大阪を離れ、東京方面へ伸びる高速道路を、一台のワゴン車が凄まじい勢いで走っていた。
「うおおおおおおお!!」
運転席でスピナーが叫ぶ。
速度計の針は、明らかに普段なら出す気にならない領域まで跳ね上がっている。
追い越し車線を走り続け、前方に車が見えればすぐさま車線を変え、またアクセルを踏み込む。
エンジンが悲鳴のような高音を上げた。
「もっと出ろ! まだいけるだろお前!」
返事の代わりに、車体のどこかからガタガタと嫌な振動が返ってくる。
それも当然だった。
今スピナーが運転しているのは、八斎會から借りていたあの車だった。
ホテルの倒壊に巻き込まれながら、奇跡的に完全な下敷きになることだけは免れていたらしい。
瓦礫の端から半分ほど車体を覗かせた状態で見つかり、全員で周囲の破片をどかして引っ張り出したところ、驚くことにエンジンまで掛かった。
もっとも、無事とは到底言えない。
フロントガラスの右端には大きな亀裂が走り、ボンネットは中央がへこんでいる。
左側のミラーは根元から折れ、後部の窓も一枚なくなっていた。
助手席側のドアに至っては、閉めても隙間が残る。
走るたびに風が入り込み、車内でびゅうびゅうと音を立てていた。
「これ絶対途中で壊れるぞ! 東京まで保つわけねえ!」
助手席のマグネがダッシュボードを掴みながら叫ぶ。
「壊さない様にぶっ飛ばすのがアンタの仕事でしょお!?」
「ばーか! ばーか! 無茶言うんじゃねーよ!」
スピナーは前方を睨んだまま、アクセルを緩めなかった。
後部座席には出久、トガ、トゥワイス、コンプレス。
さらにその後ろの座席には、ジェントルとラブラバが押し込まれている。
元々それなりに大きな車とはいえ、乗っている人数が多すぎた。
「もう少し詰めてくださいよー」
「これ以上は骨格を変えないと無理だぜ!」
「ち、ちち近いわジェントル! お髭が!」
「すまないラブラバ! だが私も……中々厳しい体勢だ!」
車内はとにかく狭く、騒がしかった。
だが運転席のスピナーには、そんなことを気にする余裕はない。
前方の標識を確認する。
東京はまだ遠い。
非常に遠い。
「クソッ!!」
ハンドルを握る手に力が入る。
「なんで今夜なんて言っちまうんだよ!!」
後部座席の出久が僅かに顔を上げた。
「え?」
「え? じゃねえ!!」
スピナーが涙目のまま怒鳴る。
「大阪から東京までどんだけあると思ってんだ!?」
「結構ありますね」
「結構じゃねえよ!!」
スピナーの目尻から本当に涙が滲んでいた。
「何時間掛かると思ってんだよ! 高速使ったって瞬間移動できるわけじゃねえんだぞ!」
「でも、悠長に期間を設けたらその隙に壊理ちゃんが移動させられちゃうかもじゃないですか」
「そこだけは頭回るのに、なんで移動時間考えてねえんだよ!!」
「その場の勢いで……」
「勢いで襲撃予告すんな!!」
スピナーがアクセルをさらに踏み込む。
エンジン音が一段高くなった。
マグネが速度計を見て顔を引きつらせる。
「ちょっとスピナー! 出しすぎ! これ捕まるわよ!」
「もう全員指名手配犯だろうが!!」
車体が大きく揺れる。
「うわっ!」
ラブラバがジェントルの腕へしがみついた。
「ジェントル! この人運転荒すぎるわ!」
「うむ! 私も今、生涯でかなり上位に入る恐怖を感じている!」
出久は窓の外へ目を向けた。
大阪の街並みはすでに遠ざかり、高速道路の両脇には暗くなり始めた景色が流れている。
時刻は夕方から夜へ移りつつあった。
動画はすでに拡散されている。
警察もヒーローも動き始めているはずだ。
八斎會側も当然、襲撃予告を知るだろう。
つまり時間はない。
出久は窓の外へ流れていく景色を眺めながら、スマートフォンを握り直した。
動画を投稿してから、まだそれほど時間は経っていない。
それでも通知欄には見たこともない数の数字が並び、例の襲撃予告が凄まじい勢いで拡散されていることが分かる。
その後ろでは、別の意味でその状況を楽しんでいる男がいた。
「ほう……ほうほうほう!」
ジェントルが狭い後部座席で器用にスマートフォンを掲げ、画面を食い入るように見つめている。
「ジェントル?」
ラブラバが横から覗き込む。
「どうしたの?」
「見たまえ、ラブラバ!」
ジェントルの口元がこれ以上ないほど緩んでいた。
「チャンネル登録者数が鰻登りだ!」
ラブラバの目が輝く。
「どれくらい!?」
「今ので二千……いや、三千! 待て待て、更新するたびに数字が変わるぞ!」
指で画面を更新する。
「おお……!」
また増えた。
例の襲撃予告を投稿したのはジェントルのチャンネルだった。
元々は強盗行為や、ヒーローを相手にした配信などを細々と投稿していたチャンネルである。固定の視聴者こそいたものの、世間一般へ名前が通っているかと言われれば微妙なところだった。
ところが、そこへ全国指名手配中の緑谷出久が現れた。
しかも内容は、指定敵団体への襲撃予告。
伸びないはずがなかった。
「再生数もすごいわ、ジェントル!」
「うむ!」
「コメントも止まらない!」
「実に素晴らしい!」
ジェントルが満面の笑みを浮かべる。
「ついに時代が私へ追いついたということだな!」
「違うと思いますよ」
前の座席からトガが振り返った。
「ほぼデク君目当てじゃないですか?」
ジェントルの笑顔が僅かに固まる。
「……それでも私のチャンネルへ登録された事実に変わりはない」
ホクホクとした顔でスマートフォンを胸元へ寄せたところで、ジェントルはふと視線を前へ移した。
その先には出久がいる。
先ほどから窓の外を眺め、何かを考えている様子だった。
「しかし、緑谷少年」
「はい?」
出久が振り返る。
ジェントルはスマートフォンをポケットへしまい、狭い車内で可能な限り姿勢を正した。
「敵連合対八斎會という単純な構図を崩し、ヒーロー、警察、八斎會、そして我々を一ヶ所へ集める」
ジェントルが口元を上げた。
「数の優位そのものを、混沌で無効化する。素晴らしい発想だ」
ジェントルは満足そうに頷いた。
八斎會だけを相手にするなら、圧倒的にこちらが不利だ。構成員の数も、拠点について持っている情報も違う。だが、そこへ警察とヒーローが加われば話は変わる。
彼らが出久たちだけを狙うとは限らない。むしろ指定敵団体の本拠地で大規模な衝突が起きるとなれば、八斎會の構成員も当然制圧対象になる。
誰が敵で、誰を優先すべきなのか。
それぞれの思惑が入り乱れれば、少なくとも八斎會が人数差を活かして一方的にこちらを包囲する状況は避けられるだろう。
「なるほどなるほど……」
ジェントルは顎髭を撫でた。
その顔には、先ほど登録者数を眺めていた時とは別種の楽しげな笑みが浮かんでいる。
「実に面白いではないか! 敵の本拠地へ寡兵で乗り込むにあたり、自ら第三勢力を呼び込んで戦場そのものを混乱させる。しかも、その第三勢力は我々にとっても敵でありながら、八斎會にとっても敵となる!」
「ジェントル、なんだか楽しそうね」
「当然だとも、ラブラバ! これほど大胆な作戦を聞いて心躍らない者がいるものか!」
ジェントルは狭い座席で身を乗り出し、前に座る出久を覗き込んだ。
「では、緑谷少年!」
「はい?」
「東京についてからは、具体的にどうするつもりなのかね?」
「……」
出久が黙った。
ジェントルは笑顔のまま待つ。
車は高速道路を猛然と走り続けている。
壊れた窓から吹き込む風とエンジンの唸りが車内を満たす中、数秒が過ぎた。
「……」
「緑谷少年?」
「……」
返事がない。
出久はジェントルから視線を逸らし、何となく窓の外を見た。
ジェントルの笑顔が少しだけ引きつった。
「例えば、だ」
仕切り直すように咳払いする。
「到着後は八斎會の本拠地へ直行するのだろう? 警察とヒーローが集まり始めるまで周辺で待機するのか、それとも先に侵入して内部から騒ぎを起こすのかね?」
「……」
「あるいは、警察が包囲を始めるのと同時に別方向から潜入する? なるほど、それも悪くない。警備が正面へ集中した隙を突けば──」
そこまで言って、ジェントルは止まった。
出久は相変わらず何も言わない。
しかも、先ほどより露骨に目を合わせなくなっている。
「……緑谷少年」
「はい」
「なぜこちらを見ない!?」
助手席のマグネも嫌な予感を覚えたらしく、ゆっくりと後ろを振り返る。
「ちょっと……まさか、まだ何も考えてないの」
ジェントルも同じ疑問へ行き着いたらしい。
先ほどまでのワクワクした表情が消えていく。
「緑谷少年」
「……はい」
「まさか──」
ジェントルの目が見開かれた。
「考えなしかね!?」
「……」
出久の肩が僅かに縮こまった。
その反応だけで十分だった。
ジェントルが驚愕する。
「ちょ、ちょっと待ちたまえ! 私はてっきり、あれほど大胆な襲撃予告をしたのだから、その先にも何か奇抜な策が用意されているものと!」
「……今考えてるところなんです」
ぼそりと出久が答えた。
「だからといって襲撃予告を先に出す者があるか!」
もっともな指摘だった。
スピナーが無言でハンドルを握り締める。
「おい緑谷! 俺が死ぬ気で間に合わせようとしてるのにどういうつもりだ!!」
「前! 前見なさいスピナー!」
「見てるよ!!」
マグネに怒鳴られ、スピナーは泣きそうな顔で前方へ向き直った。
ジェントルは額へ手を当てたものの、すぐにさらに重大なことへ気づいたらしい。勢いよく顔を上げる。
「もっと根本的な問題がある!」
ジェントルは出久へ詰め寄ろうとして、狭すぎる車内で膝を前の座席へぶつけた。
「痛っ……いや、それどころではない!」
膝を押さえながら出久を見る。
「死穢八斎會といえば、それなりに大規模な組織だろう!?」
「……そうですね」
「構成員も相当数いるはずだ。ならば本拠地も、そこらの小さな事務所とは違うのではないかね?」
「……」
「そして我々の目的は、八斎會を壊滅させることではない」
ジェントルが人差し指を立てる。
「壊理嬢の救出だ!」
出久の表情が固まった。
「つまり、戦闘を始めるだけでは何の意味もない。混乱を作るのはあくまで手段であって、その間に壊理嬢を見つけなければならない!」
「……」
「緑谷少年」
「……はい」
「壊理嬢が本拠地のどこにいるのかは、当然分かっているのだろうね?」
再び沈黙。
今度は先ほどより長かった。
出久がゆっくりと俯く。
「……」
ジェントルの顔から血の気が引いていく。
「もしや……」
嫌な予感を確かめるように尋ねる。
「分からないのではないか!?」
ジェントルの声が車内へ響いた。
出久は俯いたまま答えない。
否定しない時点で、ほとんど肯定したようなものだった。
「緑谷少年……!」
ジェントルが額を押さえる。
「敵の本拠地へ乗り込むというのに、救出対象の所在すら不明とは! それでは混乱を作ったところで、肝心の壊理嬢を探している間に我々まで捕まってしまうではないか!」
ラブラバがニヤリと笑うと、足元へ置いていた鞄へ手を伸ばした。
「そこは安心して、ジェントル!」
「何?」
ラブラバは得意げに笑い、大きめのノートパソコンを両手で持ち上げる。
「じゃーん!」
ラブラバは出久たちの膝を押し退けるようにしてパソコンを開いた。
画面が点灯する。
そこに表示されたものを見て、出久が目を細めた。
「……これ」
映っていたのは道路だった。
しかも一ヶ所ではない。
画面が複数に分割され、それぞれ別の場所を映し出している。
高速道路の料金所。交差点。駅前。住宅街。それ以外にも、見覚えのない建物の入口や駐車場がいくつも並んでいた。
右下には現在時刻。
映像はいずれもリアルタイムで動いている。
「監視カメラ……?」
「そう!」
ラブラバが胸を張った。
「こうなると思って、監視カメラを片っ端からハッキングしておいたの」
ラブラバはキーボードを素早く叩く。
画面の一つが拡大された。
「まず、私たちが今走ってる高速道路」
そこには、まさに今乗っているボロボロのワゴン車が映っていた。
「なんかサラッとやばい事してねえか?」
スピナーが運転席から呟く。
ラブラバは構わず別の映像へ切り替えた。
「それから、死穢八斎會が使ってる関連施設もいくつか拾ってるわ。表向きは普通の会社だったり、倉庫だったりするけど──」
地図が表示される。
いくつもの地点に印が打たれていた。
「本拠地はここ」
ラブラバが一ヶ所をクリックする。
画面いっぱいに、和風の大きな屋敷が映し出された。
高い塀に囲まれた古い邸宅。
門の脇には監視カメラがあり、敷地の奥には複数の建物が連なっている。
「八斎會の屋敷……」
出久が身を乗り出した。
「ここまで見られるんですか?」
「外だけね。内部のカメラは閉じた回線みたいで、今のところ入れてないわ」
ラブラバは映像の時間軸を操作した。
「ちょっと巻き戻すわね」
数十分前。
門前の映像が逆再生され、通行人や車が不自然な動きで戻っていく。
「この辺……」
「あっ」
トガが声を上げた。
一台の黒い車が屋敷の前へ停まった。
後部座席のドアが開く。
最初に降りてきたのは、特徴的なペストマスクを身につけた男だった。
「オーバーホール……!」
続いて、反対側のドアが開いた。
白いフードとペストマスク。
だが、全員の視線が向いたのは彼自身ではなく、その肩だった。
玄野は大きな袋を担いでいた。
黒っぽい布製の袋。
旅行鞄というには柔らかく、かなり大きい。
人一人。
いや、大人は無理でも──
「子供一人くらいなら……」
出久が呟く。
袋は玄野が歩くたび、不自然に形を変えていた。
トガの笑顔が消えた。
「壊理ちゃん……」
映像の中で、オーバーホールが門を抜ける。
その後を、袋を担いだクロノスタシスが続く。
二人は八斎會の屋敷へ入り、そのまま画面から姿を消した。
運転席のスピナーは前方から目を離さないまま、盛大に息を吐いた。
「……とりあえず、目的地ははっきりしたな!」
「はい」
「八斎會の本拠地。壊理も多分そこ。警察とヒーローも襲撃予告を見て動いてる。あとは東京まで間に合わせりゃいい……」
自分で整理するように言葉を並べてから、スピナーの顔が引きつった。
「クソッ、なんて行き当たりばったりなんだ!」
「結果的には上手くいってますよ」
「結果が出る前から突っ走ってるから言ってんだよ!」
怒鳴りながらもアクセルは緩めない。
むしろ目的地が明確になったことで迷いがなくなったのか、速度計の針がさらにじわりと右へ動いた。
「スピナー、ちょっと!」
マグネがすぐに気づく。
「また速度上げたでしょ!?」
「時間がねえんだよ!」
「だからって、この車でその速度は本当に壊れるわよ!」
「壊れたらそん時考える!」
「アンタまで緑谷ちゃんみたいなこと言い始めないで!」
後部座席で出久が小さく肩を縮めた。
「すみません……」
「緑谷ちゃんはちょっと反省しなさい!」
「はい……」
そんなやり取りの中、ジェントルだけは腕を組み、満足そうに何度も頷いていた。
「なるほど!」
妙に朗々とした声が狭い車内へ響く。
「紆余曲折はあったものの、目的地は判明した。壊理嬢がそこへ連れ込まれたことも、ほぼ間違いない。そして我々の襲撃予告によって、ヒーローと警察も動き出している!」
ジェントルは拳を握った。
「ならば、あとは行くだけか!」
「お前は随分気楽だな……」
スピナーが疲れ切った声で返す。
だがジェントルは気にしない。
むしろ舞台の幕が上がる直前の役者よろしく、勢いよく前方を指差した。
「ゆけ、スピナー!」
「言われなくても行ってる!」
「目指すは東京! 死穢八斎會本拠地! このジェントル・クリミナル、一世一代の大舞台──」
その時。
遠くから、微かな音が聞こえた。
──ウゥゥゥゥ……。
「……ん?」
ジェントルの声が止まる。
スピナーも眉を寄せた。
聞き間違いではない。
エンジン音と風切り音に混じって、一定の周期で高く低く揺れる音が近づいている。
しかも一つではない。
──ウゥゥゥゥゥゥ……!
──ウーッ、ウーッ!
──ウゥゥゥゥ……!
「……」
車内が静かになった。
コンプレスが恐る恐る後ろを振り返る。
「なあ」
「何です?」
「後ろ……」
トガが後部窓へ顔を寄せた。
数秒後。
「わあ」
何とも言えない声を漏らす。
「すごいですよ、パトカー」
スピナーの頬が引きつった。
「何台?」
「いっぱいです」
ラブラバがノートパソコンを操作し、高速道路の監視カメラを後方へ切り替えた。
後方の車線を埋め尽くすように、警視庁のパトカーが連なっている。
一台や二台ではない、十台は軽く超えていた。
さらに映像を引けば、その後ろにもまだ続いている。
「何十台いるんだよ!?」
スピナーが叫ぶ。
ほぼ同時に、後方から拡声器の声が飛んできた。
『前方の車両! 速度を落として停止しなさい!』
全員の視線が出久へ集まった。
「……」
出久は気まずそうに目を逸らした。
『緑谷出久及び敵連合の構成員が乗車していることは確認している! 直ちに停車しなさい!』
「完全にバレてるじゃねえか!」
スピナーがバックミラーを見る。
ミラーの中では、赤と青の光が道路いっぱいに明滅していた。
「なんでこんなに早いんだよ!? 俺たち大阪出たばっかだぞ!」
「襲撃予告したからじゃない?」
マグネが冷静に答える。
「それだよ!!」
スピナーの叫びに、車体が大きく揺れた。
追跡してくるパトカーは次第に距離を詰めている。
バックミラーの中で明滅していた赤色灯が、もう車種を判別できるほど大きくなっている。
先頭のパトカーは追い越し車線へ移ると、ワゴン車の斜め後方へぴたりと張りついた。
「近い近い近い!」
マグネが助手席から振り返る。
「スピナー、もっと離せないの!?」
「こっちはもうほとんど全開だ!」
スピナーは前方を睨んだまま叫んだ。
「向こうはまともな車なんだぞ! 瓦礫の下から掘り出したポンコツでどうやって振り切れってんだ!」
その間にも先頭のパトカーはじりじりと距離を詰めていた。
並走するつもりではない。
出久が後部窓から様子を窺い、相手の動きに気づく。
「伊口君、右!」
「あ!?」
「ぶつけてくる!」
直後、パトカーが加速した。
ワゴン車の右後方へ鼻先を差し込み、そこから一気にハンドルを切る。
──ガンッ!!
「うわっ!」
強烈な衝撃が車内を走った。
車体が左へ押し出され、スピナーの握るハンドルが勝手に回ろうとする。
「くそっ!」
両腕へ力を込め、無理矢理戻す。
タイヤが甲高い悲鳴を上げた。
左側の車線へ半分ほどはみ出したところで、どうにか姿勢を戻す。
「体当たりしてきやがった!」
「止める気満々じゃない!」
マグネがダッシュボードへしがみつく。
しかも一度で終わらない。
最初のパトカーは一旦距離を取り、代わりに後続の一台が前へ出てきた。
さらにその横からもう一台。
複数の車両が位置を入れ替えながらワゴン車へ迫ってくる。
『直ちに停車しなさい! これ以上逃走を続ける場合、強制的に停止させる!』
「もうやってんだろ!」
スピナーの怒鳴り声に重なるように、今度は左後方から衝撃が来た。
──ガァンッ!
「っ!」
ワゴン車が右へ跳ねる。
壊れた車体が悲鳴を上げ、助手席側の歪んだドアががたがたと激しく震えた。
「もーいや!!」
マグネの悲鳴じみた声が響いた。
後方では、さらに一台のパトカーが速度を上げている。
今度はもっと露骨だった。
ワゴン車の左後輪付近へ狙いを定め、そのまま斜めに突っ込んでくる。
真正面からぶつけるのではなく、後部を横から押して車体を回転させるつもりらしい。
「来ます!」
ラブラバがノートパソコンの映像を見て声を上げた。
「左後ろ!」
「避けられねえ!」
前方にも一般車両がいる。
大きくハンドルを切れば、今度はこちらが別の車へ突っ込む。
「だったら──」
ジェントルが身を乗り出した。
狭い座席の間を無理矢理抜け、ワゴン車の内壁へ手を伸ばす。
「させん!」
掌が車体へ触れた。
個性『弾性』。
ジェントルの指先が触れた場所から、車体の性質が変わる。
金属であることに変わりはない。
形も外見もほとんど同じ。
だが、そこには強烈な弾性が付与されていた。
次の瞬間。
──ドゴォンッ!!
パトカーがワゴン車の左後部へ激突した。
「っ!」
誰もが衝撃に備えた。
ところが。
ぶつかったはずの車体が、ぐにゃりと大きくへこんだ。
「なっ──」
パトカーの運転手が目を見開く。
金属が潰れたのではない。
柔らかく押し込まれたワゴン車の側面が、次の瞬間には一気に元の形へ戻ろうとする。
蓄えられた衝撃を、そのまま押し返すように。
──バァンッ!!
パトカーが弾かれた。
車体が大きく右へ跳ね、タイヤを滑らせながら二車線分ほど横へ流される。
「うおおっ!」
トゥワイスが後ろを見て歓声を上げた。
「やったぜ! かわいそう……」
「ジェントル!」
ラブラバが目を輝かせる。
「最高!」
「はっはっは!」
だが。
「喜んでる場合じゃねえ!!」
スピナーの絶叫が響いた。
「え?」
次の瞬間、ワゴン車そのものが大きく揺れた。
「うわあっ!?」
車内の全員がまとめて右へ投げ出される。
パトカーを弾き返した反動は、完全に消えたわけではない。
弾性を得た車体が勢いよく元へ戻ったことで、その反作用が足回りへ伝わり、ワゴン車全体が横方向へ跳ねていた。
タイヤが路面から一瞬浮く。
「おいおいおいおい!」
スピナーがハンドルを切る。
着地。
──ギャアアアアッ!!
四本のタイヤが一斉に鳴いた。
車体が斜めになったまま高速道路を滑っていく。
「こ、これ! 体当たりされた方がまだ! マシだったんじゃねえか!?」
車体が左右へ大きく蛇行する。
出久は片手で座席を掴み、もう片方の腕を伸ばしてトガとトゥワイスが転がらないよう押さえた。
「伊口君!」
「黙ってろ! 今こっちは人生で一番忙しい!」
ハンドルを細かく切りながら、スピナーは流れ続ける車体を必死に押さえ込んだ。
後輪がようやく路面を掴む。
大きく傾いていた車体が、ゆっくりと進行方向へ戻っていく。
「戻れ戻れ戻れ……!」
スピナーが歯を食いしばる。
最後にハンドルを正面へ戻した。
──ガタッ!
ワゴン車が車線の中央へ戻る。
「……っはぁ!」
スピナーが大きく息を吐いた。
「立て直したぞ!!」
「すごい!」
出久が素直に感嘆する。
「やったぜおら! 見たか! 俺がスピナー! ステインの意志を継ぐ者!」
スピナーは叫びながらも前方から目を離さない。
後ろでは、弾き飛ばされたパトカーがどうにか姿勢を立て直していた。
幸い他車との衝突は避けたようだが、代わりに後続のパトカーが次々と前へ出てくる。
「……まだ来るぞ」
コンプレスが後ろを見ながら呟く。
赤色灯の列は、まったく減っていない。
拡声器から再び警告が飛んできた。
『前方車両! これ以上の危険走行を直ちに中止し、停車しなさい!』
「そっちがぶつけてきたんだろうが!」
スピナーは涙目で怒鳴り返しながら、それでもアクセルを踏み続けた。
東京までは、まだ遠い。