間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第62話 木偶

 敵連合のバーから通りを二つ隔てた場所。

 

 シャッターの閉まった空きテナントの中には、静かな緊張が張り詰めていた。

 

 照明は最低限まで落とされ、外から見れば営業していない廃店舗にしか見えない。

 しかし内部には、全国から集められたヒーローと警察関係者が息を潜めている。

 

 オールマイトは入口脇の壁にもたれ、腕を組んだまま微動だにしない。

 他には根津やオールマイトとも交流の深い警視庁の塚内警部。

 雄英教師である相澤消太、セメントス、エクトプラズム、プレゼント・マイク。

 そして完全武装した警察の機動隊員たちが、防弾盾と自動小銃型捕縛銃を携え、いつでも突入できるよう配置についていた。

 

 部屋の中央には折り畳み机が並べられ、その上には神野区一帯の詳細な地図が広げられている。

 

 ホワイトボードにも同じ地図が磁石で貼り付けられ、敵連合のバーを中心に周辺道路、退路、警察車両の待機位置まで色分けされていた。

 

 その前へ立つのは、雄英高校校長・根津。

 

 片手にはスマートフォン。

 

 画面では『雄英高校緊急記者会見・ライブ配信中』という文字が映し出されている。

 

 壇上では校長代理と教員たちが深々と頭を下げ、記者たちのフラッシュが絶え間なく瞬いていた。

 

 だが──。

 

「……ライブ、ね」

 

 根津は苦い顔を浮かべ、小さく呟いた。

 

 その映像は生中継ではない。

 数十分前に撮影を終えていた録画映像を、あえて『現在進行中の会見』として配信しているだけだった。

 

 敵連合の目を欺くための陽動。

 

 今この瞬間、全国の視聴者は雄英高校が謝罪会見を続けていると思い込んでいる。

 敵も、そう信じているはずだった。

 

 根津はスマートフォンの画面を閉じることなく、視線だけをホワイトボードへ向ける。

 

 赤いマグネットで示された敵拠点。

 そこから青い矢印が何本も伸び、想定される逃走経路が記されている。

 

「塚内警部」

 

 根津はスマートフォンから目を離さないまま呼びかけた。

 

「突入の許可は下りたかい?」

 

 塚内は耳元の無線機へ手を添えたが、返答する前から表情は冴えなかった。

 

 根津は画面の中で頭を下げ続ける教員たちを見つめ、それから苛立ちを押し殺すように息を吐く。

 

「悠長に時間をかけるなら、わざわざこんな小細工をした意味がないじゃないか」

 

 普段の柔らかな調子は残っていたが、声の奥には明らかな棘があった。

 

 録画映像を生中継と偽り、教員たちが今も雄英に集まっているように見せかける。

 報道各社へ根回しし、配信時刻を揃え、警察車両も目立たない場所へ分散させた。

 

 そのすべては、ヴィランが油断している短い時間を突くためのものだ。

 時間をかければかけるほど、綻びは増える。

 

 敵が会見の不自然さに気づく可能性も、周辺住民が機動隊の動きを目撃する可能性も高くなる。

 

 塚内は苦々しく首を振った。

 

「残念ながら、許可はまだだ」

 

 室内の何人かが小さく息を呑む。

 

「再三にわたって要請しているんだが、証拠が不十分だと上が渋っている」

 

「不十分?」

 

 プレゼント・マイクが堪えきれず声を上げた。

 

「ヴィランのアジトが目と鼻の先にあって、うちの生徒が攫われてるんだぞ!?」

 

「静かにしろマイク。それに、正確にはヴィランの工作員となった生徒がいる、だ」

 

 相澤が鋭く制した。

 

 プレゼント・マイクは奥歯を噛み締めながらも口を閉じる。

 

「……本当に、緑谷が」

 

 プレゼント・マイクが、絞り出すように呟いた。

 

 先ほどまで苛立ちを露わにしていた声から勢いが消え、代わりに悔しさが滲んでいる。

 

「あいつが、自分からヴィラン側へ行ったってのかよ」

 

 誰に尋ねるでもない問いだった。

 

 緑谷出久が雄英へ入学してから、まだ一年も経っていない。

 それでも、教師たちは彼がどのような生徒かを知っているつもりだった。

 

 無茶をして、自分の身を顧みず、困っている者を見れば考えるより先に手を伸ばす──教師たちは、緑谷をそんな生徒だと理解していた。

 

 危ういほど真っ直ぐで、ヒーローになることを疑ったことなど一度もないように見えた。

 

 その生徒が、内通者だった。

 

 しかも単なる脅迫や洗脳ではなく、自らの意思でオール・フォー・ワンに与した可能性が高い。

 

「ネットで騒がれてる内容だって憶測が殆どだぜ。ありゃ意図的な炎上だ。警察が情報統制を行ってたのに個人情報まで流出しちまった」

 

 プレゼント・マイクは拳を握った。

 

「誰かに脅されてたのかもしれねえ。家族を人質に取られてたとか、逃げられない事情があったとか……そういう可能性だってあるはずだ」

 

「可能性なら、いくらでもある」

 

 相澤が答えた。

 

 冷静な声だったが、その視線はプレゼント・マイクではなく、ホワイトボードに貼られた敵拠点の地図へ向けられている。

 

「だが、分かっている事実もある。緑谷は雄英の情報を敵へ流し、USJ・林間学校襲撃に関与した。ステインと接触していた疑いもある」

 

「だからってよ……」

 

「分かってる」

 

 相澤は短く遮った。

 

 眠たげに細められていることの多い目は、今は地図上の一点を鋭く見据えていた。

 

 担任として、緑谷出久を信じたい気持ちがないわけではない。

 

 むしろ逆だった。

 

 信じていたからこそ、本人の口から聞かなければならない。

 

 なぜ雄英へ入学したのか。

 

 いつから敵と通じていたのか。

 

 教室で笑っていた時間も、訓練で傷つきながら立ち上がった姿も、仲間を助けようとした行動も、すべてが演技だったのか。

 

 そして何より──本当に、あの巨悪へ自ら忠誠を誓ったのか。

 

「俺は本人に聞く」

 

 相澤は低く言った。

 

「捕まえて、こちらへ連れ戻して、全部問いただす」

 

 プレゼント・マイクが顔を上げる。

 

「緑谷が何をしたのかも、何を考えていたのかも、あいつ自身の口から聞く。それまでは、報道も警察の推測も鵜呑みにはしない」

 

「……イレイザー」

 

「だが」

 

 相澤の声が一段冷たくなる。

 

「本当に自分の意思でオール・フォー・ワンに与し、クラスの連中を売ったというなら、その時は生徒としてではなく、ヴィランとして拘束する」

 

 教師としての情と、ヒーローとしての責務。

 どちらか一方を捨てることなどできない。

 その間で揺れながらも、相澤の言葉には迷いがなかった。

 

 オールマイトは壁際で腕を組んだまま、何も言わなかった。

 俯いた顔は影に隠れ、表情を窺うことができない。

 

「……本人へ確認するためにも、まずは身柄を確保しなければならない」

 

 根津が静かに言った。

 先ほど机へ伏せたスマートフォンを手に取り、画面を確認する。

 

 録画された謝罪会見は、予定どおり配信を続けている。

 記者たちは厳しい質問を浴びせ、壇上の教員たちは沈痛な表情で頭を下げていた。

 敵の注意を雄英へ引きつけるために用意した芝居。

 

 それにもかかわらず、突入部隊は一歩も動けないままだ。

 

「塚内警部」

 

「ああ、分かっている」

 

 塚内は無線機を握り直した。

 

「本部、こちら神野現地指揮所。対象建物への突入許可について、回答を求む。繰り返す、回答を──」

 

『現地指揮所、待機せよ』

 

 返ってきたのは、先ほどと変わらぬ返答だった。

 

『現在、関係部署と協議中。対象建物が敵連合拠点であるとの確証が不足している。現場部隊は現在位置を維持し、追加情報を待て』

 

 塚内の眉間に深い皺が刻まれる。

 

「追加情報を待っている間に、対象が移動したらどうする」

 

『現時点で突入は認められない。命令を厳守せよ』

 

 通信が切れた。

 空きテナントの中へ、重い沈黙が落ちる。

 

 機動隊員たちは防弾盾を構えたまま、指揮官の命令を待っている。

 ヒーローたちも既に出動できる状態にあったが、誰一人としてシャッターへ向かうことはできない。

 

 敵の拠点は、通りを二つ隔てた先にある。

 走れば一分もかからない。

 それほど近くにいながら、書類上の確証が足りないという理由だけで動きを封じられている。

 

「関係部署と協議中、か」

 

 根津はスマートフォンを強く握った。

 小さな手の中で端末が軋む。

 

「彼らが会議室で責任の所在を相談している間にも、敵は動いているというのに」

 

「俺の権限で出せるのは、周辺警戒と避難準備までだ」

 

 塚内が苦々しく答える。

 

「突入命令を強行すれば、部隊全体が命令違反になる。後から俺一人が責任を取れば済む話じゃない」

 

「理解はしているよ」

 

 根津は答えた。

 理解している。

 だが、納得はしていない。

 その違いは、声音だけで十分に伝わった。

 

 壁に掛けられた時計の秒針が進む。

 誰も口を開かないまま、さらに十数秒が過ぎた。

 

 その時、塚内の無線機から激しい雑音が弾けた。

 

『──こちら監視班! 現地指揮所、応答願います!』

 

 先ほどまでの事務的な通信とは違う。

 切迫し、明らかに慌てた声だった。

 

 塚内が即座に無線機を口元へ寄せる。

 

「こちら現地指揮所。何があった」

 

『対象建物周辺を監視中、内部で戦闘が発生している模様! 爆発音と複数の衝撃音を確認しました!』

 

 室内の空気が変わる。

 オールマイトが壁から背を離し、相澤は無意識に捕縛布へ手を伸ばした。

 

「敵同士の争いか?」

 

『いえ、それが──』

 

 無線の向こうで、報告者が息を呑む。

 

『雄英生徒らしき二名が、ヴィランのアジトに突入! 現在、内部で戦闘を行っている模様です!』

 

「…………」

 

 誰も反応できなかった。

 

 根津はスマートフォンを持ったまま固まり、塚内は無線機を口元へ当てた姿勢で目を見開いている。

 相澤の手から、掴みかけた捕縛布が僅かに滑り落ちた。

 

「……は?」

 

 最初に声を漏らしたのは、プレゼント・マイクだった。

 

「雄英生徒が、二人?」

 

 セメントスが聞き返す。

 

「敵の拠点へ突入した、と言ったのか?」

 

『はい! 建物正面の扉は爆破されており、内部では複数人が交戦中! 監視位置から一瞬だけ姿を確認しましたが、制服と外見から雄英高校一年生の可能性が極めて高いです!』

 

「待て」

 

 相澤が塚内の持つ無線機へ詰め寄った。

 

「特徴を言え」

 

『一人は金髪の男子生徒! 掌から爆発を発生させています!』

 

 相澤の顔から、僅かに血の気が引いた。

 

 オールマイトが低く呟く。

 

「爆豪少年……」

 

『もう一人は女子生徒! 茶色の短髪で、対象を浮遊させる個性を使用している模様!』

 

「麗日少女まで……!」

 

 全員が言葉を失った。

 

 教師たちは、二人が今夜どこにいるのかを確認していたはずだった。

 少なくとも学校や警察へ、敵拠点に向かうという報告は一切届いていない。

 

 根津はゆっくりとスマートフォンの画面を見下ろした。

 録画映像の中では、雄英高校が生徒の安全管理について謝罪している。

 実際の雄英生二名は、教師にも警察にも告げず、ヴィランの拠点へ殴り込んでいた。

 

「……なんてことだ」

 

 塚内が額を押さえる。

 

「どうやって場所を突き止めた」

 

「今はそこじゃない」

 

 相澤の声は低かった。

 驚愕は消えていない。

 だが、それ以上に強い怒りと焦りが、その表情へ浮かんでいた。

 

「あの馬鹿どもが、ヴィラン相手に二人だけで戦ってる。無許可で、個性の使用を躊躇せずにだ」

 

「二人だけじゃない」

 

 根津が地図へ目を向ける。

 

 赤いマグネットで示された建物。

 その周囲には、まだ確認できていない敵戦力が潜んでいる可能性もある。

 

「彼らが突入したことで、敵は拠点が発覚したと判断する。増援を呼ぶか、証拠を消して逃走するはずだ」

 

 根津は塚内を見上げた。

 先ほどまでの苛立ちは消えていた。

 代わりに、冷たく研ぎ澄まされた決断が宿っている。

 

「塚内警部」

 

「ああ」

 

 塚内も既に無線機を握り直していた。

 

「これで証拠不十分とは言わせない」

 

 通信回線を本部へ切り替える。

 

「本部、こちら神野現地指揮所! 対象建物内部で雄英高校生二名と敵性勢力の交戦を確認! 未成年者の生命に明白かつ切迫した危険あり!」

 

 塚内の声が空きテナントへ響く。

 

「緊急救助および被疑者確保のため、突入許可を要請する! 至急回答せよ!」

 

 根津はホワイトボードへ手を伸ばし、赤いマグネットを中心に配置された部隊の位置を確認する。

 

 オールマイトは拳を握り、相澤はゴーグルを下ろした。

 

 プレゼント・マイクも喉元へ手を添え、先ほどまでの動揺を押し殺すように深く息を吸う。

 

 

 

 

 

 

 ──

 

 場面は再び、敵連合のバーへ戻る。

 

 室内には焼け焦げた臭いと、割れた酒瓶から漂うアルコールの匂いが入り混じっていた。

 床には黒い泥の残滓がわずかに残り、砕けたテーブルや椅子が戦闘の激しさを物語っている。

 

 爆豪はコンプレスの背を膝で押さえつけたまま、右手をその仮面へ突きつけていた。

 左手は少し離れた位置で伏せるマグネへ向けられている。

 

 両方の掌から絶えず細かな火花が弾け、わずかでも怪しい動きを見せれば、即座に爆発を叩き込むと無言のまま告げていた。

 

「ボスとやらが出てくるまでボコってやるぜ」

 

 爆豪が低く唸る。

 

「いやいや……もうボロボロだって」

 

 コンプレスは床へ頬を押しつけられながらも、努めて軽い口調を崩さなかった。

 

「店を壊して、人を踏みつけて、顔の横で爆発まで起こしてる。これ以上となると、いよいよ笑えないぞ」

 

「だったら黙ってろ」

 

 爆豪の指がわずかに曲がる。

 

 バチン、とひときわ大きな火花が弾け、コンプレスの仮面に橙色の光が映った。

 

「はい、黙ります」

 

 即座にコンプレスが口を閉じる。

 

 マグネも腕を床につけたまま、爆豪の左手から目を離そうとしなかった。

 

「まったく、最近の雄英生は教育がなってないわねぇ」

 

「てめえも黙れ!」

 

「はいはい」

 

 一方、少し離れた場所では、麗日が本物のスピナーとその分身へ向き合っていた。

 

 本物は壁と床へ叩きつけられた痛みを堪えながら得物を構え、その隣では複製されたスピナーが麗日の動きを遮るように立っている。

 

 その後方にはトゥワイス。

 さらに分身を生み出そうとしているのか、全身を覆う黒い膜が不規則に波打っていた。

 

「どうする! 増やすか!? もう増やすな!」

 

「増やせ!」

 

 スピナーが怒鳴る。

 

「マグ姐たちを助けるんだ!」

 

「名案だ! 絶対に失敗する!」

 

 トゥワイスが両手を広げる。

 麗日はその動きを見逃さなかった。

 

「させない!」

 

 床を蹴り、トゥワイスとの距離を詰めようとする。

 しかし、スピナーの分身がその進路へ割って入った。

 

「行かせねえ!」

 

 大振りの得物が横薙ぎに振るわれる。

 

 麗日は上体を沈め、頭上を通過する刃を避けた。そのまま懐へ潜り込もうとするが、本物のスピナーも横から踏み込み、二人がかりで進路を塞ぐ。

 

「くっ……!」

 

 麗日は後方へ跳び、体勢を整え直した。

 

 数だけならヴィラン側が上回っている。

 爆豪は二人を制圧しているため自由に動けず、麗日は本物と分身のスピナーを同時に相手取らなければならない。

 そのうえトゥワイスを放置すれば、敵の数はさらに増える。

 

 形勢は少しずつ崩れ始めていた。

 

「爆豪君!」

 

「見りゃ分かる!」

 

 爆豪は苛立たしげに返した。

 だが、コンプレスとマグネから手を離すわけにはいかない。

 どちらも個性を使う隙さえ与えれば、状況をひっくり返しかねない相手だ。

 

 爆豪は二人を牽制しながら、視線だけをトゥワイスへ向けた。

 

「そこの全身タイツ!」

 

「俺か!? 俺じゃない!」

 

「次に何か出しやがったら、てめえごと吹っ飛ばす!」

 

「怖くないぞ! やめてください!」

 

 トゥワイスは慌てて両腕を胸の前へ引いた。

 

 その時だった。

 

 カチッ。

 

 場違いなほど小さな電子音が鳴った。

 最初は誰も反応しなかった。

 割れた酒瓶が転がった音か、爆発で壊れかけた機器が誤作動を起こした程度にしか聞こえなかったからだ。

 

 続いて、低い駆動音が響く。

 

 ヴゥン──。

 

 薄暗い室内の一角に、青白い光が灯った。

 

「……あ?」

 

 爆豪が眉を寄せる。

 

 カウンターの端。

 

 酒瓶やグラスの陰に隠れるように置かれていた、一台のノートパソコン。

 

 戦闘の衝撃で画面は半ば閉じ、表面には埃が積もっている。それまで電源が落ちていたはずの端末が、誰も触れていないにもかかわらず起動していた。

 

 画面に企業ロゴが浮かび、数秒後には黒一色へ変わる。

 

「丸顔」

 

「うん」

 

 二人の意識が、同時にパソコンへ向いた。

 

 ヴィランたちも動きを止めている。

 トゥワイスは首を傾げ、マグネは床へ伏せたまま目を細めた。

 スピナーだけは何かに気づいたように、わずかに表情を強張らせる。

 

 黒い画面の中央に、白い円が浮かび上がった。

 円の外周を細い線が回転し、接続処理を示す文字列が一瞬だけ流れて消える。

 

 やがて、画面から柔らかな声が聞こえた。

 

『やあ』

 

 穏やかで、親しみさえ感じさせる声だった。

 

『雄英の未来ある不良少年少女たち』

 

 麗日の肩が跳ねる。

 

 爆豪は反射的にパソコンへ右手を向けかけたが、その瞬間、下にいるコンプレスが身じろぎした。

 

「てめえか!」

 

「なんもしてないって!」

 

 爆豪は舌打ちし、再び二人へ掌を向け直す。

 

 パソコンの画面には、顔も姿も映っていない。

 黒い背景と白い円。

 それだけだった。

 

 だが、スピナーはその声の主を知っていた。

 

「おい、ボス!」

 

 焦燥を露わにし、パソコンへ向かって叫ぶ。

 

「こいつら雄英生だ! この場所がバレてるぞ!」

 

『見れば分かるとも』

 

 声は落ち着いたままだった。

 襲撃を受けているという報告を聞いても、驚きも焦りも感じられない。

 

『爆豪勝己君。そして麗日お茶子さんだね』

 

『初めまして、だね』

 

 パソコン越しの声は、場違いなほど穏やかだった。

 

『クラスメイトの緑谷出久君を助けに来たんだろう?』

 

 麗日の表情が強張る。

 爆豪はコンプレスとマグネを押さえつけたまま、画面を睨み返した。

 

『だが残念』

 

 声は優しいまま、言葉だけが冷たく響いた。

 

『彼はもう、こちら側の人間だ』

 

 その瞬間、爆豪の掌で火花が激しく弾けた。

 

「テメェがそう仕組んだんだろうが!」

 

 怒声と同時に、床へ伏せたコンプレスのすぐ脇が小さく爆ぜる。

 

「うわっ!」

 

 爆風に煽られ、コンプレスの仮面が床へ擦れた。

 

「当たってる! ほとんど当たってるぞ!」

 

「うるせえ!」

 

 爆豪は視線をパソコンから外さなかった。

 

「デクが勝手にヴィランになったみてえな言い方すんじゃねえ! てめえが近づいて、利用して、逃げ道を潰したんだろ!」

 

『なるほど』

 

 オール・フォー・ワンは小さく笑った。

 

 嘲るような笑いではない。子供が期待どおりの答えを口にしたことを喜ぶような、愉快そうな笑いだった。

 

『君は随分と彼を信じているんだね、爆豪勝己君』

 

 オール・フォー・ワンは爆豪の言葉を咎めなかった。

 

 むしろ、興味深そうに名前を呼ぶ。

 

『君の考えは半分正しい』

 

「あァ?」

 

『私は緑谷君へ道を示した。それは認めよう。だが、歩くことを選んだのは彼自身だ』

 

「だから、それを仕組んだって言ってんだ!」

 

 爆豪の額に青筋が浮かぶ。

 

『君は随分と怒っているね』

 

「あたりめえだろうが!」

 

『彼が裏切ったから?』

 

 爆豪の目が細くなる。

 

『それとも、自分の知らないところで彼が人生を決めたことが許せないのかな』

 

 爆豪の掌から、乾いた破裂音が鳴った。

 今度は威嚇ではない。

 感情に反応した汗が、小さく爆ぜただけだった。

 

「……殺すぞ」

 

『それは困るな。画面を壊しても、私は死なないよ』

 

 オール・フォー・ワンは愉快そうに笑い続ける。

 

 マグネは爆豪の左手を警戒しつつ、パソコンへ視線を向けた。

 

「ボス、悠長に話してて平気なの? この子たちが来たなら、警察も気づいてるんじゃない?」

 

『その心配はない、とは言えないね』

 

 声の調子がわずかに変わった。

 穏やかさは失われていない。

 だが、敵連合の構成員たちは、その奥に何らかの判断が下されたことを感じ取った。

 

『足止めしていた警察も、君たちの突撃を受けて突入してくる頃合いかな』

 

「足止め?」

 

 麗日が聞き返す。

 

 スピナーも訝しげにパソコンを見た。

 

「どういう意味だ、ボス」

 

『言葉のままだよ。彼らはかなり前から、この場所の近くにいた』

 

 その言葉に、爆豪の眉が動く。

 

「……何?」

 

『ヒーローと警察は、通りを二つ隔てた空きテナントに待機している。雄英の教師もいるだろう』

 

「先生たちが……?」

 

 麗日は目を見開いた。

 

 驚きの直後、その表情に別の感情が浮かぶ。

 

 安堵ではない。

 

 困惑と、怒りに近い失望だった。

 

「だったら、どうして来ないの」

 

『許可が下りていなかったからさ』

 

 オール・フォー・ワンは答える。

 

『敵連合の拠点だという証拠が足りない。犯罪が行われている確証もない。警察という組織は、理由なく民間の建物へ突入できないからね』

 

「俺らが入ってんのにか」

 

『君たちが入るまでは、だよ』

 

 白い円が画面上で緩やかに収縮する。

 

『君たちが扉を吹き飛ばし、個性を使って戦闘を始めた。これで彼らには未成年者の救助という、非常に分かりやすい理由ができた』

 

 爆豪は何も言わなかった。

 

 自分たちの行動が、結果として外にいるヒーローたちへ突入の口実を与えた。

 それは望んでいた展開のはずだった。

 それでも、オール・フォー・ワンの口から語られると、すべてが掌の上で転がされているように聞こえた。

 

 画面から小さな笑い声が漏れる。

 

『ふふ……』

 

 短い笑いは、すぐに大きくなる。

 

『ははは……これは困ったなぁ』

 

 まるで面白い芝居でも見ているかのような、愉快そうな声音だった。

 

 爆豪は顔をしかめる。

 

「何がおかしいんだ、クソ野郎が」

 

『せっかく用意した敵連合が、一網打尽にされてしまう』

 

 パソコンの向こうで、椅子にもたれ掛かるような衣擦れの音がした。

 

『それは、あまりに惜しい』

 

 スピナーが慌てて画面へ身を乗り出す。

 

「ボス!」

 

 焦りを隠そうともせず叫ぶ。

 

「警察が来るなら、俺たちは!」

 

『慌てる必要はないよ』

 

 オール・フォー・ワンはさらりと言う。

 

 そして、不意に誰かへ視線を向けたように、声の方向が僅かに変わった。

 

『……ちょっと行って、助けてあげなさい』

 

 バーの中が静まり返る。

 

 爆豪が眉をひそめる。

 

「誰に話してやがる」

 

 返事はない。

 

 だが、パソコン越しには誰かが静かに立ち上がる衣擦れと、靴音だけが微かに聞こえた。

 

『彼らだけでは少し荷が重いだろう』

 

 その言葉が終わるのと、ほぼ同時だった。

 

 トゥワイスのすぐ横。

 

 何もなかった床が、音もなく黒く染まり始める。

 

「なっ……!」

 

 麗日が反射的に距離を取る。

 

 黒い染みは液体のように広がり、床板の隙間を埋め尽くしていく。

 粘り気を帯びた黒い泥。

 見覚えのある光景だった。

 

「USJの時の……ワープ!」

 

 黒い泥はゆっくりと盛り上がり、人一人が通れるほどの楕円形を描いていく。

 門とも、穴ともつかない黒い空間。

 その奥は何も見えない。

 

 爆豪の掌に火花が走る。

 

「来るぞ!」

 

 全員の視線が黒い泥へ集中する。

 

 次の瞬間。

 

 その闇の中から、一歩。

 ゆっくりと一人の人影が踏み出した。

 黒いブーツ。細身の脚。

 見慣れた制服ではなく、黒を基調とした服装。

 

 さらにもう一歩。

 

 全身が闇から現れる。

 

 癖のある緑色の髪。

 伏せられた視線。

 そして静かな表情。

 

 誰もが、その姿を知っていた。

 

「……デク」

 

 爆豪の口から、思わず名前が零れる。

 

 麗日の瞳が大きく揺れた。

 

「デク君……」

 

 黒い泥から完全に姿を現した緑谷出久は、一度だけ周囲を見回した。

 

 目の前では爆豪がコンプレスとマグネを押さえつけ、麗日はスピナーたちと対峙している。

 

 割れたテーブル。焼け焦げた床。漂う火薬の匂い。

 そのすべてを静かに見渡した後、緑谷はゆっくりと顔を上げた。

 翠色の瞳が、爆豪と麗日を真っ直ぐに映す。

 ほんの一瞬だけ、その瞳が揺れたようにも見えた。

 だが、それはすぐに消える。

 

 パソコンの向こうから、オール・フォー・ワンが穏やかに告げた。

 

『紹介しよう』

 

 その声音には、どこか誇らしささえ滲んでいた。

 

『名前は……そうだ。せっかくだから、君が彼に与えた名前を借りるとしよう』

 

 トゥワイスは歓声を上げようとして口を押さえ、スピナーは安堵したように肩の力を抜く。

 

『僕の可愛い後継者。ヴィラン名──“デク”だ』

 

 

 

 

 

 

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