「助けに来たぜー! ボス!」
トゥワイスの声が地下通路いっぱいに響いた直後、その背後から人影が一斉に飛び出した。
先頭にいたコンプレスが、いち早くミリオに向かっていく。
「それじゃあ一番手! いきま──」
「悪いけど!」
ミリオの姿が弾ける。
壁に寄りかかっていたとは思えない踏み込みだった。
緑色の稲妻が一瞬だけ全身を走り、床を蹴った反動で身体が前へ飛ぶ。
「な──」
コンプレスが目を見開く。
次の瞬間、ミリオの拳が腹部へめり込んだ。
──ドンッ!
「ぐほっ……!」
小気味よいどころではない音が響き、コンプレスの身体がそのまま後方へ吹き飛んでいく。
背後から続いていた分身たちをまとめて巻き込みながら床を転がり、数メートル先でようやく止まった。
そのままどろりと崩れて消えてしまう。
「コンプレスー!」
「派手にやられた!」
ミリオはその場で一度大きく息を吐き、拳を構え直した。
「はあ……っ、はあ……」
呼吸はまだ荒い。
体の奥底が、炎でも噴き出そうな程に熱を持っている。
先ほどまでのファントム・メナスで消耗した身体が、完全に回復しているはずもない。
それでも、目の前へ敵が来れば動く。
積み重ねてきた訓練と経験が、疲労した身体を無理やり戦闘へ戻しているようだった。
「ったく……」
ミリオは額の汗を拭う余裕すらなく、前方を睨む。
「連合がもう地下にまで来てるのか……!」
その視線の先では、さらに人影が押し寄せてきていた。
トゥワイスに増やされた分身たちが、狭い地下通路を埋め尽くすように殺到してくる。
ミリオの顔が引きつった。
「上はどうなってるんだよ……!」
愚痴を漏らしながらも、腰を落とす。
次の瞬間、地下通路が一気に乱戦へ変わる。
正面からスピナーがナイフを振り上げ、その横を二人のトガが低い姿勢で駆け抜ける。
さらに後方からマグネが腕を振るい、その隙間を別のコンプレスが縫うように前へ出た。
ミリオは最初のナイフを透過でやり過ごし、そのまま懐へ踏み込んでスピナーの腹へ拳を叩き込む。
「ぐっ──!」
分身の身体が大きく折れ、そのまま後ろへ吹き飛ぶ。
しかし、倒れた場所からすぐに別のスピナーが飛び込んでくる。
「まだいるのか!」
「いっぱいいるぞ!」
「嬉しくないなあ!」
ミリオが叫び返しながら身体を捻る。
ナイフが頬をすり抜ける。
透過を解除した直後、右肘でトガの肩口を打ち、さらに足元へ滑り込んできた別の一人を跨ぐように跳ぶ。
着地地点へ、コンプレスの手が伸びた。
「しまっちゃうおじさんだよ」
「それは困る!」
足先だけを透過。
床へ沈みながら接触を避け、今度は数メートル後方から強制的に飛び出す。
そこへマグネが待ち構えていた。
「逃がさないわよ!」
「うわっ!」
腕を振り抜かれる。
ミリオは上半身だけを透過させ、拳を身体の中へ通した。そのまま脚を実体化させて床を蹴り、マグネの脇を抜ける。
だが、抜けた先にも人影。
その向こうにも。
さらにその後ろにも。
「本当に多いな!」
ミリオの声が響く。
通路は完全に人で埋まっていた。
誰かが殴り飛ばされれば、その身体が後ろの誰かへぶつかる。
転倒した分身を別の分身が踏み越え、その横からまた別の顔が飛び出す。
ナイフが閃き、拳と蹴りが飛び交う。
ミリオはその中心で、ただ一人だけ別の速度で動いていた。
攻撃が届く瞬間だけ透過し、実体化した一瞬で反撃する。
「っ……!」
ミリオが息を詰まらせる。
左から来たスピナーのナイフを透過。
右から伸びてきたトガの凶器も透過。
正面のコンプレスへ拳を入れる。
その瞬間。
「お邪魔しまぁす」
別のトガが背後へ回り込む。
「しまっ──」
ミリオが振り返る。
だが、そのトガは攻撃してこなかった。
笑いながらミリオの横をすり抜け、そのまま後方へ走っていく。
「え?」
一瞬ミリオの意識がそちらへ引かれた。
その隙に、今度は正面からマグネが飛び込む。
「余所見してる場合?」
「っ!」
ミリオが分身に気を取られている間に、トガは乱戦の隙間を選び、まるで最初からそこに道が見えているかのように人の波をすり抜けていく。
「デク君!」
少女が大きく手を振る。
横から飛んできたスピナーの身体を軽く躱し、そのまま床を滑るように出久の前まで辿り着いた。
「わぁ!」
開口一番。
トガは目を輝かせた。
「その姿もすごくかっこいいですね、デク君!」
「……え?」
出久が思わず間の抜けた声を出す。
トガは壊理の隣へ顔を寄せるようにしながら、出久の全身を上から下まで眺めた。
「前のも好きでしたけど、こっちはこっちですっごくいいです!」
「今それ言う?」
「今だから言うんです!」
即答だった。
「白くて、細くなってて、でもちゃんと強そうで……あっ、頭のそれも可愛いです」
「これは可愛い方向で作ったわけじゃ──」
「兎さんみたい!」
「……」
出久が黙った。
ミルコの顔が一瞬だけ脳裏をよぎる。
壊理が出久の腕の中から、トガを見上げる。
「……トガさん?」
「はーい、壊理ちゃん!」
トガが笑顔で手を振る。
壊理の表情が少し緩んだ。
その反応を見たトガも、ほんの僅かに目元を柔らかくする。
「じゃあ壊理ちゃんも取り戻した事ですし、撤退しましょう! 仁君が時間を稼いでくれます」
「うん、そうだね」
出久も異論はなかった。
ここへ来た目的は壊理を助けることだ。
ミリオを倒す必要はないし、八斎會にこれ以上付き合う理由もない。
トゥワイスたちがせっかく作ってくれた隙を無駄にする方が問題だった。
腕の中の壊理を抱き直し、床についていた右膝へ力を込める。
立ち上がろうとした。
その瞬間だった。
「──っ?」
世界が傾いた。
どちらが下でどちらが上なのか、突然分からなくなった。
「え……?」
足元から床が消えたような感覚に襲われ、出久の身体が大きくよろめく。
咄嗟に右足を踏み出そうとした。
しかし、その右足がどこにあるのか分からない。
視界は正常だった。
目の前にはトガがいて、その向こうではミリオと分身たちが戦っている。壁も床も天井も、何一つ動いていない。
なのに身体だけが、天地を見失っている。
「デク君?」
「ちょっ……待って……」
トガが手を伸ばす。
出久は反射的に壊理を胸へ抱え込み、そのまま肩から床へ倒れ込んだ。
──ゴッ!
白い外骨格がコンクリートを叩く。
壊理へ衝撃が伝わらないよう、腕と肩で身体を支えたため、少女は床へ触れることすらなかった。
「デクさん!?」
「大丈夫……壊理ちゃんは、そのまま……」
出久はすぐに起き上がろうとする。
だが、できない。
片手を床について上半身を起こした途端、身体が今度は前方へ引っ張られるように傾いた。
「な、に……これ……?」
「デク君、どうしました?」
「分からない……急に平衡感覚が……」
そこまで言ったところで、出久の表情が変わった。
強化された聴覚が、近づいて来る複数の足音を捉えた。
方向は。
「……後ろ」
出久が顔を上げる。
「僕たちが逃げてきた方から来る!」
直後。
通路の奥から怒声が響いた。
「──壊理!」
壊理の身体が硬直した。
「……っ!」
先ほどまで出久の胸元へしがみついていた小さな指が、一瞬で強張る。
その反応だけで、誰が来たのか分かった。
トガが壊理と声のした方向との間へ移動する。
やがて、通路の曲がり角から黒い影が現れた。
治崎。
マスクの奥から荒い呼吸を漏らしながら、普段の冷静さなど欠片も残っていない形相でこちらへ走ってくる。
その後ろにも複数の男たちが続いていた。
襲撃とここまでの混乱で倒された者も多いのだろう。
それでも、八斎會はまだ残っていた。
「治崎……!」
出久が床に手をついたまま睨む。
治崎もすぐに出久を見つけた。
正確には、その腕の中にいる壊理を。
「てめえ……!」
その目が殺意に歪む。
「どこまで俺の邪魔をすれば気が済む……!」
「デクさん……」
壊理が震えながら出久へしがみつく。
「大丈夫」
出久はすぐに答えた。
まともに立つことすらできない。
それでも壊理を抱く腕だけは緩めず、治崎から隠すように白い身体を丸める。
「君は、僕が攫ったからね」
「……!」
その言葉を聞いた治崎の目が険しく細められた。
治崎は出久の状態を一瞥すると、天井の配管を伝って移動していたマスク姿の男へ声を飛ばす。
「そのままあのガキを足止めしておけ」
「へい」
気の抜けた返事が返ってくる。
それだけで出久には十分だった。
突然失われた平衡感覚、まともに立つことすらできなくなった身体。
原因は恐らく、あの男の個性だ。
身につけたマスクから、恐らく鉄砲玉八斎衆の生き残り。
「散々好き勝手してくれたな……」
治崎が低く吐き捨てる。
その右手が左手首へ伸び、手袋を引き抜く。
続けてもう片方も外すと、二つまとめて無造作に投げ捨てた。
「トガさん、逃げる準備を──」
言い終えるより先に、治崎が腰を落とした。
剥き出しになった右手が床へ伸びる。
「──っ!」
五本の指がコンクリートへ触れた。
──バギンッ!!
轟音とともに、治崎の足元が崩壊した。
亀裂が走ったのではない、床そのものが形を失っていく。
コンクリートが砕け、内部の鉄筋が千切れ、床下の土砂まで巻き込みながら凄まじい勢いで崩れ落ちる。
そして、その破壊は治崎の周囲だけでは止まらなかった。
──バキバキバキバキッ!!
「なっ……!」
崩壊が地下通路を走る。
治崎の手を起点として、床がこちらへ向かって次々と砕け落ちてきた。
距離を瞬く間に食い潰しながら、破壊が迫る。
「デク君!」
「くっ……!」
出久は反射的に立ち上がろうとした。
右足へ力を込め、白い外骨格を圧縮する。
しかし意に反し、身体が大きく横へ傾いた。
自分がどちらへ跳べばいいのかも、頭では理解できている。
それなのに、身体がその情報についてこない。
筋骨発条化は全身の筋肉、腱、骨格、外骨格を連動させる。
だからこそ、平衡感覚を失った状態で大出力を解放するのは危険だった。
どちらへ身体が弾かれるのか、自分でも分からない。
自分一人なら構わない。
壁へ激突しようが、天井へ叩きつけられようが、どうにか耐えればいい。
しかし。
「……」
出久は腕の中へ目を落とした。
壊理がいる。
小さな身体が、自分を信じ切ったように白い胸元へしがみついている。
この子を抱いたまま賭けることはできない。
崩壊はもうすぐそこまで来ていた。
考える時間などない。
「トガさん!」
「はい!」
出久は壊理を抱き上げる。
「……デクさん?」
突然身体が持ち上げられ、壊理が不安そうに顔を上げた。
その身体を、出久はトガへ差し出した。
「お願いします!」
「え?」
トガが目を見開く。
「壊理ちゃんを!」
「待ってください、デク君はどうするんです?」
「いいから!」
普段より強い声だった。
トガが反射的に腕を伸ばす。
壊理の身体が出久から離れ、その腕の中へ収まった。
「デクさん……?」
急に抱く相手が変わり、壊理が不安そうに出久を見つめる。
出久はその視線を受け止めると、できるだけ普段通りの声を作った。
「大丈夫、トガさんと一緒にいて。すぐに追いつくから」
言葉とは裏腹に、床を破壊する音はすぐそこまで迫っていた。
コンクリートが砕ける音が重なり合い、足元から激しい振動が伝わってくる。
出久の数メートル先では、すでに床が原形を失い、大小の破片となって下へ吸い込まれていた。
何があるのかは見えない。
ただ、崩れた床の向こうには暗闇しかなかった。
「トガさん!」
出久が叫ぶ。
「逃げて!」
「でもデク君!」
「早くしろ!」
一瞬だけ迷ったトガだったが、迫ってくる崩壊を見るなり壊理を抱え直した。
「……絶対、来てくださいね!」
「うん!」
その言葉を信じたかどうかは分からない。
それでもトガは走った。
壊理を抱え、崩壊から遠ざかる方向へ一気に駆け出す。
その背中を確認したところで。
──バギンッ!
出久の左手をついていた床に亀裂が走った。
「っ!」
白い腕を引く。
遅れて、そこにあったコンクリートがごっそりと崩れ落ちた。
出久は反射的に後ろへ逃れようとするが、平衡感覚を失った身体ではまともに動けない。
這うようにして右手を伸ばしたものの、その先の床まで次々にひび割れていく。
「まず──」
次の瞬間。
足元がなくなった。
──ゴォンッ!!
地下通路の床が、一面まとめて抜け落ちる。
「うわっ!?」
支えを失った出久の身体が落下した。
白い外骨格とともに、大量のコンクリート片が暗闇へ呑み込まれていく。
「デク君!」
「デクさん!!」
頭上から二人の声が聞こえた。
出久は咄嗟に顔を上げる。
崩れ落ちる床。
舞い上がる粉塵。
その向こうで、トガが壊理を抱えたままこちらへ手を伸ばしている。
「そのまま逃げて!!」
叫び返した直後。
さらに大量の瓦礫が落ちてきた。
「っ!」
出久は両腕で顔を庇う。
コンクリートの塊が白い外骨格へ次々とぶつかり、甲高い音を響かせながら弾かれていく。
「え?」
出久が目を見開く。
突然、失われていた平衡感覚を取り戻した。
自分が頭を上にして落下していることも、身体がわずかに右へ回転していることも、はっきりと認識できた。
先ほどまで頭の中を掻き回していたような不快な感覚が消えている。
「戻った……?」
試しに右腕を動かすと、思った通りの方向へ動く。
あの男から姿が見えなくなったからか。
個性の発動条件まで断定できる材料はない。
だが今は、それを考えている場合ではなかった。
落下は続いている。
周囲は暗く、崩れた床から差し込んでいた光も、舞い上がる粉塵と落下する瓦礫に遮られてほとんど届かない。
出久は身体を捻り、姿勢を立て直す。
平衡感覚さえ戻れば、少なくとも何もできないわけではない。
白い外骨格の各部を圧縮し、着地に備えて衝撃を逃がす準備を整える。
下方に、何かが見えた。
「まだ地下が……」
暗闇の底に、人工物らしき平面がある。
さらに落ちると、輪郭がはっきりしてくる。
「っ!」
出久は反射的に両腕を前へ出した。
──ドォンッ!!
床を突き破るような衝撃とともに、白い外骨格が着地する。
膝、股関節、腰、脊柱。
全身の発条が一気に沈み込み、落下の勢いを吸収した。
それでも完全には殺し切れない。
床材が大きく陥没し、周囲にひびが広がる。
「ぐっ……!」
出久は片膝をつく。
頭上から遅れて瓦礫が降ってきた。
肩や背中へコンクリート片がぶつかり、白い装甲が鈍い音を立てる。
数秒後。
ようやく落下が止んだ。
「……痛っ」
出久は顔をしかめながら立ち上がる。
少なくとも骨は折れていない。
「……なんだ、ここ」
異様な部屋だった。
まず目に入ったのは、中央に置かれた金属製の台。
人一人を横たえられる程度の大きさで、表面には拘束具らしきベルトが残されている。
その周囲にはキャスター付きの器具台が並び、金属製のトレーや見慣れない医療器具が乱雑に置かれている。
医療施設。そう言われれば、確かにそう見える。
「……手術室?」
出久は眉を顰める。
一歩進む。
そこで、金属台の脇にある小さな椅子が目に入った。
小さなサイズ、子供用だ。
「……」
出久の表情が消えた。
目線を動かす。
拘束具。
小さなサイズの医療用品。
何かの採取に使ったと思われる容器。
「もしかして……」
出久が金属台へ近づく。
指先が触れる直前。
白い外骨格から小さな音がした。
──パキ。
「……?」
右腕を見ると、装甲に亀裂が入っている。
「さっきの落下で……?」
亀裂が広がっている。
右腕から肩。
肩から胸へ。
灰色に濁った線が、骨板の表面を這うように伸びていく。
「これ……!」
出久の顔色が変わった。
治崎の崩壊に床ごと巻き込まれた際、ホワイト・ラビットにも触れていた。
外骨格の表面から始まった崩壊が、時間差で内部へ伝わっている。
「まずい!」
右腕の装甲がぼろりと崩れた。
白い骨片が床へ落ちる。
その瞬間にはもう、出久は外骨格との接続を切っていた。
「なんて個性だ……」
出久が息を整えようとした、その時だった。
頭上から、ぱらぱらと細かな破片が落ちてくる。
「……?」
見上げる。
自分が落ちてきた穴の縁に、人影が現れていた。
やがて最前列の男、治崎が崩れかけた縁へ足をかける。
「……追ってきたのか」
出久が表情を険しくする。
治崎は答えない。
代わりに穴の下を一度確認すると、そのまま迷いなく飛び降りた。
直後。
床へ触れる寸前に右手を伸ばす。
──ドンッ!
治崎の着地点だけが盛り上がり、変形した床が衝撃を受け止める。
続いて玄野。
さらに数人の組員が、壁の出っ張りや途中の足場を使いながら次々と下へ降りてくる。
全員が傷ついていた。
服は破れ、血を流している者もいる。
それでも、まだ動ける者だけを集めて、ここまで追ってきたらしい。
玄野が治崎の斜め後ろへ立つ。
「廻、他の面子は壊理さんの追跡に充てやしたが苦戦しているようでさあ」
「分かってる」
治崎が低く返す。
その視線は出久から外れない。
数人の組員が部屋の入口を塞ぐように広がる。
逃がすつもりはない。
出久はゆっくり周囲を見回した。
手術器具や、子供サイズ拘束具を見て顔を顰める。
治崎は数秒、黙って出久を見ていた。
「……とぼけるなよ、緑谷。お前も分かっていたんだろう」
治崎が一歩前へ出る。
「だから壊理を攫ったんだろうが」
出久の目が細くなる。
「僕は……」
「知らなかったとでも言うつもりか?」
治崎の声が強くなる。
「俺たちがあいつを何に使っていたのか。何を作っていたのか。それを嗅ぎつけたから、壊理を攫い、また奪い返しに来たんだろう」
治崎は出久の沈黙を、肯定と受け取ったらしい。
「やっぱりな」
吐き捨てるように言う。
それから、部屋全体を見渡した。
「ここが個性消失弾の製造室だ」
出久の表情が変わった。
「……製造室だって?」
「ああ」
治崎の声に僅かな熱が混じり始める。
「お前らみたいな連中には理解できないだろうがな」
金属台へ視線を向ける。
「壊理の個性──『巻き戻し』」
治崎がゆっくり右手を広げる。
「こいつはただ傷を治すような、そんな生易しい個性じゃない」
声が次第に大きくなる。
「生物を、人間を巻き戻す。進化の系譜を遡り、人を更に退化させる事すら可能な、世界の理を破壊する個性だ!」
治崎は話せば話すほど、抑え込んでいた狂気を解き放っているかのようだった。
「そして、その個性を加工して作ったのが個性消失弾だ。壊理の身体から必要なものを取り出し、性質を解析し、弾丸として使える形にした。うちの目玉商品だよ」
部屋の中央に置かれた拘束台や器具へ視線を向けながら、治崎はそう言い切った。
その口調には、目の前に並んでいるものが一人の少女を傷つけた結果だという認識よりも、自分たちが作り上げた成果を誇る技術者のような響きがあった。
「今はまだ数も限られてる。製造にも手間がかかるし、壊理の状態にも左右される。だが、そんなものは時間の問題だ。研究を続けて安定させれば、個性を消す弾丸をいくらでも作れるようになる」
治崎の声は次第に熱を帯びていった。
「想像してみろ。どれだけ強力な個性を持っていようが、一発食らえばただの人間だ。ヒーローもヴィランも関係ない。これまで個性の強さだけで成り立っていた力関係が、全部ひっくり返るんだよ」
出久は黙ったまま聞いていた。
「個性消失弾は世界を変える。今の社会は個性を前提に回っているが、その個性を任意に奪える手段が出回れば、今までの秩序なんざ維持できなくなる。誰もが欲しがるさ。ヴィランはヒーローを無力化するために、ヒーロー側だってヴィランへ対抗するために欲しがる。政府や公安だって、手に入れられるなら喉から手が出るほど欲しいだろう」
興奮を隠すつもりもないのだろう。普段なら感情を抑え込んでいる治崎の声には、今や明らかな高揚が混じっている。
「新しい秩序が生まれる。個性をひけらかすヒーロー症候群の病人どもが幅を効かせる今の社会じゃない。誰から個性を奪い、誰に個性を残すのか、その鍵を握った側が上に立つ。個性消失弾はそのための武器であり、新世界へ進むための鍵になる」
玄野や後ろの組員たちは何も言わずに立っていた。彼らにとっては聞き慣れた話なのか、それとも治崎の熱に口を挟む気がないのか、表情はほとんど変わらない。
治崎はなおも続けた。
「それだけじゃねえ。そこから生まれる金は莫大だ。値段なんざいくらでも吊り上げられる。使えば相手の個性を永久に消せる弾丸だぞ。必要な奴はいくらでもいる」
その言葉からは、世界を変えるという大仰な理想とは別の、もっと現実的な執着が滲んでいた。
「金が入れば組を立て直せる。人を集めて、武器を揃えて、失った縄張りもシノギも取り戻せる。落ちぶれたなんて言わせねえ。八斎會はもう一度強くなれるんだ」
治崎の目が僅かに遠くを見る。
「……あの頃みたいに、親父もきっと……」
その一言だけは、先ほどまでとは響きが違った。
世界を作り替える野心よりも、過去へ縋る執着の方が強く滲んでいる。
「あの人が作った組を、こんなところで終わらせるわけにはいかねえ。昔みたいに誰もが八斎會の名前を知っていて、簡単には手を出せなかった頃まで戻す。そのためなら、この程度のことは必要な投資だ」
治崎はそう言い切り、ようやく出久の反応を確かめるように視線を戻した。
そこで、初めて眉を顰めた。
出久は話を聞いていないわけではなかった。ただ、あまりにも興味がなさそうだった。
治崎が世界の秩序について語っている間も、出久の視線は何度も拘束台や器具へ向いていた。
莫大な利益や八斎會の復権といった話にも驚いた様子はなく、ときおり「そうなんだ」と小さく返す程度で、治崎が期待していたような畏怖も動揺も見せない。
それどころか、話が長引くほどに出久の表情には露骨な不快感が滲み始めていた。
「……おい」
治崎の声が低くなる。
「聞いているのか」
「聞いてるよ」
出久は答えたものの、その口調には熱がなかった。
そして次の瞬間、もう我慢する必要もないと判断したように、深く息を吐いた。
「聞いてもいないことをペラペラ喋るなよ、不愉快だ」
部屋の空気が止まった。
玄野が僅かに目を見開き、後ろにいた組員たちも反応に困ったように出久を見る。
治崎だけは、しばらく何も言わなかった。
「……何?」
「利用価値だとか、個性消失弾だとか、新しい秩序だとか、そんなことはどうでもいいんだよ」
出久は拘束台から視線を外し、真正面から治崎を見る。
「君が何を売って、どれだけ儲けたいかなんて僕には関係ない。世界を変えたいなら好きにすればいいし、昔みたいな組に戻りたいなら勝手に頑張ればいい」
「てめえ……」
「僕がここへ来た理由は、もっと単純だ」
出久の声には怒鳴るような激しさはない。
むしろ静かだった。
だからこそ、治崎の熱弁を真正面から切り捨てるその言葉は、ひどく明確に響いた。
「僕は壊理ちゃんが欲しかった。だから攫いに来た。それだけだよ」
治崎の頬が引きつる。
「欲しかった、だと……?」
その言葉は、治崎が壊理に見出しているあらゆる価値を根本から否定していた。
出久が欲しかったのは強力な『巻き戻し』でも個性消失弾の材料でもなく、ただ壊理という一人の少女だった。
それだけだった。
「御託はいいよ」
出久が僅かに腰を落とす。
「かかってこい」
同時に、皮膚の下で骨が動いた。
肩甲骨の周囲が盛り上がり、脊柱に沿って白い骨組織が形成されていく。それは身体の外側へ押し出されると左右へ展開し、胸部と背部を包む骨格へ形を変えた。
続いて両肩、上腕、前腕、骨盤、大腿、脛へと形成が広がっていく。
骨板の隙間を埋めるように白い鱗が重なり、それぞれの関節部では動きを阻害しないよう細かな構造が組み上がっていった。
先ほど治崎の個性によって崩壊させられた外骨格。
その代わりとなるものが、出久自身の身体から改めて生み出されていく。
やがて筋肉、腱、骨格、そして体外へ形成された骨装甲が一つの発条機構として接続される。
足首を軽く動かせば、外骨格の内部で複数の骨板が僅かに圧縮される。
膝を曲げれば、さらに深く沈む。
腰から背中へ力を通せば、その圧縮が上半身まで連動した。
頭部の装甲が最後に形成され、そこから二本の白い突起が伸びる。
全因解放。
ホワイト・ラビット。
ほんの短い時間で、白い外骨格が再び出久の全身を覆っていた。
出久が右拳を握る。
「壊理ちゃんを取り戻したいんだろ。だったら僕を倒して追えばいい」
治崎は返事をしなかった。
俯いたまま、肩を小さく震わせている。
「……廻?」
玄野が横から呼ぶ。
その瞬間。
「お前の……」
治崎が呟く。
「そういうところが……」
顔を上げた。
マスクの上からでも分かるほど、その表情は憎悪に歪んでいた。
「気に食わないんだよ、緑谷ァッ!!」
怒声が製造室を震わせた。
出久が僅かに目を細める。
「俺がどれだけ考えて、どれだけ準備して、ここまで組み上げたと思ってる! 親父の組を立て直すために、どれだけの時間を費やしたと思ってやがる!」
治崎の呼吸が荒くなる。
「廻、なにを──」
玄野が反応するより早く、その手が肩へ触れる。
「──っ!?」
次の瞬間。
玄野の身体が崩れた。
肉体が一瞬で形を失い、その輪郭が治崎の腕へ呑み込まれていく。
「な──」
出久が目を見開いた。
先ほど床へ行ったのと同じ分解。
しかし今度は、それで終わらない。
治崎の肩が大きく膨れ上がり、分解された玄野の身体を取り込むように、肉体そのものが再構築されていく。
骨格が変形し、筋肉が増え、肩から不自然な隆起が生まれる。
そこから、腕が伸びた。
本来の二本とは別に、治崎の背中側から新しい腕が形成される。
「……融合までできるのか」
出久の声から、先ほどまでの気怠さが消える。
治崎は自分自身と玄野を一つに組み替えたのだ。
だが、それだけでは終わらなかった。
「若頭!?」
近くにいた組員が後退する。
治崎の新しく生えた腕が、その男の胸ぐらを掴んだ。
「ちょ、待っ──」
再び身体が分解される。
治崎の全身へ吸収され、今度は胴体そのものが一回り大きく膨張した。
肋骨のような骨格が外側へ浮き出し、左右へ新しい肩口が作られ、そこからまた腕が形成される。
「お、おい!」
「逃げ──」
残った組員たちが動揺して距離を取ろうとしたが、治崎は止まらない。
伸びた複数の腕が同時に動き、二人を掴む。
分解。
再構築。
再び分解。
そして融合。
自分自身という一つの肉体を核として、他人の身体を材料のように組み替えていく。
治崎の身体は瞬く間に人間の輪郭から外れ始めた。
腰から下が太くなり、異常に発達した脚部が床へめり込む。
背中は大きく盛り上がり、そこから左右非対称に複数の腕が突き出している。
肩という区別すら曖昧になり、巨大な胴体の各所から人間の腕だけが無秩序に生えているような姿へ変わっていった。
それでも。
中央には治崎の顔があった。
マスクだけは変わらない。
その奥から、荒い呼吸が響く。
「……すごいな」
出久が小さく呟く。
個性『オーバーホール』。
触れた対象を分解し、再構築する。
物体だけではない。
生物すら。
そして、自分と他人の境界さえ。
「最初からこうしておけばよかった、ヒーロー症候群のガキに頼らず俺自身の手で……」
ホワイト・ラビットの脚部がゆっくりと沈み込む。
足首から膝、股関節、腰、脊柱へ向けて発条が連動して圧縮され、白い外骨格の内部に力が蓄えられていく。
治崎もまた、複数の腕を広げた。
「殺してやるぞ、緑谷ァ!」