いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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百話

 無人島サバイバル特別試験、七日目の夜。

 この日、Aクラスの姫野ユキ、Bクラスの吉田健太、森下藍の三名からなる小グループは、本部から少し離れた森の中を行軍していた。

 

「よし! 今日はここでキャンプにしようか」

 

 少し開けた平坦な場所を見つけ、吉田がリュックを下ろしながら提案する。

 

「うん。いいと思うよ。テントを張るにはいい感じの広場だね」

 

 姫野も周囲を見渡し、安堵の息をついて同意した。

 

「ここから少し歩いたところに簡易シャワーが設置されてるみたいだから、飯食ったら順番に行こうぜ」

 

「吉田健太。その辺の木に蜂蜜を塗りましょう。朝になると、きっと立派なカブトムシが捕れるはずです」

 

 明日の予定を話す吉田に対し、森下が唐突に明後日の方向の提案をしてきた。

 

「いや、蜂蜜なんて持ってないわ」

 

「森下さんの、そのカブトムシに対する異常な執着はなんなの……?」

 

 淡々とツッコミを入れる吉田の横で、姫野がジト目で森下を見つめる。

 

 そんな他愛のないやり取りを交わしながら、三人は手早くテントを設営し、夕食を済ませた。

 

 その後、吉田、姫野の順でシャワーを浴びに行き、最後は森下の番となる。

 

「お待たせ、森下さん。足元、暗いから気をつけてね」

 

「はい。姫野ユキも、吉田健太のいやらしい視線には十分に気をつけてくださいね」

 

「人聞きの悪いことを言うな!さっさと行ってこい!」

 

 真顔でとんでもない忠告をしてくる森下に、吉田が顔を赤くして吠える。

 

 森下は「ふっ」と小さく笑い、シャワーの設置場所へと歩いていった。

 

 残された姫野と吉田の二人。

 森下の背中が見えなくなった後、姫野が小さく息を吐く。

 

「……森下さんは相変わらず元気だね」

 

「ああ。もう少し、まともというか、ちゃんとしてほしいぜ……」

 

 やれやれと肩をすくめる吉田に、姫野はくすりと笑った。

 

「それで、明日の移動はどうする? この広場から南に向かうなら、そこを降りていくことになるけど……」

 

 姫野が指差した先には、険しい岩肌が剥き出しになった斜面があった。

 

 二人はルートの確認のため、広場から少し歩いて、その傾斜の具合を直接見に行くことにした。

 

「うーん……。降りられないことはないけど、荷物を背負ってとなると、岩で足を滑らせて怪我をする可能性もあるな。少し時間はかかるが、安全を取って迂回するルートを選んだ方が良さそうだ」

 

 暗闇の中、二人で並んで斜面の下を覗き込みながら、吉田が現実的な判断を下す。

 

「オッケー。じゃあ明日は迂回ルートで――」

 

 姫野が頷き、言葉を返そうとした、その瞬間だった。

 

「――え?」

 

 ドンッ!! と、無防備な背中を強い力で突き飛ばされた。

 

「……っ!? 姫野!!」

 

 突然の出来事に姫野の身体が宙に浮き、急勾配の岩肌へと投げ出される。

 

 吉田は咄嗟に手を伸ばし、斜面を転がり落ちそうになる姫野を庇うように抱き抱えた。

 

 しかし、踏ん張りが効かず、二人はそのままもつれ合うようにして、険しい岩肌の暗い斜面を激しく転げ落ちていった。

 

 

 

 

「さっぱりしました。さて、今日の坂柳有栖への子守唄は、どの曲目にしましょうか……?」

 

 シャワーを終え、上機嫌で独り言を呟きながら森下が拠点へと歩いていた、その時。

 

『ビーッ! ビーッ! ビーッ!』

 

 静寂の森に、鼓膜を劈くような無機質な電子音が鳴り響いた。

 

 腕時計型の端末から発せられる、重大な異常を知らせる『緊急アラート』の音だ。

 

「……っ!」

 

 森下の表情から、先程までのふんわりとした空気が一瞬で消え去る。

 

 森下は全速力で拠点へと駆け戻ったが、テントのある広場には、待っているはずの姫野と吉田の姿はない。

 

 胸をよぎる嫌な予感を振り払うように、彼女はテントからトランシーバーを素早く掴み取ると、そのまま音の鳴る斜面へと急いで駆け下りた。

 

「吉田健太! 姫野ユキ!」

 

 斜面の下、倒れている二人を発見し、森下は声をかける。

 

 しかし、二人はピクリとも動かず、意識を失っていた。吉田は姫野を庇うように抱きしめた体勢のまま倒れており、頭部から血を流している。

 

 森下は焦る気持ちを抑え、冷静に二人の首元に指を当て、確かな脈と呼吸を確認した。

 

 続いて外傷の有無を素早くチェックし、吉田の頭部の出血以外に致命的な骨折などがないかを見極める。

 

 現状を把握した森下は、震える指でトランシーバーのスイッチを押し、後方で待機している指揮官へと通信を入れた。

 

「――こちら、森下藍。坂柳有栖、応答してください!緊急事態です!」

 

『森下さんですか?……緊急アラート!?一体何があったのですか!?』

 

 通信越しでも分かるほど、坂柳の声には普段の余裕が欠けていた。微かに息が乱れているのが伝わってくる。

 

「テントを張っていた拠点のすぐ近くの傾斜に、吉田健太と姫野ユキが落下したようです。緊急アラートが鳴っている以上、すぐに教員が駆けつけるとは思いますが……二人とも、意識がありません」

 

『なっ……!?すぐにそちらへ藍染くんに向かってもらいます。二人のことをお願いします』

 

「……分かりました」

 

 通信を切る。森下の横顔には、普段の飄々とした空気は微塵もなく、ただ冷たい緊迫感だけが張り付いていた。

 

 

 

 

 その頃。

 自陣の拠点で休息を取っていた私の端末に、坂柳からの通信が入った。

 

(ん?通信だ。坂柳かな?)

 

「何用だ?」

 

『説明は移動しながらします!今すぐに、E6に向かってください!藍染くんならすぐに着くはずです!』

 

 焦燥を隠しきれない坂柳のただならぬ声色に、私はわずかに眉を顰めた。

 

(……どうしたんだ?何があった?)

 

 疑問はよぎったが、急を要する事態なのは間違いない。私は近くで休んでいたひよりへと優しく微笑みかけた。

 

「少し出てくるよ。君はみんなと、ここでゆっくりしていてくれ」

 

 そうオサレに言い残し、滑るような足取りで瞬時に拠点から駆け出した。

 

『吉田くんと姫野さんが怪我をして、緊急アラートが鳴っています。森下さんが今はついているのですが、すぐに現場に向かってほしいのです』

 

 耳元の通信機から飛び込んできた言葉に、私は目を見開いた。

 

 しかし、足の動きは止めない。むしろ速度を上げ、森を縫うように全速力で疾走する。

 

 

 しばらく走っていると、木々の合間から、鼓膜を突くような無機質なアラート音が聞こえてきた。音源である斜面の下へ降り立つと、そこには倒れた二人と、寄り添う森下の姿があった。

 

「藍染惣右介……二人とも頭を強く打ったのか意識がありませんが、脈はしっかりしています。それから、吉田健太が足を負傷しています」

 

(……あの斜面から落ちたのか?)

 

 私は上方の崖を一瞥すると、すぐに二人の傍にしゃがみ込み、流れるような手つきで的確かつ完璧な応急処置を施し始めた。

 

「すみません……藍染惣右介。私が、呑気にシャワーを浴びている間に……」

 

 森下はいつものような達観した様子ではなく、血の気の引いた顔で狼狽え、声を震わせていた。

 

「君は悪くない。分かる範囲で、状況を教えてくれたまえ」

 

 私は処置の手を止めず、静かで落ち着いた声で促した。

 

「食後に順番にシャワーを浴びに行っていました。私が最後で、姫野ユキと交代してシャワーに向かい……戻る途中で緊急アラートの音を聞き、急いで戻りました。そして、すぐに二人の容体を確認した後に、坂柳有栖へ通信を入れました」

 

「……成程」

 

 話を聞きながらも、私は二人の容体を細かく確認していく。脈拍、呼吸、外傷の程度……。

 

(……とりあえず、二人とも命の危険はなさそうだ)

 

 最悪の事態を免れたことに、私は内心で密かに安堵の息を吐き出した。だが、これほどの怪我だ。試験を続けるのは厳しいだろう。

 

(……単なる事故か、それとも第三者による事件なのか。こればかりは、吉田か姫野が目を覚まして直接聞かなければ分からないな……)

 

 私が思考を巡らせた、まさにその時だった。

 

「う……ん……」

 

「姫野ユキ!大丈夫ですか!?」

 

 森下が弾かれたように身を乗り出す。

 

「……森下、さん?それに、なんで藍染くんが……?っ!吉田くんは!?」

 

 痛みで顔をしかめながらも、姫野はハッと何かに気づいたように周囲を見回した。

 

「動かないでください、姫野ユキ。あなたも斜面を落ちて体を打っています。吉田健太も意識はまだ戻っていませんが、命に別状はないと思われます」

 

「――ああ。すぐに教員も来るだろう」

 

 私は、静かに姫野を見下ろして問いかけた。

 

「――何があった?」

 

「森下さんがシャワーに向かった後に……吉田くんと二人で、明日の動きを相談してたの。ここから南に向かうなら、この斜面を通るか、それとも迂回するかって……そう話してたら、急に後ろから、突き飛ばされて……っ」

 

 当時の状況を思い出したのか、姫野の体が微かに震え、その瞳にははっきりと恐怖が浮かんでいた。

 

「なっ……!?」

 

 森下は絶句した。

 

「…………」

 

 私は何も言わず、ただ静かに目を伏せた。

 

「それで……吉田くんが咄嗟に私を庇ってくれて、そのまま二人でここを転がり落ちていって……っ」

 

 そこまで話した時、斜面の上から慌ただしい足音が聞こえてきた。

 

 担架を持った医療スタッフと共に、保健教員である星之宮と、学年主任の真島が駆けつけてきたのだ。

 

「姫野さん!吉田くん!」

 

 星之宮はすぐさま二人の容体を確認する。そして、吉田の足の傷と頭部の状態を見て、険しい表情で首を横に振った。

 

 吉田のリタイアが確定した瞬間だった。

 

「私、私はまだやれます……!私を庇ってくれた吉田くんを退学させないためにも、ここでリタイアするわけにはいきません!」

 

 姫野は痛む体を無理やり起こそうとするが、星之宮がそれを強く制止した。

 

「駄目よ、姫野さん。体に目立った外傷はないかもしれないけど、意識を失うくらいに全身を強く打っているの。しっかりとした検査を受けないといけないわ」

 

 いつものふんわりとした雰囲気は消え去り、真剣な教師としての顔で星之宮は姫野を諭した。

 

 スタッフたちが手際よく二人を担架に乗せていく。

 

 運ばれていく中、姫野の目から大粒の涙が溢れ出した。

 

「ごめん、森下さん……。藍染くんも……いつもクラスのために動いてくれてる藍染くんに、これ以上負担をかけて……ごめんなさい……っ」

 

 その涙を見て、私はそっと彼女の震える手を握り、優しく、だが確かな力強さを持って微笑みかけた。

 

「謝る必要はないよ。君が私の負担になることなど、決してあり得ない。君がこれまでクラスのためにどれほど尽力してくれたか……私が一番よく分かっている。後は全て私に任せて、今はゆっくりと休むといい」

 

 そして、私は彼女を安心させるように、もう一つの約束を口にする。

 

「それに――私の仲間に手を出した人間を、私は決して赦しはしない」

 

 最大限の気遣いと優しさを込めた私の声と、握られた手の温もりに、姫野は少しだけ救われたような安堵の表情を浮かべ、担架と共に運ばれていった。

 

 

 

 二人の姿が見えなくなった直後。私の纏う空気が、一変した。

 

「……真島、星之宮」

 

 周囲の重力すら歪めるかのような、圧倒的で重厚な威圧感。姫野たちの前では完璧に抑え込んでいた静かなる『怒り』が、私の内側から濃密に滲み出ていた。

 

 姫野の証言から、何者かに背後から突き飛ばされたことを説明すると、星之宮が驚愕の声を上げた。

 

「なっ……!襲撃ですって!?」

 

「理不尽な暴力によってリタイアを余儀なくされたというのに……学校側は彼らに、ルール通りの罰を与えるのか?」

 

 私が淡々と、しかし凄みを孕んだ声で問うと、真島は険しい顔を作り、申し訳なさそうに首を振った。

 

「……誰かに襲撃されたという明確な証拠がない以上、特例でルールを変えるわけにはいかない。現状では、事故として処理される可能性が高いだろう」

 

「……姫野が私に嘘をついていると?そう言いたいのか?」

 

 私の射抜くような視線と、肌を刺すような重圧に、屈強な体格の真島ですら一瞬息を呑んだ。

 

「っ……!いや、疑っている訳ではない。だが、学校側としても証拠がなければ……」

 

 その時、トランシーバーに坂柳から通信が入った。

 

『藍染くん、状況はどうなっていますか?』

 

「二人が担架で運ばれ、リタイアが確定した。姫野が何者かに背後から突き飛ばされ、吉田と共に斜面を落下したそうだ」

 

『……っ。すみません。私がそこまで想定して、警戒を敷くべきでした』

 

「君のせいではない。それから――」

 

『すでに、何度もGPSサーチはかけています。情報は後ほど』

 

「分かった。この後、森下を連れて君の元へ向かう」

 

 短く通信を切ると、私は再び真島へと向き直った。

 

「真島。GPSの位置情報は、教員側で常に管理しているのか?そして、教員自身はGPSを身に付けているのかを確認したい」

 

「……生徒のGPSは確認している。だが、腕時計が故障している時には探知ができなくなる。……我々教員はGPSを身に付けてはいない」

 

「成程。では、GPSサーチに関して……故障の有無に関わらず、システム上でデータの改竄を行うことは可能なのか?」

 

 私の鋭い追及に、真島は苦々しい表情を浮かべた。

 

「……それに関しては、俺には分からない。すまない。このシステムは月城理事長代理が導入したものだ。月城理事長代理なら、把握しているかもしれないが……」

 

「……そうか。教えてくれて感謝する」

 

 月城という名を聞き、私の瞳の奥で微かに冷たい光が明滅した。

 

 これ以上の情報を教員たちから得ることはないと判断し、私は彼らから視線を外すと、傍らに立つ森下を見下ろした。

 

「森下。君はテントに戻り、自分の荷物をまとめておきたまえ。私は少し、この現場に証拠が残っていないか確認する」

 

「……。分かりました」

 

 私の言葉に、森下はまだ先ほどの惨状と底知れぬ威圧感の余韻から抜け出せない様子で、狼狽えたまま小さく頷き、拠点へと向かっていった。

 

 一人になった私は、斜面の上――二人が突き飛ばされたであろう場所周辺へと静かに足を踏み入れた。

 

 視線を鋭く巡らせ、微かに残る足跡や不自然な草木の乱れを分析していく。

 

(……。周囲の痕跡から見るに、犯人は単独だな。それに、姫野と吉田に気づかれることなく、この森の中を音も立てずに背後まで接近できる人間となると、自ずと限られてくるだろう)

 

 犯人の足取りを脳裏に描き出しながら、私は冷たい瞳で森の奥を見据えた。

 

(……誰であろうと関係ない。俺の友達を傷つけ、悲しませた奴を……絶対に赦しはしない)

 

 静かだが決して揺らぐことのない決意と共に現場の確認を終えると、私は荷物をまとめ終えた森下と合流した。

 

「行くぞ、森下。共に坂柳の元へ戻り、情報共有を行う。それから、君を他のグループへ安全に合流させるよう、彼女に動いてもらおう」

 

「はい……」

 

 道中、会話は一切なく、私たちは坂柳が待つ本部付近の拠点へと急ぎ足で向かった。

 

 木々の間を駆け抜けながら、私の内側では黒く重い怒りが絶え間なく渦巻いていた。だが、それを表に出すことはない。感情に呑まれれば、真実を見誤る。私はその怒りを氷の底へと深く沈め込み、極めて冷静に思考を研ぎ澄ませた。

 

(……俺たちの同盟を襲撃することのメリットを、冷静に考えよう)

 

 単純に違う学年の生徒が、クラスポイントの為に我々の学年から下位グループを確定させる狙いで襲撃したとするならば、グループ全員をリタイアさせなければ意味がない。森下を残している時点で、その線は薄い。

 

 となると、目的は別にある。

 

 今、我々のクラスからリタイア者が、それも『何者かの襲撃』によるものだと判明して誰が得をするのか。

 

 私と坂柳の意識を犯人探しに向けさせ、試験で得点を得る機会を失わせること。そして、同盟全体に得体の知れない不安を植え付けること。

 

 そうなると、最も恩恵を得られる、清隆や龍園の策という可能性も浮上してくる。清隆ならば、この森の中であろうと足音一つ立てずに背後を取り、容易に襲撃することは可能だろう。

 

 だが――清隆ならば、そんな真似をすれば私にすぐ悟られることくらい分かっているはずだ。

 

 坂柳と合流し、彼女のGPSサーチの結果を聞いてからの判断にはなるが……現段階で最も怪しいのは、一年生に紛れ込んでいるという『ホワイトルーム生』だろう。

 

 目的も分かりやすい。清隆の仕業だと私に思わせることで、私の怒りを彼へと向けさせ、我々を対立させて共倒れや退学に追い込むこと。

 

 同じ理由で、GPSの探知対象外である月城や、その手駒である教員の可能性が次点だな。

 

 清隆がさらにその先まで読んで、敢えて襲撃を仕掛けた可能性もゼロではないが……私の仲間に手を出すような愚かな真似はしないだろう。

 

 木々の隙間から覗く夜空は、不気味なほどに澄み切っていた。

 

 だが、この無人島に潜む闇は深く、そしてあまりにも浅ましい。

 

 私の大切なものを理不尽に傷つけ、絶望を与えようとする者が誰であろうと、答えはすぐに出る。

 

 決して触れてはならない逆鱗と――圧倒的な力というものがどういうものか、必ず教えてやろう。

 

 暗闇の森を進む私の歩みは、ただ静かに、そして確実な反撃への序曲を奏でていた。

 

 

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