いつからここが尸魂界だと錯覚していた?   作:yvrararara

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百二十二話

 静寂が支配する教室の中で、モニターに映し出された文字を淡々と見つめる。

 

 ようやく、最後の課題か。

 

 ここに至るまでの道のりは、決して平坦なものではなかった。

 

 堀北や洋介、そして櫛田が中心となってクラスをまとめつつ進行してきたものの、決して順調とは言い難いペースだった。

 

 意見の対立、無用な探り合い、そして些細な感情のすれ違い。

 

(堀北も上手くまとめてはいるが……このクラスの団結力や協調性のなさは、今後の課題だな)

 

 そんなことを思考している間に、最後の課題が提示された。

 

『課題⑤:クラスメイトを1名退学にする代わりに、クラスポイントを100ポイント得る』

 

 提示された究極の選択。

 

 教室内が水を打ったように静まり返り、やがて重苦しい空気がじわじわと蔓延し始める。

 

(やはり、こういった課題か)

 

 オレは誰にも悟られないよう、静かにクラス全体へと視線を巡らせた。

 

 仮にここで反対票を入れたとしても、裏切り者がいれば満場一致にはならない。そして、このクラスには確実に「賛成」へ投じるであろうイレギュラーが存在している。

 

(櫛田はもちろんだが、高円寺も反対に投じることはないだろう。それに、Aクラスに強い思いを持つ生徒や、自分は安全圏だと思い込み、ポイント欲しさに賛成に投じる生徒もそれなりにいるはずだ)

 

 匿名投票という盾は、人間の奥底にある利己的な感情を容易に引きずり出す。

 

 やがて規定の時間が経過し、1回目の投票結果がモニターに表示された。

 

【賛成:9票】

【反対:30票】

 

「なっ……!?」

 

 結果が表示された瞬間、教室のあちこちから息を呑む音が漏れた。

 

「なんでこんなに賛成がいるんだよ!100ポイントのために、クラスの仲間を退学させるつもりか!?」

 

 真っ先に声を荒げたのは須藤だった。

 

 彼は立ち上がり、見えない「賛成」の投票者たちに向けて怒りを露わにする。

 

 すぐさまインターバルの時間が開始され、堀北が落ち着いた声でクラス全体に語りかけた。

 

「……確かに、上位のクラスとの差はかなり開いているわ。だからこそ、ここで身を切ってでもクラスポイントを得たいという気持ちを、頭ごなしに否定することはできない。だけど、ここで100ポイントのために仲間を切り捨てたことで、今後私たちが不利になる可能性も高いのよ」

 

「堀北さんの言う通りだ。戦略としてもそうだけど……いや、どんな理由があっても、クラスの仲間を切り捨てるなんて僕は認められない」

 

 堀北に続き、洋介も明確に「反対」の立場を表明する。

 

 クラスの二大リーダーとも言える二人が断固として反対の意思を示したことで、浮き足立っていた生徒たちも少しだけ冷静さを取り戻したように見えた。

 

(この二人が反対に誘導すれば、多くの生徒は考え直すだろう。だが……)

 

「すまない。俺は賛成に入れさせてもらった」

 

 重苦しい沈黙を破り、前方の席で啓誠が立ち上がった。

 

「幸村!てめぇ!」

 

 須藤が血相を変えて啓誠を睨みつける。洋介もまた、予想外の人物からの告白に悲しそうな顔を浮かべていた。

 

「須藤くん、やめなさい」

 

 今にも掴みかかりそうな須藤を、堀北が鋭い声で制止する。

 

「完全な匿名投票でありながら、自分がターゲットにされるリスクを抱えてでも名乗り上げたのよ。幸村くんの意見はちゃんと聞くべきだわ」

 

 堀北の言葉に、須藤は舌打ちをしながらもドカッと席に座り直した。

 

 視線を集めた啓誠は、眼鏡の奥の瞳に強い意志を宿して口を開く。

 

「俺だって、クラスから退学者を出したいわけじゃない。だが、本気でAクラスを目指すなら、犠牲を払ってでも前に進む必要があるんじゃないか? ……もちろん、俺だって時間切れによるペナルティは避けたい。クラスの総意として反対で固めるというのなら、最終的には従うつもりだ。だけど、上位クラスとこれだけの差がついてる以上、得られるポイントは貪欲に取りに行く覚悟も必要だと思う」

 

 真剣な啓誠の主張に、数名の生徒が顔を見合わせる。

 

 Aクラスに上がりたいという強い執念ゆえの言葉。しかし、それをすんなりと受け入れられるほど、このクラスの生徒たちは成熟した人間ばかりではない。

 

「幸村の言いたいことは分からなくもないけどよ……じゃあ、誰を退学にするんだ?」

 

 本堂が困惑したように頭を掻きながら問いかける。

 

「そんなにクラスポイントが欲しいなら、あんた自身が退学してくれたらいいじゃない!」

 

 篠原が苛立ったように吐き捨てる。

 

 それを皮切りに、クラスのあちこちから啓誠を責め立てる声が飛び交い始めた。

 

「そうだそうだ!お前が退学してくれよ!」

 

「勝手にリスク背負うのはいいけど、こっちを巻き込まないでよね!」

 

 統率を取り戻そうと堀北が諫める声を上げようとした、まさにその時だった。

 

「――フッ……くだらない」

 

「え……?」

 

 堀北の言葉を遮るように響いたのは、妙に低いトーンで作られた声。

 

 視線を集めた先には、腕を前でクロスさせ、目を伏せながら壁に寄りかかる池の姿があった。

 

「自ら虚無の淵へと足を踏み入れた『求道者』を、徒党を組んで断罪しようなどと……愚かの極みだな。遥かなる頂を目指すため、血塗られた対価を渇望するのは、覇道を歩む者の避けられぬ業だろう。今はその矮小な刃を彼に向けるのではなく、この混沌たる盤上において『真の答え』を導き出すためにこそ交えるべきだ……ッ!」 

 

「……はぁ!?あんた急に何言ってんのよ!?」

 

 あまりにも場違いな池の厨二病全開の演説に、篠原たちをはじめとするクラス中がドン引きし、一瞬にして怒りの矛先すら見失ってしまった。

 

「あはは……」

 

 そんな変な空気になりかけた教室で、松下が困惑と呆れを混ぜたような苦笑いを浮かべながら間に入る。

 

「たぶんだけど……ここで勇気を出して正直に名乗り出た幸村くんを、一方的に責めるのは違うんじゃないかなって言いたいんだよね?上を目指したいっていう気持ち自体は責められることじゃないし、それを踏まえた上で、みんなでちゃんと議論する必要があるんじゃないかなって……そういうことでしょ、池くん?」

 

「ふんっ。我が真意、よくぞ読み解いたな……」

 

 松下の完璧な意訳に、池は少し照れくさそうに顔を背けながらカッコつけた。

 

「……ま、まあ、それはそうかもしれないけど……じゃあ結局、誰を退学にするんだよ?」

 

「でも、クラスポイントのために、誰かを退学させるなんてやっぱりおかしいよ……」

 

 松下のフォローによって、クラスの空気は「幸村への個人攻撃」から、「退学者を出すか否かという本来の議論」へと軌道修正されていく。

 

(……言葉選びや態度はともかく、池は、本当に成長しているな)

 

 オレは薄暗い教室の片隅で、友人である池の姿に高い評価を下していた。

 

 かつての池なら、こうした極限状態に陥れば、保身に走って誰かを攻撃していただろう。だが今の彼は、彼なりの不器用なやり方で、孤立しかけたクラスメイトを庇い、議論を前に進めようとしている。

 

「……幸村くん。覚悟を持って名乗り出てくれてありがとう。あなたの言うことも、もっともだとは思うわ。だけど、私はここでクラスメイトを切り捨てるリスクの方が高いと思う」

 

「堀北さんの言う通りだね」

 

 洋介が優しく、けれど芯のある声で同調する。

 

「ここで仲間を切り捨ててポイントを得たとしても、いつかそのことが響く時が必ず来ると思う。クラスの雰囲気も悪くなるし、ここは反対で固めるべきだよ」

 

「私も堀北さんと平田くんにさんせー!」

 

 すかさず恵が声を上げ、二人の意見を強力にバックアップした。

 

 クラスの女子のまとめ役である彼女が同調したことで、空気は一気に「反対」へと傾いていく。

 

「……そうだな。クラスの和を乱すような真似をしてすまない」

 

 クラスの大半が反対の意思で固まったのを感じ取り、啓誠は素直に引き下がって席に座った。

 

 やがてインターバルが終了し、2回目の投票が行われる。

 モニターに表示された結果は――。

 

【賛成:6票】

【反対:33票】

 

(だいたい想定通りの流れだな)

 

 オレは心の中で静かに分析する。

 

 1回目で賛成に投じた9票のうち、啓誠を含む3票が反対に回った。だが、まだ6票の「賛成」が残っている。

 

(完全匿名投票だからな。先の議論で反対の空気が出来上がったとしても、自分は安全圏だと思い込んでいれば、賛成に投票し続けてもバレることはない)

 

 時間切れという選択肢が論外な以上、賛成に投じ続ければ、最終的にはクラス全体が折れて「誰かを退学にさせる」方向へと舵を切らざるを得なくなる。

 

 その見えない強迫観念を盾に、彼らは潜み続けるだろう。

 

「っ……!」

 

 モニターの結果を見た洋介が、沈痛な表情で顔を歪める。

 

「まだ賛成に入れてる奴がいるのかよ!」

 

 須藤が再び怒りを露わにして叫んだ。

 

「落ち着きなさい」

 

 荒ぶる空気を、堀北が冷静な声で抑え込む。

 

「まだ時間は残されているわ。匿名投票である以上、誰が賛成に入れているのかを特定することは出来ない。だけど、このまま反対で満場一致出来ないようなら、いずれは時間切れを避けるために賛成で固めるしかなくなるわ。その時、クラスの仲間が一人いなくなってしまうのよ。それをよく考えてちょうだい」

 

「鈴音……けどよ、まだ6人も賛成してる奴がいるんだぜ?」

 

 歯噛みする須藤を他所に、オレは静かに思考を巡らせる。

 

(むしろ、好都合ではあるな)

 

 昨日の反応からして、堀北が最終的に櫛田を切り捨てる決断を下せない可能性は極めて高い。

 

 ならば、櫛田が持つ『信頼』という強みを失わせることなく、他の不要な生徒を切り捨てる方向に誘導する方が得策だ。

 

 仮に最後まで賛成に投じているのが櫛田だけになった場合、オレの手で彼女の秘密を暴露し、クラスの総意として排除せざるを得なくなる。だが、そこまでいってから堀北が櫛田を庇ったところで、彼女の最大の武器である信頼は完全に失われており、残す価値がなくなるからな。

 

 櫛田を残す前提で動くとなれば、代わりとなる退学者の候補はおのずと絞られてくる。

 

 OAAの総合値がクラスの最下層であり、かつ特定のグループ以外に親しい人間が少ない生徒。……そうなると、愛里の立ち位置は極めて危険だ。

 

 彼女の性格ならば、オレが名指しで指名すればすべてを悟り、猛反発するであろう波瑠加を自ら説得して退学を受け入れるだろう。確実に満場一致を成立させられる、最も手堅いカードの一つではある。

 

 ……だが、数少ない友人である愛里を、ここで退学させるつもりはない。

 だからこそ、櫛田が自滅する前に、オレの意図する別のターゲットで盤面を固定してしまう方が効率がいい。

 

「高円寺、てめぇはどっちに入れてるんだ?」

 

 苛立ちを隠せない須藤が、後方で優雅に手鏡を見つめる高円寺へと食ってかかった。

 

「ふーむ。匿名投票である以上、君にそれを教える義理はないねぇ」

 

 取り付く島もない高円寺の態度に、須藤はもちろん、クラスメイトたちも疑心暗鬼に陥り、まとまることなく騒ぎ立てる。

 

 その後も、堀北、洋介、そして櫛田による必死の説得が続けられ、徐々に賛成票は減っていった。

 

 しかし、3票の賛成が頑なに動かないまま、ついに8回目のインターバルを迎えることとなった。

 

(……櫛田さんと高円寺くんは、おそらく賛成に投票し続けてる。もう一人は誰なの……?)

 

 堀北が焦燥を滲ませながら、教室内を見渡す。

 

 彼女は意を決したように、再び高円寺へと向き直った。

 

「高円寺くん。賛成に投じ続けるなら、理由を説明してもらえるかしら」

 

「さあねぇ。そもそも匿名投票である以上、私が賛成に投じていると断言される謂れはないねぇ」

 

「てめぇがプライベートポイント欲しさに賛成に入れてるのは分かってんだよ!」

 

 吠える須藤に対し、高円寺は不敵な笑みを浮かべて髪をかき上げる。

 

「ふーむ。だとしても、あと二人は賛成がいるようだが、私だけを槍玉に挙げられても困るねぇ」

 

「……一人一人、説得していくしかないわ」

 

「君にそれができるとも思えないがねぇ。ふむ。リーダーである君に免じて白状しようじゃあないか。私は賛成に投じ続けているし、今後も反対に投じる気はないさ」

 

 堂々たる高円寺の宣言に、教室内が再びざわつく。

 

「てめぇ!……いいのかよ?そんなことになったら、てめぇが退学することになるぜ?」

 

 須藤の脅しめいた言葉にも、高円寺は微塵も動じなかった。

 

「フハハ!そうはならないのさ。そうだろう?綾小路ボーイ」

 

 突然話を振られ、クラス中の視線が一斉にオレへと集まる。

 

 オレは小さく息を吐き、淡々と事実を告げた。

 

「ああ。たとえ高円寺のせいで賛成で固めることとなったとしても、高円寺を退学させることはない」

 

「な、なんだよそれ!ふざけんな!」

 

「意味わかんないんだけど!」

 

 本堂や篠原から、当然の如く文句が噴出する。

 

「高円寺とはそういう契約を結んでいるし、今後も気まぐれとはいえ、特別試験に協力する可能性もある。オレに並ぶ戦力の高円寺を切り捨てる気はない」

 

「けどよ!!」

 

「高円寺殿の我儘で、他の生徒を切り捨てる気でござるか!?」

 

 須藤が叫び、外村が信じられないという顔で立ち上がる。

 

「そうよ!どうせ上位とこれだけ差があるんだから、戦力を失うなんてどうでもいいじゃない!」

 

 篠原の悲痛な叫びを、高円寺は鼻で嗤った。

 

「フッ、君たちは本当に愚かだねぇ。そもそもこの課題は、不要なゴミをデリートして、あまつさえポイントまで貰える素晴らしいボーナスステージじゃあないか。賛成で固めない理由が私には全く分からないねぇ」

 

「高円寺くんっ!!」

 

 これまで温厚だった洋介が、かつてないほどの怒りの表情で声を荒げた。

 

「このクラスに、不要な生徒なんていない!」

 

「……そんな悲しいこと、言わないでほしいな……」

 

 洋介に同調するように、櫛田が傷ついたような、悲しそうな表情を作って俯く。

 

 だが、高円寺はそんなクラスの空気など一蹴するように、オレへと意味深な視線を向けた。

 

「私はそうは思わないがねぇ」

 

(……やはり、高円寺はあの件について赦すつもりはないようだな)

 

 オレは高円寺の視線の意味を正確に読み取っていた。

 

『彼女』が高円寺にとってどんな存在なのかは定かではないが、少なくとも、くだらない我儘で彼女を都合よく利用し、退学の危険に巻き込んだ人間を赦すつもりはないようだ。

 

(高円寺くんは予想通りではあるわね。説得は困難かもしれないけど、最悪、プライベートポイントで解決できるでしょう。問題は……彼女と、謎のもう一票ね)

 

 堀北もまた、沈痛な面持ちで教室を見渡しながら、見えない敵の正体へと密かに思考を巡らせていた。

 

 だが、堀北は知らない。

 

(――賛成に投じ続けているのは、オレだ)

 

 オレは誰にも悟られないよう、静かに息を吐いた。

 

 反対で満場一致になることがないのであれば、クラスにとって不要で今後の成長も見込めない人間を切り捨てる必要がある。

 

 問題は、絶対に仲間を見捨てない洋介の説得と、オレか堀北を退学させたいと目論んでいるであろう櫛田をどうコントロールするか、だな。

 

(……他の生徒は、いざとなれば自分さえ助かればいいと考えるだろう。それに、あいつならば退学者として選ぶに相応の理由も、クラスに対して合理的に説明することができる)

 

 それに何より、高円寺とターゲットが一致しているのが大きい。

 

 高円寺の逆鱗に触れた以上、仮にこの試験を乗り越えたとしても、あの男の性格上、いずれ機会が訪れれば容赦なく排除されるだろう。

 

 ならば、ここでクラスポイント100という対価と引き換えに切ってしまう方が、クラスにとっても有益だ。

 

 オレは感情を殺したまま、粛々と盤面を整えるための次の一手を思考し続けた。

 

 

 

 

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