呪ワレタ少年 Krieg   作:アヤ・ノア

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~前回までのあらすじ~

中学生の和葉は、スーパーで白い服の少年・ウワサとアノロンウェンに出会うが、
二人は瞬時に消え去る。
その夜、妹の梓が見せた「呪われた少年」の名前を和葉が軽率に口にした事で、
祖母の形見の人形が災悪になる。
翌日、映画に向かう和葉一家の車内に人形が現れ、
異常に伸びる髪で両親と妹を拘束し、命を奪おうとする。
絶体絶命の地下駐車場へウワサ達が駆けつけ、
アノロンウェンの氷の魔法が荒れ狂う髪を食い止める。
ウワサは災悪の名前を暴き消滅させるが、自らの宿命を嘆き、和葉の前を去った。
一方、別の場所では黒ずくめの少年とブーメラン使いの女が、
ウワサを「災悪の元凶」と呼び、追撃を開始するのだった。


第6話 水に住む者

 深い森の中。

 ウワサの目の前に、一人の少年が倒れていた。

 少年はあちこち怪我をしていて、小さな呻き声を漏らしている。

「助けを呼んでくるから、少しだけ待ってて!」

 ウワサは急いで町へと戻ろうと思った。

 だが、そこは急な山の斜面の底で、斜面の上にある山道まで戻る時間も体力もなかった。

「早くしなきゃ」

 このままでは、大変な事になってしまう。

 ウワサは焦る。

 とその時、森の奥にあるものが見えた。

「あれは……」

 ウワサは戸惑いながらも、近づく。

 そこには、古びた鳥居が立っていた。

 鳥居の先には、半分茂みになった細い道が伸びている。

「ここって……」

 

 呪われた神社

 

 ウワサは鳥居を見つめる。

 鳥居の柱には、見た事もない奇妙な模様が描かれていた。

 そこは、訪れると必ず呪われるという禁断の神社だった。

 鳥居の向こうに伸びる細い道を通れば、町まで戻る事ができる。

「だけど……」

 ウワサはゴクリと唾を呑み込む。

 少年を助けるには、ここを通るしかない。

 ウワサは、拳を強く握り締める。

「待ってて! すぐに戻って来るから!」

 そう言うと、ウワサは鳥居に向かって全力で駆け出した。

 

「え~、海斗はネット動画を見ないの?」

「だって、うちはテレビでテレビ番組しか見ないんだもん」

 スポーツクラブの室内プール。

 高い天井の空間に、子供達の声や水音が響いている。

 大きなプールの一角で小学校高学年が、それぞれ好きに練習をしている。

 しかし、6年生の岡田海斗と木原花音の二人は、お喋りに夢中になっていた。

「今時、テレビ番組しか見ない家なんて珍しいよね」

「ネット動画を見せると、僕がスマホを欲しがるからダメなんだってさ。

 お父さんもお母さんも自分のスマホでネットを見てるのに」

「ああ、大人はずるいよね。私もスマホは中学に入るまでダメだって言われてる」

 そう言って膨れる花音を見て、海斗は少し嬉しくなった。

 花音は別の学校の6年生で、この水泳教室に入って親しくなった仲だ。

 しかし、同じ学校の同級生よりも話が合うと海斗は感じていた。

 自分の知らない話題を教えてくれるのも嬉しかった。

 今日も『呪われた少年』という都市伝説を教えてくれている。

 ネット動画で、今、話題になっているらしい。

「だけど、名前を言ったら呪われちゃうなんて信じられないな。

 だって、動画で紹介したって事は名前を言ったって事でしょ?」

「ううん、その人は言ってないよ、呪われちゃうから」

 首を振った花音は、話を続ける。

「それに、名前も教えてくれなかったの」

「え? じゃ、紹介にならないよね」

「でしょ? でも、一緒に見てたパパもママも『何も教えてくれないから、

 かえって本当っぽいよね』って言っててね。私もなるほどと思ったの」

「え? どういう事?」

 首を振った花音は、話を続ける。

「その動画の人は、『紙に書いて伝える事はできるけど、

 そのせいで誰かが呪われたら、自分のせいになる。そうなったら自分が辛い』って言ってたの」

「そうか。本当だから教えるのは危険なんだね?」

「そうなのよ」

 最初は信じられなかった海斗だが、だんだん本当かもしれないと思い始めた。

 しかし、疑問が一つ湧いた。

「あ、じゃ、花音は呪われた少年の名前は知らないんだね?」

 その言葉に、花音は悪戯っぽい目を向けてきた。

「ううん、知ってる」

 海斗はゾッとして、冷たい水が一層冷たく感じられた。

「え? どうして知ってるの?」

「ネット検索して見つけたの」

「え? どんな名前なの?」

「口に出して言えないから、どこかに書いて──」

―ピーッ!

 突然、甲高いホイッスル音が鳴った。

「こら! そこの二人、今は水泳の時間だ。お喋りの時間じゃないぞ!」

 男性コーチに怒られて二人は首を竦めた。

 

「ね、それで、その名前って、どんな名前なの?」

 レッスンを終えて更衣室から出てきた海斗は花音を見つけると尋ねた。

 花音は近くの洗面台で指に水を付けて、窓ガラスに歩み寄った。

 そして、指で漢字の名字とカタカナの名を書き始めた。

 

『■■■■■』

 

「その名字はなんて読むの? コワ──」

「ダメ!! 言っちゃダメ!!」

 思わず口に出して読もうとした海斗を、花音が強く止めた。

「あ! ごめん! そ、そうだったね」

 海斗は慌てて口を噤んだ。

 その時、後ろから声がした。

「へえ、コワイウワサって読むのかな?」

 ドキリとして海斗と花音が後ろを向くと、そこには中学2年生の三谷透が立っていた。

「「三谷先輩!」」

 三谷は海斗や花音だけでなく、この水泳教室の後輩達に慕われている泳ぎの上手い先輩だ。

 海斗はそんな三谷に憧れていた。

「さっき、プールの中で君達がお喋りしてるのが聞こえてたんだ」

「聞いてたんですか?」

 海斗は何となく恥ずかしくなり顔を赤める。

「でも、名前を言っちゃいけないんですよ!」

 花音は慌てて言うが、三谷は気にしていないようだ。

「面白い噂だよね。八尺様とか、人面犬とか聞いた事があるけど、

 名前を言うと呪われる都市伝説なんて初めて聞いた」

「先輩は怖くないんですか?」

 海斗は信じられない面持ちで尋ねる。

「何が?」

「だから、名前を口にすると呪われちゃうって話なんですよ」

「都市伝説とか呪いとかって、怖くて面白いよね。でも、所詮、噂は噂だからね」

 三谷は笑いながらそう言うと、「じゃ」と去って行った。

 

「噂は噂だって……」

 スポーツクラブを出て行く三谷の背中を見ながら海斗がぼそりと言う。

 すると、花音もぼそりと続ける。

「三谷先輩、凄いね」

「水泳の全国大会の優勝候補って言われてるものね」

「それもそうだけど、何も怖くないんだよ。カッコいいよね」

 花音のその言葉が海斗の心に響いた。

 三谷先輩を見送る花音の目が輝いているようだ。

 海斗の心に今まで感じた事のない奇妙な気持ちが湧いてくる。

(三谷先輩みたいにカッコよくなりたい……?)

 そう思った海斗は窓ガラスに書かれた名前を再び見た。

 

『壊井ウワサ』

 

 その文字をじっと見た。

(声に出して言ってみようか……)

 しかし、海斗は気後れする。

(ああ、でもやっぱり怖い……)

 名前をただ睨みつける事しかできない。

―キュッ! キュッ!

 突然、花音の掌が文字を消した。

「あ!」

「三谷先輩は、噂は噂だって言ってたけど心配だよね」

「あ、そうだよね。消しておいた方がいいね」

「さ、帰ろう」

「うん」

 花音に促されて出入り口に向かう海斗。

 その心の内はホッとしていた。

 

「この芸人さんは面白いわよね」

「お母さんもそう思うか。実はお父さんも最近、気に入ってるんだ」

 その夜、海斗はいつものようにリビングでテレビを見ながら、両親と夕飯を食べていた。

 どこかの砂浜で撮影されたバラエティ番組だ。

 若い芸人が波打ち際で一発芸をやっている。

「この人、面白いよね。ははは」

 呪われた少年の話なんてすっかり忘れて、海斗も笑った。

 しかし、その時、気づいた。

 画面の端に、何かが立っている。

(何? この大きな灰色の変な物は?)

 ちらりと見た時は砂浜に打ち上げられた大きな海藻に思えた。

 しかし、それは自分と同じくらいの背丈の何かだ。

 百本くらいある海藻の足で立つ大きなタコのようだ。

 不気味なのは周囲の芸人達がはしゃいでいても、それはジッと立っているだけなのだ。

(芸人を脅かすための仕掛けなのかな?)

 海斗はよく見ようとした。

 大きな灰色の変な物は砂浜を広く撮った画面になった時だけ映る。

 その画面になった時に海斗はすかさず指差した。

「ねえ、あの変な物はなんだろう?」

 テレビを見て笑う両親に尋ねる。

「え? どこ?」

「ほら、そこだよ」

 海斗は食卓からテレビに近づいて、グイと指差した。

 その瞬間、画面は芸人のアップに変わってしまった。

「あ、広い画面になるまで待ってて」

 しかし、芸人のアップに音楽がかかり、エンドロールが流れ始めた。

「海斗、番組が終わっちゃうわよ」

「え、そんな……」

 母親が予告した通り、そのまま番組は終わってしまった。

「でも、本当に変な物が映ってたんだよ」

「何か見間違えたんじゃないのか?」

 そう言ったのは父親だ。

「見間違いじゃないよ。お父さんもお母さんも見なかったの?」

「いや……」

 両親はお互いの顔を見て小首を傾げる。

 その時、海斗は閃いた。

「あ、そうだ。今はテレビ番組がネットで見られるんでしょ? 放送が終わっちゃった奴でも」

「ああ、まあな」

 気のない返事をする父親に海斗は近寄る。

「ねえ、ネットで今の番組を見せてよ。そうしたら見間違いじゃないって分かるから」

 頼み込んでくる海斗に父親は溜息をつくだけだ。

「ダメだ。そうやって見始めたら、キリがなくなるだろ?」

「そんな事ないよ。今の番組を見返したいだけだって」

 すると険しい顔つきで母親が近づいてきた。

「海斗、4年生の時にゲーム機を渡したらどうなったか覚えてるわよね?」

 それを聞いた海斗は何も言えなくなった。

 海斗は誕生日プレゼントにゲーム機を買ってもらったのだが、夢中になりすぎてしまった。

 一日一時間という約束を全然守れなかった。

 それどころか、夜中にこっそり起き出して寝ずにゲームをやった。

 だから、学校の授業中に居眠りを散々してしまい、学校から親に連絡が入ったのだ。

 こっぴどく叱られて、結局、ゲーム機は捨てられてしまった。

 その苦い思い出が海斗の頭に蘇った。

「ああ、覚えてるよ……」

 海斗は不貞腐れて答えるのが精一杯で、それ以上は何も言えなくなった。

 しかし、心の中では呟く。

 

(テレビの中に灰色の変な物が映ってたよ。見間違いなんかじゃないよ)

 

「まったく、都市伝説ってのは弱いねえ。ドラゴンでも連れてきなよ」

 ある街角。

 白い服の少年と、レイピアを携えた女性が建物の陰に隠れるように佇んでいた。

 少年――ウワサは耳にイヤホンをしていて、その目は左だけが赤い。

 女性――アノロンウェンは、都市伝説を批判しているような荒い口調で言った。

 ウワサはポケットに入っていたペンに違和感を抱く。

 銀色のペンを取り出し手の平に置くと、それは宙に浮き、ゆっくりと回転し始める。

 そして、ある方向を示して止まった。

 ウワサの顔が微かに怯える。

「行きたくない……怖い……」

 そう呟いて、ペンをポケットにしまい、その場にしゃがみ込もうとすると、

 アノロンウェンがウワサの手を無理矢理引っ張った。

「ダメだ。アンタに拒否権なし。とっとと戦えよな?」

 にやりと口角を上げるアノロンウェンに、ウワサは渋々立ち上がり、

 ペンが示した方向に歩き始める。

 アノロンウェンは堂々と歩いていった。

 

「シュッ、シュッ……」

 海斗は苦手なクロールの動きを口でイメージしながらスポーツクラブまで来た。

 今日は進級テストなので、いつもよりも気合いを入れて『男子更衣室』に入ろうとした時だ。

 

「海斗! 海斗!」

 水着に着替えた花音が『女子更衣室』の方から廊下を走って来る。

 焦った表情なので、ただごとではないのは間違いない。

「何? どうしたの?」

「今、着替えてたら、三谷先輩と同じ学校の人から教えてもらったんだけど」

「うん……?」

「昨日、三谷先輩が入院したんだって」

「え? なんで?」

「それが、学校のプールで練習してたら突然溺れたって話なの」

「溺れた? 三谷先輩が? 嘘?」

「噓じゃないのよ、本当なんだって」

「あんなに泳ぎが上手い三谷先輩が溺れるなんてあり得ないでしょ」

「そうなんだけど……」

 花音は今まで以上に真剣な顔つきになって、廊下を見回した。

 これから着替える子供達や、着替え終わってプールに向かう子供達が行き交っている。

「ね、こっち来て」

 花音は海斗の腕を引くと、人目に付きにくい廊下の隅に連れて行った。

 そして、小声で語り始める。

 

「なんかね、溺れた三谷先輩を先生が助けたんだって」

「足でも攣ったのかな?」

「違うらしいの……」

 花音は怯えるように首を横に振り、重い口を開いた。

「プールサイドに上げられた三谷先輩の足には……」

「足には、何?」

 花音は唾を呑み込んでから言う。

「長い海藻みたいな物が絡んでたって……」

「え? 長い海藻みたいな物……?」

 ゆっくりと頷く花音を見て、ゾッとする海斗。

 しかし、直ぐには理解できない。

「なんで、学校のプールで長い海藻が足に絡まるの? 誰かが悪戯したって事?」

「多分……悪戯じゃないと思う」

「なんで、そう思うんだよ?」 花音は泣きそうな顔になって、さらに小声で答える。

「あのね……私……あの日の夜、お風呂で変な物を見たの」

 『あの日の夜』がいつかは、海斗には直ぐに分かった。

 しかし、あえて聞き返さないと不安だった。

「……あの日の夜って?」

「……呪われた少年の名前を窓ガラスに書いた日よ」

 何かを言おうとした海斗は、ゴクリと唾を呑む事しかできなかった。

「湯船に浸かろうと思ったら、その中に灰色の海藻みたいな物がびっしり浮いてたの」

「灰色の海藻みたいな物……?」

「うん、それでママを呼んだんだけど、ママが来た時には消えてた……。

 ねぇ、海斗は何か変な事が起きなかった?」

 海斗は、テレビのバラエティ番組で見た灰色の変な物を思い出した。

 その事を話そうとした。

「あ、あの……」

「やっぱり、海斗も何かあったの?」

 青ざめた表情の花音が見つめてきた。

(花音が怯えてる)

 海斗にも一目で分かった。

(……何も話さない方がいいよね)

 咄嗟に海斗は口を噤んだが、花音の恐怖は治まらない。

「私、凄く怖い……」

「でも、単なる夢を見ただけでしょ」

「違うの。三谷先輩が入院したのって、私のせいじゃないかと思えて。

 呪われた少年の名前を窓ガラスに書いたりしたからなのよ、きっと」

 花音は半泣きになっていた。

 海斗はどうしたらいいか分からなくなってしまった。

 その時──

 

――ピーッ! ピーッ!

 

 コーチのホイッスル音がプールの方から聞こえてきた。

 レッスン開始5分前の合図だ。

「あ、今日、進級テストなのに、僕、まだ着替えてないよ」

 しかし、目の前で肩を落としている花音が心配だ。

「ねぇ、今日は家に帰ったら?」

 花音は首を振る。

「今日の進級テストを親が見に来るって言ってたから」

 それは海斗も同じだった。

 親が来るのに突然、休むわけにいかない。

「分かった。でも、そんなに気にする事じゃないよ、きっと。

 三谷先輩の足に海藻が絡まったのは、絶対、誰かの悪戯だよ」

 花音は自信なくこくりと頷いた。

 それを見て、海斗は『男子更衣室』に慌てて駆け込んだ。

 

「次、3番の人」

「はい!」

 プールサイドに集まった生徒の中から元気よく手が挙がった。

 一人の男子がプールに入っていく。

 それを見送ったのは4番の海斗だ。

 次は自分なので大きく深呼吸をして気持ちを整える。

 目の前にはプールの水面が揺れている。

 横は黄と青のロープで、7つのレーンに分けられていた。

 海斗のクラスはその真ん中のコースで進級テストを受けていた。

―ピーッ!

 ホイッスルが鳴り、3番の男子がクロールで泳ぎ始めた。

 海斗は、ふと背後を見る。

(花音は大丈夫かな?)

 体育座りをする8番の花音の表情は暗い。

 しかし、進級テストの順番を待っている皆は緊張している。

 そこに混じると、花音の表情に違和感はない。

 そして、海斗はプールの周囲の一角にある見学席を見た。

(お母さんは来てるかな?)

 保護者が多数集まっている。

 並べられたベンチに笑顔の大人達が座る。

 その中に、海斗の母親の姿もあった。

 海斗はニッコリと笑い手を振った。

 母親も手を振り返してくる。

 その時、海斗は“それ”に気づいて声が漏れた。

「え?」

 母親の斜め後ろに“それ”――大きな灰色の変な物は座っている。

「噓でしょ?」

 海斗は目をこすってもう一度見た。

 すると、それは消えていた。

(見間違いだったの?)

 海斗は母親の背後をじっと見た。

 ニコニコと手を振っていた母親も、息子の奇妙な視線に気づいて背後を見る。

 しかし、大きな灰色の変な物はやはりいない。

(花音があんな話をしてきたから、見間違えたんだよね)

 海斗は不意に花音が気になった。

 自分の後ろを見ると花音は相変わらず体育座りをしている。

「4番、岡田海斗君、あなたの番よ!」

 近くにいた女性コーチの苛立った声が響いた。

 目の錯覚に気を取られて、コーチの声が耳に入っていなかった。

「あ、すみません!」

 海斗は慌ててプールサイドから真ん中のコースに入った。

「今日は全然集中力足りてないわよ。しっかりやりなさい」

 女性コーチに注意されてしまった。

「はい、すみません」

 海斗は再び謝る。

―ピーッ!

 ホイッスルが鳴った。

 海斗はクロールで泳ぎ始める。

―ザバッ、ザバッ、ハァ! ザバッ、ザバッ、ハァ!

 2回水をかき、1回息継ぎをする。

 リズミカルにそれを続ける海斗。

 やがて、反対側のプールサイドが見えてきた。

(良いタイムになりそうだ)

 必死に泳ぎながらもそんな事が頭に浮かんだ。

 やがてゴールの反対側のプールサイドに手がついた。

 足をつけて立ったのだが──

「えっ?」

 海斗は思わず辺りを見回すが、誰もいない。

「そんな、どういう事??」

 戸惑う海斗だが、元いたプールサイドの方に花音がいる事に気づいた。

「花音! 花音!」

 海斗は大きな声で呼んだ。

 しかし、花音はかなりパニックになっていて、海斗に気づかない。

「え? どういう事なの? どうして誰もいないの?」

 狼狽える花音の声が聞こえる。

 その時、別の声が響いてきた。

 不気味な笑い声。

「ひひひひひひっ!」

 ハッとして見ると、目の前のプールサイドの上に、灰色の塊が立っていた。

「うわああ!」

 海斗は慌てて灰色の変な物とは反対側の元いたプールサイドに泳ぎ始めた。

―ザバッ、ハァ! ザバッ、ザバッ、ハァ!

 ザバッ、ザバッ、ザバッ、ザバッ、ハァ、ハァ! ザバッ、ザバッ、ハァ!

 慌てているのでメチャクチャな泳ぎ方だ。

 その時──

―グフッ!

 泳げなくなった。

 足が思うように動かない。

―ザバババッ、ザザッ! ザバッ、グフッ! ザッ、ザバッザッ!

 必死に泳ごうとするが腕が水を掻くだけだ。

 海斗は水中の足に目を凝らすと、足に灰色の海藻が絡まっている。

「うぁぁぁ!」

―ブクブクブクッ!

 水中なので悲鳴は口から吐き出される気泡に変わってしまう。

 グルグルと絡みつく海藻が、海斗の身体を水中に沈めようとする。

 海斗の手がロープを掴んだ。

 しかし、水に浮かんでいるだけのロープは支えにならない。

―ウググググッ!

 悲鳴代わりの気泡が口から漏れる。

 海斗は必死にもがいた。

(プールサイドへ! とにかく、プールサイドへ!)

 もがきながら足元を見る。

 足にまとわりつく海藻。

 さらに違う物が足に伸びてくる。

 海藻でできた灰色の手が海斗の足を掴もうとしていた。

 そして、その手の持ち主がプールの底から現れる。

 海藻の塊の中の大きな一つ目が海斗を睨む。

「うぁぁ!」

―ブクブクブクッ!

 海斗の口から気泡が溢れる。

―ザババッ、ザッ! グフッ! ザッ、ザバッザッ!

 海斗の頭は水中に引きずり込まれる。

 もがけばもがくほど、身体は沈んでいく。

 海斗は息をしようとするが、水面は遠い。

「イイッヒヒヒヒヒッ」

 水中なのに、笑い声はハッキリと聞こえる。

 灰色の海藻の手の力が強まり、足に痛みが走る。

「イイッヒヒ イイッヒヒヒッ」

 不気味な笑い声と共に、海斗をプールの底に引きこむ。

「ゲフォ! ゲフォ!」

 海斗は水を飲んでしまう。

(もう、ダメだ!)

 そう思った瞬間──ウワサが海斗の手を掴んだ。

 彼の隣には、レイピアを携えたアノロンウェンがいる。

―ザバッ!

 ウワサは海斗を引き上げる。

「ゲホォ」

 海斗はプールサイドに倒れ込むと、飲んでしまった水を吐いた。

 アノロンウェンはキッと、水中を睨みつける。

 ウワサは海斗が無事なのを確認するとプールの水面に向き直った。

「僕が、何とかしなくちゃいけないんだ」

「こんな奴は、ドラゴン未満なのを証明しなくちゃね!」

 ウワサは銀色のペンを持った。

 その瞬間──

 

―ザザザッバババババッッッン!

 灰色の海藻の塊が水中から飛び出してきた。

 大きな一つ目が、レイピアを携えたアノロンウェンを睨んだ。

「やる気かい!? アタシが倒してやるよ!」

 海藻の中の大きな目玉が、アノロンウェンを睨みつけながら迫ってくる。

 アノロンウェンは華麗なレイピア捌きで、確実に海藻を刈り取っていく。

 海藻はうねうねとうねりながらアノロンウェンを縛ろうとするが、

 アノロンウェンは素早い動きで攻撃をかわし、レイピアで切り刻んだ。

 その隙にウワサがペンを動かすと、宙に青白い炎が現れ、円が描かれた。

 空中に浮かぶ円が、ウワサと海藻の塊の間にある。

 その円越しに、一つ目を睨む。

 ウワサの赤い目が光ると、目に何かが視える。

 それは、『災悪』の『名前』だ。

 

「全ての災悪を、この光によって打ち消さん! お前の名は──」

 ウワサは、ペンを走らせ、空中に文字を書いた。

 

 ミ ズ ヒ キ

 

 瞬間、海藻の中の一つ目が怯えた。

 笑い声が間の抜けた声に変わる。

「イィィィア、ヒヒフゥゥウウ」

 一つ目は苦悶の目つきに変わった。

 次の瞬間──

 

─バシャアアアアアンンッ

 海藻の塊は灰色の水に変わり、四方に飛び散った。

「こんなもんなのかい?」

 レイピアを持ちながら、アノロンウェンはそう言った。

 

 しばらくして、海斗の目がゆっくり開く。

 プールサイドに海斗は寝ていた。

「海斗! 海斗!」

 目の前に母親がいた。

「お母さん……」

「よかった!」

「僕は……?」

「泳いでていきなり溺れたのよ」

「え? 僕が溺れた?」

 海斗はハッとして足元を見た。

 しかし、足元に灰色の海藻は無かった。

「無い!」

「何が無いの? とにかく、無事でよかった」

 女性コーチが声をかけてきた。

 コーチの隣には気分の悪そうな花音がいる。

「花音はどうしたの?」

「海斗が溺れた時に、何故か一緒に気を失ったのよ」

「僕と一緒に気を失った? じゃあ、さっきのは……」

 その時、海斗は見学席に自分を助けた少年と女性がいるのを見つけた。

(君達は誰なんだ?)

 海斗は彼らにそれだけでなく尋ねたい事があった。

 しかし、海斗はプールサイドから声を上げて呼び止める気力はなかった。

 客席にいるウワサは海斗が尋ねたい事を察した。

 

「僕の名前を口にした人以外も巻き込む災悪もいるんだよ」

 ウワサはそう呟き、さらに続ける。

「僕に関わっちゃ」

「碌な目に遭わないのは知ってるよ。だから、アタシがついてるんだよ」

 そして、耳にイヤホンをつけ、その場から去って行った。




~災悪紹介コーナー~
アノロンウェン「なーにかな?」
ウワサ「なーにかな?」
二人「今週は、これ!」

水引き
出現場所:プール、風呂場、テレビ画面などの水辺や境界線
攻撃手段:灰色の海藻による拘束・水没、笑い声による精神汚染、画面越しの凝視

アノロンウェン「お祝い袋についてる紐みたいな名前の癖に、やってる事はエグいねえ」
ウワサ「あれは引きずり込むという噂が形になった災悪なんだ。
    一度狙われると、テレビの中だろうが風呂場だろうが、
    水のある場所全てが入り口になってしまう」
アノロンウェン「アタシのレイピアで細切れにしてやったけど、
        あんなヌルヌルした奴は二度とごめんだよ。マントが潮臭くなって敵わない。
        アンタも、もう少し泳ぎを覚えて自力で逃げたらどうだい?」
ウワサ「努力はしてるよ。でも、今回は海斗君だけじゃなくて、
    名前を知っていた花音ちゃんまで巻き込まれそうになった。
    僕の名前という呪いは、どんどん伝染していくみたいだ……」
アノロンウェン「そんな暗い顔しなさんな。
        伝染するなら、アタシの強さもアンタに伝染させてやりたいくらいだよ!
        ほら、次の場所へ行くよ!」
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