ひざ下5センチメートル   作:浮月 愁

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【1】歩く校則

清らかなる誉川(ほまれがわ)のせせらぎに寄り添うように、その校舎は威風堂々と聳え立っている。

 

私立誉川高等学校。

 

穏やかな時の流れるこの都会から離れた進学校において、静寂を乱すような荒れた生徒の姿は、まず見当たらなかった。

 

そんな静謐を切り裂くように響き渡る怒声。それは生徒同士の喧嘩でも、教師の叱責でもない。

誉川高校が誇る"歩く校則"のお出ましだった。

 

「ふざけないでください!!」

 

人差し指で眼鏡のブリッジをくいと押し上げ、彼女は仁王立ちになった。

 

「遠藤さん、お化粧が濃いと思います! 

山口さん、そのスカート丈どうにかなりませんか?

瀬戸さん、髪の色が明るすぎます!

仲野さん、今すぐネイルを落としてください!」

 

膝下までしっかりと覆う長いスカート。肩先で切り揃えられた黒髪は、耳の後ろできっちりと黒ゴムに縛られている。スクエア型の黒縁眼鏡の奥に宿る瞳は、一点の曇りもなく凛々しい。もちろん、その肌はスッピンだ。

 

渡辺しずく。

 

彼女はこの学校の秩序を司る、風紀委員長である。

生徒たちは、しずくの剣幕を怖がるどころか、面白がるような視線を交わし合った

 

右から、ほんのり色づくリップを引いた遠藤。

膝をわずかに覗かせる程度の山口。

陽光に透かせば栗色に見える程度の瀬戸。

そして、爪先に淡い桜色の光沢を宿した仲野。

 

教師であれば素通りするような、年頃の少女たちのささやかな「自己表現」も、しずくの正義というフィルターを通せば、看過できない重罪へと変わるのだ。

 

「全然ふざけてないよー。ただのおしゃれだってば」

「しずくちゃん、そんなに眉間にシワ寄せたら怖いよ?」

 

緩んだ空気の中で、生徒たちは反発するどころか、慈しむようにしずくの頭を撫でた。

 

しずくの額に、ぴきりと青筋が浮かぶ。口を真一文字に結び、頭の上の掌を払いのけると、防御するように両腕を胸の前で固く組んだ。

 

「いいですか!? 学校は勉学の場所です。おしゃれをする場所ではありません。なぜ、皆さんはおしゃれだなどと言って髪を染めたり、スカート丈を短くするのですか? 勉強には全く関係の無いことです!」

 

生徒たちは顔を見合わせ、いたずらっぽく口角を上げた。合図もなしに、しずくを包囲するように距離を詰めると、流れるような手つきで彼女のスカートをひょいと持ち上げた。

 

「ほら、これくらいの方が絶対可愛いって」

「な、な、何を……!」

 

慌ててプリーツを整えるしずくをよそに、彼女たちの追撃は止まらない。

 

「彼氏もね、こういうのが好きって言うんだよね」

「しずくちゃんは、彼氏さんにそういう格好が好きだって言われてるの?」

「そもそも……渡辺さん、彼氏いるの?」

「しずくちゃん、今まで彼氏いたことあるの?」

 

形勢逆転。屈辱の連続砲撃が決まった。

 

「……っ!」

 

しずくは顔を真っ赤にすると、それを誤魔化すように、軽く咳払いをする。汗でずり落ちた眼鏡を指で持ち上げ、大きく深呼吸した。

 

「がっ、学校は恋愛をする場所ではありません! それに私は彼氏はいません! 彼氏はいたことありません! とにかく! えーっと、こ、校則違反をどうにかしてくださいっ!」

 

それだけ叫ぶと、しずくは逃げるように廊下を駆け抜けていった。

 

「おーい、しずくちゃーん。廊下を走るのは校則違反ですよー!」

「面白いよね、渡辺さん」

「彼氏いたこと無いってあんな大きな声で言わなくても」

 

生徒に嫌われがちな風紀委員だが、彼女の真面目でバカ正直なところが生徒達に微妙に受けていた。一生懸命な彼女の姿は学校の名物となっており、誰も嫌う者はいないのであった。

 

 

夕刻。

学専バスを降り、最寄りの駅へと向かうしずくの背中は、どこか丸まっていた。

 

「しずちゃん!」

 

聞き慣れた声に肩を叩かれ振り返ると、そこには見知った男の顔があった。

 

「和真くん……」

 

隣の家に住む、二歳年上の幼馴染。大学生になった彼だが、男性の平均よりは小柄で、なだらかな肩のライン。睫毛の長い垂れ目は、どこかアルパカを彷彿とさせた。

しずくの脳裏に、先ほどの廊下での屈辱が蘇る。気がつけば、自問自答していた言葉が唇から溢れていた。

 

「……スカート」

「ん?」

「……長すぎますか、これ」

 

和真の視線が、しずくの険しい表情から足元のスカートへと移る。彼はしずくの「生真面目」の温度をよく知っていた。

和真は茶化すような笑みを消した。しずくの瞳にある真剣な色を汲み取ったのか、彼は検品でもするかのような目つきで、じっくりと彼女の姿を眺めた

 

「んー。……少し長いかも。でも、しずちゃんはそのままで良いと思うよ」

 

和真が浮かべたのは、毒気のない、陽だまりのような笑顔だった。

だが、しずくの耳に突き刺さったのは、肯定の言葉よりも「少し長い」という事実だ。

 

「やっぱり……! 今日、学校でも格好悪いって言われたんです。男性は短い方が可愛いと思うものだって。……校則通りなのに。勉強には関係ないのに」

 

堰を切ったようにまくしたてるしずくを、和真は呆気に取られたように見つめる。

 

「男性はやっぱり、短い方が、好きなんですか?」

「もしかして……しずちゃん、好きな人でもできた?」

「違いますっ!」

 

食い気味に否定し、ブンブンと首を振る。図星を突かれたわけではないが、今の言い草ではまるで「意中の彼のためにスカート丈を悩んでいる」ように聞こえてしまう。

羞恥心から逃げるように眼鏡を押し上げる。

 

「ふ、ふざけないでください! 私はただ、校則の妥当性について……!」

「アハハ、わかったよ。じゃあ、今のままでいいじゃん。これ、あげる」

 

手渡されたのは、ひよこのイラストが描かれた新商品のチョコレート『ぴよちょこ』だった。

 

「ぴよちょこ……」

「じゃあ、暗くなる前に帰るんだよ。気をつけてね」

 

しずくの頭を、大きな掌がぐりぐりと撫でる。彼は幸せそうな「アルパカ・スマイル」を残し、軽やかな足取りでコンビニへと向かっていった。

しずくは一人、残された路上で鞄に菓子を仕舞い込むと、足元の影を見つめて小さく呟いた。

 

「膝下……五センチメートル。校則、厳守です」

 

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