――深夜。
東京都内の一角にある、死穢八斎會本部。
古い日本家屋を中心に複数の建物が連なった広大な屋敷は、高い塀によって周囲から隔てられていた。
普段なら組員が出入りする程度で、人通りも少ない静かな場所である。
だが今夜は、その様相がまるで違っていた。
屋敷を取り囲む道路には何台もの警察車両が並び、その赤色灯が夜の住宅街を絶え間なく照らしている。
制服警官だけではない。
防弾装備を身につけた機動隊員が盾を携えて配置につき、そのさらに前では、思い思いのコスチュームに身を包んだプロヒーローたちが屋敷を睨んでいた。
その数は、警察官まで含めれば百人近い。
規制線は屋敷だけでなく周辺の道路にまで張られ、近隣住民の避難もすでに始まっている。
上空には報道各社のヘリコプターが旋回し、少し離れた大通りには野次馬まで集まり始めていた。
「……随分と大事になったな」
指揮車両の脇で、一人の刑事が屋敷を見上げながら呟いた。
「仕方ないでしょう。全国指名手配中の緑谷出久が、ネット上で堂々と『今夜襲撃する』と宣言したんです」
隣に立つ公安の男が、タブレットへ視線を落としたまま答える。
「ヴィランがヤクザを襲うから、警察とヒーローがヤクザの本部を守る……か」
刑事が苦い顔をする。
「笑えない絵面だな」
「別に八斎會を守るために来たわけじゃありませんよ」
公安の男は淡々と返した。
「表向きの名目は、あくまで緑谷出久及び敵連合構成員の逮捕。その過程で市街地に被害を出さないため、襲撃先として指定された死穢八斎會本部周辺を封鎖している。それだけです」
「表向きは、な」
「ええ」
公安の男が初めて顔を上げた。
視線の先には、高い塀に囲まれた八斎會の屋敷がある。
死穢八斎會。
長い歴史を持つ指定敵団体ではあるが、近年はかつてほどの勢力を有していない。
現行法やヒーロー社会の監視が強まったことで表立った活動は減少し、警察内部でも「衰退しつつある旧時代の組織」と見られていた。
少なくとも、少し前までは。
「ここ数か月、妙なんですよ」
公安の男がタブレットを操作する。
いくつもの資料が画面へ表示された。
「大阪方面を中心に資金の流れが急に増えている。表向き休眠状態だった関連会社も動き始めた。出入りする人間も増え、これまで接点の薄かった裏社会の人間まで頻繁に接触している」
「敵連合もその一つか」
「確認できているだけでも、何度か八斎會から仕事を受けている。何を運んでいたのかまでは掴めていませんが」
公安は以前から八斎會の動向を監視していた。
だが、疑わしいだけでは踏み込めない。
相手は腐っても長年存続してきた組織であり、表向きには法律の隙間を縫う術を熟知している。警察が強引に踏み込めば、それ相応の根拠が必要になる。
その根拠を探していたところへ――緑谷出久が襲撃予告を出した。
「随分と都合がいい話だな」
刑事が横目で公安を見る。
「偶然ですよ」
「随分と都合のいい、偶然だ」
今夜、この屋敷で本当に大規模な衝突が起きれば話は変わる。
緑谷出久と敵連合を追跡し、戦闘を鎮圧する過程で屋敷へ侵入する必要が生じる可能性は高い。八斎會側が抵抗でもすれば、その時点で状況次第では強制捜査へ移行できる。
公安としては、緑谷出久を確保できれば当然それでいい。
そのついでに死穢八斎會の腹の中まで覗けるなら、なお都合がいい。
「それで、上からの指示は?」
「第一目標は緑谷出久の身柄確保。同行する敵連合構成員も可能な限り逮捕。八斎會については――」
公安の男が一瞬だけ間を置く。
「現場判断です」
「便利な言葉だ」
その時、少し離れた場所から声が飛んできた。
「配置完了しました!」
若い警官が駆け寄ってくる。
「東側、南側とも封鎖完了! 裏手にも機動隊を回しています。地下通路については現在確認中です!」
「地下?」
「古い建物ですからね。図面と現況が一致していない可能性があります」
公安の男が屋敷へ目を向ける。
「厄介だな」
当然、八斎會側も黙ってはいなかった。
正門の内側には何人もの組員が集まり、塀越しにこちらの様子を窺っている。
全員が武器を持っているわけではないものの、警察とヒーローに屋敷を完全包囲されて平静でいられるはずもなかった。
門前では、すでに警察と八斎會の構成員が言い争っている。
「だから何度言わせるんだ!」
八斎會側の男が声を荒らげた。
「襲撃予告を出したのは緑谷出久だろうが! なんで俺たちの屋敷を囲んでんだ!」
「周辺住民の安全確保のためです! 襲撃対象となっている以上、こちらにも警備上の必要があります!」
「だったら外で勝手に守ってろ! 中に入ってくんなよ!」
「現時点では立ち入りを要求していません!」
「『現時点では』って何だ!」
やり取りを聞いていた刑事が、思わず小さく笑った。
「向こうも気づいてるな」
「当然でしょう。あちらも馬鹿じゃない」
公安の男は腕時計を見る。
すでに日付が変わろうとしていた。
襲撃予告で指定されたのは、あくまで「今夜」。
具体的な時刻は示されていない。
そもそも本当に現れるのか、それすら確証はなかった。
ネット上で大々的に宣言した以上、ただの虚言とも考えにくいが、相手は警察の常識がどこまで通用するかも分からないヴィランである。
「日付が変わったら『今夜』は終わり、なんて言い出さないだろうな」
刑事が冗談めかして言う。
「それなら我々としては助かりますけどね」
「これだけ集めて空振りなら、始末書を書く連中が山ほど出そうだ」
「公安としては空振りでも構いませんよ。これだけ堂々と八斎會本部の周囲を調べられただけでも――」
そこまで言ったところで。
――ザッ。
刑事の腰に提げられていた無線機から、唐突にノイズが走った。
『――こちら高速機動隊! 本部、応答願います!』
二人の視線が同時に無線機へ向く。
声が明らかに切迫している。
刑事が無線機を手に取った。
「こちら現場指揮班。どうした」
『対象車両を再確認! 緑谷出久が高速道路を東進中!』
周囲の空気が変わった。
公安の男がすぐさまタブレットを持ち上げる。
「本人確認は?」
『確認済み! 大阪方面から逃走していたワゴン車と一致! 車内に複数名を確認、緑谷出久本人も乗車しています!』
「現在地は!」
刑事の声に、近くにいた警官たちも振り返った。
『現在、首都高速を東進! 死穢八斎會本部方面へ向かっているものと思われます!』
「……来たか」
刑事の表情から先ほどまでの軽さが消えた。
公安の男も屋敷へ視線を向ける。
「予告通りですね」
それだけでは終わらない。
『対象車両は停止命令を無視! 依然として高速で逃走中!』
刑事はすぐさま別の回線へ切り替えた。
「全班へ通達! 緑谷出久を乗せた車両が接近中! 八斎會本部へ向かっている可能性が極めて高い!」
その声が無線を通じ、屋敷周辺に展開する各班へ一斉に伝わった。
待機していた警官たちが動き出す。
「対象接近!」
「正門側、車両封鎖を強化!」
「機動隊、前へ!」
「周辺住民が残っていないか再確認しろ!」
それまで停滞していた現場が、一瞬で慌ただしくなった。
機動隊員たちが盾を構えて移動し、警察車両がエンジンを始動する。
ヒーローたちも立ち上がり、それぞれの装備を確認しながら所定の位置へ散っていった。
当然、その動きは塀の内側からも見えている。
「おい!」
八斎會の構成員が門越しに声を上げた。
「何だ!? 何があった!」
「屋敷内へ戻ってください!」
警官が即座に答える。
「緑谷出久がこちらへ向かっています!」
「……来やがったのか!?」
組員の顔色が変わった。
別の男がすぐさま屋敷の奥へ駆けていく。
「若頭──オーバーホールに知らせろ!」
「全員配置につけ!」
「門閉めろ! 早くしろ!」
門の内側も俄かに騒がしくなった。
刑事はその様子を横目で見ながら、公安の男へ声を落とす。
「八斎會も動いたぞ」
公安の男は冷静だった。
「武装した構成員が外へ出てくれば別ですが、敷地内で警戒態勢を取るだけなら止める理由はない」
「ずいぶん大人しいな」
「まだ、ですよ」
男の視線は屋敷へ向けられている。
「緑谷出久が本当にここへ突っ込んでくれば、状況は嫌でも動きます」
刑事は小さく鼻を鳴らした。
その言葉の意味は分かっていた。
警察、プロヒーロー、敵連合、そして死穢八斎會。
四者が一ヶ所へ集まりつつあり、誰か一人が引き金を引けば均衡など簡単に崩れる。
そして公安は、その瞬間を待っている。
それから数分が経った。
警官たちは道路を封鎖し、ヒーローたちはそれぞれの位置で待機する。
八斎會の門も完全に閉ざされた。
誰も話さない。
妙な静けさが辺りを支配していた。
遠くで報道ヘリのローター音だけが響いている。
そして――
ウゥゥゥゥゥゥゥ――。
誰かが顔を上げた。
「……聞こえるか?」
一人の警官が呟く。
一定の周期で高くなり、低くなる。
サイレンだ。
夥しい数の緊急車両が一斉にサイレンを鳴らしながら、こちらへ近づいている。
静まり返っていた住宅街が、遠くから押し寄せてくる警報音に飲み込まれていった。
「……何台追いかけてるんだ」
刑事が思わず呟く。
公安の男も答えない。
道路の向こう、建物と建物の隙間に赤い光が見えた。
まだ距離はあるものの、無数の赤色灯が明滅するたび夜空が赤く染まり、押し寄せるサイレンも急速に大きくなっていく。
「各員、警戒!」
刑事が叫んだ。
機動隊員たちが一斉に盾を構える。
ヒーローたちも身構えた。
公安の男がタブレットを見る。
表示された対象車両の位置は――もう、すぐそこだった。
『対象車両、一般道へ移行!』
無線が叫ぶ。
『八斎會本部方面へ直進中!』
「来るぞ!」
サイレンの濁流の中に、別の音が混じり始めた。
――ヴォォォォォォン!!
明らかに無理をさせられているエンジンの唸り。
そして。
『前方のワゴン車! 直ちに停車しなさい!』
『緑谷出久! 逃走を中止しろ!』
『停車しなさい!』
拡声器の警告まで聞こえてくる。
「……本当に来やがった」
道路の先から姿を現したのは、もはや原形を辛うじて留めているだけのワゴン車だった。
左右のドアは大きく歪み、ボンネットは中央から潰れ、フロントガラスには蜘蛛の巣状の亀裂が走っている。
後部の窓は何枚か完全に失われ、走るたびに剥き出しになった車内へ夜風が容赦なく吹き込んでいた。
何より異様なのは、屋根がほとんど残っていないことだった。
前方のピラーから後部にかけて上半分がごっそりと失われ、まるで事故車を無理矢理オープンカーへ改造したような有様になっている。
切断面は綺麗とは程遠く、捻じ曲がった金属板や千切れた内張りが風に煽られてばたばたと震えていた。
「あれで……大阪から来たのか?」
誰かが呆然と呟いた。
刑事も同じ疑問を抱いたが、目の前の現実が答えだった。
片方のヘッドライトを点滅させ、タイヤを軋ませながら、ワゴン車は確かにこちらへ向かって猛進している。
その後ろには数十台のパトカー。
何台かはフロント部分がへこみ、側面には激しく擦った跡が残っている。
ここへ至るまで、単なる追跡では済まない攻防が何度も繰り返されたことは明らかだった。
『前方のワゴン車! 直ちに停車しなさい!』
『緑谷出久! これ以上の逃走は危険だ! 速度を落とせ!』
拡声器から警告が繰り返されるが、ワゴン車はまるで聞こえていないかのように速度を保っている。
そして、その屋根を失った車内から上半身を大きく突き出しているものを認めた瞬間、待機していた警察官たちの間にざわめきが走った。
「緑谷出久……」
大きく膨れ上がった身体は白い鱗に覆われ、肩から腕にかけては硬質な骨のような突起が何重にも重なっている。
首も太く、胸板は通常の人間の数倍はあり、片腕だけでも成人男性の胴ほどの太さがあった。
赤色灯の光が明滅するたび、白い鱗が冷たい光を反射する。
鱗は頬や顎にまで広がり、こめかみ付近から伸びた骨質の突起が人ならざる印象を強めていた。
それでも、正面を見据える緑色の瞳だけはニュースで幾度も流れた少年のものと変わらない。
緑色の瞳が、八斎會の屋敷をまっすぐに捉えていた。
出久は走行風に髪と鱗を煽られながら、片手で剥き出しになった車体の縁を掴む。
もう片方の手には、ここへ来るまでの追跡戦で破壊されたらしいパトカーの残骸が握られていた。
潰れたドアと車輪の一部。それだけでも相当な重量があるはずだが、怪物化した出久にとっては大した負担ではないらしい。
「もう要らないや」
ぽつりと呟き、道路脇へ放る。
――ガシャァンッ!
金属の塊がアスファルトを跳ね、火花を散らしながら転がっていった。
『緑谷出久! 危険物を投棄するな! 直ちに車両を停止しろ!』
後方から怒鳴るような警告が飛んでくる。
もちろん、止まる気配はない。
出久はむしろ身体を乗り出し、前方の屋敷を指差した。
「伊口君、突っ込んで!」
「よっしゃあ!」
運転席のスピナーが叫び返す。
前方には警察車両による封鎖線が作られていた。
道路を横切るように複数のパトカーが並べられ、その後ろには機動隊が盾を構えている。
さらに左右にはプロヒーローが配置され、正面突破を許すつもりがないことは一目瞭然だった。
その向こうには死穢八斎會の高い塀。
つまり、このまま走ればまず警察の封鎖に突っ込み、その先で八斎會の敷地へ入ることになる。
『止まれって言ってんだろうが!』
スピナーがバックミラーを睨みながら怒鳴った。
「つかまってろ!」
スピナーがアクセルを床まで踏み抜いた。
――ヴォォォォォン!!
瀕死のエンジンが絶叫した。
「行くぞォォォォ!!」
ワゴン車が加速する。
「来るぞ!?」
警察側から怒号が上がった。
「突っ込んでくる!!」
機動隊員たちが一斉に左右へ動く。
正面に並べられたパトカーを見て、スピナーは迷わずハンドルを切った。
封鎖線の端、機動隊が退避したことで生じた僅かな隙間へ車体をねじ込み、パトカーの側面を擦りながら強引に突破する。
――ガガガガッ!
左右のボディから火花が散った。
それでも速度はほとんど落ちず、封鎖線を抜けたワゴン車の正面へ、今度こそ八斎會の塀が迫る。
――ドゴォォォォン!!
凄まじい衝撃音が夜の住宅街を揺らした。
厚いコンクリート塀が中央から砕ける。
最初に細かな亀裂が蜘蛛の巣状に広がり、その直後にはワゴン車の前部が塀を突き破った。
コンクリート片が四方へ吹き飛び、鉄筋が引き千切られる。
「うおおおおお!!」
スピナーの絶叫。
ワゴン車は止まらない。
砕けた塀を乗り越え、そのまま八斎會の敷地内へ突入した。
庭木をなぎ倒し、石灯籠を弾き飛ばし、砂利を巻き上げながら屋敷へ一直線に進む。
「伊口君ナイスだ! もう大丈夫! 止めて!」
「やばいやばいやばい!」
「伊口君!?」
スピナーが何度もブレーキペダルを踏み込む。
しかし減速しない。
真正面に本棟が迫る。
木造部分だけではない。
古い外観の内側には補強された壁や柱もあり、それなりの頑丈さがあるはずだった。
「緑谷君!」
コンプレスが叫ぶ。
「ぶつかるぞ!」
「分かってます!」
出久は巨体をさらに沈め、車内へ両腕を伸ばした。
「全員まとめます!」
「何を――」
次の瞬間。
巨大な両腕が、座席ごと全員を抱え込むように覆った。
「ちょっ、狭い!」
「押し潰される!」
「我慢してください!」
出久が全身を丸め、仲間たちを内側へ庇う。
直後。
――ズガァァァァン!!
ワゴン車が八斎會の屋敷へ突っ込んだ。
外壁が吹き飛ぶ。
柱が折れ、障子も襖もまとめて砕け、畳が跳ね上がった。
車体は玄関脇の壁を突き破り、そのまま内部へ数メートル突っ込んでようやく止まる。
衝撃でエンジンルームが完全に潰れた。
「……」
スピナーがハンドルへ突っ伏している。
「待て」
コンプレスの声が低くなる。
「……臭わないか?」
「え?」
焦げ臭さに、誰かが気づいた。
潰れたボンネットの隙間から、細い煙が上がっている。
「おい」
スピナーの顔が引きつる。
煙はみるみる濃くなっていく。
「これ……ヤバくないか?」
その直後。
――ボッ。
小さな炎が見えた。
「降りろ!」
コンプレスが叫ぶ。
「全員降りろ! 燃えるぞ!」
一斉に動いた。
出久が屋根のなくなった車体から身体を起こし、そのままトガとトゥワイスを抱えて外へ飛び出す。
スピナーとマグネは左右から転がるように脱出し、ジェントルはラブラバを抱えて跳んだ。
コンプレスが最後に車から離れる。
その瞬間。
――ドォォォォン!!
ワゴン車が爆発した。
橙色の火球が八斎會の屋敷内部で膨れ上がる。
窓がまとめて吹き飛び、折れた柱や木片、畳の破片が爆風に乗って外へ撒き散らされた。
屋根の一部が大きく持ち上がり、直後には炎を噴きながら崩れ落ちる。
公安と警察が屋敷の外から見たのは、高い塀が突然吹き飛び、敵連合を乗せた車がそのまま本棟へ突っ込んだ挙句、建物内部から巨大な火柱が上がるという光景だった。
爆風が抜けたあと、屋敷の一角には燃え上がるワゴン車と、崩れた壁から立ち上る黒煙だけが残った。
出久たちは本棟脇の庭へ転がり込むように退避していた。
誰も無傷ではない。服は煤と埃に汚れ、スピナーなどは地面へ手をついたまま荒い息を吐いている。
「……二度とやらねえ」
「次する事があったら、その時はよろしく伊口君」
「二度とやらねえって言ってんだよ!」
出久の返事にスピナーが顔を上げた、その直後だった。
「てめえらァ!!」
怒号が飛んだ。
庭の奥や屋敷の中から次々と男たちが姿を現す。
八斎會の構成員だった。
突然屋敷へ車で突っ込まれ、その車が内部で爆発したのだから当然といえば当然だが、どの顔にも尋常ではない怒気が浮かんでいる。
「緑谷ァコラァ!」
「ウチを何だと思ってやがる!」
「殺せ! こいつら全員ぶっ殺せ!」
手ぶらの者はほとんどいなかった。
鉄パイプ。
木刀。
金属バット。
角材。
中には工具箱から持ち出してきたらしい大型のレンチを握っている者までいる。
人数も多い。
十人、二十人では済まない。
騒ぎを聞きつけて奥の建物からも組員が次々と集まり、短時間のうちに出久たちを半円状に取り囲んでいく。
一人の組員が鉄パイプを肩に担ぎながら前へ出た。
「緑谷出久だな」
「はい」
「はいじゃねえ!」
男の額に青筋が浮く。
「堂々と襲撃予告なんてかましやがってクソガキ。よくも俺らのシマで好き勝手――」
最後まで言わせなかった。
男が鉄パイプを振り上げた瞬間、出久の巨体が一歩前へ出る。
「あ?」
白い鱗に覆われた拳が、男の腹へめり込んだ。
――ドンッ!
「ぐぉっ!?」
身体が浮く。
そのまま数メートル後方まで吹き飛ばされ、別の組員二人を巻き込んで庭石の脇へ転がった。
「なっ――」
「やりやがった!」
「囲め!」
一気に殺気立つ。
だが出久は彼らではなく、崩れた塀の方向へ視線を向けていた。
外から無数の足音が聞こえてくる。
『突入!』
『対象は緑谷出久及び敵連合!』
『抵抗する者は制圧しろ!』
破壊された塀の穴から、黒い盾が次々と入ってきた。
機動隊だ。
その後ろにはプロヒーローたちもいる。
「来ましたね」
出久が呟く。
彼らの名目上の目的は明白だった。
全国指名手配中の緑谷出久と、敵連合構成員の確保。
つまり、この敷地へ突入する理由はもう十分すぎるほど成立している。
「緑谷出久!」
先頭の警官が盾越しに叫ぶ。
「その場から動くな! 全員武器を捨てろ!」
「俺らじゃねえだろ!」
八斎會の組員が怒鳴り返した。
「先にこいつら捕まえろ! うちに突っ込んできたんだぞ!」
「全員その場を動くな!」
「何で俺らまでだよ!」
警官と八斎會の組員が怒鳴り合っている間にも、崩れた塀から機動隊とヒーローが次々と敷地へ流れ込んでくる。
「対象を確認! 緑谷出久だ!」
「敵連合もいるぞ!」
「八斎會の構成員は下がれ! 捜査の妨害をするな!」
「ふざけんな! ここは俺らの屋敷だぞ!」
互いの声が重なり合い、庭はあっという間に統制の取れない騒ぎへ変わっていった。
敵連合を捕らえようと進む機動隊。その進路を塞ぐように怒鳴り散らす八斎會の組員。さらに、そこへ割って入ってくるヒーローたち。
誰もが別の目的で動き、誰も他者の都合など考えていない。
出久はその光景を眺め、満足そうに一度だけ頷いた。
「……いい感じですね」
「どこがだよ!」
すぐ近くで鉄パイプを持った組員と揉み合っていたスピナーが怒鳴る。
「完全に滅茶苦茶じゃねえか!」
「それでいいんです」
出久は飛びかかってきた組員の腕を掴み、勢いを殺さないまま横へ投げた。
男の身体が庭の植え込みへ突っ込み、枝葉を盛大に散らす。
倒れた男には目も向けない。
出久が探しているのは別の人物だった。
少し離れた場所。
崩れた塀から侵入してきた機動隊を避けつつ、トガの分身を作っていたトゥワイスと目が合った。
「分倍河原さん」
出久が呼ぶ。
「ああ?」
トゥワイスが振り返る。
出久は何も言わず、わずかに顎を引いた。
ほんの僅かな目配せだった。
だが、それだけでトゥワイスには十分だったらしい。
「……へっ」
マスクの下で口元が歪む。
「オーケーボス!」
両腕を大きく広げた。
「ここからが本番だ!」
トゥワイスは大きく息を吸い込み、庭中へ響き渡る声で叫んだ。
「――プルスケイオス!!」
叫びと同時に、トゥワイスの足元から黒い泥が溢れ出した。
それは一つの塊に留まらず、庭の砂利を這うように左右へ広がっていく。
踏み荒らされた地面のあちこちで泥が盛り上がり、腕が伸び、頭部が形作られ、次々と人間の姿へ変わっていった。
最初に現れたのはトガだった。
「わあ、すごいことになってますねえ」
泥を振り落としながら立ち上がり、周囲を見回す。
すぐ隣ではスピナーが生まれ、その向こうではマグネ、コンプレス、ジェントル、ラブラバがほとんど間を置かず形を得ていく。
「増えたぞ!」
八斎會の組員が叫んだ。
「トゥワイスを止めろ!」
それだけでも厄介だったが、トゥワイスは手を止めなかった。
「まだまだいくぜ!」
再び黒い泥が噴き出す。
二人目のトガ。
二人目のスピナー。
二人目のコンプレス。
さらに出久まで複製され、白い鱗に覆われた巨体が庭へ立ち上がった瞬間、警察側からも怒号が飛んだ。
「緑谷出久が二人!」
「複製だ! 本物を見失うな!」
「どっちが本物だ!?」
庭の中央では三人のトガが八斎會の組員へ飛びかかり、そのうち一人が木刀を躱して背後へ回る。別の場所では二人のスピナーが機動隊の盾へ体当たりし、さらにコンプレスの複製が飛んできた鉄パイプを圧縮して小さな球へ変えた。
「返しますよっと」
指先で弾かれた球体が転がり、八斎會の組員が思わず後退する。
そこへ本物か複製かも分からないマグネが突っ込み、男を横から吹き飛ばした。
「邪魔よ!」
「八斎會の構成員も抵抗している! 制圧対象に――」
「誰が抵抗してるって!?」
「お前だ!」
「先にあいつら捕まえろ!」
警察と八斎會の怒鳴り合いは、もはや会話にすらなっていなかった。
ヒーローたちも同様だった。
「緑谷を止める!」
一人のヒーローが白い巨体へ飛びかかる。
だが、それは複製だった。
「残念でした」
複製の出久が腕を広げ、正面からヒーローを受け止める。その横を、本物の出久が何食わぬ顔で通り過ぎた。
「緑谷出久!」
別の警官が気づく。
「そっちだ!」
「どっちだ!?」
振り返れば、さらに二人の出久がいる。
そのうち一人は八斎會の組員を片手で持ち上げ、もう一人は庭石を踏み越えて屋敷の反対側へ走っていた。
出久はその光景を横目に見ながら、ゆっくりと屋敷へ向かって歩き始めた。
狙い通りだった。
警察は敵連合を追う。
八斎會は侵入者を排除しようとする。
ヒーローは双方の衝突を止めようとする。
そこへトゥワイスが複製をばら撒けば、誰が本物で誰が偽物かという判断まで加わる。
統制など保てるはずがない。
完璧ではない。
むしろ滅茶苦茶だった。
だからこそ、十分だった。
「分倍河原さん」
出久が小さく呟く。
遠くにいたトゥワイスが、偶然か、それとも聞こえたのか、こちらを向いた。
出久は軽く手を上げる。
トゥワイスも親指を立てた。
「行ってこいボス!」
出久は苦笑し、屋敷の奥へ顔を向けた。