ひざ下5センチメートル   作:浮月 愁

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【10】定例会議

放課後のチャイムが鳴り響いた。

授業の間、しずくの思考は常に「今、彼はどこで何をしているのか」という一点に支配されていた。休憩時間になるたびに様子を見に行こうと試みたが、その都度教師に呼び止められ、雑務を押し付けられる不運に見舞われた。

あいにく、放課後には風紀委員の定例会議が控えている。

 

(早く終われば二十分。終わったらすぐに彼を探しに行こう)

 

しずくは決意を胸に、鋼のような固い真剣な表情で会議に臨んでいた。

 

「では、来週の朝活動は駐輪場の自転車整理と声掛けを各学年交代で行います。異議はありませんか」

 

しずくが顔を上げ、並み居る委員たちを見渡したその時。視界の端、教室前の廊下を猛烈な勢いで走り抜ける影があった。

規律の番人として、会議中であろうとも見逃すわけにはいかない。しずくは弾かれたように立ち上がると、勢いよく教室のドアをスライドさせた。

 

「廊下を走ってはいけま……せ……」

 

注意の言葉は、喉の奥で凍った。しずくは己の目を疑い、眼鏡の奥で瞬かせた。

そこにいたのは、あろうことかバックスだった。

 

「しずく!」

 

遠ざかろうとしていたバックスが、彼女の姿を捉えるなり急旋回して走ってくる。

しずくはパニックに陥り、反射的にドアを叩きつけるように閉めて教室へ引き返した。

 

「委員長?」

「失礼しました。か、会議を続けます」

 

異常事態を悟られまいと、震える手で眼鏡のピントを合わせ、何食わぬ顔で着席する。だがその直後、教室のドアが破壊せんばかりの勢いで開け放たれた。

 

「しずく! ここにいたのか!」

 

ドカドカと踏み込むような足音を立て、バックスがしずくを目掛けて一直線に歩み寄る。

静まり返った教室内。呆気に取られた委員たちが、一斉にバックスとしずくを交互に見やった。

 

(あと数分で終わるはずだったのに……)

 

しずくの顔面は、今や絶望の色に染まっていた。

 

「ん? 無視すんなよ」

 

しずくは歯を食いしばり、立ち上がってバックスを睨み上げた。喉元まで出かかった怒声。だが、彼女は寸前で踏みとどまり、深く、鋭く息を吸い込んだ。その視線は、凍りついた生徒たちへと向けられる。

 

「異議はありませんね」

「い、委員長?」

「異議が無いようです。交代の順番は今週と同じです。峰山さん」

「は、はい!」

「まとめた議事録を今日中にメールで長谷部先生へ伝えてください。これで、風紀委員会定例会を終わります。お疲れ様でした!」

 

誰にも質問の隙を与えない。最速の口調で会議を強制終了させると、しずくは鞄を掴み、バックスの腕を力任せにひっ掴んだ。

そのまま彼を牽引するように教室を飛び出していく。残された生徒たちは、ポツンと取り残された空間で顔を見合わせた。

 

「今の誰?」

 

 

校舎の裏手、人影のない場所まで連行すると、しずくは真っ赤な顔をしてバックスに怒鳴りつけた。

 

「ふざけないでくださいっ!!」

 

立ち昇る怒気で、頭から本当に湯気が出ているのではないかと思えるほどだ。

 

「まず! 校内への不法侵入!! 通報されますよ!」

「え?」

 

激昂するしずくの迫力に、さしものバックスも気圧されて固まった。

 

「すれ違う奴ら、みんな俺に挨拶してくれたぞ」

 

白シャツにベスト、スラックスという隙のない姿。堂々としたその佇まいは、確かに部外者ではなく、教育実習生か何かの関係者に見えなくもなかった。

 

「つ、次に、会議の途中で乱入するなんて、非常識だと思わないんですか!? あなたは、ここの人間ではないんです。あんなたくさんの生徒に見つかるようなことして、あなたのことを聞かれたら、私はなんて彼らに言い訳すればいいんですか!?」

 

正論の連打。しずくはキャンキャンと、まるで小犬が吠えるようにまくし立てた。

バックスは黙ってそれを聞いていたが、その表情にはどこか切羽詰まった影がある。

何かを伝えたい。だが、怒り狂う彼女の言葉を遮らぬよう、彼なりに気を遣っている様子だった。

しずくはその異様な気配に気づき、振り上げた腕を下ろした。

 

「……おなか、空いたんですか?」

「しずく?」

「は、はい」

「俺の側から離れるな」

 

不意に、バックスが真剣な眼差しで彼女の瞳を真っ直ぐに射抜いた。

そのあまりに切実な響きに、しずくの心臓が大きく跳ね上がる。男性から、これほどまでに執着を感じさせる言葉を投げかけられたのは、人生で初めての経験だった。

 

「え……」

「とにかく、早く帰るぞ」

「え? え?」

 

 

困惑する彼女を置き去りにしたまま、バックスに促されるようにして帰路に就いた。

道中、何度もその言葉の真意を問おうとしたが、バックスの横顔に漂うただならぬ緊張感に、しずくは踏み込むことができなかった。

 

最寄り駅のスーパーで卵を大量に買い込み、母親に

電話を入れる。

母はまだ祖母の家にいた。入院こそ免れたものの、経過観察のために二週間ほど滞在するという。

しずくは家が「二人きり」であり続けることに安堵し、そのまま自宅へと戻った。

 

帰宅し、卵を冷蔵庫へ収めて居間に戻ると、そこにはソファに腰掛ける成人男性の姿があった。

今朝までの、小さな可愛らしい「弟」が相手なら緊張など感じなかったが、今は状況が百八十度異なっている。しずくは一歩引いた場所から、油断なく彼を見張っていた。

 

「どうした? こっち座れば?」

 

バックスが彼女の視線に気づき、声をかける。しずくはハッとして、逃げるように足早に二階の階段へと向かった。

 

「あ、宿題があるので。どうぞそちらで寛いでてください」

 

どうも動揺が全身から漏れ出してしまっている。背後から、バックスが鼻で笑うような気配が伝わってきて、しずくはさらに足早になった。

 

「しずく」

 

呼び止められ、階段にかけた足を止める。

振り返ると、バックスが手招きをしていた。

手の甲ではなく、手のひらを上にしたその招き方は、どこか挑発的な色を帯びている。しずくはムッとして眉を寄せた。

 

「そんなに避けるなよ。傷つくだろ。こっちで宿題すれば?」

 

コンコン、とテーブルを叩く音。

しずくにはそれが「自分を試している」ようにしか思えず、意地になって居間へと引き返した。

 

「じゃ、邪魔しないでくださいね」

 

バックスに背を向けるようにして座り、これ見よがしにテーブルへ宿題を広げる。

バックスは物珍しそうにそれを眺めていたが、すぐに約束を破って邪魔をし始めた。

 

「しずくさ、俺がデカくなった途端冷たくなるのなんで?」

「ふざけないでください。冷たくなんかなっていません」

 

眼鏡をクイッと押し上げ、精一杯のつんとした声で応じる。

 

「ピュア族の族長は俺の事嫌いか?」

「ふざけないでください。嫌ってなんかいません」

「じゃあ、好きか?」

 

間髪入れずに投じられた究極の問い。

しずくの耳たぶが、みるみるうちに鮮やかな朱色に染まっていった。

バックスは悪戯な笑みを浮かべ、ゆったりとソファの背にもたれかかる。

 

「変な意味じゃなくて、嫌われてるって思ったらここに居にくいだろ」

「す、すす……」

 

しずくの喉が小刻みに震え、言葉が詰まる。バックスは興味深げに上体を起こすと、逃げ場を奪うように上から彼女の様子を覗き込んだ。

 

「すきですっ」

 

張り上げたその声はリビングの空気を震わせた。

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