間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第66話 緑谷出久のヒーロー分析

 巨大な触手が、道路の反対側へ吹き飛ばされる。

 

 分厚い黒鱗を砕きながら建物へ激突し、外壁を大きく陥没させた末に、ようやく動きを止めた。

 

 戦場が静まり返る。

 誰もが、その一撃の威力を理解できなかった。

 

「……何だ、今のは」

 

 プロヒーローの一人が呆然と呟く。

 

 数秒前まで、誰も止められなかった触手だった。

 巨大化。

 硬質化。

 複数個性による強化。

 それらを重ねた一撃を、真正面から拳一つで弾き飛ばした。

 

 その青年は、軽く膝を曲げて着地する。

 靴底がアスファルトを擦り、土煙が舞った。

 真っ赤なマントが大きく翻る。

 その周囲では、緑色の稲妻が絶え間なく弾けていた。

 

 ぱちぱち、と。

 雷鳴にも似た音を立てながら、緑の閃光が腕を、肩を、全身を駆け巡っている。

 

 やがて青年はゆっくりと立ち上がった。

 その背中は、オールマイトとオール・フォー・ワンのちょうど中間にある。

 

 振り返った彼の顔には、場違いなほど明るい笑顔が浮かんでいた。

 

「オールマイト! お無事ですか!」

 

 力強い声だった。

 先ほどまで戦場を覆っていた重苦しい空気を吹き飛ばすような、真っ直ぐな声。

 

 ミリオは親指を立てる。

 満面の笑みのまま、大きくサムズアップした。

 

「遅ればせながら――」

 

 白い歯が覗く。

 

「不肖の弟子、ルミリオン到着いたしました!」

 

 一瞬だけ、戦場の時間が止まる。

 

「……通形、少年」

 

 オールマイトが目を見開いた。

 

 立ち上がることさえ苦しい身体だった。

 それでも、その笑顔を見た瞬間だけは、僅かに肩の力が抜ける。

 

「雄英から、最短距離で突っ込んできました」

 

 そう言うと、申し訳なさそうに頭を掻いた。

 

「途中で地下鉄やら下水道やら配管やら、いろいろ透過してきたので少し遅れちゃいましたけど」

 

 その口調は普段と変わらない。

 

 目の前にいる相手が、かつて日本を支配した魔王であろうとも。

 

 街が半壊していようとも。

 

 師の教えを守り、彼は笑っていた。

 

「でも、もう安心してください!」

 

「俺が来ましたからね!」

 

 ミリオ──ヒーロー名ルミリオンは再び前を向く。

 

 緑色の稲妻が、その身体を取り巻くように激しく奔る。

 空気が震えた。

 アスファルトへ細かな亀裂が走る。

 ただ立っているだけで、大気が軋んでいる。

 

 オール・フォー・ワンは黙ってその姿を見つめていた。

 

 人工呼吸器が低く作動する。

 

 しゅう、と。

 

 しゅう、と。

 

 焼け爛れた顔に表情はない。

 それでも。

 先ほどまで愉快そうに揺れていた触手が、ぴたりと止まる。

 

 ゆっくりと。

 

 魔王の頭部が僅かに傾いた。

 

「……なるほど」

 

 低く唸るような声だった。

 焼け潰れた頭部が、ミリオの全身を見据える。

 

 緑色の稲妻。

 巨大化した触手を一撃で吹き飛ばした圧倒的な破壊力。

 

 どれも、いやというほど見覚えがある。

 

「君が後継か……」

 

 オール・フォー・ワンは、それ以上何も言わない。

 焼け爛れた頭部がわずかに俯く。

 

 彼の背後で、大地を覆う影が一斉に蠢いた。

 

「通形少年!」

 

 オールマイトが叫ぶ。

 

 オール・フォー・ワンの背後から、あの巨大な触手が持ち上がる。

 先ほど雑居ビルを中腹から薙ぎ払い、数百トンの瓦礫を生み出した黒鱗の触手。

 

 それだけではない。

 

 左右に控えていた巨大触手も次々と鎌首をもたげる。

 

 そのすべてが、ただ一人。

 ルミリオンだけを見据えていた。

 

「君の弟子はどのくらい出来るかな」

 

 淡々とした声だった。

 

 その瞬間。

 

 轟ッ!!

 

 三本の巨大触手が、空気を引き裂きながら襲い掛かった。

 

 建物ほどもある質量が、一斉に振り下ろされる。

 

 風圧だけで街路樹が根元から折れ、砕けたガラスが竜巻のように舞い上がった。

 

「ルミリオン!」

 

 塚内が叫ぶ。

 

 逃げ場はない。

 

 正面。

 左右。

 さらに背後へ回り込むように別の触手まで伸びる。

 完全な包囲。

 

 だが。

 

「なんの!」

 

 ルミリオンは笑っていた。

 

 右足を踏み出す。

 

 身体が、触手へ沈み込んだ。

 

「――!」

 

 巨大な黒鱗が、彼の身体を飲み込む。

 

 いや。

 

 触れたはずの肉体は、そこになかった。

 触手は空を切り、互い同士が激突する。

 黒鱗が砕け、火花が散った。

 

 その一瞬。

 

 地中へ透過していたルミリオンの身体が、アスファルトの下を一直線に駆け抜ける。

 

 視界も。

 

 音も。

 

 光さえ失われた漆黒の世界。

 

 それでも彼は迷わない。

 

 個性『透過』。

 

 あらゆる物体をすり抜ける個性。

 そして、その最大の応用。

 透過を解除した瞬間、物体の内部へ存在できなくなった身体は、外部へと弾き出される。

 

 その反発力こそが、ルミリオン最大の武器だった。

 地面を透過したまま加速する。

 

 さらに深く。

 

 さらに速く。

 

 限界まで潜り込む。

 

 そして。

 

「いくよタコ怪人!」

 

 透過を解除。

 

 アスファルトそのものがルミリオンを弾き飛ばした。

 緑色の稲妻を纏った身体が、地上に飛び出す。

 

 オール・フォー・ワンの瞳が僅かに動いた。

 

 眼前。

 

 そこに。

 

 ルミリオンが立っていた。

 

「DETROIT──」

 

 距離は、拳一つ。

 魔王へ肉薄するまで、わずか数秒。

 

 赤いマントが大きく翻る。

 緑色の雷光が右腕へ集中した。

 筋肉が膨れ上がる。

 拳を握る。

 

 その一撃へ、全身の力が収束していく。

 

「SMAAAAASH!!!!!!!」

 

 ――炸裂。

 

 ルミリオンの拳が、オール・フォー・ワンの胸部へ深々とめり込んだ。

 緑色の稲妻が一斉に弾ける。

 

 圧縮された衝撃が一点へ叩き込まれ、焼け爛れた肉体がくの字に折れ曲がった。

 触手が支えていた身体ごと、オール・フォー・ワンは砲弾のような勢いで吹き飛ばされた。

 

 道路を滑る。

 アスファルトが抉れる。

 触手が何本も地面へ突き刺さり、無理やり勢いを殺そうとする。

 

 それでも止まらない

 

 若い警察官が歓声を上げる。

 

「今のは効いた!」

 

 誰もがそう思った。

 

 あの魔王が。

 

 全盛期のオールマイト以外には決して崩されなかった絶対の存在が、真正面から殴り飛ばされたのだ。

 

 だが。

 

「……ッ!」

 

 ルミリオンの表情が変わる。

 

 拳へ伝わってきた感触。

 何かがおかしい。

 殴った瞬間。

 自分の力とは別の衝撃が、拳から腕へ流れ込んできた。

 

「しまっ――」

 

 言葉は最後まで続かなかった。

 

 どんッ!!

 

 オール・フォー・ワンの身体から、殴り返すような衝撃が解き放たれる。

 ルミリオンの右腕が大きく跳ね上がった。

 打ち込んだ威力が、そのまま反転したかのような衝撃が身体を貫く。

 

「ぐあああッ!」

 

 赤いマントが大きく翻る。

 

 ルミリオンの身体は勢いよく宙へ弾き飛ばされた。

 何度も回転する。

 道路へ叩き付けられる。

 着地の寸前で咄嗟に透過を発動し、衝撃を地面へ逃がす。

 

 それでも勢いは殺し切れない。

 数十メートル先まで滑走し、ようやく片膝を突いて止まった。

 アスファルトへ深い一本の傷跡が刻まれる。

 

「通形少年!」

 

 オールマイトが叫ぶ。

 

「大丈夫です!」

 

 荒い息を吐きながらも、ルミリオンはすぐに立ち上がる。

 

 右腕は痺れていた。

 骨までは折れていない。

 しかし、拳を打ち込んだはずの自分が、逆に殴られたような鈍い痛みが全身へ残っている。

 

「今のは……衝撃を返した? これも個性なのか、なんでもありなんだね」

 

 緑色の稲妻がなおも身体を駆け巡る。

 

 その視線の先。

 土煙の中から、一つの影がゆっくりと立ち上がった。

 

 人工呼吸器が空気を送り込む。

 折れ曲がっていた触手が、ぎしり、と音を立てながら身体を支える。

 砕けた胸部装甲の隙間から血液が滴り落ちた。

 口元から流れた血が、焼け爛れた顎を伝って落ちる。

 

 オール・フォー・ワンは無言のまま、その血を指先でゆっくりと拭った。

 

 人工呼吸器が深く作動する。

 

「……痛いね」

 

 その声に怒気はない。

 

 焼け潰れた顔が、ルミリオンを真っ直ぐ向く。

 

「中々のスピードだ」

 

 触手が一本、身体の均衡を取り直すように位置を変える。

 

「それに、その回避能力」

 

 人工呼吸器の奥から、小さく息が漏れた。

 

「反則じみているね。組み合わせが難しいから僕は要らないが……限界まで研鑽された個性だ」

 

 オール・フォー・ワンは、戦闘中とは思えないほど落ち着いた口調で分析を続ける。

 

「触れられない相手を捉えるのは、骨が折れる」

 

 一瞬だけ沈黙が流れる。

 

 そして。

 

「だが」

 

 焼け爛れた頭部がわずかに傾く。

 

「パワーは、まずまずだね」

 

 戦場が静まり返った。

 誰もが耳を疑う。

 あれだけの一撃を受けてなお、「まずまず」と評したのだ。

 

 オール・フォー・ワンは、まるで品評でもするように続けた。

 

「全盛期のオールマイトと比べれば……」

 

 人工呼吸器が、しゅう、と乾いた音を鳴らす。

 

「半分程度かな」 

 

(──ご名答!)

 

 ルミリオンは笑顔を崩さないまま、内心で舌を巻いた。

 

 たった一度。

 それも、まともに受けた拳は一発だけ。

 それだけで、オール・フォー・ワンはほとんど正確にルミリオンの出力を見抜いていた。

 

(僕のワン・フォー・オール、その限界許容量は五十パーセント)

 

 全身を巡る緑色の稲妻が、ぱちりと爆ぜる。

 

 右腕の奥では、先ほど跳ね返された衝撃がまだ鈍く疼いていた。

 筋肉は張り詰め、骨の芯まで熱を持っている。

 

 表面上は平然としているが、余裕があるわけではない。

 むしろ逆だった。

 

(これでも、結構無理してるんだけどね)

 

 受け継いでから今日まで、肉体を鍛え、出力を細かく調整し、透過と共存させるために何度も失敗を重ねてきた。

 透過中は呼吸すらできない。

 視界も失う。

 そこへ、全身を破壊しかねないほど強大な力を同時に制御しなければならない。

 

 個性を解除する瞬間。

 地中から押し出される方向。

 ワン・フォー・オールを解放する部位。

 

 そのすべてを一瞬で選び取る必要がある。

 一つでも間違えれば、敵を殴る前に自分の身体が壊れる。

 五十パーセントは、ルミリオンにとって決して余裕を残した数字ではなかった。

 

 今の自分が、実戦で継続して扱える限界。

 

 それを。

 

 目の前の男は、わずか一合で看破した。

 

「参ったな」

 

 ルミリオンは小さく呟く。

 口元には、まだ笑みがある。

 

「随分と見る目があるじゃないか、タコ怪人」

 

 軽口を返しながらも、視線はオール・フォー・ワンの全身から外さない。

 

 頭の中では、既にいくつもの進路が組み立てられていた。

 真正面からもう一度入るべきか。

 一度地中へ潜り、背後を取るか。

 

 あるいは、反射を発動する瞬間だけ拳を透過させる。

 

 できる。

 

 タイミングさえ掴めれば。

 次は、今のようにはいかない。

 

 そう判断した瞬間だった。

 

「とはいえ」

 

 オール・フォー・ワンの声が、低く響いた。

 焼け爛れた顔が、ルミリオンから外れる。

 

 その向こう。

 

 片膝を突き、全身から蒸気を噴き出しているオールマイトへ向けられた。

 

「残り火と継承者の両方を相手にするのは、さすがに骨が折れる」

 

 声音は穏やかだった。

 

 しかし、その言葉を聞いたオールマイトの表情が強張る。

 

「貴様……」

 

「誤魔化さなくてもいい」

 

 オール・フォー・ワンは楽しげに遮った。

 

「君の中に残されている力が、もう僅かだということくらい分かっている。先ほどの一撃で、ずいぶん派手に燃やしたようだね」

 

 白い蒸気が、オールマイトの肩から溢れる。

 黄金の輪郭が一瞬揺らぎ、その内側に痩せ細った本来の身体が覗いた。

 すぐに筋肉を膨らませて押し戻す。

 

 だが、もはや誰の目にも明らかだった。

 

 平和の象徴は、限界に近い。

 

「そして、そちらの少年」

 

 オール・フォー・ワンの頭部が、再びルミリオンへ向く。

 

「君は確かに強い。だが、まだ力を完全には扱えていない」

 

 ルミリオンは答えない。

 

 図星だった。

 

「二人を同時に相手取るとなれば、今の身体には少し荷が重い」

 

 触手が、ゆっくりと道路を這う。

 

 攻撃の予兆ではない。

 陣形を整えるように、オール・フォー・ワンの周囲へ集まっていく。

 数十本の触手が幾重にも折り重なり、彼の背後で巨大な翼のように広がった。

 

「だから、こうしよう」

 

 人工呼吸器が、しゅう、と空気を吐き出す。

 

 オール・フォー・ワンは両腕を僅かに広げた。

 

「どうだい、オールマイト」

 

 一瞬。

 

 その声音だけが、六年前と変わらぬ宿敵のものへ戻る。

 

「弟子は弟子」

 

 触手の一本が、ルミリオンを指すように先端を持ち上げた。

 

「僕らは僕らで、やろうじゃないか」

 

 オールマイトの瞳が鋭く細められる。

 

 挑発。

 分断。

 こちらの戦力を切り離すための言葉。

 

 そう理解しながらも、オールマイトは即座に動けなかった。

 

 なぜなら。

 

 オール・フォー・ワンの言葉には、明確な含みがあった。

 

 弟子は弟子。

 その言葉が意味するもの。

 

「通形少年!」

 

 ぞくり。

 

 ルミリオンの背筋を冷たい悪寒が駆け抜ける。

 

「――っ!」

 

 考えるより先に身体が動く。

 

 長年『透過』を磨き続けた勘が、背後から迫る危機を叫んでいた。

 振り向く。

 その視界へ飛び込んできたのは、乳白色の骨。

 

「なっ――!」

 

 槍骨によって凶悪な形状となった出久の拳が、一直線にルミリオンの顔面へ迫る。

 

 先ほどまで地面に倒れていた少年とは思えない踏み込み。

 地面を蹴った衝撃だけで、アスファルトが蜘蛛の巣状に砕け散る。

 

「緑谷君!?」

 

 ルミリオンは咄嗟に頭部だけを透過させた。

 

 次の瞬間。

 

 出久の拳が、その顔面を何の抵抗もなく突き抜ける。

 

 全身を覆う骨の鎧はない。

 巨人へ変貌する『剛躯』もない。

 先ほどまでの戦いで、その力も体力も使い果たしている。

 

「邪魔だァァァッ!!」

 

 拳が空を切る。

 透過したルミリオンの頭部を貫き、そのまま振り抜かれる。

 

「危なっ!」

 

「……いい子だ出久君」

 

 オール・フォー・ワンが、静かに口を開く。

 焼け爛れた顔はオールマイトへ向けたまま、その視線だけが横へ流れた。

 

 出久へ。

 ただ一言、命令を下す。

 

「その少年の相手をしなさい」

 

 命令は、それだけだった。

 出久は振り返らない。

 返事もしない。

 だが、拳を握る右手だけが、僅かに震えた。

 

 既に限界は近い。

 全身を骨で覆う鎧は維持できず崩壊した。

 『剛躯』による巨大化も、もう肉体が受け付けない。

 

 筋肉という筋肉は悲鳴を上げ、肺は焼けるように熱く、全身の疲労は意識を奪いかけている。

 

「──はい、AFO」

 

 ぼそり、と。

 

 掠れた声が漏れる。

 

 出久の全身から、不気味な軋みが響いた。

 筋肉が圧縮される。腱が縮む。

 骨格が、全身の内側で強く撓んだ。

 まるで巨大な発条を何重にも巻き上げるように。

 

 筋肉と骨が、瞬間的な爆発力だけを生み出す形へ変化していく。

 

「こんの! 不良少年め!」

 

 ルミリオンが身構える。

 

 出久が地面を蹴った。

 その姿が、掻き消える。

 

「速っ──!」

 

 四方八方から拳が飛び込んでくる。

 骨槍で覆われた拳が、機関銃の掃射のような速度でルミリオンへ叩き込まれた。

 

「ちっ!」

 

 ルミリオンは一瞬ごとに透過させる部位を切り替え続ける。

 

 ほんの僅かでも判断が遅れれば、骨槍が身体を貫く。

 反撃する暇はない。

 攻撃を躱すだけで精一杯だった。

 

 拳が止まらない。

 筋骨発条化によって圧縮された筋力が、出久へ異常な連打速度を与えていた。

 

 一発一発は先ほどほど重くない。

 しかし、休む間もなく撃ち込まれる。

 

「くっ……!」

 

 ルミリオンは歯を食いしばる。

 

 個性の発動を、次々と強制される。

 

「このっ……! 喋らせろってば」

 

 ルミリオンは反撃しようと踏み込む。

 

 しかし、その瞬間には次の拳が目前にある。

 透過するしかない。

 また一歩。

 また一歩。

 

 気付けば、二人はオールマイトとオール・フォー・ワンから大きく距離を離されていた。

 瓦礫を飛び越え。

 崩れた交差点を越え。

 戦場の中心から、何十メートルも。

 

 出久は一度も立ち止まらない。

 

 ひたすら拳を撃ち続ける。

 

「そうだ」

 

 遠く離れた場所から、オール・フォー・ワンが満足そうに呟いた。

 人工呼吸器が低く唸る。

 

「そのまま彼を足止めしなさい」

 

 人工呼吸器を通したオール・フォー・ワンの声が、崩壊した街路へ低く響く。

 

 出久は答えなかった。

 命令を拒むことも、確かめ直すこともない。

 

 骨槍に覆われた両拳を振るい、ただ指示された通りにルミリオンを戦場の外へ押し出し続ける。

 

 右から拳が迫る。

 ルミリオンは頬を透過させた。

 

 直後、左の拳が脇腹へ回り込む。

 胴体を透過。

 

 白い骨の穂先が肉体をすり抜け、背後の瓦礫を粉砕した。

 

「くっ……!」

 

 足を止められない。

 止めた瞬間、前後左右から襲いかかる連打に包囲される。

 

 筋骨発条化によって全身を発条へ変えた出久の動きは、単純な高速移動とは異なっていた。

 

 筋肉を収縮させる。

 骨を撓ませる。

 溜め込んだ力を一気に解放し、拳を撃ち出す。

 そして、拳を引き戻す動作そのものを次の発条の圧縮へ繋げる。

 

 一撃が次の一撃を生み、次の一撃がさらに次を呼ぶ。

 

 ミルコとの職場体験にて会得した高速移動の応用。

 肉体が限界を迎えるまで、連鎖するように拳を吐き出し続ける。

 

 だが、その代償は出久自身の身体へ確実に蓄積していた。

 腕を振るうたびに筋繊維が裂ける。

 踏み込むたびに膝が軋む。

 拳を覆う骨槍には細かな亀裂が走り、その隙間から血が滲み出していた。

 

 それでも、速度は落ちない。

 

「緑谷君!」

 

 ルミリオンは迫る拳を頭部ごと透過させながら叫ぶ。

 

「どういうつもりなんだ!?」

 

 返事はない。

 

 出久の右拳が顔を通り抜ける。

 続いて放たれた左の掌底を、ルミリオンは胸部だけを消して回避した。

 

「君は雄英を受験していたんだろう!?」

 

 踏み込もうとする。

 

 その瞬間、出久の膝が跳ね上がった。

 

「っ!」

 

 腰から下を透過。

 膝蹴りをすり抜ける。

 

 だが、出久は空振りした脚をそのまま振り下ろし、地面を踏み砕いた。

 破砕されたアスファルトが爆ぜ、無数の破片がルミリオンの視界を塞ぐ。

 

 その陰から、骨槍を纏った拳が突き出された。

 

「なぜヴィランに――!」

 

 ルミリオンは全身を透過した。

 

 拳も。

 骨の穂先も。

 飛散した瓦礫も。

 

 すべてが彼の肉体を通り抜ける。

 

 呼吸が止まる。

 音が消える。

 視界が闇へ沈む。

 

 それでも、透過を解除するわけにはいかなかった。

 

 出久の拳は、一発を避けても終わらない。

 実体化する隙間を狙い、間断なく連打が叩き込まれている。

 

 ルミリオンは攻撃の感触が完全に途切れた一瞬を見極め、右脚だけを実体化させた。

 

 地面を蹴る。

 後方へ跳び退き、出久との距離を取る。

 

「なぜ言いなりになっているんだ!」

 

 ルミリオンの声が強くなる。

 怒りではない。

 困惑と焦燥。

 

 目の前の後輩を理解しようとする、切実な問いだった。

 

「何があった!? 脅されているのか? それとも、個性で操られて――」

 

「先輩」

 

 初めて。

 出久が口を開いた。

 掠れた声だった。

 乱れた呼吸の合間から絞り出されたにもかかわらず、そこには感情らしい感情がほとんど宿っていなかった。

 

 出久は拳を構えたまま、僅かに首を傾げる。

 

「ニュースとか、見てないんですか?」

 

「……え?」

 

 ルミリオンの動きが、一瞬だけ止まった。

 出久の表情は冷たい。

 

 同じ質問を繰り返されることに、心底うんざりしている。

 

「もう何回も聞かれすぎて」

 

 拳を覆う骨槍が軋む。

 

「答えるの、面倒くさいんですよ」

 

「待て、緑谷君!」

 

 ルミリオンは後退しながら叫ぶ。

 

「君は、本当にオール・フォー・ワンが勝つと思っているのか!?」

 

 拳が鼻先を通り過ぎる。

 

 透過を解除した瞬間を狙い、白い骨槍が斜め下から跳ね上がった。

 ルミリオンは顎だけを消し、紙一重でかわす。

 

「確かに、奴は強力なヴィランだ!」

 

 出久の拳が止まらない。

 連打はさらに速度を増していく。

 

 それでもルミリオンは言葉を続けた。

 

「オールマイトだって、万全とは言えない!」

 

 遠方から、重い衝撃音が響いた。

 

 オールマイトとオール・フォー・ワン。

 

 二人の戦場から立ち上った土煙が、崩れたビルの上まで届いている。

 

「けど、あそこにいるのはオールマイトだけじゃない!」

 

 ルミリオンは拳をすり抜けながら、出久の目を真っ直ぐに見据えた。

 

「多くのヒーローがいる!」

 

 右肩を透過。

 

「警察だっている!」

 

 胸を透過。

 

「避難誘導を終えた増援だって、すぐに来る!」

 

 両脚を透過させ、足払いを回避する。

 

 そのまま地面へ沈みかけた身体を、実体化の反発で斜め後方へ弾き出した。

 

 ルミリオンは着地と同時に、出久へ手を伸ばす。

 

「勝ち目なんてない!」

 

 返答はない。

 

 出久は血の滲む拳を構え直した。

 その腕は震えている。

 筋骨発条化によって酷使された筋肉は既に裂け、皮膚の下では内出血が広がっていた。

 呼吸をするたびに喉が鳴り、口元から血の混じった唾液が落ちる。

 

 それでも。

 

 出久の視線は揺らがなかった。

 

「今なら、まだ間に合う!」

 

 ルミリオンが声を張り上げる。

 

「大人しく投降するんだ!」

 

 出久は拳を構えたまま俯き、荒い呼吸の合間に何事かを呟いている。

 

「……攻撃を、全部無効化できるはずがない」

 

「緑谷君?」

 

 ルミリオンが眉を寄せる。

 

 出久は顔を上げない。

 

 先ほどまで向けられていた説得も、投降の呼びかけも、まるで最初から聞こえていなかったかのように無視していた。

 

「無敵の個性なんて存在しない……」

 

 ぶつぶつと。

 

 視線だけがルミリオンの全身を這う。

 

 先ほど自分の攻撃が通り抜けた箇所を、順番に確かめるように。

 

「透過の対象を絞り込めるのか……?」

 

 出久の指先が僅かに動いた。

 空中へ線を引くように、これまでの拳の軌道をなぞる。

 

「いや、流石に戦闘しながら、接触する対象を一つずつ判別して除外するなんて無理なはずだ。飛んできた瓦礫だけ透過して、空気は残す……そんな処理を連続で?」

 

「何を……」

 

 ルミリオンは戸惑いながらも、出久から目を離さない。

 

 説得が届いていない。

 目の前の少年にとって、今のルミリオンは救いの手を差し伸べる先輩ではなく、ただ仕組みを解明すべき敵でしかなかった。

 

「もし、触れているものを全部透過するなら……」

 

 出久はルミリオンの赤いマントへ視線を移す。

 

「自分のコスチュームまで地面へ残されるはずだ」

 

 風を受け、マントが翻る。

 

 先ほど何度も全身を透過したにもかかわらず、衣服も装備もルミリオンの身体から離れてはいない。

 

「でも、コスチュームも一緒に透過している」

 

 風を受け、マントが翻る。

 

 先ほど何度も全身を透過したにもかかわらず、衣服も装備もルミリオンの身体から離れてはいない。

 

「でも、コスチュームも一緒に透過している」

 

 出久の呟きが僅かに速くなる。

 

 かつてヒーローを目指していた頃。

 ヒーローの個性と戦闘方法をノートへ書き連ねていた少年の口調だった。

 

 ただし、そこに憧れはない。

 あるのは、敵を攻略するための冷たい熱だけ。

 

「個性に適応した特殊繊維……いや、発目さんが言っていた。個性によっては、本人の毛髪や皮膚組織、DNAを素材に混ぜて、装備を身体の一部として誤認させる例がある」

 

 一歩。

 出久が前へ出る。

 

 ルミリオンも反射的に腰を落とした。

 

「つまり、接触する前に判断している。攻撃箇所を予測して、当たる部分だけを透過している」

 

「……!」

 

 ルミリオンは息を呑んだ。

 

 正しい。

 完全ではないが、ほとんど正解だった。

 

 個性『透過』は、発動すれば無条件であらゆる攻撃を防ぐ能力ではない。

 

 どこを透過させるか。

 いつ解除するか。

 身体のどの部分を残すか。

 そのすべてを、ルミリオン自身が一瞬ごとに判断している。

 

 全身を透過すれば呼吸も視覚も失われ、地面へ沈む。

 だからこそ、戦闘では必要な部位だけを選択し、攻撃をすり抜けながら足場と視界を維持する。

 

 長年の訓練によって磨き上げた技術。

 

 それを。

 

 出久は、わずかな攻防だけで見抜こうとしていた。

 

「緑谷君、君は……」

 

「なるほど」

 

 出久の呟きが止まる。

 

 血に濡れた顔が、ゆっくりと持ち上がった。

 先ほどまで焦点なく下を向いていた瞳が、真っ直ぐルミリオンを捉える。

 

 冷たく。

 鋭く。

 獲物の動きを測るように。

 

「予測と分析」

 

 筋骨発条化によって収縮した脚が、低い音を立てる。

 

「そして――」

 

 拳を覆う骨槍が軋んだ。

 

「透過箇所を、攻撃のたびに選択しているんじゃないですか?」

 

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