間違えずに、失う者たち   作:助兵衛

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第79話 ジェントル・クリミナル

 通話を終える電子音が小さく鳴った。

 お茶子はしばらくスマートフォンの画面を見つめていたが、やがて息を吐き、端末をポケットへしまった。

 

「……終わったよ」

 

 向かいに座っていた出久が、わずかに身を乗り出す。

 

「どうだった?」

 

「一応、話は聞いてくれたよ。確認してみるって」

 

「そっか」

 

「ただ、やっぱり色々聞かれた。壊理ちゃんが今どこにおるとか、私がどういう関係なんかとか」

 

 お茶子は苦笑しながらスマートフォンをポケットへしまった。

 

「そこは誤魔化したけど」

 

「……ごめん」

 

「デク君が謝ることちゃうよ。私がやるって言ったんやし」

 

 そう答えたものの、これで何かが解決したわけではない。

 

 児童相談所が実際にどこまで動けるのかは分からない。

 八斎會を調べて何が出てくるのかも、そもそも壊理が虐待されていたという推測が正しいのかさえ分からなかった。

 

 それでも、何もしないよりはいい。

 

 お茶子はそう考えながら、残っていたオレンジジュースを一口飲んだ。

 

 向かいの出久は黙っている。

 

「……デク君?」

 

「あのさ、麗日さん」

 

 呼ばれて顔を上げると、出久は先ほどまでとは違う、どこか言いにくそうな顔をしていた。

 

「何?」

 

「もう一つ、お願いがあるんだ」

 

「お願い?」

 

「うん」

 

 出久は一度、周囲を見た。

 

 色褪せた壁紙。使われなくなった受付カウンター。奥に積まれた敵連合の荷物。

 少し離れた場所では、こちらを気にしながらトガたちが話している。

 

 そして、再びお茶子を見る。

 

「招いておいてなんだけど、この場所のこと……誰にも言わないでほしいんだ」

 

 お茶子の表情が止まった。

 

「……ここ?」

 

「うん。僕らがここにいることも」

 

 それが何を意味しているのか、理解するまでに時間はかからなかった。

 

 ここは全国指名手配されたヴィランたちが潜伏し、警察やプロヒーローが血眼になって探している敵連合のアジトだ。

 その場所を、お茶子は今知ってしまっている。

 

「それは……」

 

「分かってる」

 

 出久がすぐに言った。

 

「麗日さんに頼めることじゃないのは分かってる。僕らは指名手配されてるし、ここを警察に知らせるのが普通だってことも」

 

「……」

 

「それに、僕が勝手に連れてきたのに、今度は黙っててくれって言うのも……すごく都合がいい」

 

 言いながら、出久の声が少しずつ弱くなっていった。

 

 お茶子は何も言えない。

 

 当然のことを言えば、断るべきだった。

 自分はもう雄英のヒーロー科ではない。ヒーローになる道からも外れてしまった。

 それでも、敵連合の潜伏先を知りながら黙っていることが正しいはずはない。

 

 ましてや、彼らが何をしているのかも聞いたばかりだ。

 八斎會と組み、違法薬物を売っている。

 出久自身も人を殺したと認めている。

 

 昔のクラスメイトだから、という理由だけで見逃していい話ではなかった。

 

「……お願い」

 

 出久の声がした。

 

 お茶子は顔を上げた。

 

「誰にも、言わないでほしい」

 

 縋るような目だった。

 何かを必死に考えているようで、怯えているようでもあって、少し触れただけで全部が崩れてしまいそうな顔。

 

「……」

 

 お茶子は唇を噛んだ。

 

 駄目だと思った。

 ここで頷いてはいけない。

 

 今日だけでも、自分は随分おかしなことをしている。

 バイトを途中で抜け出して、敵連合についてきて、そのアジトでジュースまで飲んでいる。

 

 そのうえ、潜伏先まで黙っていたら。

 

 もう完全に──

 

「……分かった」

 

「言わん」

 

 あんな顔で頼まれて、断れなかった。

 

「ここのことも、デク君らがおることも。誰にも言わん」

 

 出久は一瞬、目を丸くした。

 

 まさか本当に了承されるとは思っていなかったのだろう。何度か瞬きをしてから、張り詰めていた表情がふっと緩む。

 

「ありがとう!」

 

 ぱっと笑った。

 

 何の含みもない、無邪気な笑顔だった。

 

「……っ」

 

 お茶子は反射的に顔を逸らした。

 

 心臓が妙な跳ね方をした。

 今のは駄目だ。

 

 さっきまで人を殺しただの、違法薬物を売っているだの、全国指名手配だのと散々とんでもない話を聞かされたばかりなのに、その笑い方だけは昔と何も変わっていない。

 

「麗日さん?」

 

「なんでもない」

 

「でも──」

 

「なんでもないって」

 

 お茶子は少し強めに言って、空になりかけたコップへ逃げるように口をつけた。

 

 もうほとんど氷しか残っていない。

 それでもストローを咥えたまま、出久の方は見なかった。

 

「……ほんま、ずるいわデク君」

 

 数か月。

 たった数か月なのに、ずいぶん遠回りをした気がする。

 雄英を辞め、ヒーローになる道から外れて、今ではアルバイトをしている。

 

 そして今日、スーパーで偶然再会した少年は、全国指名手配のヴィランになっていた。

 それなのに、こうして話していると、時折すべてが昔のままに思えてしまう。

 

 それが少し嬉しくて。

 

 同じくらい、苦しかった。

 

 

 

 

 

 ──

 

 それから、お茶子は敵連合のアジトへ顔を出すようになった。

 

 毎日ではない。

 

 スーパーのシフトがある日は当然働かなければならないし、家のこともある。

 何より、敵連合の拠点へ頻繁に出入りしているところを誰かに見られるわけにはいかなかった。

 

 だから、バイトが早く終わった日。

 シフトのない午後。

 買い物へ出たついで。

 そんな時にだけ、少し遠回りして市街地の外れへ向かった。

 

 最初は、お茶子自身も妙な感覚だった。

 

「……何しとるんやろ、私」

 

 古びたラブホテルを前に、何度そう呟いたか分からない。

 それでも中へ入れば、たいてい誰かがいた。

 

「あ、麗日さん」

 

 出久が書類から顔を上げる。

 

「今日バイトは?」

 

「もう終わったよ」

 

「お疲れさま」

 

 ある時は、コンプレスが壊れかけたドリンクバーを分解していた。

 ある時は、トゥワイスとスピナーがテレビを見ながら言い争っていた。

 マグネが夕飯の買い出しへ行くところに遭遇して、そのまま荷物持ちを手伝わされたこともある。

 

 そしてトガは、お茶子が来るたび嬉しそうに寄ってきた。

 

「お茶子ちゃん、今日も来ましたね!」

 

「まあ……うん」

 

「暇なんです?」

 

「バイト終わりやって」

 

「デク君に会いに来たんですか?」

 

「……ちゃうってば」

 

「え~!」

 

 そんなやり取りにも、少しずつ慣れていった。

 

 そうして何度か顔を出すうち、お茶子もこの奇妙な生活へ少しずつ馴染んでいった。

 全国指名手配犯が暮らす潰れたラブホテルで、違法薬物の取引まで続いているのだから、世間一般の基準で「穏やか」と呼べる生活ではない。

 それでも少なくとも、その頃の彼らには大きな事件もなく、妙に平和な日々が流れていた。

 

 そんなある日の午後。

 

 エントランスのソファでは、壊理が一人でタブレットを抱えていた。

 正確には、スピナーから借りたものだ。

 

「落とすなよ」

 

「うん」

 

「課金画面出ても絶対触るな」

 

「かきん?」

 

「……そこは分かんなくていい」

 

 そんなやり取りの末に貸し与えられたタブレットを、壊理は両手で大事そうに持っていた。

 

 ソファへちょこんと座り、画面を真剣に見つめている。

 時折、指先で画面へ触れては動画を止めたり、少し戻したりしていた。

 

 その様子に気づいたコンプレスが、受付カウンターの奥から顔を出す。

 

「おっ」

 

 片手には、修理途中らしいドリンクバーの部品が握られていた。

 

「壊理ちゃん、何を見てるんだい?」

 

 壊理は画面から目を離さない。

 

「アンパンマン?」

 

 コンプレスも同じように画面へ目を向ける。

 

 映っていたのは、派手なスーツに身を包んだ一人の男だった。

 白髪を大きく撫でつけ、目元には奇妙な形のアイマスク。

 口元には特徴的な髭があり、いかにも自分が注目されることを前提としているような芝居がかった立ち姿をしている。

 

 その男が、カメラへ向かって大仰に片手を広げていた。

 

『諸君! 本日もまた、世に蔓延る不正を一つ正してみせよう!』

 

 動画の中で、高らかな声が響く。

 

「なんだい、これは」

 

 画面の端には動画タイトルが表示されていた。

 

 投稿者名はジェントル・クリミナル。自らを「現代の義賊」と称し、犯罪行為そのものを撮影し、編集したうえでネットへ投稿するという変わった活動を続けているヴィランだった。

 

 画面の中では、ジェントルが一軒のコンビニエンスストアを指差していた。

 

『こちらの店舗では、期限表示の改竄及び食品表示の偽装が行われていた!』

 

 場面が切り替わる。

 

 店内。

 慌てふためく店員。

 そして、その横を悠々と歩くジェントル。

 

『ならば、その不正によって得た利益を返していただこう!』

 

 次の瞬間にはレジカウンターを乗り越え、現金を持ち去っていた。

 

 コンプレスが少し間を置く。

 

「犯罪動画を壊理ちゃんが見ちゃってる……俺たちのせいだよなあ」

 

 その後も、壊理はすっかりジェントル・クリミナルの動画を気に入ってしまったらしい。

 

 一つ見終われば関連動画へ移り、以前の投稿まで遡っていく。

 食品偽装をしていた店、悪質な金融業者、不法投棄を繰り返していた会社。標的も内容も毎回違うが、最後には必ずジェントルが大仰な身振りで締めくくる。

 

 最初は少し離れたところから見ていたコンプレスも、いつの間にか壊理の隣へ腰を下ろしていた。

 

「随分気に入ったみたいだね」

 

「うん」

 

「どこが好きなんだい?」

 

 壊理は少し考えた。

 

「はなしかた」

 

「そこ?」

 

 コンプレスが笑う。

 

 確かにジェントルの喋り方は独特だった。

 何をするにも芝居がかっていて、たかが店の裏口から侵入するだけでも、まるで世界を揺るがす大事件へ挑むかのように語る。

 

「俺のアカウントだけど、チャンネル登録していいぜ」

 

 スピナーが横から口を挟み、壊理の手元を覗き込んだ。

 

「とうろく?」

 

 スピナーはタブレットを受け取り、二、三度画面を操作した。

 

「ほら。これ押しとけば新しい動画が出た時に分かる」

 

「……! ありがとう」

 

 過去の動画を見ていた壊理が、「あ」と声を上げた。

 

「お、早速。更新頻度高いな」

 

 壊理は頷き、画面に表示された通知を押した。

 

 ただし、いつもの動画とは少し違う。

 時間は一分にも満たない。

 タイトルにも大きく『予告』と書かれていた。

 

「告知動画か」

 

 壊理には、その分かりやすい大仰さが面白いらしい。

 

 スピナーも興味を持ったらしく、ゲーム機を置いてソファへ近づいてくる。

 

 再生が始まった。

 黒い画面。

 やや大仰な音楽が流れ、ゆっくりとジェントルの姿が浮かび上がる。

 

 いつも通りの派手な服装。

 いつも通りの髭。

 いつも通り、自信満々にカメラを見据えていた。

 

『親愛なる視聴者諸君』

 

 ジェントルは胸元へ片手を当て、深く一礼した。

 

『これまで私は、数々の不正、欺瞞、そして弱者を食い物にする者たちへ鉄槌を下してきた』

 

『だが、それらはまだ序章に過ぎない』

 

 ジェントルが顔を上げる。

 

『次なる標的は、これまでとは格が違う』

 

 コンプレスが眉を上げた。

 

「へえ」

 

『金を持つ悪党でもない。小さな企業でもない。世間の目を欺き、その裏で巨大な力を振るう者たちだ』

 

 壊理は画面をじっと見ている。

 

 ジェントルは一度言葉を切り、カメラへゆっくり指を突きつけた。

 

『私、ジェントル・クリミナルは──』

 

 大きく腕を広げる。

 

『次の動画にて、かつてない巨悪に挑戦する!』

 

 ばあん、と派手な効果音。

 そのまま画面いっぱいに『COMING SOON』の文字が表示され、動画は終わった。

 

「……」

 

 数秒の沈黙。

 

 壊理はそのまま画面を見ていた。

 

「あれ、おわっちゃった」

 

「予告だからね」

 

 コンプレスが答える。

 

「巨悪か、今度はコンビニの底上げ弁当でも取り上げるんじゃないか」

 

 スピナーがぼやく。

 

 その時だった。

 ご、と入口の方で鈍い音がした。

 古びた自動ドアが開く。

 

「ん?」

 

 最初に振り返ったのはスピナーだった。

 

 外から夕方の光が細長く差し込み、その中へ一つの影が立っている。

 

 細身の長身。

 仕立ての良い派手なスーツ。

 白く整えられた髪。

 そして特徴的な髭。

 

「……」

 

 スピナーの目がゆっくり細くなる。

 コンプレスも立ち上がった。

 壊理はタブレットの画面と、入口の人物を交互に見る。

 

 画面の中では、停止したジェントル・クリミナルが大仰に腕を広げている。

 

 入口にも。

 ほとんど同じ格好の男が立っていた。

 

「……あ」

 

 壊理は小さく声を漏らし、画面と入口の男を何度も見比べた。

 

「ジェントル……?」

 

 呼ばれた男は、満足そうに口元を緩めた。

 

 だが返事をするより先に、その後ろからもう一人が姿を現す。

 

 まだ若い女の子だった。

 ピンクの髪をツインテールに結び、目の下にははっきりと隈が浮かんでいる。

 それでも両手に構えたカメラはしっかりとジェントルへ向けていた。

 

「ジェントル、回ってるわ!」

 

「ああ、ラブラバ。完璧だ」

 

 ジェントルは一歩、エントランスの中へ踏み込んだ。

 

 そして。

 

 先ほどまで壊理が見ていた動画とまったく同じように、カメラへ身体を向けた。

 

「親愛なる視聴者諸君!」

 

 朗々とした声が、古びたエントランスへ響き渡った。

 

「ご機嫌よう! 私こそ、悪徳を暴き、不正を正し、そのすべてを諸君へ届ける現代の義賊!」

 

 大仰に腕を広げる。

 

「ジェントル・クリミナル!」

 

「おい」

 

 スピナーの眉間へ皺が寄った。

 

 ジェントルは気にしない。

 むしろ、エントランスの内部を見せるように半歩横へ退いた。

 

「そして私は今日──」

 

 カメラへ指を向ける。

 

「かの悪名高き敵連合が潜伏しているという場所へ来ている!」

 

「……は?」

 

 コンプレスの表情が止まった。

 

 トゥワイスも紙コップを持ったまま固まる。

 

「敵連合のアジトだと!? ここじゃねえか!」

 

「黙ってろよ!」

 

 スピナーが怒鳴った。

 

 それでもジェントルの演説は続く。

 

「神野の悪夢以降、長らくその行方をくらませていた彼ら。しかし! 悪というものは、いつまでも闇へ隠し通せるものではない!」

 

 ジェントルはカメラへ顔を近づけた。

 

「そして何より──」

 

 一度、大きく間を取る。

 

「この場所の情報を提供してくれた視聴者君!」

 

 にこやかに笑う。

 

「感謝する!」

 

 エントランスの空気が変わった。

 

 コンプレスの目が細くなり、マグネが無言で立ち上がる。

 トガも笑顔のままだったが、先ほどまでとは明らかに違う目で入口を見ていた。

 

 誰かがこの場所を知っていた。

 

 しかも、こんな良く分からないヴィランに情報を流した。

 

 ここには壊理もいる。

 八斎會から預かった品も、帳簿も残っている。

 

 冗談では済まなかった。

 

「おい、てめえ。何のつもりだよ」

 

 スピナーが前へ出た。

 声音から完全に軽さが消えている。

 

「おや」

 

 ジェントルがカメラから視線だけを向けた。

 

「君はスピナー君だね」

 

「質問に答えろ」

 

 スピナーは更に距離を詰める。

 

「此処の事は誰から聞きやがった、カメラなんて持ってきやがってよ!」

 

「それは言えない! 情報提供者の安全を守るのも、発信者として当然の責務だからね。というか匿名だから私も知らない」

 

 ジェントルは涼しい顔で答えた。

 

「その視聴者君には、ただ感謝を──」

 

「舐めてんのか」

 

 スピナーの声が低くなる。

 腰に差していたナイフへ手を掛けた。

 

「勝手に人ん家入ってきて、カメラ回して、敵連合だの何だの好き放題喋りやがって」

 

「人ん家って、ここラブホテルだぞ!」

 

「今は俺らん家だ!」

 

 トゥワイスの横槍に怒鳴り返し、そのままジェントルへ歩み寄る。

 

「撮影をやめろ。その喋り方も気持ち悪いからやめろ」

 

「残念ながら、それはできない」

 

「あ?」

 

「今日という日は、私にとって非常に重要な記録になる」

 

「調子乗ってんじゃねえぞ!」

 

 スピナーが一気に踏み込んだ。

 

 こんな三下のヴィラン相手に、ナイフを抜くまでもない。

 まず胸倉を掴んで、外へ叩き出す。

 

 そのつもりだった。

 

 ジェントルとの距離が二メートルを切る。

 

「ジェントル!」

 

 カメラを構えた少女──ラブラバが声を上げた。

 

「問題ない」

 

 ジェントルは軽く答え、右手をほんの少し横へ振った。

 

「──な」

 

 スピナーの足が止まる。

 目の前には何もない。

 それなのに、突き出した肩が何かにぶつかった。

 

 透明な壁にでもぶつかったのかと錯覚した次の瞬間、ばいんっ、と場違いなほど弾力のある音が響いた。

 

「うおっ!?」

 

 何もないはずの空間が、まるでゴム膜のようにスピナーの勢いを受け止め、その反動を一気に返した。

 

「なっ──!」

 

 足が地面を離れる。

 そのまま数メートル後方へ弾き飛ばされ、ソファを越えて受付カウンターの前まで転がった。

 

「スピナー!?」

 

 コンプレスが叫ぶ。

 

「ぐっ……!」

 

 スピナーは背中から床へ落ち、すぐに肘をついて起き上がった。

 大きな怪我はない。

 しかし本人は完全に何が起きたのか分かっていなかった。

 

「何だ……今の」

 

 ジェントルは乱れた袖口を整える。

 

「少々、手荒な歓迎だったのでね」

 

 何でもないように言う。

 ラブラバはカメラを構えたまま、その一部始終を撮影していた。

 

「ばっちり撮れてるわよ、ジェントル!」

 

「素晴らしい! ありがとうラブラバ」

 

 ジェントルが満足そうに頷く。

 

「てめえ……」

 

 スピナーの額に青筋が浮かぶ。

 床へ手をつき、今度こそナイフへ手を伸ばす。

 

「待ちなさい」

 

 低い声が飛び、スピナーの動きが止まる。

 

 声の主はマグネだった。

 ソファから立ち上がると、まずはエントランス全体を見回し、受付カウンターの奥や階段、廊下へ素早く視線を走らせる。

 

 出久は取引に出ている。少なくとも、すぐ戻ってくる予定ではなかった。

 

「……よりによって、こういう時にボス不在なのよねぇ」

 

 ぼやきながらも、その表情には普段の軽さがない。

 マグネはすぐに壊理へ視線を移した。

 

 壊理はソファに座ったまま、借りていたタブレットを胸へ抱えるようにしている。

 つい先ほどまで画面の中で見ていた人物が突然目の前に現れ、そのうえスピナーまで吹き飛ばしたのだから、状況を飲み込めていないらしい。

 目を大きく見開き、不安そうにジェントルを見つめていた。

 

「コンプレス」

 

「なんだい?」

 

「壊理ちゃん連れて、後ろに下がってなさい」

 

 普段とは違う声音を察したのか、コンプレスは余計なことを聞かずに頷いた。

 

「了解。壊理ちゃん、こっちへおいで」

 

「でも……」

 

「大丈夫さ。マグ姐に任せて」

 

 できるだけ穏やかに促され、壊理は名残惜しそうにジェントルを見た。

 

「ジェントル……」

 

 動画の中では格好良く見えていた。

 悪事を暴き、悪い人間を懲らしめる人物として映っていたのに、実際に目の前へ現れた彼は勝手に自分たちの居場所へ入り込み、スピナーを吹き飛ばした。その違いに戸惑っているのだろう。

 

 壊理がコンプレスの後ろへ下がるのを確認すると、マグネはエントランス脇へ歩いていった。

 

 壁際には傘や工具、使わなくなった備品が雑多に立て掛けられている。

 その中から彼女が手に取ったのは、人間の背丈ほどもある巨大な磁石型の武器だった。

 

 赤と青に塗り分けられた、マグネ専用のサポートアイテム。

 

 片手で柄を掴んで持ち上げると、先端が床を擦って重い音を立てた。

 

「君がマグネだね。敵連合の中でも相当に派手な犯罪歴を持つ人物だ」

 

 マグネは巨大な磁石を肩へ担ぎ、口元だけで笑った。

 

「動画映えするでしょう?」

 

「実に個性的だ」

 

「褒め言葉として受け取っとくわ」

 

 言葉こそ軽いが、目はまったく笑っていなかった。

 

 敵連合の中で真正面からの戦闘を得意とする者は、それほど多くない。

 トガは奇襲向きであり、コンプレスも強力な個性を持っているが、正面から殴り合うタイプではなかった。

 スピナーは威勢は良いがパッとしない。

 

 その点、マグネは違う。

 出久を除けば、連合の中では最も正面戦闘力に優れた武闘派。

 個性『磁力』は他者に磁力を付与する応用の効く万能な個性だ。

 

「さて、ジェントル・クリミナルさん、だったかしら?」

 

「いかにも」

 

 ジェントルは胸元へ片手を添え、芝居がかった仕草で一礼した。

 

「動画で見ていただけていたとは光栄だ」

 

「今初めて知ったわ」

 

「……それは残念だ」

 

「壊理ちゃんはファンみたいだけどね」

 

 その言葉にジェントルが少し嬉しそうな顔をしたため、マグネはすぐに続ける。

 

「でも、だからって勝手にうちへ入ってきて暴れていい理由にはならねえよ」

 

 巨大な磁石を肩から下ろしながら、ゆっくりと一歩を踏み出した。

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