間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第69話 強盗強盗

 義爛の隠れ家から幾つか離れた区画に、古びた二階建てのアパートがあった。

 

 外壁はところどころ塗装が剥がれ、錆びた階段は人が上るたびに甲高い音を立てる。

 郵便受けの多くには名前がなく、廊下の照明は一定の間隔で明滅を繰り返していた。

 

 その二階、最も奥にある一室。

 

 窓には汚れたカーテンが閉められ、昼間にもかかわらず室内は薄暗い。

 床には空の酒瓶や菓子の袋、脱ぎ散らかされた衣服が転がり、低いテーブルの中央には一枚の紙が広げられていた。

 

 紙に描かれているのは、近所にあるコンビニエンスストアの見取り図だった。

 もっとも、見取り図と呼べるほど大したものではない。

 

 長方形の枠の中に、入り口とレジらしき四角が描かれ、

 店の裏側には大きな矢印とともに「逃げる」と書かれている。それ以外の情報は何もなかった。

 

「よし。もう一回、作戦を確認するぞ」 

 

 テーブルの前に座る男が、油性ペンの先で紙を叩いた。

 

 赤いアイマスクを着けた男──レッド。

 

 その左右には、耳の長いブルーと、口元をマスクで覆ったグリーンが座っている。

 部屋の隅では、獣じみた異形の姿をしたイエローが、酒の缶を片手に壁へ寄りかかっていた。

 

 彼らは四人組のヴィラン。

 自称、レザボアドッグス。

 

「狙うのは、このコンビニだ」

 

「それ、さっきも聞いたぞ」

 

 ブルーが菓子を口へ運びながら答える。

 

「確認は大事なんだよ。お前らはすぐ忘れるからな」

 

「俺たちっていうか、レッドが一番忘れてない?」

 

 グリーンが見取り図を覗き込む。

 

「この矢印、壁に向かってるけど」

 

「裏口だ」

 

「そこに裏口あったか?」

 

「あるだろ。コンビニなんだから」

 

「見てきたのか?」

 

「見てない」

 

 グリーンが肩をすくめる。

 

「じゃあ分からないじゃん」

 

「細かいことは現場で考えればいい」

 

 レッドは油性ペンで見取り図のレジを囲んだ。

 

「時間は明日の午前二時。客が一番少なくなる時間だ。店員も一人しかいない」

 

「本当に一人か?」

 

 イエローが聞く。

 

「たぶん」

 

「たぶんかよ」

 

「昨日、外から見たときは一人だった」

 

「昨日と明日で同じとは限らないだろ」

 

「二人いたら二人とも脅せばいい」

 

 レッドは当然のように言い切った。

 

 ブルーが感心したように頷く。

 

「なるほど。人数が増えても作戦は変わらないわけだ」

 

「そういうことだ」

 

「それ、作戦が雑なだけじゃないか?」

 

 グリーンが言うと、四人の間に短い沈黙が落ちた。

 

 やがて、ブルーが吹き出した。

 

「まあ、コンビニ強盗なんてそんなもんだろ」

 

「そうだ。難しく考える必要はない」

 

 レッドも笑い返した。

 

 彼らは知らない。

 

 自分たちの杜撰な計画が、既に別のヴィランの耳へ入っていることを。

 

 明日の夜、店員を脅し、レジを奪い、意気揚々と逃走するはずだった四人の前へ、自分たちとは比較にならないほど危険な犯罪者たちが現れることを。

 

 レザボアドッグスは何も知らないまま、夜遅くまで酒を飲み、成功するはずの初仕事について笑い合っていた。

 

 ──コンコン。

 

 部屋の外から、不意に扉が叩かれた。

 

 四人の笑い声がぴたりと止まる。

 

「……ん?」

 

 ブルーが耳を動かした。

 

「誰か来たぞ」

 

「宅配か?」

 

 グリーンが壁の時計を見る。

 

「頼んでないけど」

 

 イエローが首を傾げる。

 

「お前ら、勝手に出前でも頼んだのか?」

 

「頼んでねえよ」

 

 レッドは酒の缶を机へ置いた。

 

「俺も知らない」

 

「俺じゃない」

 

「俺もだ」

 

 四人で顔を見合わせる。

 

 再び。

 

 コンコン。

 

 今度は少しだけ強く叩かれた。

 

「……じゃあ誰だ?」

 

「知らねえよ」

 

「居留守使うか?」

 

「いや、近所の住人かもしれねえ」

 

 レッドは立ち上がると、ズボンについた食べカスを叩いて落とす。

 

「ちょっと見てくる」

 

「気をつけろよ」

 

「すぐ戻る」

 

 玄関へ向かい、覗き穴を確認する。

 だが、外には誰も立っていない。

 

「……?」

 

 廊下の照明がちらちらと明滅するだけだった。

 

「誰もいないぞ」

 

「いたずらか?」

 

「ガキじゃあるまいし」

 

 レッドは肩をすくめ、そのまま鍵を外した。

 

 扉を半分ほど開いた、その瞬間だった。

 

「──動くな」

 

 低い声が耳元で響いた。

 

「なっ──」

 

 反応するより早く、扉が内側へ勢いよく押し開かれる。

 

 フードを深く被った男が、その隙間を縫うように部屋へ踏み込んだ。

 露出した顔には緑色の鱗。

 

 スピナーだった。

 

 レッドの胸倉を左手で掴み、そのまま勢いよく壁へ叩きつける。

 

「ぐっ!」

 

 鈍い音が狭い玄関へ響いた。

 

 同時に、右手に握られたナイフが喉元へ突きつけられる。

 刃先が皮膚へ触れ、薄く赤い線が走る。

 

「暴れるんじゃねえ」

 

 静かな声だった。

 だが、その眼差しには一切の迷いがない。

 

「一人でも動けば、まずこいつからだ」

 

 部屋の空気が一変した。

 

「お、おい!」

 

 ブルーが勢いよく立ち上がる。

 イエローも壁際から身を離し、一歩踏み出そうとする。

 

 その瞬間。

 

「はーい! そこまでだぁ!」

 

 明るすぎる声が廊下から響いた。

 

 ひょい、と扉の隙間から黒い全身スーツの男が顔を覗かせる。

 

 トゥワイス。

 

「俺たちが来たぜ! 帰るぜ!」

 

 そのまま両手を大きく広げながら部屋へ飛び込んでくる。

 

「動くなよー!」

 

 そう叫びながら、勢いよく一歩踏み込む。

 

「動いてもいいぞ! やっぱり動くな!」

 

 続いて、小柄な少女が軽い足取りで玄関を潜った。

 

「こんにちはぁ」

 

 トガヒミコは楽しげに笑いながら、腰のナイフをくるりと指先で回す。

 

 金色の瞳が部屋の三人を順番に眺めた。

 

「強盗に来ました! じゃなくて、ヒーローしに来ました!」

 

 トガの物騒な言い間違いに、部屋の空気が一瞬だけ止まった。

 

「どっちなんだよ!」

 

 グリーンが思わず叫ぶ。

 

「えへへ、間違えちゃいました」

 

 トガは悪びれもせず舌を出し、ナイフを指先でくるりと回した。

 

「とにかく、大人しくしてくださいね」

 

 スピナーは視線をレッドから逸らさない。

 

「聞こえなかったのか」

 

 その一瞬だった。

 

「この野郎ッ!」

 

 レッドの膝が勢いよく跳ね上がる。

 不意を突かれたスピナーの腹へ蹴りがめり込み、わずかに体勢が崩れる。

 

 その隙を逃さず、レッドは手首を掴んで力任せに捻り上げた。

 

 ナイフが宙を舞う。

 がちゃん、と床へ落ちる前に、レッドが空中で掴み取った。

 

 そのまま後方へ大きく飛び退く。

 

「すげー! レッド!」

 

 ブルーたちが歓声を上げる。

 

 喉元を押さえながらも、レッドは獰猛な笑みを浮かべた。

 

「はっ!」

 

 奪い取ったナイフを構え直し、その切っ先をスピナーへ向ける。

 

「こいつ、見かけだけだ!」

 

 勝ち誇ったように叫ぶ。

 

「弱いぞ!」

 

 調子づいたレッドは、そのまま刃先を順番に向けていく。

 

「三対四だ! 形勢逆転ってやつだな!」

 

 ブルーとグリーンも勢いづく。

 

「やれる!」

 

「囲め囲め!」

 

 イエローも低く唸りながら前へ出た。

 

 だが、トガだけは、まるで怯える様子がなかった。

 

「きゃー」

 

 口元へ両手を添え、嬉しそうに笑う。

 

「ヒーロー助けてぇ〜」

 

 棒読みだった。

 悲鳴とは到底思えない、ふざけ半分の甘ったるい声が狭い部屋へ響く。

 

「助けてくださーい。悪いヴィランさんに襲われてまーす」

 

 レッドが眉をひそめる。

 

「……何やってんだ、こいつ」

 

「ヒーローごっこですよ、ヴィランさん」

 

 トガはくすくす笑ったまま、玄関の方へ視線を向けた。

 

「助けて〜! ヒーロー!」

 

「は?」

 

 その言葉に合わせるように。

 廊下から、ゆっくりと足音が近づいてくる。

 一定の間隔で鳴る、重く鈍い靴音。

 

 やがて、玄関の前へ一つの影が現れた。

 

 包帯だらけの右腕を三角巾で吊り、左脚にはまだ添え木が巻かれている。

 腹部は分厚い固定具で固められ、その上からゆったりとしたパーカーを羽織っていた。

 顔に残る痣はまだ濃い。

 

 事件から四日。

 本来なら歩いていること自体がおかしいほどの重傷者。

 それでも少年は、自分の足で静かに部屋へ入ってきた。

 

 レッドは鼻で笑う。

 

「なんだ?」

 

 ナイフを軽く振って見せる。

 

「最後の一人って、その怪我人かよ」

 

 出久は何も言わなかった。

 ただ、静かに一歩だけ前へ出る。

 

 レッドは鼻で笑い、ナイフの切っ先を少年へ向けた。

 

「近寄るんじゃねぇ!」

 

 反応はない。

 

「聞こえなかったのか!」

 

 もう一歩。

 包帯に覆われた足取りは決して速くない。

 怪我人らしい、ゆっくりとした歩みだった。

 

「ちっ!」

 

 レッドは苛立ったように舌打ちし、刃を突き出す。

 

「刺すぞ!」

 

 乾いた音が鳴る。

 

「……え?」

 

 レッドの右手首は、いつの間にか出久の左手に掴まれていた。

 あまりにも自然で、誰一人として動きを目で追えなかった。

 

「離せ! このガキ!」

 

 力任せに腕を引こうとする。

 

 びくともしない。

 細く、包帯だらけの腕とは思えないほど、その握力は岩のようだった。

 

「このっ──」

 

 レッドがさらに身体ごと捻った、その刹那。

 

 ごきっ。

 

 鈍い音が部屋へ響く。

 

「ぎゃああああっ!」

 

 レッドが絶叫した。

 手首が不自然な方向へ折れ曲がり、力を失った指先からナイフが滑り落ちる。

 床に落ちる前に、出久が素早く受け止めた。

 

 出久は奪ったナイフを無言で見つめる。

 ホームセンターで売られていても不思議ではない、粗末な一本。

 

 次の瞬間。

 

 ぎしっ。

 

 金属が軋む音がした。

 出久の指がゆっくりと閉じられていく。

 

「え……?」

 

 レッドの目が見開かれる。

 刃が曲がる。

 柄が潰れる。

 金属同士が擦れ合う嫌な音を立てながら、ナイフ全体が少しずつ歪んでいく。

 

 やがて。

 

 ぐしゃり。

 

 出久が拳を開くと、そこにあったはずのナイフは原形を留めず、金属の塊へと変わっていた。

 まるで紙くずでも丸めたかのようだった。

 

「あぁぁっ……」

 

 情けない声を漏らしたのはスピナーだった。

 

 目の前で潰された金属片を見つめ、肩を落とす。

 

「俺のナイフ……3000円もしたのに」

 

「そこですか?」

 

 トガが思わず突っ込む。

 

「お気に入りだったんだ……」

 

「今、気にするとこ違いますよね?」

 

 一方。

 ブルーも、グリーンも、イエローも、誰一人として動けなかった。

 さっきまでの威勢は完全に消え失せ、ただ呆然と立ち尽くしている。

 

「な……」

 

 ブルーの声が震える。

 

「なんだよ……今の……」

 

 レッドは折れた手首を押さえながら後ずさった。

 その拍子に、出久のフードへ腕が引っ掛かる。

 ぱさり、と布が肩へ落ちた。

 

 緑色の髪。

 実年齢より少し幼い顔立ち。

 テレビやネットで何度も見た、あの顔。

 

 数日前、日本中へ報じられた指名手配写真と同じ少年が、目の前に立っていた。

 

「……あ」

 

 グリーンの顔から血の気が引く。

 

「お、おい……」

 

 イエローが一歩後ずさる。

 

 ブルーは震える指で出久を指差した。

 

「こいつ……!」

 

 喉がひくりと鳴る。

 

「デクだ!」

 

 その一言だけで十分だった。

 

 神野でオール・フォー・ワンと共に現れ、オールマイトと激突した怪物。

 骨を纏い、複数の”個性”を使いこなし、全国指名手配となった十六歳。

 

 画面越しでしか見たことのなかった存在が、今、自分たちのアジトの玄関に立っている。

 

 レッドたち四人は、完全に言葉を失っていた。

 

 最初に我に返ったのは、ブルーだった。

 

「デ、デク……」

 

 震える指先を向けたまま、何度も瞬きを繰り返す。顔から血の気は引いている。

 それでも、恐怖に呑まれ切るより先に、彼の頭の中では別の計算が始まっていた。

 

 逃げられない。

 戦っても勝てない。

 

 ならば。

 

「あっ!」

 

 突然、声を上げる。

 出久を指差していた手を引っ込め、今度は両手を胸の前で大きく広げた。

 

「俺、あんたのファンだったんだ!」

 

 レッドたちが一斉に振り返る。

 

「は?」

 

 ブルーは構わず続けた。

 

「いや、マジで! ずっと応援してた! 神野の映像も見たし、あの骨のやつとか、すげえ格好よかった!」

 

 つい数秒前まで恐怖で震えていた声が、急に調子よく弾み始める。

 

「てか、あんただけじゃなくて、あんたらのファンだよ!」

 

 スピナー。

 トガヒミコ。

 トゥワイス。

 順番に指差し、最後に両手を大きく広げた。

 

「敵連合、だったよな! 違ったっけ? まあ、どっちでもいいけど!」

 

「よくない」

 

 スピナーが低く言う。

 

 だがブルーは止まらなかった。

 

「俺、あんたらみたいな本物のヴィランに憧れてたんだ! 神野でオールマイトとやり合ったんだろ? 街もぶっ壊して、ニュースも全部あんたらの話で!」

 

 出久の眉が僅かに動く。

 

 ブルーはそれを好意的な反応だと勘違いした。

 

「俺たちも、いつかああなりたいって話してたんだよ! なあ!」

 

 突然仲間へ同意を求める。

 グリーンは戸惑いながらも、すぐに何度も頷いた。

 

「そ、そうそう! 言ってた!」

 

 イエローも遅れて首を縦に振る。

 

「ああ。言ってた、たぶん」

 

「お前ら……」

 

 折れた手首を押さえるレッドが、信じられないものを見るように三人を睨む。

 

「何勝手に──」

 

「黙ってろよ!」

 

 ブルーが小声で鋭く遮った。

 

「殺されたいのか!」

 

「聞こえてますよ」

 

 トガが嬉しそうに笑う。

 

「ひっ」

 

 ブルーは肩を跳ねさせたが、すぐに愛想笑いを貼り付け直した。

 

「いやあ、さすが! 耳もいい!」

 

「私は普通です」

 

「そういうとこも格好いい!」

 

「えー?」

 

 トガはくすくす笑った。

 

 出久は何も言わない。

 ナイフだった金属の塊を床へ落とし、静かに四人を見回している。

 その無言の視線が、ブルーには何より恐ろしく感じられた。

 

「な、なあ!」

 

 さらに媚びるように一歩前へ出る。

 

「俺ら、あんたらの下で働いてもいいぜ!」

 

「おい!」

 

 レッドが叫ぶ。

 

「勝手に決めんな!」

 

「今決めたんだよ!」

 

「さっきまで俺がリーダーだっただろ!」

 

「今は違う!」

 

 ブルーは出久へ両手を合わせた。

 

「使い走りでも何でもする! コンビニ強盗だって、一緒にやってもいい! レジも俺らが運ぶし、車も出す!」

 

「強盗を止めに来たんですけど」

 

 出久がようやく口を開く。

 静かな声だった。

 

 ブルーの笑顔が固まる。

 

「……え?」

 

「僕たちは、あなたたちが強盗するって聞いて来ました」

 

「止めに?」

 

「はい」

 

 ブルーは数秒ほど出久の顔を見つめた。

 理解が追いついていない。

 

「敵連合が、俺たちの強盗を止めに来たのか?」

 

「そうです」

 

「なんで?」

 

 出久は答えに詰まった。

 

 その横から、トゥワイスが勢いよく前へ出る。

 

「話は簡単だ!」

 

 ブルーの肩へ両腕を回し、逃がさないようにぐっと引き寄せた。

 

「お前、俺らのファンなんだな!」

 

「お、おう!」

 

 ブルーは何度も頷く。

 

「大ファン! 昔から! 数日前から!」

 

「どっちだ!」

 

「昔からってことで!」

 

「よし!」

 

 トゥワイスは満足そうに胸を張ると、次の瞬間にはブルーの胸倉を掴んだ。

 

「ちょうどいいぜ!」

 

「え?」

 

「俺たち、金がなくて困ってんだ!」

 

 ブルーの顔から、引きつった笑みが消える。

 

「は?」

 

「有り金全部出しやがれ!」

 

 トゥワイスは顔を近づけ、勢いよく言い放った。

 

「ファンなら推しに貢げ! 強盗だ! 寄付だ!」

 

「結局強盗じゃねえか!」

 

 グリーンが叫ぶ。

 

「違う!」

 

 トゥワイスは即座に否定した。

 

「ファンからの善意の支援だ! 脅して奪う!」

 

「完全に強盗だろ!」

 

「細けえこと気にすんな!」

 

 トゥワイスの言葉に、部屋の空気が固まった。

 ブルーは胸倉を掴まれたまま、何度も瞬きを繰り返す。

 

「……本気で言ってるのか?」

 

「本気だ! 冗談だ!」

 

「どっちだよ!」

 

「金を出せってところは本気だ!」

 

 トゥワイスがさらに顔を近づけると、ブルーの長い耳がぴんと強張った。

 助けを求めるように仲間へ視線を送る。

 

 だが。

 

 グリーンは目を逸らした。

 イエローは壁際まで下がっている。

 レッドに至っては、折れた手首を抱えたまま、関わりたくないとでも言いたげに俯いていた。

 

「お、おい……」

 

 ブルーの声が震える。

 

「俺だけじゃないよな?」

 

「何がだ」

 

「金を出すの、俺だけじゃないよな!?」

 

 その問いに、トゥワイスはゆっくりと部屋を見回した。

 

「もちろんだ!」

 

 大きく腕を広げる。

 

「全員だ! 一人だけ助かると思うな!」

 

「仲良く全員で寄付してくださいね」

 

 トガがにこやかに付け加えた。

 その手では、いつの間にか注射器の様な凶器が回っている。

 

 刃が室内の薄い光を反射するたびに、レザボアドッグスの四人は僅かに肩を震わせた。

 

「は、はい……!」

 

 最初に動いたのは、やはりブルーだった。

 両手をゆっくり上げ、敵意がないことを示しながら、壁際に脱ぎ捨ててあった上着へ近づく。

 

「急に動くなよ!」

 

 トゥワイスが叫ぶ。

 

「ゆっくり動け! さっさとしろ!」

 

 ブルーは泣きそうな顔をしながら上着のポケットを探り、青い財布を取り出した。

 両手で持ち、トゥワイスへ差し出す。

 

「これで全部だ」

 

 トゥワイスは財布を受け取り、勢いよく中身をテーブルへぶちまけた。

 

「一万二千円!」

 

 トゥワイスが紙幣を数えながら叫ぶ。

 

「そこそこ持ってるじゃねえか!」

 

「家賃払う金だよ!」

 

「残念だったな! 俺たちの家賃に使う!」

 

 脅されてグリーンとイエローが、そして最後にレッドが渋々と立ち上がった。

 四人分の金が、コンビニの見取り図の上へ集められていく。

 紙幣と硬貨を合わせても、せいぜい四万円余り。

 想像していた大金とは程遠い。

 

 トゥワイスは見取り図の上へ散らばった紙幣と硬貨を、両手で乱暴に掻き集めた。

 

「四万とちょっとか!」

 

 財布の中身まで改め、テーブルの隅に落ちていた百円玉を見つけると、それも忘れず拾い上げる。

 

「しけてやがんな! 大金だぜ!」

 

「どっちなんだよ……」

 

 グリーンが力なく呟く。

 

 トゥワイスは集めた金をブルーの財布へまとめて詰め込み、入り切らなかった硬貨を自分のポケットへ流し込んだ。

 歩くたびに音が鳴りそうなほど膨らんだ財布を掲げ、得意げに胸を張る。

 

「まあ、しばらくの飯代と薬代にはなるだろ!」

 

「秀一君のナイフ代もですよ」

 

 トガヒミコが床へ落ちた金属の塊へ目を向ける。

 

「そうだ!」

 

 スピナーはすぐに反応した。

 

「三千円分は俺の取り分だからな」

 

「仲間内で取り分を主張すんなよ! 当然の権利だ!」

 

「壊したのはデク君ですけどね」

 

 トガが笑う。

 

 出久は僅かに視線を逸らした。

 

 レザボアドッグスの四人は、その場違いな会話を青ざめた顔で見守っていた。

 

 つい先ほどまで、自分たちが襲うはずだったコンビニについて笑い合っていた部屋で、今は自分たちを襲ったヴィランたちが生活費の配分を相談している。

 

 レッドは折れた手首を押さえ、脂汗を浮かべながら壁へ寄りかかっていた。

 

「もう、金は全部渡しただろ……」

 

「ああ!」

 

 トゥワイスは財布を懐へ押し込み、四人を順番に指差した。

 

「今回だけは、これで勘弁してやるぜ!」

 

「何を勘弁されたんだ、俺たち……」

 

「命ですかねえ」

 

 トガが楽しそうに答えると、四人が一斉に口を閉ざした。

 

 スピナーは細切れになったコンビニの見取り図を拾い、さらに細かく破ってゴミ箱へ放り込む。

 

「強盗は中止だ。お前達の様な俗なヴィランは、偽物のヒーローと同じくらい害悪なんだよ」

 

「し、しません!」

 

 ブルーが即答した。

 

「もうコンビニには近づかない!」

 

「買い物くらいはしていいだろ」

 

 グリーンが小声で訂正する。

 

「買い物だけにします!」

 

「店員も脅しません!」

 

「レジも抜きません!」

 

 イエローまで慌てて付け加えた。

 

「よし、帰るぞ!」

 

 トゥワイスが玄関へ向かう。

 

「強盗を阻止して金も手に入れた! 今日の俺たちは立派なヒーローだ! 最低のヴィランだ!」

 

 トガは最後まで四人へ笑顔を向けたまま、後ろ歩きで玄関を出ていく。

 

「それじゃあ、さようなら」

 

 手をひらひらと振る。

 

「二度と来るな!」

 

 グリーンが思わず叫ぶ。

 

 トガの笑みが少しだけ深くなった。

 

「えへへ」

 

 出久が扉を引き、敵連合の四人は廊下へ姿を消した。

 錆びた階段が軋む。

 ばらばらの足音が一階へ下り、やがて遠ざかっていく。

 

 室内に静寂が戻った。

 

 レザボアドッグスの四人は、すぐには動かなかった。閉まり切らずに僅かに開いた扉を見つめたまま、耳を澄ませる。

 

 足音は、もう聞こえない。

 

「……行ったか?」

 

 ブルーが囁く。

 

 イエローが長い間廊下の気配を探り、ゆっくりと頷いた。

 

「たぶん」

 

「今度のたぶんは信用できるのか?」

 

「知らん」

 

 その返事に文句を言う者はいなかった。

 

 グリーンがその場へ座り込み、大きく息を吐く。

 

「助かった……」

 

「助かってねえよ」

 

 レッドは折れた手首を抱えたまま呻いた。

 

「金も全部持っていかれたし、俺は骨折だぞ」

 

「命はあるだろ」

 

「危うくナイフで脅されて、デクに腕を折られて、敵連合に全財産を奪われたんだぞ」

 

「ヴィランに憧れてたんだろ?」

 

 ブルーが言う。

 

「実物に会えてよかったじゃねえか」

 

「お前が勝手にファンを名乗ったんだろうが!」

 

「生き残るためだよ!」

 

 言い争う声が部屋へ戻り始める。

 恐怖が少しずつ薄れ、緊張で固まっていた身体にも力が戻る。

 

 グリーンは床へ散らばった空の財布を拾いながら、深く息を吐いた。

 

「とにかく、もう強盗はやめよう。少なくとも、あいつらがこの辺にいる間は」

 

「別の区画なら──」

 

「やめとけ!」

 

 三人の声が重なった。

 レッドが不満げに口を閉じる。

 

 そのときだった。

 

 きい、と。

 

 閉めたはずの扉が、僅かに動いた。

 

 四人の会話が止まる。

 

「……風か?」

 

 ブルーの長い耳が揺れた。

 

 開いた扉の隙間。

 

 廊下の薄暗がりから、金色の瞳が覗いていた。

 

「えへへ」

 

 にっこりと笑う顔が、ゆっくりと扉の向こうから現れる。

 

 トガヒミコだった。

 

「な──」

 

 四人の顔から、再び血の気が引く。

 

「お、お前、帰ったんじゃ……」

 

「忘れ物です」

 

 トガは部屋へ戻ってくると、四人の横を楽しそうに通り過ぎた。

 

 向かった先は台所だった。

 流し台の横に置かれていた包丁立てへ手を伸ばし、一本ずつ刃を確かめる。

 やがて最も長い包丁を選ぶと、ゆっくりと引き抜いた。

 

 しゃりん、と。

 

 金属が擦れる細い音が、やけに大きく響いた。

 

「それ、俺たちの……」

 

 グリーンの声が掠れる。

 

「はい」

 

 トガは刃を光へ翳し、満足そうに笑った。

 

「ナイフ、デク君が壊しちゃったので」

 

「じゃあ、それを持って帰るだけだよな?」

 

 ブルーが必死に愛想笑いを浮かべる。

 

「ちっちっち」

 

 トガヒミコは可愛らしく指を振る。

 玄関へは向かわない。

 

 包丁を片手に、四人へ一歩近づく。

 

「皆さん、私たちの顔を見ちゃいましたよね」

 

 四人は動けなかった。

 声すら出せない。

 

 トガは包丁の背を唇へ当て、子供が内緒話を楽しむように囁いた。

 

「口封じ」

 

 金色の瞳が弓なりに細められる。

 

「口封じ」

 

 くすくすと笑う。

 先ほどまでの無邪気な笑顔と、何一つ変わらない。

 

 だからこそ、その光景はひどく悍ましかった。

 

「じょ、冗談だよな……?」

 

 ブルーの問いに、トガは首を傾げた。

 

「どっちだと思います?」

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