いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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百五話

 すっかり陽も落ち、暗闇に包まれた無人島を抜け、私は八神を伴って本部付近に設営された坂柳の拠点へと到着した。

 

 そこには、坂柳有栖と、GPSサーチで協力をしてくれた橋本、初川、津辺のグループが待機していた。

 

 拠点に近づく私たちの姿を認めるなり、三人の視線が私の前を力なく歩く八神へと鋭く突き刺さる。

 

「っ……! こいつが……!」

 

 津辺がギリッと奥歯を噛み締め、怒りを露わにする。

 

 初川は、大切な友人である姫野を無残に傷つけられたことへの深い悲しみと、行き場のない怒りに拳を強く握りしめ、八神を睨みつけていた。

 

 橋本もまた、普段の飄々とした態度は鳴りを潜め、冷徹な目で事態を静観している。

 

 八神は彼らの視線にすら怯え、存在しない身体の痛みを庇うようにビクビクと肩を揺らしていた。

 

「お疲れ様でした、藍染くん。……私も共に向かい、証言に協力します」

 

 坂柳が静かに歩み寄り、杖をつきながら申し出る。

 

「ああ。頼むよ」

 

 私は短く応じ、再び八神を前へと歩かせた。

 

 坂柳と共に本部の中心、教員たちが待機している大型テントへと向かう。

 

 

 テントの入り口に立つスタッフに声をかけ、真島先生と星之宮先生を呼ぶように頼んだ。

 

 程なくして、ただならぬ空気を察した二人の教師が姿を現す。

 

「藍染くん……それに坂柳さんも。こんな時間に揃ってどうしたの……って、八神くん?」

 

 星之宮先生が、怯えきった表情で私の足元に崩れ落ちるようにへたり込んだ八神を見て、息を呑む。真嶋先生もまた、鋭い視線を私へと向けた。

 

 だが、二人の教師はすぐに、八神の身体に泥汚れはあるものの『怪我一つない』ことに気がついた。

 

「……藍染。一体何があった?」

 

「八神から、学校側に言うべきことがあるそうだ」

 

 私が冷たく見下ろすと、八神はビクッと肩を震わせ、教員たちに向けて狂乱したように口を開いた。

 

「じ、自首します……!! 昨晩、姫野先輩を崖から突き落としたのは、僕です……!」

 

「なっ……!?」

 

「それに……同じ一年生の椿さんたちを脅して、腕時計を壊すよう指示したのも僕です……!だから、お願いです! 僕を警察に……警察に突き出してください!!」

 

 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、全てを独白する八神。

 

 星之宮先生と真嶋先生は信じられないものを見るように絶句し、やがて激しい怒りに全身を震わせた。

 

 だが、二人は教育者としての理性を辛うじて保ち、感情のままに怒鳴りつけるような真似はしなかった。

 

「……それから、一年生の椿と宇都宮が、八神から腕時計を壊すように指示されたと証言している録音もある」

 

 私はタブレットを取り出し、二人に提示する。

 

 すかさず、隣に立つ坂柳も口を開いた。

 

「事件直後、GPSサーチを何度もかけましたが、八神くんを含む一年生六人の反応が探知できませんでした。この録音と八神くんの自供と完全に符合します」

 

「……」

 

 真嶋先生が険しい表情のまま、録音を受け取る。

 

「八神以外の一年生は、彼に利用されていたに過ぎない。私としては、彼らへの厳罰は望まない。……だが」

 

 私は再び這い蹲る八神を見下ろし、冷徹な声で告げた。

 

「八神に関しては、単なる退学などという学校内の処罰で済ませるつもりはないだろうね?」

 

「当然よ」

 

 即座に答えたのは、星之宮先生だった。その声には、隠しきれない怒りが滲んでいる。

 

「被害者の証言。GPSを工作した明確な計画性。そして、崖から突き落とした上に救護もせず放置して立ち去っている。……これは、殺人未遂が適用されるべき凶悪事件よ」

 

「ああ」

 

 真嶋先生も重々しく頷く。

 

「とりあえず、これから月城理事長代行の元へ行き、状況を報告した上で、警察へ連行するように手配する」

 

「ならば、少しだけ時間を貰えないだろうか」

 

 踵を返そうとした真嶋先生に対し、私は静かに要求した。

 

「私と月城、それから八神の三人だけで……少し話をさせてほしい」

 

「……分かった。ついてきなさい」

 

 私のただならぬ気迫と、事件の裏にある事情を察したのか、真嶋先生は短く了承し、私たちを月城のいる本部の施設の一室へと案内した。

 

 真嶋先生が重い扉の前に立つと、私と八神に向かって「ここで待機していなさい」と告げ、一人で中へと入っていった。

 

 

 

 ――その頃、部屋の中では。

 デスクで書類に目を通していた月城理事長代行は、入室してきた真嶋からの報告に、貼り付けたような笑みを完全に凍りつかせていた。

 

「八神による殺人未遂事件」の全容と、「本人の自首」。

 

 その手短な報告を受けた瞬間、月城は内心で激しく舌打ちをした。

 

(……八神くんの浅はかな計画がいずれ露呈することは予想していましたが、まさか一日で特定された上に、自首まで引き出されるとは……)

 

 月城の脳裏に、かつてないほどの焦燥と危機感が渦巻く。

 

 この無人島試験で藍染惣右介を刺激することは避けるべきだった。結果として、ホワイトルームの刺客が『殺人未遂』という最悪の形で警察沙汰を引き起こしてしまったのだ。

 

(今回は姫野という生徒でしたが……もしもこれが、藍染くんの最も大切にしている椎名さんが被害者だった場合、一体どれほど想像を絶する事態になっていたことか……)

 

 月城は背筋に冷たいものが走るのを感じながら、ひたすらに事態の収拾を図るための計算を巡らせていた。

 

 やがて、重い扉が開き、真嶋先生が顔を出した。

 

「……入れ。理事長代行がお待ちだ」

 

「私の前を歩け」

 

 私が冷たく命じると、八神は震えながら、フラフラと部屋の中へ足を踏み入れた。私もそれに続く。

 

 部屋には真嶋先生も残らず退室し、私と月城、そして八神の三人だけとなった。

 

 月城はいつもの胡散臭い笑みを完全に捨て去り、極めて事務的な、そして重苦しい表情で口を開いた。

 

「……真嶋先生から報告は聞いています。八神くんはすぐに警察に引き渡し、法のもとで裁きを受けることになるでしょう」

 

 あっさりと八神を切り捨てる発言。ホワイトルームから送り込まれた少年の末路としては、あまりにも呆気ないものだった。

 

 だが、私はそんなトカゲの尻尾切りで終わらせるつもりは毛頭ない。

 

「――清隆と龍園のGPS探知を切ったのは、お前だろう?」

 

 私のストレートな追及に、月城の肩が微かに跳ねた。

 

「っ……! い、いえ。私もどうやら、八神くんにシステムの権限を悪用され、利用されていたようでして……」

 

「白々しい。そもそも、君たちが清隆を退学させようなどという、くだらない理由でホワイトルーム生を引き入れたことからこの事件に繋がっている。そのことを理解していないのか?」

 

 一切の誤魔化しを許さない私の冷酷な眼差しを受け、月城は内心で冷や汗を流した。

 

(……最悪の場合、文字通り八神くんの命を対価に差し出してでも、彼の怒りを鎮めようと思っていましたが……これは……)

 

 目の前に立つ藍染惣右介の怒りは、八神一人を警察に突き出した程度で収まるようなものではない。月城は自身の命すらも危うい盤面に立たされていることを理解した。

 

「私としても、この学校は気に入っている。今ここで君を葬ることなど容易だが……私自身がこの学校を去ることは望まない」

 

 その言葉に含まれた『お前を殺すことなど造作もない』という絶対的な死の気配に、月城は息を呑んだ。

 

「……分かりました。八神くんを警察に連行後、私もこの件の責任を取り、理事長代行を辞職いたします。……これで、よろしいでしょうか?」

 

「辞職だと? それは当然だろう」

 

 私は鼻で嗤い、一歩、月城のデスクへと近づいた。

 

「……私の大切な仲間を傷つけた『ホワイトルーム』、そしてその運営陣。彼らを赦すわけにはいかないな」

 

 大気が軋み、部屋の空気が一気に重力を持ったかのように沈み込む。

 

「君は、どれだけ情報を持っている?」

 

「っ……!」

 

 月城の顔が蒼白になる。

 

(そうきましたか……! 本当に、余計なことをしてくれましたね、八神くん……!)

 

 月城の内心に、自身の保身すら脅かした八神への強烈な恨みと怒りが沸き上がった。綾小路清隆を連れ戻すどころか、藍染惣右介という最強の化け物を、ホワイトルームそのものの『敵』に回してしまったのだ。

 

「どうした? 言えないのか?」

 

 私の静かな、しかし有無を言わせぬ問い詰めに、月城は苦渋の表情で口を開いた。

 

「……いえ。ですが、私もそれほどホワイトルームの中枢情報を持っているわけではないのです。綾小路先生に雇われてここに来たのは事実ですが……」

 

「……私の前で、そのような安易な嘘が通用するとでも錯覚しているのか?」

 

「……っ!」

 

 私の静かな、だが絶対的な威圧を孕んだ声に、月城の額に一筋の冷や汗が伝う。しかし、彼は学園のトップに立つ者としての意地か、あるいは保身のための必死の抵抗か、無理やり笑みを形作って言葉を紡いだ。

 

「い、いえ……ですが、私は綾小路先生の部下ではありますが、ホワイトルームとの直接的な繋がりはそこまで深いわけではないのです。それに……」

 

 月城は一つ息を呑み、私の目を見返してきた。

 

「ホワイトルームは、政府が極秘裏に存在を認め、発足している施設です。それを潰すとなれば……。あなたはこの国そのものを敵に回すおつもりですか? そうなれば、あなただけの問題では済まなくなります。椎名さんや、あなたのクラスメイトたちも巻き込まれるかもしれませんよ」

 

 焦燥しながらも、私に脅しをかけてくる月城。

 

 ――その瞬間。室内を絶対的な殺意の奔流が支配した。

 

「ひっ……!」

 

 一切の怪我を負っていないはずの八神が、私の全身から溢れ出した悍ましい殺気と重圧に耐えきれず、膝をついて床に伏せる。

 

 月城もまた、息を詰まらせ、顔を激しく引き攣らせた。まるで不可視の巨大な手で心臓を直接握り潰されているかのような、本能的な死の恐怖。

 

「……っ! あ、綾小路先生は……恐ろしい人です……!」

 

 月城は震える声で、必死に言葉を絞り出す。

 

「仮に敵対するならば、あの方は間違いなく……あなたではなく、あなたの周囲の人間を徹底的に狙うでしょう……。あなたが、四六時中彼女たちのそばにいて守れるわけではありません……! ここは、引いておくべきです……!」

 

 私は冷酷に見下ろしたまま、内心で冷静に思考を巡らせた。

 

(……月城の言う通りだ。俺自身がどれほど力を持っていようと、物理的に離れた場所にいるひよりたちを、二十四時間全てこの手で守り切れるわけではない。政府という巨大な権力相手に今すぐ全面戦争を仕掛ければ、確実に彼女たちを危険に巻き込むことになる。……だが)

 

 私の沈黙を「交渉の余地あり」と踏んだのか、月城はすかさず提案を口にした。

 

「ホワイトルームを……綾小路先生を潰したいと考えるならば。あなたも将来、政治家となり、真っ当な『政争』という盤上で潰すべきです。その時が来れば……私は、あなたに協力することを約束しましょう」

 

「……」

 

 今の地位を失う月城にとって、将来的に清隆の父親に一矢報いるための強力な手札として、私に恩を売っておく算段だろう。

 

 私は静かに殺気を収め、重圧を解いた。

 

「……今は、引こう。私も、ひよりたちを無用な争いに巻き込むのは本意ではないからね」

 

「はぁっ……」

 

 月城が安堵の息を漏らす。だが、私は冷たく言い放った。

 

「だが、二度はない。君たちホワイトルームの存在が、再び私の大切なものに手を出した時――その時は、国が相手であろうと、盤面ごと全てを微塵に砕き割る。忘れるな」

 

「……っ、承知いたしました」

 

 深く頭を下げる月城から視線を外し、私は床に這い蹲る八神を見下ろした。

 

「八神」

 

「あ……、あぁっ……」

 

「君は道を誤った。法のもとで裁きを受け、その罪を償え。……だが、君が罪を償い、心を入れ替えて真っ当な人生を送りたいと望むのなら。その時は、私も手を貸そう」

 

「……っ!」

 

 絶望の底にいた彼に与えた、一筋の蜘蛛の糸。

 

 八神が信じられないものを見るように顔を上げたのを背中で感じながら、私は振り返ることなく部屋を退出した。

 

 

     

 外で待機していた真嶋先生に、月城もこの件の責任を取って近々辞職する意向であることを短く伝えた後、私は星之宮先生と共に待機していた坂柳の元へと向かった。

 

「星之宮。後の処理は、教員陣にお任せするよ」

 

「え、ええ……。あのね、藍染くん……」

 

 星之宮先生は、どこか沈んだ顔で私を見つめ、ギュッと拳を握りしめた。

 

「ごめんなさいね。……私のクラスの生徒がこんな目に遭ったのに、教師である私は何も出来なくて……解決まで全部、藍染くんに背負わせてしまって」

 

 自身の教え子である姫野が傷つけられたことへの怒り。そして、大人の自分が何もできず、生徒である私に全てを解決させてしまったことに対する深い負い目。

 

 悔しそうに唇を噛む担任教師に、私は微かに微笑みかけた。

 

「君が気に病む必要はないよ、星之宮。君には君の、私には私の役割があった。それだけのことだ」

 

「藍染くん……」

 

「それに……傷ついた姫野や、クラスの皆の心のケアは、担任である君にしかできない。頼んだよ」

 

「……うんっ。ええ、任せてちょうだい。……本当に、ありがとうね」

 

 私の言葉に救われたように、星之宮先生は少しだけ目を潤ませて力強く頷いた。

 

 彼女に短く別れを告げ、私は坂柳と共に本部を後にした。

 

 月明かりに照らされた夜の砂浜。彼女たちの拠点へと並んで歩く道中、私は坂柳にことの顛末を伝える。

 

「なるほど……。政府の思惑まで絡んでいるとなると、確かに今すぐに真っ向から敵対してしまうのは、得策ではないかもしれませんね」

 

「ああ。私も、少し怒りを制御できていなかったようだ」

 

 私が静かに自嘲すると、歩幅を合わせながら杖をつく坂柳は、ふふ、と優美に微笑んだ。

 

「その『時』が来れば、私も将来、あなたに協力させてもらいますよ」

 

「期待しているよ」

 

 私は夜風を浴びながら、乱れていた己の感情が凪いでいくのを感じていた。

 

「さて。夜の静寂を乱す羽虫は、盤上から掃き捨てた。……姫野や吉田に、これ以上の憂いを感じさせる必要はない。明日からはまた、純粋な遊戯の続きと行こうか」

 

 まるで何事もなかったかのように、あるいは優雅な夜会の続きを楽しむかのように、私は微かに口角を上げて微笑んだ。

 

 坂柳を彼女たちの拠点まで送り届け、橋本たちにも無事に終わったことを伝えた後、私はトランシーバーのスイッチを入れ、ひよりの周波数に合わせた。

 

『……あ、惣右介くん?』

 

「……私だ。済まないね、ひより。少し夜風に当たりすぎたようだ。今からそちらへ戻るよ」

 

 私の落ち着きを取り戻した、いつもの余裕を孕んだ声音を聞いて、通信越しのひよりもほっと息をついたようだった。

 

『お疲れ様でした。……あの、惣右介くんは、無理してませんか? お怪我とか……』

 

「心配はいらないよ。私にも、そして犯人にも……かすり傷一つ存在しない。彼自身が己の罪の重さに耐えきれず、自ら法の裁きを望んだ。とても平和的な結末さ」

 

 相手の精神を完全に破壊し、存在しない激痛で恐怖のどん底に叩き落とした事実など微塵も感じさせない、涼しげで穏やかな声。

 

「誰一人血を流すことのない、静かな夜の終わりだよ」

 

『よかったです……! 気をつけて帰ってきてくださいね。起きて待っていますから』

 

「……ありがとう。月が隠れる前に、君の元へ帰ろう」

 

 通信を切り、私は夜の森を見据えた。

 

 大切な仲間たちの待つ帰路を、私は静かな足取りで歩き出した。

 

 

 




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