!」
床を蹴り、一直線に麗日へ突進する。
「来る……!」
麗日は反射的に構えた。
だが、分身の狙いは彼女を倒すことではない。
大振りの腕を振り回し、麗日へ正面から組みつこうとする。
麗日は身を沈め、腕を取って投げようとした。
その瞬間、分身は無理やり体を捻り、麗日の肩へ掴みかかった。
「っ!」
麗日は掴まれる前に腕を振り払い、後方へ跳ぶ。
スピナーへの集中が切れた。
宙に浮いていた本物のスピナーが叫ぶ。
麗日はこみ上げる吐き気に顔を青ざめる。
舌打ちのような吐息と共に、両手の指を合わせた。
「解除!」
浮遊の個性が解かれる。
重力を取り戻したスピナーの体が、一気に床へ落ちた。
「ぐおっ!」
受け身を取る余裕もなく背中から瓦礫の上へ叩きつけられたが、それでも宙を漂い続けるよりはましだった。
スピナーは痛みに顔を歪めながらも、すぐさま床へ手をついて立ち上がろうとする。
「一人解放!」
トゥワイスが拳を突き上げた。
「一人も助かってない!」
さらに体から黒い塊が溢れ出す。
二つ目の塊が床へ落ち、またしてもスピナーの姿へ変わった。
続けて三つ目。
同じ顔、同じ装備、同じ体格のスピナーが、トゥワイスの前に並ぶ。
「よっしゃいけいけ!」
本物のスピナーが叫ぶ。
「足りない! 多すぎる!」
「まとめて行け!」
トゥワイスが爆豪へ腕を振り下ろした。
二体の分身が同時に床を蹴る。
「爆豪君!」
麗日が警告する。
爆豪はコンプレスとマグネを押さえたまま、視線だけを迫る二体へ向けた。
「雑魚が増えたところで──」
右手を持ち上げる。
「邪魔なんだよ!」
ドドンッ!
牽制の爆発が連続して放たれた。
狭い店内を爆風が駆け抜け、二体のスピナーを正面から飲み込む。
「ぐあっ!」
「俺が死ぬ!」
分身たちはまともに爆風を浴び、勢いよく後方へ吹き飛ばされた。
一体は壁へ激突し、もう一体は壊れたカウンターへ背中から突っ込む。
次の瞬間、二体の体に亀裂が走った。
皮膚も衣服も区別なく黒く崩れ、輪郭がぐにゃりと歪む。
「耐久力がない!」
「頑丈だ!」
二体の分身は矛盾した叫びを残し、どろりとした黒い泥へ変わった。
床に広がった泥も、ほどなく煙のように消えていく。
爆豪は掌から立ち上る煙を払うと、トゥワイスを睨みつけた。
「牽制程度のつもりだったんだがな。その分身、あんま頑丈じゃねえみたいだな」
「ひえっ」
トゥワイスが肩を跳ねさせる。
「怖くない! めちゃくちゃ怖い!」
だが、その間に本物のスピナーは立ち上がっていた。
背中を強く打ちつけたせいで足元はまだ覚束ない。
それでも得物へ手を伸ばし、麗日と爆豪の間へ割って入るように構える。
「さぁて……ボスとやらが出てくるまでボコってやるぜ」