いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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百九話

 無人島サバイバル、最終日。

 

 午後十五時の試験終了に向け、得点が二倍となるこの日、各グループの熱気は最高潮に達していた。

 

 私たち藍染グループも、逆転での一位をもぎ取るため、朝からひよりを抱えて疾風の如く課題へと駆け出していた。

 

 

 

 一方、それとは対照的に、森の片隅にひっそりと張られたテントの中。

 

 薄暗い空間に、チュッ、と棒付きキャンディを転がす音が静寂に響いていた。

 

「八神くんがリタイアしたことで、彼との契約もパーになったわね」

 

 椿桜子は気怠げにキャンディを口から離し、淡々と呟いた。

 

「ああ。一年Bクラスの協力は実質的に得られなくなったな。それにあいつが抜けたことで一年生全体のバランスをとる奴がいなくなって、下位に沈んでいるグループが多い」

 

「なんで、藍染先輩の逆鱗に触れるような真似をしたんだか……。動かせるのはうちのクラスで下位に沈んでないグループだけね」

 

「どうするんだ、椿。綾小路を退学させるといっても、リタイアに追い込んだところで意味はないぞ」

 

 一年Cクラスの宇都宮陸が、険しい顔で口を開いた。

 

「あいつは龍園や高円寺という強力なメンバーとグループを組んでいて、常に上位をキープしている。ここで綾小路一人がリタイアしたところで、試験のルール上、退学にはならないはずだ」

 

「ええ、そうね。試験の得点やペナルティで彼を退学にするのが無理なのは最初から分かってたわ」

 

 椿桜子は気怠げにキャンディを口から離し、淡々と答える。

 

「だから、試験のルールではなく『校則違反』で退学にしてもらうの」

 

「……校則違反?」

 

「ええ。試験外での悪質な暴力沙汰よ。そのための劇薬が、宝泉くん」

 

 椿はタブレットのマップに表示された『宝泉和臣』のGPSを指先でなぞった。

 

「宝泉くんに綾小路先輩を襲撃させる。そして、その様子をうちのクラスメイトたちにタブレットで録画させるの。映像はこちらで都合よく編集して、『綾小路先輩が一年生に対して一方的、あるいは過剰な暴力を振るった』という証拠として学校に提出する。退学の懸賞金が懸かっている以上、この特別試験中なら学校側も重く受け止めるはずよ」

 

「なっ……。だが、それでは暴力を振るった宝泉も退学になるんじゃないのか?」

 

「そうね。宝泉くんには『映像の編集で正当防衛にしてやる』って誤魔化してあるけど……学校に提出すれば、間違いなく彼も一緒に退学になるわ」

 

 椿は一切の感情を交えず、冷酷な事実を口にした。

 

「厄介な宝泉くんを処理しつつ、二千万の懸賞金も手に入る。一石二鳥でしょ。……さあ、うちのクラスの生徒を動かして。綾小路先輩を包囲するわよ」

     

 

 

 午前十一時。

 課題に向けて深い森の中を単独で移動していた綾小路の腰元のトランシーバーが鳴り、GPSの監視を担っている金田から通信が入った。

 

『綾小路氏。一年Cクラスの生徒が、綾小路氏の周囲を包囲するように動いています。そして――一年Dクラスの宝泉氏が、猛スピードでそちらへ接近してきています』

 

「……なるほど、ここで仕掛けてくるか。報告感謝する」

 

 綾小路は足を止めずに短く応じる。

 

『すでに山田氏と石崎氏には、そちらへ駆けつけるように連絡しています。宝泉氏に足止めされないよう、うまく回避して課題を目指してください』

 

「ああ。了解した」

 

 通信を切り、綾小路は冷静に周囲の状況を計算した。

 

(すぐにここを離れ、課題を狙おう。一年生たちがどう動くつもりかは分からないが、無駄な暴力に付き合う義理はない)

 

 そう判断し、ルートを外れて歩みを速めようとした矢先――バキバキッ、と太い木の枝を踏み折りながら、信じられない速度で巨体が前方を塞いだ。

 

「見つけたぜぇ! 綾小路ぃぃ!」

 

 好戦的な笑みを浮かべる一年Dクラスの宝泉和臣。

 

(想像以上のスピードで追いついてきたか)

 

 綾小路は静かに息を吐き、立ち止まった。

 

(だが、問題はない。いくら宝泉とはいえ、オレの移動速度についてこられはしない)

 

 暴力に付き合う義理はない。綾小路は即座に見切りをつけ、方向を変えて走り去ろうとした。

 

 しかしその瞬間、周囲の茂みから、包囲網を形成していた一年生たちがパラパラと姿を現す。彼らの手には、一様にタブレットが握られ、そのカメラが綾小路に向けられていた。

 

(……なるほどな。ここに賭けて来たというわけか)

 

 綾小路はその光景から、一年生の真の狙いを即座に看破した。

 

「お前も、背後の人間に利用されているだけだぞ。その映像を学校に提出すれば、暴力を振るったお前も間違いなく退学になる」

 

「あぁ? そんなん関係ねぇさ。俺はてめぇを潰す。それだけだ」

 

 狂暴な笑みを浮かべながら、宝泉は内心で冷たく嗤った。

 

(あの椿とかいう女が、この映像を利用して俺ごと退学にしようとしてるなんざ、ハナから百も承知だっつーの。……それに、てめぇが大グループを組んでる以上、この試験のルールで退学に追い込むのが不可能なことくらい、俺だって分かってんだよ)

 

 そんなことは、今の宝泉にとってどうでもよかった。彼がこの場に現れた理由はただ一つ、以前ナイフの一件で煮え湯を飲まされた因縁のある綾小路清隆を、純粋な喧嘩で完膚なきまでにぶっ潰すためだ。

 

(綾小路をここでへし折った後、周りでコソコソ撮影してる雑魚どもからタブレットを力ずくで全部ブチ壊して回収すりゃ、証拠なんて残りゃしねぇ。……まずはこいつを血祭りにあげて、いずれはあの最上階にふんぞり返ってる化け物――藍染惣右介の首も、この手で直接引っこ抜いてやるよ)

 

 その底知れぬ野心と凶暴性を剥き出しにしたまま、宝泉はタブレットを構える一年生たちを鋭く睨みつけた。

 

「おい、てめぇら。……散れ。俺の邪魔をしたら殺すぞ」

 

 手を出さずにそこで大人しく見ていろという地を這うような凄まじい威嚇。ただ撮影役として配置されていた一年生たちはビクッと肩を揺らし、恐怖で完全に硬直する。

 

(……この隙に逃げるか)

 

 綾小路がそう思考し、地を蹴ろうとした、まさにその時だった。

 

「――待て。深淵に潜む者(アビス・ルーカー)よ」

 

「!?」

 

 不意に横合いから飛び出してきた影。

 

 それは、四位につけている時任グループの池寛治だった。彼は片目を手で覆い、ひどく厨二病なポーズを決めながら、綾小路と宝泉の間に堂々と割って入った。

 

「ここは俺に任せて先に行け! お前には、この盤面で為すべきことがあるはずだ……!」

 

「池……? なぜここに……」

 

 突然のクラスメイトの登場、しかもよく分からない渾名で呼ばれたことに、綾小路は内心で激しく困惑する。

 

(いや……ともかく、これはありがたい)

 

 綾小路は池の言葉に甘え、一瞬の隙を突いてその場から凄まじい速度で走り去っていった。

 

 池が乱入したことで、一年生たちは慌ててタブレットを下ろした。ここで宝泉と池の戦闘を録画したところで、『宝泉が関係のない先輩を一方的に痛めつけている映像』にしかならず、綾小路を退学させる証拠としては全く使えないからだ。椿の作戦は、池の乱入によって完全に破綻した。

 

「あぁ!? てめぇ! 邪魔しやがって!!」

 

 標的を逃した宝泉が、顔を真っ赤にして激昂する。

 

「ククク……。俺はただ、盟約に従い、我が盟友の背を護るのみ……!」

 

「ふざけやがって……! てめぇをサクッと殺って、俺はあいつを追う!」

 

 ボキボキと指の関節を鳴らし、宝泉は凶悪な笑みを浮かべて池へと殴りかかる。丸太のような腕から放たれる、規格外の暴力。

 

 だが、池は逃げなかった。

 

「ふっ……甘いな!」

 

 池は宝泉の拳の軌道を見極めると、正面から受け止めるのではなく、自身の小柄な体格を活かして懐へと潜り込む。そして、突進の勢いを利用して宝泉の腕に纏わりつき、力のベクトルを逸らすようにして彼の体勢を崩した。

 

 それは決して偶然などではない。藍染に泣きついて頼み込み、直々に手ほどきを受けた『護身の技』だった。絶対的な理を持つ藍染の指導は、池の身体の使い方に劇的な変化をもたらしていた。

 

「ククク……。深淵の王たる藍染様より、直々に御業を授かったこの俺が……お前如き脳筋ゴリラにやられるわけにはいかないんでな……!」

 

 体勢を立て直した池は、片手で顔を半分覆いながら、バッチリと厨二病全開のポーズを決める。

 

「あぁ!? 何わけの分かんねぇこと言ってやがる、てめぇ! ぶっ殺すぞ!!」

 

 突然の意味不明なセリフに、宝泉は困惑と苛立ちを入り交じらせながら完全に頭に血を上らせた。

 

 丸太のような腕から怒涛の連撃が放たれるが、池は致命傷をギリギリで避け続け、泥臭く立ち回る。

 

 当然、池に宝泉を倒すだけの決定打はない。だが、彼の目的は初めから勝つことではなく、『時間を稼ぐこと』だった。

 

 殴られ、蹴られ、泥にまみれながらも、池は不屈の闘志で立ち上がり、藍染から教わった力の受け流しを駆使して宝泉に纏わりつき続けた。

 

 

 

 ――そして、十分後。

 

「チッ……! ただの雑魚かと思ってたが、どこまでもちょこまかと鬱陶しい……!!」

 

 息を切らし始めた宝泉が、忌々しげに舌打ちをした直後だった。

 

「宝泉、てめぇそこで何やってんだ!!」

 

「...Are you alright?」

 

 背後の茂みを掻き分け、息を切らせた石崎と、巨躯を誇るアルベルトが駆けつけてきた。金田からの通信を受け、全力でこの場へと急行してきたのだ。

 

「あぁ?」

 

 二人の増援を見た宝泉は、大きく舌打ちをして拳を下ろした。

 

 いくら宝泉でも、これだけ足止めされた上に、アルベルトたち相手に連戦をしていては、綾小路に追いつくことなど不可能だ。

 

「チッ……クソが。今日はこのくらいで勘弁してやる。てめぇら、次会ったら殺すからな」

 

 ついに追跡を諦めた宝泉は、苛立ちを隠しきれない様子で周囲の木を蹴り飛ばすと、そのまま足早に去っていった。

 

「お、おい池! 大丈夫かよ!」

 

「...Don't push yourself too hard, Ike.」

 

 石崎とアルベルトが駆け寄る中、全身泥だらけになった池は膝から崩れ落ち、遠ざかる宝泉の背中を見送りながら荒い息を吐く。

 

 そして、晴れ渡る空を見上げ、ニヤリと口角を吊り上げた。

 

「藍染様……! 俺は、なんとかこの聖戦……やり遂げることができましたぜ……!」

 

 深い森の中に、全身に打撲を負った池の、やり切ったような笑い声が響いていた。

 

「お、おい池、本当に大丈夫なのか? あちこち酷く腫れ上がってるぞ……」

 

 心底心配そうに身を屈める石崎に対し、池はゆっくりと立ち上がり、痛む腕を大袈裟に押さえながらも、フッと不敵な笑みを浮かべた。

 

「案ずるな……。この程度の傷、俺に宿る力を抑え込むための代償に過ぎない。我らの聖戦(試験)に影響はないさ……」

 

「お、おぉ……? そ、そうか……?」

 

 完全に仕上がっている池の世界観と堂々たる態度に、石崎は困惑して引きつった笑いを浮かべるしかない。

 

 そんな石崎たちの反応など気にも留めず、池は遥か遠くの空を見上げ、フッと目を細めた。

 

「……深淵の防衛線は守り抜いた。あとは任せたぞ、我が盟友(時任)よ……」

 

 誰に言うでもなく、一人中二病全開の呟きを漏らす池。満身創痍でありながら、その目はどこまでも真剣で、確かな達成感に満ちていた。

 

 

 

     

 一方、池のおかげで宝泉を振り切ることに成功した綾小路は、再び森の中を単独で疾走していた。

 

 走りながらタブレットを確認すると、I2エリアに新たな課題が出現している。

 

(I2に新たな課題か。距離的にも悪くない。これに向かおう)

 

 即座にルートを計算し、ペースを落とすことなく目的地へと足を向ける。

 

 木々を抜けながら、綾小路の脳裏には先ほどの光景がフラッシュバックしていた。

 

(池に助けられたな。……あいつには、体育祭以降、嫌われているとばかり思っていたが)

 

 自分を庇うように宝泉の前に立ち塞がった池の姿。

 

 クラス内で誰よりも目覚ましい成長を遂げている池が、個人的な感情を完全に捨て去り、純粋にクラスの勝利のために動いてくれたということだろうか。

 

(……それとも、惣右介の指示か?)

 

 ふと、そんな推測が脳裏をよぎる。現在、池が藍染惣右介という男に心酔し、彼の影響を多大に受けていることは周知の事実だ。だが、綾小路はすぐにその考えの矛盾に突き当たった。

 

(いや……月城やホワイトルームの刺客たち諸共、オレという存在そのものを完全に消し去るつもりの惣右介が、そんな救いの手を差し伸べる理由はないはずだ)

 

 綾小路はこれまで、「藍染惣右介はクラスメイトに手を出したホワイトルームの刺客たちを絶対に許さず、オレ諸共、その全てを完全に葬り去るつもりだ」と認識していた。実際、この試験中に彼らの最大の後ろ盾であったはずの月城を辞職へと追い込んだ事実も、その報復の本気度を示す証左だと捉えている。

 

 しかし――そこまで思考を進めたところで、綾小路の心に小さな、だが決して無視できない『違和感』が波紋を広げた。

 

(……オレは何か、あの男の真意について、勘違いをしているのではないか……?)

 

 もし藍染が本当に綾小路の存在ごと消し去るつもりなら、彼に付き従う池が、あのような自己犠牲を払ってまでオレを助けるのは不自然極まりない。むしろ、宝泉とオレが潰し合うのを静観するのが、彼らの目的にとっては最も合理的であるはずなのだ。

 

 これまでの藍染の動きを、綾小路は走りながら頭の中で整理していく。

 

(確かに、特別試験においては容赦なく、圧倒的な力で他クラスを蹂躙してくる。だが、よく考えれば……『オレをターゲットとして潰す』ような直接的な行動には、ただの一度も出ていない)

 

 これまでの特別試験での蹂躙も、すべては『純粋にクラスを勝利に導いている』だけであり、オレ個人を狙い撃ちにするようなものではない。

 

 オレを本気で排除する気なら、もっと効率的で残酷な手段をいくらでも取れるはずなのだ。だが、現実は違う。あの男は常に高みから見下ろし、まるでオレがどう動くかを試しているかのようにすら思える。

 

(……まさか、惣右介は初めからオレを消し去る気などない……? いや、だとしたら、なぜあそこまで威圧的な態度をとり、オレを挑発するような真似を……)

 

 どこまでも底の見えない男の真意。

 

 これまでの自分の前提が根本から崩れ去るような感覚に、綾小路は僅かに眉をひそめた。もちろん、まだ確証は何一つない。あれがただの池の独断であった可能性も十分に捨てきれない。

 

(……今は、目の前の試験に集中するしかないか)

 

 絡み合う思惑の糸を一旦思考の奥底へと沈め、綾小路はI2エリアへ向けてさらに速度を上げた。

 

 深い森を駆け抜ける彼の背中を、容赦のない真夏の太陽が照らしつけていた。

 

 

 

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