間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第68話 この顔にピン!と来たら

 ──事件から、数日が経った。

 

 神野区。

 

 かつて幾つもの商業施設と住宅が立ち並んでいた街は、その面影をほとんど失っていた。

 

 道路は至るところで陥没し、アスファルトには巨大な亀裂が走っている。

 建物の多くは外壁を失い、鉄骨を剥き出しにしたまま傾き、完全に倒壊した区画では重機が瓦礫を掻き分けていた。

 

 規制線の向こうでは、消防隊員や警察官、災害救助を専門とするヒーローたちが今も作業を続けている。

 

 その惨状を背に、一人の女性キャスターがカメラへ向かっていた。

 

『事件発生から、本日で四日が経過しました』

 

 風に煽られた髪を押さえながら、キャスターは背後へ視線を向ける。

 

『私たちは現在、神野区、事件の中心地となった現場からお伝えしています。ご覧ください』

 

 カメラがゆっくりと横へ振られた。

 

 画面いっぱいに映し出されたのは、瓦礫だった。

 崩れたビル。

 横転した車。

 根元から折れた街灯。

 

 そして、道路の中央に残された巨大なクレーター。

 

 その規模を伝えるため、画面の端に立つ作業員と比較すれば、それがどれほど異常なものなのかは一目瞭然だった。

 

『現在、インターネットや一部報道では、この一連の事件を──』

 

 キャスターが一拍置く。

 

『“神野の悪夢”と呼ぶ動きが広がっています』

 

 画面が切り替わる。

 

 事件当日の映像。

 夜の街を埋め尽くす、巨大な黒い触手。

 ビルを容易く越えるほど巨大化した異形。

 逃げ惑う市民。

 負傷者を担架で運び続ける救急隊員。

 瓦礫の下から人々を救出するヒーローたち。

 

 そして。

 

 その中心で戦う二つの影。

 

『事件を引き起こしたとされるのは、長年にわたり裏社会で暗躍していたヴィラン──通称オール・フォー・ワン』

 

 古い資料写真が映し出される。

 その多くは不鮮明だった。

 

 個性犯罪。

 失踪事件。

 警察が関連性を調査している未解決事件。

 

 これまで一般社会ではほとんど知られていなかった名前が、僅か数日で日本中に知れ渡っていた。

 

『警察の発表によりますと、オール・フォー・ワンは複数の“個性”を保有していたとみられ、その正確な数や能力については現在も調査が続けられています』

 

 映像が再び神野へ戻る。

 

 黒い触手が道路を薙ぎ払う。

 

 直後、建物の一部が崩壊した。

 

『事件では、複数のヒーロー、警察官、そして一般市民が負傷。現在も治療を受けている重傷者が複数確認されています』

 

 キャスターは資料へ目を落とす。

 

『しかし──これほど大規模な市街地戦となったにもかかわらず、現時点で死亡者は確認されていません』

 

 それだけはあの悪夢のような夜に残された、数少ない幸運だった。

 

 避難誘導に当たったヒーロー。警察。消防。

 そして、互いに助け合った市民たち。

 そのすべてが重なった結果だった。

 

『一方、人的被害とは対照的に、物的被害は極めて甚大です。神野区の広範囲で建物の倒壊や道路、上下水道、電力設備などの損壊が確認されており、一部地域では現在も立ち入りが禁止されています』

 

 上空から撮影された映像へ切り替わる。

 

 街の一角が、丸ごと抉り取られていた。

 中心部は特に酷い。

 その惨状は、戦闘の痕跡というより、大規模災害の被災地に近かった。

 

『復旧には相当な期間を要すると見られており、行政は周辺住民への仮設住宅の提供を含めた支援策を検討しています』

 

『そして──』

 

 キャスターの声色が変わった。

 

『今回の事件が日本社会へ与えた最大の衝撃。それは、やはりこの人物でしょう』

 

 オールマイトの勝利宣言の画面が映し出された。

 

 しかし、誰もが知っているオールマイトではない。

 筋骨隆々とした巨体も。

 人々を安心させてきた満面の笑顔も。

 象徴的なシルエットもない。

 

 映っていたのは、痩せ細った一人の男だった。

 

 破れたコスチューム。

 浮き出た肋骨。

 枯れ枝のように細くなった腕。

 そして全身を覆う血。

 

 戦場に残っていた報道カメラが偶然捉えていた映像だった。

 

『オールマイトです』

 

『事件終盤、オールマイトはオール・フォー・ワンとの一騎打ちの末、これを撃破』

 

 映像が切り替わる。

 

 巨大な黒い影へ向かって、黄金の巨体が突進する。

 拳を振り抜く。

 衝撃波が街を駆け抜ける。

 

 そして、オール・フォー・ワンが吹き飛ばされた。

 

 日本中が繰り返し見た映像だった。

 動画投稿サイトでは、既に数千万回再生されている。

 

 だが、誰もが言葉を失ったのはその後だった。

 拳を振り抜いたオールマイトの身体から、力が抜けていく。

 

 巨大な肉体が萎む。

 肩が落ちる。

 腕が細くなる。

 

 あの姿になる。

 

『この映像によって、これまで公表されていなかったオールマイトの身体状態が、広く国民へ知られることとなりました』

 

 別の映像。

 

 痩せ細ったオールマイトが、ふらつきながら立っている。

 その隣ではルミリオンが彼を支えようとしていた。

 

『関係者への取材によりますと、オールマイトは過去の戦闘によって極めて深刻な負傷を負っており、長期間にわたって活動時間に制限を抱えながらヒーロー活動を続けていたとされています』

 

 スタジオへ映像が戻った。

 

 男性キャスターが険しい表情で資料を見ている。

 

『つまり……私たちが知っていたオールマイトは、既に何年も前から万全ではなかった?』

 

『その可能性が高いとされています』

 

 専門家が答える。

 

『むしろ今回の情報が事実ならば、あの身体でこれまで第一線に立ち続けていたこと自体が異常と言っていいでしょう』

 

 沈黙。

 

 そして画面には、大きなテロップが表示された。

 

 ──《平和の象徴、事実上の引退か》。

 

『オールマイト本人、および所属事務所から正式な引退発表は現在まで行われていません』

 

 キャスターが続ける。

 

『しかし、事件後のオールマイトは医療機関へ搬送され、現在も治療を受けています。また複数の関係者が、今後これまでと同様のヒーロー活動を行うことは極めて困難との見方を示しています』

 

 別の新聞記事。

 

《オールマイト、引退へ》

 

 チャンネルを変える。

 

《平和の象徴の終焉》

 

 さらに変える。

 

《No.1ヒーロー不在──今後のヒーロー社会は》

 

 ネットニュース。

 

《オールマイト最後の戦い》

 

 どこも同じだった。

 日本という国が、初めてその存在を失う可能性に直面していた。

 

 犯罪発生率を劇的に低下させ、ヴィランにとって最大の抑止力となり、何十年にもわたって「平和の象徴」として君臨してきた男。

 

 その男が、もう戦えない。

 

 オール・フォー・ワンは倒され、神野の戦いに勝利したのはヒーローだった。 

 それでも、最大の抑止力であった男が二度と戦えないという事実を前に、人々は単純に勝利を喜ぶことができなかった。

 

『専門家からは、オールマイトの事実上の引退によって、今後ヴィラン犯罪が増加する可能性を指摘する声も上がっています』

 

 キャスターの背後。

 撤去作業が続く神野の街を、カメラがゆっくりと映していく。

 

『オールマイトが築き上げてきた平和を、残されたヒーローたちは維持できるのか』

 

 瓦礫の山。

 

『“平和の象徴”という巨大な支柱を失った社会は、これからどう変わっていくのか』

 

 破壊された道路。

 

『そして──』

 

 カメラが、巨大なクレーターへ向けられた。

 オールマイトが最後の一撃でオール・フォー・ワンを叩き込んだ場所。

 そこだけは、事件当時の形をほぼ残したまま、警察の規制線によって厳重に封鎖されている。

 

『未だ解明されていない謎も残されています』

 

 画面が切り替わった。

 

 監視カメラから切り出された、荒い画像。

 血塗れの少年。

 緑色の髪。

 身体から突き出した異形の骨。

 

 ──緑谷出久。

 

『オール・フォー・ワンと共に行動していたとされる、この少年』

 

 次の画像。

 

 そして。

 その少年へ駆け寄る、一人の少女。

 

 茶色い髪。

 雄英高校の制服。

 

『さらに、事件終盤に警察の規制線を突破し、少年の逃亡を幇助した疑いが持たれている雄英高校ヒーロー科一年──』

 

 映像が止まる。

 

 麗日お茶子が、ルミリオンへ手を伸ばした瞬間。

 画面の下部へ、赤い帯状のテロップが表示された。

 

 ──《雄英高校ヒーロー科生徒 ヴィラン逃亡を幇助か》。

 

『警察の発表によりますと、少年は、事件現場においてオール・フォー・ワンが発動したとみられる転送系の“個性”によって逃亡しました』

 

 映像が再生される。

 

 画質は粗く、距離も遠い。さらに未成年者への配慮から、少女の顔には強いぼかしがかけられていた。

 それでも、何が起きたのかは十分に分かる。

 

 規制線を越えて戦場へ駆け込む少女。

 疲労困憊のルミリオンへ背後から接触し、個性を発動させる瞬間。

 宙へ浮き上がり、足場を失うルミリオン。

 そして、地面へ倒れていた出久の周囲へ黒い泥が湧き上がり、その身体を飲み込んでいく。

 

『映像からは、少女がヒーローの行動を自身の“個性”によって妨害し、その直後に少年が現場から消失する様子が確認できます』

 

 映像の音声は取り除かれていた。

 

 お茶子が何を叫んだのか。

 出久がどのような反応を見せたのか。

 その場で何が話されたのか。

 視聴者には分からない。

 

 しかし、切り取られた映像だけを見れば、意味は一つしかなかった。

 

 ヒーローを目指す雄英高校の生徒が、ヴィランを逃がした。

 

『少年は現在も逃亡中です。警察は、オール・フォー・ワンの関係者が管理する施設、あるいはヴィラン連合と繋がりのある拠点へ転送された可能性があるとみて、行方を追っています』

 

『警察は、少年が未成年であるもののオール・フォー・ワンが少年を自らの後継者と呼んでいたことなどから、警察は全国指名手配に踏み切りました』

 

 画面の端へ、出久の顔写真が表示される。

 

 雄英入試の受験票に使用されたものだった。

 事件当日の血塗れの姿とは違い、まだ傷もなく、少し緊張したようにカメラを見つめている。

 その横には、赤い文字が並んでいた。

 

 ──《緑谷出久 十六歳》。

 

 ──《複数の個性を使用》。

 

 ──《発見時は接触せず、警察へ通報を》。

 

『警察は、緑谷容疑者が重傷を負っている可能性が高い一方で、依然として極めて高い戦闘能力を有する危険人物だとして、一般の方へ不用意に接触しないよう呼びかけています』

 

 続いて、お茶子の映像が大きく映し出された。

 顔だけでなく、校章や制服の一部にも処理が施されている。

 

『一方、逃亡を幇助した疑いが持たれている少女は、事件直後、その場で警察によって身柄を確保されました』

 

 映像が切り替わる。

 数人の警察官に囲まれ、両手を前で重ねる少女。

 顔にはぼかしがかかっていたが、俯いた姿勢と、震える肩までは隠されていない。

 

『逮捕ではなく、現在は保護および任意同行という形で警察施設に滞在しているとされていますが、捜査関係者によりますと、逃亡幇助に至った経緯や、少年──緑谷容疑者との関係について詳しい事情聴取が行われているということです』

 

 スタジオにいる男性キャスターが、険しい表情で資料をめくる。

 

『雄英高校側から、何か発表は出ているのでしょうか』

 

『雄英高校は昨夜、短い声明を発表しています』

 

 画面へ声明文の一部が表示された。

 

 ──《本校生徒が関係する事案について、現在警察の調査へ全面的に協力しております》。

 

 ──《事実関係が明らかになるまで、個別の質問への回答は差し控えます》。

 

 ──《在校生および関係者への過度な取材はお控えください》。

 

『少女への処分については、現時点で決定していないとしています。しかし、警察の規制線を突破し、ヒーローの活動を妨害したうえ、指名手配中の容疑者を逃亡させたとすれば、雄英高校の対応にも大きな注目が集まることになります』

 

『ヒーロー科の生徒が、ヴィラン側へ手を貸したということですからね』

 

 画面には再び、ぼかされたお茶子の姿が映る。

 

 規制線を越え。

 ルミリオンへ触れ。

 出久へ向かって何かを叫ぶ。

 

 その瞬間。

 

 テレビ画面が暗転した。

 

 ぷつん、と。

 

 乱暴に電源を切られた液晶へ、薄暗い部屋の様子が映り込む。

 安物のソファ。

 低いテーブル。

 吸い殻で溢れた灰皿。

 

 カーテンは固く閉ざされ、昼間だというのに室内へ差し込む光はほとんどない。

 

「まったく」

 

 リモコンを片手にした男が、鼻で笑った。

 

「朝から晩まで、お前の顔ばっかりだ」

 

 派手な柄のシャツ。

 色の濃いサングラス。

 

 首元には変わったデザインのマフラーが巻かれ、指には大ぶりな指輪が嵌められている。

 

 胡散臭いという言葉を形にしたような男の名は、義爛。

 闇のブローカーとしても知られており、トゥワイスやコンプレスをAFOに紹介したのも彼だった。

 

 義爛はリモコンをテーブルへ放り投げると、ソファの方へ振り返る。

 

「有名人だなあ!」

 

 大げさに両腕を広げた。

 

「緑谷出久!」

 

 呼ばれた少年は、反応しなかった。

 

 部屋の奥。

 擦り切れたソファへ深く腰を沈め、俯いている。

 全身には包帯が巻かれていた。

 腹部には厚い固定具。

 

 右腕は肩から吊られ、左脚にも簡素な添え木が当てられている。顔には青黒い痣が残り、額へ貼られたガーゼの端から乾いた血が滲んでいた。

 

 神野での戦いから四日。

 本来なら集中治療室へ入っていてもおかしくない状態だった。

 それでも出久は、病院ではなく、身元も知れない男の隠れ家にいた。

 

 かちゃり。

 静まり返った室内に、玄関の鍵が回る音が響いた。

 

 義爛が顔だけを扉へ向ける。

 

「お、帰ったか」

 

 直後、重い扉が勢いよく押し開かれた。

 

「ただいまでーす!」

 

 明るい声とともに、小柄な少女が部屋へ飛び込んでくる。

 

 乱れた金髪を左右で団子状にまとめ、口元には隠し切れない笑みを浮かべている。

 制服姿ではなく、目立たない色のパーカーと短いスカートを身につけていたが、彼女特有の軽やかな足取りまでは隠せていなかった。

 

 トガヒミコだった。

 

 その後ろから、フードを深く被った男が慎重に廊下を確認し、扉を閉める。

 露出した顔には緑色の鱗が広がっていた。

 

 スピナー。

 

 彼は鍵を掛けたあと、窓際へ寄ってカーテンの隙間から外を窺う。追跡者がいないことを確かめてから、ようやく肩の力を抜いた。

 

「相変わらず不用心だな、トガ。入る前に周りを確認しろって何度言えば分かるんだ」

 

「ちゃんと見ました。秀一君こそ不用心です、帰りに尾行されてたの気づいてましたか? ちゃんと巻いて帰りましたけど」

 

「スピナーと呼べ──え!? マジかよ……」

 

 頬を膨らませながら一歩進んだトガは、そこでぴたりと足を止めた。

 鼻が僅かに動く。

 

「……くさっ」

 

 眉間へ深い皺が寄った。

 

「うぇー、また毒煙を吸ってます。義爛さん。お部屋がすっごく臭いです」

 

「人の隠れ家へ勝手に押しかけておいて、開口一番がそれか」

 

「デク君は怪我してるんですよ。身体に悪いじゃないですか」

 

「俺の身体にはいいんだよ」

 

「よくないですよ」

 

 トガは遠慮なく窓へ近づき、カーテンへ手を掛けた。

 

「開けるな」

 

 義爛とスピナーの声が重なった。

 少女の手が止まる。

 

「外から見つかるだろ」

 

 スピナーが低い声で説明する。

 

「今は街中に警察もヒーローも溢れてる。換気したいなら奥の換気扇を回せ」

 

「めんどくさいですねえ」

 

 不満そうに呟きながら、トガは手で鼻の前を仰ぐ。

 

 そのとき。

 ソファに座る少年の姿が目に入った。

 

「あ」

 

 金色の瞳が大きく見開かれる。

 次の瞬間には、煙草への不満も、外の警戒もすべて忘れたように表情が明るくなっていた。

 

「デク君!」

 

 トガは部屋を横切る。

 義爛が止める暇もない。

 

「おい、走るな。そいつの身体はまだ──」

 

「起きてたんですね!」

 

 ソファへ飛び込む勢いで近づき、出久の隣へ腰を下ろした。

 古びたクッションが大きく沈む。

 その揺れが傷へ響き、出久の顔が僅かに歪んだ。

 

「痛っ……」

 

「痛いですか? いっぱい殴られてましたもんね。デク君、ボロボロで素敵です」

 

 トガは隣から離れなかった。むしろ出久の顔を覗き込み、包帯に覆われた腕や厚く固定された腹部へ順番に目を向けていく。

 

 義爛は三人を順番に見回した。

 

 全国指名手配された重傷者。

 人の血を求める少女。

 犯罪者を崇拝する異形。

 

 どう見ても、長期間同居させたい顔ぶれではない。

 

「それで」

 

 義爛はテーブルの端を指で叩いた。

 

「お前ら、これからどうするつもりだ?」

 

 トガが首を傾げる。

 

「これから?」

 

「ああ、これからだ。AFOは捕まった。元の拠点は警察に押さえられ、神野で派手に暴れたせいで、お前らの顔も全国に広まりかけてる」

 

 義爛はソファへ沈む出久を顎で示した。

 

「特にこいつだ。今じゃ日本で一番有名な十六歳だぞ。外を歩かせるわけにもいかんし、治療費も食費も薬代も、全部ただじゃない」

 

「先生からお金を貰ってないんですか?」

 

 トガの問いに、義爛は眉を上げた。

 

「貰ってるさ。緊急時にこいつを保護する分はな。だが、ヴィラン連合全員を無期限で養う金までは預かってねえ」

 

 煙草の箱へ手を伸ばしかけ、トガの視線に気づいて舌打ちすると、その代わりに指を組んだ。

 

「はっきり言っとくぞ。俺は、いつまでも穀潰しを匿ってやるつもりはねえ」

 

「穀潰し〜?」

 

 トガが不満そうに頬を膨らませる。

 

「事実だろ。飯は食う、風呂は使う、薬は減る。なのに一円も入れない。これを穀潰しと呼ばずに何と呼ぶ」

 

「仲間です」

 

「俺の仲間じゃねえ」

 

 義爛は即座に言い切ると、今度はスピナーへ目を向けた。

 

「金がないなら稼げ。仕事が必要なら、俺が紹介してやってもいい」

 

「仕事?」

 

 スピナーが訝しげに聞き返す。

 

「もちろん表の仕事じゃない。身分証も住所もない指名手配犯を雇う真っ当な会社なんざ存在しねえからな。ただ、裏なら人手を欲しがってる連中はいくらでもいる」

 

 義爛は指を折りながら例を挙げていく。

 

「運び屋。護衛。借金の取り立て。荷物の回収。倉庫番。人を脅すだけの簡単な仕事から、個性を使う荒事まで選び放題だ。お前らの顔が割れてることを差し引いても、戦える人間は需要がある」

 

「僕は……犯罪はしたくない」

 

 出久が顔を上げた。

 掠れた声だったが、その言葉には明確な拒否感が滲んでいた。

 

 義爛は数秒ほど黙ってから、サングラスの奥で目を細める。

 

「今さら何を言ってやがる。少年A、改めデク君よ」

 

 義爛は冷淡に返す。

 

「武器も。移動手段も。情報も。隠れ家も。全部ただじゃ手に入らねえ。AFOが何十年も裏社会の頂点にいられたのは、強かったからだけじゃない。金と人脈と組織を持ってたからだ」

 

 出久は口を閉ざした。

 反論はできない。

 

 AFOを収容している場所を調べるだけでも、警察内部の情報か、移送に関わった人間からの証言が必要になる。

 救出のためにはさらに人手と装備が要り、何より、今の出久には立ち上がる力すら残されていない。

 

 義爛はその沈黙を肯定と受け取ったように、スピナーへ視線を移した。

 

「お前はどうだ。身体は動くんだろ」

 

「断る」

 

 スピナーの返答は早かった。

 

「話くらい聞け」

 

「聞いた上で断ってる。俺は金のためだけに強盗や恐喝をするつもりはない」

 

「お前までそれか」

 

 義爛は心底面倒そうに顔をしかめた。

 

「生活費は欲しい。だが俗な金目的の犯行は嫌だ。汚れ仕事は選びたい。ずいぶんと我儘なヴィラン様だな」

 

 義爛は吐き捨てるように言うと、椅子の背もたれへ深く身体を預けた。サングラスの奥で目を閉じ、額を指先で押さえる。

 

 右には犯罪を拒む全国指名手配犯、左には思想に反する仕事を選り好みする異形のヴィランがいる。

 どう見ても、闇社会で生きる覚悟を固めた集団には見えなかった。

 

「もういい」

 

 義爛は長い息を吐いた。

 

「俺が悪かった。先生がいなくなった途端、少しくらいは現実を見るようになるかと思った俺が馬鹿だったよ」

 

 義爛はテーブルの上に散らばった薬瓶や包帯を苛立たしげに指で弾くと、出久たちを追い払うように手を振った。

 

「傷が治ったら、さっさとここから出ていってくれ。金にもならない高尚なヴィラン活動でも、好きなだけやってろ」

 

「高尚なヴィラン活動って何ですか?」

 

「俺が知るか。そこのトカゲ男に聞け」

 

「トカゲじゃない。スピナーだ」

 

「どうでもいい」

 

 義爛が心底疲れた様子で答えた、その瞬間だった。

 

 ばんっ、と。

 玄関の扉が勢いよく開く。

 

「話は聞かせてもらったぜぇぇぇぇッ!」

 

 部屋中へ響き渡る大声とともに、黒い全身スーツに身を包んだ男が飛び込んできた。

 

 顔を覆う黒い布に、白く大きな目のような模様──ヴィラン、トゥワイスだった。

 

「廊下で全部聞いてた! 半分くらいしか聞こえなかった!」

 

「話の内容は完璧に理解したぜ! 金がない! 犯罪は嫌だ! 俺たちはヴィランだ! どうしようもねえ!」

 

「何一つ解決してねえな」

 

 トゥワイスは義爛の冷たい反応など気にも留めず、大股で部屋の中へ入ってくる。

 

「お、デク! 起きてるじゃねえか!」

 

 包帯だらけの出久を見つけると、両腕を広げた。

 

「死んでなくてよかったぜ! 今すぐ死ね!」

 

「どうも……」

 

「元気そうで何よりだ! 全然元気じゃなさそうだな!」

 

 そのままソファへ向かう。

 既に出久とトガの二人が座り、ただでさえ狭くなっているにもかかわらず、トゥワイスは躊躇しなかった。

 

「ちょっと、仁君狭いです!」

 

「詰めろ詰めろ! 仲間なんだから密着しようぜ! 気持ち悪いから離れろ!」

 

「いた、いたた……分倍河原さん、肘が……」

 

 出久が弱々しく抗議する。

 

 結局、トゥワイスはトガの隣へ半ば腰を浮かせたまま座り、ソファの端から身体を大きくはみ出させた。

 安物の家具が悲鳴のような軋みを上げる。

 

 義爛はその様子を見て、さらに深いため息を吐いた。

 

「何の用だ。飯ならないぞ」

 

「飯の話じゃねえ。仕事の話だ!」

 

 トゥワイスは勢いよく人差し指を立てた。

 

「仕事?」

 

 スピナーが警戒するように眉を寄せる。

 

「ああ! 近所を歩いてたらよ、しょぼいヴィランの集まりを見かけたんだ」

 

「近所を歩くな。お前も顔が割れてるんだぞ」

 

「変装してたから大丈夫だ! お気に入りの紙袋さ!」

 

「どこが変装なんだよ」

 

 義爛は頭を抱えた。

 

 トゥワイスは構わず続ける。

 

「そいつら、どうも強盗を計画してるらしい。コンビニを襲うとか、なんとか、そんな話をしてやがった」

 

「盗み聞きしたんですか?」

 

 トガが尋ねる。

 

「堂々と隣の席で聞いた! 怪しまれたから逃げた!」

 

「見つかってるじゃねえか」

 

「だが、計画はばっちりだ。日時も場所も人数も聞いた。すべて把握した!」

 

 トゥワイスは胸を張ったあと、急に両手を広げた。

 

「そこでだ!」

 

 部屋の全員へ聞かせるように、声を張り上げる。

 

「そいつらが強盗を始める前に、俺たちがぶっ飛ばす!」

 

 一瞬、室内が静まった。

 

「……それで?」

 

 スピナーが続きを促す。

 

「そいつらが用意してる金と武器を、俺たちが奪う!」

 

 トゥワイスは得意げに親指を立て、狭いソファの上で胸を張った。体重を預けた拍子に座面がさらに沈み、出久の固定された腹部へ振動が伝わる。

 

「痛……」

 

「悪いな緑谷少年! もっと詰めろ!」

 

 出久が弱々しく抗議する横で、トガは押し潰されまいとトゥワイスの肩を肘で押し返した。

 義爛はそんな三人を眺めながら、もう何度目かも分からないため息を吐く。

 

「つまりお前は、強盗を企んでる連中を襲って、そいつらの金を強奪しようって言ってるんだな」

 

「その通りだ!」

 

「ただの強盗同士の潰し合いじゃねえか」

 

「違うぜ!」

 

 トゥワイスは勢いよく立ち上がろうとしたが、ソファの端に浅く腰掛けていたせいで身体が大きく傾いた。

 慌ててテーブルへ手をつき、薬瓶を何本か転がしてから、何事もなかったように姿勢を正す。

 

「これは全員の希望を叶える、完璧な作戦なんだ!」

 

「全員?」

 

 スピナーが訝しげに聞き返した。

 

「ああ。まず、ヴィランを捕まえれば──」

 

 トゥワイスは包帯だらけの出久を勢いよく指差した。

 

「ヒーロー志望の緑谷少年も嬉しい!」

 

「……」

 

 出久は眉を寄せたものの、強く否定することはできなかった。

 強盗を未然に止められるなら、それ自体は悪いことではない。

 

 一般人が傷つく可能性もなくなり、金銭的な被害も防げる。

 手段に大きな問題があるだけで、トゥワイスの提案すべてが間違っているわけではなかった。

 

 トゥワイスは出久が黙ったのを都合よく肯定と受け取ると、今度はスピナーへ向き直った。

 

「それから、中途半端で俗なヴィランをぶっ飛ばせば、スピナーも満足!」

 

「勝手に決めるな」

 

「金欲しさにコンビニを襲うような連中だぞ。思想も信念もない。お前が一番嫌いなタイプだろ?」

 

 スピナーは即答しなかった。

 

 図星だった。

 

 彼がステインへ心酔したのは、その凶行に確固たる信念があったからだ。

 自らの命すら思想のために投げ出し、歪んでいても一切の妥協なく社会へ刃を向けた姿に惹かれたのであって、目先の金を得るためだけに店員を脅すような犯罪者へ共感したわけではない。

 

「……確かに、くだらない連中だとは思う」

 

「ほらな!」

 

「だが、だからって俺たちが金を奪っていい理由にはならない」

 

「細かいことを気にするなよ。ヴィランを捕まえられて、金は手に入る!」

 

 トゥワイスは両腕を大きく広げ、まるで舞台上で演説するように声を張り上げた。

 

「ヒーロー志望も満足! 思想家も満足! 俺たちは金を得る! 強盗は殴られる! 店は襲われない! みんな幸せだ!」

 

 一拍置いてから、さらに胸を反らす。

 

「一石二鳥な作戦だろう!」

 

 義爛は煙草の箱を手に取ったが、トガの視線に気づくと、苛立たしげに元へ戻した。

 

「そもそも、そいつらが用意した金ってのは何だ。強盗する前から現金を持ってるなら、ただの活動資金だろうが」

 

「たぶんな!」

 

「盗品か?」

 

「知らねえ!」

 

「誰かから、奪った金かもしれないんですよね」

 

 出久が口を挟むと、トゥワイスは勢いを削がれたように首を傾げた。

 

「そうなのか?」

 

「僕に聞かないでくださいよ」

 

「もし盗まれたお金なら、被害者へ返さないと」

 

「じゃあ返そう! 俺たちで使おう!」

 

 トガが隣でくすくすと笑う。

 

「仁君の作戦、穴だらけですねえ」

 

「完璧だって言っただろ! 今考えたばかりだからな!」

 

 スピナーは腕を組み、しばらく黙考した。やがてテーブルの上へ広げられた紙を手元へ引き寄せ、雑に書き込まれた地図と予定時刻を確認する。

 

「少なくとも、こいつらが本当に強盗を計画しているかは確かめる必要がある。それから金の出所もだ」

 

「お、乗り気じゃねえか!」

 

「調べるだけだ。一般人を襲うような連中なら止める。それは俺の思想にも反しない」

 

「俺の案が採用された!」

 

「金を奪うとは言ってない」

 

 スピナーの釘を刺すような声にも、トゥワイスはまるで怯まなかった。

 

「現場で考えればいいんだよ! 行き当たりばったりは危険だ! 綿密に行き当たりばったりで行こうぜ!」

 

「行き当たりばったりから離れろ」

 

 義爛は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。

 

「決まりだな! 悪党を殴って、金を奪って、世界を平和にする!」

 

「最後の目的が大きくなってるぞ」

 

「まずは近所のコンビニからだ!」

 

 彼の勇ましい宣言に、義爛はうんざりしたように天井を仰いだ。

 

 こうしてAFOを失ったヴィラン連合が最初に選んだのは、強盗を企てる小悪党を先回りして叩き、その犯行を潰すという、どこかヒーローの真似事めいた活動だった。

 

 

 

 

 

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