いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
豪華客船での優雅なバカンスは、まるで手の中の砂がこぼれ落ちるように、瞬く間に過ぎ去っていった。
無人島での過酷なサバイバル生活が遠い過去のように思えるほど、残された船上での日々は平和で、この上なく充実したものだった。
昼間はプールに足を運び、柴田や渡辺たち男子メンバーと共にビーチバレーで汗を流して大いに盛り上がった。
またある時は船内のラウンジに集まり、一之瀬や姫野たち女子グループが持ち込んだボードゲームで白熱の心理戦を繰り広げた。その際、神崎がまたしても気の昂りから「――賽は投げられた。我らが手で運命の糸を紡ごう」などとポエムを漏らし、一之瀬の無言の圧力によって即座に鎮圧されるというお馴染みの光景も、すっかりAクラスの日常として定着していた。
(いや本当にごめん神崎! でも、クラスを和ませてくれているのは事実だよ!)
私は内心で彼に全力で手を合わせつつ、その温かい喧騒を心から楽しんでいた。
時には清隆に誘われ、船内のカラオケで寛治や時任たちと共にマイクを握る機会があったのだが……そこはまたカオスな空間だった。
「
「フッ……この熱き旋律こそ、兄の魂を震わせるに相応しい」マイクを勧める時任。
そして、そんな彼らのやり取りに応え、清隆が全く感情の籠もらない棒読みながら、恐ろしく正確な音程で歌い上げる光景は、非常にシュールで感慨深いものがあった。
そのギャップに私は内心では腹を抱えて笑いつつも、外面はただ静かにオサレ微笑を浮かべて見守っていた。
そんな寛治や時任との交流で、清隆は微かに、けれど確かな笑みを零していたのだ。
彼の中で芽生えつつある『感情』が、これから彼をどう変えていくのか。楽しみでならない。
そして何より――このバカンス中、私は最愛の恋人であるひよりと、かけがえのない時間を過ごすことができた。
潮風を感じる展望デッキでの静かな読書会。船内の映画館での鑑賞デート。夜の満天の星々の下、手を繋いで語り合った未来のこと。
私の口から無意識に暴発するオサレポエムに対し、ひよりが頬を真っ赤に染めながらも、嬉しそうに微笑み返してくれる。そんな夢のようなひとときが、私の魂を深く癒してくれた。
「――長い夜が明け、目覚めの時が来たようだ。幻惑の揺り籠は役目を終え、我らは再び、混沌の箱庭へと降り立つ」
「ふふっ。楽しいバカンスでしたねっ!二学期からも頑張りましょうね」
ひよりの優しい言葉が、潮風に溶けていく。
客船の甲板に立ち、徐々に近づいてくる人工島――高度育成高等学校の全景を眺めながら、私は静かに目を細めた。
波乱に満ちた無人島サバイバルとバカンスが終わる。とはいえ、我々の夏休みはまだ二週間ほど残されていた。
二学期からは、再び各クラスがしのぎを削る過酷な特別試験の数々が待ち受けているだろう。
(でも大丈夫。俺たちAクラスの絆は、誰にも負けないくらい強くなったからな!残りの夏休みも、二学期からも、みんなで力を合わせて平穏な学校生活を守り抜くぞ!)
来るべき二学期の新たな盤上に思いを馳せつつ――今はただ、残された夏休みの期間が充実した日々となることを願うとしよう。
学校に戻った後の日々は、その願い通り非常に穏やかで充実したものとなった。
無人島の疲れを癒やしつつ、二学期に向けてクラスメイトたちと勉強会を開き、学力の底上げに努める。時には図書室でひよりと共に静かな読書の時間を楽しみ、週末にはケヤキモールのカフェで一之瀬や神崎たちと今後のクラス方針について話し合ったりもした。
そうして英気を養っているうちに、長い夏休みもあっという間に終わりが近づいていた。
八月下旬。
生徒会長である南雲雅の召集により、我々生徒会役員は一斉に生徒会室へと集められていた。
「揃ったようだな。夏休みに呼び出してすまないな」
円卓についた役員たちを見渡し、南雲が労いの言葉をかける。
(この時期に生徒会の全体召集……十月の体育祭に向けた動き、といったところか)
私は内心でそう当たりをつけながら、南雲の次の言葉を待った。
「皆、すでに八神が重大な違反行為をしてこの学校を去ったことは聞いているな。だが、今日集まってもらったのはその件じゃあない。十月に行われる体育祭に向けての重要な会議だ」
「生徒会が深く関与するということは、先の無人島サバイバルのような三学年合同の『特別試験』という位置づけになるのですか?」
そう問いかけたのは一年Aクラスの藤泉要だった。
「いや、クラスポイントは動くものの、体育祭はあくまで体育祭だ。特別試験という名目ではない。それをどう取るかは各々の自由だがな」
「とはいえ、体育祭で私たちが決めることはあるのか? 当日、手が空いた役員が進行の手伝いや見回りをする程度ではないのか」
腕を組みながら鬼龍院が口を挟む。
「ここ数年は種目も大きく変えてなかったようだが、せっかくだからそこもある程度変えてみたいと考えていてな」
「なるほどな。どこまで意見が反映されるかは未知数だが、面白そうだ」
「体育祭の種目も生徒会の権限が……」
堀北が少し驚いたように呟き、一之瀬も身を乗り出した。
「変えるといっても、具体的にどうするんですか?」
「いいか? この学校には体育祭はある。だが、球技大会というものが存在しない。その二つをミックスさせたような、身体能力が低い生徒でも技術や連携があれば一定の活躍が出来るような仕組みにしたいと思う」
その言葉を聞いた瞬間。
(球技大会!?なにそれ!!めっちゃいいじゃん!!)
私は内心で激しい歓喜に打ち震えていた。クラス一丸となってボールを追いかける青春の代名詞。
しかし、そんな大興奮を微塵も顔に出すことなく、私はあくまで優雅に微笑んでみせた。
「フッ。素晴らしい試みだね」
「私も賛成です!活躍できる生徒が増えるのは凄く良いことだと思います!」
私の言葉に続くように一之瀬も明るく賛同し、三年生の桐山や殿河、溝脇といった面々も特に異論はないようだった。
「報酬がどうなるかまでは俺たちが決めることはできないが、種目の案を出すくらいはできるからな」
そうして、会議は球技を取り入れた新種目の選定へと移っていった。
「サッカーやバスケットボールは王道ですが、接触による怪我のリスクも考慮すべきですね」と堀北が冷静に分析する。
「それなら、テニスや卓球とかのネット越しに行う競技なら、男女混合でも組みやすいんじゃないかな? それにバレーボールならクラスの連携も試せるよ!」と一之瀬が提案する。
皆で意見を出し合い、より面白く、かつ公平な競技となるよう白熱した議論を重ねる。
「――盤上の駒が意図せず欠けるのは愚かしい。激しい接触を伴う競技には、それ相応の規定と審判が必須だね」
私も時折、安全面やルールの抜け穴を塞ぐ的確な助言をオサレな口調で挟みつつ、有意義な時間を過ごした。
やがて予定していた時間が過ぎ、会議は終わりの時を迎えた。
「よし。ひとまず出た案はこれで学校側には提出しておく。みんなご苦労だったな」
南雲が解散の指示を出し、役員たちが帰り支度を始める中、彼はふと視線をこちらへ向けた。
「藍染、一之瀬、鈴音。二年生三人は少し残ってくれ」
その声に、鬼龍院が「ほう」と面白そうに口角を上げ、藤泉が深く一礼して退出していく。
静まり返った生徒会室には、南雲と私たち二年生三人だけが残された。
「お前たちに残ってもらったのは他でもない。今後の生徒会についてだ」
南雲はいつもの飄々とした態度を少し引き締め、真剣な眼差しで私たちを見据えた。
「俺たち三年生は、十月の体育祭が終わったタイミングで生徒会を引退し、お前たち二年生に引き継ぎたいと思っている」
(……そうか。もう、そんな時期になるのか)
南雲の口から告げられた『引退』という二文字に、私は内心でひっそりと寂寥感を覚えた。堀北学という偉大な前生徒会長から代替わりし、ここまで駆け抜けてきた日々。その時間がまた一つ終わりを告げようとしているのだ。
「なんだか、寂しくなりますね……」
一之瀬も同じ気持ちだったのか、少しだけ伏し目がちに呟く。
「そう悲観するな。お前たちの時代が来るってことだ。俺も、堀北先輩からこの席を引き継いでからは色々とあったが……今は悪くないと思ってる」
南雲は優しく笑うと、私へと真っ直ぐに視線を向けた。
「藍染。俺としては、お前にこの学校の生徒会長を受け継いでほしいと願っている。もちろん、一之瀬や鈴音が生徒会長になりたいと望むなら正当な選挙になるがな」
次期生徒会長への指名。
その言葉に、堀北は迷うことなく首を振った。
「いえ、私も異論はありません。入学して間もない頃から生徒会副会長として貢献し続けてきた藍染くんを押しのけてまで、私が生徒会長の座に就こうとは思っていませんから」
「私もです!」
堀北の言葉に続くように、一之瀬がパッと顔を上げて満面の笑みを向けた。
「クラスでは、私がリーダーとしてみんなをまとめるのを、藍染くんがいつも支えてくれているから。だから生徒会では、私が藍染くんを全力で支えられるように頑張ります!」
(二人とも……!それに南雲……いや、南雲先輩!)
私に向けられた揺るぎない信頼。それは私の心を激しく揺さぶり、熱いものが込み上げてくるのを感じた。
(俺に任せてください!学先輩や南雲先輩のような、生徒の誰もが誇れる偉大な生徒会長になれるよう、必ず尽力してみせるから!)
私は内心では感極まり、今にも熱い涙を流さんばかりの情熱をたぎらせていた。
そして私は静かに目を伏せ、ゆっくりと息を吐き出すと、オサレで壮大なオーラを纏いながら口を開いた。
「――玉座とは、容易く受け継げるものではない。だが……その空の頂を、君が私に託すというのなら」
そこで一度言葉を切り、南雲の目を真っ直ぐに射抜く。
「――歩みを止めることはしない。先人たちが切り拓いた道を礎に、私がこの箱庭に、誰も見たことのない新たな景色を魅せよう」
それは、重い責任を背負う覚悟を、私なりの最大限で表現した誓いの言葉だった。
「ははっ。大きく出たな。だが、お前らしい」
南雲は満足げに笑声を上げ、私の肩を軽く叩いた。
「正式な引き継ぎは体育祭を終えた後にやる。今日はただ、気持ちの準備だけしといてくれってのを伝えたかったんだ」
「ああ。心得ておこう」
私が涼しげに頷くと、南雲は一つ大きく伸びをしてから、快活な声を出した。
「よし!せっかくだから、今日はこの四人で飯でも食って帰るか。俺の奢りだ」
そうして私たちは、南雲の案内でケヤキモールにあるいつもの焼肉店へと足を運んだ。
香ばしい匂いが漂う店内。テーブルに特上の肉が運ばれてくると、私は誰よりも早く、流れるような動作でトングを手に取った。
(焼肉奉行の俺としては、肉の焼き加減だけは絶対に妥協できないからな!)
私は内心で謎の使命感を燃やしながら、絶妙な手つきで網の上へ肉を並べていく。
「――恐れることはない。私がこの熱を完全に支配し、極上の贄を君たちに捧げよう」
「ただお肉焼いてるだけだよね!? 極上の贄って言われるとなんか怖いんだけど!」
私のオサレすぎる肉焼き宣言に対し、すかさず一之瀬の的確なツッコミが飛ぶ。
「……完璧な焼き加減ね。文句を言う気にはなれないわ」
堀北は私のポエムを華麗にスルーし、小皿に置かれた肉を口に運んで満足そうに頷いた。
「ははっ! 相変わらず藍染の焼肉奉行っぷりは見てて飽きないな。よし、焼きはお前に任せて、俺たちは食べるのに専念させてもらうか」
南雲も愉快そうに笑いながら、私が焼き上げた肉を頬張った。
そんなやり取りを交えつつ、網の上で音を立てる肉を囲みながら、これからの学校生活のこと、これまでの生徒会での出来事など、他愛のない話題に花を咲かせる。
やがて、南雲がふと少しだけ目を細め、静かなトーンで語り始めた。
「三年生に残された時間はもう少ないからな。十月の体育祭は、俺たちにとって生徒会での最後の大仕事になるだろう。だからこそ、最高の形にしたいんだ」
「――我らも持てる力の全てを以て、その盤面を支えよう」
「ええ。生徒会役員として、全力でサポートさせていただきます」
学年の垣根を越え、ただの先輩と後輩として笑い合い、想いを共有するその食事会は、とても穏やかで、心地よい温かさに満ちていた。
解散し、自室のベッドに寝転がった私は、静寂の中で一人、天井を見つめていた。
「生徒会長、か……」
ぽつりと呟いた言葉が、部屋に吸い込まれていく。
まさか、一介の高校生として平穏を望んでいた私が、この高度育成高等学校の生徒たちのトップに立つ日が来ようとは。入学した当初は想像もしていなかった未来だ。
だが、不思議と不安はなかった。
私の隣には一之瀬や堀北がいてくれる。要という頼れる後輩もいる。そして、私の前には堀北学と南雲雅という、確かな道標となる偉大な背中があったのだから。
(学先輩や南雲先輩のように……生徒たちが誇れるような、立派な生徒会長になってみせる)
胸の奥に確かな決意の炎を灯しながら、私は静かに目を閉じる。
来たるべき二学期、そして新たな時代への期待を胸に抱きながら――私は穏やかな眠りについた。