いつからここが尸魂界だと錯覚していた? 作:yvrararara
土曜日の夜。
自室のベッドでくつろぎながらスマホをいじっていた私の画面に、一件のメッセージ通知が届いた。
送り主は、同じクラスの池寛治くんだった。
『我が声を聞き入れし、
「ふふっ」
相変わらずの、辞書を引きながら打ったような難解で痛々しい文章。
だが、その言わんとしていることは明確だ。
(すっごい回りくどい文章だけど、つまりこれって……デートの誘いってことかな?)
混合合宿以降の池くんは、クラスの女子の間でも密かに話題に上がるほど変わった。
以前のようなただのお調子者ではなく、ストイックに体を鍛え、勉強にも真剣に取り組んでいる。その結果、強烈な厨二病を拗らせてしまったのが玉に瑕だけれど。
それでも、一つの目標に向かって必死に努力する姿は、素直に好感が持てたし、私はそんな彼を微笑ましく思い、最近よく声をかけていたのだ。
「どうしようかな〜」
明日の日曜日、特に予定はない。軽井沢さんや佐藤さんも、綾小路くんの部屋に引きこもってスパルタ勉強会をするらしいし、遊ぶ相手もいない。
(ちょうど暇だし、行こっかな)
私は池くんの勇気を買ってあげることにして、『いいよ。明日の11時にケヤキモールの入り口で』と、至って普通の文章で了承のメッセージを返した。
翌日、日曜日。
少しだけ気合いを入れて私服を選んだ私は、待ち合わせ時間の十分前にケヤキモールの入り口へと到着した。
すると、そこにはすでに池くんの姿があった。
――いや、姿があったどころの話ではない。
「…………えぇ?」
私は、その光景を前に思わず立ち尽くした。
(な、なにその服??嘘でしょ??)
季節はすっかり秋めいてきているとはいえ、休日の昼間だ。
それなのに、池くんは足首まで届く漆黒のロングコートを羽織り、首にはジャラジャラとした無数のシルバーチェーン、手には指抜きの黒い革手袋、そしてなぜか右目に眼帯を着用していた。
道ゆく生徒たちが、誰もがギョッとして二度見していくレベルの完全なる『厨二病ファッション』である。
「……や、やっ。池くん。待たせてごめんね」
私は周囲の痛い視線に耐えながら、できる限り自然な笑顔を作って彼に近づいた。
「フッ……。時は無限、故に待つという概念は俺には存在しないさ。それに……その姿、ひどく君の魂の輝きに似合っている」
「あ、あはは。褒めてくれてありがとう」
眼帯を抑えながらキメ顔で放たれた賛辞に、私は引き攣りそうになる頬を必死に抑えた。
「では、
「ちょっと待って。まずは服屋にいこう」
池くんがバサァッとコートを翻して歩き出そうとした瞬間、私は彼の腕をガシッと掴んだ。
この格好でモールを練り歩くのは、流石の私でも羞恥心で死んでしまう。
「なぜだ?」
「……池くん。普通の服に着替えようか。周りの視線がちょっとね……!」
「?フッ、なるほど。俺が纏うこの『深淵の装束』が、俗物どもの視線を釘付けにしているということか?罪な男だな、俺は」
「あ、あはは。うん。そうそう。だから、今日は私好みの服を着てほしいなって」
これ以上勘違いを加速させないよう、私は『私好みの服』という口実を使って強引に彼をアパレルショップへと連行した。
「よし、着替えてみて」
メンズ服のショップに入った私は、池くんの体型や雰囲気に合わせて、シンプルな白のニットに秋らしいカーキのチノパン、そして清潔感のあるネイビーのジャケットをチョイスした。
しばらくして、試着室から着替えを終えた池くんが出てくる。
髪型も少し整えてあげると、そこには眼帯とコートを装備していたヤバい人物とは別人の、年相応で少し大人びた男子高校生が立っていた。
「うん。池くんにはこういう系統の服が凄く似合うと思うよ。かっこいいじゃん」
私が素直に称賛すると、池くんは鏡を見ながら少し照れたように鼻の下を擦った。
「か、感謝する。だが、俺の本来の力――あの漆黒のコートを着た俺も、捨てがたかったのではないか?」
「あはは、それこそあんな服を着こなせるのは、藍染くんくらいだよ」
「!!!」
私が冗談めかして言うと、池くんは雷に打たれたように目を見開いた。
「な、なるほど……っ!流石の慧眼だ……!この身はまだ至らぬ未熟者。あの装束を纏うには、俺の魂の器が小さすぎたというわけだな……!俺の驕りであった……!」
「う、うん。まあ、そういうことにしておこうか」
藍染くんをダシに使えばいとも簡単に説得できることに気づき、私は内心で生徒会副会長様に深く感謝した。
無事に服装問題をクリアした後は、池くんのエスコートで、映画を見たり、カフェで休んだりと、ごく普通のデートを楽しんだ。
(ふふっ。入学当初の池くんからデートに誘われても、絶対断ってただろうね)
映画のチケットをスムーズに手配し、私が歩き疲れていないかこまめに気遣ってくれる池くんの横顔を見ながら、私は密かにそう思った。
変な方向とはいえ、彼が自分を磨くために真剣に努力してきた結果は、確かな魅力として身についてきている。そんな彼の成長を、私はとても好ましく感じていた。
夕方になり、そろそろ夕食にしようということになった。
池くんが事前にリサーチしてくれていた、少し落ち着いた雰囲気の洋食屋に入る。
席に案内されようとしたその時――。
「あっ!松下さん!」
偶然にも、奥のテーブル席から聞き慣れた声が上がった。
見れば、そこには綾小路くんと軽井沢さんが向かい合って座っていた。
「……ええ!?松下さん、池くんとデート!?」
私たちの姿を確認した軽井沢さんが、目を丸くして驚きの声を上げる。
「ふふっ。軽井沢さんたちが勉強会で遊んでくれないから、池くんと遊んでたんだ」
私が微笑みながら返すと、軽井沢さんは少し申し訳なさそうに眉を下げた。
「うぅ。ごめんね。私と麻耶ちゃんは松下さんみたいに頭が良くないから、清隆にビシバシ教えてもらわないとヤバいのよ……!」
「このペースで勉強を頑張れば、クラスで上位層になるのも時間の問題だ」
綾小路くんが淡々とフォローを入れると、軽井沢さんは「が、頑張ります……」と疲れ切った様子で肩を落とした。
すると、私の横にいた池くんが、ビシッと謎のポーズを決めて口を開いた。
「フッ……。奇遇だな、
突然の厨二病ネームによる名指しに、綾小路くんは静かに池くんを見つめ、どこか真面目なトーンで口を開いた。
「……オレは英語で、松下の渾名はフランス語、そして恵はスペイン語……。その言語選択には、何か法則があるのか?」
「……えっ?」
池くんの独特なネーミングセンスに対し、綾小路くんはまさかの『言語の統一性が無いこと』へ真剣に疑問を呈した。
「ちょっと待ってよ清隆。あたし、スペイン語でなんて呼ばれてんの?」
「直訳すると『黄金の妖精』だな。だが、池の中では『金髪ギャル』くらいの意味合いで使っているのだろう。ちなみに、佐藤のことは『
綾小路くんが淡々と解説すると、軽井沢さんはさらに複雑な表情を浮かべた。
「……褒めてんのか馬鹿にされてんのか、全然分かんないんだけど。ていうか、池くんのその病気、どんどん進行してきてない? 前までそんな変な渾名で呼ばれてるの、清隆だけだったのに……」
「あはは。池くんも色んな国の言葉を調べるくらい、勉強を頑張ってるってことだよ」
私が苦笑しながら池くんのフォローを入れると、軽井沢さんはジト目でこちらを見た。
「……それに関しては、明らかに勉強の方向性を間違ってない?」
もっともな正論である。だが、そんな彼女のツッコミに対し、綾小路くんが一切の表情を崩さずに告げた。
「安心しろ、恵。池の言葉の真意を正確に理解できるよう、今日からお前にも多言語の学習カリキュラムを組むことにしよう」
「……え?」
「睡眠時間と、オレたちのデートの時間を削れば十分に可能だ」
「いやいやいや! スペイン語やフランス語なんて絶対に日常で使わないって! これ以上デート削るのも絶対ヤダ!」
平然と恐ろしいスパルタ教育を提案する彼氏に対し、軽井沢さんが必死の形相で抗議の声を上げた。
相変わらずの綾小路くんのズレた合理性と、それに振り回される軽井沢さんのやり取りがおかしくて、私は思わず吹き出してしまう。
「あははっ!せっかくだし、四人で一緒に食べる?」
私が提案すると、軽井沢さんはチラリと私たちを交互に見て、ニヤニヤと意地悪そうに笑った。
「うーん。でも、お邪魔しちゃ悪いからね。私たちはもう食べ終わるところだし、二人の時間を楽しんで」
そう言って、軽井沢さんは綾小路くんを急かすように食事に戻っていった。
結局、私たちは彼らと別れて別の席につき、二人きりの夕食の時間を過ごすことになった。
「さて、今宵の宴、何から注文しようか?」
「ふふっ。じゃあ、私はこのパスタにしようかな」
池くんはまるで一流のギャルソンのような手つきでメニューを開き、私に勧めてくれる。
食事が運ばれてくると、ナイフとフォークの使い方にも気を使っているのが分かった。どこか『聖剣を扱う儀式』のような謎の緊張感は漂っているものの、以前のようなガサツさは欠片もない。
(……ふふっ。今日は楽しかったな。このちょっと痛い感じも、今となっては可愛いとすら思えるし)
私はパスタを口に運びながら、目の前の彼を冷静に観察していた。
もともと私の中には、『ハイスペックな男の子以外とは付き合いたくない』という、打算的な考えが根強くあった。平田くんのように誰もが認めるような存在でなければ、釣り合わないと思っていたのだ。
だけど、目の前の池くんはどうだろうか。
(今の池くんは、ストイックに鍛えたおかげでスタイルも良くなってるし、運動も勉強もかなり出来るようになってきてる。……言葉遣いとファッションセンスは壊滅的だけど)
今日待ち合わせ場所に現れた時の、あの漆黒のコートと眼帯を思い出し、私は心の中で密かに溜息をつく。
(でも、それって逆に言えば……私が彼のファッションや振る舞いを『矯正』してプロデュースすれば、完璧な理想の彼氏になるんじゃない?)
原石としては、今の池くんは間違いなく優良物件だ。私にだけ一途に尽くしてくれそうだし、彼が自分の目標に向かってひたむきに努力を重ねている姿にも自然と好感を持てていた。
(もし……この後、告白されたらどうしようか)
食事を終え、二人で寮へと向かう夜道。
先ほどまで色々と痛々しいセリフを並べていた池くんが、店を出てから急に口数が減っていた。
横を歩く彼の足取りはどこかぎこちなく、街灯に照らされた横顔には、隠しきれない緊張の色が浮かんでいる。
(あ、これ……絶対言ってくるやつだ)
女の子の勘が、この後の展開を確信させる。
寮の敷地内に入り、人目につかない少し薄暗い木陰のベンチの近くに差し掛かったところで、池くんがピタリと足を止めた。
「……千秋」
「えっ、あ、うん。なに?」
突然名前で呼ばれ、私自身も心臓がトクンと跳ねた。
池くんは私に向き直ると、深く息を吸い込み、ビシッと右手で顔の半分を覆うお決まりのポーズをとった。
「俺は……孤高の覇道を往くため、他者を遠ざけ、自らを絶対隔離領域へと封じ込めてきた」
「…………うん」
出た。この一番肝心な場面で、やっぱり厨二病全開だ。
「だが、君は違った。君だけは、俺の纏う暗黒のオーラに臆することなく、その慈愛の光で俺の魂を包み込んでくれた。……気がつけば、俺の視線は常に、
「池、くん……」
「俺にはまだ、藍染様のような絶対的な力はない。だが、君を守り抜くという誓いだけは、誰にも負けない。……だから」
池くんは顔を覆っていた手を下ろし、真っ直ぐに私の瞳を見つめ抜いた。
その目は、ふざけているわけでも、己に酔っているわけでもない。ただ純粋な、不器用なほどに真っ直ぐな熱を帯びていた。
「俺と……永遠の契約を結んでくれないか。俺の、たった一人の光になってほしい」
「…………っ」
ドクン、と胸が大きく鳴った。
私は、自分の顔がカッと熱くなるのを感じ、思わず視線を泳がせた。
(……ど、どうしよう!?)
頭の中で、冷静な私と感情的な私がパニックを起こしている。
(今の告白の言葉、すっごい痛々しい!普通に「好きです、付き合ってください」でいいじゃん!契約ってなに!?痛い、痛すぎるよ!)
だけど。
(池くんが必死に努力している理由。それは、藍染くんのようになりたい、彼に並び立つに相応しい存在になりたいという強烈な憧れが原動力だ。それは、彼を見ていれば痛いほど伝わってくる)
理由はどうあれ、彼が血の滲むような努力をしているのは紛れもない事実だった。
(……それに比べて、私はどうだろう)
綾小路くんに実力がバレてしまったこともあって、二年生に入ってからは、本気を出してはいる。
だけど、池くんのように目標に向かって泥臭く、全力で自分を磨き上げるような真似はしてこなかった。
(常に省エネで、自分を取り繕ってばかりの私が……こんなにも真っ直ぐに努力する今の彼に、本当に相応しいのかな)
そう思うと、自然と張り詰めていた肩の力が抜けた。
「……ふふっ」
「ち、千秋……?」
「ううん、なんでもない。……ありがとう、池くん」
私はゆっくりと息を吐き出し、彼の真っ直ぐな瞳を見つめ返した。
「池くんの気持ち、すっごく嬉しいよ。……私もね、今の変わろうと努力している池くんのことは、好ましく思ってる」
「ほ、本当か……!? なら——!」
「だけど……ごめんなさい。今の私じゃ、池くんの隣に立つ資格はないと思うの」
「っ……!それは……俺の力が、まだ藍染様に及ばないからか……?」
ショックを受けたように顔を歪める池くんに、私は優しく首を横に振った。
「違うよ。逆なの」
「逆……?」
「池くんは、藍染くんに並び立つために毎日必死に努力してるじゃない? でも私は……池くんに比べたら、全然努力なんてしてないから。今の私じゃ、池くんの隣に立つ資格はないなって思っちゃったの」
私が正直な気持ちを打ち明けると、池くんは驚いたように目を瞬かせた。
「だから、このお返事は……少しだけ、保留にさせてほしいな」
「……」
「私が、胸を張って『今の池くんに相応しい女の子になれた』って思えた時に……その時に改めて、私からお返事をさせてほしい。……だめかな?」
私が少しだけ上目遣いで尋ねると、池くんは数秒の間呆然としていたが、やがてハッと息を呑み、再び右手で顔を覆うポーズをとった。
「フッ……なるほど。俺の魂の輝きが、君の内に眠る
「あはは、そうだね。そういうことにしておこうかな」
「……いいだろう。太陽と月が交わるその日まで、俺はいつまでも君の覚醒を待とう。俺も、さらなる深淵へと至るために歩みを止めはしないさ」
それは、実質的な告白の受け入れとも言える前向きな保留だった。
相変わらずの痛々しいセリフ選びだけれど、今の私には、不思議とそれが頼もしく見えた。
「うん。お互い、頑張ろうね」
私は自然とこぼれた笑顔でそう頷き、彼と共に再び歩き出す。
夜風は少し冷たかったけれど、胸の奥には、これまで感じたことのないような確かな温かさと、自分自身を変えていきたいという前向きな熱が灯っていた。