霞戦記   作:西安

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スリガオの赤い海

突撃開始から数分後、2YBは接近戦に備え艦列を崩し、さながら個人戦の様相を呈していた。

もはや、綺麗な隊列など維持できない。

赤い海面の上で、味方も敵も入り乱れている。砲声。水柱。雷跡。爆発光。悲鳴。怒号。探照灯と照明弾の残光が不規則に揺れ、深海棲艦の黒い輪郭が、現れては消える。

足柄の命令通り、私達は敵の陣形が完成する前に、その懐へ飛び込もうとしていた。

だが、敵もただ見ているだけではない。

ル級の射程に入ったのか、十四インチ砲の砲弾が続々と降って来る。

空気が裂ける。

着弾の直前、耳ではなく肌がそれを察知する。次の瞬間、海面が爆ぜた。赤く光る水が白い柱となって噴き上がり、その奥から黒い飛沫と破片が降り注ぐ。

偵察機を搭載していないタイプの旧式だからなのか、狙いをつけるのが難しいからなのかは不明だが、敵の砲撃はあまり当たらない。

いや、当たらないというより、当たりきっていない。

弾着は甘い。散布界も広い。だが、一発でも直撃すれば終わる。掠っただけでも、駆逐艦娘の装甲と身体には十分すぎる威力がある。

既に阿武隈が一撃かすってしまい、主砲の片方が使用不能になってしまったと報告している。

その報告を聞いた時、胃の底が冷えた。

阿武隈さんでさえ、掠っただけでそれだ。

私に直撃すればどうなるか。

考えるまでもない。

現状が丁字不利で、のんびり近づいている暇がないことには変わりはない。一刻も早く懐に潜り込まなければ、ジリ貧であることには変わりはないのだ。

更に、その砲撃を潜り抜け、水雷戦隊がこちらを目指してくる。

ナ級。

ツ級。

赤い海を切り裂き、こちらの突撃線へ横槍を入れるように展開してくる。後期型ナ級の魚雷発射管が横を向くのが見えた。ツ級の艤装もこちらへ向いている。

「あんた達に構っている暇はないのよ!」

悔し紛れにそう言い放つ。

だが、次の瞬間、後期型ナ級の五連装魚雷、ツ級の連装魚雷の狙いが全て自分の方向を向いていることに気付いた。

言いようもない恐怖が背筋を這い上がる。

(やられる……!?)

目の前で、敵が横を向く。

がごん、という重い音。

次いで、魚雷発射管が解き放たれる音。

その一瞬が、妙に遅く見えた。

必死に、かつて対魚雷戦訓練で教官役を買ってくれた長良に言われたことを思い出す。

「魚雷の本数が少ないときは動いて避けられるけど、同じ方向から多数来た時はかなり厳しいのよね。機銃だと水中で減速しちゃうから、逃げたい方向にある魚雷をどうにか主砲で吹き飛ばすぐらいしか方法はないわ。でも、主砲は大体六秒から十秒に一回撃てるけど、魚雷の速度から考えると、一発外したら次の機会はないと考えても差し支えないわ」

あの時の長良は、いつもの穏やかな顔ではなかった。

魚雷を侮るな。

海の上を走れるからといって、魚雷を簡単に避けられると思うな。

艦娘は実艦より小回りが利く。だが、それは全方向から殺意が押し寄せてこない場合の話だ。逃げる先を塞がれれば、身体が小さいことなど何の慰めにもならない。

横に回避運動を取れば、その隙を他の深海棲艦が見逃すことは無いだろう。

ならば、前方に進む以上、どうにかして魚雷を破壊しなければならない。

開戦初期の東南アジアでも、北方で護衛船団をしているときも、これほどの数の魚雷に遭遇したことは無かった。

五隻のナ級が一斉に横を向く。

併せて二十五本。

白い雷跡が、赤い海面の上に一斉に走った。

一瞬、海そのものがこちらへ牙を剥いたように見えた。

これでは、どのみち横に避けるのは不可能だった。

主砲を握る手が震える。

怖い。

怖いに決まっている。

この本数を前にして、平然としていられるはずがない。頭では計算できても、身体は死を理解してしまう。

それでも、手を止めれば死ぬ。

震えをどうにか押し殺し、狙いを定める。

逃げ道を作る。

それだけを考えろ。

全部を消す必要はない。全部を避ける必要もない。一本、いや二本。進路上の雷跡を消せれば、そこに隙間ができる。

「そこ……!」

引き金を引く。

砲弾が海面を叩き、魚雷の一つに命中した。

自分の目前を進む魚雷の雷跡が、突然消えた。恐らく、スクリューの部分に当たってしまったのだろう。

(今だ!)

両舷一杯にし、僅かに出来た隙間を進む。

雷跡と雷跡の間を、身体一つ分の隙間で抜ける。足元を魚雷が走る。白い泡が視界の端を抜ける。もし半歩でも遅れていれば、そこに私の脚は無かった。

抜けた。

そう思った瞬間、前を塞ぐナ級が迫っていた。

「邪魔!」

主砲を叩き込む。

砲弾はナ級の胴体に穴を空け、機能停止に追いこんだ。だが、誘爆もせず、沈みもしない。

巨大な残骸が、そのまま私の進路に残る。

「ぶつかる!」

方向転換をしても、もう回避は間に合わない。

このまま衝突すれば、速度を殺される。速度を殺されれば、背後のル級と水雷戦隊に捕まる。そうなれば終わりだ。

PT相手に阿武隈が飛び跳ねて回避したことを思い出す。

あれは危険な方法だ。

神通教官なら、絶対にするなと言うだろう。

だが、今は他に選択肢がない。

「もう、どうとでもなりなさいな!」

咄嗟に飛び跳ねる。

海面を蹴った瞬間、身体がふわりと浮いた。

空中にいる時間は、ほんの一瞬のはずだった。だが、その一瞬が異様に長く感じられる。眼下にナ級の残骸がある。まだ紫色の光を失いきっていない目が、こちらを見上げている。

私はそのナ級を踏み台にした。

靴底に、硬い装甲と柔らかい何かが混じった嫌な感触が伝わる。

同時に魚雷を一本、空中からナ級に向けて放つ。

予想だにしなかった行動に驚いたのか、急いで他の深海棲艦も振り向こうとする。

しかし、直後に私の魚雷が爆発した。

爆風が背中を押す。

破片が飛び散る。

赤い水柱が上がる。

ナ級の残骸は、内側から裂けるように吹き飛んだ。

他の深海棲艦は、その破片から防護するのに精いっぱいとなって、私に追撃をすることは無かった。

着水。

膝に衝撃が走る。

一瞬姿勢が崩れかけたが、どうにか持ち直す。

私の背中の主機も、敵の残骸が飛び散ったために多少の傷がついたものの、まだ使用する分には問題はない。

息が荒い。

だが、止まれない。

その足で、目前に見えたル級の一隻に近づく。

ル級は、戦艦型の深海棲艦だ。

旧式とはいえ、火力も装甲も駆逐艦とは比較にならない。まともに撃ち合えば勝てる相手ではない。

だが、弱点がないわけではない。

二枚の盾とそれに内蔵された主砲を構える都合上、真正面に来る敵には片方の主砲しか使えないと言う欠点がある。

それを利用し、敵の主砲を簡単な横運動でよけ、全力で接近する。

ル級の砲口がこちらを向く。

撃たれる。

そう思った瞬間、わずかに横へ滑る。

砲弾がすぐ横を抜けた。

爆風で髪が乱れる。耳が痛い。だが、直撃ではない。

距離が詰まる。

もう一発。

盾の角度が変わる。

砲口が追ってくる。

だが、近すぎる。

とうとう主砲で狙いを付けられなくなったのか、或いは撃破しても誘爆で自分に被害がでることを恐れたのか、ル級は盾を振り回して超近接戦に移行した。

巨大な盾が、赤い海面を裂いて迫る。

まともに受ければ、身体ごと潰される。

私には一部の艦娘にある槍や刀といった武器が無い。近接戦闘なら、普通に考えればこちらが不利だ。

だが、これだけ接近すれば、駆逐艦程度の主砲だって戦艦に損傷を与えられるはずだ。

『ソロモンの悪夢』夕立や『黒豹』綾波が、夜戦で多数の大型艦を撃沈した方法。

敵の懐へ入り、砲塔の死角を縫い、至近距離から装甲の薄い部分を叩く。

まさか自分がそれを使う日が来るとは思わなかった。

恐怖よりも先に、高揚感が来た。

不思議なほど頭が冴えている。

敵の動きが非常にゆっくりに見える。

盾が来る。

避ける。

もう一枚。

沈み込むように身を低くして抜ける。

次の瞬間、盾の隙間から、化け物を見るような表情で私を見つめる敵の顔が見えた。

驚いている。

戦艦型の深海棲艦が、駆逐艦娘を前にして、確かに驚いている。

「そこよ!」

その刹那、主砲をそこに目掛けて放つ。

轟音。

反動。

至近距離で放たれた砲弾は、ル級の顔面を抉り、内部へ食い込んだ。

頑丈な防護壁に守られており、耐久力なら新型のタ級にも勝るル級も、これには耐えられなかった。

頭部を吹き飛ばされたル級は、膝から崩れ落ち、沈みこそしなかったものの、機能停止に追いやられた。

(やった)

呼吸が止まる。

(私でも戦艦を倒せたんだ!)

それは、状況に似合わないほど純粋な喜びだった。

駆逐艦の自分が、戦艦型を止めた。

霞でも、やれる。

その実感が胸を焼いた。

だが、歓喜は長く続かない。

目の前には敵の旗艦が不気味に様子を見ている。

黒服の姫級が、まるで芝居でも見物するようにこちらを見ていた。白服の姿は、なおも動かない。赤い海の上で、巨大な艤装が不気味に沈黙している。

周囲を見ると、未だにここまで突破している仲間はいないようだった。

私は、少し前へ出過ぎた。

そう気づいた時だった。

「霞、聞こえますか⁉ 救援を……ぐふっ⁉」

私の後方で、カエルが潰されたようなくぐもった悲鳴が鳴ったのが聞こえた。

「何!?」

声の元を探して振り返ってみる。

そこにいたのは、不知火だった。

ネ級に組み伏せられ、弄られるように肉弾戦を強要されている。

不知火の艤装は大きく傾き、片側の主砲が妙な方向を向いている。魚雷発射管の一部が引き千切られ、装甲の破片が赤い海面に散っていた。

その上に、ネ級が覆い被さっている。

ネ級は何故か背部の主砲を搭載した艤装が無いどころか、武器になるようなものは何一つ持っていない、異常な個体だ。

だが、素手で十分だった。

腕力だけで、不知火を押さえ込んでいる。

「この! 不知火を放しなさい!」

急いで主砲を撃つものの、ネ級の装甲と距離のせいで十分な損害が与えられない。

砲弾は装甲を削った。

だが、止まらない。

「邪魔ヲスルナァァァァ!」

ネ級の雄叫びとともに、動けない不知火から、目標を私へと変える。

不知火の身体が、力なく海面へ落ちる。

「不知火!」

返事は無い。

どうもこのネ級は変わり種らしく、主砲も魚雷も撃たずに、私に向けて直進する。

「殴リアオウゼェ! 楽シイイダロォ!」

(こいつ!)

主砲を撃つ。

避けられる。

もう一発。

最低限の動きで躱される。

ネ級はこちらの砲撃を恐れていない。むしろ、砲撃の合間へ滑り込み、距離を詰めてくる。

格闘戦を望んでいるようだった。

駆逐艦の力では勝つことは不可能だ。

近づかれれば、さっきの不知火のように組み伏せられる。腕力でも装甲でも、こちらが勝てる相手ではない。

何も相手の得意な分野に、わざわざ自分から乗る必要はない。

「ああ分かったわ、やってやろうじゃない!」

「ソウダ、ソウ来ナクッチャナア!」

わざとそう言い、その決闘宣言を聞いたネ級が嬉しそうに微笑む。

醜い笑みだった。

だが、笑った。

それで十分だ。

「こっちを見なさい!」

突進するネ級に合わせて直進するふりをする。

距離が詰まる。

ネ級の腕が上がる。

その瞬間、不意打ちで魚雷を一本発射した。

「ハァッ……何故ダ……?」

私も決闘をするのかと勘違いして直進し続けたネ級は、その魚雷を避けることが出来なかった。

直後、ネ級の足元で爆発が起こり、煙に包まれる。

赤い水柱が立つ。

ネ級の叫び声が途中で途切れる。

「真面目に相手をするって、誰が言ったのかしら?」

だが、その中から砲撃が飛んで来る。

(しまった!)

沈めたか、戦闘不能に追いやったと思って、油断していた。

その砲撃は左腕をかすり、シャツに血が滲む。

熱い。

一拍遅れて、鈍い痛みが来た。

機銃座を握る手に力が入らなくなる。

「貴様ァ! 卑怯者ガァ!」

煙の奥から、ネ級の声が響く。

何も装着していないはずの背中から、肉と肉が擦れるような不愉快な音がした。

ぬるり、という音。

骨が伸びるような音。

甲殻が皮膚を破るような音。

艤装が生えて来る。

(あれってそういう仕組みなの!?)

驚くのも束の間、煙が晴れた中から出て来たのは、右足にあった靴らしき装飾が破れ裸足になり、右手を失いながらも鬼の形相で迫って来るさっきのネ級だった。

並みの艦ならすぐに動けなくなるような損傷を負っても、執念からなのか異常な耐久性を示し、多少速度を落としながらも、なお私に向かってくる。

(くっ、こんなとこで時間を潰している暇は無いのに……)

不知火から私に狙いを変えた以上、もう救援すると言う当初の目的は果たしているのだ。

どうにかしてこいつを無視できる方法は無いのか。

だが、ネ級は私を逃がす気など無い。

「騙シタ奴ニハ、ソノ報イヲ受ケテ貰ウ!」

ネ級が叫ぶ。

その残った腕がこちらへ伸びる。

掴まれれば終わる。

左腕は痛む。機銃は握れない。主砲を向けても、距離が近すぎる。魚雷も、さっきの一本で姿勢が崩れている。

その時だった。

「霞さん、そこを動かないで!」

声が飛んだ。

一瞬、誰の声か分からなかった。

だが、その声には、こちらを巻き込まないだけの確信があった。

私は反射的に動きを止める。

直後、ネ級のいる海域に、何処から来た砲撃が大量に降り注いだ。

重い。

明らかに重い砲撃だった。

2YBの誰の砲でもない。

水柱の高さが違う。爆発の圧が違う。海面そのものが叩き潰されるような衝撃が、遅れて身体へ伝わる。

その砲撃の水飛沫の中に、吹き飛ばされた腕と主砲の一つを見た。

致命傷ではあるものの、即時の機能停止には至らないことから、のたうち回るネ級。

「ゴアアアアアアアアアァァァァァァァ!!」

もはや言葉にならない叫び声を上げながら、最後の力を振り絞って突撃するネ級に、無慈悲な第二射が到来した。

今度は、完全に直撃した。

赤い海面が白く吹き飛ぶ。

爆煙が視界を覆う。

(何が起きたのよ……)

頭が混乱しているうちに、視界を遮るものが無くなる。

あのネ級の姿は、そこには無かった。

2YBの参加艦では到底出ない、戦艦級の主砲の火力だ。こんな火力を今出せるのは、1YB3Hの参加艦しかいない。

「扶桑さん!?」

叫ぶように言った。

無線が入る。

声は、さっきの砲撃の主だった。

「今はあれを何とかしますから、それまで待っていて下さい!」

扶桑。

間違いない。

足柄から、荒い呼吸音とともに無線通信が入る。

「皆、朗報よ! ついに、1YB3Hが合流したわ! 敵の旗艦はどうにかしてくれるみたいだから、私達は雑魚を蹴散らすのよ、山城達が戦いに集中できるようにね!」

来た。

来たのだ。

満潮姉さんたちが。

死地へ向かったはずの第三部隊が、ちゃんとここまで辿り着いた。

「霞……今のは何ですか……?」

ようやく目を覚ました不知火は、私によろよろと近づいて肩に手をかける。

ひどい姿だった。

既に艤装の半分をあのネ級に破壊されており、魚雷発射管も千切られてしまい、何とか主砲を撃つので精いっぱいだった。片膝が震えている。呼吸も浅い。

それでも、彼女は立っていた。

「来たのよ……救いの一手が!」

興奮気味に、私は不知火にそう伝える。

その瞬間、不気味に見守っていた敵の旗艦の黒服が、突然哄笑を始めた。

「ヤマシロォ……遅カッタジャナイ!」

その声が、赤い海峡全体に響いたように感じられた。

「誰よあんた! こんなとこに居座って!」

山城の声が返る。

ついに、本人が来た。

黒服が探し続けていた相手。

この異常な深海棲艦が、流れだの何だのと言って執着していた相手。

山城。

山城を呼び続けていた黒服が、ついに本人を見つけ、悲壮感と楽しさを混ぜた声で続ける。

「勝手ニ……カイキョウヲ……違ウ道デ越エルナンテ、ズルイジャナイ! 流レに合ッテナイワ!」

「そっちの都合なんて知るか!」

「フザケルナァ! 真ッ二ツニ……ナリタインダロォ!?」

「さっきからうるさいのよ、あんた!」

「コノ海峡ガ……アナタタチノ行キ止マリナノヨォ!」

「邪魔だ……どけぇぇぇぇぇぇぇえぇ!!!」

山城の絶叫と同時に、1YB3Hの砲撃が始まった。

二人の口合戦の最中にも、1YB3Hの砲撃は敵の旗艦を狙い続ける。

扶桑の主砲。

山城の主砲。

最上の砲撃。

時雨の魚雷。

朝雲姉さん、山雲姉さん、そして満潮姉さんの援護射撃。

その全てが、巨大な敵旗艦へ向けられる。

赤い海峡が、今度は味方の砲火で白く染まった。

(私も加勢に……)

加勢を考える。

身体が前へ出ようとする。

だが、足柄からの通信を考え、思いとどまる。

特殊な深海棲艦達は、これまでその姿と似ている艦娘か深い縁がある艦娘にしか倒されていないことを考えると、足手まといにしかならないだろう。

あれは、山城と扶桑の敵だ。

私が割り込んでいい戦いではない。

ならば、自分に出来ることをする。

自分に接近してきつつある水雷戦隊の残党に向け、攻撃を開始する。

「不知火、動ける?」

「主砲くらいなら。あとは、気合で」

「なら十分よ」

「不本意ですが、同感です」

傍目で見ると、1YB3Hが優勢らしく、敵の砲台は徐々に使用不可能になって行っている。はぐれたナ級がそれを妨害しようと近づくも、私や阿武隈が横槍を入れ、それもかなわない。

「怖いもんですか、今更PTなんか!」

「そうよ、ちょこまかと逃げて! 無駄なんだから!」

増援として現れたPTも、中破しながらも戦意を燃やす潮と曙によって次々に撃墜されていく。

潮の声には震えがあった。

曙の声には怒りがあった。

だが、二人とも退かない。

阿武隈も片方の主砲を失ったまま、残った火力で敵を押さえ続けている。足柄と那智は、1YB3Hの射線を邪魔しない位置を保ちながら、近づく敵を片端から撃ち払っていた。

敵旗艦の巨体が揺れる。

そして、時雨が一斉発射した魚雷によって敵の旗艦が中破したとき、動かなかった白服の姿が透明になって消え始めた。

「アア……ドウシテ、姉様、ドウシテ……!」

黒服は明らかに動揺し、山城はここぞとばかりに攻撃を集中している。

「ふん、どうやらこっちの方が優勢みたいだけど!? 姉様呼びをして良いのは私だけなのよ、真似すんなパチモンが!」

最後には山城と掛け合いをしていた黒服だけが、巨大な艤装の上に残った。

「ヤメテッテ、オ願イシテイルノニィ!」

先ほどの好戦的な態度とは打って変わって、旗艦は哀願するような言動を見せ始め、それとは裏腹に攻撃は苛烈な物へと変わって行った。

最初は影も形も見せなかった艦載機も有るらしく、それからの爆撃とまだ生き残っている主砲の余波に巻き込まれ、1YB3Hの参加艦は徐々に満身創痍になって行く。

敵は泣いている。

怒っている。

縋っている。

だが、その攻撃は少しも弱まらない。

むしろ、追い詰められるほど苛烈になる。

満潮姉さんと時雨は幸いにも小破で済んでいるが、他の艦は段々と戦闘の継続が不可能になってきている。

朝雲姉さんの動きが鈍る。

山雲姉さんの砲撃間隔が開く。

最上の艤装から煙が上がる。

扶桑さんの姿勢も崩れかけている。

「コンナ所デ……死ニタイノォ⁉」

一方、敵の旗艦も大破寸前の状態になっており、どっちが生き残るかは正に五分五分だ。

「姉様!」

「山城?」

旧式戦艦と侮る者を黙らせるほどに、機関を最大限使って戦艦らしからぬ近接高機動戦闘を繰り広げる山城は、戦局を打開するべく、連携攻撃を提案する。

「山城は、この一撃で決めます! どうか支援を!」

「了解したわ!」

二人は、血を至る所から流し、姿勢を維持するのもやっとである敵旗艦に向けて、砲門を向ける。

扶桑が支える。

山城が踏み込む。

姉妹の動きは、まるで最初からそう決められていたかのように重なった。

「ソウナノデスネ……。アナタ達ハ……ソレデモ……コノ先ヘト、進モウト言ウノデスネ……」

二人に向けて、黒服が微笑みながら、満足したように喋る。

その声は、先ほどまでとは違っていた。

呪詛でも、怒号でも、哀願でもない。

何かを諦めた者の声だった。

「ナラ、アナタタチハ……」

「「いっけぇぇぇぇぇ!!!」」

扶桑と山城の砲撃が重なる。

光が走った。

赤い海峡が、真昼のように白く染まる。

敵の旗艦は、何かを言い切ることなく大破し、その大きな残骸が、岸へと流れていく。

「張り合いが無いわね!」

山城の声が響く。

それと同時に、敵部隊も戦意を失い、統一した行動が取れなくなっていく。先ほどまでの整然とした艦隊運動が出来ない深海棲艦の水雷戦隊など、最早敵ではない。

「姉様! 私達、やりましたよ!」

「そうね……山城、やったわね……」

ボロボロになりながらもやり遂げた二人が感慨深く呟く。

その声を聞いた時、ようやく胸の奥に詰まっていた息が抜けた。

勝った。

少なくとも、この海峡の敵旗艦には勝った。

私の知っている限りでは、2YBは私以外が中破か大破、1YB3Hは満潮姉さんと時雨以外は戦闘が殆ど出来ないという有様だったが、それでも誰一人欠けることなく生き延びることが出来たのは奇跡としか言いようが無かった。

奇跡。

本当に、それ以外の言葉が見つからなかった。

1YB3Hの駆逐艦たち――時雨、山雲、朝雲らのことだ――と喜んでいた満潮姉さんが、私に気付いて駆け寄って来る。

「霞! 無事だったみたいで、良かった!」

満潮姉さんの声。

夢の中ではなく、現実の声だった。

「満潮姉さん……うん、助けに来てくれたのね……ありがとう」

言葉にした途端、胸の奥が熱くなった。

嬉しさのあまり、つい目が赤くなってしまい、涙を必死に堪える。

満潮姉さんは、そんな私を見て、呆れたように笑った。

それから、私を抱きかかえて、頭をぽんぽんと叩いて慰めてくれた。

「もう、何しおらしくなっているのよ。それに、肝心の輸送部隊はまだ無傷なのよ。私達先遣隊じゃとてもじゃないけど火力が足りないから、日が明けたら、本隊が通れるようにしておかないとね」

その言い方は、いつもの満潮姉さんだった。

だからこそ、私は落ち着きを取り戻せた。

そうだ。

まだ終わっていない。

この戦闘は前段でしかない。この海峡の奥には本命が残っているのだ。

「そうね、残敵を……」

その時だった。

戦意を失って逃げ惑うばかりの深海棲艦達が、急に目覚めた。

赤い海の上で、ばらばらだった敵影が一斉に動きを取り戻す。

先ほどまで統制を失い、ただ逃げ回っていたはずのナ級が、再びこちらへ向き直る。PTの群れが甲高い声を上げる。ツ級の残存艦が砲を構える。

再び闘争本能を滾らせて攻撃をし始めた。

「え!?」

何が起きた。

旗艦は倒したはずだ。

深海棲艦の統制は、旗艦を失えば崩れるはずだ。

私達の所には、先ほどまでとは雰囲気が違う――そう、まるで決死の攻撃をするかの如く突撃するナ級が二隻ばかり、その主砲をやたらに打ち込んで来る。

「はあぁ、何でいまさら!?」

不意打ちを何とか躱した私達は、咄嗟に主砲を向け、直進して来るナ級への砲撃を喰らわせる。

一隻が被弾し主砲が折れるとすると、戦力で不利と見たのか他の艦娘の所へと転身し、そのうち姿が見えなくなった。

何故深海棲艦が急に戦意を取り戻したのか。

その理由を必死に考える。

「霞! これってどういうことよ!」

「分かんない! 敵の旗艦は確かに倒したんでしょ⁉」

確かに倒した。

あの巨大な艤装は崩れた。

黒服も、海峡の奥へ流されたはずだ。

ならば、なぜ敵が動く。

誰が命令している。

その要因は直ぐに分かった。

島に漂着した先ほどの大きな残骸。

その中から、新たな深海棲艦が現われたのだ。

赤い海面の上に、細い影が立っている。

両手を鎖で縛られている。

身にまとう艤装は、秋月型のように見えた。駆逐艦型。だが、その気配はただの駆逐艦ではない。身動きの取れない囚人のような姿をしているのに、周囲の深海棲艦が一斉にその存在へ従っている。

「防空埋護姫……私ガ、オ相手イタシマス……」

声は静かだった。

先ほどの黒服のような狂乱はない。

だが、その静けさが逆に不気味だった。

つまり、別の個体――防空埋護姫と名乗った、両手を鎖で縛られた、秋月型のような艤装を施した駆逐艦と思しき深海棲艦――が、新たな旗艦の座となり、それによってイロハ級が再び統率を取り戻したのだ。

勝利の余韻は、一瞬で消えた。

赤い海峡に、再び殺意が満ちる。

誰一人欠けずに生き延びた。

そう思った直後に、戦いはまだ終わっていないと突きつけられた。

私は満潮姉さんの腕の中から身を離し、主砲を握り直した。

左腕の傷が痛む。

機銃を握る力はまだ戻りきらない。

それでも、構えるしかない。

「……冗談じゃないわよ」

声が震えた。

恐怖か、怒りか、自分でも分からなかった。

「ここまで来て、まだ終わらないっていうの?」

防空埋護姫は、鎖に繋がれた手をわずかに持ち上げる。

それに呼応するように、周囲の深海棲艦が再び陣形を組み始めた。

夜戦は、終わっていなかった。

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