いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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百三話

 無人島サバイバル特別試験、八日目の朝。

 私たちは拠点である【D4】エリアで、焚き火を囲み、朝食を取っていた。

 

 だが、その空気は決して普段と同じとは言えない。全員の胸の内に、昨晩リタイアを余儀なくされた姫野と吉田への思いが渦巻いていたからだ。それでも、各々が自分にできることを成し遂げるため、黙々と食事を進めて準備を整えていく。

 

 やがて、午前七時。タブレットに第一回目の指定エリアが通知された。

 

「君たちは先に向かいたまえ。私は坂柳からの連絡を待つ」

 

「ああ。試験の方は任せてくれ」

 

 私の言葉に葛城が頷き、皆が出発の準備を整える。

 

 拠点を出ようとする彼らを見送りながら、私はひよりに向けて優しく声をかけた。

 

「気をつけるんだよ、ひより」

 

 すると、ひよりはスッと私の前に進み出て、私の両手を自身の手で温かく包み込んだ。

 

 そして、真っ直ぐに私の目を見上げる。

 

「はい。惣右介くんも……どうかお気をつけて」

 

 その温かな手と、微かな微笑み。そこには、私の身を案じる思いと、私がいかなる決断を下そうとも信じ抜くという、絶対的な信頼が込められていた。

 

「ああ。試験の方は君たちに任せるよ。……信じている」

 

「はいっ」

 

 神崎たちとも無言で頷き合い、私は彼らの背中を静かに見送った。

 

     

 拠点に一人残った私は、焚き火の跡を眺めながら坂柳からの通信を待った。

 

 おおよそ一時間ほどが経過した頃、私のトランシーバーから短いノイズと共に彼女の冷静な声が響く。

 

『――おはようございます、藍染くん』

 

「おはよう。手筈通りに頼むよ」

 

『はい。既に一年生たちも故障した腕時計の交換を終えたようで、GPSサーチでの探知が可能になっています。まずは本命である八神くんや天沢さんは後回しにして、他の一年生たちと接触し、事件への関与や証拠となり得る証言がないかの確認から始めましょう』

 

 坂柳の淀みない状況報告に、私は短く肯定を返す。

 

『それから……未だに藍染くんを包囲しているグループがありますが、対処はどうされますか? こちらから手を回して、彼らの動きを牽制する必要はありますか?』

 

 坂柳の言う通り、私の周囲にはCクラスとDクラスの同盟グループ――石崎やアルベルトたちの姿が散見されていた。彼らは相変わらず、私を特定のエリアに足止めしようと包囲網を敷いているらしい。

 

「――必要ないよ」

 

 私は短く答え、通信を切った。坂柳からの的確なナビゲートを受け、私は最初の標的である【E3】エリアに向けて歩き出す。

 

 私が包囲網の隙間を抜けようと動き出すと、待ってましたとばかりに石崎たちが木々の陰から姿を現し、私の行く手を塞いできた。

 

「藍染!今日こそ大人しく――」 

 

 得意げに声を張り上げようとした石崎を、私は立ち止まることすらなく、一瞥した。

 

「――邪魔だ」

 

 ただ一言。

 

 意識的に抑え込むのをやめた、深く黒い怒りの一端。それが目に見えないほどの重圧となって、周囲の空間を支配した。

 

「っ……!?」

 

 石崎の表情が凍りつく。巨漢のアルベルトでさえも、本能的な恐怖に当てられたのか、目を見開いて後ずさり、巨体を小刻みに震わせていた。

 

 彼ら自身に悪意がないことは分かっている。だが、今の私に彼らと遊んでやるほどの余裕はなかった。

 

 私は恐怖に立ち竦む彼らの脇を静かに通り抜け、一切の妨害を受けることなく森の奥へと歩みを進めた。

 

 

     

 坂柳の指示通り【E3】エリアへ到着すると、程なくして単独で歩く七瀬の姿を捉えた。

 

 私の接近に気づいた七瀬が足を止め、不思議そうに小首を傾げる。

 

「藍染先輩……? 珍しく、お一人なんですね」

 

 警戒心のない、純粋な疑問。私は彼女との距離を詰めながら、前置きを全て切り捨てた。

 

「単刀直入に聞こうか。昨晩、君たち一年生の六人が、同時に腕時計を故障させてGPSの情報を遮断していたことは知っている」

 

「っ……!」

 

 私の言葉に、七瀬の表情が明らかな動揺に染まる。

 

 その瞳の奥には、強い混乱が見て取れた。

 

(なぜ、藍染先輩がそのことを……? 八神くんも綾小路先輩もリタイアしていないようですし、作戦の決行自体、中止になったのでは……?)

 

 天沢から受けた作戦の説明に対し、『はっ、そんなんであいつが退学になるとは思えねえがな』と宝泉は鼻で笑っていた。だが、作戦の成否に関わらず、巨額のプライベートポイントが支払われるという条件だったため、七瀬も彼と共に腕時計を壊すことに同意していたのだ。

 

「誰の指示だ?」

 

「……それは……」

 

「君が何を考えているのか、凡そ察するがね。昨晩、私のクラスメイトが何者かに襲撃され、リタイアに追い込まれた」

 

 私の言葉に、七瀬がハッと息を呑む。

 

「その時刻、付近にGPSの反応は一切なかった。意図的にGPSを切るなどして探知できなかったのは、君たち一年生の六人だけだ。……さて、もう一度聞こうか。誰の指示で腕時計を壊した?」

 

 私がゆっくりと歩み寄ると、無意識に漏れ出す重圧に晒され、七瀬は気丈に振る舞おうと両拳を握りしめた。しかし、その華奢な体は本能的な恐怖に小刻みに震えている。

 

(藍染先輩のクラスメイトが襲撃された……!? そんな、あの作戦にそんな説明は……!)

 

 激しく動揺し、言葉を詰まらせる七瀬に対し、私はさらに一歩踏み出した。

 

「――聞こえなかったのかな?」

 

「っ……い、言えません……! な、仲間を売ることなど……っ」

 

 恐怖に震えながらも、七瀬は必死に顔を上げ、私を睨み返してきた。

 

 その愚直なまでの真っ直ぐな瞳。

 

(……この反応。彼女自身は、昨晩の襲撃事件には関与していないな。やはり宝泉と七瀬は、真犯人を特定されないために利用されただけのようだ)

 

 私を前に、本能的な恐怖に震えながらも『仲間を売らない』と言い放つような愚直な人間が、無関係の生徒を闇討ちで害するような卑劣な真似に加担するとは考えにくい。

 

 彼女たちを利用し、腕時計を壊すよう指示を伝達したのは、同じ小グループを組んでいる天沢と見て間違いないだろう。

 

 これ以上、彼女を問い詰めたところで得るものはないと判断した私は、重圧を収めた。

 

「……そうか。邪魔したね」

 

 私はそれだけ言い残し、彼女から背を向けて歩き出した。

 

「はぁ……っ、ぁっ……」

 

 私が離れた直後、背後から七瀬が膝をつき、荒い呼吸を繰り返す音が聞こえてきた。

 

(息が、できなかった……。天沢さん……貴方は一体、何を……?)

 

 そんな七瀬の困惑を置き去りにして、私はトランシーバーのスイッチを入れる。

 

「――次だ」

 

『分かりました』

 

 坂柳の即答を受け、私は次なる標的のもとへ向けて、再び森を駆け抜けた。

 

 

 

 

 

 坂柳のナビゲートに従ってエリアを進むと、程なくして警戒しながら歩く男女の姿を捉えた。

 

 宇都宮陸と、椿桜子だ。

 

 私が木々の間から静かに姿を現すと、宇都宮はハッと息を呑み、咄嗟に椿を庇うようにして私の前に立ちはだかった。その背後に隠れる椿の体は、私から漏れ出している重圧にあてられたのか、小さく震えている。

 

 私は七瀬の時と同様に、手短に事の次第を問いただした。

 

「……八神くんからの指示です。内容は言えませんが、私たちにとっても『メリット』があると考えたので、腕時計を壊すことに同意しました」

 

 私の重圧に耐えながら、椿は淡々とそう証言した。

 

 七瀬のグループは天沢が、そしてこの椿のグループは八神がそれぞれ暗躍し、腕時計を壊すように仕向けていたわけだ。

 

(やはり、本命は天沢と八神の二択だな。昨晩、清隆と龍園のGPS情報までもが不自然に探知できなかったことからも、奴らは月城すらも利用していると見た方が良さそうだ)

 

 現場に残された痕跡から、襲撃の実行犯が単独であることは既に確信している。だが、この二人が裏で結託した共犯なのか、それとも……。私は冷静に思考を巡らせる。

 

 これ以上の有益な情報は引き出せないと判断し、彼らから背を向けて立ち去ろうとした、その時。

 

「藍染先輩……一つだけ、質問させてください」

 

 震える声を必死に押し殺し、椿が私を呼び止めた。

 

 私は足を止め、肩越しに彼女を振り返る。

 

「なんだ?」

 

「……『雪』についてどう思いますか?」

 

(……何の意図がある質問だ?)

 

 この状況において、あまりにも唐突で脈絡のない問い。

 

 だが、私を前にして怯えていた彼女が、それでもなお振り絞った言葉だ。少しばかり彼らを威圧してしまった負い目もあり、私は纏っていた重圧を緩め、素直な感想を口にした。

 

「……そうだな。美しいと思うよ」

 

 その言葉に、椿は僅かに目を見張り、やがて何かを納得したように小さく息を吐いた。

 

「そうですか……。引き止めてしまって、すみませんでした」

 

 私はそれ以上追求することはせず、再び前を向いて森の奥へと歩き出した。

 

 木々の間を抜けながら、私の脳裏に先ほどの椿の姿がフラッシュバックする。

 

(……どこかで……)

 

 椿桜子という少女の面影に、ふと懐かしい記憶の欠片が重なり合った気がした。

 

(……いや、まさかな。それに、今はそれよりも優先すべきことがある)

 

 ふと湧き上がった淡い感傷をそっと心の奥にしまい込み、私は目前の現実へと意識を引き戻す。 

 

 今は、仲間たちのために為すべきことがある。思考を切り替え、私は静かにトランシーバーのスイッチを入れた。

 

『七瀬さんたちからは、何か情報は得られましたか?』

 

「七瀬は最後まで口を割らなかったが、状況から見て彼女たちを利用した指示役は天沢で間違いないだろう。そして椿のグループは、八神から直接腕時計を壊すよう指示を受けていた。……今の椿たちとの会話は私のタブレットで録音してある。はっきりと八神の名を出した彼らの音声だ」

 

 カメラもGPSもない暗闇の森での出来事だ。これが直接的な傷害事件の決定的な証拠になるわけではないが、盤面を詰めるための状況証拠としては機能するだろう。

 

『流石ですね。直接的な襲撃の証拠にはなりませんが、彼らが意図的にGPSの死角を作り出したという『状況証拠』としては十分有効です。言い逃れを塞ぎ、彼らを追い詰めるための強力なカードになりますね』

 

「ああ。外堀は埋まった。次は、天沢の現在地を教えてくれ」

 

『分かりました。天沢さんですが――』

 

 いよいよ、事件の核心へと迫る。

 

 私は次なる標的の座標を聞き逃さぬよう、トランシーバーからの声に耳を澄ませた。

 

 

 

 

 指定されたエリアに差し掛かると、木陰で退屈そうに佇む少女――天沢一夏の姿を捉えた。

 

 私の接近に気づいた天沢が、振り返りざまに愛想の良い笑みを浮かべる。だが、直後に彼女の表情が僅かに強張った。

 

(……? なんか、いつもと雰囲気が……)

 

 天沢の瞳に警戒の色が走る。だが、彼女は持ち前の演技力でそれを悟らせまいと、表面上はいつもの小悪魔のような態度を取り繕った。

 

「あーっ、藍染せぇんぱい! 珍しいですね、お一人ですかぁ? 椎名先輩は一緒じゃないんですか?」

 

 甘ったるい声で媚びるように問いかけてくる天沢。

 

 私は彼女の軽薄な態度に一切の反応を示さず、冷徹に事実だけを突きつけた。

 

「昨晩、君が七瀬と宝泉の腕時計を壊したようだね」

 

「……」 

 

 私の言葉に、天沢の笑顔がピタリと止まる。

 

(どういうこと……?なんで藍染先輩がそのことを……)

 

 内心で動揺しているのが、その僅かな間から読み取れた。

 

「私はすでに、君と八神が清隆を退学させるために送り込まれた、ホワイトルームの刺客だと確信している」

 

「っ……!」

 

 今度こそ、天沢が目を見開き、息を呑む。

 

 自身の最大の秘密を看破されたことで、彼女の余裕は完全に崩れ去った。

 

「だが、そんなことは今はどうでもいい」

 

 最大の秘密を一蹴され、言葉を失う天沢を冷たく見下ろす。

 

「問題は、神にでもなったつもりで私と清隆を潰し合わせようなどと企て、私という存在を盤上の駒とするために……私の大切な仲間に手を出したことだ」

 

「……は?」 

 

 私が静かに、しかし確かな怒気を込めて言い放つと、天沢は完全に固まった。

 

(……しまった……っ!)

 

 天沢の表情が、驚愕から血の気の引いた蒼白へと変わっていく。

 

 その反応を見た瞬間、私の中で最後のピースがカチリとはまった。

 

「成程。君も利用されているだけのようだね。……八神の単独犯か」

 

「っ……! 待ってください、藍染先輩! 一体何が――」

 

 天沢が慌てて言葉を紡ごうとするが、私はそれを遮るように一歩踏み出した。

 

「神をも恐れぬその傲慢……自らの浅知恵に溺れ、身の程も弁えずに私を謀ったこと。そして何より、私の大切な仲間を闇討ちで崖から突き落としたこと……決して、赦すわけにはいかない」

 

 私が紡ぐ言葉と共に、周囲の空気が重く沈み込んでいく。

 

(……あのバカ! 何やってんの!?)

 

 天沢は心の中で、激しく八神を罵倒した。

 

 生徒会という場で、一番藍染先輩と接触する機会があったはずなのに。何故、この人の底知れぬ恐ろしさを理解していないのか。何故、この怪物の『逆鱗』に触れるような愚行を犯したのか。

 

「……っ」

 

 それでも天沢は、同じ施設で育った大切な同期である八神を庇うため、震える足に鞭打って私の前に立ちはだかろうとした。

 

「――払う埃が一つでも二つでも、目に見える程の違いはない」

 

 私は一切の容赦なく、彼女を見下ろした。

 

 仲間を傷つけられた私の怒りは、とうに頂点に達している。溢れ出す重圧は物理的な質量すら伴っているかのように大気を歪め、周囲の木々が悲鳴を上げていると錯覚するほどの威圧感となって天沢に襲い掛かった。

 

「二度は言わない。――退きたまえ」

 

「あ……っ、ぁっ……」

 

 圧倒的な力の格差。

 

 抗うことなど到底不可能な死の気配に当てられ、天沢はそのまま力なくその場に膝をついた。

 

 もはや彼女の瞳に、ホワイトルーム生としてのプライドや余裕はない。ただ、圧倒的な超越者を前にした一人の少女としての、本能的な恐怖だけがあった。

 

「ど、どうか……命だけは、勘弁してあげてください……っ」

 

 震える声で、涙ながらに懇願する天沢。

 

 私はその姿を一瞥すると、彼女をその場に残して静かに背を向けた。

 

 歩き出しながら、私はトランシーバーのスイッチを入れる。

 

「――坂柳。天沢も利用されているだけのようだ。いよいよ本命だ……八神の元へ案内を頼むよ」

 

 少しの間があった後、通信越しに坂柳の微かに緊張を帯びた声が返ってきた。

 

『……分かりました。……どうか、やり過ぎないで下さいね』

 

 彼女には見えていないはずだが、私の声に滲むただならぬ怒りを感じ取ったのだろう。

 

 私は歩みを止めることなく、淡々と答える。

 

「――安心したまえ。ただ圧倒的な力で蹂躙するだけだ」

 

 当然、八神を殺すつもりなど毛頭ない。私の目的はあくまで、彼を法という理のもとで裁きを受けさせることだ。

 

 だが、そのためには一切の逃げ道を塞ぎ、その傲慢な心を完膚なきまでにへし折って自白させる必要がある。

 

(そして……月城、清隆の父親。全ての元凶もいずれ、必ず引きずり下ろしてやる……)

 

 心の中で静かに、しかし冷酷な決意を固めながら、私は次なる標的――八神拓也の元へと歩みを進めた。

 

 

 

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