親に背中を触られて「凄いなぁ」と言われて腹が立ちました。
ある晴れた日の事だった。
「……随分、遠くに来ちゃったみたいだね」
そう言ってレイピアを手入れしているのは、アクリャの女性、黎明の乙女アノロンウェン。
守護よりも戦闘に明け暮れていた変わり者であり、故郷を爪弾きものにされた後、
あるエルフの異次元の旅人と接触した結果、彼女も異次元の旅人になった。
精霊使いとしてはそこそこだが、何よりもレイピアを使った攻撃に秀でた彼女は、
氷の精霊魔法を使い、レイピアで突き刺すのが基本だ。
「まったく、現代は自然が少ないね。おかげで、アタシの精霊も弱くなったじゃないか」
異次元の旅人として戦闘していた彼女は、この世界で精霊が弱まっている事に不満を漏らす。
しかし、来てしまったからには、この世界の礼儀を知らなければならなかった。
「……仕方ないね。この剣でも使うか……」
現代で剣を持つ事は法律で禁じられているが、
異次元の旅人の彼女には、そんなルールは適用されなかった。
とある町の道路に、一人の少年が立っていた。
少年は、耳にイヤホンをしている。
彼の前には横断歩道があり、傍には一組の親子が信号が変わるのを待っていた。
少年は、そんな彼らの姿を何故かじっと見ていた。
その時、少年が持っていた銀色のペンが、僅かに震えた。
途端に険しい表情になると、少年はペンを手の平に置く。
すると、ペンが僅かに宙に浮いた。
ペンはまるで意思を持っているかのように、ゆっくりと回転する。
やがて、その動きが止まり、ペン先がある方向を差し示す。
少年は、その方向を見つめると小さく息を吐き、耳からイヤホンを外した。
信号が、青に変わる。
傍にいた家族の声が聞こえてくる。
「お家に帰ってケーキを食べましょうね、健太」
「うん。ママ! 大好き~!」
母親と男の子が、笑顔で歩いて行く。
少年は、彼らの後ろ姿を見つめる。
その顔は、どこか寂しそうだ。
やがて、少年は彼らから目を反らすように動かすと、誰に言うでもなく呟いた。
「……行くしかないんだ」
少年は、ゆっくりと道路を歩き始めた。
「へえ、そんな噂、初めて聞いたよ~」
ある日の放課後。
中学1年生の田村由紀奈が帰り支度をしていると、
クラスメイトで親友の木村千夏の声が聞こえてきた。
見ると、千夏はクラスメイトの原京子と喋っているようだ。
「ねえねえ、何の話をしてるの?」
由紀奈は、噂と聞いて興味を持ち、二人の元へ行った。
すると、千夏が答えた。
「『呪われた少年』の話だよ」
「呪われた少年?」
そんな噂、聞いた事がない。
由紀奈がそう思っていると、千夏の隣にいた京子が喋った。
「高校生のお姉ちゃんから聞いたんだけど、
その少年は白い服を着てて、左目だけが赤色なんだって」
「目の色が違うって、オッドアイって事? なんか素敵だね。
だけど、その子のどこか呪われた少年なの?」
由紀奈の言葉に、京子は急に険しい表情になった。
「その少年の名前を言うと、呪われちゃうらしいの」
「えっ」
それを聞き、由紀奈は思わずゾッとする。
そんな由紀奈に、千夏がふと、紙切れを見せた。
紙切れには、名前が書かれている。
由紀奈は、何気なくその名前を呟いた。
「■■■■■」
「ひっ」
瞬間、京子が声を上げた。
「由紀奈ちゃん、言っちゃ駄目だよ!」
千夏が慌てて注意する。
「え? あっ!」
由紀奈は、千夏に言われ、紙切れに書かれていたのが『呪われた少年』の名前だと気づいた。
「まさか、名前を言っちゃうなんて」
「京子ちゃん……」
京子は恐怖で震え、由紀奈も恐ろしくなる。
「だ、だけど、どうして名前を書いた紙なんか?」
「口に出して言わなかったら大丈夫らしくて、それで京子ちゃんに書いてもらったの」
「だったら先に教えてよ!」
「言おうと思ったんだけど、由紀奈ちゃんが先に口に出して言っちゃうから」
「それは……」
悪いのは、由紀奈だ。
由紀奈は不安になってしまう。
だが、千夏がニッコリと笑った。
「大丈夫だよ。こんなのただの噂だから」
千夏は、怖い話が大好きだったが、
現実に呪われた少年がいるとも、怪物がいるとも思っていなかった。
「だけど」
「も~、由紀奈ちゃんはほんと怖がりだよねえ。京子ちゃんもそんなに心配しないで」
「わ、分かってるけど……」
「怪物なんていないって。もしいるなら、私も見てみたいよ」
千夏は由紀奈を見ながら楽しげに笑う。
その時、教室のドアが突然開いた。
「きゃああ!」
一番大きな声を上げたのは、京子だ。
由紀奈と千夏も顔を強張らせる。
「あなた達、早く帰りなさい」
「えっ?」
ドアの前に立っていたのは、担任の坂口先生だ。
「ええっと……」
どうやら、由紀奈達が教室に残っている事に気づき、注意をしに来たようだ。
「なんだ、先生かぁ」
由紀奈がホッとしていると、京子が自分の通学バッグを手に取った。
「私、帰る。怖い思いするの嫌だもん!」
「あ、京子ちゃん!」
京子は、逃げるように足早に教室を出て行ってしまった。
「京子ちゃん、ちょっと怖がりすぎだよね」
帰り道。
由紀奈は千夏と一緒に道路を歩いていた。
千夏は、先程の出来事を話していた。
「まあ、先生がタイミングよすぎたから、私もびっくりしたけど」
千夏は笑うが、由紀奈は笑えなかった。
(ほんとに呪われたらどうしよう)
千夏は単なる噂だと言ったが、怖い話が苦手な由紀奈にはそう思えなかった。
(どうして名前を言っちゃったんだろう……)
言わなければ、こんな不安な気持ちにならずに済んだはずだ。
(早くお家に帰りたいよ)
由紀奈は怯えながら、何気なく前方を見た。
前方から、白い服を着た少年と、レイピアを持った白い肌の女性が歩いて来る。
少年と女性は、由紀奈の横を通り過ぎて行った。
「えっ、あれ、剣……?」
「どうしたの、由紀奈ちゃん?」
由紀奈は彼らを見て、何故かその場に立ち止まった。
「今の男の子、左目が赤色だった。あの女の人、剣を持っていた」
「まさか、呪われた少年?」
千夏は慌てて後ろを見るが、少年は既に角を曲がった後だった。
「ああん、も~」
千夏は角の方へと走り、由紀奈もついて行く。
しかし、道路を曲がった先を見ても、少年と女性の姿はなかった。
由紀奈は恐怖を感じる。
「もしかして、私が名前を言ったから、現れたのかも」
少年が現れたという事は、呪われてしまったという事かもしれない。
「どうしよう」
「だから、ただの噂だってば~」
怯える由紀奈に、千夏は呆れ顔になった。
「おお、二人ともどうしたんだ?」
ふと、反対の曲がり角から、クラスメイトの里山洋介(さとやまようすけ)がやって来た。
「あれ? どうしてここにいるの?」
千夏は不思議そうに洋介を見る。
洋介は、駅の向こうにある住宅地に住んでいて、この辺りの道路は通らないはずなのだ。
「誰かの家に遊びに行くの?」
「遊びというか確認かな」
「確認?」
千夏の言葉に、洋介はにやりと笑った。
「これから、廃病院に肝試しに行こうと思ってるんだ」
「ええ?」
それを聞き、由紀奈は戸惑う。
由紀奈達が住んでいる住宅地の外れに、10年以上前に潰れた病院がある。
そこには、幽霊が出るという噂があった。
「肝試しって」
由紀奈はたじろぐ。
廃病院の周りは木々が生い茂り、人通りも少ない。
今まで近づいた事さえなかった。
「ほらっ、俺って幽霊とか大好きだろ。さっき、廃病院に出るらしいって聞いたんだ。
それで確かめてみたいって思って」
クラスの男の子達を誘ったが、皆、怖がって来てくれなかったのだという。
「僕もちょっと怖いけど、本当に見れたら自慢できるよね」
「自慢って、そんなの」
由紀奈は「行かない方がいい」と言おうとしたが、それよりも早く、千夏が手を挙げた。
「私達も行ってみたいかも!」
「おお、いいね!」
「ちょっと、千夏ちゃん。てか、私達って、私は行きたくないよ」
由紀奈は、呪われた少年の名前を言ってしまった。
そのせいで、呪われてしまったかもしれないのだ。
「ねえ、帰ろう」
由紀奈は一刻も早く家に帰りたい気持ちになった。
だが、千夏は首を横に振ると、顔を近づけてきた。
「大丈夫だって。幽霊なんて本当にいるわけないよ。だけど、肝試しって面白そうでしょ」
千夏は、廃病院の中を探索する事にワクワクしているようだ。
「さっき、呪われた少年を見れなかったから見てみたいの。
まあ、呪われた少年に何となく似てるだけの男の子だったと思うけど。
……それに、あの女の人も気になるし」
「それは……」
そう思えなかったが、由紀奈は上手く反論する事ができない。
千夏はニコニコしながら、そんな由紀奈の腕をガッチリと掴んだ。
「さ、行きましょ!」
「え、あ、ちょっと」
由紀奈は手を引っ張られ、半ば強引に廃病院に行く事になってしまった。
その頃、二人の人物が路地を歩いていた。
由紀奈達がすれ違ったあの少年と女性だ。
少年は耳にイヤホンをしている。
その時、持っていた銀色のペンが震えた。
立ち止まってペンを手の平に置くと、僅かに宙に浮いた。
ペンは、まるで意思を持っているかのように、手の上でゆっくりと回転する。
やがて動きが止まり、ペン先がある方向を差し示した。
「くっ」
それを見て、少年の表情が曇るがすぐに真剣な表情になった。
「一体何を追ってるんだ? アタシも手伝うぞ」
「……君も戦えるのか?」
「ああ」
「じゃあ、頼むよ」
少年は耳からイヤホンを外すと、ペンが指し示す方向に歩き出した。
「言い忘れていたが、アタシはアノロンウェン――黎明の乙女だ」
「分かった、今すぐ追いかけよう」
「こんなにボロボロになってたんだ」
由紀奈達は、廃病院の入り口までやって来た。
由紀奈は今まで、こんなに近くでこの病院を見た事がなかった。
病院は三階建てで、入り口はガラスのドアだったが、半分以上が割れてしまっている。
あちこちにガラス片が落ちている。
時刻は、16時を少し過ぎていて、空はまだ明るい。
しかし、ドアの向こうに見える病院の中は薄暗かった。
由紀奈はそんな光景を見て、ブルッと身体を震わせた。
隣には、千夏がいる。
千夏は先程まで元気だったが、実際に目の前までやって来て怖気づいているようだ。
(今からでも帰った方がいいよね……)
由紀奈はその事を言おうとした。
その時、洋介がガラス片に注意しながら、ドアに近づいた。
「二人とも、足元気をつけろよ」
洋介は、開いていたドアの隙間から、中に入る。
「あの、洋介君」
「ほらっ、どうしたの? 早く」
「由紀奈ちゃん、私達も行こ」
「えっと、私はここまででいいよ」
「そんなの駄目だよ。ねえ、行こうってば、お願い」
「う、うん」
(私は、呪われた少年の名前を言っちゃったんだよ……)
由紀奈はますます怯えるが、千夏達と一緒に中に入るしかなかった。
「中もボロボロだな」
廃病院の中。
由紀奈達は、洋介を先頭に歩きながら、周りを見ていた。
薄暗く、あちこち物が散乱している。
棚や診察台などが、廊下に捨てられるように放置されていた。
埃も積もっていて、ジメッとした気持ちの悪い空気が肌にまとわりつく。
由紀奈達は、一つ一つ一つ一つ病室を確認するかのように、幽霊を探して行った。
「この病室には……いないか」
「こっちの病室にも……いないみたいだね」
洋介と千夏は、病室の隅々までチェックしていく。
由紀奈は、そんな彼らを見守っていた。
1階には、幽霊はいないようだ。
由紀奈達は、階段を上がり、2階へと行く。
しかし、2階の病室にも、幽霊など全くいなかった。
一同は、3階も確認するが、結果は同じだった。
「う~ん、いないみたいだねえ」
3階の病室も全て見終わり、洋介が溜息を漏らしながら言った。
「そりゃあまあ、いないよね」
千夏が微笑む。
廃病院の中に入って、30分ぐらいが過ぎていた。
3階の廊下の窓の外に広がる町並みは、先程より少しだけ薄暗くなっている。
「日が落ちる前に帰ろう」
由紀奈は二人にそう言う。
早くここから出たいと思ったのだ。
「そうだね。暗くなったら危ないもんね。あ~、面白かった」
由紀奈達は、階段を下りようとした。
「ちょっと待って! 今、人がいた!」
突然、洋介が声を上げた。
洋介は、廊下の向こうの曲がり角を見ていた。
「人?」
「ああ、あの角からこっちを見てた。だけど」
洋介は由紀奈達を見た。
「その人、天井に張り付いてた」
「えええ?」
「それって!」
天井に張り付く人間などいるはずがない。
由紀奈は千夏の手を掴んだ。
「逃げなきゃ!」
由紀奈は千夏の手を引っ張ると、走り出す。
呪われた少年の名前を言ったせいで、怪物が現れたのだ。
「嫌っ!」
由紀奈は千夏達と共に、階段を駆け下りようとした。
その時――
「うわああああ!」
後ろで、洋介の悲鳴が響いた。
見ると、千夏はいるが、洋介がいない。
「洋介くん、どこ?」
見ると、廊下の角に何かが落ちている。
「あれは……」
「千夏ちゃん……」
千夏は、恐る恐る近づく。
由紀奈も怯えながら後に続き、角に落ちている物を見た。
それは、靴だ。
洋介が履いていたスポーツシューズが、片方だけ落ちていた。
「洋介君!」
千夏は名前を呼びながら、角を曲がる。
「千夏ちゃん! 駄目!!」
由紀奈は、焦って千夏を追う。
「えっ」
角を曲がると、千夏の姿が消えていた。
「そんな!」
何がどうなっているか分からないが、助けを呼ばなければ。
由紀奈がそう思ったとき、傍の病室の中で何かが動いた。
「千夏ちゃん?」
名前を呼ぶが、返事はない。
由紀奈は怯えながら、病室に近づく。
そして、ごくりと唾を呑み込むと、中を覗いた。
薄暗い病室の中に、千夏がいたが、その身体は何故か宙に浮いている。
「千夏……ちゃん?」
「助……けて」
由紀奈は、ゆっくりと顔を上げ、千夏の全身を見た。
千夏の身体を、大きな手が掴んでいる。
その手は蜘蛛のように異常に長細い。
天井に、不気味な男がいる。
男は、長細い手足を天井に這わせ、逆さまに張り付いていた。
「きゃああ!」
―カサ カサ カサ
男は千夏を掴んだまま天井を移動し、由紀奈の方に迫って来る。
「あ、ああ……」
あまりの恐怖に、由紀奈は動けない。
―カサ カサ カサ
男はさらに迫り、由紀奈を捕まえようと手を伸ばした。
「せいっ! ……く、当たらなかったか」
突然、男目掛けて光る何かが飛んだ。
その光る何か――レイピアは男には当たらず、
レイピアを持った女性――アノロンウェンは悔しそうな顔をしている。
「こんな奴を怖いと思う理由は、アタシには分かるよ。
お前がそいつとまともにやり合えないからだね」
「……」
「イタベタ~」
女性が険しい表情で男を見ると、男は意味の分からない言葉を叫ぶ。
「ピアシングエッジ!」
「ギャッ!」
女性はもう一度、男にレイピアを突き刺した。
病院という狭い場所で巧みにレイピアを操るアノロンウェンは、
まさに手慣れの戦士と言ったところだった。
アノロンウェンが当たって男の手が離れ、千夏が床に落ちる。
「きゃ!」
「千夏ちゃん!!」
由紀奈は千夏に駆け寄り抱き締めながら、急いで駆け出す。
「アノロンウェン、無事だったか?」
「あ、あの人は……アノロンウェン!?」
「早く!」
すると、追ってきた少年が千夏の腕を掴み、引っ張った。
由紀奈は助けてくれた人物の方を見る。
そこには、白い服を着た少年が立っていた。
左目が赤色のオッドアイ。
「あなたは」
道ですれ違った、少年だ。
少年とアノロンウェンは、天井に張り付く不気味な男を睨んだ。
そして、少年は銀色のペンを天高く振り上げ、
アノロンウェンはレイピアで男をもう一度刺そうとする。
だが、男は天井に張り付いたまま由紀奈達に迫ってきた。
「くっ、これじゃあ確認する余裕がない!」
少年は、銀色のペンを降ろすと、由紀奈達を見た。
アノロンウェンは繰り返し、レイピアを振り回す。
「ひとまず逃げよう!」
「あ、あの」
「早く! このままじゃ捕まっちゃうぞ!」
「アタシはこいつと戦いたかったんだがね」
由紀奈は逆さになった男を見つめる。
その口には、牙のような歯が生えており、あの歯に噛まれたらただでは済まない。
「千夏ちゃん、立って!」
由紀奈は、千夏を立たせると、少年とアノロンウェンと共にその場から逃げ出した。
しかし、アノロンウェンはどこか不満そうだった。
「何なの、あの人達?」
階段を駆け下りながら、由紀奈は前を走る少年とアノロンウェンに尋ねた。
「あれは『災悪』っていうんだ」
「災悪?」
少年は、階段を駆け下りながら、チラリと由紀奈達の方を見た。
「君達の中の誰かが、『呪われた少年』の名前を言っちゃったんだ」
「そう、アタシ達が退治するべき存在なんだ」
「それって」
由紀奈は口に出して言ってしまったのが、自分だと気づいた。
呪われた少年の話は、本当だったのだ。
「私のせいで、こんな事に……」
由紀奈は動揺する。
少年は、そんな由紀奈を見て、何故か悲しそうな表情を浮かべた。
その時、千夏が小さな声を出した。
「ね、ねえ、何か、聞こえる」
由紀奈と少年はハッとすると、立ち止まり、耳を澄ました。
―カサ カサ カサ
何かが動く音だ。
「来た!」
先程の男が、追いかけて来ているのだ。
「早く!」
少年は慌てて階段を下り、由紀奈と千夏も一段飛ばしで駆け下りる。
それに対しアノロンウェンは冷静にレイピアを構え男を突き刺そうとするが攻撃はかわされる。
―カサ カサ カサ カサ
音はさらに大きくなっていく。
四人は1階に辿り着くが、入り口のドアまではまだ遠い。
「急いで!」
少年は二人にそう言った。
しかし、一番後ろにいた千夏が「きゃ」と声を上げた。
「どうしたの、千夏ちゃん?」
「あ、足が」
千夏が足を押さえている。
どうやら、階段を下りる時に挫いたようだ。
「大丈夫?」
「い、痛い。もう走れないよお」
「くっ、どこかに隠れないと」
「隠れるとは、臆病にもほどがあるね。アタシが相手してやる! ピアシングフルーレ!」
アノロンウェンがレイピアを振ると、男の急所にレイピアが突き刺さる。
戦闘を得意としているだけあって、アノロンウェンのレイピアの威力はかなりのものだった。
由紀奈達は、アノロンウェンが男とやり合っている事に逆に怯えていた。
「グウウゥゥ! イタベタ、イタベタ!」
男はアノロンウェンに飛び掛かり、鋭い牙で噛みつこうとするが、
アノロンウェンはひらりと身をかわす。
狭い廃病院の中であっても、アノロンウェンの身体能力を生かす事ができる。
「……食べたい、か。そんなに食べたいなら……アタシの氷を食べろ!
氷の精霊フラウよ、矢となり貫け!」
「アアアァ!!」
アノロンウェンが呪文を唱えると、
氷を纏った小さな少女が現れ、その少女が男に向かって突っ込んだ。
少女の氷が男を包むと、男の体が見る見るうちに凍り付いて行く。
「何あれ、女の子が出てきて凍らせたた!?」
「どう見てもあり得ない……あれって、もしかして、魔法、なの……!?」
アノロンウェンが使う魔法に、由紀奈と千夏は呆然としていた。
彼女はレイピアだけでなく、魔法も使えたのだ。
「戦え、戦え、戦えっ! 早く、戦えっ!! 襲われているのに、戦わないのか!?」
「そんな事言われても、私、戦えないよっ!!」
由紀奈達は普通の中学生なので、男と戦う事はできない。
戦いを強要するアノロンウェンに困惑していたが、少年はアノロンウェンを見て頷いた。
「アノロンウェン、よくやった。後は任せて」
少年はポケットの中から、銀色のペンを取り出す。
刹那、ペンの表面に見た事もない奇妙な模様が浮かび上がる。
少年がペンを走らせると、宙に青白い炎が現れ、円が描かれた。
すると、少年の赤い目が光り、その目に何かが視える。
それは、男の『名前』だ。
「全ての災悪を、この光によって打ち消さん! お前の名は――」
少年は、ペンを走らせ、空中に文字を書いた。
サ カ サ オ ト コ
瞬間、逆さ男の動きがピタリと止まった。
身体を小刻みに震わす。
「ア アア アアァァァアアァ」
次の瞬間、逆さ男の身体に罅が入り光が漏れ出す。
そのまま、粉々になって消滅した。
「き、消えた……。倒したの……?」
由紀奈が戸惑いながら言う。
「これで任務完了だね」
「……」
少年とアノロンウェンは僅かに、由紀奈達の方に顔を向けた。
アノロンウェンは晴れ晴れとしていたが、少年の顔は、どこか悲しそうだった。
「友達のところに行ってあげて。彼は無事だから」
「彼?」
「呪われた少年の名前を言ってしまうと、災悪に襲われる……」
「呪われた少年……」
由紀奈は、少年をじっと見つめた。
「もしかして、あなたが――」
少年は由紀奈達を見た。
「だから、僕に関わっちゃいけないんだ」
「えっ」
その言葉に、由紀奈達は戸惑う。
少年は、悲しそうな表情のまま、耳にイヤホンをつけた。
傷ついた肩を押さえながら、少年は一人、その場から去って行った。
「アタシが奴のパートナーになる。邪魔はするなよ」
そして、アノロンウェンもまた、少年の後を追いかけるのだった。
~災悪紹介コーナー~
アノロンウェン「なーにかな?」
ウワサ「なーにかな?」
二人「今週は、これ!」
逆さ男
出現場所:暗い廊下の天井
攻撃手段:異常に長い手足での拘束、鋭い牙での捕食
アノロンウェン「現代の人間は軟弱だね。あんな蜘蛛もどきに腰を抜かすなんて。
戦士なら、まず天井ごと叩き斬るのが礼儀だよ」
ウワサ「大体、君が『もっと戦え!』なんて煽るから、
由紀奈ちゃん達が余計にパニックになってたじゃないか」
アノロンウェン「逃げてばかりでは精霊も愛想を尽かすよ?
ほら、アンタも次はもっと派手にぶっ壊したらどうだい?」
ウワサ「僕は名前を読んで消滅させてるだけで、破壊担当じゃないから」
アノロンウェン「ふん、慎重だねぇ。
まあいい、次の災悪が来たらアタシのレイピアで細切れにしてやるさ」
ウワサ「お手柔らかに頼むよ」