いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
試験範囲の大幅な変更という学校側の理不尽な罠を、『過去問の入手』という合法的な抜け道を確保することに成功した1年Bクラス。
あの日の一件以来、放課後の図書室や空き教室で行われる勉強会は、クラスのほとんどの生徒が参加する一大イベントとなっていた。
そんな五月の上旬。
今日の勉強会が一段落し、数人の生徒が雑談を交わしていた時のことだ。
「……あのさ、一之瀬さん。ちょっと相談があるんだけど……」
クラスの女子生徒数人が、不安げな表情で学級委員の一之瀬帆波を取り囲んだ。
「ん? どうしたの? 何か困ったこと?」
「うん……実は最近、Cクラスの男子たちから、ちょっと嫌がらせを受けてて……。すれ違いざまにわざとぶつかってきたり、あからさまに嫌な言葉をかけられたり……」
その言葉に、教室の空気がピリッと張り詰めた。神崎や柴田たちも会話を止め、真剣な顔で女子生徒たちに視線を向ける。
一之瀬は眉をひそめ、困ったように腕を組んだ。
「どうしてそんなことを……。放っておいたら、エスカレートするかもしれないね」
クラスの平和を第一に考える一之瀬にとって、他クラスからの悪意ある干渉は見過ごせない問題だ。
だが、その会話を聞いていた私の隣で、スッと顔を伏せた少女がいた。
――椎名ひよりだ。
彼女は、自分が元々所属していたCクラスの生徒たちが、今の仲間であるBクラスの生徒たちに迷惑をかけていることに、深い罪悪感を抱いているのだろう。
(……ひより。君が責任を感じる必要なんて、微塵もないのに)
しょんぼりとする天使の姿を見て、私の内心に静かな、しかし激しい怒りの炎が灯った。
ひよりを悲しませる要因はこの世から排除しなければならない。Cクラスの不良どもめ、陰湿な嫌がらせでBクラスの精神を削ろうという腹積もりだろうが、そんな三流の策、私の前で通用すると思うな。
(よし、一之瀬たちに具体的な対策を教えてやろう。校内を出歩く時は必ず複数人で行動して隙を見せないこと。そして、何かされたらすぐに端末で録音や録画をして、学校側に突きつける証拠を作ることだ!)
私はゆっくりと立ち上がり、一之瀬たちを見下ろすようにして口を開いた。
「――嘆く必要はない。暗闇に潜む下等なハイエナどもは、群れからはぐれた哀れな羊を狙う習性がある。……ならば、決して一人で闇を歩まぬことだ」
「「「…………えっと」」」
一之瀬と女子生徒たちが、完全にハモった声で動きを止めた。ああ、もう慣れっこだ。
「……そして、ただ怯えるのではなく、その手に『真実を切り取る鏡』を持て。彼らが己の欲望のままに罪を重ねる瞬間を光の下に引きずり出し、二度と立ち上がれぬよう、その首元に刃を突きつけるのだ」
(だからなんで毎回テロリストみたいな物騒な言い回しになっちゃうんだよ!! 首元に刃って、ただスマホで録音するだけだよ!?)
案の定、女子生徒たちは「ヒッ……殺る気だ……」と震え上がってしまったが、ここには最強の翻訳機がいる。
「……一之瀬さん」
ひよりが、少しだけ伏せていた顔を上げ、ニコリと微笑んで口を開いた。
「惣右介くんは、こう仰っています。『一人で出歩くと狙われやすいので、必ず複数人で行動するようにしてください。そして、もし嫌がらせを受けたら、すぐに端末の録音・録画機能を起動して、学校に提出できる確たる証拠を集めましょう』……と」
「「「…………っ!!」」」
ひよりの完璧な翻訳を聞いて、一之瀬たちは「なるほど!!」とパァッと顔を輝かせた。
神崎も深く頷き、「確かに、奴らがいかに狡猾な罠を張ろうと、証拠を押さえられると分かれば迂闊に牙を剥くことはできなくなるはずだ。……さすがは藍染だ、的確な一手だな」と感心したように私を見た。
ひよりも、自分の翻訳でクラスの役に立てたこと、そして何より惣右介がBクラスを守るために動いてくれたことが嬉しかったのか、先ほどまでの罪悪感を拭い去り、誇らしげに微笑んでいた。
こうして、Bクラスは『複数人行動と端末による録音・録画』という防衛ルールを正式に採用することになったのである。
そして、Cクラスからの嫌がらせも落ち着いた、五月中旬の放課後。
私とひよりは、一之瀬たちBクラスの面々と共に、いつものように図書室の奥のテーブルで勉強会を開いていた。
「――おいおい、落ちこぼれのDクラスが図書室で勉強してんのかよ? 似合わねえことすんじゃねえぞ」
静かな図書室の空気を切り裂くような、下品で耳障りな声が響いた。
本から視線を上げると、少し離れたテーブルで勉強していたグループの元に、Cクラスの生徒――山脇という男が、嫌味ったらしい笑みを浮かべて絡んでいるところだった。
絡まれているのは、Dクラスの生徒たちだ。
気の強そうな黒髪ロングの美少女――堀北鈴音や、誰にでも愛想が良さそうなショートヘアの少女――櫛田桔梗。そして、赤髪の不良っぽい男子生徒――須藤健や、池、山内といった面々である。
「あぁ!? なんだとてめえ! もういっぺん言ってみろ!!」
山脇の露骨な挑発に、血気盛んな須藤が激昂し、ガタッと椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。
彼の大きな手が、山脇の胸ぐらを掴みかかる。
「おっ、やるか? やってみろよ不良くん。ここで暴力沙汰起こせば、Dクラスのポイントはさらにマイナスだな!」
「てめぇ……!!」
一触即発の空気。静寂が守られるべき図書室で、暴力事件が起きようとしていた。
「ちょっと待って! 喧嘩はダメだよ!」
その光景を見かねた一之瀬が、即座に席を立ち、足早に彼らの間に割って入った。
Bクラスのリーダーであり、教師陣からの信頼も厚い一之瀬の毅然とした態度に、山脇はチッと舌打ちをした。
「……チッ、Bクラスの優等生様のお出ましか。今日はこの辺にしといてやるよ。せいぜい赤点取って退学にならないように頑張るんだな、落ちこぼれ共」
山脇は須藤を鼻で笑い飛ばし、図書室から去っていった。
怒りが収まらない須藤を、池たちが必死になだめている。
一之瀬は小さく息を吐いた後、顔見知りらしき櫛田に向かって、心配そうに声をかけた。
「櫛田さん、大丈夫だった? ……あ、そうだ。みんな、ちゃんと新しいテスト範囲の勉強は進んでる? 中間テスト、全科目で範囲が大幅に変更になったでしょ?」
その瞬間。
Dクラスのテーブルの空気が、完全に凍りついた。
「……え? テスト範囲が、変更……?」
櫛田が、目を丸くして一之瀬を見つめ返す。須藤や池たちも「は? 何言ってんだ?」とポカンとしている。
どうやら、Dクラスの担任は、この期に及んで試験範囲の変更を生徒たちに伝えていないらしい。
「え、うそ、聞いてないの……!?」
「…………っ!!」
一之瀬の言葉に、誰よりも早く反応したのは堀北だった。
彼女は顔面を蒼白にさせ、ガタッと席を立ち上がった。自分のクラスが完全に学校側の罠にハメられていることに、一瞬で気づいたのだろう。
「一之瀬さん……! 教えてくれて、感謝するわ!」
堀北はノートを乱暴に鞄に詰め込むと、一目散に図書室を飛び出していった。担任に問い詰めるか、対策を練るために走ったのに違いない。
(なんだなんだ、騒がしいな。Dクラスは担任から見放されてるのか? まあ、俺には関係のないことだが……ん?)
私が傍観者を決め込み、再び勉強会に戻ろうとした、その時だった。
慌てて図書室を出ていく堀北たち。
その騒動のテーブルの端――誰よりも目立たない席で、ペンを握ったまま静かに状況を俯瞰している一人の男子生徒がいた。
茶色い髪。感情の起伏が一切感じられない、深海のように虚ろな瞳。
何事にも無関心であるかのように振る舞いながら、その実、場の全てを完璧に把握しているであろうその佇まい。
(…………っ!?)
私の心臓が、ドクンッ、と大きく跳ねた。
見間違えるはずがない。私はその顔を鮮明に覚えていた。
(清隆!! 清隆がいる!! マジかよ、あいつもホワイトルームから出られたのか!!)
幼い頃、あの狂気的な純白の施設で、唯一私と肩を並べるほどの才能を見せ、チェス盤越しに言葉を交わした『旧友』。
私が施設を追放されたあの日、最後に見た彼の寂しげな瞳を、私は忘れたことはなかった。
(よかった……! あいつも無事に外の世界に出てこれたんだな! しかも同じ高校に入学してたなんて、運命すぎるだろ!! 今すぐ話しかけに行こう!! 『久しぶり! 元気だったか!?』って!!)
内心で大興奮し、感動の再会に胸を躍らせながら、私は席を立ち、真っ直ぐに彼――綾小路清隆の元へと歩み寄った。
私が近づいていくと、山内や池たちが「ヒッ」と息を呑んで体を強張らせた。無理もない。ただでさえ威圧感の塊である藍染惣右介が、一切の躊躇なく一直線に自分たちのテーブルに向かってくるのだ。
一之瀬も「えっ、藍染くん……?」と驚いた顔をしている。
その視線の中心で。私は旧友との再会を祝し、最高の笑顔(という名の、魔王の冷笑)を浮かべて、口を開いた。
「――奇遇だね、清隆」
私の静かで、深く、そしてあまりにも傲慢な声が、図書室に響き渡った。
「まさか君も、あの白き箱庭からこの世界へと羽ばたいていたとは。……この混沌とした盤上で、再び君と相見える日が来ようとはね」
(うわああああああ!! またやった!! なんで旧友との感動の再会でこんな厨二病全開のラスボス登場シーンみたいになっちゃうんだよ!! 普通に『久しぶり、元気にしてたか?』でいいじゃん!!)
私のその言葉を聞いて、須藤たちは完全に困惑の渦に叩き落とされた。
『……は? しろき、はこにわ?』
『なんだこいつ……何言ってんだ?』
『綾小路の知り合いか……? つーか、威圧感ヤバすぎだろ……』
しかし。
私の目の前に座る綾小路清隆だけは、微動だにしなかった。
彼はその虚ろな瞳で私を真っ直ぐに見つめ返し、内心で極めて冷静な、そして警戒に満ちた分析を行っていた。
(……やはり、接触してきたか。藍染惣右介)
綾小路は、表情筋を一切動かさずに思考する。
(入学式の日から嫌な予感はしていたが……わざわざ他人がいるこの場で、俺の過去を匂わせる『白き箱庭』という単語を使ってきた。これは、俺に対する明らかな牽制……いや、宣戦布告と受け取るべきか。あの男がオレを連れ戻すための刺客なのか、それとも別の目的があるのかは分からないが……ここで下手にボロを出すわけにはいかない)
綾小路は静かに息を吐き、平凡な高校生を演じつつも、私の言葉の意図を(盛大に勘違いしながら)完璧に汲み取って返答した。
「ああ。……久しぶりだな、惣右介。オレも、ここでお前に会うとは思っていなかった」
(おおおおお!! 答えてくれた!! しかも普通に!! さすが清隆、あの頃と同じで無口でクールなままだ!! 俺のポエムにも動じないなんて、やっぱりお前はすげえ奴だよ!!)
私は内心で感涙に咽び泣きながら、彼を見下ろすようにして告げた。
「……フッ。君のその変わらぬ瞳を見られただけでも、今日のところは満足としよう。……だが」
私はスッと、自分の携帯端末を取り出した。
(せっかく再会できたんだし、連絡先交換しようぜ! 今度一緒に遊ぼう!)
私は胸弾ませながら、「オサレな言葉」を無意識に構築し、紡ぎ出した。
「――次に盤面を挟むその時まで、静寂の中で言葉を交わす手段を持っておきたいものだ。……私と、見えざる糸を繋いではくれないか?」
過剰なまでに研ぎ澄まされた、水面下の繋がりを求めるオサレポエム。
周囲の生徒たちが「見えざる糸……呪いか何かか?」「怖すぎるだろ……」とドン引きする中、綾小路は淡々と自分の端末を取り出した。
(連絡先の交換か……。断れば、この場でホワイトルームの情報をさらに暴露されかねない。表向きは友好的に振る舞いながら、水面下でオレを監視するつもりか。……厄介なことになったな)
「……わかった。構わないぞ」
ピロン、と。
お互いの端末が触れ合い、連絡先の交換が完了した。画面に表示された『綾小路清隆』という文字を見て、私の内心は歓喜のダンスを踊っていた。
「……感謝するよ、清隆。またいずれ、静寂の向こう側で語り合おう」
私は優雅に背を向け、呆然としているひよりたちの元へと戻っていった。
後に残されたのは、圧倒的な存在感を見せつけて去っていく私と、それに臆することなく対応したDクラスの無気力な少年という、あまりにも異質すぎる光景だけ。
「……惣右介くん。あの方、お知り合いだったんですか?」
「ああ。……遠い昔に、同じ空を見上げた男さ」
ひよりの問いかけに答えながら、私は自分の端末を大事そうにポケットにしまった。
ホワイトルームを追放された天才と最高傑作の再会。
一方は「学校生活を共に楽しむ旧友」として再会を喜び。
一方は「己を破滅に導く最凶の刺客」として極限の警戒を抱く。
ひよりという天使を隣に置きながら、転生者・藍染惣右介は無自覚なまま、実力至上主義の教室に潜む「本物の怪物」との奇妙な因縁を再び結び直したのである。
たくさんの感想、高評価ありがとうございます!!!!