OVA:共鳴を使わない男を、共鳴最強の世界三位にぶつけてみた 作:檻@102768
※本作には、独自設定・独自解釈が含まれます。
あと、朽木先生によるどたぷん! な十二位のイラストがこちらです。
https://x.com/3rckuvps7an4stq/status/2008126203593711618?s=61&t=lUpy0bCzURk6Qy_r5alO2A
https://x.com/3rckuvps7an4stq/status/2022846088219161000?s=61&t=lUpy0bCzURk6Qy_r5alO2A
https://x.com/3rckuvps7an4stq/status/2024441446976385402?s=61&t=lUpy0bCzURk6Qy_r5alO2A
モブくんの話を聞き終えた後の十二位です。かわいいね!
あとなぜとは言いませんがドロシーのイラストも貼っておきましょう。なぜとは言いませんが。
https://x.com/3rckuvps7an4stq/status/1992243738928914815?s=61&t=lUpy0bCzURk6Qy_r5alO2A
僕と共鳴使いでは、自分が使えるカードへの認識が違う。
だが、きっと。違うのはそれだけではない。
…………少し、確認してみようかな。
「僕からも質問を。……
「…………そうだけど?」
「では、同じように墓地を扱いながら、
「は? なに、その質問」
十二位は、質問の意味を測りかねたように瞬いた。
「……そんなの、まず共鳴できるか調べないと、答えられるわけないでしょ?」
「やっぱり、そうなりますよね」
「同じ墓地を使うテーマだからって、同じように共鳴できるわけじゃないしぃ。
適性がなかったら、どれだけ強くても使えないじゃん。そんなの当たり前でしょ?」
「今のテーマと戦術が似ていても?」
「似てるかどうかと、共鳴できるかは別でしょ。テーマが違うんだから」
予想していた答えだった。
けれど、本人の口から聞くと、改めてその制限の大きさを実感する。
『亡霊たちの饗宴』。
今より後の時代に登場する、墓地利用に特化したテーマ。
墓地からの展開。
墓地で発動する誘発効果。
墓地を第二の手札として扱う戦術において、現在の十二位が使うテーマより、さらに洗練されたカード群だ。
墓地戦術を好む者なら、発売されれば試してみたいと思うだろう。
今のデッキへ一部を取り入れられないか。
あるいは、思い切って新しいテーマへ移るべきではないか。
少なくとも、検討くらいはするはずだ。
けれど、彼女は違う。
(この人も、『亡霊たちの饗宴』が発売されたとして。
今のテーマとは違うという、それだけの理由で使えない可能性があるんだよな)
強いかどうかを考えるより先に。
自分が共鳴できるかどうかを確かめなければならない。
適性がなければ、どれほど戦術が好みに合っていても。
どれほど現在のテーマより強くても。
使用を検討するための入口にすら立てない。
そこで、ようやく実感する。
僕達は、同じカードゲームで遊びながら。
カードプールという言葉の意味からして、まるで違う。
僕にとってのカードプールは、ルール上使用できるすべてのカード。
共鳴使いにとってのカードプールは、その中から、自分が共鳴できるカードだけを切り取ったものだ。
共鳴できないカードは、弱いから使わないのではない。
構築に合わないから選ばないのでもない。
最初から、
恐らく、共鳴使いは。
トレーディングカードゲームの根幹に対する認識からして、僕とは違うのだ。
そして違うのは、使えるカードの範囲だけではない。
経験を
共鳴使いはデッキの10点を引き出せるが、10点を出せるようになるまで、デッキへの学習が伴う。
共鳴使い本人に残る経験も、もちろんある。
けれど、共鳴精度と、デッキが使い手を学んだ成果までは、別のテーマへそのまま持ち出せない。
他のテーマが選択肢に入るコト自体がまず希少だからだ。
共鳴を使わないものは違う。
別のカードを扱う時には、溜め込んだ知見はそっくりそのまま応用できる。
完全に同じカードでなくても、似た役割を持つカードはどこかにある。
相手を止める。
墓地を肥やす。
失った札を回収する。
切り札が働くための条件を整える。
所属するテーマが違っても、そのカードが担う機能まで別物になるわけではない。
一枚を使って得た感触や勘所は、似た機能を持つ別のカードを扱うときにも応用できる。
デッキに僕を覚えてもらえずとも、
抜けていったカードも、使わなくなったデッキも。
そこで知った強さや弱さ、扱いづらさは、次のカードを手に取るときの判断として残っている。
カードを替えるたび、何もないところからやり直してきたわけではない。
積み上げたものを自分の中へ残したまま、次のカードへ移ってきたのだ。
ただし。
それは最初から、共鳴使いとは違う強さを得ようとして始めたことではない。
始まりは、もっと単純で。
もっと――――
「僕がいろんなカードの使い心地を知ってるのは、もともと、いろんなカードを使ってみたくてファイトを始めたからなんです」
「…………はぁ??」
「他の人が使ってるカードって、格好よく見えるでしょう?」
唐突にも思える宣言に、十二位がわずかに首を傾げる。
「アレですよ。
食べ物のCMだって、産地とか高級とかをずらずら並べられるより、誰かが美味しそうに食べてるところを見た方が、食べたくなるでしょう? カードだって同じです。
誰かが格好よく使ってるところを見たら、僕も使ってみたくなったんですよ」
「また変な例えが出てきた……」
「でも、伝わるでしょう?」
軽く笑ってから、テーブルの上にあるカードへ目を落とした。
「エースカードとか、いぶし銀の一枚とか。
誰かの切り札が窮地を覆すのを見たら、自分でも使ってみたいと思った。
強い使い方を見たら、自分でも再現してみたかったんです」
単純な答えだった。
使ってみたいから、使う。
十二位が想像したような苦行ではない。
少なくとも僕にとっては、それ自体がカードゲームの楽しみ方だった。
元の世界では、適性がないという理由だけで、使えないカードなど存在しなかった。
(そりゃ、エネルギー産業どころか、世界観そのものに組み込まれるほどカードが浸透してるなら。
『憧れ』なんて感情がなくても、カードに触れる機会があるのは当たり前なんだろうが……)
元の世界では、そんなことはなかった。
娯楽は、あまりにも多種多様だった。
漫画。スポーツ。デジタルゲーム。
玩具や、カード以外のホビーだって、数え切れないほど存在する。
だからこそ、それぞれの業界は、無数にある選択肢の中から、自分達の提供するものを選んでもらおうと必死だった。
そのための手腕の一つが、
物語を仕立てて、魅力あるキャラクターを生み出す。
彼らに固有のテーマや、象徴となる切り札を持たせ、ここぞという場面で格好よく活躍させる。
視聴者に、そのキャラクターへ憧れさせるために。
そして。
憧れたキャラクターが使っていたカードを、
主人公と同じデッキを手に取る。
ライバルが窮地を覆した切り札を、自分の手でも使ってみる。
アニメで見た召喚や逆転を、今度は自分のファイトで再現してみる。
カードゲームへ足を踏み入れるきっかけとしては、あまりにも普通の感情だった。
しかも元の世界では、カードさえ手に入れればいい。何なら、
適性がないという理由だけで、憧れたカードの使用を拒まれることはなかった。
(……まさか、
――――いや。
改めて目の前の十二位を見れば、この世界が推定販促アニメであること自体は、疑いようもないのだが。
光を受けて淡く輝く、真珠色の髪。
それを高い位置で束ねた、長いポニーテール。
年若さを残しながらも、作り物めいて整った顔立ち。
そして先ほど、テーブルへどたぷん! と乗った、現実ではそうそうお目にかかれそうもない胸元。
そんな容姿の少女が、世界十二位のファイターとして、真剣な顔でカードゲームを語っている。
元の世界なら、設定を盛りすぎだと笑われそうな光景だ(なんならボリュームもたっぷり盛られている)。
けれど、この世界では、それが現実として目の前にある。
(見た目も肩書も、どう考えてもアニメの登場人物そのものなんだけどなぁ……)
それでも。
販促アニメならば当たり前に用意されているはずの。
キャラクターへの憧れから、そのキャラクターのカードを自分でも使いたくなるという感覚だけは。
この世界では、共鳴によって途中で断ち切られていた。
けれど僕には、憧れたカードを最初から他人のものとして諦めたり区別する習慣がなかった。
「だから、使ってみることにしたんです。
…………ちょうど、
使いたいカードを見つけるたび、そのすべてを買い集められれば話は早かった。
けれど、当時の僕はただの子供だ。
欲しいカードが増える速さに、お小遣いでは追いつけず。
ならば、
ちょうどLifeには、それを可能にするカードが存在していた。
「それで僕が最初に使い込んだのが、
「…………コピー?」
「そう。相手のカードを写し取って、自分のカードとして使う。
欲しかったカードを全部持っていなくても、対戦相手が使ってくれれば、自分でも試せたんです」
相手の場や墓地、あるいは公開された領域に存在するカードを写し取る。
エキシビションマッチでも使っていた、《揺月の水面鏡》。あれもその一種だ。
「そんな
今のデッキにも入ってますし……ドロシー?」
「はい?」
こちらを向いたドロシーと目が合う。
その拍子に、視界の端で揺れた何かへ目を奪われかけたが、全力でこらえた。
さっきの十二位の時。
誰より鋭い目を向けてきたのが、彼女だった。
(ならここで、ドロシーの顔から目をそらすわけにはいかない……!)
僕は意地でも彼女の顔だけを見た。
「…………」
完璧に自制したはずなのに。
なぜかドロシーは、少しだけ不満そうに目を細める。
(…………いや、なんで君不機嫌そうなんだ?)
正解がわからないまま、無理くりに僕は話を続けた。
「去年、僕とドロシーが和解するきっかけになったファイト。
あの試合のエンドカード、〈水銀の鏡蛹〉もコピーカードだったの覚えてる?」
「…………もちろん、覚えてますよ。
〈水銀の鏡蛹〉で〈天界龍〉をコピーして、唯一無二のルール効果で破壊したんですよね。
あんな負け方、忘れませんよ」
「そうそう。
あれは、コピーカードの性質が一番わかりやすく出た決着だったと思う」
僕のデッキに、〈天界龍〉は入っていなかった。
世界に一枚だけの、レガシーカード。
それでも〈水銀の鏡蛹〉で相手の〈天界龍〉を写し取れば、僕も同じカードを場へ出せる。
そして同名の二体を並べることで、唯一無二のクリーチャーは先出しが除去されるという、ルール効果で破壊した。
コピーカードとは、単に相手の強いカードを真似するだけのものではない。
通常、ファイト中に使えるカードは、対戦が始まる前にデッキへ入れたものだけだ。
どれほど状況に噛み合うカードが存在していても。
構築の段階で選ばなかった以上、そのファイトでは手を伸ばせない。
デッキとは、対戦開始と同時に閉じられるカードプールだ。
(第三位にも、共鳴があっても
けれど、コピーカードは違う。
自分のデッキに入れたカードを写し取り、実質的な枚数を増やしてもいい。
その場の状況に噛み合う相手のカードを写し取り、自分のものとして使ってもいい。
ファイトが始まった後から。
構築時には選ばなかったカードへ、手を伸ばすことができる。
「コピーカードって、実はすごいカードでね。
冷静に考えたら、
僕、これでいろんなカードの使い方を学んだんだよね」
――――それこそが、コピーカードの最大の特異性だった。
もちろん、何でも好きに使える万能の能力ではない。
まず、コピーするという手順そのものが必要になる。
最初から目的のカードを引いて使うより、余分なカードと手間を挟む以上、どうしてもテンポでは劣る。
それに……相手のエースカードを一枚だけ写し取ったところで、相手と同じ強さで扱えるとは限らない。
相手のデッキは、そのカードが働くことを前提に組まれている。
必要なコストを用意するカード。
効果を発動するための条件を整えるカード。
切り札を守り、失えば回収するカード。
その一枚へ繋げるまでの動きも、出した後に活かす動きも、デッキ全体で支えている。
対して、こちらが写し取るのは、その中の一枚だけ。
相手の構築では主役でも。
何の支えもなく僕の場へ持ってくれば、ただの使いづらいカードに成り下がることもある。
相手のキーカードを自分のデッキへ一枚だけ放り込んでも、同じ働きをしてくれないのと同じだ。
コピーはできても。
多くの場合、それは
だからこそ、考える必要があった。
なぜ、相手はこのカードをデッキへ入れているのか。
どんな状況で引けば強いのか。
何が揃っていなければ腐るのか。
どのカードが、この一枚を支えているのか。
コピーしたカードを使いこなそうとするたび。
僕は、そのカードを使う相手の側から、相手のデッキを見ることになった。
相手の場に置かれているときは脅威にしか見えなかった一枚も。
自分が使う立場になれば、扱いづらさや弱点まで見えてくる。
相手のカードを写すには。
そのカードを使っている相手の
鏡へ映したように、相手のカードを写し取る。
けれど、その鏡を覗き込むたびに見えてきたのは、相手のカードだけではない。
それを使いこなせない、自分のデッキに足りないもの。
同じ働きを別のカードで補う方法。
そして、自分ならその一枚をどう使うのか。
こうして始まって積み重ねた蓄積が、いつしか、アンチシナジーすら扱うための土台になっていた。
僕は知っている。
ただテキストとして能力を知っているカードと、実際にプレイしてみて能力を
デッキを、カードを、プレイして使い込んでこそ得られる感触が、その経験が。
どれだけプレイヤーを育むのかと。
だから僕はいろんなカードを使う。共鳴なんてお構いなく。
それが
「そうやって僕はいろんなカードを使えるようになって。
いろんなデッキを回せる様になったんだよ」
…………言い終えてから、少しだけ照れくさくなった。
理屈を説明していたはずなのに。
気づけば、ずいぶん長く、自分がどうカードと付き合ってきたのかを語っていた。
けれど、誰も茶化さなかった。
室内を見渡せば、共鳴使い達は今度こそ言葉を失っている。
その沈黙の中で、最後に一つだけ付け加えた。
「だから……共鳴を使わないのは、共鳴使いより強くなる為の特訓とか、戦略とかじゃないんだ。
「神が授けた
だが、神にも等しき巨人の掌から、荒野へ踏み出した者だけが知る。
世界は、巨人の掌よりも広い。
それを承知で、なお手放せぬ恩恵を授けるものを、人は神と呼ぶのだが」
――――〈国生みの巨人 ダイダラボッチ〉 プロモ版
好きなカードの世界に転生。
その世界固有の特異能力――“共鳴”を駆使して、華々しく活躍し、名を上げる。
いかにも、転生ものらしい筋書きである。
しかも彼自身、この世界においては、相当に恵まれた才能の持ち主だった。
共鳴できるテーマが一つあれば十分。二つあれば破格。
そんな世界で、彼は少なくとも三つものテーマと共鳴する才能を誇っていた。
〈
〈
〈
だがその共鳴は奪われた。
共鳴の才能を持たない者でもデッキへの学習は可能であるというのに。
縛り手となった彼は、その恩恵さえ失う。
共鳴を使えないことはこの世界では、世を儚んで去ることもあるほどの絶望。
世界から浴びせかけられた、あまりにも痛烈な洗礼。
しかし彼は屈しなかった。……というか、むしろこれ幸いと共鳴無しで戦い続けた。
使いたいカードを使えば事故る、共鳴できるカードを使うのが前提。
――――そんな転生したカードの世界の世界観は、彼のTCG観に絶望的に合わなかった。
なので共鳴なしのまま、使いたいカードでデッキ組んで戦うよ!
共鳴? プレイングって腕でするもんだろ普通。
共鳴できるテーマだけを使い込むのが強くなる最短ルート?
自分の強さだけ追求してたら
それに、
つーかTCGで限られたテーマを延々と擦るとか飽きるに決まってんだろ。
何のためにカードがたくさんあると思ってるんだよ? もっと楽しもう?
……という考えのままで。
多数のテーマからカードを寄せ集め、《エニグマ》を組み爆走した。
他者から特異に映る最大の理由は、本人に斜に構えたところが全くない点だろう。
才能を持って生まれず、或いは生来の才能を奪われて。
それでも強くなる方法を必死に編み出した……みたいな、鬼気迫るところが微塵もない。
事件はあって。
それで間違いなく才能を失って。
その才能に頼ってはたどり着けない強さを、努力で身につけてもいるのだが……
一見つながっているはずのそれが、実は全然つながっていない。
才能を失ったことが、プレイスタイルにも性格の地金にも微塵も影響してないのだ。
事情を知った面々は、
「こんな不自由なプレイスタイルになったのはさぞ悲劇だろう」
「それでも奮起してこの強さを手に入れたのか」
「その努力は、讃える気になれない。いたわしい……!」
とか早とちりしがちなのだが(普通に考えればそうなのだが)、真実は全く異なる。
周囲にとって共鳴とは、それ抜きではファイトにならない必須カードという認識。
しかし彼にとって共鳴を使わないのは、自分のデッキやプレイスタイルでは事故要因になるカードを抜いた程度の認識でしかない。
好きな
なので共鳴使いに負けても
「共鳴なんて妬ましい。俺にだって本当は才能があったのに……!」と嘆いたりとか。
「俺にはもう、この戦い方しか残ってないんだ……!」みたいな追い詰められたところがない。
カードはどこまで行っても楽しむもの。勝ち負けを含めて楽しめるゲーム。
共鳴を失う前も。失った後も。
そういう認識がブレる機会がなかったので、エンジョイ勢の雰囲気でガチ勢を上回れる。
強いて言うのなら「
それに共鳴は邪魔だったので捨て置いている。
これを共鳴使いたちが知れば絶句するのだが、本人はまるで意に介していない。
特に年長者達は色々と彼を気にかけるのだが、むしろ気にかけてしまっていることに申し訳なく思うくらい共鳴に思い入れがない。
本人としては、本当にそれだけなのである。
縛り手? ……縛られている? 自分が?
大好きなゲームを、ずっと
プレイングを、視野を、構築を。
そして、ゲームの楽しみ方そのものを。
縛られているのは、果たして誰であったのか。