いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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十二話

 中間試験目前に迫り、Bクラスは本格的なテスト勉強へと突入していた。

 

 その日の放課後も、私とひより、そして一之瀬たちを中心とした図書室での勉強会は滞りなく行われ、無事に解散の時間を迎えた。

 

「じゃあね、藍染くん、椎名さん。また明日!」

 

「はい、お疲れ様でした。一之瀬さんたちも気をつけて」

 

「……ああ。夜闇に潜む悪意に足をすくわれぬようにな」

 

「『気をつけて帰ってくださいね』とのことです」

 

 いつものようにひよりの完璧な翻訳を通してクラスメイトたちと別れ、私は自室のある学生寮へと向かって歩いていた。

 

 夕日に染まる帰り道、私の足取りはいつも以上に軽かった。

 

(さて、勉強会も終わったし、時間はたっぷりある。……さっそく、昨日の今日だけど清隆に連絡してみるか!)

 

 昨日、DクラスとCクラスの揉め事の現場で偶然の再会を果たした、ホワイトルーム時代の旧友・綾小路清隆。

 

 あの時は周りに人がたくさんいたせいで、ロクに昔話もできなかった。彼もまた、あの狂気的な施設からどうにかして外の世界へと脱出し、この学校に辿り着いたのだ。きっと俺と同じように、普通の生活に戸惑いながらも平和を噛み締めているに違いない。

 

(よし、俺の部屋に呼んで、ご飯でも食べながら積もる話をしようぜ! メールなら呪いの自動変換もかからないし、普通の文章で送れるはずだ!)

 

 私は寮の自室に着くなり、端末を取り出してメッセージアプリを開いた。

 

 『久しぶり! 今夜、俺の部屋でご飯でも食べながら昔話でもしようぜ!』と打ち込もうとした、その時だ。

 

(……いや、待てよ)

 

 私の脳裏に、昨日の清隆の姿がよぎった。

 

 彼は相変わらず無表情で、周囲から浮かないように、極めて慎重に振る舞っているようだった。そんな彼に、いきなりテンションの高いメールを送ったら「こいつ、ホワイトルームから出て頭がおかしくなったのか?」と引かれてしまうかもしれない。

 

 それに、藍染惣右介としてのプライド(という名の無意識の厨二病)が、「宿命のライバルを誘うのに、そんな安っぽい言葉でいいのか?」と囁きかけてきた。

 

(ここは、相手に合わせて少し落ち着いた、オサレな文面で誘うのが大人の対応ってもんだな!)

 

 私は少し考えた後、フリック入力を走らせ、送信ボタンを押した。

 

『――今宵、私の部屋で語り合わないか。互いが歩んできた空白の軌跡と、あの白き箱庭の過去について。……盤面は用意して待っている』

 

(うん、完璧だ! 落ち着いた大人の男の誘い方って感じがする! 『盤面』ってのはご飯のテーブルのことな! 伝われ!)

 

 私は満足げに頷き、彼からの返信を待つことにした。

 

 

 一方、その頃。

 Dクラスの学生寮、綾小路清隆の自室。

 

 ベッドに腰掛けていた綾小路の端末が、短い通知音を鳴らした。

 画面に表示された送り主は『藍染惣右介』。昨日の今日で、早くも接触を図ってきたのだ。

 

(……私の部屋で語り合わないか。空白の軌跡と、白き箱庭の過去について。……盤面は用意して待っている、か)

 

 メッセージを読み終えた瞬間、綾小路の虚ろな瞳に、氷のような冷たい警戒の色が走った。

 

(やはり、オレの動向を直接探りに来たか。……『白き箱庭』、ホワイトルームのことだ。そして『空白の軌跡』……オレが施設を出てからこの学校に入学するまでの期間、何をしていたのかを問い詰めるつもりだろう)

 

 綾小路は静かに思考を回転させる。

 

 藍染惣右介。幼い頃、あらゆるカリキュラムで異常な数値を叩き出し、突如として施設から姿を消した怪物。

 

 彼がなぜこの高度育成高等学校にいるのか。あの男の背後に、ホワイトルームの使者がいるのかどうかは分からない。しかし、この誘いを無視すれば、最悪の場合、彼がオレの過去を学校中に暴露するという強硬手段に出る可能性もある。

 

(『盤面は用意して待っている』。……文字通りのチェスボードか、それとも尋問のテーブルか。どちらにせよ、ここで逃げるのは悪手だ。向こうの目的を探るためにも、懐に飛び込むしかない)

 

 綾小路は短く『わかった。19時に行く』とだけ返信し、深く息を吐いた。

 

 これから向かうのは、旧友の部屋ではない。底知れない怪物が待ち構える、危険な魔王の城だ。

 

(よし! 清隆からOKの返事が来た! 19時だな!)

 

 綾小路からの返信を受け取った私は、大急ぎで部屋を飛び出し、敷地内にあるショッピングモール――ケヤキモールのスーパーへと駆け込んでいた。

 

(せっかく久しぶりに清隆とご飯を食べるんだ。ここは腕によりをかけて、手料理を振る舞ってやろう!)

 

 ホワイトルームを追放されてから入学するまでの数年間、私は孤児院で生活していた。そこで職員の手伝いを積極的にこなしていたため、私の家事スキル、とりわけ料理の腕前は相当なレベルに達していた。

 

 それに加え、藍染スペックの異常なまでの器用さと学習能力が合わさることで、私の作る料理はそこらの高級レストラン顔負けのクオリティを誇っていたのだ。

 

(男子高校生ならやっぱりハンバーグだよな! あとはコンソメスープと、ポテトサラダも作ろう)

 

 私は上機嫌で合い挽き肉、玉ねぎ、卵、新鮮な野菜などを次々とカゴに放り込み、レジへと向かう。

 

 現在の私の端末の残高は、約10万ポイントほどだ。ひよりのBクラス移籍のために荒稼ぎした2000万ポイントは、契約の履行のためにほぼ全額学校側に支払ってしまったため、すっかり元の新入生レベルの残高に戻ってしまっている。

 

 だが、自炊用の食材費など、10万ポイントもあれば痛くも痒くもない。

 部屋に戻ると、すぐに調理を開始する。

 玉ねぎをみじん切りにする包丁の動きは、目にも留まらぬ速さ。肉をこねる手つきは繊細かつダイナミック。火加減は秒単位で完璧にコントロールされている。

 

(よし、肉汁を閉じ込めるために表面を強火で焼き固めて……オーブンでじっくり中まで火を通す。ソースは赤ワインをベースにした特製デミグラスソースだ!)

 

 18時55分。

 私の部屋のテーブルには、湯気を立てる絶品のハンバーグステーキと、彩り豊かな付け合わせ、そして完璧に透き通ったコンソメスープが並べられていた。

 

 部屋の中には、食欲をそそる芳醇な香りが充満している。

 ピンポーン。

 ジャスト19時。部屋のインターホンが鳴った。

 

(おっ、来たな!)

 

 私はエプロンを外すのも忘れ、ウキウキとした気分で玄関のドアを開けた。

 

 そこには、相変わらず無表情で、しかし全身から微かな緊張感を漂わせた綾小路清隆が立っていた。

 

(いらっしゃい、清隆! よく来てくれたね!)

 

 最高の笑顔のつもりで、口を開いた。

 

「――よく来たね、清隆。……私と対峙する恐怖から逃げ出さなかったことだけは、褒めておいてやろう」

 

(うわああああああ!! だからなんでそうなるの!? 歓迎の言葉が完全に死地へ赴く勇者を迎える魔王のそれだよ!!)

 

 私の極悪非道な出迎えの言葉に、綾小路の瞳が僅かに細められた。

 

「……オレはお前の命令でここに来たわけじゃない。お前が話があると言ったから来ただけだ」

 

「……フッ、強がる必要はないさ。さあ、中に入りたまえ。……我々の晩餐を始めよう」

 

 私は内心で泣きながらも、優雅な仕草で彼を部屋の中へと招き入れた。

 

 部屋に入った綾小路は、すぐに室内の状況を視線だけで素早くスキャンした。

 盗聴器はないか、伏兵はいないか、退路は確保できるか。

 

 そして彼の視線は、テーブルの上に並べられた豪華な手料理でピタリと止まった。

 

(……なんだ、これは)

 

 綾小路は内心で激しく困惑していた。

 盤面(チェスボード)が用意されているとばかり思っていたが、そこにあったのは完璧に盛り付けられたハンバーグだ。そして、目の前の底知れない怪物は、なぜか家庭的なエプロンを身につけている。

 

(毒か……? いや、こんな露骨な手は使わないはずだ。……これは、オレを油断させるための心理戦の一環か。日常に溶け込んでいると見せかけ、オレの警戒を解こうという腹積もりか)

 

「さあ、冷めないうちに座りたまえ。……毒など入っていないから安心するといい」

 

(ああっ! 自ら毒の話出しちゃった! 違うんだ、本当にただの美味しいハンバーグなんだよ!!)

 

 私の言葉に、綾小路は「……いただきます」とだけ短く呟き、席についてナイフとフォークを手にした。

 

 彼はハンバーグを小さく切り分け、口に運ぶ。

 その瞬間。

 

(…………っ)

 

 綾小路の動きが、完全に停止した。

 

 無表情の仮面の奥で、彼の脳髄に『味覚の暴力』とも言える圧倒的な旨味が直撃していた。

 

 溢れ出す肉汁、完璧な焼き加減、赤ワインの酸味とコクが絶妙に絡み合うソース。それは、彼がこれまでの人生で味わったどんな食事よりも、遥かに高い次元の味だった。

 

(……美味い。異常なほどに。……これも、ホワイトルームのカリキュラムにあったのか? いや、オレは料理など学んでいない。まさかこいつ、外の世界に出てからこの技術を独学で身につけたというのか? なんという適応力だ……!)

 

 綾小路が料理の味から私の底知れなさを勝手に推測して戦慄しているとは露知らず、私は内心で(やった! 清隆、美味しすぎて固まってる! 孤児院で鍛えた甲斐があったぜ!)とガッツポーズを決めていた。

 

「――飢えを満たすだけの食事など、獣の所業だ。我々に相応しい供物を用意したつもりだが……君の舌には合致したかな?」

 

 私がワイングラス(中身はただのぶどうジュース)を揺らしながら傲慢に尋ねると、綾小路はナイフを置き、真剣な顔で私を見据えた。

 

「……ああ。美味いな。だが、オレを食事で買収しようとしても無駄だぞ、惣右介。本題に入ろう」

 

(えっ、本題? ああ、高校生活の話ね! そうそう、Dクラスはどう? 友達できた? って聞かなきゃな!)

 

「――急ぐ必要はない。……だが、そうだな。この矮小な箱庭の空気には慣れたかな、清隆。底辺の泥を啜るような場所(Dクラス)で、君ほどの男が何を企んでいるのか……少々、興味深くてね」

 

(うわああああ!! 友達できたかって聞きたかっただけなのに!! めちゃくちゃ探りを入れてるみたいな言い回しになっちゃった!!)

 

 私の言葉を聞いた綾小路の瞳から、完全に温度が消え失せた。

 

 やはり、それが目的なのか。

 

(オレの動向を探りに来ている。オレがこの学校で何を企んでいるか……いや、オレは平穏に暮らしたいだけだが、あの男には別の思惑に見えているのか? ホワイトルームの差し金ではないにしろ、オレを自分の盤上に引きずり込むつもりか)

 

 綾小路はグラスの水を一口飲み、静かに返答した。

 

「オレは何も企んでいない。ただ、普通の学生として平穏に生きたいだけだ。お前こそ、なぜここにいる?」

 

(俺がここにいる理由? そりゃあ、ひよりと同じ高校で読書するためだよ!)

 

「――私がここにいる理由か。……天に立つために、少しばかり足場を整えているに過ぎないさ。君もいずれ、私の視界の端に登ってくるのだろう?」

 

(あーもう! 『天に立つ』って言っちゃったよ俺! 平和に暮らしたいだけなのに、完全に学園支配を企んでる黒幕のセリフだよ!!)

 

 綾小路は小さく息を吐いた。

 

(天に立つ……つまりこの学校を支配するつもりか。ホワイトルームの命令か、それとも個人の野望か。どちらにせよ、オレを巻き込む気満々だな。……これ以上、不用意に情報を与えるのは危険だ)

 

「……オレは誰の視界に入るつもりもないし、天を目指すつもりもない。お前はお前の好きにすればいい。オレに干渉しないでくれ」

 

 綾小路はそう言うと、残りのハンバーグを恐ろしい速さで平らげ、席を立ち上がった。

 

「ごちそうさまでした。料理は美味かったが……腹を探り合うのはここまでにしておこう」

 

(えっ!? もう帰っちゃうの!? 嘘だろ、まだ19時半じゃん!! 久しぶりに幼馴染に会えたのに、これで帰すわけにはいかない!!)

 

「――待て。盤を降りるにはまだ早い」

 

 私が鋭い声で引き留めると、ドアノブに手をかけていた綾小路がピタリと動きを止めた。

 

 彼の背中から、極度の緊張感が放たれているのが分かる。

 

「……何のつもりだ、惣右介。実力行使に出るというなら、オレにも考えがあるぞ」

 

「――物騒な勘違いをするな。……闘争の本能を呼び覚ます、別の『遊戯』を用意していると言っているのだ」

 

(一緒にテレビゲームしようぜ!! 最近ポイントで最新のゲーム機買ったんだよ!!)

 

 私がテレビ台の下から、真新しい据え置き型のゲーム機と二つのコントローラーを取り出すと、綾小路は少しだけ目を丸くした。

 

(……テレビゲーム? なんだ、これは何の罠だ?)

 

 綾小路は内心で警戒レベルを最大に引き上げた。

 

(ホワイトルームの最高傑作であるオレに、たかがゲームで勝負を挑む? いや、ただの遊びのわけがない。画面上のランダムな事象に対する反応速度、適応力、そして予測能力。……なるほど、そういうことか。このゲームという名のシミュレーターを通して、現在のオレの『スペック』を測るつもりだな)

 

「……いいだろう。お前の遊戯に付き合ってやる」

 

 綾小路は再び部屋の中へと戻り、私からコントローラーを受け取った。

 

(よっしゃあああ!! 清隆がゲームに乗ってくれた!! 幼馴染と部屋でゲームとか、男子高校生っぽくて最高じゃん!!)

 

 私は内心で歓喜の舞を踊りながら、画面に流行りの格闘ゲームを起動した。

 

「――さあ、始めようか。君の足掻きがどこまで私の刃に届くか、見せてもらおう」

 

(手加減なしで行くぜ! いざ、勝負!!)

 

『FIGHT!!』

 

 画面上で、キャラクター同士の激しい格闘が始まった。

 

 私の脳内に宿る『藍染スペック』は、ゲームにおいても規格外だった。相手キャラクターのフレーム単位のモーションから次の攻撃を完全に予測し、一瞬の隙を突いてコンボを叩き込む。

 

(うおおおおお! 超楽しい!! 清隆、意外とゲーム上手いな!! さすがホワイトルーム出身、反射神経がエグい!)

 

 私は純粋に、友人と遊ぶ高校生としての喜びに打ち震えながらコントローラーを操作していた。

 

 しかし、隣に座る綾小路の内心は、全く別の次元にあった。

 

(……バカな。オレの入力から数フレーム遅れて反応しているはずなのに、完全にこちらの行動を読み切っている。……これは、ただの反射神経じゃない。オレの思考パターン、癖、戦略の全てを瞬時に解析して、最適解を叩き出しているのか)

 

 綾小路は、額に冷や汗を浮かべながらコントローラーを握りしめていた。

 

(しかもこいつ、わざと隙を見せている。オレがその隙に気づいて反撃できるかどうかを試しているんだ。……恐ろしい男だ。食事からゲームに至るまで、全てがオレを測るためのテスト。一瞬たりとも気が抜けない)

 

 ガチャガチャガチャ! と、凄まじい速度でコントローラーのボタンを弾く音が部屋に響く。

 

(清隆と一緒にゲームするの、マジで最高に楽しいな!! 時間を忘れるぜ!!)

 

(……なんというプレッシャーだ。この男と対峙していると、神経が擦り切れるように摩耗していく……!!)

 

 純粋な好意でゲームを満喫する藍染と、それを自らの限界を試すテストだと勘違いし、極限の集中力で挑む綾小路。

 

 

 二人の対戦は、深夜まで延々と続いた。

 ――数時間後。

 

(……清隆、帰っちゃったな。いやー、めちゃくちゃ楽しかった! また誘おうっと!)

 

 私はベッドの上で、満足感に包まれながら眠りについた。

 

 一方、自室に戻った綾小路清隆は、ベッドに倒れ込むなり、泥のように深い疲労感に襲われていた。

 

 体力的な疲れではない。数時間に及ぶ、藍染惣右介との『高度な心理戦(という名のただのゲーム)』によって、精神力を限界まで削り取られていたのだ。

 

(……恐ろしい男だ。藍染惣右介。日常の全てを盤上と化し、相手を支配する……)

 

 ゲームでボコボコにされた疲労を「心理戦のダメージ」として変換してしまった綾小路。

 

 ホワイトルームが生み出した最強の二人は、お互いの本心を1ミリも理解し合えないまま、実力至上主義の教室という巨大な盤上で、致命的かつ滑稽なすれ違いをさらに加速させていくのであった。

 

 

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