いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
その後も投票と短いインターバルが繰り返された。
だが、オレと高円寺、そして櫛田が投じる「賛成」の3票が動くことはなく、ついに15回目のインターバルを迎えた。
(……もう残り二時間を切ったか)
試験終了のタイムリミットが刻一刻と迫っている。
このまま無為に時間を浪費すれば、時間切れによる甚大なペナルティをクラス全員で被ることになる。
「もう残り二時間を切った。賛成票が不動な以上、時間切れを防ぐために賛成票で固める必要がある」
オレは重苦しい沈黙を破り、淡々と事実を告げた。
その言葉に、真っ先に反応したのは堀北だった。
「っ……!綾小路くん!待ってちょうだい!」
「そうだよ!清隆くん!賛成に固めるということは、誰か退学者を出すってことになるんだよ!?」
洋介が悲痛な表情でオレに訴えかける。
だが、オレの言葉は揺るがない。
「だが、満場一致にならなければ、このクラスはもう終わりだ。上位との差はまだまだあるが、Cクラスとの同盟もあるし諦めるほどではない。ここで完全にクラスを終わらせるつもりか?」
「それは……」
オレの冷徹な事実の突きつけに、堀北や洋介も言葉に詰まる。
「……清隆の言う通りだ。こうなった以上は賛成に固めるしかない」
苦渋の決断を下すように、啓誠がオレに同調した。
オレは再び洋介へと視線を向ける。
「洋介。お前が退学者を出したくない気持ちは分かる。だが、退学者を出さないために、クラスメイト全員の希望を断つつもりか?」
それは全体を救うための正論であり、反論の余地はどこにもない。
「……っ」
洋介はそれ以上言葉を紡げず、ただ沈痛な表情で俯くしかなかった。
「賛成で固めて話し合い、納得できる人選をするしかないだろう」
「いい判断だねぇ、綾小路ボーイ」
オレの提案に、高円寺が優雅に髪をかき上げながら称賛の声を送る。
「高円寺!てめぇ……!」
「誰かが退学になっちゃうなんて……私、嫌だよ……」
怒りを滲ませる須藤の横で、櫛田が顔を覆い、今にも泣き出しそうな声で震える。
「でも、反対で揃わないなら仕方ないよ……」
松下が諦め混じりのため息をつく。
クラスの空気が、完全に「誰かを犠牲にする」方向へと傾きかけていた。
「もう一回だけチャンスをちょうだい。私が説得してみせる」
堀北が立ち上がり、最後の足掻きとばかりに高円寺へと向き直る。
「高円寺くん。あなたはプライベートポイントが減るのが嫌なのよね?それなら……」
「堀北ガール。私はいかなる条件を提示されようと票を動かすつもりはないよ」
高円寺は手鏡を見つめたまま、取り付く島もなく堀北の提案を一蹴した。
説得の余地など最初から存在しない。オレは堀北にトドメを刺す。
「堀北。Aクラスを目指すんだろう?ここは覚悟を持って前に進むべきだ」
「……分かったわ」
オレの言葉に、堀北はついに折れた。
リーダーである彼女が「賛成」の意思を示したことで、クラスの空気は完全に決した。
そして、運命の16回目の投票。
【賛成:39票】
【反対:0票】
「賛成で満場一致、か……」
モニターに表示された結果を見上げ、教壇の茶柱先生が重々しく呟いた。
「……これより、退学者を一人選定するための投票に入る。誰を退学にするか話し合い、対象者を決めた上で、その生徒の退学に賛成か反対かを投票することになる」
茶柱先生は冷徹な視線をクラス全体に向け、ルールの詳細を告げる。
「対象となる個人の特定は、一度だけ認められた『立候補』か、タブレットに表示される生徒の名前を選び『推薦票』を投じることで行う。ただし、立候補者が不在であり、インターバル終了時に推薦票が過半数を超えている生徒がいなかった場合は、学校側がランダムで対象者の選出を行うことになっている」
システムは至極単純だ。ターゲットを一人絞り、満場一致で『退学に賛成』となれば試験は終了する。
誰も口を開こうとしない重苦しい空気の中、ゆっくりと立ち上がったのは洋介だった。
「……僕が立候補するよ」
「えっ……平田くん!?」
「ダメだよ平田くん!なんで平田くんが退学しなきゃいけないの!?」
洋介の言葉に、女子生徒を中心に激しい反対の声が上がる。
「平田くんをここで退学させるわけにはいかないわ」
堀北も即座に却下した。
洋介はこのクラスの精神的支柱であり、彼を失うことは戦略的にも大きな痛手となる。
「……分かってる。だけどもう一度インターバルを挟もう。みんなの気持ちの整理の時間がいる」
(なるほど。無意味な時間稼ぎだが、今は感情の整理に必要な儀式ということか)
突然「誰かを退学にしろ」と突きつけられたクラスメイトたちの心を落ち着かせるための、彼なりの優しさだ。
やがて、洋介を対象とした退学投票が行われた。
【賛成:3票】
【反対:35票】
結果は当然のように反対多数で否決。
すぐさまインターバルの時間が開始され、重苦しい静寂が教室を包み込んだ。
誰一人として口を開こうとしない、張り詰めた空気。
自分が退学者に指名されるかもしれないという恐怖が、教室全体を支配していた。
そんな中、静寂を破って立ち上がったのは櫛田だった。
「みんな、聞いて欲しいの……」
彼女の目には大粒の涙が浮かんでおり、その声は痛ましいほどに震えていた。
「やっぱり……誰かを退学に選ぶなんて、本当に嫌なの。だけど、どうしても誰かを選ばなくちゃいけないなら……私の考えを聞いて欲しいの」
クラスメイトたちに懇願するように訴えかける櫛田。
彼女のその悲痛な姿に、多くの生徒が同情的な視線を向ける。
(やはり、仕掛けてくるか)
櫛田が誰をターゲットにするかは、火を見るよりも明らかだった。
だが――お前のその薄っぺらい訴えは、絶対に届かない。
「……退学者を選ばないといけない、こんな状況になった責任は……リーダーである堀北さんと、強引に賛成に誘導した綾小路くんにあると思う」
櫛田は涙ながらに、そして確かな敵意を込めてオレと堀北を名指しした。
その言葉に、教室の空気が一瞬だけ固まる。
だが、自分が選ばれる恐怖に怯えていた一部の生徒たちが、保身のためにその蜘蛛の糸へと飛びついた。
「そ、そうよ!リーダーが責任を取るべきよ!」
真っ先に声を上げたのは篠原だった。
「確かに、最後は綾小路が賛成へ誘導したからな……」
「……二人とも優秀かもしれないけど、こんな状況を招いた責任はあるでござる……」
本堂や外村といった生徒たちも、責任転嫁の口実を得たことで次々と櫛田の意見に賛同し始める。
いざとなれば自分さえ助かればいい。人間の本性など、所詮はその程度のものだ。
「あんたたち、バカじゃないの!?」
静かな教室に、怒りに満ちた鋭い声が響き渡った。
勢いよく立ち上がったのはオレの恋人である恵だった。彼女は篠原たちを強く睨みつける。
「反対で揃わないから、仕方なく賛成になっただけじゃない!それに、堀北さんか清隆がいない状況で、私たちがAクラスを目指せるとでも思ってるわけ!?」
恵の放った言葉に、篠原たちが一瞬怯む。
そこに、啓誠が真剣な表情で同調した。
「軽井沢の言う通りだ。クラスのリーダーであり、先の課題でプロテクトポイントを付与された堀北、そしてクラス最大の戦力である清隆を切り捨てる選択肢なんて、あり得ない」
さらに、Aクラスに並々ならぬ思いを持つ松下も立ち上がる。
「二人の言う通りだよ。龍園くんとの同盟だって、この二人がいるからこそ対等な形で成り立ってるんだよ?どちらかが欠ければ、このクラスは間違いなく龍園くんの傀儡に成り下がる」
彼らの絶対的な庇護と論理的な反論により、櫛田が作り出そうとした「責任転嫁」の空気は、いとも容易く打ち砕かれた。
「……実に醜いねぇ」
形勢が逆転した教室で、高円寺がふっと嘲笑を漏らす。
「な、なんだと!」
「そもそも、あんたがずっと賛成に投票してたんだから、あんたが退学になればいいじゃない!」
本堂の怒号に続き、篠原が標的を高円寺へとすり替えて叫ぶ。
たちまち「そうだそうだ」と二人に同調する声が上がり始めた。
「先ほども言ったが、高円寺を退学にすることはない」
オレは冷ややかに篠原たちの意見を一蹴する。
「ああ。高円寺は無人島サバイバルで計り知れない貢献をしているし、今後も気まぐれとはいえクラスに協力する可能性もある。Aクラスに上がるために賛成で固めたのに、クラスに貢献できる生徒を切ることはない」
啓誠が理論立てて高円寺の価値を補足した。
それに重ねるように、オレもさらに言葉を続ける。
「高円寺がクラスにいるだけで、上位のクラスは高円寺の存在を警戒する必要がある。協力しようがしまいが、その存在だけで価値がある」
「フハハ!まさにその通りだねぇ。それにしても……」
高円寺は手鏡から視線を外し、泣き崩れたふりをしている櫛田へと目を向けた。
「プリティガールなら、堀北ガールと綾小路ボーイを退学になど出来ないと分かりそうなものだがねぇ。この二人のどちらかを退学させたい理由でもあるのかな?」
核心を突く高円寺の言葉。
それに答えるように、櫛田は弱々しく肩を震わせた。
「……そう、だね。ごめんね……。私も、感情的になっちゃってたみたいだね……」
そう言って、彼女は涙を流しながら机に突っ伏した。
(これで、この試験で櫛田が何かすることはできない)
この状況でオレか堀北を推薦し続ければ、彼女自身がクラスの和を乱す元凶として取り返しのつかない傷を負うことくらいは、櫛田なら十分に理解しているはずだ。
内心では、はらわたが煮えくり返っているだろうが、先の課題で堀北にプロテクトポイントが渡った以上、今後もリスクの高い手を取ることはできないだろう。
「でも……じゃあ、どうやって退学者を選ぶんだよ……?」
須藤が歯軋りしながら、教室全体を覆う閉塞感を口にする。
「池でいいじゃない!」
再び口を開いたのは篠原だった。
彼女は半ばヤケクソのように、声を張り上げる。
「あいつ、Aクラスの藍染くんの手下みたいになってるし、いつクラスを裏切るか分かったもんじゃないわよ!」
「……確かに……」
「そうかも……」
篠原の主張に、前園や森といった女子生徒たちが納得したように頷き合う。
「それはあり得ないわ」
だが、その流れを堀北が毅然とした態度で断ち切った。
「彼はこのクラスで最も成長した生徒であり、貴重な戦力の一人よ。それに、これまでもクラスを裏切るような行動は一度もしていないわ」
「そんなの、これから先は分からないじゃない!」
食い下がる篠原に対し、池がゆっくりと立ち上がった。
彼の顔には、誰かを退学者に選ばざるを得なくなってしまったこの状況への、深い悔しさと怒りが滲み出ていた。
「――天に座す絶対者を、俗物の物差しで測る気か……ッ!」
低く、重々しい声。
「俺が泥に塗れた供物を捧げたところで、あのお方が歓喜するはずがない……! 藍染様が俺に望まれているのは、這い蹲る犬としての隷属ではないッ! いつの日か、自らの力で深淵の階段を昇り詰め、あのお方と同じ『頂』の空気を吸うこと……! その崇高なる盟約を、俺が自ら破るはずがないだろう……ッ!」
右目を手で覆い、天を仰ぐように放たれた、凄まじいまでの厨二病オーラ。
そのあまりにも真っ直ぐな忠誠心に、教室中が静まり返る。
「な、何を言ってるのでござる……?」
「はぁ!?」
外村が呆然と呟き、篠原が完全に理解の範疇を超えたというように困惑の表情を浮かべた。
そんな奇妙な空気を察知し、松下が苦笑いしながら助け舟を出す。
「えっと……つまり、『スパイみたいな卑怯な真似をしたら藍染くんに幻滅されちゃうし、自分は正々堂々とクラスのために頑張って、いつか彼に相応しい対等な人間になりたいんだ』……っていう、そういうことが言いたいんだよね、池くん?」
「……フッ。我が魂の旋律、よくぞ聞き届けたな」
松下の的確な意訳に、池は不敵な笑みを浮かべた。
「だが……このような惨状を招いてしまったこと自体、藍染様は酷く嘆かれるだろう。未だこの混沌たる盤上を平定し、皆を導けぬ……己の矮小な器が許せない……ッ」
再びポーズを決めて悔しそうに呟く池。
(……言葉選びは相変わらず独特だが、池の心根は嘘偽りのない本心だ)
オレは無人島サバイバルを経て真の友人となった男の、その不器用な誠実さを後押しするように、言葉を紡いだ。
「惣右介は、他者の裏切りを利用するような勝利は望まない。クラスを裏切るような生徒を、あいつが認めることはないだろう」
そんなやり取りの最中、教壇の茶柱先生が無情な宣告を下す。
「まもなく残り1分だ」
「……私が立候補するわ」
時間切れが迫る中、間髪入れずに堀北が立ち上がった。
「鈴音!?」
驚愕する須藤を他所に、堀北は冷静に告げる。
「まだ議論は終わってはいない。次のインターバルに進む必要があるわ……」
「満場一致にならなければ退学になることはないよ。だから落ち着いて、須藤くん」
洋介が須藤を宥める中、堀北を対象とした退学投票が開始された。
結果はすぐさまモニターに表示される。
【賛成:15票】
【反対:23票】
否決。
だが、洋介の時とは違い、「賛成」に投じた者が15人もいたという事実が、クラス内に冷ややかな不和の影を落としていた。
誰一人として安心できないまま、クラスは再び、息苦しいインターバルへと突入する。
(……堀北にこれほど賛成票を入れる生徒がいるのは、問題だな)
モニターに映し出された無情な数字を見つめながら、オレは静かに思考する。
確かに、堀北にはリーダーとして至らぬ点があるのも事実だ。だが、この極限状態とはいえ、クラスの屋台骨である彼女を本気で退学させてもいいと思う生徒がこれだけ潜んでいるとはな。
「てめぇら……!鈴音を退学にしてもいいって本気で思ってんのかよ!」
須藤も想定以上の賛成票に怒りを隠せず、机を蹴り飛ばす勢いで吠えた。
だが、怯えたように目を逸らすだけで、名乗り出る者は誰もいない。
無情にも時間は過ぎていく。
「もう、何度もインターバルを挟む時間はない」
オレは重い口を開き、教室全体に響くように告げた。
「オレが、退学に相応しいと思う生徒を名指しさせてもらう」
その言葉に、洋介は沈痛な面持ちで目を伏せた。
堀北もまた、自らがリーダーとしてこの状況を収拾できず、結局オレにその重い責任を押し付けてしまったことを深く悔やむように唇を噛み締めている。
「OAAの総合値も低く、クラスの和を乱す。学力も人間性も一年生の時から何の成長も見られない、そして、クラスの足を引っ張るばかりで今後も役に立つことはないと断言できる生徒」
オレは冷酷に、事実だけを羅列する。
「……篠原さつきだ」
静寂の中、明確な意思を持ったその宣告に、名指しされた本人は目を見開いて硬直した。
「は……はぁ!?なんで私なのよ!?意味分かんないんだけど!?」
一拍遅れて、篠原が金切り声を上げて立ち上がった。
「理由を説明していこう」
「待ってよ!OAAなら佐倉さんがこのクラスで最下位じゃない!これまでもこれからも役に立つことはないし、佐倉さんでいいじゃない!」
自己保身のため、篠原はクラスで最も大人しく、反論してこないであろう愛里へと矛先を向けた。
「確かにお前の言う通り、愛里の総合値は低い。だが、学力は確実に上昇傾向にあるし、なにより文化祭が控えている。文化祭において、愛里はこのクラス、いや学校全体を通しても最大級の力を持つだろう」
「意味分かんないんだけど!?あんな根暗な地味女が、文化祭でなんの役に立つっていうわけ!?」
なりふり構わず愛里をこき下ろす篠原。
オレは小さく息を吐き、愛里へと視線を向けた。
「愛里。すまないが、みんなを納得させるために力を貸して欲しい」
愛里の後ろに座る波瑠加も、優しく愛里の背中を押す。
全員の視線が集中する中、愛里はゆっくりと立ち上がった。
いつもの猫背でオドオドとした様子は、そこにはない。
彼女は凛とした姿勢で顔を上げ、伊達眼鏡を静かに外した。
隠されていた素顔が、クラスメイトたちの前に露わになる。
「え……?し、雫?」
「な……!佐倉が、あの雫なのか!?」
男子生徒たちを中心に、驚愕の声が次々と上がった。
「OAAで測れない部分。ルックスや知名度。それは文化祭において計り知れない武器となるし、今後も似たような試験があれば、愛里はクラスの誰よりも力を持つ」
オレは淡々と、愛里が持つ特異な価値について説明する。
「なっ……!で、でも、私より総合値の低い生徒は他にもいるでしょ!?」
自らの優位性が崩れ去り、篠原は焦燥に顔を歪めながら周囲を見渡す。
「もちろん、これだけでお前を退学者に推しても納得しない生徒も多いだろう。だからこそ、お前を切り捨てることがクラスにとって最も正しい選択だという、誰もが納得する理由を説明しよう」
オレは怒りと絶望で顔を歪める篠原を見下ろしながら、無慈悲な宣告を口にした。