ウワサの名前を知り、負の感情を災悪に利用された元宮は、
逆恨みからクラスメイトの美知佳を呪い、渦の中に飲み込もうとする。
異変を察知して駆けつけたウワサとアノロンウェンは、美知佳を救出するが、
制御を失った災悪は契約者である元宮をも襲い、無数に増殖して辺りを包囲する。
圧倒的な数の暴力に窮地に陥る二人だったが、アノロンウェンの氷壁による防御の隙に、
ウワサは無数の渦の奥に潜む本体を円越しに特定する。
銀色のペンで真実の名を刻み、黒渦様を完全に消滅させたウワサは、
恐怖に震える美知佳に警告を残し、傷ついた体を引きずりながら街を去る。
理不尽な悪意と戦い続けるウワサの背後では、
ミリアが人間の脆さを嘲笑うかのように、静かにその行方を追い続けていた。
(随分遠くまで来てしまったな……)
夕暮れ時。
マコトは海岸沿いの道路を歩いていた。
海が広がり、何隻もの船が見える。
近くに港があるようだ。
心地よい潮風が吹き、海岸線の道路にはジョギングをしたり、
犬の散歩をしたりしている人達の姿があった。
(いつになったら捕まえられるんだ)
ウワサを追い続けて、既にかなりの時間が経っていた。
今まで何度かその姿を見つける事はできたものの、そのたびに逃げられてしまっている。
逃げられるたびに、怒りがこみ上げてくる。
(あいつのせいで、みんなは……)
呪われた少年。
その呪いのせいで、みんなが不幸になってしまったのだ。
(あいつだけは許さない)
マコトはそう思いながら、拳を固く握り締めた。
エンネアは何も言わず、マコトに寄り添った。
その時、目の前のバス停にバスが止まった。
中から、中学生ぐらいの男の子が二人降りてきた。
「も~、何言ってるんだよ~、圭ちゃんってほんと面白いよねえ」
「そういう隆ちゃんだって面白いよ。ちょっとドジだし」
「ドジは余計だろ~」
二人は笑いながら、マコトの前を通り過ぎる。
その楽しげな様子を見ているうちに、マコトはいつの間にか握り締めた拳が緩んでいた。
そして、昔の出来事を思い出した。
「ねえ、マコト君」
一人の男の子がバスを降りながら、後ろにいるマコトに声をかけた。
バス停の前には、緑の木々で覆われた山が広がっている。
男の子とマコトはバスから降りると頭の上で手を伸ばし、身体をほぐした。
「映画、楽しかったね」
男の子――ウワサは嬉しそうに言う。
だが、その髪は黒く、左目も赤くはない。
首元にチョーカーもなく、奇妙な模様も刻まれていなかった。
ウワサは、赤いチェックのシャツを着て、デニムパンツをはいている。
「マコト君、また一緒に行こうね」
微笑むウワサに、マコトは「うん」と笑顔で答えた。
二人は、バスと電車を使って、近くの大きな町まで行き、映画を観てきたのだ。
「だけど、まさか服装が被るなんて」
マコトは苦笑いを浮かべる。
マコトも、同じような赤いチェックのシャツを着てデニムパンツを履いていたのだ。
「ショッピングモールの店員さんに、兄弟ですかって言われちゃったもんね」
ウワサの言葉に、マコトは頷く。
「あれは流石にちょっと恥ずかしかったよ」
マコトはまた苦笑いを浮かべた。
だが、ウワサは首を小さく横に振った。
「僕は嬉しかったよ」
二人の前には、小さな店があり、その店の窓に二人の姿が映っていた。
同じような背丈で、ど事なく髪型や顔立ちも似ている。
「僕達ほんとの兄弟だったらよかったのにね」
ウワサが屈託なく笑う。
「兄弟かあ」
マコトも、鏡に映った自分達の姿を見て微笑む。
「そうだね。兄弟だったらよかったね。けど、兄弟じゃなくても、僕達はずっと一緒だよ」
マコトは少し照れながら、ウワサにそう言うのだった。
「ジュン君……」
マコトはそれを思い出し、優しい表情で呟くが、すぐに眉間に皺が寄った。
「だけど今は……」
許す事も、友達だった事も、認めるわけにはいかない。
マコトは険しい表情に戻ると、歩き出そうとした。
「えっ?」
不意に、前方に見える横断歩道が目に留まった。
そこには、一人の少年が信号の変わるのを待っている。
「あれは……」
ウワサだ──
「ここにいたのか!」
「待ちなさい!」
マコトとエンネアは慌てて駆け出した。
信号が青に変わり、ウワサとアノロンウェンは商店街へと歩いて行く。
「待て!」
マコトは懸命に走り、商店街までやって来る。
だが人が多く、どこにウワサがいるのか分からない。
「くっ、どこだ! どこにいるんだ!!」
マコトは人々をかき分けながら、必死にウワサを探すのだった。
「ふふっ、危なかったねえ」
商店街の路地。
ミリアはピョンピョンと跳ねながら、前を歩くウワサとアノロンウェンに言った。
「危なかった?」
ウワサはマコトが近くにいた事に気づいていないようだ。
そんなウワサを見て、ミリアはまた「ふふっ」と笑った。
「まあ、こっちの話だよ。それより、そろそろ近いんじゃないかな?」
ミリアの言葉を聞き、ウワサは自分の手の平を見る。
手の平の上には、銀色のペンが浮いている。
そのペン先は、路地の奥を指し示していた。
「あそこだ」
路地の奥には、小さなアンティークショップがある。
災悪はその店の中にいるようだ。
「まあ、気合いが入るのはいいけど、怪我とかしないようにね」
「分かってる」
ウワサはペンを握り締め、いつでも円を描けるように身構えた。
「どんな災悪でも、僕は必ず──」
そう言いながら、ドアを開けようと手を伸ばした。
─カラーン カラーン
その瞬間、中からドアが開き、取り付けられている鐘が鳴った。
「おっと、ごめんね」
スーツ姿の40歳ぐらいの男の人が紙袋を持って出て来る。
「すみません」
ウワサは道を譲りながら、中へと入った。
店内には置き物や掛け時計、コップやお皿など様々な物が並べられていた。
どれも古そうなものばかりだ。
「い~い雰囲気の店だねえ」
「くたばれクズ」
アノロンウェンはミリアに暴言を吐きながら、店内を睨むように見回す。
だがどこにも災悪の姿はない。
すると、店の奥にあるレジの方から、店主のおじいさんの声がした。
「いやあ、あれは何だったんだろうねえ」
おじいさんは、常連客らしい女の人と話をしている。
「あら、あのツボがどうかしたんですか?」
「ああ、あれはいつ仕入れたのか、全く覚えていないんだよねえ」
「それって」
ウワサは何かを思い、慌てておじいさん達の方へと駆け寄った。
「どのツボですか?」
「え、蛇がとぐろを巻いたようなツボだよ。アステカ文明のものらしいけどねえ」
「なんだそりゃ? 聞いた事がないよ」
アステカ文明とは、15世紀のメキシコで栄えた文明である。
ウワサは店内を見るが、どこにもない。
おじいさんはそんなウワサに戸惑いながらも、入り口のドアの方を見た。
「ツボなら、さっきお客さんが買って行ったよ。
その人がツボがアステカ文明のものだと教えてくれたんだよ」
「おい」
アノロンウェンが声をかけると、ウワサはペンを掌に置く。
「何やってるの?」
ミリアが不思議そうな顔をして近寄る。
「仕入れた覚えのないツボって、もしかして」
そう言いながら、ウワサは宙に浮いたペンに目をやる。
ペンはクルクル回りながら、ある方向を指し示す。
それは、ドアの方だ。
「やっぱり!」
「なるほど~」
ミリアもドアの方を見た。
「誰かが災悪を持って行っちゃったんだね」
そのツボこそが、災悪の可能性が高いのだ。
「残念だったねえ。今日はもう諦めた方がいいかも」
ミリアが言う。
商店街は人も多く、銀色のペンがあったとしても、探すのは困難だろう。
だが、アノロンウェンは首を大きく横に振った。
どんな災悪かは分からないが、既に人が襲われているかもしれないのだ。
「そんなに急がなくてもいいじゃない」
ミリアはケラケラ笑いながら言う。
ウワサがそんなミリアを険しい顔で睨んだ。
「ふざけるな! 人の命を何だと思ってるんだ!」
店中に響く大きな声に、ミリアは思わず驚く。
おじいさんや女性の客も目をパチクリさせている。
「そのツボを買ったお客さんはどんな人ですか??」
ウワサはおじいさんに詰め寄りたずねる。
「ええっとそれは」
「早く教えて下さい!」
「あ、ああ、ツボを買って行ったのは、君がさっきドアのところですれ違った人だよ」
「えっ」
紙袋を持ったスーツを着た男の人だ。
それならば、まだ近くにいるかもしれない。
「急いで見つけないと!」
ウワサとアノロンウェンは慌てて店の外へと飛び出した。
一方、ミリアは鼻から息を漏らしていた。
「別に怒らなくてもいいのに」
そう言いながら、ふと、誰に言うでもなく呟く。
「……人の命を何だと思ってる、かあ……」
ミリアは遠くを眺める。
その表情は、どこか悲しそうだ。
「まったく……」
ミリアは、ドアの方へと歩いて行くのだった。
「ただいま~」
マンションの7階。
小学校の教師をしている塩村康介は、部屋のリビングにやってきた。
「今日も疲れたよ~」
と言いながら、ソファーのテーブルに紙袋を置く。
「お父さん、それ何?」
ふと、ソファーに座っていた小学5年生の息子・太一が興味を持った。
「あ~、商店街にアンティークショップがあるだろう。そこで買ってきたんだよ」
そこへ、妻の明菜がやって来る。
「あなた、アンティークなんかに興味あったの?」
「いやあ、呼ばれたような気がしてね」
「呼ばれた? お父さん、どういう事?」
太一が尋ねると、康介は「う~ん」と唸った。
「なんか、『こっちに来て』って声が聞こえたような気がしたんだ」
「ええ??」
康介はアンティークショップに初めて入った。
どこに何が置いてあるかなど、まるで分からなかったが、
自然と足が隅の棚の方に向かったのだという。
「そこにこれが置いてあったんだ」
康介は紙袋の中から、購入したものを取り出し、二人に見せた。
それは、蛇がとぐろを巻いたような形をしている奇妙なツボだ。
フタの部分が蛇の頭になっていて、ツボの部分がとぐろを巻いた身体になっている。
「なんか、不気味だね」
「あなた、どうしてこんなの買っちゃったの?」
「だから、呼ばれたような気がしたから。アステカ文明のものなんだよ」
「えっ、お父さん、そんな事どうして分かるの?」
「それはええっと、う~ん、なんかそんな気がして」
あいまいな説明をする康介に、太一達は呆れる。
「あ、安かったんだよ。たったの千円。それ以上の価値はありそうだろう?」
「こんなツボ、何に使うの? 花瓶にもならないわよ」
「それはそうだけど。太一、お前の部屋に飾っておくのはどうだい?」
「嫌だよ、なんか怖いし」
蛇がとぐろを巻いたツボなど、寝起きするたびに見たくはない。
「しょうがないなあ。じゃあリビングに飾るという事で」
「えええ??」
嫌がる二人をよそに、康介は部屋の隅にツボを置いた。
「そうそう、怖いと言えば、今日生徒達が急に騒ぎ出してね」
康介は、スーツから部屋着に着替えながら、学校で起きた事を二人に話した。
今日の昼休み。康介の担当するクラスで、生徒の一人が『呪われた少年』の話をしたのだ。
生徒達は面白がるものもいれば、怖がるものもいたという。
だがそのなかの何人かが本気で怖がってしまい、泣き出してしまったらしい。
「その少年の名前を言ったら、呪われてしまうらしいからね」
「なあにそれ? 私そういう話苦手かも」
「僕も。お父さんはそういうの平気だよね?」
太一の言葉に、康介は大きく頷いた。
「そんな話、ほんとにあるとは思えないからね。
だから泣いてる生徒を落ち着かせるために、呪われた少年の名前を言ってみたんだ」
「えええ、言っちゃったの?」
「あなた、何考えてるのよ!?」
太一と明菜は同時に驚く。
だが、康介は「はっはっは」と笑った。
「だから、そんな話はただの作り話だって。
壊井ウワサって言ったからって呪われるわけないだろう」
「ちょっと、あなた!」
「平気平気。名前を言っても何も起こらなかったからね。
生徒達もみんな、それを知って安心してくれたよ」
康介は呪われた少年の名前を言う事により、
生徒達にその話が作り話である事を証明したかったのだ。
「だけど太一、何も起こらないからと言って、呪われた少年の話をみんなにしちゃいけないぞ。
本気で怖がる子もいるからね」
「分かってるよ」
太一自身が一番怖がっている。
わざわざ人に言うつもりなどなかった。
「もう~、変なツボは買ってくるし、変な話はするし、夕ご飯前に疲れちゃったよ」
「そうね。はいはい、もうこの話は終わり。ご飯食べましょう」
明菜はそう言うと、キッチンへ向かおうとした。
―……明菜。
ふと、男の人の声が呼んだ。
「あなた、なあに?」
明菜は康介の方を見るが、首を傾げている。
「私の事呼んだでしょ?」
「僕が? 呼んでないよ」
「じゃあ、太一?」
大人の男の声だと思ったが聞き間違いだったのかもしれない。
しかし、太一も首を捻った。
「僕も呼んでないよ」
「えええ??」
空耳だったのだろうか?
明菜は不思議に思いながら、再びキッチンに向かおうとした。
―……明菜、こっちへ来て。
また男の人の声がしたが、今度ははっきりと聞こえた。
明菜は声のした方を見る。
声は、康介と太一がいる場所とは反対の、部屋の隅の方からした。
そこには、あの奇妙なツボがポツンと置かれていた。
「今の声って……」
明菜はツボをじっと見つめる。
フタの部分の蛇の頭が、明菜の方に向いている。
「……私」
ツボを見つめながら、明菜はフラフラと歩き始める。
「どうしたの?」
そんな明菜に気づき、太一が声をかけるが、全く返事がない。
「ねえ」
太一は不思議に思い、明菜の服を掴んだ。
すると、明菜が立ち止まり、ツボを見ながら呟いた。
「……私の事……呼んでる」
「呼んでる??」
康介も同じような事を言っていた。
「お父さん、お母さんが何か変だよ」
太一はそう言いながら、康介の方を見た。
「えっ??」
康介は、ツボの方をじっと見つめながら、その場でユラユラと揺れていた。
「お父さん、どうしたの?」
戸惑う太一をよそに、康介はツボを見ながら口を開いた。
「……開けなきゃ」
康介はその場でフラフラと動きながら、ブツブツと呟く。
「ツボ……ツボ……ツボ……」
「お、お父さん……?」
その姿に太一が戸惑っていると、明菜も呟いた。
「ツボ……ツボ……ツボ……」
明菜も康介と同じようにその場でユラユラと揺れながら、ツボを見て呟き続ける。
「な、何なの??」
太一は二人の姿に怯えながらも、部屋の隅にあるツボの方を見た。
瞬間、声がした。
―太一、こっちへ来て
「今のは?」
声はツボの方からした。
太一はツボの方を凝視すると、フタの部分の蛇の頭が目に留まる。
何故か、その蛇の頭から目を逸らす事ができない。
「……僕」
太一は、ツボに向かって、ゆっくりと歩き始める。
「ツボ……ツボ……ツボ……」
太一は呟きながら歩く。
「ツボ……ツボ……ツボ……」
康介と明菜もユラユラ揺れながら同じ言葉を呟く。
太一はツボの前で止まると、ユラユラと揺れながら、ゆっくりと手を伸ばした。
「ツボ……ツボ……ツボ……」
呟きながら、太一はツボのフタを取る。
刹那、ツボの中から、冷たい空気が漏れ出した──
「ここみたいだ」
ウワサとアノロンウェンは10階建てのマンションの前にやってきた。
彼の掌に浮ぶ銀色のペンの先は、このマンションを指し示している。
災悪のツボを買って帰った人物は、ここに住んでいるようだ。
辺りは日が落ち、暗くなっていた。
「ほんとに行くのかな?」
ふと、マンションの壁の中からミリアが現れ、そう尋ねる。
「当たり前だろ」
アノロンウェンの返答にミリアは、「ま、そうだよね」と微笑んだ。
「だけど、今回の災悪はかなりヤバそうだよ。
このマンションに入ったら最後、キミ達は二度と戻ってこれないかも」
「はぁっ? どういう意味だよ」
ウワサはその言葉に一瞬怯むが、すぐに目に力が入った。
「それでも行かなきゃ。僕のせいだから」
「そっか」
ミリアはウワサの堅い決意に、小さく頷く。
そして、呟くように言った。
「──7階にいるよ」
それを聞き、ウワサは驚くが、アノロンウェンは警戒心を解かない。
「それって、災悪のいる場所って事?」
ミリアは何も答えず、また小さく頷いた。
「教えてくれるなんて……」
ミリアは今までウワサの行動をただ見張っているだけだった。
何かの力になってくれた事などない。
「どうして教えてくれたの?」
「まあ、たまにはいいかなって思ってね」
ミリアはピョンと跳ねると、マンションのドアの前に立つ。
「別に協力する気もないし、人間がどうなろうと知った事じゃないけど、
早くしないと、マンションの人達はみんな大変な事になっちゃうかも」
「お前……」
「えっ」
ウワサはマンションを見つめる。
ミリアが何を考えているのか分からない。
だが、今はそんな事を思っている場合ではない。
「僕とアノロンウェンが何とかしなきゃ!」
「はいはい」
ウワサとアノロンウェンは意を決し、マンションに飛び込んだ。
「うっ!」
しかし入って早々、ウワサはその異様さに戸惑う。
マンションの中が冷たい空気に満ちていたのだ。
「災悪のせいだねえ」
ミリアが言う。
「無事に7階まで辿り着けるかな?」
その時、エントランスの奥にあるエレベーターが1階に到着した。
ドアが開き、中からこのマンションの住人らしき寝巻姿の女の人が出て来る。
その姿を見て、ウワサとアノロンウェンは身構えた。
女の人は、顔が青白く、白目だったのだ。
女の人は、フラフラしながら、ウワサの方へと歩いてくる。
「これは……」
「災悪に操られているみたいだねえ」
女の人は白目を向けながらウワサとアノロンウェンに迫ってくる。
アノロンウェンは女の人を蹴るふりをして、エレベーターに向かおうとした。
瞬間、アノロンウェンの傍にあった管理人室のドアが開いた。
管理人室から、管理人の中年の男の人が出てくる。
管理人はそのままアノロンウェンの服を掴む。
その顔は女の人と同じように、青白く、白目になっている。
「気をつけた方がいいよ」
ふと、傍でその光景を眺めていたミリアが言う。
「その息をいっぱい吸っちゃうと、キミも彼らと同じようになってしまうよ」
「聞き捨てならないな」
それを聞き、ウワサとアノロンウェンは慌てて口を押さえた。
管理人と女の人が、ウワサとアノロンウェンに迫って来る。
「凍っちまいな!」
アノロンウェンは彼らを凍らせて、ウワサの手を引っ張ってエレベーターに向かおうとした。
そこへ、数人の人達がやってきた。
皆、顔が青白く、白目になっている。
災悪に操られているようだ。
「こうなったら、まとめて凍らせてやるよ!!」
アノロンウェンが吹雪を起こすと、人々は全員凍り付いた。
そして、大急ぎでエレベーターに入った。
「早くしないと、彼らはみんな死んじゃうかもね」
「何だと?」
「1時間遅かったら、手遅れになっていたと思うよ」
「そんな……」
銀色のペンが、災悪が現れたのを知らせた時、たまたま海沿いの商店街の近くにいた。
もし全く別の場所にいたら、たとえ災悪のもとへ辿り着いたとしても、
大勢の犠牲者が出ていた事だろう。
こうして7階に到着したウワサとアノロンウェンは、外廊下から部屋を見回す。
部屋は10室ほどあり、そのどこかに災悪がいるのだ。
冷たい空気が辺りに漂っている。
ウワサとアノロンウェンは必死に災悪のいる場所を探す。
すると、一番奥の部屋のドアが、僅かに開いているのが見えた。
「もしかして!」
ウワサとアノロンウェンはその部屋の前へと走る。
冷たい空気がさらに冷たくなり、肌を刺激する。
「あそこだ!」
冷たい空気は、僅かに開いたドアの中から流れてきているようだ。
部屋の中に災悪がいるはずだ。
ウワサとアノロンウェンは部屋の前まで辿り着くと、ノブを握り、ドアを勢いよく開けた。
その時──
―ガシッ
誰かが、背後からドアノブを持つウワサの腕を掴んだ。
「くっ」
ウワサは操られている人に掴まれたと思い、振り払おうとする。
だが、その手はさらに強くウワサの腕を掴んだ。
「「やっと捕まえ(まし)た!」」
声を聞き、ウワサはハッとする。
顔を向けると、そこにはマコトとエンネアが立っていた。
「お前のせいで、このマンションの人達が!」
「あなたを、倒します」
マコトはもう一方の手で鼻と口を押さえている。
彼もこの空気の危険さに気づいているようだ。
エンネアはハーフエルフなので、冷たい空気に耐性を持っている。
「やめて、マコト君!」
ウワサは、マコトの手を離そうとする。
だが、エンネアは両手でウワサを掴んだ。
「マコトの命令です。あなたを拘束します」
押し合いになり、ウワサとエンネアは部屋の中へと入る。
ドアがバタンと音を立てて閉まり、玄関で揉み合う。
アノロンウェンとマコトも後を追う。
「お願い、やめて! このままじゃ災悪が!」
「知った事ではありません」
「その通りだ!」
ウワサは必死にエンネアの手を振り払おうとする。
しかし、エンネアはその手を絶対に離そうとしない。
「……これが、マコトの思い。マコトの関係者はあなたの呪いを受けたそうです」
その言葉に、ウワサは一瞬動きが止まる。
エンネアはウワサを壁に勢いよく押し付け、そのまま押し倒そうとする。
その刹那、身体が引っ張られた。
ハッとして見ると、洗面所から誰かが出てきた。
それは、太一と康介、それに明菜だ。
三人とも青白い顔をして、白目になっている。
「……っ!」
エンネアはブーメランを投げ、三人をまとめて気絶させた。
一方、ウワサとアノロンウェンは戸惑いながらも、廊下の向こうにあるリビングを見た。
リビングの方から冷たい空気が流れている。
災悪はそこにいるはずだ。
ウワサとアノロンウェンはリビングの方へ向かった。
「あなたはあたしが守る。戦えるのは、あたしだけだから」
「エンネア……」
ウワサは必死の形相で、部屋の中を見た。
アノロンウェンもレイピアを構える。
「あっ!」
部屋の隅に蛇がとぐろを巻いたようなツボがある。
そのツボから、冷たい空気が白くなって溢れるように漏れ出していた。
「あれだ!」
「動かないなら、楽勝だね」
ウワサは銀色のペンを強く握る。
ペンの表面に見た事もない奇妙な模様が浮かび上がる。
ペンを走らせると、宙に青白い炎が現れ、円が描かれた。
ウワサは、円の中に見えるツボを睨んだ。
ウワサの目が光り、その目に何かが視える。
「全ての災悪を、この光によって打ち消さん! お前の名は──」
ウワサはペンを走らせ、空中に文字を書いた。
ア ス テ カ ノ ツ ボ
アステカのツボから漏れていた冷たい空気が止まった。
ツボが小刻みに動く。
ツボにヒビが入り、光が漏れ出す。
そのまま、粉々になって消滅した。
「呪いが解けて、みんな気を失っているようだね」
ミリアがドアの方を見てそう言う。
「何とか、誰も死なずにすんだねえ」
どうやらマンションの人達も助かったようだ。
一方、マコトは頭に痛みを覚えながらも、ウワサとアノロンウェンの方を見た。
「ど、どうして、助けたんだ……?」
ウワサとアノロンウェンの行動をマコトは信じられないでいた。
そんなマコトを、ウワサはチラリと見る。
「マコト君は僕が助ける」
「そのために、戦うんだ」
「そ、それはさっき聞いた……」
マコトが言うと、ウワサは首を小さく横に振った。
「僕が、必ず何とかする。学校のみんなも、マコト君の家族も、そしてマコト君も」
「えっ!?」
ウワサはフラつきながらも、部屋を出て行く。
マコトはウワサの姿を目で追いながらも、追いかけるという選択肢を忘れていた。
エンネアは何も言わずに前を見る。
「今……なんて言ったんだ?」
マコトはふと、リビングの窓に反射して映る自分の姿を見た。
「まさか、僕も……呪われているの……?」
マコトは誰に言うでもなく、そう呟いた。
「ついに言っちゃったんだねえ」
マンションの屋上に、一人の女の子が立っている。
女の子は、マンションを出て道路を歩いて行くウワサとアノロンウェンを眺めていた。
「マコト君、まだあの子の事を捕まえようとするのかな?」
そう言いながら、フッと笑った。
「ま、私は見届けるだけだけどね」
女の子は跳ねるようにジャンプする。
すると、その姿がウサギに変わった――ミリアだ。
ミリアはそのまま軽やかに後ろ脚で蹴って飛ぶと、消えてしまうのだった。
~災悪紹介コーナー~
アノロンウェン「なーにかな?」
ウワサ「なーにかな?」
二人「今週は、これ!」
アステカの壺
出現場所:アンティークショップ、住宅、マンションのリビング
攻撃手段:誘惑、冷気放射、意識剥奪、洗脳
アノロンウェン「まったく、今回は災悪そのものより、
空気の読めないマコトとエンネアの乱入にイライラさせられたよ!
毒気を含んだ冷気が充満してるっていうのに、
ウワサを捕まえる事しか頭にないんだから。
アタシがガツンとやってやりたかったね!」
ウワサ「アノロンウェン、落ち着いて。
でも、学校の先生である康介さんが、
生徒達を安心させるために僕の名前を言って呪われてしまったのは本当に皮肉な事だよ。
僕を助けようとする善意さえも、この呪いは利用してしまうんだね」
アノロンウェン「善意だろうが悪意だろうが、災悪は隙あらば食らいついてくるからね。
今回はミリアが珍しくヒントをくれたおかげで、
マンションごと氷漬けにされる前にツボを粉砕できたけど……
あいつ、一体何の風の吹き回しかもね?」
ウワサ「最後にマコト君に伝えた言葉は、僕の本心なんだ。
彼も、彼の家族も、僕のせいで傷ついた全ての人を救うまで、
僕は止まるわけにはいかない」
アノロンウェン「ふん、相変わらずお人好しだねぇ。
ほら、マコト達が追いかけてくる前に、次の町へ行くよ!」
ウワサ「……うん。マコト君、どうか今は無事でいて」