霞戦記   作:西安

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海峡へ

〇七〇〇。

 

抜錨から二日目が経ち、2YBはパラワン島とボルネオ島の間にあるバラバク海峡に差し掛かろうとしていた。

 

朝の海は、奇妙なほど穏やかだった。

 

風は弱く、波も高くない。遠くには島影が横たわり、緑の輪郭が薄い靄の向こうに沈んでいる。一見すれば、戦場とは思えない海だった。だが、穏やかな海ほど信用できない。

 

島と島に挟まれた海峡は、逃げ場が少ない。水上に敵影が見えなくとも、岩礁の陰、浅瀬の外縁、潮流の変わる場所、そのどこに潜水艦が潜んでいてもおかしくない。こちらが進む航路は限られている。敵が待ち伏せを考えるなら、これほど都合のよい場所はない。

 

この海域は二年前の東南アジア方面の闘いで深海棲艦の艦隊を殲滅させて以降、人類側が制海権を握っているといえる所だ。

 

だが、制海権という言葉は、海上から敵の姿が消えたという意味でしかない。海の底まで、完全にこちらのものになったわけではない。

 

例え水上に敵が存在しないと言っても、全ての深海棲艦が存在しないことにはならない。それは、かつて自分の仲間を失ったことから、痛いほど分かっていた。

 

潜水艦の怖さは、砲撃戦の怖さとは違う。

 

水上艦なら、まだ見える。相手が砲を向ける瞬間も、こちらを狙う視線も、炎も煙も見える。だが潜水艦は違う。見えない。聞こえるかどうかも分からない。気付いた時には、もう雷跡がこちらへ伸びている。

 

白雲の時も、そうだった。

 

何かがおかしいと思った時には、もう遅かった。海面が裂け、水柱が立ち、彼女の姿が火と水煙に呑まれた。

 

だから私は、聴音機に耳を当てるたび、あの時の音を探してしまう。敵の音ではなく、仲間を失う直前の、あの嫌な静けさを。

 

通商破壊の為に、人類側の領域に積極的に侵入を試みる潜水艦。対抗手段に乏しい輸送艦や、装甲の薄い駆逐艦娘はもちろん、当たり所が悪ければ戦艦さえも危険が及ぶ、現状で最も警戒するべき存在だ。

 

決戦の前に、敵は間違いなく艦娘側の戦力を削ぎに来るだろうことは確信していた。その為に、スールー海に入ってから2YBは対潜警戒を最優先に行っている。

 

対潜警戒に入ってから、誰も無駄口を叩かなくなっていた。

 

波の音。艤装の微かな振動。遠くで海鳥が鳴く声。そうしたものまで、普段より大きく聞こえる。見張りをしていると、海面の全てが怪しく見えてくる。白く砕けた波も、潮目の変化も、浮いた流木さえも、一瞬だけ潜望鏡に見える。

 

潮は単横陣の最右翼で、ずっと海面を見ていた。

 

彼女は普段こそ気弱に見えるが、見張りに入ると妙に粘り強い。曙が隣で小言を言っても、視線を外さない。

 

「……」

 

その潮の肩が、わずかに動いた。

 

「潜望鏡らしきものを発見しました! 二時の方向です!」

 

単横陣の最右翼に位置する対潜警戒中の潮が、早速その成果を上げ、海上に浮かぶ不穏な物体の存在を報告した。

 

「えっ、どこ?」

 

「ああ、見えなくなっちゃった……」

 

「もう、潮の見間違いじゃないの?」

 

「曙ちゃん、そんなことないよ!」

 

二人の会話を耳に入れつつ、潮の隣にいる私も慌てて聴音機に耳を傾ける。

 

耳当ての向こうに、海の音が広がった。

 

自分たちの艤装が水面を切る音。味方の推進音。小さな波が装甲に当たって弾ける音。そこから余計な音を一つずつ取り除き、海の底に潜む異物を探す。

 

だが、訓練で、そして実戦で散々耳にした敵潜水艦――カ級、ヨ級、ソ級――その全ての、唸るような特有の推進音は聞こえない。

 

聞こえないことが、安全を意味するとは限らない。

 

「潮、探信機で確認はして見た? 位置を特定しないと」

 

「ううん、まだ。これからやってみるね」

 

潮が耳に手を当て、探信機から音を発し始めたその時だった。

 

例の潜望鏡らしきものがあった場所に、不自然な白い波が四本、生じた。

 

最初は、ただの波頭に見えた。

 

だが、次の瞬間、それが真っ直ぐこちらへ伸びてくる線だと分かった。

 

雷跡。

 

背筋が冷えた。

 

その一本一本が、直撃を避けられても片足は軽く消し飛ばす程度の威力を持っている、潜水艦用の魚雷だ。

 

潜水艦用の魚雷は、艦娘にとって決して大きすぎる兵器ではない。だが、直撃すれば片足が吹き飛ぶ。運が悪ければ艤装との接続部ごと持っていかれる。水上艦の船体なら浸水で済む場所でも、私たちにとってはそのまま身体の損傷になる。

 

しかも、四本。

 

ただ避ければいいというものではない。誰がどの雷跡を避けるのか、一瞬でも判断が遅れれば、味方同士が回避方向を塞ぐ。

 

「雷跡を確認! 総員、散開を!」

 

いち早く気付いた私が号令を掛ける。

 

皆が慌てて単横陣を解き、雷跡の合間へと滑り込む。那智と足柄が僅かに速度を落とし、阿武隈がその後方を押さえ、潮と曙が左右へ広がる。不知火は私の動きに合わせるように、半拍遅れて逆方向へ抜けた。

 

白い筋が、すぐ足元を通り過ぎる。

 

海面の下を何か巨大な悪意が走っていくようだった。

 

「敵潜水艦、先ほどの潜望鏡とほぼ同じ場所に居ました!」

 

同時に、潮が首尾よく潜水艦の位置を特定できたようだ。

 

再装填の隙をつき、爆雷投射機の有効射程内まで接近する。敵はまだ動いている。聴音機越しに、低く唸るような推進音が聞こえた。こちらから逃げようとしているのか、それとも次の雷撃位置を探しているのかは分からない。

 

「深度三十。投射!」

 

そのまま二式爆雷を深度設定三十にして、十発ほど投射する。

 

海面に落ちた爆雷が、白い泡を残して沈んでいく。

 

一拍遅れて、水中で鈍い爆発音が連続した。足元の海が震え、腹の底に響く。

 

直後、聴音機の向こうで何かが軋むような音がした。

 

深海棲艦の悲鳴らしき音。金属が潰れるような音。水が一気に流れ込むような音。

 

だが、それが撃沈の音なのか、ただ損傷しただけなのか、すぐには分からない。

 

「反応は?」

 

「……薄れていきます。少なくとも、追撃はありません」

 

潮の声には安堵が混じっていた。

 

だが、私は完全には気を抜けなかった。潜水艦は沈む時でさえ、最後の魚雷を撃ってくることがある。

 

島と島の間には潜水艦が伏撃できる岩礁が多数あり、その後も散発的に魚雷が押し寄せて来た。血眼になって潜望鏡を探しても、岩の陰に隠れたりしてしまえば発見は困難となる。

 

その後も、海峡は私たちを簡単には通してくれなかった。

 

二度目の雷撃は、岩礁の陰からだった。

 

潜望鏡は見えなかった。音も拾えなかった。ただ、熟練見張員の妖精が背部の艤装で異様に騒ぎ、次の瞬間、斜め前方から白い筋が走ってきた。

 

三度目は、ほとんど見間違いのような距離だった。

 

曙が「右!」と叫び、潮がそれに反応し、阿武隈が全体を押し出すように隊列を動かした。雷跡は那智さんのすぐ後ろを通り過ぎ、白い泡だけを残して消えた。

 

「危ないじゃないの、ほんっとに!」

 

曙が悪態をつく。

 

だが、その声にいつもの余裕はなかった。怒っているというより、怒ることで恐怖を押さえつけている声だった。

 

幸いなことに、発見を避けるためか単艦であることが多く、雷撃の本数はそれ程多くない。

 

背部の艤装に搭載した熟練見張員の活躍により、十分に避けられる範囲で魚雷を発見することが出来た。

 

しかし、四度目から先は、数えるのも嫌になった。

 

潜望鏡を探す。

 

聴音機に耳を澄ませる。

 

魚雷を避ける。

 

爆雷を投げる。

 

また隊列を立て直す。

 

それを繰り返すたびに、身体より先に神経が削れていった。

 

砲撃戦なら、撃てば少しは気が晴れる。だが、対潜戦ではそうはいかない。敵は見えない。見えない相手に怯えながら、海面の小さな違和感を探し続ける。

 

その作業は、戦いというより、海そのものに疑いを向け続ける行為だった。

 

「霞、右舷側を見過ぎです。左も警戒してください」

 

不知火の声が飛ぶ。

 

「分かってるわよ」

 

「分かっているなら結構です。分かっていないように見えたので」

 

こんな時でも、彼女の声は冷静だった。腹は立つが、その冷静さに引き戻されることもある。私が右舷に気を取られすぎれば、不知火が左を補う。不知火が電探に集中すれば、私が海面を見る。

 

いつの間にか、そういう役割になっていた。

 

そうして雷撃を回避した回数が十回を数えた頃の二日目の夜、ようやく海峡を越え、周囲に陸地のない海域であるスールー海に到達することが出来た。

 

陸地が遠ざかっていく。

 

それだけで、肩に乗っていたものが少し軽くなる。岩礁の陰から魚雷が飛んでくる恐怖は、少なくとも薄れた。だが、開けた海には開けた海の危険がある。敵に発見されれば、逃げも隠れも出来ない。

 

私の隣にいた不知火が、疲労を含めた表情をして近づいて来る。

 

「予想はしていましたが……いい加減、精神が削られるものですね」

 

私と同じく北方で何度も潜水艦と対峙してきた不知火も、こうも短期間に襲撃を受けると流石に気が滅入ってしまうようだ。

 

「不知火でも、そういうこと言うのね」

 

「不知火を何だと思っているんですか」

 

「潜水艦相手でも平然と文句を言ってそうな奴」

 

「文句は言います。平然としているかどうかは別です」

 

その返答に、少しだけ笑いそうになった。

 

だが、すぐに笑えなくなる。

 

まだフィリピンにすら至っていないのだ。まだ見ぬ敵主力部隊に戦きながらも、艦隊は前へ、前へとその歩を進めて行った。

 

 

 

 

二二〇〇。

 

足柄さんの水上偵察機の情報によると、スールー海を抜け、ミンダナオ海に突入したとのことだ。

 

日光は姿を地平線に消し、月光は未だに空を照らさない。一切の光源が無い真の暗闇を、警戒陣の五列目にて駆けて行く。

 

夜の海は、昼の海とは別物だ。

 

昼なら、波の色や島影で距離を測れる。敵がいれば、少なくとも何かが見える。だが夜は、全てが黒に沈む。海と空の境目すら曖昧になり、自分がどこを走っているのか、感覚だけでは分からなくなる。

 

この闇の中で役に立つのは、最近になって駆逐艦に標準搭載されるようになった二十二号対水上電探だけだ。

 

十三号対空電探と組み合わせて背中の艤装に乗せられたこれは、つい最近まで直前まで繊細に手入れしなければ故障することが多かったような、お世辞にも性能が高いとは言えない代物だった。

 

だが、電探があるから安心できる、というほど話は簡単ではない。

 

改良の結果どうにか実用水準にまで達したとはいえ、完全ではない。映るはずのものが映らないこともある。映っているものが何なのか分からないこともある。

 

それでも、深海棲艦からの奇襲に対抗できる数少ない手段だった。

 

「不知火、電探に反応は?」

 

「全くありません」

 

「……全く、ね」

 

反応がない。

 

それは安心材料のはずだった。

 

だが、昼間の潜水艦も、最初はそうだった。見えない、聞こえない、映らない。そう思った直後に、海面に雷跡が走る。

 

潜水艦と同様、機動力に優れる敵駆逐艦の襲撃が予想されるフィリピンの内海では、電探の反応、聴音機の音、そして夜間偵察機からもたらされる上空からの情報に神経を尖らせなければならない。

 

島に近い右舷は、輪をかけて警戒しなければならない地点だ。

 

右舷側は黒い。ただの闇だ。

 

その闇の奥に島影があるのか、敵がいるのか、それとも何もないのか、肉眼では判別できない。

 

「右から……この音は何……?」

 

自分の前方にいる阿武隈さんが、何か違和感を憶えたようだった。

 

その声は大きくなかった。

 

けれど、妙に耳に残った。

 

慌てて聴音機に耳を傾けてみる。

 

最初は、自分たちの艤装が水面を切る音しか聞こえなかった。次に、潮流の音。波が艤装に当たる音。

 

その奥に、別の音があった。

 

軽い。

 

速い。

 

潜水艦の重い推進音ではない。駆逐艦の水切り音とも違う。何か小さなものが、海面を跳ねるようにこちらへ近づいてくる。

 

そして、その音に混じって、頭の中で反響するような笑い声が聞こえた。子供の笑い声にも似ていた。赤ん坊の泣き声にも似ていた。

 

けれど、どちらでもなかった。

 

生き物の声なのに、生き物として聞きたくない声だった。

 

二十二号電探には、やはり何も映っていない。

 

映らない。だが、いる。

 

ならば、こちらから照らし出すしかない。

 

探照灯を使えば、こちらの位置も敵に晒すことになる。夜戦で光を使うということは、自分の胸に的を描くようなものだ。だが、見えないまま接近を許せば、それこそ終わりだ。

 

今こそ、闇夜を明るくする光が必要なのではないか。

 

「霞から足柄へ。探照灯の使用を具申致します。何かがこちらに接近してきています」

 

唐突な無線通信に、足柄さんが驚く。

 

「えっ、りょ、了解したわ」

 

足柄さんは状況をあまり理解できていないようだったが、とにかく許可を得ることが出来た。

 

ランドセル型の艤装に着けられた探照灯を作動させ、音のする方向へと向ける。

 

白い光が闇を裂いた。

 

夜の海面が、突然昼のように浮かび上がる。光の帯の中で、波がぎらりと反射した。

 

まるで赤ん坊が鳴くような、不気味な声が、また耳に届いたその時。

 

探照灯の光の中に、黒い影がいくつも浮かび上がった。

 

小さい。

 

だが、速い。

 

艦とも魚ともつかない胴体に、歪んだ顔のようなものが張り付いている。水面を滑るたびに、濡れた甲殻のような表面が黒く光る。口のような裂け目が開き、そこから甲高い鳴き声が漏れる。

 

それらは整然とした艦隊ではなかった。

 

群れだった。

 

ばらばらに動いているようで、こちらの隙を嗅ぎ分けるように進路を変える。何体かは探照灯の光を嫌うように横へ逃げ、何体かは逆に光へ吸い寄せられるように突っ込んでくる。

 

生物として気味が悪い。

 

兵器としても、なお悪い。

 

「PT小鬼群!?」

 

ソロモンから帰還した艦娘の一部から、噂は耳にしていた。

 

曰く、非常に小回りが利いて、集団で雷撃を試みて来る小型の深海棲艦に苦しめられたと。主砲は簡単に回避されてしまうので、機銃で対処するべきだとも。

 

ただの噂だと思っていた。

 

いや、噂であってほしかった。

 

その悪辣さから小鬼と呼ばれたそれは、今目の前に、探照灯に照らされている中だけでも十二体は居た。

 

一刻も早く、対PT戦の準備を仲間に伝えなければ。

 

「右舷に小型の深海棲艦の群れを発見! PT小鬼群だと思われる! 照明弾の使用を!」

 

「了解したわ! 総員、機銃の準備を!」

 

足柄の号令により、探照灯に加え照明弾が空に上がる。

 

光の弾が夜空を裂き、白く燃えた。

 

数分前までが嘘のように、眩しい光の空間が形作られる。影が伸び、海面が銀色に光り、艦娘たちの輪郭が浮かび上がる。

 

そして炙り出された敵の数は、後方から接近するものも含め、最低でも先ほどの三倍に膨れ上がっていた。

 

「ちょっと、冗談じゃないわよ……!」

 

曙の声が聞こえた。

 

さすがの彼女も、軽口を挟む余裕はないようだった。

 

小鬼が持つ小型魚雷は、駆逐艦娘が使う酸素魚雷に比べて射程が短く、極端に接近しなければならない。

 

即ち、近づこうとする敵を如何にして叩き落すか、それが勝負となる。

 

探照灯を照らす私に、十数体のPTが接近する。

 

光を向けている以上、私は目立つ。夜の海で探照灯を使うということは、敵に自分の位置を教えることでもある。だが、照らさなければ味方が撃てない。

 

つまり、今の私は餌だ。

 

探照灯に照らされて黒光りするその体は、生物学的な嫌悪感を本能に呼び起こしそうな、嫌な見た目をしていた。

 

「こいつら!」

 

まだ機銃の射程圏外に敵がいることから、射程が比較的長い主砲で対応する。

 

砲口を向け、発砲。

 

水柱が上がる。

 

しかし、PTはその横を滑るように抜けた。

 

もう一発。

 

今度は直撃すると思った瞬間、敵は不規則に進路を変え、砲弾は海面だけを叩いた。

 

その一発一発を、PTは難なく躱して接近して来る。不規則な軌道を描いて接近する小型の敵では、偏差射撃をする難易度が上昇してしまうのだ。

 

(当たらない!)

 

対艦用を想定してある駆逐艦用の主砲では、砲弾の装填速度がどうしても不足してしまう。最も重要である弾幕を張るためには、一隻だけでは足りない。

 

「キィ!」

 

何とか一撃を浴びせ、PTが悲鳴を上げて脱落していく。

 

「こっちもありますよ!」

 

四発目の弾丸を避けたPTが、突如別方向からの砲撃を浴びて爆発する。

 

後方にいる不知火だった。

 

私が探照灯で敵を引きつけ、不知火が横から撃つ。

 

こちらから頼んだわけではない。だが、不知火は私が何をしようとしているのかを理解していた。

 

こういう時、あいつは本当に嫌になるほど冷静だ。

 

感情を読ませない顔で、最も嫌な位置から、最も必要な一発を撃ってくる。

 

「助かったわ、不知火!」

 

「礼は後で。まだ来ます」

 

「これで、どうかしら?」

 

先頭では、那智の主砲を避けて方向転換したPTを、足柄さんが次々に狩っていく。サイズの大きな艦娘には不利だと判断したのか、重巡への攻撃は直ぐに止んでしまった。

 

しかし、数に物を言わせる敵は次々に隊列へと近づき、あっという間に機銃の射程圏内に侵入してくる。

 

迎撃の為に多少動いたのが災いして、私と不知火は、他の五人より離れた場所に孤立してしまっていた。

 

「この、クズどもがぁ!」

 

例え威勢の良い言葉を吐き捨てても、頭は冷静でいるように訓練されている。

 

左手に抱える二十五ミリ機銃の重みが、急に現実感を持った。

 

こういう時に、手持ち式の機銃の価値が最大限に生かされる。

 

艤装に直接搭載されている種類の機銃は、妖精さんが操作する仕組みとなっているが、どうしても反応にわずかな遅れが出る。通常の敵艦なら、それで問題はない。だが、PTのように小さく、速く、不規則に動く相手には、そのわずかな遅れが致命的になる。

 

手持ち式なら、自分の目で見た瞬間に銃口を振れる。

 

片手が塞がる。反動も強い。弾を撃ち尽くすのも早い。欠点はいくらでもある。

 

だが今は、それが一番速い。

 

迫り来るPTのうち、自分に向かってくるのは現状でも八体。一番PT退治に適した艤装の種類を有している自分を目標にしてくれるのは、実に好都合なことだ。

 

「喰らいなさい!」

 

二門搭載された三連装機銃を横薙ぎにして、ありったけの弾薬をばら撒く。

 

銃声が連続して耳を叩く。

 

曳光弾が光の線を描き、海面を這う黒い影へ吸い込まれていく。

 

あるPTは片側の魚雷に誘爆して粉微塵になり、また別のPTは回避しようとした結果別のPTに衝突、二隻とも水底に消えて行った。

 

だが、先頭の八隻を撃破して発生した煙に紛れて、後方のPTが殺到して来る。

 

「さあ、こっちに来なさいな!」

 

だが、敵は自分の方は敢えて避け、他の艦へと集中していく。

 

考えても見れば当たり前のことだ。今、私に攻撃を試みた仲間が失敗して全滅したのだから、他の艦から狙うはず。

 

急いで探照灯の向きを変える。

 

光が海面を薙いだ。

 

そして、その全ての狙いが、自分の前列にいる阿武隈さんへと向けられていた。

 

血の気が引いた。

 

阿武隈さんは前方に注意を向けている。右舷後方から回り込むPTの群れに、まだ完全には気付いていない。距離は近い。今から無線で周波数を合わせている余裕はない。

 

「阿武隈さん! 避けて!」

 

自分でも、喉が裂けるような声だった。

 

一時的に隊列を離れ、自分からPTの群れへと機銃をまき散らしながら接近する。曳光弾が闇を切り裂き、いくつかの黒い影が水面で跳ねた。

 

だが、全ては止まらない。

 

「えっ、霞ちゃん……? 嘘、なにこの数⁉」

 

私の叫び声に気付いた阿武隈は、ようやく自分の方に大量のPTが接近することに気付く。

 

遅い。

 

いや、まだ間に合う。

 

間に合え。

 

向いている方向が災いして、機銃は使えなかったらしく、手持ちの高角砲を連射して応戦する。

 

「主砲だけじゃ……!」

 

そして、数を減らしきる前に、ついに射程圏内に達したPTが魚雷を発射し、阿武隈の下に六本の魚雷が迫る。

 

照明弾の効果も次第に薄れてきて、雷跡も不明瞭になっていく中、その全てを避けることは容易ではない。

 

「だったら!」

 

阿武隈は、賭けに出たようだった。

 

自分の方へ向かうPTは全て同じ方向で、魚雷の発射方法の都合から、全て同じ向きに発射されるはずだ。つまり、横に動いても回避は出来ない。ならば、方法は一つ。

 

魚雷の方向へ相対すると、思いっきり海を蹴って、宙に舞ったのだ。

 

阿武隈が海を蹴った瞬間、昔の訓練風景が頭をよぎった。

 

かつての魚雷戦の訓練では、よく新入りの駆逐艦娘が、飛んでしまえば魚雷なんて簡単に回避できるのではないか、とよく冗談で口にしていた。

 

そして、それを聞いた教官の神通は、いつもの優しい口調を一変させて怒気を孕みながら、こう言った。

 

「良いですか? 戦場で縦横の移動を止めて飛び跳ねるということは、はっきり言って自殺行為です」

 

即ち、一度空中に居てしまえば、その間の平面的な移動は不可能になる。例え慣性を付けていたとしても、その軌道は簡単に予測できるために、容易に命中できる的になってしまう。更には、着地先に魚雷が来ていれば何の意味も無くなる。

 

そのため、これが役に立つのは潜水艦が単艦で攻撃を仕掛けて来るなどの、敵からの砲撃が起こりえない極めて特殊な状況に限られているので、実戦で使おうなどとは滅多に考えてはいけない、と。

 

不用意に口を滑らせた新入りが、こんな説教を何十分と受けるものだから、ゆめゆめしないようにしなければ、と思わざるを得ない。そんなよくある光景だった。

 

確かに、状況は合致している。

 

PTは砲撃など到底出来ないし、魚雷を一度放ったら補充の為に撤退しないといけない。

 

それでも、実戦でそれを選ぶのは狂気に近い。

 

阿武隈は宙にいる間に、逃げようとするPTへ高角砲を向けた。

 

発砲。

 

一体が砕ける。

 

着水。

 

水柱。

 

そのすぐ横を、魚雷が白い泡を引いて通り過ぎた。

 

成功した。

 

成功してしまった。

 

「……上手くいくなんて」

 

それでも、危険な方法を見事成功させたことに、私は思わず呆けてしまった。

 

「霞ちゃんありがとう、でも次が来るよ!」

 

「!」

 

阿武隈さんの言葉で気を取り戻し、再び迫り来る第三波の迎撃に、またもや奔走する事となる。

 

何度もPTを狙い撃ちする。

 

最初はまぐれ当たりしか出来なかったのが、徐々に不規則に見える挙動を読み取り偏差の精度を上げていくことが出来た。

 

右へ逃げるように見せて、次の瞬間左へ滑る。

 

減速したように見せて、波の陰から一気に詰める。

 

一体を狙えば、別の一体がその陰から飛び出す。

 

嫌な動きだった。

 

敵としての知性があるのか、ただ群れとしての本能なのかは分からない。だが、こちらが撃ちにくい動きをしていることだけは確かだった。

 

「! 敵PT、後方に向かっています」

 

「言われなくても!」

 

敵部隊が前方の重巡の狙いを諦め、後方の第一水雷戦隊に集中するのを生かして、さらに効率よく撃破していく。

 

「霞、右に寄り過ぎです」

 

「分かってる!」

 

「なら結構です」

 

不知火の砲撃が、私の機銃から逃れた一体を横から吹き飛ばす。

 

「本当に嫌なところを撃つわね」

 

「褒め言葉として受け取ります」

 

「これで!」

 

照明弾の効果が完全に切れる頃には、激しかった攻撃は次第に散発的なものへとなっていった。

 

「はあ、はあ、これでどうかしら?」

 

息が上がる。

 

左腕が痺れていた。機銃の反動を受け続けたせいだ。肩も痛い。探照灯を向け続けていたせいで、首の奥まで強張っている。

 

そして、最初の発見から二時間が経つ頃には、ようやく束の間の静寂が訪れた。

 

静かだった。

 

あそこまで頭を揺らすような爆発音、銃撃音、悲鳴、その他の本能を逆なでするような音が溢れていたのに、そこには初めから平穏だったかのような空気が流れていた。

 

だが、平穏などではない。

 

海面には、黒い破片と油のようなものが浮いている。照明弾の残光は消え、探照灯を落とした途端、世界はまた闇へ戻った。

 

闇に戻ると、さっきまで敵がいた場所が分からなくなる。

 

本当に全て倒したのか。

 

まだどこかに残っているのか。

 

分からない。

 

耳の奥では、まだPTの甲高い声が残響していた。

 

「弾薬の残量を確認しなさい」

 

足柄さんの声だった。

 

明るさは残っている。だが、さすがに少しだけ硬い。

 

「損傷確認。各艦、報告を」

 

那智さんの声が続く。

 

勝った。

 

少なくとも、この場は切り抜けた。

 

だが、まだ決戦前だ。

 

私たちは敵主力と戦う前に、既にこれだけ消耗している。

 

そう思った瞬間、さっきまで騒がしかった海の静けさが、かえって不気味に感じられた。

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