いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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百二話

 無人島特別試験の本部、教員や関係者たちが詰める施設。

 

 その一室で、理事長代理である月城は、深刻な面持ちで立つ二人の教員――真島と星之宮と対峙していた。

 

「――ご報告した通りです。二年Aクラスの姫野ユキ、二年Bクラスの吉田健太の二名が何者かの襲撃を受け、無念ながらリタイアとなりました」

 

 真島が、押し殺した怒りを滲ませながら手元の資料を読み上げる。

 

「被害者の証言によれば、背後から接近した何者かに斜面から突き落とされたとのこと。また、当時のGPS位置情報において付近に他の生徒の反応はありませんでしたが、その時点で意図的に腕時計を破壊するなどして探知できなかった生徒が八名存在しています」

 

「いかに決定的な証拠がないとは言え、被害者の明確な証言、そしてGPSで探知できなかった生徒がいる以上、これを不注意による事故ではなく『悪質な事件』として扱うべきです」

 

「ええ、私も真島先生と同意見です」

 

 星之宮もまた、普段の飄々とした態度は完全に息を潜め、怒りに震える強い語気で月城へと意見をぶつける。

 

「あの高さの斜面から悪意を持って突き飛ばしたとなれば、これはもう単なる生徒間のトラブルではなく、明確な『殺人未遂』です。今すぐにでも特別試験を中止し、警察を介入させるべきです!」

 

 彼らの剣幕、とりわけ激昂する星之宮に対し、月城は薄く笑みを浮かべたまま、表面上は極めて冷静に頷いた。

 

「報告と、お二人の懸念はよく分かりました。ええ、状況から見て、ただの事故ではないことは確かでしょう。この特別試験において、何者かが悪意を持って彼らを排除しようとした……そう考えるのが自然ですね」

 

「では――」

 

「ですが、警察を介入させ、試験を中止することには賛同しかねます。ここまで過酷な環境を耐え抜き、必死に試験に取り組んでいる他の大勢の生徒たちの努力を無に帰すのは、あまりにも酷というものでしょう」

 

「っ……それは……」

 

 月城の「生徒たちの努力」を盾にしたもっともらしい正論に、星之宮が僅かに言葉に詰まる。

 

 月城はすかさず、宥めるような口調で言葉を継いだ。

 

「安心してください。特例として、彼らの所属するグループがこの事件の影響で下位に沈んだとしても、退学のペナルティを受けることがないよう手配することは約束しましょう。もちろん、学校側としても犯人探しと、その後の厳正な処罰には最大限の協力を惜しまないつもりです」

 

 月城がもっともらしい理由を並べ、あっさりと譲歩を見せたことに、星之宮は悔しげに唇を噛み、真島の表情もまだ晴れなかった。

 

 彼は鋭い視線を月城へと突き刺し、さらに踏み込んでいく。

 

「……もう一つ、ご報告があります。現場に急行し、事態を確認した二年Aクラスの藍染惣右介が、私へある問いかけをしてきました」

 

「ほう。あの彼が、ですか。なんと?」

 

「我々教員が、この無人島でGPSを所持しているかどうか。そして、システム側から『GPSデータの改竄』が可能かどうか、です」

 

 真島の言葉に、室内の空気が僅かに張り詰めた。 

 

「理事長代理。彼は明確に、生徒だけでなく『システムに干渉できる大人』の関与を疑っています。……何か、思い当たる節はありませんか?」

 

 真島の追及は、月城自身を疑っていると言外に告げていた。

 

 しかし月城は、表情一つ崩すことなく、わざとらしく小さく息を吐く。

 

「ありませんねぇ……。我々教員が、愛すべき生徒に直接危害を加えるなど、あってはならないことでしょう。ですが、GPSで位置情報を取得できない人間を論理的に疑っていくのは、自然な流れとも言えます。……彼には余計な心労をかけてしまいましたね。試験終了後、藍染くんには私から直接、誤解を解くための弁明をしましょう」

 

 月城の言葉に嘘は見抜けない。真島はなおも月城を疑うような鋭い視線を向けたままだったが、それ以上の追及はできないと判断したのだろう。

 

「……分かりました。我々は、これで失礼します」

 

 真島と星之宮が一礼し、退出していく。

 

 二人の足音が完全に遠ざかった後――月城は、常に貼り付けていた余裕の笑みをふっと消し去り、冷ややかな瞳で虚空を見つめた。

 

(……やってくれましたねぇ、八神くん)

 

 月城の内心に渦巻いていたのは、身の程を知らないホワイトルーム生に対する呆れと、薄暗い苛立ちだった。

 

 

 八神から事前に提案されていた作戦は、こうだった。

 

 一年生の中で『綾小路清隆を退学させる特別試験』を知る生徒たちの腕時計をあらかじめ破壊し、証拠を残さずに多人数で綾小路を襲撃。彼を負傷させてリタイアに追い込み、船へと連れ戻す。そして、船で待機している月城と司馬の二人がかりで、傷ついた綾小路を拘束し、無理やりホワイトルームへ連行するというものだ。

 

 その襲撃の際、他グループからの救助や横槍を防ぐため、綾小路と当時彼の近くにいた龍園のGPSを、指定した時間帯だけオフにするよう月城は頼まれていた。

 

(有象無象の一年生たち程度で、あの最高傑作を仕留めることなど到底不可能でしょうが)

 

 月城は内心でそう冷ややかに評価しながらも、八神の提案を了承していた。本気で成功するとは思っていなかったが、有象無象の手駒を使って少しでも綾小路の体力や気力を削ることができれば、自身の計画において有効に働くと打算を働かせたからだ。

 

 それが、まさか。

 

(綾小路くんを直接排除するためと言いながら、まさかこの私まで己の計画のために利用しようとするとは。私に都合良くGPSデータを改竄させ、あろうことかその状況を利用して『藍染惣右介の怒り』をコントロールしようなどと……あまりにも傲慢で愚かしい)

 

 そもそも、八神はすでに月城の指示を無視し、何度も命令違反を犯している。

 

(ホワイトルームの最高傑作を排除するという使命を履き違え、己の身勝手な執着に走る不良品……彼はもう、廃棄処分でしょうね)

 

 月城自身も、この無人島特別試験が終われば、間もなくこの学校を離れることになる。だが、問題はその後だ。

 

(このまま放置して藍染くんに私が首謀者の一人だと断定されれば……将来的に、私はあの男の影に怯えて生きることになるでしょう)

 

 月城は、これまでの人生で、数々の異常な人間を見てきた。だが、藍染惣右介という存在が放つ、底知れぬ威圧感と深淵のような思考は、ホワイトルームのカリキュラムすらも凌駕する異質なものだ。

 

 もし本気で彼を敵に回せば、月城とて無事では済まないという確信があった。

 

(彼ならば、いずれ自力で犯人――八神くんに辿り着くでしょうが……もしもの時は、文字通り八神くんの命そのものを対価として差し出し、藍染くんの怒りを鎮める必要がありそうですね。私の身の安全を担保するためならば、安いものです)

 

 冷酷な計算を巡らせながら、月城は深く静かな溜息を吐き出した。

 

 

 

     

 一方、その頃。

 坂柳との会談を終えた私は、深夜の無人島の森を疾走していた。

 

 向かう先は、私たちが本来キャンプを張っていたエリアである【D4】。

 

 足場は悪く、視界は最悪だ。だが、私の身体能力と夜目をもってすれば、木々の隙間を縫うように最高速度で駆け抜けることなど造作もない。

 

 仲間たちが待つ場所へ、ひよりが不安な夜を過ごしている場所へ。

 

 私は一切の迷いなく、一直線に暗闇を切り裂いていった。

 

 

 拠点へ到着すると、時刻はすでに日付を跨ぎ、深夜一時を過ぎていた。

 

 だが、暗闇の中で微かに揺れる焚き火を囲むようにして、グループのメンバーは誰一人眠ることなく私を待っていた。その面持ちは一様に沈痛で、重苦しい空気が漂っている。

 

 私が木々の間から姿を現すと、いち早く一之瀬が弾かれたように顔を上げた。

 

「っ……! 藍染くん!」

 

 声を上げた一之瀬の肩が、直後にビクリと震える。彼女だけではない。他の面々も目を見開き、本能的な恐怖からか僅かに息を呑んでいた。

 

 私としては感情を完全に抑え込んでいるつもりだったが、奥底で渦巻く深く黒い怒りが、無意識のうちに氷のような重圧となって漏れ出していたのだろう。

 

 だが、ひよりだけはただ一人、その重圧に気圧されることなく、真っ直ぐに私のもとへ駆け寄ってきた。

 

「惣右介くんっ……!」

 

 ひよりの瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。仲間である姫野と吉田を深く心配し、同時に、一人で暗闇の森を駆け回っていた私を案じてくれていたことが痛いほど伝わってくる。

 

「……すまない。待たせたね」

 

「現場に急行してくれたこと、感謝する。何か分かったことはあるか?」

 

 葛城が、肌を刺すような重圧に耐えるように硬い表情のまま、真摯に問いかけてきた。

 

 私は彼らを見回し、静かに、だが確かな事実だけを口にする。

 

「……吉田が咄嗟に姫野を庇ってくれていなければ、最悪の事態を招いていた可能性がある。だが、既に犯人の目星はついている。朝になれば、犯人も故障した腕時計を交換するだろう。その後、GPSサーチで現在地を特定し、私が直接赴いて断定する」

 

「……そうか。吉田には、感謝してもしきれないな」

 

 神崎が、悔しそうに拳を握り締めながら呟く。

 

「惣右介くんも、朝からこれまでずっと走り回っていますし……とりあえず、休みましょう?」

 

「ああ。気遣いありがとう、ひより。皆も今日は早く休みたまえ。遅くまで心配をかけてしまったね」

 

 私が静かに促すと、一之瀬がどこか泣き出しそうな顔で首を振った。

 

「ううん。私たち、何も出来なくてごめんね……。いつも、藍染くんにばかり負担をかけて……」

 

「――姫野にも言ったが、君たちが私の負担になることなどあり得ない。君たち仲間の存在こそが、私を更なる高みへと押し上げてくれるのだから」

 

「惣右介くん……」

 

 私の言葉に、ひよりが胸の前で両手を組み、祈るように私を見上げる。

 

 私は焚き火の炎を見下ろしながら、揺るぎない決意を込めて告げた。

 

「犯人を断罪するのは、私の役目だ。……すぐに気持ちを切り替えろと言っても難しいだろうが、君たちは試験に集中したまえ」

 

「……そうですね。この事件で私たちのグループが勝利を逃せば、姫野さんも吉田くんも、自分の責任だと抱え込んでしまいそうです。私たちは、私たちに出来ることをやりましょう」

 

 ひよりの気丈な言葉に、沈んでいた空気が僅かに前を向いた。

 

「椎名の言う通りだな。俺たちがここで立ち止まることは、彼らにとって重荷になりえる」

 

「ああ。明日に備えよう」

 

 神崎と葛城も深く頷き、私たちは焚き火の始末をして各々のテントへと戻ることにした。

 

 皆がそれぞれのテントへ向かう中、ひよりが僅かに足を止め、私を振り返った。

 

「惣右介くん……少しだけ、よろしいでしょうか」

 

「ああ、構わないよ」

 

 二人きりになると、ひよりは真っ直ぐに私の目を見つめ、静かに口を開いた。

 

「私も……姫野さんたちを傷つけた犯人を、決して許せません。ですが……」

 

 言葉を濁し、不安げに胸の前で両手を握りしめるひより。その瞳に浮かぶ感情を読み取り、私は静かに息を吐いて彼女の言葉を引き継いだ。

 

「――分かっているよ、ひより。私が怒りのあまり、『やり過ぎて』しまわないかと案じてくれているのだろう?」

 

「……はい」

 

 図星を突かれたひよりが、少しだけ困ったように微笑んで小さく頷く。

 

 彼女の目にあるのは、私への恐怖などではない。怒りに身を任せた私が無茶をして、結果として私自身が傷を負ってしまうことを恐れる、温かで純粋な思いやりだった。

 

 私は彼女を安心させるように、優しく微笑んでみせた。

 

「案ずることはない。君や仲間を悲しませるような、見境のない真似は決してしないよ。私が、己を見失って卑小な手段に身をやつすことなどあり得ないからね」

 

 私が穏やかに告げると、ひよりは心底安心したように、ふわりと柔らかく微笑んだ。彼女は私の本質的な優しさと理性を、誰よりも信じてくれている。

 

 ――しかし直後、私の声には氷のような断罪の響きが混じる。

 

「だが、忘れないでほしい。今回の事件は明確な『殺人未遂』だ。単なる『退学』などという、生ぬるい処罰だけで終わらせるつもりはない」

 

 そう言い切る私の目には、もはや一欠片の慈悲もない。胸の奥底で燃え盛る怒りを冷徹な意思で抑え込みながら、私は言葉を紡ぐ。

 

「奴がどんな策を弄し、証拠がないと高を括っていようと関係ない。私がいかなる手段を用いてでも、あの傲慢を根底から粉砕し、自らの口で全ての罪を自白させてみせよう」

 

 私が明日行うのは、単なる暴力や尋問ではない。自白を引き出すための、圧倒的な蹂躙だ。

 

「……法という人間社会の絶対の理によって縛り上げ、己の愚行を檻の中で悔いさせる。それが、身の程を知らぬ者に与えるべき、最も相応しい報いだからね」

 

 冷酷なまでの断罪の意志。しかし、それは決して理性を失った暴走ではなく、真っ当な裁きを下すための、絶対的な強者としての静かなる怒りだった。

 

 それを理解したひよりは深く頷き、私の意志に寄り添うように力強く答えた。

 

「……はい。惣右介くんが感情に溺れることなく、正しい形で裁きを受けさせる道を選んでくださったことに、心から感謝しています」

 

 ひよりの瞳には一切の迷いもなく、ただ私への絶対的な信頼だけが宿っていた。

 

「惣右介くんの優しさも、強さも、私は誰よりも知っていますから。どうか、お怪我だけはなさらないでくださいね」

 

「ありがとう、ひより。安心して休むといい」

 

 ひよりは深く頷き、自らのテントへと入っていった。

 

 彼女の気配が落ち着くのを確認した直後、私の纏う空気は再び極寒のそれへと戻る。

 

 明かりの消えた静寂の森。私は冷たい夜風を全身に浴びながら、頭の中を氷のように研ぎ澄まし、ただ静かにその時を待った。

 

 そして――過酷な夜が、ゆっくりと明けていく。

 

 無人島サバイバル特別試験、八日目。

 鬱蒼とした森の向こうから、圧倒的な蹂躙の幕開けを告げる、決断の朝陽が昇ろうとしていた。

 

 

 

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