いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
無人島試験、九日目の朝。
テントの屋根を激しく打ち据える、鼓膜を劈くような雨音で私は目を覚ました。
(うおっ、すごい雨だな! 防水のしっかりしたテントで良かったけど……これ、今日の試験はどうなるんだ?)
寝袋から這い出し、少しだけテントの入り口のファスナーを開けて外を覗くと、視界が白く霞むほどの土砂降りだった。
周囲のテントからも、パラパラと仲間たちが顔を覗かせ、入り口越しに声を掛け合う。
「ものすごい雨ですね……」
「ああ。これでは、到底試験どころではない気がするが」
隣のテントから顔を出したひよりの言葉に、葛城が険しい表情で同意する。
「お知らせがあるときはタブレットに通知が来るって説明されてたけど……今日は中止になるのかな?」
「ああ。さすがにこの雨で試験を強行するようなことはないだろう。視界も最悪で足場も泥濘んでいる。体調不良や怪我のリスクが高まるだけだからな」
不安そうな一之瀬の言葉に、神崎が冷静に状況を分析して頷いた。
(うーん。この土砂降りじゃ火も起こせないし、温かい朝ごはんを作るのも無理だね。携帯食料は一応まだ残ってるけど……)
「……天の涙がこうも激しく地を穿つならば、恵みの焔を熾すことも叶わない。我らに残されたのは、乾いた糧を静かに貪るという味気ない選択だけのようだ」
「『この大雨では火を起こせないので、温かい朝ごはんは作れませんね。残っている携帯食料で済ませましょうか』とのことですっ」
私の静かなポエムを、ひよりが即座に、かつ可愛らしく翻訳してみせる。
「そうだね。とりあえず、試験開始の七時まで待とうか! 多分そのタイミングで、運営から通知が来ると思うし……」
一之瀬の提案に全員が頷く。とはいえ、もし万が一にもこの悪天候で試験が続行された場合のことも考えておかなければならない。
(もしもこのまま試験が強行されるようなら、俺一人でサクッと課題をクリアしに行ってくるよ! みんなは風邪とか引いて体調を崩さないように、テントの中でゆっくり休んでて!)
「――仮に盤面が狂気を孕み、この荒れ狂う嵐の中で遊戯を強要するというのなら。我一人で暴雨を切り裂き、星を刈り取ってこよう。……君たちは天蓋の庇護の下、ただ微睡みの刻を享受していればいい」
「『もし試験が強行されたら、私一人で課題に行ってきます。みんなは風邪を引かないように、テントで休んでいてくださいね』とのことですっ。……ですが、それはダメですよ、惣右介くん」
ひよりが完璧な翻訳に続けて、少しだけ頬を膨らませて私を窘めてくる。
「また一人で背負い込んで無茶をするのは、私は反対です」
「ああ、椎名の言う通りだ」
私の身を案じる彼女の眼差しに内心でほっこりしていると、神崎も真剣な顔つきで深く頷いた。
「お前にそんな無理をさせるわけにはいかない。昨日の今日で、これ以上お前ひとりに背負わせるつもりはない。そうなれば、俺と葛城の男子陣も試験に参加する。……一之瀬たち女子陣は、無理をしない方がいいが」
ひよりの優しさと、神崎の気遣いや責任感の強さに感動していると、やがて時計の針が午前七時を指した。
――ピロンッ。
全員のタブレットから一斉に、通知を知らせる電子音が鳴り響く。
画面を確認すると、そこには運営からの全体通達が表示されていた。
『本日は悪天候のため、全試験を一時中断とする。その代わりとして、最終日(十四日目)に得られる得点が全て二倍となる』
「よかった……! 今日はお休みだね」
無理に森を歩き回る必要がなくなったことに、一之瀬がホッと安堵の息を漏らし、神室やひよりも胸を撫で下ろしている。
「どうやら、今日の試験中止の通達と併せて……最新のランキングも開示されたようだな」
タブレットの画面をスワイプした葛城が、鋭い視線を画面へと落とした。
画面に表示されたのは、試験九日目となる本日の朝時点での、全グループの総合順位と得点だった。
『一位:龍園グループ ――345点』
『二位:南雲グループ ――334点』
『三位:藍染グループ ――322点』
『四位:時任グループ ――205点』
『五位:桐山グループ ――202点』
『六位:藤泉グループ ――200点』
七位から十位までのグループ名も連なっているが、事実上、勝負の次元はすでに完全に分断されていた。
六位と七位以下の間にも容易には埋まらない明確な壁が存在しており、何より、上位三グループと四位以下の間には百点以上もの大差が開いている。
しかし、その異次元のトップ争いの中で――私たちは三位へと転落していた。
「やはり、抜かれていたか……」
葛城が悔しそうに眉間を揉む。昨日、私が丸一日試験から離脱していた影響が、如実に数字に表れた形だ。
「ああ。すまない、藍染……。俺たちがもう少し課題をこなせていれば」
神崎が私に対して申し訳なさそうに頭を下げる。
(いやいやいや! むしろ俺が丸一日すっぽり抜けてたのに、これだけ得点を積み重ねてくれてたんだから大健闘だよ!このくらいの差なら、すぐに追い抜けるって!)
「――地に視線を落とす必要はない。私が盤を離れていた悠久の刻の中で、君たちは見事に星を紡ぎ上げた。この程度の僅かな空の隔たりなど、瞬きする間に踏み越えてみせよう」
「『私がいない間も、皆さんがたくさん得点を稼いでくれて感謝しています。このくらいの点差なら、すぐに逆転できますよ』とのことですっ」
私のポエムを、ひよりが完璧かつ前向きな言葉に翻訳して微笑む。
「うん! 藍染くんの言う通りだよ!後半戦で絶対に逆転しようね!」
一之瀬もぎゅっと拳を握りしめ、明るい声で皆を鼓舞した。神崎たちも、その言葉に救われたように小さく頷く。
すると、葛城が少しだけ表情を和らげてタブレットをスクロールした。
「それに、下位のランキングも確認したが……ひどい有様だな。下位十組のうち、実に五組までもが二年C・Dクラスの同盟グループで占められている」
「ああ。こちらの妨害にリソースを割きすぎた結果だろう。ペナルティが現実味を帯びてきた以上、彼らもこれからは自身の得点を稼ぐことに専念せざるを得ないはずだ」
神崎の冷静な分析に、一之瀬も納得したように頷く。
(空の様子を見る限り、この土砂降りも昼くらいには止みそうだな。まあ、これだけ降ったら森の中は泥濘だらけで危険だし、今日の試験が午後から再開されることはないだろうけど。……そうだ! 雨が止んだら、みんなで本部に一旦戻って大浴場でリフレッシュする?)
「――天の慟哭も、陽が天頂に昇る頃には枯れ果てるだろう。泥に沈んだ大地では、神々も新たな遊戯を望まない。……ならば、雨上がりに我らも始まりの地へと帰還し、癒しの泉で禊を済ませようか」
「『お昼頃には雨も止みそうですね。午後からも試験は再開されないでしょうし、雨が上がったら一度本部に戻って、大浴場でリフレッシュしませんか?』とのことですっ」
私のオサレな提案を、ひよりが即座に温泉旅行のようなほっこりした提案へと翻訳してみせる。
「ああ。それはいい提案だな。心身の疲労を抜くには、本部の設備を利用するのが一番だ」
葛城が深く頷き、賛同を示した。
「ええ。それに一度本部に戻れば、有栖とも合流できるわ。後半戦に向けた作戦の擦り合わせもしておきたいしね」
「よしっ、それじゃあお昼に雨が上がるのを待って、みんなで本部に向かおう!」
一之瀬の元気な声で、今日一日の行動方針が決まった。
テントの中でのんびりと雨音を聞きながら、私は静かに思考を巡らせる。
(午後から本部に戻るなら、丁度いい。……雨が上がったら、清隆の元へ行って『月城が理事長代行を辞職』するという事実を伝えておこうか。清隆にとっても、あの男の動向は重要だろうからね)
同じ頃。降り頻る雨の中で静まり返る三年生のテントにて。
タブレットに表示された最新のランキングを見つめ、南雲は静かに口を開いた。
「……二位、か。昨日一日で、藍染たちの得点があまり伸びていないな」
「一応、桐山たちのグループと同じくらいの点数は積んでるみたいだがな。……やっぱり、椎名を抱えての長距離移動で藍染といえど体力の限界が来て、昨日は休んでたとかじゃないのか?」
相馬が推測を口にするが、朝比奈は少し不安そうに首を横に振った。
「でも、藍染くんのGPSが昨日は朝以降、ずっと探知できなかったんだよね。何か、予想外のトラブルがあったのかな……?」
「……ああ。藍染ならば、いくら椎名を抱えていようが、自身のパフォーマンスを落とすような真似は決してしないだろうからな」
腕を組み、テントの天井を見上げていた鬼龍院が鋭い声で同調する。
「鬼龍院の言う通りだ。どうやら、藍染の身に何らかのトラブルがあったようだな」
「チッ……。この無人島こそが、藍染と本気で戦える最高の舞台だと言うのに……。これでは白けるな」
鬼龍院は、強者と全力でぶつかり合う機会を逸したかのような苛立ちを隠そうともせず、忌々しげに舌打ちをした。
そんな彼女の尖った態度に、朝比奈が少しだけ困ったような、だが芯のある声で告げる。
「……でも、私たちだってここまで全力で頑張ってる。三年生の他のグループも私たちをサポートしてくれてるんだよ。みんなのためにも、ここでやる気をなくすようなことはしてほしくないな」
「……ああ。分かっているよ。無粋な態度だった、すまない」
朝比奈の真っ直ぐな言葉に、鬼龍院も自身の激情を抑え込んで小さく頷いた。
「そうだな。なずなの言う通りだ。それに……あいつのことだ。どうせ復帰したら、『丁度いいハンデだ』っていつものように生意気に笑って言うだろうからな」
南雲は、完全な状態の藍染と戦えなかったことへの悔しさと、トラブルへの疑問を腹の底に堪えつつ、獰猛な笑みを浮かべた。
「ああ、違いない。俺たちは四クラス合同の、三年生最強グループだからな。三年生全員のためにも、最後まで全力で挑もうぜ!」
相馬の力強い鼓舞に、南雲たちも静かに闘志を燃やし直した。
一方、二年CクラスとDクラスの精鋭たちで組まれた、現在トップを走る巨大同盟グループ。
「よしっ!! 一位ね!」
ランキングの順位を見た伊吹が、歓喜の声を上げてガッツポーズを作った。
しかし、その手放しの喜びに冷水を浴びせるように、龍園が鋭く睨みつける。
「バカが。騒いでんじゃねえよ」
「はぁ!? 一位よ!? あの藍染たちを抜いたのよ!?」
「龍園くんの言う通りだわ。喜ぶのはまだ早すぎるわ」
食ってかかる伊吹を、堀北が冷静な声で制止した。
「昨日、石崎くんたちを振り切って以降の藍染くんのGPS探知が、一切出来ていない状態だったわ。何かトラブルがあったのか、それとも……」
「単純なトラブルか。あるいは腕時計を破壊して、裏で何か厄介な工作をしていたか……。それは分からねぇな。だが、あの野郎が何もせずに一日を無駄にするとは思えねぇ」
龍園の不気味な推測に、テント内に緊張が走る。だが、綾小路は淡々とした声でそれを否定した。
「惣右介がこの試験において、裏工作を仕掛ける必要がないからな。単純に何らかの避けられないトラブルがあって、試験に参加出来なかったと見ていいだろう。それが何かまでは分からないが」
「チッ。あいつなら、小細工なんてせずに正攻法で叩き潰す方が手っ取り早くて確実ってわけか」
龍園が忌々しそうに鼻を鳴らす。
「でも、藍染くんが一日参加してないにしても、あのグループもしっかり得点を伸ばしてるね」
タブレットの数字を指差し、松下が客観的な事実を告げる。
「惣右介が抜けても、一之瀬と坂柳。A・Bクラスのリーダーがいるからな。強力で隙のないグループには変わりない。……まあ、今日はこの悪天候でもう試験の再開はないだろうが、問題は明日からだな」
綾小路の言葉に、龍園も深刻そうな表情で頷いた。
「ああ。妨害に回していたグループが、軒並み下位に沈み込みつつある。下位三組に入ってるグループは今のところいねぇが、これ以上妨害に回すのは無理だな」
「はっ! つまり、ここからは小細工なしで勝てばいいんでしょ! 勝てば!」
伊吹が開き直ったように、好戦的な笑みを浮かべる。
「……まあ、伊吹さんの言う通りではあるわね。下位のグループの救済は、金田くんと平田くんに指揮を取ってもらって安全圏を目指してもらいつつ、私たちはこのまま一位を走り抜けましょう」
堀北がグループの最終的な方針をまとめ、皆がそれに頷く中。
綾小路だけは、表向きは同意の姿勢を見せながらも、内心で冷徹な推論を組み立てていた。
(惣右介が丸一日抜けたおかげで、彼らを逆転し、ある程度の得点差もつけることができた。……問題は、オレに対する月城や一年生たちの妨害だ)
綾小路の脳裏に、ホワイトルームからの刺客の存在がよぎる。
(……いや。そもそも、惣右介が試験を丸一日放り出していたのも、その件に何か関わりがあるのか? 単純にクラスメイトの体調不良や怪我といった些細なトラブルなら、わざわざ惣右介が腕時計を破壊してまで、あれだけの時間を使う必要がない)
盤面を俯瞰する彼の直感は、見えない真実の輪郭を正確に捉えつつあった。
(だが、こればかりは推測の域を出ない。詳細を知る者に、直接聞かなければ分からないな)
綾小路は静かに目を閉じ、降りしきる雨音の中に思考を溶かしていった。
昼過ぎ。予想通りに雨が上がり、雲の隙間から眩しい陽光が差し込み始めた。
泥濘んだ森を抜け、私たちは本部周辺のエリアへと帰還し、そこで待機していた坂柳と合流を果たした。
「凄い雨だったけど、有栖の方は大丈夫だった?」
神室が気遣うように声をかけると、坂柳は杖をつきながら優雅に微笑んだ。
「ええ、お気遣いありがとうございます。支給されたテントの防水性能が思いのほか高く、非常に助かりました」
「確かにそうね。全学年分、これだけの高性能なテントをあらかじめ用意しているなんて、凄い資金力だわ」
「政府が直接運営している学校だからな。ある程度は、企業も試供品として提供して、過酷な環境下でのデータ取りなどにも活用しているのだろう」
神室の感嘆に、葛城が腕を組んで現実的な推測を述べる。
そんな和やかな会話の後、坂柳は少しだけ表情を引き締め、一之瀬たちに向かって軽く頭を下げた。
「昨日は、私も藍染くんも試験に参加できず、皆様にはご迷惑をおかけしましたね……それに、私も森下さんから報告を受けた時に、少々動揺して、GPSサーチをかなり無駄遣いしてしまいましたし」
「ううん! 謝ることなんてないよ! 藍染くんと坂柳さんのおかげで、姫野さんたちを襲った犯人を自首させることができたんだから!」
一之瀬が坂柳の肩の荷を下ろすように、明るく力強い声で励ます。
(うん! 俺たちも姫野と吉田のためにも、しっかり気持ちを切り替えて、ここから一位を目指して頑張ろう!)
「――過ぎ去った夜の幻影に囚われる必要はない。我らはすでに、夜明けと共に新たな刃を研ぎ澄ませている。傷ついた同胞の魂を背負い、この盤面の頂へと再び昇り詰めよう」
「『姫野さんたちのためにも気持ちを切り替えて、ここから皆で一位を目指して頑張りましょう』とのことですっ」
私のポエムをひよりが即座に翻訳すると、坂柳もふふっと目を細めた。
その後、私たちは本部エリアで温かい昼食を取り、大浴場で身を清めるなどして、心身の疲労をゆっくりと癒した。
落ち着いたタイミングを見計らい、私は立ち上がる。
「少し、野暮用を済ませてくるよ」
仲間たちにそう告げた後、私は自身の端末を取り出し、GPSサーチで一点を消費して『彼』の位置を確認した。そして、泥濘の残る森の中を、常人離れしたスピードで駆け抜けていく。
三十分ほど走った先。そこには、丁度休憩を取っていた龍園と清隆たちのグループがいた。
「っ! 藍染……!? てめぇ、何しに来やがった?」
木々を抜けて現れた私を見るなり、龍園が即座に臨戦態勢をとる。
堀北も鋭い警戒心を露わにし、伊吹に至っては親の仇でも見るかのような物凄い目で私を睨みつけてきた。
(うわっ! めちゃくちゃ警戒されてる! まあ、俺が急に現れたら警戒するよね! ごめんよ!)
内心で平謝りしつつも、私はあくまで涼しげな表情を崩さず、端っこにいる清隆へと視線を向けた。
「――少し、君の耳に入れておきたい事象があってね。私の歩調に付き合いたまえ」
オサレにそう呼びかけると、清隆は僅かに目を細め、警戒しつつも無言で立ち上がり、私に同行した。
龍園たちから十分な距離を取り、周囲に誰もいないことを確認した空間。
清隆は私と一定の距離を保ち、隙のない立ち姿でこちらを窺っている。
(なんだ? 試験で一位を取るために、物理的にオレを潰しに来たのか? ……いや、惣右介がそんなリスクのある真似をするとは思えない。だが、何の用だ?)
清隆が油断なく思考を巡らせているのを感じ取りながら、私は静かに口を開いた。
「……君を盤上に縛り付けていた忌々しい『代行者』は、すでに自ら盤上を去ったよ」
「……っ」
私の言葉に、清隆の瞳の奥が微かに揺れた。
(……なるほど。やはり昨日のトラブルは、月城関連だったのか。だが、なぜこの男が動いたんだ?)
「……そうか。だが、なぜそれをお前が知っている?」
清隆の真っ当な疑問に対し、私は淡々と事実をオサレな言葉で包んで返す。
「愚かにも、私と君を潰し合わせようと目論んだ白き部屋の迷い子が、私の庇護下にある仲間に手を出してね。……故に、犯人を捕らえ、法の裁きを受けさせる手筈を整えた。当然、彼らを放ったあの男にも、管理者としての責任を取らせたまでだ。これで、君の背後を脅かす憂いは一つ消え去っただろう」
(……なるほどな。それなら、惣右介が自ら動く理由には十分だ。ホワイトルーム生も、この男の底知れない力を甘く見積もりすぎたようだな)
「そうか。……お前の仲間は、無事なのか?」
「肉体という器に刻まれた傷はそう深くはない。だが……心に落とされた恐怖の影は別だ。故に、その心の修復は星之宮に託してきた。……私はこれから、残された盤面に集中し、絶対なる頂を獲りにいくよ」
「……」
(ひよりがいないから少し心配だったけど、清隆ならちゃんと伝わってるよね!)
清隆は無言で頷き、私の言葉を間違いなく理解したことを示してくれた。
(でも、油断するなよ、清隆! 月城が去ったからって、完全に安全になったわけじゃないんだから!)
「――だが、決して警戒は怠らないことだ。盤上の塵を一つ払い落とした程度で、遊戯が終わったと錯覚してはいけないよ」
「……どういう意味だ?」
「代行者が盤上から姿を消そうとも、彼が一度撒き散らした幻影が自ずと消え去ることはない。全てを終わらせるには、盤面に残された残滓をも完全に掃討する必要があるのだからね。……無論、その上で踊り続ける『意思を持たない無垢なる駒』ごと、全てを、だ」
「…………っ」
私の言葉を聞いた瞬間、清隆の瞳の奥に、かつてないほどの鋭い警戒の色が走ったのがわかった。全身から隙が消え、張り詰めた空気を纏っている。
(おっ、清隆めちゃくちゃ警戒してるね! うんうん、ちゃんと伝わってるみたいで良かった! 月城が消えた以上、清隆を退学させた場合の賞金を支払う人間もいなくなってるはずだけど、一年生にそれが伝わってるかは別問題だからね! 賞金に釣られて、何も知らない一年生たちはまだ狙ってくる可能性はあるんだから、警戒するに越したことはないよ!)
完璧なアドバイスがしっかりと響いたことに満足し、私はフッとオサレな笑みを浮かべた。
「君の健闘を祈っているよ。――また会おう」
用件は伝えた。私は踵を返し、ひよりたちの待つ本部へと再び足を踏み出し、森の奥へと姿を消した。
去っていく藍染の背中を見送りながら、綾小路は静かに思考を巡らせていた。
(残滓をも完全に掃討する。その上で踊り続ける『意思を持たない無垢なる駒』ごと、全てを……か)
感情で動くことは、時に盤面を読み違える大きな弱点となり得る。だが、惣右介にはそれが当てはまらない。怒りを抱いたまま、最も冷徹で確実な一手を打ち、ホワイトルーム生もろとも月城まで排除してみせた。
しかし、それは彼にとって単なる『塵払い』に過ぎなかったのだ。
(『意思を持たない無垢なる駒』……。それは間違いなく、ホワイトルームで感情を削ぎ落とされたオレたちを指している)
(奴の眼は、既にこの無人島試験など見ていない。月城たちを排除したのも、単なる前座。……奴は、最高傑作であるオレを含めた、ホワイトルームの全てを完全に潰すつもりなのか……?)
先ほどの言葉は忠告ではない。明白な宣戦布告だ。
この学園という盤面を破壊し、自分という最高傑作すらも塵芥のように消し去るという、絶対者の宣言。刺客の側も、彼のその底知れぬ異質さとスケールを全く理解できていなかったのだろう。
綾小路は改めて、藍染惣右介という存在の規格外さと、突きつけられたプレッシャーの重さを噛み締めながら、龍園たちの待つ場所へと静かに歩みを進めた。